2022年4月1日金曜日

ネット川柳とリアル句会の分断

4月に入った。久しぶりに角川『短歌』を買ったのは、4月号に掲載の平岡直子の短歌がお目当てである。

宝石より宝石箱がすきなこと一パーセントになってからだね  平岡直子

平岡の短歌にはときどきアフォリズム的なフレーズが現れる。作者にはそんなつもりがないかもしれないが、読む方がそう受け止めるのだ。「宝石」より「宝石箱」が好きという断言が一種の箴言を思わせる。
あと、特別企画として全国の大学短歌会が紹介されている。かつて筑紫磐井は若手俳人の登場に対して、「若手は甘やかされて育つ」と言ったことがあるが、そういう面はあるかもしれない。

「近づきたい だけど理解はされたくない」雨音だけが=のまま  山下塔矢
彼もまたオリーブオイルを選ぶから年齢詐称は今日でやめよう   永井さよ
生れる前のデビューアルバム聴き擦ってあたし神格飛び火しました 府田確
大きいコメダ 小さいコメダ どこにいてもそれなりに楽しくてくやしい 伊縫七海
近づいたら工業廃水だったこと をわざわざ書いて送る絵はがき  関寧花

この号、歌壇時評も興味深い。前田宏「世代間の分断とは何か」は価値観の多様化による世代間の分断について書いている。かつて篠弘は1993年版の『短歌年鑑』で次の三つの世代の分極について述べたという。

茂吉・白秋・空穂・文明らの影響を受けた戦前世代から戦中派の人たち
昭和30年代から現代短歌運動を目撃し、それを超えようとする試みを展開する人たち
俵万智以降のライトバース時代に出現し、口語文体によって時代の雰囲気を捉えようとする人たち

現代では戦前世代が減少して二区分になっているが、現在の分断は世代の違いによるのではなく、結社と非結社の間にあると前田は述べている。結社は年長組、非結社は年少組が多いので、世代間の分断のように見えるが、問題の本質は「結社という各世代を串刺しにする継承・教育システム」と「非結社という若手世代中心の自己教育システム」が併存しているところにあると前田は見ている。この対立は歌評方法にもあらわれていて、「作者の言葉選びや叙述の適否を評しながら作品世界を作者と読者で共同創造していこうとする」方法(読みを通じて一首を深化していこうとする価値観)と「そう書かれたんだからそう書くだけの理由があると理解しないといけない」という方法(一首を既に完成形と見て享受しようとする価値観)に分かれていく。
前田の分析が興味深かったのは、川柳にひきつけて考えると、ネット川柳と結社句会の川柳の分断を感じるからである。従来の川柳においてはそのような分断は見られなかった。ネットを駆使するような若い世代の川柳人が皆無だったからだ。ところが近年になってネットを主戦場とする表現者が増えてきて、リアルの川柳句会を経験しなくても自由に作品発表が可能となっている。既成の川柳界とは無縁のところで作品が書かれていて、互いに影響を与えることはないが、今後の推移を見まもっていきたい。

さて今回は、従来型の川柳誌をいくつか紹介しておく。
京都で隔月に発行されている「川柳草原」120号(2022年3月号)から会員作品。

排他的水域を横泳ぎする     河村啓子
ハッシュタグ星の話を聴きにいく みつ木もも花
激痛を伴うほどの嘘じゃない   岡谷樹
五本指の靴下それぞれの孤独   柳本恵子
発禁の詩歌がとぐろを巻いている 高橋蘭
かじかむ手ひたせと雪国の人の  徳山泰子
走るのに疲れ休むのにも疲れ   中野六助

次は同誌の句会作品。

百舌よ百舌それは私の薬指    酒井かがり
羽根つきぎょうざの羽根があるではないか 森田律子
人形のまま長い夢見続けて    岡谷樹
木の椅子に時が坐った跡がある  嶋澤喜八郎
傘立てに花子の冬が残されて   清水すみれ

「凜」89号から。

試されていたのは僕の方でした  こうだひでお
足音は次女久しぶりの廊下    辻嬉久子
愛想笑いの栓を閉め忘れた昨日  桑原伸吉
冷蔵庫の聖地にタマゴしまし顔  永峯八重
行間にウエストミンスターの鐘  中林典子
最後の一葉の夢 飛ぶ教室    里上京子
尖ってた頃の青くさい疲れ    笠嶋恵美子
こいびとのこゆびましろきすりりんご 内田真理子

「川柳北田辺」123号では中山奈々の川柳作品に注目。

火鉢から酢茎でてくるまで眠る    中山奈々
あかさたなはま病んでラーメン啜る
木星が見えるまでバターを塗った
通り魔と目されている舌シチュー
とろ箱を棺桶としてビスタチオ
いざなみのみこと愛用のしょう油

これだけ奔放な句だと、すでに句会の限界を超えているし、逆に句会(席題)だからこそ瞬発力を発揮して詠めた句だとも言える。

最後に、3月4日のこのコーナーで紹介した「蝶」の木村リュウジの作品が「LOTUS」49号にも掲載されているので紹介する。多行俳句である。

たなびくや    木村リュウジ
夢のたびらの
ゆかたびら

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