現代川柳が短詩型文学の読者の目に触れるかたちで取り上げられることは、従来少なかったのだが、岡井隆・金子兜太の共著『短詩型文学論』(紀伊國屋書店、1963年)はその貴重なケースであった。この本は岡井の短歌論と金子の俳句論から構成されているが、現代川柳に触れているのは金子の俳句論の方である。本文ではなくて(附)と記された注のような扱いで次のように書かれている。
河野春三は「現代川柳への理解」で、俳句と川柳が最短詩としての共通性をもち、現在では内容的にも一致している点を指摘し、「短詩」として一本のジャンルに立ち得ることを語っているが、一面の正統性をもっていると思う。ただ、両者の内容上の本質的差異(川柳の機知と俳句の抒情)は越えられない一線であると思う。
「俳句と川柳の本質的差異」についての捉え方が今日の眼から見て妥当かどうかは別として、この時点での金子兜太の考え方が示されている。
河野春三の『現代川柳への理解』(天馬発行所、1962年)は現代川柳の理論水準を示すもので、その後長い間これを越える川柳書は現れなかった。
岡井隆は金子兜太を通じて現代川柳のことも知っていたはずである。そのことを後年になってから、岡井隆は「金子兜太といふキーパースン」(『金子兜太の世界』角川学芸出版、2009年)で次のように書いている。
昭和三十年代あるいは四十年代のはじめだつたか、前衛川柳の何人かの人と、私とを、金子さんは引き合わせてくれた。今はやりの風俗的な、口あたりのいい川柳とはちがう川柳。今、心ある新鋭たちが柳壇の再興をねがつて論をかさね、作品を書いてゐるのを読むと、この人たちの先輩にあたるのが、金子さんが引き合わせてくれたかれらだつたのだと思ふ。あの謎のやうな一群の川柳人たちと、私は、巣鴨か大塚あたりの小さなホテルで合議したことがある。あれは一体何なんだつたのだらう。大方は私の方の事情で、この会議は続かなかつたが、金子兜太の、俳壇を超越した動きの一端はあのあたりにもあつた。
岡井が述べているのは昭和40年前後の柳俳交流についてである。「柳俳交流」について私はこれまでに何度も書いたことがあるが、金子兜太・岡井隆と関連のありそうなデータだけ示しておきたい。ご興味のある方は拙文「柳俳交流史序説」(『蕩尽の文芸』所収)をご覧いただきたい。
〇「川柳現代」15号(発行・今井鴨平、昭和39年1月号)
特集は山村祐著『続・短詩私論』(森林書房)の書評で、金子兜太「短詩と定型」・林田紀音夫「共通の場に立つて」・加藤太郎「『続・短詩私論』を読んで」・石原青龍刀「『続・短詩私論』を読む」・秋山清「『続・短詩私論』私観」・高柳重信「『続・短詩私論』に関するわが短詩私論」を掲載。
〇「俳句研究」昭和39年10月号
河野春三「川柳革新の歴史」・松本芳味「現代川柳作品展望」・山村祐「川柳という名の短詩」
〇「俳句研究」昭和40年1月 座談会「現代川柳」を語る
司会・金子兜太、川柳界から河野春三・山村祐・松本芳味、歌人の岡井隆、俳人の高柳重信による座談会
特に〈「現代川柳」を語る〉という座談会は興味深いので、この時評(2014年8月22日)でも小説風にアレンジして紹介したことがある。
その後、岡井と現代川柳との接点は途絶えたようだが、「今はやりの風俗的な、口あたりのいい川柳とはちがう川柳。今、心ある新鋭たちが柳壇の再興をねがつて論をかさね、作品を書いてゐるのを読むと、この人たちの先輩にあたるのが、金子さんが引き合わせてくれたかれらだつたのだと思ふ」というような部分を読むと、後輩である現代川柳人のことも岡井の視野に入っていたのだと思われる。『注解する者』のなかに佐藤みさ子の川柳が引用されたこともあった。
岡井隆は現代川柳についてまとまった発言を残していないが、現代川柳のことも遠くから見ていたはずである。これからの20年代の川柳のことも引き続き見ていてほしかったと思う。岡井は昭和40年ごろの川柳人について「あの謎のやうな一群の川柳人たち」と言ったが、現代川柳が「謎のような存在」ではなくなってゆくことを願っている。
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