俳誌「オルガン」2号が届いた。
巻頭、田島健一の俳句が特に私の好みに合う。季語が「いかにも季語だよ」という顔をしていないところがいいのだろう。
二兎は布から泉ながめて日の都 田島健一
箱庭に倦むライオンの眼の病気
待たされて苺の夜に立っている
太陽のこころは急ぐ海鼠かな
噴水の奥見つめ奥だらけになる
射る女子が気配をつくる眼の装飾
7月4日、青森の「おかじょうき」主催の「川柳ステーション」が開催され、トークセッションのテーマは「川柳の弱点」。荻原裕幸がどんなことを語ったのか興味があったので、誰かレポートを書いてくれないかなと思っていたら、笹田かなえがブログ(「川柳日記 一の糸」7月17日)で少し触れている。「川柳は自己規定するべき」「作風の違うにも関わらず、否定することを避けている」など荻原の持論が語られたようだが、情報が断片的なので、詳細は「おかじょうき」の発表号を待つしかない。
「川柳マガジン」8月号で「前衛川柳」の選をしたのだが、痛感するのは「伝統」「前衛」の区別がもう分からなくなっているということである。そんな区別はない方がいいという気もしないではないが、歴史としての理解すら皆無というのでは困る。私が選んだのは次のような句。
ゴーヤのつぶつぶになったはらわた語 森田律子
手錠してシロツメクサを植えていく 榊陽子
大根の鬆の中にある兜率天 井上一筒
必要があって、右城暮石の句集『声と声』を読む機会があった。
序文を山口誓子が書いている。
「右城暮石氏は『倦鳥』と『天狼』の接木作家である。『倦鳥』を台木として、それに『天狼』を接ぎ、自己を進めた作家である」
そして「伝統」について誓子はこんなふうに書く。
「伝統を新しく生かすと云ったとて、その伝統は将来、いつの日かに消えて失くなるかも知れぬ。たとえ消えて失くなるとも、現在に於いてはこれを新しく生かすことに努めねばならぬ。これが作家暮石氏の信念である」「それにしても伝統を新しく生かすことのいかに難しいことであるか、私はつくづくとそれを痛感する者である」
おもしろく思ったので、日吉館句会について平畑静塔が語っているのを書架から出してきたりしている。
風呂敷のうすくて西瓜まんまるし 右城暮石
牛肉の赤きをも蟻好むなり
綿虫を指さす誓子掴む三鬼
奈良の日吉館は取り壊されて、跡地には別の建物が建っているらしいが、8月の燈花会には奈良で連句会をする予定なので、前を通ってみようと思う。
「川柳カード」9号が発行された。
巻頭は飯島章友の句「猫の道魔の道(然れば通る) だれ」と入交佐妃の写真とのコラボ。
特集は「若手俳人は現代川柳をどう見ているか」というテーマで、松本てふこ・西村麒麟・中山奈々・久留島元の四人が執筆している。
8月29日(土)の「川柳カード9号・合評会」にはこの四氏にも参加していただく予定なので、直接話が聞けるのが楽しみだ。
よそ者として一心に踊りたる 松本てふこ
陶枕は憶良にねだるつもりなり 西村麒麟
行く春やコーラを残すなら飲むよ 中山奈々
きつね来て久遠と啼いて夏の夕 久留島元
7月5日に開催された「第66回玉野市民川柳大会」の発表誌が届く。
筒井祥文と本多洋子の共選「創」から。
バスタブと気球に女性創業者 井上一筒
タスマニアアボリジニ一族のポン酢 森茂俊
アウシュビッツで創る皇室カレンダー 村山浩吉
秋田から参加した田久保亜蘭が佳吟や準特選をたくさんとって活躍したのが目をひいた。
ポンと生まれてポンと逝く夕茜 田久保亜蘭
太陽とひとつ違いの魔女と住む
りんごだった頃バナナに煽られた
煽られてしまったままのAKB
東京のサイズでサザエさんを描く
大阪・中崎町で開催中の「とととと展」まだ行けていないので、最終日の8月2日には行きたい。
来週の時評は休みます。
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