2025年5月6日火曜日

西田雅子句集『そらいろの空』

『そらいろの空』(ふらんす堂)は西田雅子の第二句集である。第一句集『ペルソナの塔』(あざみエージェント)は写真とコラボしたミニ句集で、句数も少なかったのに対して、今度の句集は西田の句業を堪能できる本格的なものになっている。
『そらいろの空』というタイトルがこの句集の世界を端的に表現している。「鈍色の空」とか「もうひとつの空」などではなくて、「そらいろの空」だという。空が空色なのは当然なのだが、「空色の空」「空色のそら」「そらいろのそら」などの表現の中から「そらいろの空」というタイトルが選ばれることによって、空は「そらいろ」だということが改めて意識させられる。ふだん当然のように使われている言葉が再生され、そこはかとないポエジーが生まれる。「アネモネはあねもねいろに溺れている」

はじまりの朝は銀いろ太古より
朝露の一滴 長い夢だと思う
水の匂いする 淋しさ来る前に
撓んだまま鏡の奥へ消える時間

冒頭の数句である。空間よりも時間の感覚が優先されている。はじまりの時間は太古から続く時間であり、長い夢でもある。色彩、匂いなどの感覚によってデリケートな世界を言葉で表現している。
現代川柳ではインパクトの強い言葉が使われることが多い。意味の強度は川柳の方向性のひとつだ。けれども、西田の句はそういうものとは違う。奇をてらったり、無関係な言葉を無理に結びつけたり、人目をひくような言葉の力に頼ったりしない。風刺やユーモア、社会批判、ルサンチマンなどの川柳観から見れば、西田の作品は淡い印象を与えるかもしれない。私も彼女の句にもの足りなさを感じた時期があった。けれども西田は自らの資質に従って自己の世界を深めていった。言葉の強度に頼らず、感性のゆらめきをとらえながら表現されるポエジーの世界は、ある意味で言葉の飛躍よりも達成が困難かもしれない。

扉のない誰も知らない二号館
継ぎ目からときどき洩れる笑い声
動かない時間の匂いする小部屋
新月の扉ひらけば楼蘭へ

扉を開くと異世界が不意に現れる。あるいは、扉そのものが現実には存在しない。かすかな声や匂いによってだけ感受される世界。時間と空間が交錯する。

桜闇かすかに鉄の匂いして
花冷えを一枚はさむ新刊書
ある夏の白いページに二泊する
編み棒で秋から冬をくぐらせる

一見すると俳句寄りの作品である。季語に相当する語が使われていて、季節の推移とともに生まれる感覚や感情が詠まれている。「秋うらら誤配で届く象の耳」などは俳句と同じ二句一章の作り方だ。季節の推移にポエジーを重ねると必然的に俳句と似たものになってゆくが、それが悪いと言っているのではなくて、俳句との境界領域で川柳として作句するところに、この作者の志向があるのだろう。

雨になる前の雨音聴いている
夢殿がまだ風の舟だったころ
くちばしも翼もあるが空がない
欄外へ雨は静かに降り続く
雨ばかり降る窓の位置かえてみる

西田の句にあらわれるのは、空、夢、雨、風などだ。
フォト句集『ペルソナの塔』で印象に残ったのは「ペルソナの中の塔みな海を向く」の一句だけだったが、『そらいろの空』には心ひかれる句がたくさんある。西田雅子の達成した世界がここにはある。ウェブで楽しむ川柳のサイト「ゆに」でも活躍している西田のこれからの展開が楽しみだ。

木の中の木が水色になり立夏
ひまわりの事情聴取が続いている
金屏風の虎が一頭逃げた夜
崩落は夜の金魚のあぶくから
抽斗の奥にピンクのすべり台
はじまりか終わりか花に囲まれて

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