暮田真名句集『ふりょの星』(左右社)、4月28日発売になり、大阪では梅田蔦屋書店でサイン本が平積みされている。フェア「はじめての詩歌」もはじまっていて、川柳人からは暮田のほか、なかはられいこも参加している。『ふりょの星』については反響を見てから、改めて触れる機会があると思う。
今回は川柳誌を中心に管見に入った冊子を取りあげることにする。
「湖」は浅利猪一郎の編集発行で秋田県仙北市から出ているが、4月発行の14号には第14回「ふるさと川柳」(誌上句会)の結果が掲載されている。課題は「無」。全国から533名、1310句の投句があった。12人の選者により、入選1点、佳作2点、秀句3点を配点し、合計点で順位を決定する。上位5句を挙げておく。
9点 無になれば跳び越せそうな鉤括弧 梶田隆男
8点 どうしても無職と書かすアンケート 二藤閑歩
7点 埴輪から一度聴きたい無駄話 加納起代子
7点 不愛想な大工多弁な鉋屑 植田のりとし
7点 僕は無名何を焦っていたのだろ 石澤はる子
どの選者がどの句を選んでいるかが興味のあるところで、佳作・秀句で点数をかせぐ句もあれば、まんべんなく入選をとって高得点になる場合もある。ここでは丸山進選と小池正博選の秀句を見ておこう。
秀句(丸山進選)
友がきも兎小鮒も居ぬ故郷 近藤圭介
無愛想な大工多弁な鉋屑 植田のりとし
埴輪から一度聴きたい無駄話 加納起代子
秀句(小池正博選)
埴輪から一度聴きたい無駄話 加納起代子
点景になって舞台の袖に立つ 越智学哲
無作為の美だろう釉薬の流れ 藤子あられ
選者によって取る句が重なったり違ったりするのが共選のおもしろさである。句会は「題」という共通の土俵のなかで競い合うもので、否定論者もいるが川柳の特質のひとつだ。
2005年、丸山進を講師に迎えて発足した「おもしろ川柳会」が17年・200回を数え、記念誌『おもしろ川柳200回記念合同句集』が発行された。「200回分のドラマ」で青砥和子はこんなふうに書いている。「川柳は、人間の喜怒哀楽や森羅万象を自由に詠めるのですから、恐れず、自分の思いを五七五の十七音にしたためてみることです。ただここで気を付けることがあります。それは、人目を気にして、句が美談やスローガンになってしまうこと」
黙食はずっとしている倦怠期 浅見和彦
落ちていた一円硬貨あざだらけ 佐藤克己
焼き鳥の煙魔界に入ります 中川喜代子
なぜ戦うこんなきれいな星なのに 金原朱美子
今ならば竜馬は月へ行ったはず 真理猫子
グーを出す引き下がらないように出す 青砥和子
性格はアルカリ性の友ばかり 丸山進
巻末に丸山進の「思い出の川柳」という文章が収録されている。
「1996・8月 仕事は現役のシステム屋で、全国あちこちの顧客へ出張が多かった。新幹線の中、週刊誌(文春)をよく読んだ。川柳コーナーがあり、初めて入選したのが時実新子選の『いい人は悲劇の種を抱いている』だった。これで病みつきとなり、投稿を続け何度か入選した」
定年退職後、公民館や体育館で夜勤の業務を行うようになり、公民館の職員から川柳講座を依頼される。2005年5月、川柳講座「おもしろ川柳」のスタート。
川柳への入り口と川柳人のひとつの軌跡を示しているので、丸山進の場合を紹介してみた。
もう一誌、丸山進が関わっているのがフェニックス川柳会(瀬戸)。この4月で10年の節目を迎えるという。「川柳フェニックス」17号から。
コロナがハブでワクチンがマングース 北原おさ虫
輪廻待つ列にうっかり並んだの 長岡みゆき
透明になってやりたいことはない 稲垣康江
うっかりと三角なのに丸くなり 三好光明
梨・葡萄元のサイズに戻りたい 安藤なみ
獣だけ欲しがる土地は持っている 高橋ひろこ
月光を飲んで治した夢遊病 丸山進
数年前の句集だが、最近読む機会があった青田煙眉(青田川柳)の『牛のマンドリン』(2018年、あざみエージェント)から。
蟻一匹 美しい本だった 上った 青田川柳
蝶蝶の春 空気の布団が濡れる
馬が算盤をはじいて戦後の荷を下す
コーヒーの中で少女の時計が射たれた
一つの寝袋に黙って森が入ってます
牛のマンドリンを聞く騎兵―秋の胃
橋がかり少年螢になったまま
目が咲いた一生かけて咲きました
山村祐は「牛のマンドリン」の句をシュールレアリスムの現代川柳として評価した。
川柳新書「青田煙眉集」(1958年11月)で彼は「新しい実験を試みること、川柳を通して現代の危機を描くこと、この二つは私自身にとっても創作上大切なことなのです」と書いている。
根岸川柳は「連唱」という形式を発案し、青田はそれを普及させようとした。連唱は連句とは異なり、約束ごとにとらわれず、発句から挙句までほのかな連鎖をもって自由に展開したものだという。句数は決まっていないようである。次に挙げるのは青田煙眉作品で、「川柳新書」掲載の連唱「時計の裏」、19句のうち最初の6句である。
洗面器濡れない雲を摑まえる
鼻の奥から古いフイルム
生生流転、犬好きの犬だった
胎児を嗅げば金網がある
東条の掛算に両手でイコール
棒の孤独は―影が冬です
2022年4月22日金曜日
「幻想の短歌」―「文學界」5月号
今月の短詩型界隈で最も話題になったのは、たぶん「文學界」5月号の特集「幻想の短歌」だろう。巻頭表現、我妻俊樹の「小鳥が読む文章」10首が掲載されている。
セロファンの春画の朝凪にのまれていなくなろうとしてたのかしら 我妻俊樹
堂園昌彦による幻想短歌アンソロジー80首、10人による短歌7首、批評やエッセイ、座談会など盛沢山な内容だが、大森静佳・川野芽生・平岡直子の座談会「幻想はあらがう」に注目した。この三人は『葛原妙子歌集』(書肆侃侃房)の「栞」に文章を書いている。葛原妙子は「幻視の歌人」と呼ばれているが、川野が「幻視者の瞼」という捉え方をしているのに対して、平岡が見慣れた景色(言葉)を見慣れない景色(言葉)に再構成することが葛原の「写生」であり、「幻視、といわれたら半分悔しいと思う」と書いていたのが気になっていた。今回の対談では文脈は異なるが、「この三人の中で、いちばん『幻想的』と言われるのは私だと思うんですけど、意外と私、幻想的ではないんですね」と川野が言っているのがおもしろかった。現実よりファンタジー・異界の方がリアルだというのが川野のスタンスだとすれば、現実に対する批評性もそこから生れてくるだろう。一方で、リアルな世界に対して独自な見方をすることで結果的に幻想につながっていく(読者にとって)のが平岡の短歌なのかなと思った。
平岡の紹介に初の川柳句集『Ladies and』(左右社)が5月下旬に刊行予定とある。また特集では暮田真名が我妻俊樹の短歌について書いている。暮田の句集『ふりょの星』も近日発行されることになっている。
前回紹介した『なしのたわむれ』だが、須藤岳史がヴィオラ・ダ・ガンバについて語っているところが興味深かったので書き留めておく。この楽器は18世紀の後半に姿を消してしまったのだが、20世紀になってから再発見された。忘れ去られたのはこの楽器が王や貴族に愛されていたので、フランス革命のときにアンシャン・レジームの象徴とみなされたことと、音楽の場が宮殿や貴族の邸宅からコンサートホールに移ったため、楽器が広い会場でもよく聞こえるものに改造されていったからだという。変化を続ける社会への対応を拒んで消えて行った楽器を、須藤は「敗者」ではなく「無冠の王のような楽器」と書いている。あとコロナ禍で演奏会がキャンセルになる状況について、演奏会がなくても音楽家は練習をするが、やはり本番がないと下手になるというところ。また、良い音は文脈のなかで決定されるというところ。文芸においてもいろいろな意味で関係性が重要な契機になるのだろう。
「川柳スパイラル」14号の特集「今井鴨平と現川連の時代」で「川柳現代」の11号・14号が手元にないと書いたところ、野沢省悟に送っていただいたので、両号に掲載されている作品を紹介しておく。牛尾絋二の柳俳誌時評にも注目した。
石と寝て石の奇蹟を五色に睡むる 横山三星子
銀の壺奴隷の卑屈さを耐える 定金冬二
〈私〉を綴じ込んで脹らんでゆくカルテ 柴崎柴舟
生きてきて 生きていて 屈辱の膝がしら 時実新子
波が空缶を洗いバカンスに嘔吐する 中島正行
防人歌虫の滅びて地の憂ひ 篠崎堅太郎
岡山の詩誌「ネビューラ」の代表・壺阪輝代はセレクション柳人『石部明集』(邑書林)で石部明論を書いている。同誌80号「ふるさとの在り処」で壺阪は石部の次の句に触れている。
空瓶の転がりゆくはわが故郷 石部明
この句について「石部明論」では次のように書かれていた。
「年を経るごとに、詰まっていたものが減っていき、ついに空っぽになっていくという現実。その虚しさに気づいた時、故郷が靄の中から浮かび上がってくる。そこへ向かって転がっていく空瓶は、作者自身に他ならない。この故郷は、生まれ育った故郷というよりも、生まれる前に棲んでいた故郷のように私には思える」
これに付け加えて壺阪は今号の「ネビューラ」で「この句に出会った時、私は自分の内面を見透かされているような衝撃を覚えた。『作者自身』の箇所を『私自身』に置きかえれば、この感想は、私自身に向かって言っている言葉なのだ」と言う。
壺阪が『石部明集』で取り上げていた他の句も紹介しておこう。
傘濡れて家霊のごとく畳まれる 石部明
折鶴のほどかれてゆく深夜かな
手を入れて水の形を整える
死顔の布をめくればまた吹雪
石部明について繰り返し語ることが必要だ。
セロファンの春画の朝凪にのまれていなくなろうとしてたのかしら 我妻俊樹
堂園昌彦による幻想短歌アンソロジー80首、10人による短歌7首、批評やエッセイ、座談会など盛沢山な内容だが、大森静佳・川野芽生・平岡直子の座談会「幻想はあらがう」に注目した。この三人は『葛原妙子歌集』(書肆侃侃房)の「栞」に文章を書いている。葛原妙子は「幻視の歌人」と呼ばれているが、川野が「幻視者の瞼」という捉え方をしているのに対して、平岡が見慣れた景色(言葉)を見慣れない景色(言葉)に再構成することが葛原の「写生」であり、「幻視、といわれたら半分悔しいと思う」と書いていたのが気になっていた。今回の対談では文脈は異なるが、「この三人の中で、いちばん『幻想的』と言われるのは私だと思うんですけど、意外と私、幻想的ではないんですね」と川野が言っているのがおもしろかった。現実よりファンタジー・異界の方がリアルだというのが川野のスタンスだとすれば、現実に対する批評性もそこから生れてくるだろう。一方で、リアルな世界に対して独自な見方をすることで結果的に幻想につながっていく(読者にとって)のが平岡の短歌なのかなと思った。
平岡の紹介に初の川柳句集『Ladies and』(左右社)が5月下旬に刊行予定とある。また特集では暮田真名が我妻俊樹の短歌について書いている。暮田の句集『ふりょの星』も近日発行されることになっている。
前回紹介した『なしのたわむれ』だが、須藤岳史がヴィオラ・ダ・ガンバについて語っているところが興味深かったので書き留めておく。この楽器は18世紀の後半に姿を消してしまったのだが、20世紀になってから再発見された。忘れ去られたのはこの楽器が王や貴族に愛されていたので、フランス革命のときにアンシャン・レジームの象徴とみなされたことと、音楽の場が宮殿や貴族の邸宅からコンサートホールに移ったため、楽器が広い会場でもよく聞こえるものに改造されていったからだという。変化を続ける社会への対応を拒んで消えて行った楽器を、須藤は「敗者」ではなく「無冠の王のような楽器」と書いている。あとコロナ禍で演奏会がキャンセルになる状況について、演奏会がなくても音楽家は練習をするが、やはり本番がないと下手になるというところ。また、良い音は文脈のなかで決定されるというところ。文芸においてもいろいろな意味で関係性が重要な契機になるのだろう。
「川柳スパイラル」14号の特集「今井鴨平と現川連の時代」で「川柳現代」の11号・14号が手元にないと書いたところ、野沢省悟に送っていただいたので、両号に掲載されている作品を紹介しておく。牛尾絋二の柳俳誌時評にも注目した。
石と寝て石の奇蹟を五色に睡むる 横山三星子
銀の壺奴隷の卑屈さを耐える 定金冬二
〈私〉を綴じ込んで脹らんでゆくカルテ 柴崎柴舟
生きてきて 生きていて 屈辱の膝がしら 時実新子
波が空缶を洗いバカンスに嘔吐する 中島正行
防人歌虫の滅びて地の憂ひ 篠崎堅太郎
岡山の詩誌「ネビューラ」の代表・壺阪輝代はセレクション柳人『石部明集』(邑書林)で石部明論を書いている。同誌80号「ふるさとの在り処」で壺阪は石部の次の句に触れている。
空瓶の転がりゆくはわが故郷 石部明
この句について「石部明論」では次のように書かれていた。
「年を経るごとに、詰まっていたものが減っていき、ついに空っぽになっていくという現実。その虚しさに気づいた時、故郷が靄の中から浮かび上がってくる。そこへ向かって転がっていく空瓶は、作者自身に他ならない。この故郷は、生まれ育った故郷というよりも、生まれる前に棲んでいた故郷のように私には思える」
これに付け加えて壺阪は今号の「ネビューラ」で「この句に出会った時、私は自分の内面を見透かされているような衝撃を覚えた。『作者自身』の箇所を『私自身』に置きかえれば、この感想は、私自身に向かって言っている言葉なのだ」と言う。
壺阪が『石部明集』で取り上げていた他の句も紹介しておこう。
傘濡れて家霊のごとく畳まれる 石部明
折鶴のほどかれてゆく深夜かな
手を入れて水の形を整える
死顔の布をめくればまた吹雪
石部明について繰り返し語ることが必要だ。
2022年4月15日金曜日
小津夜景・須藤岳史『なしのたわむれ』―付合文芸としての往復書簡
紀野恵が編集している短歌誌「七曜」に紀野は「楽天生活」というタイトルで漢詩と短歌のコラボレーションを連載している。たとえば203号(2022年3月)では白居易の漢詩「早朝思退去」に次のような訳が付けられている。詩・白居易/歌・紀野恵&ハク(白猫)。
霜嚴月苦欲明天 しもはきびしく つきさへにがい
忽憶閑居思浩然 かつてのんびり 暮らしてゐたが
自問寒燈夜半起 さむくてくらい うちからおきる
何如暖被日高眠 もつとぬくぬく あさ寝がしたい
唯慙老病彼朝服 いいとしなのに 仕ごとを辞めず
莫慮飢寒計俸錢 もつと欲しいと かねをかぞへる
隨有隨無且歸去 もういいだらう もういいかげん
擬求豐足是何年 いまがまんぞく するときなんだ
漢詩は七言律詩だが、それぞれの漢句に対応するような短歌が八首掲載されている。最初の「月」の歌と最後の「満足」を紹介しておこう。
あかときの月が苦しい照らさないで照らさないでと眠る鴨たち
故郷には何んにも無いんだ満ち足りたそらが包んでゐるだけだつた
歌の作者は紀野恵&ハク(白猫)ということになっている。手の込んだ試みで、まず漢詩と現代語訳の取り合わせがある。漢詩の訳としては、井伏鱒二の『厄除け詩集』(人生足別離・さよならだけが人生だ)などが思い浮かぶが、紀野はさらに短歌を取り合わせることによって重層化させている。短歌だけを独立させて読むこともできるが、発想の起点になった漢詩と重ねて読むと複雑な味わいとなるようだ。
小津夜景・須藤岳史の往復書簡『なしのたわむれ』(素粒社)が好評だ。小津はフランス・ニース在住の俳人・エッセイスト、須藤はオランダ・ハーグ在住の古楽器奏者。この二人による書簡のやりとりが24通収められている。ⅠとⅡに分かれ、Ⅰの第1信から第12信までは小津の書簡が前で須藤が後、Ⅱの第13信から第24信までは須藤が前で小津が後というように前後が交代している。連句の歌仙では両吟の場合、途中で長句・短句が入れ替わる「あさり場」というのがある。前句と付句の順が交代するように、書簡の順も交代するのだと思った。小津はこれまでも連句の方法について語っていて、本書にも連句についての言及があるが、それは後で触れることにする。
第1信は小津の手紙である。空と海の話のあとに、紀野恵の短歌が引用されている。
ことりと秋の麦酒をおくときにおもへよ銀の条がある空 紀野恵
「銀の条(すじ)」とは悲しみに目もくれない鳥のようにからっぽの空を飛んだものだけがのこす存在の架空の傷跡、だと小津は言う。
第2信は須藤岳史の手紙。須藤はエミリー・ディキンソンの詩や葛原妙子の短歌について触れている。
晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の壜の中にて 葛原妙子
前の手紙に触発されながら、その連想によって自らの思索を深めてゆく。この往復書簡は何だか付け句のやりとりに似ている。そのことに小津は自覚的で、第7信に連句のことが出てくる。芭蕉七部集の歌仙「市中は」の巻。そして小津が冬泉や羊我堂と巻いた歌仙「宝船」。「おわりに」(小津夜景)には〈連載が始まってすぐ「この往復書簡は『対話』ではなく、連句の付けと転じによる『響き合い』の作法に則ったほうがよさそうだ」と気づき、ちょっとだけ軌道修正されました〉とも述べられている。この人は意識的な表現者である。
その二人の「付けと転じ」「響き合い」については、実際に本書をお読みいただきたいが、付けと転じは書簡のやり取りだけではなくて、それぞれの書簡の内部にもうかがえる。
書名にもなっている第3信「なしのたわむれ」ではワインや梨酒の話から梨を詠んだ次の狂歌が引用されている。
梨花一枝あめよりむまき御肴は類もなしの花の白あへ 平秩東作
『狂歌若菜集』に掲載されていて、梨の白和えを肴に酒を飲んだときの作品。白居易の「梨花一枝春雨を帯びたり」を踏まえたうえで、梨の白和えの方が類ないという。梨は「ありのみ」とも呼ばれるから、連想は存在と非在についての考察へ、さらにマルグリット・デュラスの「私は一日中海をながめているような人間じゃないわ」という発言につながってゆく。まさに連句の「三句の渡り」のようだなと思い、勝手に付合に変換してみた。
酒肴には梨の白和えいかがです
あるのですかと風のおもかげ
一日中海を見ているわけじゃない
自己の内部における連想のつながりと、自己と他者のあいだの詩想の受け渡し。往復書簡も一種の付合文芸なのだなと思った。「連句への潜在的意欲」を唱えたのは浅沼璞だったが、連句的発想はさまざまなジャンルや場面で潜在的に、顕在的にあらわれてくるもののようだ。
和漢連句という形式がある。和句と漢句のコラボで、押韻などのルールもあるが、説明は省略して、『第七回浪速の芭蕉祭献詠連句入選作品集』(平成25年)から和漢行半歌仙「たてよこに」の巻の裏の部分を紹介しておきたい。
惜春に塵界の人懐かしく 赤田玖實子
同床異夢もアバンチュールよ 鵜飼佐知子
妻 推 測 夫 嘘 木村 ふう
小 面 化 般 若 赤坂 恒子
佳 酒 注 墓 石 梅村 光明
秋 涼 訪 古 瓦 玖實子
霜嚴月苦欲明天 しもはきびしく つきさへにがい
忽憶閑居思浩然 かつてのんびり 暮らしてゐたが
自問寒燈夜半起 さむくてくらい うちからおきる
何如暖被日高眠 もつとぬくぬく あさ寝がしたい
唯慙老病彼朝服 いいとしなのに 仕ごとを辞めず
莫慮飢寒計俸錢 もつと欲しいと かねをかぞへる
隨有隨無且歸去 もういいだらう もういいかげん
擬求豐足是何年 いまがまんぞく するときなんだ
漢詩は七言律詩だが、それぞれの漢句に対応するような短歌が八首掲載されている。最初の「月」の歌と最後の「満足」を紹介しておこう。
あかときの月が苦しい照らさないで照らさないでと眠る鴨たち
故郷には何んにも無いんだ満ち足りたそらが包んでゐるだけだつた
歌の作者は紀野恵&ハク(白猫)ということになっている。手の込んだ試みで、まず漢詩と現代語訳の取り合わせがある。漢詩の訳としては、井伏鱒二の『厄除け詩集』(人生足別離・さよならだけが人生だ)などが思い浮かぶが、紀野はさらに短歌を取り合わせることによって重層化させている。短歌だけを独立させて読むこともできるが、発想の起点になった漢詩と重ねて読むと複雑な味わいとなるようだ。
小津夜景・須藤岳史の往復書簡『なしのたわむれ』(素粒社)が好評だ。小津はフランス・ニース在住の俳人・エッセイスト、須藤はオランダ・ハーグ在住の古楽器奏者。この二人による書簡のやりとりが24通収められている。ⅠとⅡに分かれ、Ⅰの第1信から第12信までは小津の書簡が前で須藤が後、Ⅱの第13信から第24信までは須藤が前で小津が後というように前後が交代している。連句の歌仙では両吟の場合、途中で長句・短句が入れ替わる「あさり場」というのがある。前句と付句の順が交代するように、書簡の順も交代するのだと思った。小津はこれまでも連句の方法について語っていて、本書にも連句についての言及があるが、それは後で触れることにする。
第1信は小津の手紙である。空と海の話のあとに、紀野恵の短歌が引用されている。
ことりと秋の麦酒をおくときにおもへよ銀の条がある空 紀野恵
「銀の条(すじ)」とは悲しみに目もくれない鳥のようにからっぽの空を飛んだものだけがのこす存在の架空の傷跡、だと小津は言う。
第2信は須藤岳史の手紙。須藤はエミリー・ディキンソンの詩や葛原妙子の短歌について触れている。
晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の壜の中にて 葛原妙子
前の手紙に触発されながら、その連想によって自らの思索を深めてゆく。この往復書簡は何だか付け句のやりとりに似ている。そのことに小津は自覚的で、第7信に連句のことが出てくる。芭蕉七部集の歌仙「市中は」の巻。そして小津が冬泉や羊我堂と巻いた歌仙「宝船」。「おわりに」(小津夜景)には〈連載が始まってすぐ「この往復書簡は『対話』ではなく、連句の付けと転じによる『響き合い』の作法に則ったほうがよさそうだ」と気づき、ちょっとだけ軌道修正されました〉とも述べられている。この人は意識的な表現者である。
その二人の「付けと転じ」「響き合い」については、実際に本書をお読みいただきたいが、付けと転じは書簡のやり取りだけではなくて、それぞれの書簡の内部にもうかがえる。
書名にもなっている第3信「なしのたわむれ」ではワインや梨酒の話から梨を詠んだ次の狂歌が引用されている。
梨花一枝あめよりむまき御肴は類もなしの花の白あへ 平秩東作
『狂歌若菜集』に掲載されていて、梨の白和えを肴に酒を飲んだときの作品。白居易の「梨花一枝春雨を帯びたり」を踏まえたうえで、梨の白和えの方が類ないという。梨は「ありのみ」とも呼ばれるから、連想は存在と非在についての考察へ、さらにマルグリット・デュラスの「私は一日中海をながめているような人間じゃないわ」という発言につながってゆく。まさに連句の「三句の渡り」のようだなと思い、勝手に付合に変換してみた。
酒肴には梨の白和えいかがです
あるのですかと風のおもかげ
一日中海を見ているわけじゃない
自己の内部における連想のつながりと、自己と他者のあいだの詩想の受け渡し。往復書簡も一種の付合文芸なのだなと思った。「連句への潜在的意欲」を唱えたのは浅沼璞だったが、連句的発想はさまざまなジャンルや場面で潜在的に、顕在的にあらわれてくるもののようだ。
和漢連句という形式がある。和句と漢句のコラボで、押韻などのルールもあるが、説明は省略して、『第七回浪速の芭蕉祭献詠連句入選作品集』(平成25年)から和漢行半歌仙「たてよこに」の巻の裏の部分を紹介しておきたい。
惜春に塵界の人懐かしく 赤田玖實子
同床異夢もアバンチュールよ 鵜飼佐知子
妻 推 測 夫 嘘 木村 ふう
小 面 化 般 若 赤坂 恒子
佳 酒 注 墓 石 梅村 光明
秋 涼 訪 古 瓦 玖實子
2022年4月10日日曜日
堀田季何『人類の午後』
この句集については本欄の1月7日でも少し触れたが、そのときは句集の全体像について述べる余裕がなかった。というより、テーマが大きすぎて私には扱いかねたと言った方がよい。いまウクライナで戦争がはじまって、この句集がいっそうリアルで重要なものになったように思われる。すぐれた句集は予言的である。
『人類の午後』は前奏・Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・後奏の五章に分かれ、Ⅰは雪月花、Ⅱは各種季題、Ⅲは四季の句を収録している。前奏ではナチや戦争、テロなどが詠まれており、後奏では現代日本の日常性にひそむ危機意識が詠まれている。旧字・旧かな使用。まず前奏から紹介しよう。巻頭句の前に次の言葉が前書きのように置かれている。
リアリティとは、「ナチは私たち自身のやうに人閒である」といふことだ。(ハンナ・アーレント)
一九三八年一一月九日深夜
水晶の夜映寫機は砕けたか
息白く唄ふガス室までの距離
「水晶の夜」(クリスタル・ナハト)はドイツで起きた反ユダヤ主義の暴動で、シナゴーグなどの建物が破壊された。飛び散ったガラスの破片が月光にきらめいていたので、水晶の夜と呼ばれている。破壊されたものの中に映写機のレンズもあったのだろうか。現実の像を映す映写機の役割。この事件がひとつの転換点となって、ホロコーストへとつながってゆくことが第二句によって示されている。
和平より平和たふとし春遲遲と
戦爭と戦爭の閒の朧かな
後奏は「飽食終日」として次の句が掲載されている。
春の日の箸もて挾むハムの片
「片」には「ひら」とルビがふられている。前奏の戦争やテロに対して日常性を対置するには「食物」の素材がふさわしい。
惑星の夏カスピ海ヨーグルト
鷲摑みに林檎や手首捻れば捥げ
湯豆腐やひとりのときは肉いれて
前奏と後奏にはさまれた部分は時空を超えた世界の森羅万象が素材となっている。連句の歌仙一巻が36句でコスモロジーを表現するように、この句集一冊で人類の古今東西の歴史や文化をちりばめた構成になっている。
Ⅰに収録されている雪月花の句は次のようなものだ。
雪穴を犬跳ねまはる崩しつつ
雪女郎冷凍されて保管さる
語るべし月の怪力亂神を
龜ケ崎遮光器土偶花待てる
それぞれの連作の中から一句だけ抜いているのでわかりにくいかもしれないが、屈折した美意識が見られる。連作ひとつめの「雪」には「雪が溶けると、犬の糞を見ることになる」というイヌイットの諺が添えられ、ふたつめの連作には「雪女郎=人権なき者」とされている。「月」は死の意識と結びついており、「花」は青森で発掘された土偶の眼を通して捉えられる。花の句の前には『三冊子』(「白冊子」)の次の言葉が添えられている。
「花といふは櫻の事ながら都而春花をいふ」
「都而」は「すべて」。俳諧(連句)では「花」は桜のことであるが、「花」という言葉を使わなければ正花(花の座)にならない。逆に、梅・菊・牡丹など桜以外の花を下心に隠して「花」と詠んだ場合でも正花になる。堀田の次のような句は背後に何を隠しているのだろうか。高野ムツオが言うようにすべてが桜だとしても、それは何と変容されていることだろう。
花の樹を抱くどちらが先に死ぬ
花降るや死の灰ほどのしづけさに
では恋は? Ⅱのなかに「陽炎の中にて幼女漏しゐる」という句があり、恩田侑布子が「栞」で取り上げている。私は『犬筑波集』や川柳を連想する。
佐保姫の春立ちながら尿をして 山崎宗鑑
かげろうのなかのいもうと失禁す 石部明
陽炎の中にて幼女漏しゐる 堀田季何
「前奏」に戻ると、次のような句が収められている。
片陰にゐて處刑臺より見らる
ミサイル來る夕焼なれば美しき
息白く國籍を訊く手には銃
ぐちょぐちょにふつとぶからだこぞことし
1月7日の時評で私はこんなふうに書いている。 「この作者が相手取っているのは人類史全体ということだろう。古今東西の歴史や文化、政治経済などの人類の営みそのものがテーマなのだ。こういう試みは現代川柳で行われてもよいはずのテーマである。批評性こそ本来、川柳の得意とする領域であったはずだ。現代川柳はサタイア(諷刺)とポエジー(詩性)の両立を目指しているように思えるが、堀田の場合にはテーマは重くても表現は重くれに陥らず、俳諧性を失っていないところがやはり俳句なのだろう」
ここで次の二句を並べてみようか。
地球儀の日本赤し多喜二の忌 堀田季何
鶴彬以後安全な川柳あそび 渡辺隆夫
川柳の場合、社会的事件は時事句の中にあらわれてくる。ウクライナを詠んだ川柳も近ごろ散見されるが、最近の時事句ではコロナを詠んだ次の作品が印象的だった。
ええ時計してますやん株さん!! 中西軒わ(「川柳スパイラル」14号)
株屋のことではなくて私はオミクロン株のことだと受け取っている。ウイルスに対して「ええ時計してますやん」とおちょくってみせるのは一種の俳諧性であり、川柳精神である。
『人類の午後』にはこんな句もある。
とりあへず踏む何の繪かわからねど
風鈴の音また一人密告さる
秋深き隣の人が消えました
『人類の午後』を読み直してみて改めて感じたのは、この作者が俳諧の伝統を踏まえたうえで作品を書いているということだ。連句への造詣は随所にうかがえるし、重い現実と向かい合うとき俳諧精神が支えになる。『人類の午後』は俳諧精神が現実と切り結ぶところに生れた句集だろう。
『人類の午後』は前奏・Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・後奏の五章に分かれ、Ⅰは雪月花、Ⅱは各種季題、Ⅲは四季の句を収録している。前奏ではナチや戦争、テロなどが詠まれており、後奏では現代日本の日常性にひそむ危機意識が詠まれている。旧字・旧かな使用。まず前奏から紹介しよう。巻頭句の前に次の言葉が前書きのように置かれている。
リアリティとは、「ナチは私たち自身のやうに人閒である」といふことだ。(ハンナ・アーレント)
一九三八年一一月九日深夜
水晶の夜映寫機は砕けたか
息白く唄ふガス室までの距離
「水晶の夜」(クリスタル・ナハト)はドイツで起きた反ユダヤ主義の暴動で、シナゴーグなどの建物が破壊された。飛び散ったガラスの破片が月光にきらめいていたので、水晶の夜と呼ばれている。破壊されたものの中に映写機のレンズもあったのだろうか。現実の像を映す映写機の役割。この事件がひとつの転換点となって、ホロコーストへとつながってゆくことが第二句によって示されている。
和平より平和たふとし春遲遲と
戦爭と戦爭の閒の朧かな
後奏は「飽食終日」として次の句が掲載されている。
春の日の箸もて挾むハムの片
「片」には「ひら」とルビがふられている。前奏の戦争やテロに対して日常性を対置するには「食物」の素材がふさわしい。
惑星の夏カスピ海ヨーグルト
鷲摑みに林檎や手首捻れば捥げ
湯豆腐やひとりのときは肉いれて
前奏と後奏にはさまれた部分は時空を超えた世界の森羅万象が素材となっている。連句の歌仙一巻が36句でコスモロジーを表現するように、この句集一冊で人類の古今東西の歴史や文化をちりばめた構成になっている。
Ⅰに収録されている雪月花の句は次のようなものだ。
雪穴を犬跳ねまはる崩しつつ
雪女郎冷凍されて保管さる
語るべし月の怪力亂神を
龜ケ崎遮光器土偶花待てる
それぞれの連作の中から一句だけ抜いているのでわかりにくいかもしれないが、屈折した美意識が見られる。連作ひとつめの「雪」には「雪が溶けると、犬の糞を見ることになる」というイヌイットの諺が添えられ、ふたつめの連作には「雪女郎=人権なき者」とされている。「月」は死の意識と結びついており、「花」は青森で発掘された土偶の眼を通して捉えられる。花の句の前には『三冊子』(「白冊子」)の次の言葉が添えられている。
「花といふは櫻の事ながら都而春花をいふ」
「都而」は「すべて」。俳諧(連句)では「花」は桜のことであるが、「花」という言葉を使わなければ正花(花の座)にならない。逆に、梅・菊・牡丹など桜以外の花を下心に隠して「花」と詠んだ場合でも正花になる。堀田の次のような句は背後に何を隠しているのだろうか。高野ムツオが言うようにすべてが桜だとしても、それは何と変容されていることだろう。
花の樹を抱くどちらが先に死ぬ
花降るや死の灰ほどのしづけさに
では恋は? Ⅱのなかに「陽炎の中にて幼女漏しゐる」という句があり、恩田侑布子が「栞」で取り上げている。私は『犬筑波集』や川柳を連想する。
佐保姫の春立ちながら尿をして 山崎宗鑑
かげろうのなかのいもうと失禁す 石部明
陽炎の中にて幼女漏しゐる 堀田季何
「前奏」に戻ると、次のような句が収められている。
片陰にゐて處刑臺より見らる
ミサイル來る夕焼なれば美しき
息白く國籍を訊く手には銃
ぐちょぐちょにふつとぶからだこぞことし
1月7日の時評で私はこんなふうに書いている。 「この作者が相手取っているのは人類史全体ということだろう。古今東西の歴史や文化、政治経済などの人類の営みそのものがテーマなのだ。こういう試みは現代川柳で行われてもよいはずのテーマである。批評性こそ本来、川柳の得意とする領域であったはずだ。現代川柳はサタイア(諷刺)とポエジー(詩性)の両立を目指しているように思えるが、堀田の場合にはテーマは重くても表現は重くれに陥らず、俳諧性を失っていないところがやはり俳句なのだろう」
ここで次の二句を並べてみようか。
地球儀の日本赤し多喜二の忌 堀田季何
鶴彬以後安全な川柳あそび 渡辺隆夫
川柳の場合、社会的事件は時事句の中にあらわれてくる。ウクライナを詠んだ川柳も近ごろ散見されるが、最近の時事句ではコロナを詠んだ次の作品が印象的だった。
ええ時計してますやん株さん!! 中西軒わ(「川柳スパイラル」14号)
株屋のことではなくて私はオミクロン株のことだと受け取っている。ウイルスに対して「ええ時計してますやん」とおちょくってみせるのは一種の俳諧性であり、川柳精神である。
『人類の午後』にはこんな句もある。
とりあへず踏む何の繪かわからねど
風鈴の音また一人密告さる
秋深き隣の人が消えました
『人類の午後』を読み直してみて改めて感じたのは、この作者が俳諧の伝統を踏まえたうえで作品を書いているということだ。連句への造詣は随所にうかがえるし、重い現実と向かい合うとき俳諧精神が支えになる。『人類の午後』は俳諧精神が現実と切り結ぶところに生れた句集だろう。
2022年4月1日金曜日
ネット川柳とリアル句会の分断
4月に入った。久しぶりに角川『短歌』を買ったのは、4月号に掲載の平岡直子の短歌がお目当てである。
宝石より宝石箱がすきなこと一パーセントになってからだね 平岡直子
平岡の短歌にはときどきアフォリズム的なフレーズが現れる。作者にはそんなつもりがないかもしれないが、読む方がそう受け止めるのだ。「宝石」より「宝石箱」が好きという断言が一種の箴言を思わせる。
あと、特別企画として全国の大学短歌会が紹介されている。かつて筑紫磐井は若手俳人の登場に対して、「若手は甘やかされて育つ」と言ったことがあるが、そういう面はあるかもしれない。
「近づきたい だけど理解はされたくない」雨音だけが=のまま 山下塔矢
彼もまたオリーブオイルを選ぶから年齢詐称は今日でやめよう 永井さよ
生れる前のデビューアルバム聴き擦ってあたし神格飛び火しました 府田確
大きいコメダ 小さいコメダ どこにいてもそれなりに楽しくてくやしい 伊縫七海
近づいたら工業廃水だったこと をわざわざ書いて送る絵はがき 関寧花
この号、歌壇時評も興味深い。前田宏「世代間の分断とは何か」は価値観の多様化による世代間の分断について書いている。かつて篠弘は1993年版の『短歌年鑑』で次の三つの世代の分極について述べたという。
茂吉・白秋・空穂・文明らの影響を受けた戦前世代から戦中派の人たち
昭和30年代から現代短歌運動を目撃し、それを超えようとする試みを展開する人たち
俵万智以降のライトバース時代に出現し、口語文体によって時代の雰囲気を捉えようとする人たち
現代では戦前世代が減少して二区分になっているが、現在の分断は世代の違いによるのではなく、結社と非結社の間にあると前田は述べている。結社は年長組、非結社は年少組が多いので、世代間の分断のように見えるが、問題の本質は「結社という各世代を串刺しにする継承・教育システム」と「非結社という若手世代中心の自己教育システム」が併存しているところにあると前田は見ている。この対立は歌評方法にもあらわれていて、「作者の言葉選びや叙述の適否を評しながら作品世界を作者と読者で共同創造していこうとする」方法(読みを通じて一首を深化していこうとする価値観)と「そう書かれたんだからそう書くだけの理由があると理解しないといけない」という方法(一首を既に完成形と見て享受しようとする価値観)に分かれていく。
前田の分析が興味深かったのは、川柳にひきつけて考えると、ネット川柳と結社句会の川柳の分断を感じるからである。従来の川柳においてはそのような分断は見られなかった。ネットを駆使するような若い世代の川柳人が皆無だったからだ。ところが近年になってネットを主戦場とする表現者が増えてきて、リアルの川柳句会を経験しなくても自由に作品発表が可能となっている。既成の川柳界とは無縁のところで作品が書かれていて、互いに影響を与えることはないが、今後の推移を見まもっていきたい。
さて今回は、従来型の川柳誌をいくつか紹介しておく。
京都で隔月に発行されている「川柳草原」120号(2022年3月号)から会員作品。
排他的水域を横泳ぎする 河村啓子
ハッシュタグ星の話を聴きにいく みつ木もも花
激痛を伴うほどの嘘じゃない 岡谷樹
五本指の靴下それぞれの孤独 柳本恵子
発禁の詩歌がとぐろを巻いている 高橋蘭
かじかむ手ひたせと雪国の人の 徳山泰子
走るのに疲れ休むのにも疲れ 中野六助
次は同誌の句会作品。
百舌よ百舌それは私の薬指 酒井かがり
羽根つきぎょうざの羽根があるではないか 森田律子
人形のまま長い夢見続けて 岡谷樹
木の椅子に時が坐った跡がある 嶋澤喜八郎
傘立てに花子の冬が残されて 清水すみれ
「凜」89号から。
試されていたのは僕の方でした こうだひでお
足音は次女久しぶりの廊下 辻嬉久子
愛想笑いの栓を閉め忘れた昨日 桑原伸吉
冷蔵庫の聖地にタマゴしまし顔 永峯八重
行間にウエストミンスターの鐘 中林典子
最後の一葉の夢 飛ぶ教室 里上京子
尖ってた頃の青くさい疲れ 笠嶋恵美子
こいびとのこゆびましろきすりりんご 内田真理子
「川柳北田辺」123号では中山奈々の川柳作品に注目。
火鉢から酢茎でてくるまで眠る 中山奈々
あかさたなはま病んでラーメン啜る
木星が見えるまでバターを塗った
通り魔と目されている舌シチュー
とろ箱を棺桶としてビスタチオ
いざなみのみこと愛用のしょう油
これだけ奔放な句だと、すでに句会の限界を超えているし、逆に句会(席題)だからこそ瞬発力を発揮して詠めた句だとも言える。
最後に、3月4日のこのコーナーで紹介した「蝶」の木村リュウジの作品が「LOTUS」49号にも掲載されているので紹介する。多行俳句である。
たなびくや 木村リュウジ
夢のたびらの
ゆかたびら
宝石より宝石箱がすきなこと一パーセントになってからだね 平岡直子
平岡の短歌にはときどきアフォリズム的なフレーズが現れる。作者にはそんなつもりがないかもしれないが、読む方がそう受け止めるのだ。「宝石」より「宝石箱」が好きという断言が一種の箴言を思わせる。
あと、特別企画として全国の大学短歌会が紹介されている。かつて筑紫磐井は若手俳人の登場に対して、「若手は甘やかされて育つ」と言ったことがあるが、そういう面はあるかもしれない。
「近づきたい だけど理解はされたくない」雨音だけが=のまま 山下塔矢
彼もまたオリーブオイルを選ぶから年齢詐称は今日でやめよう 永井さよ
生れる前のデビューアルバム聴き擦ってあたし神格飛び火しました 府田確
大きいコメダ 小さいコメダ どこにいてもそれなりに楽しくてくやしい 伊縫七海
近づいたら工業廃水だったこと をわざわざ書いて送る絵はがき 関寧花
この号、歌壇時評も興味深い。前田宏「世代間の分断とは何か」は価値観の多様化による世代間の分断について書いている。かつて篠弘は1993年版の『短歌年鑑』で次の三つの世代の分極について述べたという。
茂吉・白秋・空穂・文明らの影響を受けた戦前世代から戦中派の人たち
昭和30年代から現代短歌運動を目撃し、それを超えようとする試みを展開する人たち
俵万智以降のライトバース時代に出現し、口語文体によって時代の雰囲気を捉えようとする人たち
現代では戦前世代が減少して二区分になっているが、現在の分断は世代の違いによるのではなく、結社と非結社の間にあると前田は述べている。結社は年長組、非結社は年少組が多いので、世代間の分断のように見えるが、問題の本質は「結社という各世代を串刺しにする継承・教育システム」と「非結社という若手世代中心の自己教育システム」が併存しているところにあると前田は見ている。この対立は歌評方法にもあらわれていて、「作者の言葉選びや叙述の適否を評しながら作品世界を作者と読者で共同創造していこうとする」方法(読みを通じて一首を深化していこうとする価値観)と「そう書かれたんだからそう書くだけの理由があると理解しないといけない」という方法(一首を既に完成形と見て享受しようとする価値観)に分かれていく。
前田の分析が興味深かったのは、川柳にひきつけて考えると、ネット川柳と結社句会の川柳の分断を感じるからである。従来の川柳においてはそのような分断は見られなかった。ネットを駆使するような若い世代の川柳人が皆無だったからだ。ところが近年になってネットを主戦場とする表現者が増えてきて、リアルの川柳句会を経験しなくても自由に作品発表が可能となっている。既成の川柳界とは無縁のところで作品が書かれていて、互いに影響を与えることはないが、今後の推移を見まもっていきたい。
さて今回は、従来型の川柳誌をいくつか紹介しておく。
京都で隔月に発行されている「川柳草原」120号(2022年3月号)から会員作品。
排他的水域を横泳ぎする 河村啓子
ハッシュタグ星の話を聴きにいく みつ木もも花
激痛を伴うほどの嘘じゃない 岡谷樹
五本指の靴下それぞれの孤独 柳本恵子
発禁の詩歌がとぐろを巻いている 高橋蘭
かじかむ手ひたせと雪国の人の 徳山泰子
走るのに疲れ休むのにも疲れ 中野六助
次は同誌の句会作品。
百舌よ百舌それは私の薬指 酒井かがり
羽根つきぎょうざの羽根があるではないか 森田律子
人形のまま長い夢見続けて 岡谷樹
木の椅子に時が坐った跡がある 嶋澤喜八郎
傘立てに花子の冬が残されて 清水すみれ
「凜」89号から。
試されていたのは僕の方でした こうだひでお
足音は次女久しぶりの廊下 辻嬉久子
愛想笑いの栓を閉め忘れた昨日 桑原伸吉
冷蔵庫の聖地にタマゴしまし顔 永峯八重
行間にウエストミンスターの鐘 中林典子
最後の一葉の夢 飛ぶ教室 里上京子
尖ってた頃の青くさい疲れ 笠嶋恵美子
こいびとのこゆびましろきすりりんご 内田真理子
「川柳北田辺」123号では中山奈々の川柳作品に注目。
火鉢から酢茎でてくるまで眠る 中山奈々
あかさたなはま病んでラーメン啜る
木星が見えるまでバターを塗った
通り魔と目されている舌シチュー
とろ箱を棺桶としてビスタチオ
いざなみのみこと愛用のしょう油
これだけ奔放な句だと、すでに句会の限界を超えているし、逆に句会(席題)だからこそ瞬発力を発揮して詠めた句だとも言える。
最後に、3月4日のこのコーナーで紹介した「蝶」の木村リュウジの作品が「LOTUS」49号にも掲載されているので紹介する。多行俳句である。
たなびくや 木村リュウジ
夢のたびらの
ゆかたびら