三田三郎の第二歌集『鬼と踊る』(左右社)が話題になっている。第一歌集『もうちょっと生きる』(風詠社)から3年。「MITASASA」「ぱんたれい」から「西瓜」へと活動領域を広げていて、この歌集でも独自な三田ワールドが展開されている。
三田には「川柳スパイラル」9号に川柳作品を寄稿してもらったことがある。20句のうち次の句は特に印象に残っている。
自らの咀嚼の音で目が覚める 三田三郎
その号に私は「三田三郎の短歌と川柳」という紹介文を書いていて、『もうちょっと生きる』について次のように述べている。
「この人は川柳も書けるのではないかと思った。歌集の帯には『シニックでブラックなユーモアに満ちた』とある。それって川柳が得意としてきた領域ではないか。同時に思ったのは、川柳性のある題材を短歌形式で書いているところがこの作者の逆説的なおもしろさであって、川柳形式で川柳性のある内容を書くと、この作者の持ち味を損なうことになるのではないか、ということだった」
今度の第二歌集を読んで、この感想は修正しないといけないように思った。彼の短歌はすでに「逆説的なおもしろさ」などではなく、短歌形式であるからこそ、シニック・ブラック・ユーモア・イロニーが効果的に表現されていて、彼独自の世界が成立しているのではないか。
川柳スパイラル東京句会(2018年5月5日・北とぴあ)で我妻俊樹・瀬戸夏子と「短歌と川柳」というトークをしたことがある。そのとき我妻はこんふうに言った。
「短歌は上の句と下の句の二部構成で、二つあるということは往復するような感覚がありますから、行って戻ってくるところに自我が生じるのが短歌だと感じます。そういうこと抜きに、引き返さずに通り抜けるというのが私が川柳を作るときの感覚なんです。」
我妻の「短歌は行って戻ってくる」「川柳は引き返さないで通り抜ける」という発言はずっと心に残っている。我妻の真意とは外れるかも知れないが、三田の短歌で「行って戻ってくる」と感じる作品を幾つか挙げてみよう。
ありがとうございますとは言いづらくその分すいませんを2回言う
『鬼と踊る』の代表歌とは言えないだろうが、川柳との違いが説明しやすいので、この歌を例に挙げてみる。「ありがとう」と「すいません」が対になる言葉で、それぞれが上の句と下の句に振り分けられている。右と左、上半身と下半身、夢と現実、目的と手段など一対になる組み合わせはたくさんある。そのような発想に基づいた作品を私は「ペアの思想」と呼んでいる。川柳の場合は詩形の短さもあって、ペアの片方だけを詠んでもう一方を省略することが多い。「半身」と出てくれば「全身」はどうなんだろうと読者は想像するのであり、その部分は読者に任されている。三田の短歌の場合は、一方の視点からとらえたあと、もう一つの視点から捉え直すことによって諷刺が完結している。
入口じゃないところから入ったがもう出口だから許しておくれ
この発想には川柳とも通じるものがあり、「入口のすぐ真後ろがもう出口」(石部明)という句が思い浮かぶ。入口・出口のペアの発想は同じだが、三田の短歌では「入口じゃないところ」に捻りがあり、「許しておくれ」という他者(または自己)に対する呼びかけで終わっている。「私」が現れてくるのだ。
前もって厳しい罰を受けたのでそれ相応の罪を犯そう
罪と罰の因果関係が普通とは逆になっている。罪を犯したから罰を受けるのではなくて、あらかじめ罰を受けているような不条理。そういうことは『ヨブ記』の昔からよくあることだが、原因・結果を逆転させることによって諷刺や皮肉が効果的に表現されているし、現代に生きる私たちの実感も言い当てている。
不味すぎて獏が思わず吐き出した夢を僕らは現実と呼ぶ
夢と現実。三田はロマン派ではないから、獏でさえ不味くて食べない夢があるという。その吐瀉物が私たちにとっての現実である。夢と現実というテーマはもともとイロニーや反語によってとらえられやすいものだが、この歌は一種のアフォリズムとして読んでも腑に落ちるものとなっている。
川柳は断言の形式で、二面的な世界を一つの視点から一方的に言い切ることが多い。他の反面は省略や読者の読みに任せることになる。三田の短歌はペアの思想によって、二物の関係性に独自の視点を当て、反語的に世界をとらえている。そのとき、「私」が立ち現れてくるのはやはり短歌的と言えるかもしれない。川柳が世界を批評的にとらえる場合、「私」そのものを疑うと諷刺の毒は薄められてしまう。三田の短歌の場合は、作者そのものなのか、フィクションとしての「私」なのかは別として、自虐的な「私」のイメージが立ち現れてくる。それは一種のキャラクターかも知れず、歌集全体を通して作者性が読者に伝わってくるのは短歌形式の功徳かもしれない。
以上は図式的な感想なので、『鬼と踊る』にはさまざまな歌があり、それぞれがおもしろく読める。私の好みは次のような作品。
杖をくれ 精神的な支えとかふざけた意味じゃなく木の杖を
今日は社会の状態が不安定なため所により怒号が降るでしょう
第一に中島みゆきが存在し世界はその注釈に過ぎない
マウンドへ向かうエースのようでした辞表を出しに行く後輩は
特急も直進だけじゃ飽きるだろうたまには空へ向かっていいぞ
ずっと神の救いを待ってるんですがちゃんとオーダー通ってますか
「神さま」は川柳でもよく詠まれていて、山村祐の次の作品が有名である。
神さまに聞こえる声で ごはんだよ ごはんだよ 山村祐
0 件のコメント:
コメントを投稿