2019年1月5日土曜日

現代川柳 今年の方向性

新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
この時評は2010年8月にスタートしたから、多少の中断はあるものの、今年で足かけ10年ということになる。

昨年末、12月23日に柿衞文庫で現俳協青年部による企画「戦後俳句を聞く(1)坪内稔典と片言の力」という集まりが開催された。案内文に曰く。
「昭和から平成へ。戦後俳句から、現代の俳句へ。
俳句の可能性をひろげてきたトップランナーたちに、その歩みを聞く。
第一弾は、正岡子規研究やユーモアあふれるエッセイでも知られる坪内稔典氏。
俳句史と切り結び、軽やかな口語俳句で魅了する、坪内氏の原点を探る」
ということで、坪内自身の口からまとまった話を聞くことができた。聞き手は久留島元と野住朋可。坪内の講演はこれまで何度か聞いたことがあるが、「僕はふり返るのは好きじゃない」と本人が言うように、坪内が自らの俳句史について語るのは珍しい。「声に出して読む言葉」「雑誌を作るのが好き」「俳壇とは距離を置く」などの発言のほか、金子兜太が若き坪内に語った「君たちは高島屋から飛び降りろ」という言葉など、印象に残った。
この企画、ゲストをかえて今後も続くというから楽しみだ。

さて、川柳のフィールドでは今年どのような動きがあるだろうか。
昨年、目についた方向性のひとつにWeb句会の活発化がある。
Web句会は従来からあるが、いま特に注目されるのは森山文切が運営している「毎週web句会」である。「川柳スパイラル」3号の特集「現代川柳にアクセスしよう」で飯島章友は「便利なウェブサイトの紹介」として次のように取り上げている。

【毎週web句会】(http://senryutou-okinawa.com/)
川柳塔社の森山文切氏が運営するウェブサイト。同サイトの「川柳ブログリンク」の欄は、全国の川柳ブログやホームページが県ごとに纏められている。同じく「WEB句会リンク」の欄は、ウェブで参加できる句会や、ラジオ・テレビの川柳コーナーで、結果がウェブサイトで確認できるものが纏められている。

詳しいことは森山のサイトをご覧いただきたいが、「天」に選ばれた句を任意に紹介してみる。

柚子ひとつ残して地球平面化     ( 川合大祐) 133回
ぬかるみを缶ぽっくりのまま進む ( 秋鹿町 ) 134回
なしくずし的に丘などやってます ( 杉倉葉 ) 137回
ゆっくりと燃えないパフェを食べている ( 笹川諒 ) 138回
みつけようどうぶつえんの密猟者 ( 愁愁 ) 140回

また、「いちごつみ川柳」というのもある。
前の人の句から「一語」とって自分の句に入れて作り、次の人も同様に一語取り、規定の句数になるまで順々に繰り返すもの。最初は短歌で始まったものらしいが、川柳でも行われるようになった。第3回(2018年8月25日、ツイッター)海月漂と森山文切による「いちごつみ」の最初の6句を紹介する。

夏だから勇気を出してみたクラゲ (文切)
骨ありのクラゲ探してローソンへ (漂)
ローソンで立ち読みをする猫娘   (文切)
猫娘寝込んでいたら八頭身 (漂)
ぬりかべを八頭身にするヤスリ (文切)
ヤスリかと思っていたら兄だった (漂)

海月漂(くらげただよう)はbotも運営している。前掲の飯島による紹介を引用しておく。

【現代川柳bot】(https://twitter.com/tadayou575)
現代川柳の作品が一定間隔で自動ツイートされている。川柳にはアンソロジーが少ないだけに有用なbotだ。

WEBやSNSが万能というわけではないが、現代川柳発信のための有効な手段のひとつとして今後も活用されてゆくだろう。句会や紙媒体に掲載される作品とweb上の作品とは重なる部分と異質な部分があり、両者がうまく循環してゆくことが望まれる。

川柳人と他ジャンルの表現者との交流は以前からも断続的に続けられてきたが、「川柳とは何か」「俳句と川柳はどう違うか」というような机上の議論が多かった。超ジャンルの合同句会を経て、川柳に関心をもつ他ジャンルの作者が川柳の実作を通じて川柳性を体感する段階にきているようだ。
「川柳スパイラル」2号では我妻俊樹・平岡直子・平田有・中山奈々などの川柳がゲスト作品として掲載され、4号では初谷むい・青本瑞季・青本柚紀が登場した。

昆虫がむしろ救いになるだろう     我妻俊樹
縊死希望かねそんなちょび髭をして   中山奈々
口答えするのはシンクおまえだけ    平岡直子
振り上げたならそののちは下ろされる  平田有
愛 ひかり ねてもさめてもセカイ系  初谷むい
右足がどんどん雨に置き換はる     青本瑞季
世界史のねむると長くなる廊下     青本柚紀

それぞれの主とするフィールドは別にあり、川柳に対する関心度もそれぞれだが、実作を通じてジャンル・形式の違いと手ざわりが感じられ、川柳の表現領域が拡大したり川柳性が変容したりする可能性が生まれる。「詩」の表現という面からも、たとえば「俳句における詩の表現」と「川柳における詩の表現」とでは現れ方が異なり、背負っている史的背景も異なるのである。

従来の川柳は句会と結社誌・同人誌を中心に推移してきた。そこから「句会作者」と「文芸としての川柳をめざす作家」が乖離する傾向が見られることもあった。
以前に比べて川柳句集が多数発行されるようになり、狭い範囲かもしれないが流通もはじまっている。「文学フリマ」や川柳に理解のある書店との連繋など、川柳の流通・販売を考えないといけない時期にきている。物質としての句集を出すだけではなく、それがどう読まれていくかまで視野に入れて川柳を発信していくことが必要だろう。
現代川柳を取りまく環境は変化してゆく。固定した何かがあるわけではないのだ。川の流れ、水の流れのようなものだろう。ヒト・モノ・コトバの関係性も変化する。そのなかでそれぞれの精神的・身体的・経済的条件に応じて表現活動を続けてゆければよいと思うのだ。

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