21世紀のはじめ、ゼロ年代最初のころの川柳作品はどのようなものだっただろうか。
手元に「川柳の仲間 旬」115号(2002年1月)があるので開いてみた。
「新旬招待21世紀の川柳」のコーナーに15人の川柳人の作品が10句ずつ掲載されている。そこから任意に抜き出しておく。
誰かれと付き合い花を散らさんや 細川不凍
背開きにされて魚は飛ぶかたち 阿住洋子
唇から唇へ海底トンネル 北沢瞳
生真面目な海月と約束したのだが 北野岸柳
来るものへ桜の枝をビュンと振る 情野千里
二十世紀が沼の底から呼んでいる 津田暹
地下道を走る地下道ついてくる 徳永政二
それぞれが発行体を買ってゆく 峯裕見子
つきつめればあんたもわたしもせつない水 吉岡富枝
国歌として青い山脈唄いたい 渡辺隆夫
今から17年ほど前にこのような作品が書かれていて、現在とそれほど大きな変化はない。それぞれの作者によって主題と方法は異なるが、テン年代が終わろうとしている現在では川柳作品はさらに多様な展開を見せている。
私が「旬」のこの号を保存しているのは、「人物クローズアップ」の欄に川合大祐が登場したからである。私は川合大祐の作品にこのときはじめて出会った。
川合については今までもこの時評で取り上げている(「川合大祐の軌跡」2015年3月13日、「川合大祐句集『スローリバー』」2016年8月20日)。初期から句集発行までの川合の軌跡についてはそちらを参照されたい。
今回取り上げるのは、川合の最近の活動で、その領域は多彩に広がっている。
「旬」221号(2019年1月)は最新号だが、「せせらぎ」(220号より)というコーナーがあり、川合が「旬」の前号から選句している。このグループの現在位置を示すものとして紹介しておく。
寒くないですか。メールを送りましょうか。 千春
よって黒黒一目を置きましょう 小池孝一
謎めいたちくわパンだけ残ってる 桑沢ひろみ
やめるって棘の痛みを伴うね 樹萄らき
百円林檎大きな方を一個買う 池上とき子
大蜘蛛となって大きな巣を掛けよ 大川博幸
老人とロダンは風を考える 丸山健三
川合は「ストリーム220号より鑑賞」という文章を書いている。作品鑑賞のかたちを借りているが、テーマは「川柳とは何なのか」という問いである。
「川柳とは何なのか。
この問いに答えられるならば、その人はとっくに川柳を止めているだろう。と、いう仮定に添うとして、『川柳とは何なのか』と問いつづける行為自体が、『川柳をし続ける』ことであるとは、とりあえず言うことは出来る。無論、それは『川柳とは何なのか』という問いへの答えではない。
だが、『川柳とは』と問い続けることは、すなわち川柳を作るということである。たとえそれを意識しているいないにかかわらず。川柳を作っている、あるいは作ってしまった瞬間に、すでに『川柳とは何なのか』という問いが投げ出されているのだと、私は思う。
だからこそ、『川柳は〇〇である』と答えてしまった時点で、その人の川柳は否応なしに止まってしまうのだ」
こういう正攻法だけでなく、川合は小説のかたちでも川柳についての思考を展開している。「川柳スパイラル」に連載中の「川柳小説」である。登場人物はふたりで、中学生の百合乃とその父親。川柳をめぐって珍妙な対話が続く。第一話「いかに句を作るか」、第二話「世界が終わるまでは…」第三話「地球の長い五七五」、第四話「存在と字間」。連載の最初の原稿が送られてきたとき、私は笑い転げて読んだが、川合の小説にはけっこうファンが多いようだ。第一話の冒頭だけ紹介する。
「川柳をはじめようと思う」
と父が言った。
「もちろん、『腹が出た 上司のほうが パワハラだ』みたいなサラリーマン川柳じゃないぞ。もっとこう芸術として追求された、革新的な文学作品を書いてみたいんだ。ついては、聖ピカデリー学園中等部文芸部部長であるお前の意見も聞きたい、百合乃」
最近の川合はネットやSNSでの活躍も目立っている。森山文切が運営している「毎週web句会」のことは前回も紹介したが、「第2回毎週web句会いちごつみ川柳」(平成30年8月18日)の最初の6句は次のようになっている。
怪物の宴にもある爪楊枝 文切
怪物の生理の妻とラリアット 大祐
リア充を装っている腕時計 文切
腕時計ガラス砕ける癌の城 大祐
タラちゃんがガラスの靴を履きたがる 文切
履きたがる焼け跡戻るロビンソン 大祐
ところで、『川柳サイドSpiral Wave』第2号(2017年9月)に樹萄らきは次のような句を掲載している。
大祐くんに汝名がでしゃばる比率 樹萄らき
「汝名(なな)」は「大祐」の別人格である。さまざまな川合大祐がいる。次はどんな川合大祐を見せてくれるのか。その展開をこれからも楽しみにしている。
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