しばらく休んでいたが、とりあえず今年の回顧を書きとめておきたい。例年通りごく個人的な感想である。
今年出版された作品集のなかでもっとも印象的だったのは『冬野虹作品集成』全三巻(書肆山田)である。2002年2月に亡くなった冬野虹の俳句・詩・短歌を収録したもの。第Ⅰ巻『雪予報』、第Ⅱ巻『頬白の影たち』、第Ⅲ巻『かしすまりあ』。生前に刊行されたのは句集『雪予報』だけだから、それ以外は四ツ谷龍の編集による。
句集『雪予報』から。
陽炎のてぶくろをして佇つている 冬野虹
鳥の門みどりのからだ運びだす
つゆくさをちりばめここにねむりなさい
たくさんの鹿現はれて琵琶を弾く
この時期の冬野が俳誌「鷹」に所属し、藤田湘子の選を受けていたというのは興味深い。その後、彼女は四ツ谷龍と二人誌「むしめがね」を創刊する。
次に歌集『かしすまりあ』から。
春の空は白磁の皿に降りてきておどろきやすき翅をもつかな 冬野虹
すぐ怒る声よりさきに鈴虫の声のパウダーふりかけなさい
みんな帰ったか眠ったか たぷたぷうちよせて神経の先水にひたして
文体は文語もあり口語もあり、詠まれている内容も多彩である。
「むしめがね」20号(11月10日)は冬野虹の特集を行っている。四ツ谷龍の「あけぼののために」は冬野の人と作品について丁寧に書き留めている。
冬野の作品は誰もが「繊細」というが、それは彼女の作品には「詩」(「夢」と言い換えてもいいかもしれない)があるということだろう。ジャンルとしての詩ではなくて、ポエジー(実生活とは次元の異なる詩的なもの)である。だから、俳句・短歌・詩と形式は異なっても、通底するところがあるのだろう。作者に会ったことがなくても、作品の向こうに存在する「冬野虹」とはとても魅力的なひとだっただろうと思うのである。
川柳に眼を転じると柳本々々(やぎもと・もともと)の活躍が目立った。
昨年は「謎の読み巧者」として正体不明の存在だったが、今年は関西でのイベントにも登場し、ベールを脱いだ感がある。5月の「とととと展」、9月の「川柳カード大会」でパネラーをつとめ、存在感を見せつけた。
柳本は短歌では「かばん」に、川柳では「おかじょうき」「旬」に所属している。ネットではブログ「あとがき全集」を驚異的なスピードで更新しており、「川柳スープレックス」「アパートメント」など活動の場が広い。
飯島章友とならんで、短歌と川柳の二つの形式で作品を書く表現者として注目される。
実作者としては榊陽子が川柳誌を賑わせた。
「杜人」247号、「榊陽子のレトリック」について兵頭全郎と酒井かがりが書いている。
兵頭は、榊が大会・句会に強いタイプの作者であること、それは作者のすぐれたバランス感覚によること、バランス感覚は作句と同時に読み手として句を見返す術を身につけていることから生まれること、そして最近の榊の句はこのバランス感覚をいったん崩すことによってさらなるステップアップを予感させることなどを述べている。
酒井は、白雪姫(榊陽子)が七人の小人のことを語る設定で榊の作品を分類している。
「川柳木馬」146号の「作家群像」は榊陽子篇。榊の60句に石田柊馬、飯島章友の作品論が付いている。
作品を誰も読んでくれないあいだは安全無事である。注目され論じられることは作品の弱点が露わになるかもしれない不安を伴うものだが、榊自身は「たまたまいろいろ重なっただけですよ」とアッケラカンとしている。
枝豆で角度がリリー・フランキー 榊陽子
しばかれてごらん美しすぎるから
ここで川柳の発信のあり方について振り返っておく。
まず、川柳の句集がずいぶん発行されるようになったのが嬉しい。
滋野さち句集『オオバコの花』(東奥文芸叢書)、竹井紫乙句集『白百合亭日乗』(あざみエージェント)、朝妻久美子『君待雨』(左右社)など川柳句集を扱う出版社も増えてきた。
川柳カード叢書からも、昨年の『ほぼむほん』(きゅういち)に続いて、今年は飯田良祐句集『実朝の首』、久保田紺句集『大阪のかたち』の二冊を発行した。
短詩型諸ジャンルの書籍を扱う「葉ね文庫」(大阪・中崎町)の存在は、文芸に関心のある読者の交流の場としても貴重だ。
「文学フリマ」は東京以外の各地でも開催されるようになった。大阪開催は今年で三回目だが、今年は「川柳カード」が川柳から唯一の参加。川柳人にもっと参加してほしいのは、短歌など他ジャンルの活気に触れてカルチャー・ショックを受ける必要があるからだ。
ネット、SNSからの発信も盛んになってきた。川柳人のブログもいくつかあるが、まだまだ少数なので、みなさん情報発信につとめていただきたい。
以前に比べると、ジャンルを越えた交流がごく自然に行なわれるようになってきているが、その一方でジャンル意識は依然として強固な面もある。私がもっともなじめないのは「ジャンルのなかでの自己完成」という態度である。世界は広いのだ。
10月以降、いろいろな川柳誌が発行され、相手取るべきものが多々あるのに、時評の役割を果たせていない。ゆるゆる行こうと思うが、来年は1月8日から再開する予定。なお、前回の「石部明の世界 その一」、別に問い合わせはないのだが、「その二」は来年十月の石部明忌の時期になることを付け加えさせていただく。では、よいお年を。
2015年12月25日金曜日
2015年10月31日土曜日
石部明の世界 その一
石部明は2012年10月27日に亡くなったので、没後三年になる。
死後には忘れられてゆく川柳人が多いなかで、石部明の作品はいまも新しい読者を獲得し、読み継がれている作者の一人である。石部の作品に慣れ親しんでいる場合でも読み直してみると新しい発見があり、それだけ充実した川柳作品であると言えよう。今回は石部の初期作品(「ますかっと」「川柳展望」の時期)を調べてゆくなかで、気づいたことを記してみたい。
まず、1970年代の石部の川柳との関わりを年譜形式でまとめておく。
1939年1月3日 岡山県和気郡三石町(現備前市)に生れる。
1967年 事業のため岡山県和気町に移住。
1974年 和気町文化祭を機に川柳を始める。
1975年 9月「ますかっと」(会員欄「百花集」)へ初投句。会員欄の選者は大森風来子。
1977年 2月「ますかっと」(岡山川柳社)同人。同人欄「黄薇句苑」の選者は延永忠美。このころ「米の木グループ」へ。
1979年 時実新子「川柳展望」会員(19号~)。
石部は「川柳展望」14号から投句を始めているが、会員になったのは19号からである。次に挙げるのは「川柳展望」19号に発表された石部の作品である。
堤防の向こうを父はまだ知らぬ
ダムになる村がちがちと義歯鳴らす
百姓が笑う仏壇屋の表
遠景の生家を燃やすたなごころ
月光に臥すいちまいの花かるた
晩夏から追いつめられてゆくピアノ
泣き虫だった頃の娼婦の耳の傷
犬の皿すこし正義を考える
いもうとの傘に駆けこむ卑怯者
銀行の横の出口は人ごろし
たましいの揺れの激しき洗面器
神よりもすこし遅れて木にのぼる
許そうとしない猫背を刻む日々
たましいのあと先をゆく伴走者
オルガンを踏んで長女が遠ざかる
「いもうと」「猫」「オルガン」など石部作品に親しんでいる読者にとっては、その後石部の作品に登場する語がすでにいくつか使われていることに気づくだろう。また、石部の作品には二つの世界にまたがる、その境界線上の場所がしばしば選ばれるのだが、ここでも「堤防」「ダム」「仏壇」などの境界線上のトポスが詠まれている。出発のときから彼はすでに自分の世界を持っていたのだ。
第一句集『賑やかな箱』に収録されている句もいくつかある。注目すべきことは句集に収録された句の原型や発想のもとになった句が見られることである。
晩夏から追いつめられてゆくピアノ (「展望」19号)
晩夏から追い詰められてゆく打楽器 (『賑やかな箱』)
「ピアノ」「打楽器」のどちらがよいかはすぐには決められないが、石部は句集収録に際して改作したあとがうかがえる。初期作品を読んでいると、こういう改作や同じ発想の句がしばしば見られることに気づく。
陽の当る椅子へ一歩のたちくらみ (「ますかっと」昭和53年5月)
やわらかい布団の上のたちくらみ (「展望」16号)
「陽の当る椅子」が一種の隠喩として意味性が強いのに対して、「やわらかい布団」の方は比喩的な意味を喚起しない。どちらがよいかは好みによるだろうが、「やわらかい布団」のほうに表現としての豊かさを感じる。
記憶にはない少年がふいに来る(「展望」15号)
見たことのない猫がいる枕元(「展望」46号)
どちらも『賑やかな箱』に収録されている。発想はよく似ているが、「少年」は「猫」に深化したのだろう。
もうひとつ、私が気になっているのは、「米の木グループ」のことである。そのメンバーは西山茶花・児子松恵・石原園子・行本みなみ・野口寛・平野みさ・石部明であるが、私は「米の木グループ」について石部に質問したことがあり、石部の回答は次のようなものだった。
「石部が参加するようになったのは1977年頃か。代表は特にいなかったが児子松恵が連絡など仕切っていた。しかし、中心は県下でもっとも人気があり、泉淳夫、片柳哲郎、山村祐などに高く評価されていた西山茶花で、それに過激な論客、行本みなみがからむ構図で、結構熱っぽい合評会を月に一回していた。みなみは『川柳木馬』の渡部可奈子特集に本人の望まれて『可奈子論』を執筆したこともあったが、論は過激で片柳哲郎を困らせたこともあり、県下でも交流するものはいなかったが、彼から教わることも多かった。十年ほど続いて、やがて断続的で同窓会的に1992年頃まで続いた」
次に引用する8句は行本みなみの作品である。石部の作品に通底するものを感じる。
それ以後は雨のおんなに入りびたり (「展望」12号)
二つ転がり二つ音する雛の首
眼をあけて普段着のまま死んでいる
たましいを抜かれ花野に迷うもの (「展望」13号)
美しい水だ飲めよと突き落とす
墓に立つ女体芯まで青である
対かい合う人形互いに抱かれたく
たんぽぽより少うし高い縊死の足 (「展望」14号)
行本の句について時実新子は次のように述べている。
「来年は遠いと思う夏の墓地/行本みなみの作品から死の匂いが払拭されることはないのだろうか。テーマとして真剣に彼が追求しているのはわかるのだが。そして、死即ち生であることも」(展望12号「前号ブロック評」)
平野みさについては石部自身が影響を受けた句として次の句を挙げている。石部自身の作品と並べて紹介しよう。
菜の花や母はときどき狂います 平野みさ
菜の花の中の激しい黄を探す 石部明(「展望」48号)
最後に石部の次の二句を並べてみたい。
夜桜を見にいったまま帰らない (『賑やかな箱』、初出「展望」45号)
栓抜きを探しにいって帰らない (『遊魔系』)
夜桜を見にゆくのと栓抜きを探しにゆくのとでは、ずいぶんイメージが違う。夜桜を見にいってふと行方が分からなくなってしまうというのは何となく理解できるような気がするが、栓抜きを探しにいったまま行方不明になるというのはどういう事態なのだろう。なぜ栓抜きでなければならなかったのか。つまり「栓抜き」の方に不条理性が際立つのだ。
こうして石部は自らのキイ・イメージを深化させつつ定着させていったのだということが初期作品を読むとよく分かる。
私が石部と出会ったときに彼はすでに確固とした存在感のある川柳人だったが、彼にも出発点というものがあったはずだ。出発に際しては彼をとりまく川柳環境から影響を受けただろうが、同時に石部は最初から自己の世界を持っていたとも言える。彼はそれを深化させたのであり、すぐれた表現者であればだれでもそういうプロセスをたどるのだと思う。
死後には忘れられてゆく川柳人が多いなかで、石部明の作品はいまも新しい読者を獲得し、読み継がれている作者の一人である。石部の作品に慣れ親しんでいる場合でも読み直してみると新しい発見があり、それだけ充実した川柳作品であると言えよう。今回は石部の初期作品(「ますかっと」「川柳展望」の時期)を調べてゆくなかで、気づいたことを記してみたい。
まず、1970年代の石部の川柳との関わりを年譜形式でまとめておく。
1939年1月3日 岡山県和気郡三石町(現備前市)に生れる。
1967年 事業のため岡山県和気町に移住。
1974年 和気町文化祭を機に川柳を始める。
1975年 9月「ますかっと」(会員欄「百花集」)へ初投句。会員欄の選者は大森風来子。
1977年 2月「ますかっと」(岡山川柳社)同人。同人欄「黄薇句苑」の選者は延永忠美。このころ「米の木グループ」へ。
1979年 時実新子「川柳展望」会員(19号~)。
石部は「川柳展望」14号から投句を始めているが、会員になったのは19号からである。次に挙げるのは「川柳展望」19号に発表された石部の作品である。
堤防の向こうを父はまだ知らぬ
ダムになる村がちがちと義歯鳴らす
百姓が笑う仏壇屋の表
遠景の生家を燃やすたなごころ
月光に臥すいちまいの花かるた
晩夏から追いつめられてゆくピアノ
泣き虫だった頃の娼婦の耳の傷
犬の皿すこし正義を考える
いもうとの傘に駆けこむ卑怯者
銀行の横の出口は人ごろし
たましいの揺れの激しき洗面器
神よりもすこし遅れて木にのぼる
許そうとしない猫背を刻む日々
たましいのあと先をゆく伴走者
オルガンを踏んで長女が遠ざかる
「いもうと」「猫」「オルガン」など石部作品に親しんでいる読者にとっては、その後石部の作品に登場する語がすでにいくつか使われていることに気づくだろう。また、石部の作品には二つの世界にまたがる、その境界線上の場所がしばしば選ばれるのだが、ここでも「堤防」「ダム」「仏壇」などの境界線上のトポスが詠まれている。出発のときから彼はすでに自分の世界を持っていたのだ。
第一句集『賑やかな箱』に収録されている句もいくつかある。注目すべきことは句集に収録された句の原型や発想のもとになった句が見られることである。
晩夏から追いつめられてゆくピアノ (「展望」19号)
晩夏から追い詰められてゆく打楽器 (『賑やかな箱』)
「ピアノ」「打楽器」のどちらがよいかはすぐには決められないが、石部は句集収録に際して改作したあとがうかがえる。初期作品を読んでいると、こういう改作や同じ発想の句がしばしば見られることに気づく。
陽の当る椅子へ一歩のたちくらみ (「ますかっと」昭和53年5月)
やわらかい布団の上のたちくらみ (「展望」16号)
「陽の当る椅子」が一種の隠喩として意味性が強いのに対して、「やわらかい布団」の方は比喩的な意味を喚起しない。どちらがよいかは好みによるだろうが、「やわらかい布団」のほうに表現としての豊かさを感じる。
記憶にはない少年がふいに来る(「展望」15号)
見たことのない猫がいる枕元(「展望」46号)
どちらも『賑やかな箱』に収録されている。発想はよく似ているが、「少年」は「猫」に深化したのだろう。
もうひとつ、私が気になっているのは、「米の木グループ」のことである。そのメンバーは西山茶花・児子松恵・石原園子・行本みなみ・野口寛・平野みさ・石部明であるが、私は「米の木グループ」について石部に質問したことがあり、石部の回答は次のようなものだった。
「石部が参加するようになったのは1977年頃か。代表は特にいなかったが児子松恵が連絡など仕切っていた。しかし、中心は県下でもっとも人気があり、泉淳夫、片柳哲郎、山村祐などに高く評価されていた西山茶花で、それに過激な論客、行本みなみがからむ構図で、結構熱っぽい合評会を月に一回していた。みなみは『川柳木馬』の渡部可奈子特集に本人の望まれて『可奈子論』を執筆したこともあったが、論は過激で片柳哲郎を困らせたこともあり、県下でも交流するものはいなかったが、彼から教わることも多かった。十年ほど続いて、やがて断続的で同窓会的に1992年頃まで続いた」
次に引用する8句は行本みなみの作品である。石部の作品に通底するものを感じる。
それ以後は雨のおんなに入りびたり (「展望」12号)
二つ転がり二つ音する雛の首
眼をあけて普段着のまま死んでいる
たましいを抜かれ花野に迷うもの (「展望」13号)
美しい水だ飲めよと突き落とす
墓に立つ女体芯まで青である
対かい合う人形互いに抱かれたく
たんぽぽより少うし高い縊死の足 (「展望」14号)
行本の句について時実新子は次のように述べている。
「来年は遠いと思う夏の墓地/行本みなみの作品から死の匂いが払拭されることはないのだろうか。テーマとして真剣に彼が追求しているのはわかるのだが。そして、死即ち生であることも」(展望12号「前号ブロック評」)
平野みさについては石部自身が影響を受けた句として次の句を挙げている。石部自身の作品と並べて紹介しよう。
菜の花や母はときどき狂います 平野みさ
菜の花の中の激しい黄を探す 石部明(「展望」48号)
最後に石部の次の二句を並べてみたい。
夜桜を見にいったまま帰らない (『賑やかな箱』、初出「展望」45号)
栓抜きを探しにいって帰らない (『遊魔系』)
夜桜を見にゆくのと栓抜きを探しにゆくのとでは、ずいぶんイメージが違う。夜桜を見にいってふと行方が分からなくなってしまうというのは何となく理解できるような気がするが、栓抜きを探しにいったまま行方不明になるというのはどういう事態なのだろう。なぜ栓抜きでなければならなかったのか。つまり「栓抜き」の方に不条理性が際立つのだ。
こうして石部は自らのキイ・イメージを深化させつつ定着させていったのだということが初期作品を読むとよく分かる。
私が石部と出会ったときに彼はすでに確固とした存在感のある川柳人だったが、彼にも出発点というものがあったはずだ。出発に際しては彼をとりまく川柳環境から影響を受けただろうが、同時に石部は最初から自己の世界を持っていたとも言える。彼はそれを深化させたのであり、すぐれた表現者であればだれでもそういうプロセスをたどるのだと思う。
2015年10月17日土曜日
俳諧史への視線
10月15日付けの新聞報道によると、これまで所在不明だった蕪村の句集が見つかったという。蕪村存命中に門人がまとめた「夜半亭蕪村句集」の写本である。句集の存在は戦前から知られていたが、所在不明のままになっていた。数年前に天理図書館が購入した本がそうであることが確認されたということだ。
連句に関して私は蕪村に興味をもつところから出発したので、このニュースに無関心ではいられない。これまで知られていない蕪村句も含まれていて、たとえば次の句である。
傘(からかさ)も化けて目のある月夜哉 蕪村
蕪村の妖怪趣味はよく知られていて、蕪村らしい句である。
別所真紀子著『江戸おんな歳時記』(幻戯書房)が刊行された。
別所は女性俳諧史の第一人者だが、今度の書物は歳時記仕立てになっている。「季語研究会会報」などに掲載された文章もあるが、一書にまとめて読むことができるのはありがたい。千代尼、智月、園女、諸九尼、星布、菊舎などの名の知られた女性だけではなく、無名の女性や子どもの句なども紹介されている。
春風や猫のお椀も梅の花 九歳 しう (『三韓人』寛政10年)
鶯の空見ていそぐ初音かな 長崎 十歳 易女 (『寒菊随筆』享保4年)
「春風や」の句は猫が食べ散らかしたご飯粒を梅の花に見立てているのだろう。「猫のお椀も梅の花みたい」と口ずさんだのを周囲の者が書きとめたのかも知れない。
しら菊や人に裂かせて醒めて居り 一紅
高崎在の一紅の句集『あやにしき』(宝暦11年)から。これは大人の句。どういう状況か、また何を裂くのかよく分らないが、人に裂かせて自分は醒めているというのは近代的な心情で印象に残る句である。
10月11日に大阪天満宮で「第九回浪速の芭蕉祭」が開催された。他のイベントとも重なって参加者は15名と少なかったが、参加者相互の顔が見える連句会となった。
講演は近代俳句の研究者である青木亮人氏にお願いした。「蕉門歌仙と近代俳句について」と題して、芭蕉七部集の付句と三鬼・秋桜子・青畝・虚子などの俳句を比較するという興味深いものだった。
連句では「投げ込みの月」といって、「月」の字を句の最後に置いて一種の助辞のように使うことがある。たとえば
雑役の鞍を下ろせば日がくれて 野坡
飯の中なる芋をほる月 嵐雪
(歌仙「兼好も」・『炭俵』)
という「月」がそれに当たる。青木はこれを次の西東三鬼の次の句と並べてみせた。
算術の少年しのび泣けり夏 三鬼
この「夏」の使い方は今では珍しくないが、当時としては新鮮で、模倣するものが増えたらしい。三鬼が連句の影響を受けたということではなくて、近世の俳諧と近代俳句の表現がある部分で似ているという指摘をおもしろく思った。
「浪速の芭蕉祭」では連句会の前に大阪天満宮の本殿に参拝してご祈祷を受ける。学芸上達を祈願するのである。祝詞や巫女による舞のあと代表者が玉串を捧げる。こういう儀式的な側面もはじめての参加者にはおもしろいようだ。
当日は天満宮境内で古書市が開催され、俳諧関係の欲しくなるような古書も販売されていた。「かばん関西」の吟行会も同じ場所であったそうだ。
この日、受付をしていると会員のひとりが岡本星女の訃報をもたらした。10月9日にお亡くなりになったそうである。星女は阿波野青畝の「かつらぎ」系の俳人・連句人で、夫は岡本春人。春人が亡くなったあとは「俳諧接心」を主宰した。「浪速の芭蕉祭」を立ち上げたのは星女である。
「浪速の芭蕉祭」では例年、連句を募集して優秀作品を天満宮に奉納する。今年は募吟を行わなかったが、連句部門のほかに前句付と川柳の部門も設けている。川柳の部門を作ったのは星女の強い勧めによる。「現代川柳はすごい。なぜなら、私にはまったく分からないから」と星女は私に言った。現代川柳は分からない、難解だという人が多いなかで、「分からないからすばらしい」と言ったのは星女ひとりである。
人は死にへくそかずらは実となりぬ 岡本星女
連句に関して私は蕪村に興味をもつところから出発したので、このニュースに無関心ではいられない。これまで知られていない蕪村句も含まれていて、たとえば次の句である。
傘(からかさ)も化けて目のある月夜哉 蕪村
蕪村の妖怪趣味はよく知られていて、蕪村らしい句である。
別所真紀子著『江戸おんな歳時記』(幻戯書房)が刊行された。
別所は女性俳諧史の第一人者だが、今度の書物は歳時記仕立てになっている。「季語研究会会報」などに掲載された文章もあるが、一書にまとめて読むことができるのはありがたい。千代尼、智月、園女、諸九尼、星布、菊舎などの名の知られた女性だけではなく、無名の女性や子どもの句なども紹介されている。
春風や猫のお椀も梅の花 九歳 しう (『三韓人』寛政10年)
鶯の空見ていそぐ初音かな 長崎 十歳 易女 (『寒菊随筆』享保4年)
「春風や」の句は猫が食べ散らかしたご飯粒を梅の花に見立てているのだろう。「猫のお椀も梅の花みたい」と口ずさんだのを周囲の者が書きとめたのかも知れない。
しら菊や人に裂かせて醒めて居り 一紅
高崎在の一紅の句集『あやにしき』(宝暦11年)から。これは大人の句。どういう状況か、また何を裂くのかよく分らないが、人に裂かせて自分は醒めているというのは近代的な心情で印象に残る句である。
10月11日に大阪天満宮で「第九回浪速の芭蕉祭」が開催された。他のイベントとも重なって参加者は15名と少なかったが、参加者相互の顔が見える連句会となった。
講演は近代俳句の研究者である青木亮人氏にお願いした。「蕉門歌仙と近代俳句について」と題して、芭蕉七部集の付句と三鬼・秋桜子・青畝・虚子などの俳句を比較するという興味深いものだった。
連句では「投げ込みの月」といって、「月」の字を句の最後に置いて一種の助辞のように使うことがある。たとえば
雑役の鞍を下ろせば日がくれて 野坡
飯の中なる芋をほる月 嵐雪
(歌仙「兼好も」・『炭俵』)
という「月」がそれに当たる。青木はこれを次の西東三鬼の次の句と並べてみせた。
算術の少年しのび泣けり夏 三鬼
この「夏」の使い方は今では珍しくないが、当時としては新鮮で、模倣するものが増えたらしい。三鬼が連句の影響を受けたということではなくて、近世の俳諧と近代俳句の表現がある部分で似ているという指摘をおもしろく思った。
「浪速の芭蕉祭」では連句会の前に大阪天満宮の本殿に参拝してご祈祷を受ける。学芸上達を祈願するのである。祝詞や巫女による舞のあと代表者が玉串を捧げる。こういう儀式的な側面もはじめての参加者にはおもしろいようだ。
当日は天満宮境内で古書市が開催され、俳諧関係の欲しくなるような古書も販売されていた。「かばん関西」の吟行会も同じ場所であったそうだ。
この日、受付をしていると会員のひとりが岡本星女の訃報をもたらした。10月9日にお亡くなりになったそうである。星女は阿波野青畝の「かつらぎ」系の俳人・連句人で、夫は岡本春人。春人が亡くなったあとは「俳諧接心」を主宰した。「浪速の芭蕉祭」を立ち上げたのは星女である。
「浪速の芭蕉祭」では例年、連句を募集して優秀作品を天満宮に奉納する。今年は募吟を行わなかったが、連句部門のほかに前句付と川柳の部門も設けている。川柳の部門を作ったのは星女の強い勧めによる。「現代川柳はすごい。なぜなら、私にはまったく分からないから」と星女は私に言った。現代川柳は分からない、難解だという人が多いなかで、「分からないからすばらしい」と言ったのは星女ひとりである。
人は死にへくそかずらは実となりぬ 岡本星女
2015年9月25日金曜日
マラソンリーディングと文学フリマ大阪
秋は文芸のイベントがいろいろ開催されるが、この前の土日の両日に大阪でもふたつのイベントがあった。
9月19日(土)には「マラソン・リーディング」が十三のカフェスロー大阪で開催された。マラソンリーディングが大阪で開催されるのははじめてらしい。
午後2時にはじまって6時半まで、四部に分かれてプログラムが続いたが、まず第一部で興味をひかれたのは香川ヒサの朗読。アイルランドで朗読したという短歌に英訳が付く。英訳は香川自身の手による。国際連句のことなどが連想された。
第二部のトップは今橋愛。今橋愛はマイナビブックス『ことばのかたち』に連載した『ここと うたと ことばのれんしゅう』の中から六首朗読した。これに舞踏家の周川ひとみの踊りがつく。私は最前列で見ていたが、周川の踊りには迫力があった。
私が短歌に接触していたのは十年くらい以前のことで、そのころ買った今橋の歌集『О脚の膝』が手元にある。司会の田中槐の『退屈な器』を読んだのもそのころだ。時の流れを感じる。
第三部、田中ましろは映像と短歌の朗読を組み合わせて発表。「青くてすこし苦い」という青春物。
第四部、最初の紺野ちあきは「国会前十万人デモ」と「箱根駅伝」の詩を朗読。気骨のある女性がいるものだ。龍翔は和田まさ子の詩「安心」を朗読。帰ってから調べてみると「詩客」に掲載されていた。
朗読にはそれぞれのスタイルがあって、それぞれおもしろかったのだが、この日いちばん私の心に迫ったのは正岡豊の朗読。どこがよかったのか、言葉ではいえない。
トリは石井辰彦の朗読「アフリカを望んで」。テクストが配布されたので、もらって帰った。
久し振りに朗読を聞いておもしろかったけれど、少し疲れた。帰りは中崎町でひとり宴会。
9月20日(日)には「文学フリマ大阪」が堺市産業振興センターのイベントホールで開催された。前日に続いてこちらにも参加した人は多いようだ。
詩歌では短歌のブースが多くて、川柳からは唯一の出店である(そんなことは何のウリにもならない)。いろいろな人が来場されていて、お話したり交流できたりして楽しかった。初対面の方に声をかけられるのも嬉しいことである。ただ「川柳カード大会」のときにも宣伝しておいたのに、川柳人の来場が少なかったのが残念である。若くて表現意欲のある人たちがこんなにいることを肌で感じることが刺激になるからだ。
当日手に入った同人誌の中からいくつか紹介しておきたい。
まず、BL俳句誌「庫内灯」。当日の午後、フリマと同じ会場の別室で「BL句会」も開催されたようだ。
ワンドロで佐藤文香の俳句「夜を水のように君とは遊ぶ仲」に付けられた絵が掲載されている。
逸脱のたのしさでヨットには乗らう 佐々木紺
まんべんなくシャワーまんべんなく拭かず なかやまなな
屠蘇苦し君のおさない舌である 久留島元
火事が見たいよ火のそばで火の中で 岡田一実
短歌同人誌「率」による「SH2」。
「SH」の瀬戸夏子・平岡直子・我妻俊樹に加えて今回は宝川踊・山中千瀬も参加して川柳を書いている。特におもしろいとおもったのは山中と平岡の作品。
なんとなく個室に長居してしまう 山中千瀬
あとのないしらうおたちの踊り食い
ちょっと泣きアクエリアスで補った
生活に降る雨なんの罰でもなく
100年のやばいゲームを続けよう
すぐ来て、と水道水を呼んでいる 平岡直子
雪で貼る切手のようにわたしたち
ネガフィルム界から紫芋来たる
星の数ほど指輪のいやらしい用途
煙草かと思って火をつけて吸いました
最後に自由律俳句誌「蘭鋳」を紹介しておきたい。
自由律俳句には短律と長律とがあるが、今回の特集は「長律」。過去篇と現代篇の二部で構成されている。自由律には短律と長律とがあるはずなのに、なぜ長律は滅び短律だけが残ったのか。矢野錆助は高柳重信の次の言葉を引用している。
「そして、わずか十五年の大正時代が終わったとき、長律の作品は跡かたもなく滅び去り、尾崎放哉を見事な典型とする短律の作品だけが残ったが、たとえ自由律俳句といえども俳句形式の思想は、本来もっとも饒舌から遠いものであろうことを思うならば、それも一つの必然であった」(「俳句形式における前衛と正統」)
川柳人でもあった山村祐の「短詩」が長律派と短律派に分裂して崩壊していったことなどが連想される。「蘭鋳」の特集は高柳が滅びたという「長律」の復権という意味があるだろう。橋本夢道の「無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ」などは川柳人にも人気のある句である。
9月19日(土)には「マラソン・リーディング」が十三のカフェスロー大阪で開催された。マラソンリーディングが大阪で開催されるのははじめてらしい。
午後2時にはじまって6時半まで、四部に分かれてプログラムが続いたが、まず第一部で興味をひかれたのは香川ヒサの朗読。アイルランドで朗読したという短歌に英訳が付く。英訳は香川自身の手による。国際連句のことなどが連想された。
第二部のトップは今橋愛。今橋愛はマイナビブックス『ことばのかたち』に連載した『ここと うたと ことばのれんしゅう』の中から六首朗読した。これに舞踏家の周川ひとみの踊りがつく。私は最前列で見ていたが、周川の踊りには迫力があった。
私が短歌に接触していたのは十年くらい以前のことで、そのころ買った今橋の歌集『О脚の膝』が手元にある。司会の田中槐の『退屈な器』を読んだのもそのころだ。時の流れを感じる。
第三部、田中ましろは映像と短歌の朗読を組み合わせて発表。「青くてすこし苦い」という青春物。
第四部、最初の紺野ちあきは「国会前十万人デモ」と「箱根駅伝」の詩を朗読。気骨のある女性がいるものだ。龍翔は和田まさ子の詩「安心」を朗読。帰ってから調べてみると「詩客」に掲載されていた。
朗読にはそれぞれのスタイルがあって、それぞれおもしろかったのだが、この日いちばん私の心に迫ったのは正岡豊の朗読。どこがよかったのか、言葉ではいえない。
トリは石井辰彦の朗読「アフリカを望んで」。テクストが配布されたので、もらって帰った。
久し振りに朗読を聞いておもしろかったけれど、少し疲れた。帰りは中崎町でひとり宴会。
9月20日(日)には「文学フリマ大阪」が堺市産業振興センターのイベントホールで開催された。前日に続いてこちらにも参加した人は多いようだ。
詩歌では短歌のブースが多くて、川柳からは唯一の出店である(そんなことは何のウリにもならない)。いろいろな人が来場されていて、お話したり交流できたりして楽しかった。初対面の方に声をかけられるのも嬉しいことである。ただ「川柳カード大会」のときにも宣伝しておいたのに、川柳人の来場が少なかったのが残念である。若くて表現意欲のある人たちがこんなにいることを肌で感じることが刺激になるからだ。
当日手に入った同人誌の中からいくつか紹介しておきたい。
まず、BL俳句誌「庫内灯」。当日の午後、フリマと同じ会場の別室で「BL句会」も開催されたようだ。
ワンドロで佐藤文香の俳句「夜を水のように君とは遊ぶ仲」に付けられた絵が掲載されている。
逸脱のたのしさでヨットには乗らう 佐々木紺
まんべんなくシャワーまんべんなく拭かず なかやまなな
屠蘇苦し君のおさない舌である 久留島元
火事が見たいよ火のそばで火の中で 岡田一実
短歌同人誌「率」による「SH2」。
「SH」の瀬戸夏子・平岡直子・我妻俊樹に加えて今回は宝川踊・山中千瀬も参加して川柳を書いている。特におもしろいとおもったのは山中と平岡の作品。
なんとなく個室に長居してしまう 山中千瀬
あとのないしらうおたちの踊り食い
ちょっと泣きアクエリアスで補った
生活に降る雨なんの罰でもなく
100年のやばいゲームを続けよう
すぐ来て、と水道水を呼んでいる 平岡直子
雪で貼る切手のようにわたしたち
ネガフィルム界から紫芋来たる
星の数ほど指輪のいやらしい用途
煙草かと思って火をつけて吸いました
最後に自由律俳句誌「蘭鋳」を紹介しておきたい。
自由律俳句には短律と長律とがあるが、今回の特集は「長律」。過去篇と現代篇の二部で構成されている。自由律には短律と長律とがあるはずなのに、なぜ長律は滅び短律だけが残ったのか。矢野錆助は高柳重信の次の言葉を引用している。
「そして、わずか十五年の大正時代が終わったとき、長律の作品は跡かたもなく滅び去り、尾崎放哉を見事な典型とする短律の作品だけが残ったが、たとえ自由律俳句といえども俳句形式の思想は、本来もっとも饒舌から遠いものであろうことを思うならば、それも一つの必然であった」(「俳句形式における前衛と正統」)
川柳人でもあった山村祐の「短詩」が長律派と短律派に分裂して崩壊していったことなどが連想される。「蘭鋳」の特集は高柳が滅びたという「長律」の復権という意味があるだろう。橋本夢道の「無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ」などは川柳人にも人気のある句である。
2015年9月18日金曜日
第三回川柳カード大会
― 偉大なる天体よ。もしあなたの光を浴びる者たちがいなかったら、あなたははたして幸福といえるだろうか。この十年というもの、あなたは私の洞穴をさしてのぼって来てくれた。もし私と私の鷲と蛇とがそこにいなかったら、あなたは自分の光にも、この道すじにも飽きてしまったことだろう。 (「ツァラトゥストラ」)
9月12日、大阪上本町の「たかつガーデン」で「第三回川柳カード大会」が開催された。第一回が2012年、第二回が2013年開催で、昨年は見送られたので、二年ぶりの開催となる。第一部は対談、第二部は句会という形式はこれまでと変わらず、全国から94名の川柳人が集まった。
今年の対談ゲストには柳本々々を迎えたので、彼の話を聞きたくて参加された方も多いことだろう。対談のタイトルは「現代川柳の可能性」。
柳本と会うのは今回で五回目となる。昨年12月の「川柳カード」合評会が最初で、今年5月の「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」が二回目、8月の「とととと展」に彼の話を聞きに行き、東京でも一度会って話をした。
細部まで詰めたわけではないが、対談内容の腹案はできていたし、柳本から詳しいメールも届いていたので、進行に不安はなかった。対談はその場がおもしろければいいようなものだが、雑誌の編集の立場からすると、のちに誌面に反映させたときに、絵になるというか、読みものとしてインパクトのある話がほしい。ライブ感覚と活字で読んだときのおもしろさという矛盾する要請をしたのだが、さすがに柳本の話は充実したものだった。
対談とは言いながら、私はインタビュアーに徹するつもりだったので、質問する役割に回った。また、柳本は絵川柳なども書いているので、パワーポイントを使って映像を紹介することにつとめた。どこまで成功したか分からないが、詳しいことは発表誌の「川柳カード」10号(11月25日発行予定)をご覧いただきたい。
ご参加いただいた方の感想もぼつぼつツイッターやブログに出ているようだし、柳本自身も「俳句新空間」で少し触れているので、ここでは印象的な発言のいくつかをピックアップするにとどめたい。
「〈のりべん〉がぶちまけられて元に戻らないという感じって、定型詩の一回性というか、定型が一回詠われ始めらたら不可逆で元に戻れないという感じで、〈のりべん〉は定型と深い関係があるんじゃないかと思います」
「ある意味で覆面レスラー的なのは川柳。短歌は逆に〈顔〉が見えることによってその〈顔〉をうんぬんする文芸」
「俳句が挨拶の文芸なら、川柳はお別れの文芸、さよならの文芸なんじゃないかと思うんです」
「川柳には〈健やかな不健全さ〉〈不健全な強さ〉がある。いくつになっても不健全であることが許される文芸はあまりないのではないか」
「続けることを続けたいと思います。いろんなやり方で、ジャンルをクロスさせながら」
録音テープできちんと確かめていないし、文脈と切り離して引用すると誤解を生む危険もあるので、発表誌までの途中経過としてお読みいただきたい。
さて、第二部の大会での準特選句・特選句を紹介しておく。
「美」くんじろう選
準特選2 美りっ美りっ美りっ お言葉が裂けている 中西軒わ
準特選1 握りたくなる新品の鉄パイプ 八上桐子
特選 十七才と二ヶ月の右の耳 森田律子
(中西軒わの句は耳で聞いたときはよくわからなかったが、活字化するとおもしろさが際立ってくる。)
「力」中山奈々選
準特選2 これからは力になると冷奴 能登和子
準特選1 流水でほぐして使う力こぶ 徳長怜
特選 にんげんでいる力加減がわからない 岩田多佳子
(選者・中山奈々の軸吟「少年にパンイチの十万馬力」、「パンイチ」って何だろう?と思ったが、「パンツ一丁」ということらしい。鉄腕アトムだったのか。)
「和」松永千秋選
準特選2 天は天で飽和状態 内田真理子
準特選1 昭和からふっとんでくる金盥 石原ユキオ
特選 わたくしが和気藹々と減ってゆく 草地豊子
「気」丸山進選
準特選2 バス停は武士になる気で立っている 徳永怜
準特選1 気ぜわしく ひとりシェルター掘っている 久恒邦子
特選 大竹しのぶがその気になっている 谷口義
「白」石田柊馬選
準特選2 母よりも白き足なしサロンパス 樋口由紀子
準特選1 にじり口面倒な白になる 赤松ますみ
特選 ますます白くなってゆく暴力装置 小池正博
事前投句「大」樋口由紀子選
準特選2 おおぐま座待たせて呼び鈴の修理 兵頭全郎
準特選1 大きな西瓜抱えどこかへ消えた父 松永千秋
特選 水掻きがみんな大きい関係者 松永千秋
大会には伊那から「旬」の川合大祐・千春が参加していて、「旬」の最新号をいただいた。
「旬」は10年くらい前に読んでいたが、最近は見る機会がなかったので新鮮な感じがした。代表・丸山健三、編集・樹萄らきという体制である。
地を踏んでいるけど闇をふんでいる 大川博幸
秋…そう逃げるのはいかがなものか 樹萄らき
慈悲を持ちポチと名付けてしんぜよう 樹萄らき
少女革命、と最後に口にした啄木 柳本々々
うっかりと地球に酒を呑ませてた 千春
当日会場で配布されたものに「THANATOS 石部明 1/4」というフリーペーパーがある。
石部明の作品を10年ごとに四期に分けて紹介するシリーズの一回目。「石部明はどのような人物だろうか」「石部明はどのようにして石部明になったのか」の二本の短文は私が書いているが、50句の選定と印刷・発行は八上桐子による。初期の石部明について改めて振り返る契機になればありがたい。
記憶にはない少年がふいに来る 石部明
9月12日、大阪上本町の「たかつガーデン」で「第三回川柳カード大会」が開催された。第一回が2012年、第二回が2013年開催で、昨年は見送られたので、二年ぶりの開催となる。第一部は対談、第二部は句会という形式はこれまでと変わらず、全国から94名の川柳人が集まった。
今年の対談ゲストには柳本々々を迎えたので、彼の話を聞きたくて参加された方も多いことだろう。対談のタイトルは「現代川柳の可能性」。
柳本と会うのは今回で五回目となる。昨年12月の「川柳カード」合評会が最初で、今年5月の「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」が二回目、8月の「とととと展」に彼の話を聞きに行き、東京でも一度会って話をした。
細部まで詰めたわけではないが、対談内容の腹案はできていたし、柳本から詳しいメールも届いていたので、進行に不安はなかった。対談はその場がおもしろければいいようなものだが、雑誌の編集の立場からすると、のちに誌面に反映させたときに、絵になるというか、読みものとしてインパクトのある話がほしい。ライブ感覚と活字で読んだときのおもしろさという矛盾する要請をしたのだが、さすがに柳本の話は充実したものだった。
対談とは言いながら、私はインタビュアーに徹するつもりだったので、質問する役割に回った。また、柳本は絵川柳なども書いているので、パワーポイントを使って映像を紹介することにつとめた。どこまで成功したか分からないが、詳しいことは発表誌の「川柳カード」10号(11月25日発行予定)をご覧いただきたい。
ご参加いただいた方の感想もぼつぼつツイッターやブログに出ているようだし、柳本自身も「俳句新空間」で少し触れているので、ここでは印象的な発言のいくつかをピックアップするにとどめたい。
「〈のりべん〉がぶちまけられて元に戻らないという感じって、定型詩の一回性というか、定型が一回詠われ始めらたら不可逆で元に戻れないという感じで、〈のりべん〉は定型と深い関係があるんじゃないかと思います」
「ある意味で覆面レスラー的なのは川柳。短歌は逆に〈顔〉が見えることによってその〈顔〉をうんぬんする文芸」
「俳句が挨拶の文芸なら、川柳はお別れの文芸、さよならの文芸なんじゃないかと思うんです」
「川柳には〈健やかな不健全さ〉〈不健全な強さ〉がある。いくつになっても不健全であることが許される文芸はあまりないのではないか」
「続けることを続けたいと思います。いろんなやり方で、ジャンルをクロスさせながら」
録音テープできちんと確かめていないし、文脈と切り離して引用すると誤解を生む危険もあるので、発表誌までの途中経過としてお読みいただきたい。
さて、第二部の大会での準特選句・特選句を紹介しておく。
「美」くんじろう選
準特選2 美りっ美りっ美りっ お言葉が裂けている 中西軒わ
準特選1 握りたくなる新品の鉄パイプ 八上桐子
特選 十七才と二ヶ月の右の耳 森田律子
(中西軒わの句は耳で聞いたときはよくわからなかったが、活字化するとおもしろさが際立ってくる。)
「力」中山奈々選
準特選2 これからは力になると冷奴 能登和子
準特選1 流水でほぐして使う力こぶ 徳長怜
特選 にんげんでいる力加減がわからない 岩田多佳子
(選者・中山奈々の軸吟「少年にパンイチの十万馬力」、「パンイチ」って何だろう?と思ったが、「パンツ一丁」ということらしい。鉄腕アトムだったのか。)
「和」松永千秋選
準特選2 天は天で飽和状態 内田真理子
準特選1 昭和からふっとんでくる金盥 石原ユキオ
特選 わたくしが和気藹々と減ってゆく 草地豊子
「気」丸山進選
準特選2 バス停は武士になる気で立っている 徳永怜
準特選1 気ぜわしく ひとりシェルター掘っている 久恒邦子
特選 大竹しのぶがその気になっている 谷口義
「白」石田柊馬選
準特選2 母よりも白き足なしサロンパス 樋口由紀子
準特選1 にじり口面倒な白になる 赤松ますみ
特選 ますます白くなってゆく暴力装置 小池正博
事前投句「大」樋口由紀子選
準特選2 おおぐま座待たせて呼び鈴の修理 兵頭全郎
準特選1 大きな西瓜抱えどこかへ消えた父 松永千秋
特選 水掻きがみんな大きい関係者 松永千秋
大会には伊那から「旬」の川合大祐・千春が参加していて、「旬」の最新号をいただいた。
「旬」は10年くらい前に読んでいたが、最近は見る機会がなかったので新鮮な感じがした。代表・丸山健三、編集・樹萄らきという体制である。
地を踏んでいるけど闇をふんでいる 大川博幸
秋…そう逃げるのはいかがなものか 樹萄らき
慈悲を持ちポチと名付けてしんぜよう 樹萄らき
少女革命、と最後に口にした啄木 柳本々々
うっかりと地球に酒を呑ませてた 千春
当日会場で配布されたものに「THANATOS 石部明 1/4」というフリーペーパーがある。
石部明の作品を10年ごとに四期に分けて紹介するシリーズの一回目。「石部明はどのような人物だろうか」「石部明はどのようにして石部明になったのか」の二本の短文は私が書いているが、50句の選定と印刷・発行は八上桐子による。初期の石部明について改めて振り返る契機になればありがたい。
記憶にはない少年がふいに来る 石部明
2015年9月11日金曜日
マッピングのことなど
「第三回川柳カード」の開催が明日に迫り、その準備の合間にこれを書いているので、今日の時評は簡略なものでお許し願いたい。
「クプラス」2号の付録「平成二十六年俳諧國之概略」が話題になっている。
現代の俳人たちを「伝統主義」「ロマン主義」「原理主義」に分けてマッピングしたものだ。俳人たちの位置づけには異論がでるだろうが、興味深い試みだし、見ていて十分楽しめる。
By上田信治・高山れおな・古脇語・山田耕司とあるから、この四人で考えたもののようだ。「原理主義」って何?とか思うので、まず図の構造について一瞥してみよう。
「平成二十六年の俳句界をマッピングしてみたらこんなことになった」は上掲の四人による座談会で、山田はこんなふうに語っている。
山田 まず《伝統/前衛》という形式をめぐる対立と別に、形式を利用して何かを述べる《ロマン主義》という領域を仮設する。社会性俳句なども含む「語るべきドラマを持つ」スタイルです。そのことによってワタシ語り等の系譜も見えやすくなります。
一方《伝統主義》は、厳然として存在する俳句の、その存在を疑わないという主義。師匠の言ったことを一言一句ゆるがせにしないという姿勢の問題でもある。《伝統主義》がマナーとしての俳句であるのに対して《原理主義》は言語表現としての俳句を対象化し、詩歌および表現することそのものの広い領域を批評の座に組み込もうとします。かつ、現状を疑い、ともすればあるべき理想へと傾斜してゆく。
この発言を受けて上田はさらに次のように言う。
上田 山田さんが三項に分けた時点で、蛇のシッポ呑み的な運動をはらんだ図になることは必然でした。その意図を引き継ぐために、三項のどの一つも、他の二つと対立軸があるように定義すべきだと考えました。《伝統とロマン》にあって《原理》にないものは〈大衆性〉です。《ロマンと原理》にあって《伝統》にないものは〈新しさ〉。《伝統と原理》にあって《ロマン》にないものは〈専門性〉です。
これ以上の引用は避けるが、「伝統主義」(「俳句は変わらない」)と「ロマン主義」(「自分の俳句」)には「大衆性」(共感性/了解性を志向、共同性を志向)があり、「ロマン主義」と「原理主義」(「俳句とは?」)には「新しさ」(現代性を志向、詩性/芸術性を志向)があり、「伝統主義」と「原理主義」には「専門性」(純粋性を志向)があるというわけだ。
また、この三項の中の細部として、「伝統主義」には「品格派」「分からないとダメ派」「低廻派」「高踏派」があり、「ロマン主義」の中に「等身大派」「文学派」「Jpop派」があり、「原理主義」の中に「コトバ派」「旧前衛派」がある。
それぞれの俳人がどこに位置しているかは本書をご覧いただきたい。人名が若干間違っているようだが、なかなかおもしろい。
振り返って川柳界のマッピングについて連想が及ぶのは自然なことだが、現代川柳全体を見渡すようなマッピングは見たことがないし、作るのは困難だろう。「伝統主義」に誰を入れるかは微妙だし、ひょっとすると誰もいないかもしれない。「分からないとダメ派」「コトバ派」などは川柳にも応用できそうだ。「ロマン主義」の中には詩性川柳・社会性川柳・「私の思い・想いを書く川柳」が全部入ってしまう。何より問題は、川柳人の中には発表の場によって作風を使い分ける傾向があるから、どこに入れてよいかわからない場合が出てきそうだ。マッピングの話は明日の柳本々々との対談で話題になるかもしれないし、ならないかもしれない。
9月20日(日)には「文学フリマ大阪」が堺市産業振興センターで開催される。
私は会場のE48にいて、「川柳カード」バックナンバーのほか、「川柳カード叢書」(きゅういち句集『ほぼむほん』、飯田良祐句集『実朝の首』、久保田紺句集『大阪のかたち』)、「THANATOS石部明」などを並べる予定である。
「クプラス」2号の付録「平成二十六年俳諧國之概略」が話題になっている。
現代の俳人たちを「伝統主義」「ロマン主義」「原理主義」に分けてマッピングしたものだ。俳人たちの位置づけには異論がでるだろうが、興味深い試みだし、見ていて十分楽しめる。
By上田信治・高山れおな・古脇語・山田耕司とあるから、この四人で考えたもののようだ。「原理主義」って何?とか思うので、まず図の構造について一瞥してみよう。
「平成二十六年の俳句界をマッピングしてみたらこんなことになった」は上掲の四人による座談会で、山田はこんなふうに語っている。
山田 まず《伝統/前衛》という形式をめぐる対立と別に、形式を利用して何かを述べる《ロマン主義》という領域を仮設する。社会性俳句なども含む「語るべきドラマを持つ」スタイルです。そのことによってワタシ語り等の系譜も見えやすくなります。
一方《伝統主義》は、厳然として存在する俳句の、その存在を疑わないという主義。師匠の言ったことを一言一句ゆるがせにしないという姿勢の問題でもある。《伝統主義》がマナーとしての俳句であるのに対して《原理主義》は言語表現としての俳句を対象化し、詩歌および表現することそのものの広い領域を批評の座に組み込もうとします。かつ、現状を疑い、ともすればあるべき理想へと傾斜してゆく。
この発言を受けて上田はさらに次のように言う。
上田 山田さんが三項に分けた時点で、蛇のシッポ呑み的な運動をはらんだ図になることは必然でした。その意図を引き継ぐために、三項のどの一つも、他の二つと対立軸があるように定義すべきだと考えました。《伝統とロマン》にあって《原理》にないものは〈大衆性〉です。《ロマンと原理》にあって《伝統》にないものは〈新しさ〉。《伝統と原理》にあって《ロマン》にないものは〈専門性〉です。
これ以上の引用は避けるが、「伝統主義」(「俳句は変わらない」)と「ロマン主義」(「自分の俳句」)には「大衆性」(共感性/了解性を志向、共同性を志向)があり、「ロマン主義」と「原理主義」(「俳句とは?」)には「新しさ」(現代性を志向、詩性/芸術性を志向)があり、「伝統主義」と「原理主義」には「専門性」(純粋性を志向)があるというわけだ。
また、この三項の中の細部として、「伝統主義」には「品格派」「分からないとダメ派」「低廻派」「高踏派」があり、「ロマン主義」の中に「等身大派」「文学派」「Jpop派」があり、「原理主義」の中に「コトバ派」「旧前衛派」がある。
それぞれの俳人がどこに位置しているかは本書をご覧いただきたい。人名が若干間違っているようだが、なかなかおもしろい。
振り返って川柳界のマッピングについて連想が及ぶのは自然なことだが、現代川柳全体を見渡すようなマッピングは見たことがないし、作るのは困難だろう。「伝統主義」に誰を入れるかは微妙だし、ひょっとすると誰もいないかもしれない。「分からないとダメ派」「コトバ派」などは川柳にも応用できそうだ。「ロマン主義」の中には詩性川柳・社会性川柳・「私の思い・想いを書く川柳」が全部入ってしまう。何より問題は、川柳人の中には発表の場によって作風を使い分ける傾向があるから、どこに入れてよいかわからない場合が出てきそうだ。マッピングの話は明日の柳本々々との対談で話題になるかもしれないし、ならないかもしれない。
9月20日(日)には「文学フリマ大阪」が堺市産業振興センターで開催される。
私は会場のE48にいて、「川柳カード」バックナンバーのほか、「川柳カード叢書」(きゅういち句集『ほぼむほん』、飯田良祐句集『実朝の首』、久保田紺句集『大阪のかたち』)、「THANATOS石部明」などを並べる予定である。
2015年9月4日金曜日
川柳は「卑屈」なのか
7月4日に青森の「おかじょうき川柳社」主催による「川柳ステーション」が開催された。トークセッションのテーマは「川柳の弱点」。ゲストは歌人の荻原裕幸である。
荻原はツイッター(7月7日)で次のように書いている。
おかじょうき川柳社の大会「川柳ステーション」のため、数日、青森に滞在していた。大会選者をつとめ、トークセッションに出演。相方&司会は、おかじょうきの、Sinさん。「川柳の弱点」と題されたトークは、表現論を背景にした、場の問題として展開。毒のない口調で毒のある話をしてしまったかも。
「毒のある話」というからどんなトークがなされたのか気になっていたが、「おかじょうき」8月号でその詳細を読むことができた。確かに「毒のある話」で、その中には特定の川柳人に対する個人攻撃も含まれている。
荻原は川柳の外部から川柳のあり方についての批判を続けており、これまで私は彼の提言を貴重なものと受け止めてきた。しかし、今回のトークには納得できないところが多いので、彼の発言の内容を検討してみることにしたい。
2001年4月15日にホテル・アウィーナ大阪で開催された「川柳ジャンクション」で荻原は「川柳には自己規定がない」という発言をして大きな波紋を呼んだ。その発言の真意をSinが質問している。まず、発言の態度・姿勢に問題がある(以下、Oは荻原、SはSinの発言)。
O 真意というか、本当に正にそのとおりなんですが、特に何が言いたかったかというと、ここで喋っていいかどうか難しいところですけど(笑)
S 大丈夫です。ここは居酒屋ですから(笑)
O じゃ居酒屋っていうことで、壁に向かってお話をさせていただきますが(笑)
私たちは居酒屋で人の悪口を言うこともあるし、不満をぶつけることもある。「居酒屋談義」である。けれども、それを活字化して雑誌のかたちで流布させるのは、まったく次元の異なる責任をともなう行為となる。では、その内容は?
O のちにバックストロークのメンバーになったような方たちというのは作句風が全く違うにもかかわらず、川柳と名のつくものを否定するということを常に避けているような感じが僕にはあったんですよね。例えば古くからある結社の方々と、詩性川柳というふうな呼ばれ方をされるような作品に影響を受けた人たちって、そうそう接点があるわけじゃないはずなんですけれども、互いにというか否定しあわないですよね。お互いの存在を認めている。もっと言うと、新聞に投稿している、それもどこかの結社にいる人たちじゃなくてたまたま新聞の社会面の時事川柳かなんかに投稿する作品、それからもっと言えばコンテストですね、サラリーマン川柳も、あれも川柳ですと言い切るんですね。
誰かを批判しようとするときには、その批判対象が明確でなくてはならない。「のちにバックストロークのメンバーになったような方たち」とは誰のことを指しているのだろう。石部明だろうか、石田柊馬、樋口由紀子だろうか。私は寡聞にしてこの三人が「サラリーマン川柳」を認める発言をしているのを聞いたことがない。どのジャンルにも先端的な部分とそうでない部分とがあるが、短歌では本当に互いを認めあわない、相手を「短歌ではない」と否定し合っているのだろうか。「新聞短歌」は短歌ではないと歌壇の人は公言しているのだろうか。
O ただ、サラリーマン川柳がいいとか悪いとかいう問題ではなくて、ジャンル内の小さなジャンルですよね、あれごと肯定しておいてですね、で、何だか色々難解な句を普段ご自身は書いてるわけですよね、それが両方成り立つような理屈というのは恐らくちょっと難しいんじゃないかと思うんです。だから、本当を言えば、ちゃんと認めてないのに、あれも川柳ですよってものすごく取り込みたがるその感じが川柳自体を分からなくしているというか、その人の川柳観を分からなくするので、そういう意味で川柳の人は自分たちが何をやっているのかという語り方が下手なんじゃないかなってふうに思ったんですよ。
ここに荻原の川柳観が表われている。「サラリーマン川柳」「時事川柳」などの属性川柳に対してもっと強く自信をもって「文芸的川柳」をアピールするべきだというのだろう。「ジャンル内ジャンル」については俳句・短歌・川柳でそれぞれの事情があるが、ジャンル内ジャンルを認めるか否定するかは発信の場や状況によるのであって、創作の現場においてはもちろん自分の信じる作品を書くだろうが、啓蒙的文章やジャンル全体を見渡すような文章においては、多様なジャンル内作品のすぐれた作品を取り上げるのが普通だろう。
正直言って「自己規定」発言について今さら蒸し返したくはないのだが、荻原が自ら「真意」なるものを語った以上、当時の発言を確認せざるを得ない。「川柳ジャンクション2001」のテープ起こしをしたプリントが手元にあるので参照すると、荻原の発言は次のようなものであった。
O 川柳の場所をそんなにたくさん見ているわけではありませんが、自己規定ということにおそらくジャンルそのものがあまり関心をもてないんですかね。へたなのか関心がないのかわかりませんけれども。これが外から見ていてすごく気になるところで、それが川柳の特性なのか、作品一辺倒というところがある。
川柳のように、ジャンルとしての自己規定がなされないとどういうことが起きるか。ひとつは、作品がいくら元気でも、歴史とか流れのなかでひとつのかたまりとして見えてこない。たしかにあるということはみんなわかっていても、ジャンルとしての意識がとても希薄になっているように見えるんですよね。川柳の人たちに川柳って何ですかと訊いたときに、そんな質問を受けること自体が意外だというような反応が返ってくる。
このときの荻原は「ジャンルとしての自己規定」を語っており、今回のトークでは「ジャンル内ジャンル」にシフトしている。「自己規定」の内容が微妙に変化しているように私には感じられる。
Sinは「短歌ヴァーサス」に触れて、次のように発言している。
S 僕の前後どちらかに書かれてましたけど、あの樋口由紀子さんですら、他のジャンルに負けていられないみたいな気負った文章を書いてるんですよ。昨日の会話の中でも「樋口由紀子さんは何であんなに卑屈なんだろう」という話を荻原さんもしてましたけど。
他人を批判する場合は、自らも傷つくことを覚悟で、自らの責任で批判するのが本当だろう。Sinが荻原の名を借りて、荻原の陰に隠れるようなかたちで、樋口について批判的な言葉を述べているのはフェアではない。
念のため「短歌ヴァーサス」7号の樋口の文章「立体的と平面的」を読み直してみた。樋口は塚本邦雄が亡くなったことに触れて、こんなふうに書いている。
川柳には塚本邦雄が存在しなかった。「隣の花は赤い」ではないが、彼のような先達を生まなかった土壌、育たなかった環境を思った。
短歌と比べて川柳には塚本邦雄のような大きな存在が生まれなかったと嘆くことは「卑屈」なことであろうか。
Sinの発言を受けて荻原の発言が続く。
O 個人名なので、目の前にいると喋りやすいんですけどね(笑)、卑屈ってとこだけが一人歩きすると非常に大変なので、要はあれだけ立派な仕事をしているのにそこから考えると何故卑屈に見えるような態度をとるんだろうと、そういうニュアンスですね。作品をご自身の川柳観に従って書いているわけで、いい作品書かれてますし、いい句集まとめられてるのですけども、川柳のこと語るときに、さっきの自己規定の話じゃないですけどね、やっぱり自分が本当のところいいと思うものが何かよく分らなくなるような全方位肯定的な文章を見かけるものですから、どうしてもそんな印象を受けたということですよね。
私の疑問は「全方位肯定的な文章」は「卑屈」なのかということと、そのような文章を樋口がいつどこで書いているのかということである。私は樋口の書く文章をすべて肯定するわけではないし、彼女の文章に弱点や不満を感じることもある。けれども、それを批判するときには批判の根拠を明確に示すだろうし、「卑屈」というような人格否定的な言葉は使わないだろう。
荻原は一方で樋口の仕事を評価しているから、この程度の発言は許容範囲だと思ったのだろう。川柳人は人がいいので、川柳のために言いにくいことをよく言ってくれたと好意的に受け止める向きがあるかもしれない。荻原は好きな作家として真っ先に樋口の名を挙げている。けれども、最も代表的な川柳人が「卑屈」だとしたら、それは川柳が「卑屈」だというのと同じである。
私は荻原の「居酒屋談義」レベルでの発言を残念に思うし、荻原発言を誘導し追随したSinに不信感を持つ。
「バックストロークin名古屋」(2011年9月)ではパネラーに荻原を招いた。「バックストローク」36号では、そのシンポジウムに「川柳が文芸になるとき」というタイトルを付けている。このタイトルは荻原の提言を受けて私が付けたものであって、「文芸としての川柳」を確立することは私を含めた多くの川柳人の願いである。それはなかなかうまくゆかず、他ジャンルに対する川柳側の説明責任が不十分だったとしても、私たちが「卑屈」であったことは一度もない。
名古屋でのシンポジウムの最後で荻原はこんなことを言っている。
O 今日は十年前にしゃべったことが引っ張られてきたので大変でしたが(笑)、次は十年後の2021年にぜひ呼んでいただきたいと思います。
「バックストローク」はすでに存在しないが、いつか再び荻原と公の場で語り合う機会が来るかもしれない。私はその機会を楽しみにしている。そのとき現代川柳はどのような状況になっているだろうか。
荻原はツイッター(7月7日)で次のように書いている。
おかじょうき川柳社の大会「川柳ステーション」のため、数日、青森に滞在していた。大会選者をつとめ、トークセッションに出演。相方&司会は、おかじょうきの、Sinさん。「川柳の弱点」と題されたトークは、表現論を背景にした、場の問題として展開。毒のない口調で毒のある話をしてしまったかも。
「毒のある話」というからどんなトークがなされたのか気になっていたが、「おかじょうき」8月号でその詳細を読むことができた。確かに「毒のある話」で、その中には特定の川柳人に対する個人攻撃も含まれている。
荻原は川柳の外部から川柳のあり方についての批判を続けており、これまで私は彼の提言を貴重なものと受け止めてきた。しかし、今回のトークには納得できないところが多いので、彼の発言の内容を検討してみることにしたい。
2001年4月15日にホテル・アウィーナ大阪で開催された「川柳ジャンクション」で荻原は「川柳には自己規定がない」という発言をして大きな波紋を呼んだ。その発言の真意をSinが質問している。まず、発言の態度・姿勢に問題がある(以下、Oは荻原、SはSinの発言)。
O 真意というか、本当に正にそのとおりなんですが、特に何が言いたかったかというと、ここで喋っていいかどうか難しいところですけど(笑)
S 大丈夫です。ここは居酒屋ですから(笑)
O じゃ居酒屋っていうことで、壁に向かってお話をさせていただきますが(笑)
私たちは居酒屋で人の悪口を言うこともあるし、不満をぶつけることもある。「居酒屋談義」である。けれども、それを活字化して雑誌のかたちで流布させるのは、まったく次元の異なる責任をともなう行為となる。では、その内容は?
O のちにバックストロークのメンバーになったような方たちというのは作句風が全く違うにもかかわらず、川柳と名のつくものを否定するということを常に避けているような感じが僕にはあったんですよね。例えば古くからある結社の方々と、詩性川柳というふうな呼ばれ方をされるような作品に影響を受けた人たちって、そうそう接点があるわけじゃないはずなんですけれども、互いにというか否定しあわないですよね。お互いの存在を認めている。もっと言うと、新聞に投稿している、それもどこかの結社にいる人たちじゃなくてたまたま新聞の社会面の時事川柳かなんかに投稿する作品、それからもっと言えばコンテストですね、サラリーマン川柳も、あれも川柳ですと言い切るんですね。
誰かを批判しようとするときには、その批判対象が明確でなくてはならない。「のちにバックストロークのメンバーになったような方たち」とは誰のことを指しているのだろう。石部明だろうか、石田柊馬、樋口由紀子だろうか。私は寡聞にしてこの三人が「サラリーマン川柳」を認める発言をしているのを聞いたことがない。どのジャンルにも先端的な部分とそうでない部分とがあるが、短歌では本当に互いを認めあわない、相手を「短歌ではない」と否定し合っているのだろうか。「新聞短歌」は短歌ではないと歌壇の人は公言しているのだろうか。
O ただ、サラリーマン川柳がいいとか悪いとかいう問題ではなくて、ジャンル内の小さなジャンルですよね、あれごと肯定しておいてですね、で、何だか色々難解な句を普段ご自身は書いてるわけですよね、それが両方成り立つような理屈というのは恐らくちょっと難しいんじゃないかと思うんです。だから、本当を言えば、ちゃんと認めてないのに、あれも川柳ですよってものすごく取り込みたがるその感じが川柳自体を分からなくしているというか、その人の川柳観を分からなくするので、そういう意味で川柳の人は自分たちが何をやっているのかという語り方が下手なんじゃないかなってふうに思ったんですよ。
ここに荻原の川柳観が表われている。「サラリーマン川柳」「時事川柳」などの属性川柳に対してもっと強く自信をもって「文芸的川柳」をアピールするべきだというのだろう。「ジャンル内ジャンル」については俳句・短歌・川柳でそれぞれの事情があるが、ジャンル内ジャンルを認めるか否定するかは発信の場や状況によるのであって、創作の現場においてはもちろん自分の信じる作品を書くだろうが、啓蒙的文章やジャンル全体を見渡すような文章においては、多様なジャンル内作品のすぐれた作品を取り上げるのが普通だろう。
正直言って「自己規定」発言について今さら蒸し返したくはないのだが、荻原が自ら「真意」なるものを語った以上、当時の発言を確認せざるを得ない。「川柳ジャンクション2001」のテープ起こしをしたプリントが手元にあるので参照すると、荻原の発言は次のようなものであった。
O 川柳の場所をそんなにたくさん見ているわけではありませんが、自己規定ということにおそらくジャンルそのものがあまり関心をもてないんですかね。へたなのか関心がないのかわかりませんけれども。これが外から見ていてすごく気になるところで、それが川柳の特性なのか、作品一辺倒というところがある。
川柳のように、ジャンルとしての自己規定がなされないとどういうことが起きるか。ひとつは、作品がいくら元気でも、歴史とか流れのなかでひとつのかたまりとして見えてこない。たしかにあるということはみんなわかっていても、ジャンルとしての意識がとても希薄になっているように見えるんですよね。川柳の人たちに川柳って何ですかと訊いたときに、そんな質問を受けること自体が意外だというような反応が返ってくる。
このときの荻原は「ジャンルとしての自己規定」を語っており、今回のトークでは「ジャンル内ジャンル」にシフトしている。「自己規定」の内容が微妙に変化しているように私には感じられる。
Sinは「短歌ヴァーサス」に触れて、次のように発言している。
S 僕の前後どちらかに書かれてましたけど、あの樋口由紀子さんですら、他のジャンルに負けていられないみたいな気負った文章を書いてるんですよ。昨日の会話の中でも「樋口由紀子さんは何であんなに卑屈なんだろう」という話を荻原さんもしてましたけど。
他人を批判する場合は、自らも傷つくことを覚悟で、自らの責任で批判するのが本当だろう。Sinが荻原の名を借りて、荻原の陰に隠れるようなかたちで、樋口について批判的な言葉を述べているのはフェアではない。
念のため「短歌ヴァーサス」7号の樋口の文章「立体的と平面的」を読み直してみた。樋口は塚本邦雄が亡くなったことに触れて、こんなふうに書いている。
川柳には塚本邦雄が存在しなかった。「隣の花は赤い」ではないが、彼のような先達を生まなかった土壌、育たなかった環境を思った。
短歌と比べて川柳には塚本邦雄のような大きな存在が生まれなかったと嘆くことは「卑屈」なことであろうか。
Sinの発言を受けて荻原の発言が続く。
O 個人名なので、目の前にいると喋りやすいんですけどね(笑)、卑屈ってとこだけが一人歩きすると非常に大変なので、要はあれだけ立派な仕事をしているのにそこから考えると何故卑屈に見えるような態度をとるんだろうと、そういうニュアンスですね。作品をご自身の川柳観に従って書いているわけで、いい作品書かれてますし、いい句集まとめられてるのですけども、川柳のこと語るときに、さっきの自己規定の話じゃないですけどね、やっぱり自分が本当のところいいと思うものが何かよく分らなくなるような全方位肯定的な文章を見かけるものですから、どうしてもそんな印象を受けたということですよね。
私の疑問は「全方位肯定的な文章」は「卑屈」なのかということと、そのような文章を樋口がいつどこで書いているのかということである。私は樋口の書く文章をすべて肯定するわけではないし、彼女の文章に弱点や不満を感じることもある。けれども、それを批判するときには批判の根拠を明確に示すだろうし、「卑屈」というような人格否定的な言葉は使わないだろう。
荻原は一方で樋口の仕事を評価しているから、この程度の発言は許容範囲だと思ったのだろう。川柳人は人がいいので、川柳のために言いにくいことをよく言ってくれたと好意的に受け止める向きがあるかもしれない。荻原は好きな作家として真っ先に樋口の名を挙げている。けれども、最も代表的な川柳人が「卑屈」だとしたら、それは川柳が「卑屈」だというのと同じである。
私は荻原の「居酒屋談義」レベルでの発言を残念に思うし、荻原発言を誘導し追随したSinに不信感を持つ。
「バックストロークin名古屋」(2011年9月)ではパネラーに荻原を招いた。「バックストローク」36号では、そのシンポジウムに「川柳が文芸になるとき」というタイトルを付けている。このタイトルは荻原の提言を受けて私が付けたものであって、「文芸としての川柳」を確立することは私を含めた多くの川柳人の願いである。それはなかなかうまくゆかず、他ジャンルに対する川柳側の説明責任が不十分だったとしても、私たちが「卑屈」であったことは一度もない。
名古屋でのシンポジウムの最後で荻原はこんなことを言っている。
O 今日は十年前にしゃべったことが引っ張られてきたので大変でしたが(笑)、次は十年後の2021年にぜひ呼んでいただきたいと思います。
「バックストローク」はすでに存在しないが、いつか再び荻原と公の場で語り合う機会が来るかもしれない。私はその機会を楽しみにしている。そのとき現代川柳はどのような状況になっているだろうか。
2015年8月28日金曜日
晩夏の妄言―『松田俊彦句集』と「川柳木馬」
『松田俊彦句集』が「葉ね文庫」に置かれるようになって、改めて句集を読む人があったようだ。川柳人・松田俊彦は2012年8月10日に亡くなった。没後三年が経過したことになる。句集は2013年10月に発行された。表紙は大学ノート仕立てで、句集名はなく、「松田俊彦」の署名だけが印刷してある。松田は「バックストローク」の大会にも参加していたし、「浪速の芭蕉祭」川柳の部にも投句していたので、伝統派の川柳人でありながら、現代川柳全体にも目配りできる人だった。
待っている大きなものの名を忘れ 松田俊彦
きりんの死きりんを入れる箱がない
大至急会おう私であるうちに
他人ならここで手をふるだけでいい
海から先を考えていなかった
私は生前の松田とあまり接点がなかったが、「バックストロークin名古屋」で松田は特選をとっている。また平成24年・浪速の芭蕉祭の作品は彼の没後に応募葉書が届いたことを覚えている。
きっとならさっき誰かがもってった バックストロークin名古屋
ぎりぎりのところで水になっている 平成22年・浪速の芭蕉祭
間違えて押した小道具出てしまう 平成24年・浪速の芭蕉祭
「川柳木馬」145号(2015・夏)から何句かピックアップしてみる。
隈取りを描いて辞表を出しにゆく 畑山弘
仕事を辞めて第二の人生がはじまる。
誕生・結婚などと並んで退職は一種の通過儀礼である。大げさに言えば人はそこで変身するのだ。在職中は嫌なことやストレスがたまることもあっただろうが、辞表をたたきつけるのはさぞ快感だろうし、歌舞伎のように見得を切りたくもなるだろう。「ポケットの中のポケットより哄笑」「蓑虫の天地無用という姿勢」
排卵日有精卵の黄身を呑む 大野美恵
体内から出て行く卵と体内に取り入れる卵。
女の身体と自ら向き合って作句している。
今号の中ではこの作者に最も衝撃を感じた。
「突き上げる産道よりのレモン水」「逆上がり口から垂れる性癖」
林檎をおくと遅れはじめる時間 内田万貴
林檎をおくとなぜ時間が遅れはじめるのかという問いは無効である。
説明すればできるかも知れないが、句をつまらなくしてしまう。
物と意識の関係なのだろう。
「ああ人はむかしむかし鳥だったのかもしれないね」(中島みゆき「この空を飛べたら」)というフレーズが人の共感を得るのは、「鳥は空を飛ぶもの」というプロトタイプがあるからである。ペンギンはこの歌に疎外感を感じている。
「出自を問われ鳥図鑑あけている」(内田万貴)
どこからか雅楽 徘徊老人も 古谷恭一
「採桑老」という雅楽がある。
俵屋宗達の「舞楽図」にも描かれている。
不老不死を求める老人の姿。人は誰でも死にたくはないのだ。
かつて古谷恭一は「三姉妹」の句を書いた。今回は「老年」と向かい合っている。
「うつ伏せに眠る辺りは花畑」「老人を放つ残酷ゲームです」
ここに来て黙って座っていればいいのよ 西川富恵
何もしゃべることがない沈黙と語り出せばきりがないための沈黙とがある。
西川富恵は「川柳木馬」の創刊メンバー。
『現代川柳の群像』を開くと西川の次の句に出合った。
こころざし高く麦藁帽子一つ
石部明はこの句を西川富恵論のタイトルにあげている。
数日を群れてみせしめのダリア 清水かおり
ダリアが群生している。
数日経過すると中には枯れたり衰えたりするものも出てくる。
それだけなら単なる風景だが、「みせしめの」と入れることによって川柳にしている。
「みせしめ」と感じたのは作者の主観だが、何が(誰が)何に対する(誰に対する)見せしめなのかは微妙だ。
清水は巻頭言でこんなことを書いている。
「現代川柳は読者の読みに委ねられる部分が大きい。作者が読者の読みを否定することは、自身の力量を問われることでもある。しかし、一方で、作者は読者への委ねに凭れることのない意識を持って書くことが大切である。言葉と言葉を置けばそこに何かが生まれるだろうと思うのはあまりに楽観的すぎるからだ。理念などと大げさなものではないが、ただ、自分の中の核を意識して作品を創ることは忘れないでいたい」
正論であるが、こういう意識が逆に表現を縛ったり、作者にはね返ってきたりすると生産的でなくなるかも知れないと思った。
「万物の声に埋もれるまで神楽」「本音なら黒いズボンを穿いて来る」
待っている大きなものの名を忘れ 松田俊彦
きりんの死きりんを入れる箱がない
大至急会おう私であるうちに
他人ならここで手をふるだけでいい
海から先を考えていなかった
私は生前の松田とあまり接点がなかったが、「バックストロークin名古屋」で松田は特選をとっている。また平成24年・浪速の芭蕉祭の作品は彼の没後に応募葉書が届いたことを覚えている。
きっとならさっき誰かがもってった バックストロークin名古屋
ぎりぎりのところで水になっている 平成22年・浪速の芭蕉祭
間違えて押した小道具出てしまう 平成24年・浪速の芭蕉祭
「川柳木馬」145号(2015・夏)から何句かピックアップしてみる。
隈取りを描いて辞表を出しにゆく 畑山弘
仕事を辞めて第二の人生がはじまる。
誕生・結婚などと並んで退職は一種の通過儀礼である。大げさに言えば人はそこで変身するのだ。在職中は嫌なことやストレスがたまることもあっただろうが、辞表をたたきつけるのはさぞ快感だろうし、歌舞伎のように見得を切りたくもなるだろう。「ポケットの中のポケットより哄笑」「蓑虫の天地無用という姿勢」
排卵日有精卵の黄身を呑む 大野美恵
体内から出て行く卵と体内に取り入れる卵。
女の身体と自ら向き合って作句している。
今号の中ではこの作者に最も衝撃を感じた。
「突き上げる産道よりのレモン水」「逆上がり口から垂れる性癖」
林檎をおくと遅れはじめる時間 内田万貴
林檎をおくとなぜ時間が遅れはじめるのかという問いは無効である。
説明すればできるかも知れないが、句をつまらなくしてしまう。
物と意識の関係なのだろう。
「ああ人はむかしむかし鳥だったのかもしれないね」(中島みゆき「この空を飛べたら」)というフレーズが人の共感を得るのは、「鳥は空を飛ぶもの」というプロトタイプがあるからである。ペンギンはこの歌に疎外感を感じている。
「出自を問われ鳥図鑑あけている」(内田万貴)
どこからか雅楽 徘徊老人も 古谷恭一
「採桑老」という雅楽がある。
俵屋宗達の「舞楽図」にも描かれている。
不老不死を求める老人の姿。人は誰でも死にたくはないのだ。
かつて古谷恭一は「三姉妹」の句を書いた。今回は「老年」と向かい合っている。
「うつ伏せに眠る辺りは花畑」「老人を放つ残酷ゲームです」
ここに来て黙って座っていればいいのよ 西川富恵
何もしゃべることがない沈黙と語り出せばきりがないための沈黙とがある。
西川富恵は「川柳木馬」の創刊メンバー。
『現代川柳の群像』を開くと西川の次の句に出合った。
こころざし高く麦藁帽子一つ
石部明はこの句を西川富恵論のタイトルにあげている。
数日を群れてみせしめのダリア 清水かおり
ダリアが群生している。
数日経過すると中には枯れたり衰えたりするものも出てくる。
それだけなら単なる風景だが、「みせしめの」と入れることによって川柳にしている。
「みせしめ」と感じたのは作者の主観だが、何が(誰が)何に対する(誰に対する)見せしめなのかは微妙だ。
清水は巻頭言でこんなことを書いている。
「現代川柳は読者の読みに委ねられる部分が大きい。作者が読者の読みを否定することは、自身の力量を問われることでもある。しかし、一方で、作者は読者への委ねに凭れることのない意識を持って書くことが大切である。言葉と言葉を置けばそこに何かが生まれるだろうと思うのはあまりに楽観的すぎるからだ。理念などと大げさなものではないが、ただ、自分の中の核を意識して作品を創ることは忘れないでいたい」
正論であるが、こういう意識が逆に表現を縛ったり、作者にはね返ってきたりすると生産的でなくなるかも知れないと思った。
「万物の声に埋もれるまで神楽」「本音なら黒いズボンを穿いて来る」
2015年8月14日金曜日
小さな物語をつなぐ〈と〉
先週は栃木県に旅行した。那須高原の温泉を巡り、『奥の細道』にも出てくる殺生石を見ることができた。芭蕉はこんなふうに書いている。
「殺生石は、温泉の出づる山かげにあり。石の毒気いまだほろびず、蜂・蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほど、かさなり死す」
硫化水素が発生するので虫や小動物が死ぬのだが、今はそれほどでもなく、硫黄のようなにおいがするだけである。地元の人の話では以前はもっと蒸気・煙が出ていたということだ。九尾の狐の伝説があり、玉藻の前に化けているのを陰陽師によって見現わせられて、那須野まで逃げて石になったということだ。石は三つに割れ、ひとつは岡山に、ひとつは会津に飛んだという。残りの一つが那須にあるのだが、注連縄を張られているのでそれと分かる。「奥の細道」関連では遊行柳にも行きたかったが、芦野温泉は少し離れたところにあるので果たせなかった。あと、猪苗代兼載のゆかりの地も那須にあるのだが、これは行きにくいところにあるのであきらめた。
大阪では文楽11月公演で「玉藻前」を上演するようなので、今から楽しみにしている。
8月2日に大阪・中崎町の「とととと展」に行った。
岡野大嗣の歌集『サイレンと犀』と安福望の『食器と食パンとペン』にちなんだイベントである。二冊のタイトルに含まれる〈と〉がキイ・ワードらしい。
イラストレーターの安福望はツイッターの「食器と食パンとペン」で現代短歌に自らのイラストを添えて発表している。毎日更新というのがすごい。それがキノブックスから一書にまとめられて出版された。
岡野大嗣歌集『サイレンと犀』(新鋭短歌叢書)の表紙とイラストも安福が担当していて、当日は岡野・安福・柳本々々によるクロストークがあった。
進行役の柳本は「ことばのプロ(岡野)」と「絵のプロ(安福)」の間にはさまれて、自分が語れるのは漫画の話だというふうに切り出して、岡野・安福の好きだという漫画と通底するものを彼らの作品の中にさぐりながら話を進めた。
たとえば、岡野の好きだという新井英樹の『ザ・ワールド・イズ・マイン』を紹介したあと、「バイオレンスとデジタル」という観点から岡野の短歌を取り上げていく。
【岡野バイオレンス短歌集】
まだだ のり弁掻き込んでいるときに後頭部から撃たれる夢だ
雨やみに遊具から血の香りしてほんものの血のにおいに混じる
近づけば踏み潰す気で見ていたら鳩は僕との距離を保った
【岡野デジタル短歌集】
ジーザスがチャプター2まで巻き戻し平時を取り戻す5番街
This video has been deleted. そのようにメダカの絶えた水槽を見る
こんな調子で進行していったが、句と漫画・映像とを結びつけた説明は分かりやすい。活字作品を活字や言葉から説明するのではなくて、別の映像と取り合わせることによって新たな光を当てる。そのあたりに〈と〉の効果がある。当日の柳本の言葉によると「大きな物語ではなく、小さな物語を〈と〉でつないでいって、小さな物語をたくさん作ってゆく」ということだろう。
絵川柳の試みとしては、御前田あなたのブログ「いつだって最終回」があり、これはツイッターでも見ることができるが、同様の試みをする人がもっと出てきたらおもしろいと思う。
「子規新報」171号の「次代を担う俳人たち」、中山奈々が取り上げられている。
文中に「川柳カード」誌上大会での中山の句が紹介されている。
世界制服のカフスが鶏冠なり 中山奈々
中山の言葉として「俳句の良し悪しを言うときに『川柳だ』と評することがあるが、そもそも川柳はどう捉えられているか。単に俳句らしくないイコール川柳と安易に考えてしまうひとが多いこと」という発言が引用されている。子規新報の紹介を書いているのは三宅やよい。三宅も川柳のことをよく理解している俳人のひとりである。
8月10日、朝日新聞朝刊の俳壇・歌壇のページ、「うたをよむ」の欄に西村麒麟が八田木枯の俳句について書いている。西村麒麟は「川柳カード」9号に寄稿してもらっている若手俳人。西村が引用しているのは次のような句である。
戦友にばつたりとあふ蟬の穴 八田木枯
戦中をころげまはりしラムネ玉
川柳に興味をもった人がインターネットで検索しようとしても、サラリーマン川柳などのページしか出てこない。全日本川柳協会のホームページは地域別に川柳結社を一覧化しているが、協会に入っている結社だけであり、また結社のページに飛んでもアドレスが古くて行き着けなかったり、欲しい情報が手に入らないことが多い。「川柳マガジン」のブログのなかでは新家完司のブログがいろいろな大会案内を比較的よく掲載している。リンクをたどって求める場所にたどりつくしかないのだが、私としては「川柳カード」のホームページや「週刊川柳時評」「金曜日の川柳」などを読んでくださいと言っておこう。入口としての情報発信のあり方は重要。連句の場合も川柳と似た状況だが、最近、「日本川柳協会」のホームページがフェイスブック対応になり、少しは利用しやすくなった。
必要があって、橋閒石の句集と非懐紙について調べている。
蝶になる途中九億九光年 橋閒石
銀河系のとある酒場のヒヤシンス
これらの句を私は凄いなと感心するばかりなのだが、20代の俳人に言わせると、「九億九光年」「銀河系」はアニメ系・SF系の言葉であり、今では別に珍しくないということだ。また、私は「橋閒石の俳句は連句的」という言い方をしているが、では「連句的」とはどういうことか、俳句の取り合わせ・二句一章とどう違うのか、と問われると説明するのは難しい。ジャンルや感性の違いを認めあいながら、それぞれの創作活動を深化させてゆくことが大切だ。
立秋を過ぎたが残暑が厳しい。みなさん、この暑さを乗り切ってください。
「殺生石は、温泉の出づる山かげにあり。石の毒気いまだほろびず、蜂・蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほど、かさなり死す」
硫化水素が発生するので虫や小動物が死ぬのだが、今はそれほどでもなく、硫黄のようなにおいがするだけである。地元の人の話では以前はもっと蒸気・煙が出ていたということだ。九尾の狐の伝説があり、玉藻の前に化けているのを陰陽師によって見現わせられて、那須野まで逃げて石になったということだ。石は三つに割れ、ひとつは岡山に、ひとつは会津に飛んだという。残りの一つが那須にあるのだが、注連縄を張られているのでそれと分かる。「奥の細道」関連では遊行柳にも行きたかったが、芦野温泉は少し離れたところにあるので果たせなかった。あと、猪苗代兼載のゆかりの地も那須にあるのだが、これは行きにくいところにあるのであきらめた。
大阪では文楽11月公演で「玉藻前」を上演するようなので、今から楽しみにしている。
8月2日に大阪・中崎町の「とととと展」に行った。
岡野大嗣の歌集『サイレンと犀』と安福望の『食器と食パンとペン』にちなんだイベントである。二冊のタイトルに含まれる〈と〉がキイ・ワードらしい。
イラストレーターの安福望はツイッターの「食器と食パンとペン」で現代短歌に自らのイラストを添えて発表している。毎日更新というのがすごい。それがキノブックスから一書にまとめられて出版された。
岡野大嗣歌集『サイレンと犀』(新鋭短歌叢書)の表紙とイラストも安福が担当していて、当日は岡野・安福・柳本々々によるクロストークがあった。
進行役の柳本は「ことばのプロ(岡野)」と「絵のプロ(安福)」の間にはさまれて、自分が語れるのは漫画の話だというふうに切り出して、岡野・安福の好きだという漫画と通底するものを彼らの作品の中にさぐりながら話を進めた。
たとえば、岡野の好きだという新井英樹の『ザ・ワールド・イズ・マイン』を紹介したあと、「バイオレンスとデジタル」という観点から岡野の短歌を取り上げていく。
【岡野バイオレンス短歌集】
まだだ のり弁掻き込んでいるときに後頭部から撃たれる夢だ
雨やみに遊具から血の香りしてほんものの血のにおいに混じる
近づけば踏み潰す気で見ていたら鳩は僕との距離を保った
【岡野デジタル短歌集】
ジーザスがチャプター2まで巻き戻し平時を取り戻す5番街
This video has been deleted. そのようにメダカの絶えた水槽を見る
こんな調子で進行していったが、句と漫画・映像とを結びつけた説明は分かりやすい。活字作品を活字や言葉から説明するのではなくて、別の映像と取り合わせることによって新たな光を当てる。そのあたりに〈と〉の効果がある。当日の柳本の言葉によると「大きな物語ではなく、小さな物語を〈と〉でつないでいって、小さな物語をたくさん作ってゆく」ということだろう。
絵川柳の試みとしては、御前田あなたのブログ「いつだって最終回」があり、これはツイッターでも見ることができるが、同様の試みをする人がもっと出てきたらおもしろいと思う。
「子規新報」171号の「次代を担う俳人たち」、中山奈々が取り上げられている。
文中に「川柳カード」誌上大会での中山の句が紹介されている。
世界制服のカフスが鶏冠なり 中山奈々
中山の言葉として「俳句の良し悪しを言うときに『川柳だ』と評することがあるが、そもそも川柳はどう捉えられているか。単に俳句らしくないイコール川柳と安易に考えてしまうひとが多いこと」という発言が引用されている。子規新報の紹介を書いているのは三宅やよい。三宅も川柳のことをよく理解している俳人のひとりである。
8月10日、朝日新聞朝刊の俳壇・歌壇のページ、「うたをよむ」の欄に西村麒麟が八田木枯の俳句について書いている。西村麒麟は「川柳カード」9号に寄稿してもらっている若手俳人。西村が引用しているのは次のような句である。
戦友にばつたりとあふ蟬の穴 八田木枯
戦中をころげまはりしラムネ玉
川柳に興味をもった人がインターネットで検索しようとしても、サラリーマン川柳などのページしか出てこない。全日本川柳協会のホームページは地域別に川柳結社を一覧化しているが、協会に入っている結社だけであり、また結社のページに飛んでもアドレスが古くて行き着けなかったり、欲しい情報が手に入らないことが多い。「川柳マガジン」のブログのなかでは新家完司のブログがいろいろな大会案内を比較的よく掲載している。リンクをたどって求める場所にたどりつくしかないのだが、私としては「川柳カード」のホームページや「週刊川柳時評」「金曜日の川柳」などを読んでくださいと言っておこう。入口としての情報発信のあり方は重要。連句の場合も川柳と似た状況だが、最近、「日本川柳協会」のホームページがフェイスブック対応になり、少しは利用しやすくなった。
必要があって、橋閒石の句集と非懐紙について調べている。
蝶になる途中九億九光年 橋閒石
銀河系のとある酒場のヒヤシンス
これらの句を私は凄いなと感心するばかりなのだが、20代の俳人に言わせると、「九億九光年」「銀河系」はアニメ系・SF系の言葉であり、今では別に珍しくないということだ。また、私は「橋閒石の俳句は連句的」という言い方をしているが、では「連句的」とはどういうことか、俳句の取り合わせ・二句一章とどう違うのか、と問われると説明するのは難しい。ジャンルや感性の違いを認めあいながら、それぞれの創作活動を深化させてゆくことが大切だ。
立秋を過ぎたが残暑が厳しい。みなさん、この暑さを乗り切ってください。
2015年7月31日金曜日
暑いのでだらだら牛のよだれのような雑感
俳誌「オルガン」2号が届いた。
巻頭、田島健一の俳句が特に私の好みに合う。季語が「いかにも季語だよ」という顔をしていないところがいいのだろう。
二兎は布から泉ながめて日の都 田島健一
箱庭に倦むライオンの眼の病気
待たされて苺の夜に立っている
太陽のこころは急ぐ海鼠かな
噴水の奥見つめ奥だらけになる
射る女子が気配をつくる眼の装飾
7月4日、青森の「おかじょうき」主催の「川柳ステーション」が開催され、トークセッションのテーマは「川柳の弱点」。荻原裕幸がどんなことを語ったのか興味があったので、誰かレポートを書いてくれないかなと思っていたら、笹田かなえがブログ(「川柳日記 一の糸」7月17日)で少し触れている。「川柳は自己規定するべき」「作風の違うにも関わらず、否定することを避けている」など荻原の持論が語られたようだが、情報が断片的なので、詳細は「おかじょうき」の発表号を待つしかない。
「川柳マガジン」8月号で「前衛川柳」の選をしたのだが、痛感するのは「伝統」「前衛」の区別がもう分からなくなっているということである。そんな区別はない方がいいという気もしないではないが、歴史としての理解すら皆無というのでは困る。私が選んだのは次のような句。
ゴーヤのつぶつぶになったはらわた語 森田律子
手錠してシロツメクサを植えていく 榊陽子
大根の鬆の中にある兜率天 井上一筒
必要があって、右城暮石の句集『声と声』を読む機会があった。
序文を山口誓子が書いている。
「右城暮石氏は『倦鳥』と『天狼』の接木作家である。『倦鳥』を台木として、それに『天狼』を接ぎ、自己を進めた作家である」
そして「伝統」について誓子はこんなふうに書く。
「伝統を新しく生かすと云ったとて、その伝統は将来、いつの日かに消えて失くなるかも知れぬ。たとえ消えて失くなるとも、現在に於いてはこれを新しく生かすことに努めねばならぬ。これが作家暮石氏の信念である」「それにしても伝統を新しく生かすことのいかに難しいことであるか、私はつくづくとそれを痛感する者である」
おもしろく思ったので、日吉館句会について平畑静塔が語っているのを書架から出してきたりしている。
風呂敷のうすくて西瓜まんまるし 右城暮石
牛肉の赤きをも蟻好むなり
綿虫を指さす誓子掴む三鬼
奈良の日吉館は取り壊されて、跡地には別の建物が建っているらしいが、8月の燈花会には奈良で連句会をする予定なので、前を通ってみようと思う。
「川柳カード」9号が発行された。
巻頭は飯島章友の句「猫の道魔の道(然れば通る) だれ」と入交佐妃の写真とのコラボ。
特集は「若手俳人は現代川柳をどう見ているか」というテーマで、松本てふこ・西村麒麟・中山奈々・久留島元の四人が執筆している。
8月29日(土)の「川柳カード9号・合評会」にはこの四氏にも参加していただく予定なので、直接話が聞けるのが楽しみだ。
よそ者として一心に踊りたる 松本てふこ
陶枕は憶良にねだるつもりなり 西村麒麟
行く春やコーラを残すなら飲むよ 中山奈々
きつね来て久遠と啼いて夏の夕 久留島元
7月5日に開催された「第66回玉野市民川柳大会」の発表誌が届く。
筒井祥文と本多洋子の共選「創」から。
バスタブと気球に女性創業者 井上一筒
タスマニアアボリジニ一族のポン酢 森茂俊
アウシュビッツで創る皇室カレンダー 村山浩吉
秋田から参加した田久保亜蘭が佳吟や準特選をたくさんとって活躍したのが目をひいた。
ポンと生まれてポンと逝く夕茜 田久保亜蘭
太陽とひとつ違いの魔女と住む
りんごだった頃バナナに煽られた
煽られてしまったままのAKB
東京のサイズでサザエさんを描く
大阪・中崎町で開催中の「とととと展」まだ行けていないので、最終日の8月2日には行きたい。
来週の時評は休みます。
巻頭、田島健一の俳句が特に私の好みに合う。季語が「いかにも季語だよ」という顔をしていないところがいいのだろう。
二兎は布から泉ながめて日の都 田島健一
箱庭に倦むライオンの眼の病気
待たされて苺の夜に立っている
太陽のこころは急ぐ海鼠かな
噴水の奥見つめ奥だらけになる
射る女子が気配をつくる眼の装飾
7月4日、青森の「おかじょうき」主催の「川柳ステーション」が開催され、トークセッションのテーマは「川柳の弱点」。荻原裕幸がどんなことを語ったのか興味があったので、誰かレポートを書いてくれないかなと思っていたら、笹田かなえがブログ(「川柳日記 一の糸」7月17日)で少し触れている。「川柳は自己規定するべき」「作風の違うにも関わらず、否定することを避けている」など荻原の持論が語られたようだが、情報が断片的なので、詳細は「おかじょうき」の発表号を待つしかない。
「川柳マガジン」8月号で「前衛川柳」の選をしたのだが、痛感するのは「伝統」「前衛」の区別がもう分からなくなっているということである。そんな区別はない方がいいという気もしないではないが、歴史としての理解すら皆無というのでは困る。私が選んだのは次のような句。
ゴーヤのつぶつぶになったはらわた語 森田律子
手錠してシロツメクサを植えていく 榊陽子
大根の鬆の中にある兜率天 井上一筒
必要があって、右城暮石の句集『声と声』を読む機会があった。
序文を山口誓子が書いている。
「右城暮石氏は『倦鳥』と『天狼』の接木作家である。『倦鳥』を台木として、それに『天狼』を接ぎ、自己を進めた作家である」
そして「伝統」について誓子はこんなふうに書く。
「伝統を新しく生かすと云ったとて、その伝統は将来、いつの日かに消えて失くなるかも知れぬ。たとえ消えて失くなるとも、現在に於いてはこれを新しく生かすことに努めねばならぬ。これが作家暮石氏の信念である」「それにしても伝統を新しく生かすことのいかに難しいことであるか、私はつくづくとそれを痛感する者である」
おもしろく思ったので、日吉館句会について平畑静塔が語っているのを書架から出してきたりしている。
風呂敷のうすくて西瓜まんまるし 右城暮石
牛肉の赤きをも蟻好むなり
綿虫を指さす誓子掴む三鬼
奈良の日吉館は取り壊されて、跡地には別の建物が建っているらしいが、8月の燈花会には奈良で連句会をする予定なので、前を通ってみようと思う。
「川柳カード」9号が発行された。
巻頭は飯島章友の句「猫の道魔の道(然れば通る) だれ」と入交佐妃の写真とのコラボ。
特集は「若手俳人は現代川柳をどう見ているか」というテーマで、松本てふこ・西村麒麟・中山奈々・久留島元の四人が執筆している。
8月29日(土)の「川柳カード9号・合評会」にはこの四氏にも参加していただく予定なので、直接話が聞けるのが楽しみだ。
よそ者として一心に踊りたる 松本てふこ
陶枕は憶良にねだるつもりなり 西村麒麟
行く春やコーラを残すなら飲むよ 中山奈々
きつね来て久遠と啼いて夏の夕 久留島元
7月5日に開催された「第66回玉野市民川柳大会」の発表誌が届く。
筒井祥文と本多洋子の共選「創」から。
バスタブと気球に女性創業者 井上一筒
タスマニアアボリジニ一族のポン酢 森茂俊
アウシュビッツで創る皇室カレンダー 村山浩吉
秋田から参加した田久保亜蘭が佳吟や準特選をたくさんとって活躍したのが目をひいた。
ポンと生まれてポンと逝く夕茜 田久保亜蘭
太陽とひとつ違いの魔女と住む
りんごだった頃バナナに煽られた
煽られてしまったままのAKB
東京のサイズでサザエさんを描く
大阪・中崎町で開催中の「とととと展」まだ行けていないので、最終日の8月2日には行きたい。
来週の時評は休みます。
2015年7月24日金曜日
川の話 ― 連句フェスタ宗祇水
夜明け前にはカジカの声が聞こえた。
民宿のそばには小駄良川が流れている。以前、赤目四十八滝に行ったときにも同じ声を聞いたので、間違いはない。夜が明けるまでの二時間くらい、寝床のなかで夢幻のような蛙の声を聞いていた。
郡上八幡の「連句フェスタ宗祇水」は今年で29回目を迎える。前日の7月18日(土)に郡上に入った。台風通過の翌日なので行き着けるか心配で、現に大阪環状線はストップしていたので、地下鉄で新大阪へ。新幹線で名古屋までゆき、名古屋から美濃太田までは「特急ひだ」に乗車。美濃太田からは長良川鉄道である。この鉄道ははじめて利用するので楽しみにしていた(前回は高速バス)。長良川は濁っていた。清流を期待していたのだが、相手は自然なのでやむをえない。
郡上八幡駅からは豆バスで街の中心地へ。この町は水がきれいなのでおいしい蕎麦屋さんが何軒かある。吉田川沿いの店で昼食をとる。そして、お目当ての宗祇水へ。
宗祇水は日本の名水百選にも選ばれていて、連歌師の飯尾宗祇ゆかりの地である。聖地という感じがして好ましいが、特に私の好きなのは傍らを流れている小駄良川である。しかし、この日はまだ雨が降っているし、川も濁っていて楽しめなかった。
博覧館で郡上おどりを教えてもらう。おどりは十種類あるのだが、「かわさき」と「春駒」の手のふりだけは何とかできそうだ。二年前に来たときには踊りを見るだけで参加できなかったので、今回はそのリベンジのつもりで気合が入る。
夕食はお目当ての天然鮎。これも前回目をつけていたお店に入る。
午後八時から郡上おどりに出かける。日によって踊りの場所が異なっていて、今夜は旧庁舎記念館前。下柳町神農薬師祭ということで、そういえば新橋の神農薬師の提灯に灯がともされていた。はじめの30分ほど保存会の少年少女たちが歌と演奏を担当していたのも将来が頼もしい感じがした。
「かわさき」は手を頭上に挙げて見上げる振りのところでちょうどお城が視野に入るのがおもしろかった。そして「春駒」。
七両三分の春駒、春駒…
江戸時代に郡上は馬の産地であったという。手綱さばきが踊りのふりに取り入れられていて、けっこう激しい動きである。
踊りながら私の脳裏をかすめたイメージはふたつ。
ひとつは柳田国男の「清光館哀史」(『雪国の春』)。「おとうさん。今まで旅行のうちで、一番わるかった宿屋はどこ」ではじまる文章である。盆踊の歌詞を尋ねた筆者に清光館の女将は笑って教えてくれない。
「痛みがあればこそバルサムは世に存在する。だからあの清光館のおとなしい細君なども、色々として我々が尋ねて見たけれども、黙って笑うばかりでどうしても此歌を教えてはくれなかったのだ。通りすがりの一夜の旅の者には、仮令話して聴かせても此心持は解らぬということを、知って居たのでは無いまでも感じて居たのである」
もうひとつは尾崎碧の『第七官界彷徨』に収録されている短編「初恋」。盆踊りに出かけた少年はそこで出会った少女に惹かれるのだが…
雨が少々降っているが、郡上おどりは警報が出ないかぎりは雨でも実施されるらしい。踊り疲れて民宿へ帰る途中、山の方を見るとライトアップされた郡上八幡城が雨に霞んでぼうっと光っていた。
翌19日(日)は午前9時半に宗祇水で発句の献句。そのあと大乗寺に移動して歌仙を巻く。三座に分かれ、座名は郡上おどりにちなんで「かわさき」「春駒」「三百」。私は「三百」の座である。
「連句フェスタ」で巻かれた作品が『緑湧抄Ⅱ』一冊にまとめられている(平成9年~21年作品が収録)。平成17年7月30日に巻かれた歌仙「青野の巻」の表八句を紹介する。
水溢れあふれ青野の人語かな 鈴木漠
炎ほの透く雲のゆきかひ 水野隆
梁高き旧家のあるじ頑なに 福井直子
土蔵の闇に息すものの怪 斎藤佳成
皓々の月下に銀の斧を研ぐ 古田了
サックス聴ゆ肌寒の砂嘴 川野蓼艸
発句と脇、詩人で連句人でもある鈴木漠と水野隆のやりとり。
水野隆は郡上の「おもだかや民芸館」当主であり、平成62年から「連句フェスタ宗祇水」を実施している。2009年に惜しくも亡くなられたが、現在は子息の光哉さんが受け継いで実施されている。今年は隆さんの七回忌ということだろう。
郡上で好きな場所のひとつに釈迢空の歌碑がある。
大正8年に郡上では火事があったらしい。その直後、迢空はこの町を訪れている。歌集『海やまのあひだ』にはこのときの短歌七首が収録されている。
「八月末、長良川の川上、郡上の町に入る。この十二日の昼火事で、目抜きの街々、家千二百軒が焼けてゐた」と詞書があって、冒頭の一首が歌碑に刻まれている。
焼け原の町のもなかを行く水の せゝらぎ澄みて、秋近づけり 迢空
四角い歌碑の上から水が滴るようになっていて、歌碑はいつも水にぬれていて涼しげである。
私は歌仙奉納までの時間、吉田川沿いの喫茶店にいた。吉田川は昨日に比べてだいぶん水が澄んできている。川の流れをみているといつまでも飽きない。
夕方の5時半から宗祇水の前で当日の歌仙三巻を読み上げた。
一匹の大きな蜻蛉が水の上を行ったり来たりして飛んでいた。私たちはまるで水野隆さんの魂のようだと囁きあった。
19日の夜は昨夜とは別の民宿に宿泊。
あけがたに私は再びカジカの声を聞いたのである。川からは少し離れているのに、いったいどこで鳴いているのだろう。
翌朝は朝食の前に少し散歩する。吉田川には鮎釣りの人が出ている。
昼食には有名店で鰻を食べたあと長良川鉄道に乗る。
長良川の水はすでに澄んで青く、車窓からの眺めは楽しかった。
次に来るときは関の弁慶庵を訪れてみたいものだ。
美濃太田で時間があったので、中山道太田宿を見学。ここでは木曽川を見たのだが、川の話はもういいだろう。
民宿のそばには小駄良川が流れている。以前、赤目四十八滝に行ったときにも同じ声を聞いたので、間違いはない。夜が明けるまでの二時間くらい、寝床のなかで夢幻のような蛙の声を聞いていた。
郡上八幡の「連句フェスタ宗祇水」は今年で29回目を迎える。前日の7月18日(土)に郡上に入った。台風通過の翌日なので行き着けるか心配で、現に大阪環状線はストップしていたので、地下鉄で新大阪へ。新幹線で名古屋までゆき、名古屋から美濃太田までは「特急ひだ」に乗車。美濃太田からは長良川鉄道である。この鉄道ははじめて利用するので楽しみにしていた(前回は高速バス)。長良川は濁っていた。清流を期待していたのだが、相手は自然なのでやむをえない。
郡上八幡駅からは豆バスで街の中心地へ。この町は水がきれいなのでおいしい蕎麦屋さんが何軒かある。吉田川沿いの店で昼食をとる。そして、お目当ての宗祇水へ。
宗祇水は日本の名水百選にも選ばれていて、連歌師の飯尾宗祇ゆかりの地である。聖地という感じがして好ましいが、特に私の好きなのは傍らを流れている小駄良川である。しかし、この日はまだ雨が降っているし、川も濁っていて楽しめなかった。
博覧館で郡上おどりを教えてもらう。おどりは十種類あるのだが、「かわさき」と「春駒」の手のふりだけは何とかできそうだ。二年前に来たときには踊りを見るだけで参加できなかったので、今回はそのリベンジのつもりで気合が入る。
夕食はお目当ての天然鮎。これも前回目をつけていたお店に入る。
午後八時から郡上おどりに出かける。日によって踊りの場所が異なっていて、今夜は旧庁舎記念館前。下柳町神農薬師祭ということで、そういえば新橋の神農薬師の提灯に灯がともされていた。はじめの30分ほど保存会の少年少女たちが歌と演奏を担当していたのも将来が頼もしい感じがした。
「かわさき」は手を頭上に挙げて見上げる振りのところでちょうどお城が視野に入るのがおもしろかった。そして「春駒」。
七両三分の春駒、春駒…
江戸時代に郡上は馬の産地であったという。手綱さばきが踊りのふりに取り入れられていて、けっこう激しい動きである。
踊りながら私の脳裏をかすめたイメージはふたつ。
ひとつは柳田国男の「清光館哀史」(『雪国の春』)。「おとうさん。今まで旅行のうちで、一番わるかった宿屋はどこ」ではじまる文章である。盆踊の歌詞を尋ねた筆者に清光館の女将は笑って教えてくれない。
「痛みがあればこそバルサムは世に存在する。だからあの清光館のおとなしい細君なども、色々として我々が尋ねて見たけれども、黙って笑うばかりでどうしても此歌を教えてはくれなかったのだ。通りすがりの一夜の旅の者には、仮令話して聴かせても此心持は解らぬということを、知って居たのでは無いまでも感じて居たのである」
もうひとつは尾崎碧の『第七官界彷徨』に収録されている短編「初恋」。盆踊りに出かけた少年はそこで出会った少女に惹かれるのだが…
雨が少々降っているが、郡上おどりは警報が出ないかぎりは雨でも実施されるらしい。踊り疲れて民宿へ帰る途中、山の方を見るとライトアップされた郡上八幡城が雨に霞んでぼうっと光っていた。
翌19日(日)は午前9時半に宗祇水で発句の献句。そのあと大乗寺に移動して歌仙を巻く。三座に分かれ、座名は郡上おどりにちなんで「かわさき」「春駒」「三百」。私は「三百」の座である。
「連句フェスタ」で巻かれた作品が『緑湧抄Ⅱ』一冊にまとめられている(平成9年~21年作品が収録)。平成17年7月30日に巻かれた歌仙「青野の巻」の表八句を紹介する。
水溢れあふれ青野の人語かな 鈴木漠
炎ほの透く雲のゆきかひ 水野隆
梁高き旧家のあるじ頑なに 福井直子
土蔵の闇に息すものの怪 斎藤佳成
皓々の月下に銀の斧を研ぐ 古田了
サックス聴ゆ肌寒の砂嘴 川野蓼艸
発句と脇、詩人で連句人でもある鈴木漠と水野隆のやりとり。
水野隆は郡上の「おもだかや民芸館」当主であり、平成62年から「連句フェスタ宗祇水」を実施している。2009年に惜しくも亡くなられたが、現在は子息の光哉さんが受け継いで実施されている。今年は隆さんの七回忌ということだろう。
郡上で好きな場所のひとつに釈迢空の歌碑がある。
大正8年に郡上では火事があったらしい。その直後、迢空はこの町を訪れている。歌集『海やまのあひだ』にはこのときの短歌七首が収録されている。
「八月末、長良川の川上、郡上の町に入る。この十二日の昼火事で、目抜きの街々、家千二百軒が焼けてゐた」と詞書があって、冒頭の一首が歌碑に刻まれている。
焼け原の町のもなかを行く水の せゝらぎ澄みて、秋近づけり 迢空
四角い歌碑の上から水が滴るようになっていて、歌碑はいつも水にぬれていて涼しげである。
私は歌仙奉納までの時間、吉田川沿いの喫茶店にいた。吉田川は昨日に比べてだいぶん水が澄んできている。川の流れをみているといつまでも飽きない。
夕方の5時半から宗祇水の前で当日の歌仙三巻を読み上げた。
一匹の大きな蜻蛉が水の上を行ったり来たりして飛んでいた。私たちはまるで水野隆さんの魂のようだと囁きあった。
19日の夜は昨夜とは別の民宿に宿泊。
あけがたに私は再びカジカの声を聞いたのである。川からは少し離れているのに、いったいどこで鳴いているのだろう。
翌朝は朝食の前に少し散歩する。吉田川には鮎釣りの人が出ている。
昼食には有名店で鰻を食べたあと長良川鉄道に乗る。
長良川の水はすでに澄んで青く、車窓からの眺めは楽しかった。
次に来るときは関の弁慶庵を訪れてみたいものだ。
美濃太田で時間があったので、中山道太田宿を見学。ここでは木曽川を見たのだが、川の話はもういいだろう。
2015年7月10日金曜日
川柳の句会と大会
6月27日(土)、「川柳二七会」六月句会に参加した。
「川柳二七会」は昭和34年7月27日に設立。27日は芸人の楽日で集まりやすいので、岸本水府を会長に芸能人・作家・学者などが参加した。水府没後、会長は松本橘次、深尾吉則、牧浦完次と変って、現会長は森茂俊。
今回は「森中恵美子句碑拝見吟行句会」ということで、阪急池田駅の託明寺に集合。いつもは道頓堀の飲食店で句会を行っているようだが、平成27年にちなんで規模を広げて吟行会になったものらしい。託明寺の先代住職は「川柳五月山」の会員で、境内に森中恵美子の句碑が建立されている。句碑を拝見したあと法話を聞き、池田商工会議所に移動。そこで昼食と句会を行う。参加者97名の盛会である。投句は一枚の投句用紙に三句連記で、そのうち一句は必ず取られるから、没句なしの博愛主義である。事前投句(森茂俊選)「うれしい」(新家完司選)、「本物」(森中恵美子選)。
「川柳二七会」7月号(671号)に同誌昭和37年7月号の作品が掲載されている。兼題は「人相」。
人相の悪い社長という名刺 喜代三
人相に似合わずきつい値切りよう 堀小美陽
人相も手相もよくてなまけ者 藤原せいけん
手配写真たまに人相のよい男 安部宗一郎
藤原せいけん(1902~1993)は大阪の画家。一時期の「番傘」の表紙を書いたが、川柳人でもあった。文楽ファンにとっては朝日座時代の文楽のプログラムの表紙絵でおなじみだろう。
続いて五月句会の作品から、兼題は「安心」
安心を売ってる店と書いてある 田中育子
安心と首相言うから胸騒ぎ 八木勲
居酒屋のいつもの席に居る安堵 楠本晃朗
手品師のような財布と暮らしてる 美馬りゅうこ
揺れる星こころやすまる刻がない 稲葉澄江
阿と吽の呼吸の中にいる安堵 牧浦完次
「水府雑感」のコーナーがあって、水府との一問一答(昭和57年5月号)が再掲されている。
【問】川柳にも季語は許されるのですか。
【答】許すも許さぬもありません。人間として感じたものなら何でもよいわけです。大原へ行ったとき残雪がありましたが、春雪という季語をつかってよい川柳をつくった方がありました。しかし私だけの意見ですが川柳は人間生活をよむところに、花鳥諷詠の俳句とちがった価値があるのですから。その上に川柳家のものする季感はほとんど天保調で月並みです。人間諷詠を大に誇ってわき見をふらず進んだ方がよろしい。
「川柳二七会」のバックナンバーは大阪市立中央図書館の雑誌コーナーで読むことができる。
7月5日(日)、「第66回玉野市民川柳大会」に参加。
途中の車窓から眺める水田の青さは、毎年同じ風景ではあるものの、それぞれの年によって感じ方が異なる。私もそれなりの年月を重ねてきたのだ。
玉野は男女共選が呼び物で、「創」(筒井祥文・本多洋子選)「挽歌」(徳永政二・吉松澄子選)「魔女」(小島蘭幸・森田律子選)「煽る」(桑原伸吉・柴田夕起子選)、これに席題(前田一石選)が付く。
投句をすませたあと、いつも行くお好み焼き屋へ。会場のサンライフ玉野の周辺にはお好み焼き屋が二件あって、もう一軒はクーラーも効いて快適なのだが、なぜか冷房の効かない暑苦しい店の方に行くことになっている。そこで焼きそばとお好み焼きをあてにビールを飲み、大騒ぎをするのである。きっと店の人には嫌がられているだろうが、年に一回のことなので次にゆくときには時効になっているだろう。
今回玉野へ行ったのは、石部明の初期のことを調べ直してみたいという目的もあった。前田一石から「ますかっと」「川柳塾」のバックナンバーを借りることができた。何より「おかやまの風・6」(昭和63年10月30日)の記録が参考になった。過去の川柳誌を見ていると、その時代の息吹が伝わってくる。この日の玉野に出席している川柳人たちの若き日の写真なども掲載されている。いま目に見えている光景には、そこに至るまでの時間の経過があったことがわかる。
大会終了後、岡山駅前の居酒屋で打ち上げをしたが、そんなことばかり書いていても仕方がない。大会の作品については発表誌がでたときに改めて紹介したい。
第三回川柳カード大会が9月12日に大阪・上本町の「たかつガーデン」で開催される。
兼題「力」の選者を中山奈々に依頼している。中山は関西で活躍している若手俳人のひとりである。
「里」5月号に中山の「アルコールスコール脳が出ぬやうに」20句を発表しているので、紹介しておきたい。
吐きやすき便器なりけり桜桃忌 中山奈々
気がでかくなつてこの世に蟇
ががんぼや酔へば厠の壁殴る
箱庭の笑ひ上戸と呑んでをり
酔うてをり部屋中の紙魚に嫌はれ
百合の香の強き仏間に二日酔
編集長が仲寒蟬から中山奈々へスイッチした。掲出の作品は編集長就任記念特別作品ということである。
「川柳二七会」は昭和34年7月27日に設立。27日は芸人の楽日で集まりやすいので、岸本水府を会長に芸能人・作家・学者などが参加した。水府没後、会長は松本橘次、深尾吉則、牧浦完次と変って、現会長は森茂俊。
今回は「森中恵美子句碑拝見吟行句会」ということで、阪急池田駅の託明寺に集合。いつもは道頓堀の飲食店で句会を行っているようだが、平成27年にちなんで規模を広げて吟行会になったものらしい。託明寺の先代住職は「川柳五月山」の会員で、境内に森中恵美子の句碑が建立されている。句碑を拝見したあと法話を聞き、池田商工会議所に移動。そこで昼食と句会を行う。参加者97名の盛会である。投句は一枚の投句用紙に三句連記で、そのうち一句は必ず取られるから、没句なしの博愛主義である。事前投句(森茂俊選)「うれしい」(新家完司選)、「本物」(森中恵美子選)。
「川柳二七会」7月号(671号)に同誌昭和37年7月号の作品が掲載されている。兼題は「人相」。
人相の悪い社長という名刺 喜代三
人相に似合わずきつい値切りよう 堀小美陽
人相も手相もよくてなまけ者 藤原せいけん
手配写真たまに人相のよい男 安部宗一郎
藤原せいけん(1902~1993)は大阪の画家。一時期の「番傘」の表紙を書いたが、川柳人でもあった。文楽ファンにとっては朝日座時代の文楽のプログラムの表紙絵でおなじみだろう。
続いて五月句会の作品から、兼題は「安心」
安心を売ってる店と書いてある 田中育子
安心と首相言うから胸騒ぎ 八木勲
居酒屋のいつもの席に居る安堵 楠本晃朗
手品師のような財布と暮らしてる 美馬りゅうこ
揺れる星こころやすまる刻がない 稲葉澄江
阿と吽の呼吸の中にいる安堵 牧浦完次
「水府雑感」のコーナーがあって、水府との一問一答(昭和57年5月号)が再掲されている。
【問】川柳にも季語は許されるのですか。
【答】許すも許さぬもありません。人間として感じたものなら何でもよいわけです。大原へ行ったとき残雪がありましたが、春雪という季語をつかってよい川柳をつくった方がありました。しかし私だけの意見ですが川柳は人間生活をよむところに、花鳥諷詠の俳句とちがった価値があるのですから。その上に川柳家のものする季感はほとんど天保調で月並みです。人間諷詠を大に誇ってわき見をふらず進んだ方がよろしい。
「川柳二七会」のバックナンバーは大阪市立中央図書館の雑誌コーナーで読むことができる。
7月5日(日)、「第66回玉野市民川柳大会」に参加。
途中の車窓から眺める水田の青さは、毎年同じ風景ではあるものの、それぞれの年によって感じ方が異なる。私もそれなりの年月を重ねてきたのだ。
玉野は男女共選が呼び物で、「創」(筒井祥文・本多洋子選)「挽歌」(徳永政二・吉松澄子選)「魔女」(小島蘭幸・森田律子選)「煽る」(桑原伸吉・柴田夕起子選)、これに席題(前田一石選)が付く。
投句をすませたあと、いつも行くお好み焼き屋へ。会場のサンライフ玉野の周辺にはお好み焼き屋が二件あって、もう一軒はクーラーも効いて快適なのだが、なぜか冷房の効かない暑苦しい店の方に行くことになっている。そこで焼きそばとお好み焼きをあてにビールを飲み、大騒ぎをするのである。きっと店の人には嫌がられているだろうが、年に一回のことなので次にゆくときには時効になっているだろう。
今回玉野へ行ったのは、石部明の初期のことを調べ直してみたいという目的もあった。前田一石から「ますかっと」「川柳塾」のバックナンバーを借りることができた。何より「おかやまの風・6」(昭和63年10月30日)の記録が参考になった。過去の川柳誌を見ていると、その時代の息吹が伝わってくる。この日の玉野に出席している川柳人たちの若き日の写真なども掲載されている。いま目に見えている光景には、そこに至るまでの時間の経過があったことがわかる。
大会終了後、岡山駅前の居酒屋で打ち上げをしたが、そんなことばかり書いていても仕方がない。大会の作品については発表誌がでたときに改めて紹介したい。
第三回川柳カード大会が9月12日に大阪・上本町の「たかつガーデン」で開催される。
兼題「力」の選者を中山奈々に依頼している。中山は関西で活躍している若手俳人のひとりである。
「里」5月号に中山の「アルコールスコール脳が出ぬやうに」20句を発表しているので、紹介しておきたい。
吐きやすき便器なりけり桜桃忌 中山奈々
気がでかくなつてこの世に蟇
ががんぼや酔へば厠の壁殴る
箱庭の笑ひ上戸と呑んでをり
酔うてをり部屋中の紙魚に嫌はれ
百合の香の強き仏間に二日酔
編集長が仲寒蟬から中山奈々へスイッチした。掲出の作品は編集長就任記念特別作品ということである。
2015年6月26日金曜日
ぶんがくにサブカルチャーは敵わない―短歌誌・歌集逍遥
6月某日
短歌誌「ES光の繭」第29号を読む。
特集がふたつ。共同討議「震災後の言葉のゆくえ」は筑紫磐井(俳人)、広瀬大志(詩人)に「Es」同人の加藤・桜井・松野が加わって、「詩・俳句・短歌における表現の可能性」を探っている。ふたつめの特集「ジャンルを越えて」では同人がそれぞれ通常の短歌形式以外の形式に挑戦して実作を行っている。加藤英彦の「異類へ」は「わたしの閾域下の川柳十句」ということだが、十句のなかにはどう見ても俳句形式のものもあり、そのことが逆に私には興味深かった。書評欄では江田浩司が『安井浩司俳句評林全集』と『冬野虹作品集成』について書いている。以下、同人の短歌作品を紹介。
もやい綱ことごとく解く最初からゆるされていることに苛立ち 松野志保
同姓を恋ふとも異性を慕ふとも柿の芽の初夏に伸びゆく姿 大津仁昭
ぶんがくにサブカルチャーは敵わない 楽観に湧く首都のかたわら 桜井健司
黒煙はあつくのぼれりその腹にあやまたず被弾二十数発を抱き 加藤英彦
光る砂ちちよちちよと泣きたれば華やぐ街に初夏は来たりぬ 江田浩司
守ってほしい。なーんて甘えるそぶりしてみんなあげちゃう 命も基地も 山田消児
サンチョ・パンサひとり疲れて帰郷せしここ悲しみの封印を解け 崔龍源
よくひかる大きなたまごのうらがはで鳥となるまで眠つてゐやう 天草季紅
現実から出発する作品や批評性・諷刺の濃厚なものだけではなく、先行する文学作品を踏まえて書かれている作品もあり、短歌の書き方は多彩だ。「Es」は次号30号で終刊するという。
6月某日
冬野虹は2002年2月に急逝した。
「Es」29号の書評で江田浩司はこんなふうに書いている。
「冬野虹さんにお会いしたのは二度にすぎなかったが、夫君の四ッ谷龍さんから急死の訃報をいただいたときには、しばらく茫然としてしまった。虹さんは私の創作にも深い理解を示して下さった。私は哀しみと同時に、大切な読者を失ったという喪失感も加わって、虹さんの急逝が強く心に響いたのである」
『冬野虹作品集成』の第三巻には歌集『かしすまりあ』が収録されている。四ッ谷龍の解題によると「冬野虹は、1992年から2001年12月にかけて約1000首の短歌を制作した。歌集刊行を目指して作品の下抜きを開始しており、歌集名も『かしすまりあ』とすることを決定していたが、最終稿の完成を見ずに世を去った」ということである。
十字架のかたちの白きどくだみの花の歴史をあした師に問ふ 冬野虹
あれはなに?露とこたへてこめかみに海のにほひを薫きしめる人よ
春の空は白磁の皿に降りきておどろきやすき翅をもつかな
すぐ怒る声よりさきに鈴虫の声のパウダーふりかけなさい
みんな帰ったか眠ったか たぷたぷうちよせて神経の先水にひたして
それはとても毛深い空のやうな音がする ポストに落ちる手紙
岸の人は大きな青い貧血の花なぜそこを揺すって笑はないの?
貴族たちはぬるぬるひかる黒髪をいつも乱れたままにしてゐた
6月13日
会津へ向かう途中、東京で「マグリット展」を見る。
7月11から京都市美術館にも巡回してくるのだが、待ちきれずに東京の国立新美術館へ。
「大家族」「光の帝国」「恋人たち」など代表作が一堂に集められている。発見もいろいろあり、マグリットに「ルノアールの時代」と呼ばれる暖色を主体にした一時期があったことをはじめて知った。もっともこの時期は彼の友人たちからは不評で、晩年は初期の作風に戻りつつ、それをより大きなスケールで描くようになったようだ。
空は昼なのに家の周囲は夜である絵があるが、「私は昼も好きだし、夜も好きだ」というマグリットの言葉に少し納得した。
夕方、会津若松に到着。居酒屋探訪がひとつの目的で、「ぼろ蔵」「鳥益」とはしごする。テレビで紹介されることが多い有名店には予約なしでは入れない。「鳥益」では太田和彦と吉田類の色紙が並んで飾ってあるのにはびっくりした。
6月14日(日)
第6回猪苗代兼載忌記念連句会に出席。
兼載は戦国時代の連歌師で、猪苗代の出身。心敬を師とし、宗祇とも交流があった。北野天満宮連歌所の宗匠もつとめている。
会場は小平潟天満宮の社務所で、四座22名が参加。
この天満宮は北野天満宮・大宰府天満宮と並んで日本三大天満宮のひとつだと言うが、大阪では大阪天満宮が三大天満宮だと思っている。
さみだれに松遠ざかるすさきかな 兼載
「すさき」は洲崎で、かつては天満宮のすぐ前まで猪苗代湖の波が寄せていたという。
二度目の会津の旅でこの土地をより深く理解することができたが、共同制作の魅力と困難さも感じるところがあった。
6月某日
「かばん」6月号を読む。
「かばん」のメンバーの中には川柳の書き手も何人か含まれている。
すきなひとのすきなひとのはなしをきいている そのすきなひとにもすきなひとがいる
バスのなかわたしの好きな馬場さんが撃たれたようにうつくしく寝る 柳本々々
「それはもう非道いギャクタイでしたよ」とカウんせらーに語るジャイアン
現実と夢とのはざま忘れるなサンドウィッチ伯爵の名を 川合大祐
高きより見おろすビルの吹抜けを夜深ければ銃身(バレル)と思う
零時を前に消えかかる孔……聖碑の下に男はしずむ 飯島章友
特集は藤本玲未第一歌集『オーロラのお針子』。書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズ13である。藤本の自薦20首と藤原龍一郎をはじめとする歌集評、藤本のエッセイ「物語への飛躍」などが付いている。
玉乗りの少女になってあの月でちゃんと口座をつくって暮らす 藤本玲未
あなたさえ良ければ冬の図書館でわたしはひとり読点になる
6月某日
今日は土岐友浩の第一歌集『Bootlegブートレッグ』を読む。侃侃房の新鋭短歌シリーズ22。装画スズキユカ。ブートレッグは「海賊版」という意味だそうだ。
あしもとを濡らしてじっと立ち尽くす翼よりくちばしをください 土岐友浩
どちらかと言えばおとうとより父と遊んでばかりいたような夏
ああ僕が思い出すのは島で見たあの星空だ、あの海よりも
「新鋭短歌シリーズ」は規模も内容もまったく異なるが、「川柳カード叢書」の遠いルーツだった。
6月某日
高柳蕗子著『短歌の酵母』(沖積社)を読む。
「短歌という詩型は個人技ではなくみんなで詠んでいるもの」という捉え方から、「みんなで育てる歌語」「題材の攻略」「短歌の身体」「歌人は酵母菌」の四章にわたって短歌を論じている。たとえば、第一章では「トマトぐっちょんベイベー」というタイトルで、「つぶれたトマト」を詠んだ短歌を論じている。「今まで短歌で発表されていない事象を初めて短歌に書くということは、けっこう難しいことである」「短歌の評は、作者という個人の手柄を論じる話になりやすい。だが、世界のありようは、見事な個人技、独自な能力だけでは咀嚼しきれない。みんなで共有して、はずむ話のなかで攻略が進む面もある」
そこから短歌あるいは短詩型のデータベースという考えが生まれる。データベースから検索した「トマト」の歌がいろいろ引用されているが、その中には斎藤茂吉の有名な「赤茄子」の歌も登場する。
6月某日
京都の泉屋博古館で「明清書画展」を見る。
お目当ては八大山人の「安晩帖」である。「これを見ないでは京都にいる甲斐がない」と言われる名品。画冊になっていて、展示の際にはページをめくることができないから、一面しか見られない。以前、叭々鳥を描いた別のページを見たことがあり、今回でようやく二面を制覇したことになる。
画面の中央を一匹の魚が泳いでいる。
川の流れは何も描かれていないが、この川は「曲阿」という川らしい。
曲学阿世という言葉がある。世におもねって生きてゆく人は多い。
八大山人は明朝の遺民である。明が清に滅ぼされたあと、明朝の家臣たちの身の振り方はさまざまである。世を捨てて隠棲するもの、節を屈して清朝に仕えるもの。八大山人は明の皇帝の一族だったから、去就はいっそう困難をともなっただろう。清から逃れて出家したあと発狂したとも言われるが、発狂を装っただけ(佯狂)かもしれない。
一匹の魚が阿世の川を泳いでゆく。それなら阿世の川の最後までたどり尽くしてやろう、とでもいうように魚の眼は力強い。
短歌誌「ES光の繭」第29号を読む。
特集がふたつ。共同討議「震災後の言葉のゆくえ」は筑紫磐井(俳人)、広瀬大志(詩人)に「Es」同人の加藤・桜井・松野が加わって、「詩・俳句・短歌における表現の可能性」を探っている。ふたつめの特集「ジャンルを越えて」では同人がそれぞれ通常の短歌形式以外の形式に挑戦して実作を行っている。加藤英彦の「異類へ」は「わたしの閾域下の川柳十句」ということだが、十句のなかにはどう見ても俳句形式のものもあり、そのことが逆に私には興味深かった。書評欄では江田浩司が『安井浩司俳句評林全集』と『冬野虹作品集成』について書いている。以下、同人の短歌作品を紹介。
もやい綱ことごとく解く最初からゆるされていることに苛立ち 松野志保
同姓を恋ふとも異性を慕ふとも柿の芽の初夏に伸びゆく姿 大津仁昭
ぶんがくにサブカルチャーは敵わない 楽観に湧く首都のかたわら 桜井健司
黒煙はあつくのぼれりその腹にあやまたず被弾二十数発を抱き 加藤英彦
光る砂ちちよちちよと泣きたれば華やぐ街に初夏は来たりぬ 江田浩司
守ってほしい。なーんて甘えるそぶりしてみんなあげちゃう 命も基地も 山田消児
サンチョ・パンサひとり疲れて帰郷せしここ悲しみの封印を解け 崔龍源
よくひかる大きなたまごのうらがはで鳥となるまで眠つてゐやう 天草季紅
現実から出発する作品や批評性・諷刺の濃厚なものだけではなく、先行する文学作品を踏まえて書かれている作品もあり、短歌の書き方は多彩だ。「Es」は次号30号で終刊するという。
6月某日
冬野虹は2002年2月に急逝した。
「Es」29号の書評で江田浩司はこんなふうに書いている。
「冬野虹さんにお会いしたのは二度にすぎなかったが、夫君の四ッ谷龍さんから急死の訃報をいただいたときには、しばらく茫然としてしまった。虹さんは私の創作にも深い理解を示して下さった。私は哀しみと同時に、大切な読者を失ったという喪失感も加わって、虹さんの急逝が強く心に響いたのである」
『冬野虹作品集成』の第三巻には歌集『かしすまりあ』が収録されている。四ッ谷龍の解題によると「冬野虹は、1992年から2001年12月にかけて約1000首の短歌を制作した。歌集刊行を目指して作品の下抜きを開始しており、歌集名も『かしすまりあ』とすることを決定していたが、最終稿の完成を見ずに世を去った」ということである。
十字架のかたちの白きどくだみの花の歴史をあした師に問ふ 冬野虹
あれはなに?露とこたへてこめかみに海のにほひを薫きしめる人よ
春の空は白磁の皿に降りきておどろきやすき翅をもつかな
すぐ怒る声よりさきに鈴虫の声のパウダーふりかけなさい
みんな帰ったか眠ったか たぷたぷうちよせて神経の先水にひたして
それはとても毛深い空のやうな音がする ポストに落ちる手紙
岸の人は大きな青い貧血の花なぜそこを揺すって笑はないの?
貴族たちはぬるぬるひかる黒髪をいつも乱れたままにしてゐた
6月13日
会津へ向かう途中、東京で「マグリット展」を見る。
7月11から京都市美術館にも巡回してくるのだが、待ちきれずに東京の国立新美術館へ。
「大家族」「光の帝国」「恋人たち」など代表作が一堂に集められている。発見もいろいろあり、マグリットに「ルノアールの時代」と呼ばれる暖色を主体にした一時期があったことをはじめて知った。もっともこの時期は彼の友人たちからは不評で、晩年は初期の作風に戻りつつ、それをより大きなスケールで描くようになったようだ。
空は昼なのに家の周囲は夜である絵があるが、「私は昼も好きだし、夜も好きだ」というマグリットの言葉に少し納得した。
夕方、会津若松に到着。居酒屋探訪がひとつの目的で、「ぼろ蔵」「鳥益」とはしごする。テレビで紹介されることが多い有名店には予約なしでは入れない。「鳥益」では太田和彦と吉田類の色紙が並んで飾ってあるのにはびっくりした。
6月14日(日)
第6回猪苗代兼載忌記念連句会に出席。
兼載は戦国時代の連歌師で、猪苗代の出身。心敬を師とし、宗祇とも交流があった。北野天満宮連歌所の宗匠もつとめている。
会場は小平潟天満宮の社務所で、四座22名が参加。
この天満宮は北野天満宮・大宰府天満宮と並んで日本三大天満宮のひとつだと言うが、大阪では大阪天満宮が三大天満宮だと思っている。
さみだれに松遠ざかるすさきかな 兼載
「すさき」は洲崎で、かつては天満宮のすぐ前まで猪苗代湖の波が寄せていたという。
二度目の会津の旅でこの土地をより深く理解することができたが、共同制作の魅力と困難さも感じるところがあった。
6月某日
「かばん」6月号を読む。
「かばん」のメンバーの中には川柳の書き手も何人か含まれている。
すきなひとのすきなひとのはなしをきいている そのすきなひとにもすきなひとがいる
バスのなかわたしの好きな馬場さんが撃たれたようにうつくしく寝る 柳本々々
「それはもう非道いギャクタイでしたよ」とカウんせらーに語るジャイアン
現実と夢とのはざま忘れるなサンドウィッチ伯爵の名を 川合大祐
高きより見おろすビルの吹抜けを夜深ければ銃身(バレル)と思う
零時を前に消えかかる孔……聖碑の下に男はしずむ 飯島章友
特集は藤本玲未第一歌集『オーロラのお針子』。書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズ13である。藤本の自薦20首と藤原龍一郎をはじめとする歌集評、藤本のエッセイ「物語への飛躍」などが付いている。
玉乗りの少女になってあの月でちゃんと口座をつくって暮らす 藤本玲未
あなたさえ良ければ冬の図書館でわたしはひとり読点になる
6月某日
今日は土岐友浩の第一歌集『Bootlegブートレッグ』を読む。侃侃房の新鋭短歌シリーズ22。装画スズキユカ。ブートレッグは「海賊版」という意味だそうだ。
あしもとを濡らしてじっと立ち尽くす翼よりくちばしをください 土岐友浩
どちらかと言えばおとうとより父と遊んでばかりいたような夏
ああ僕が思い出すのは島で見たあの星空だ、あの海よりも
「新鋭短歌シリーズ」は規模も内容もまったく異なるが、「川柳カード叢書」の遠いルーツだった。
6月某日
高柳蕗子著『短歌の酵母』(沖積社)を読む。
「短歌という詩型は個人技ではなくみんなで詠んでいるもの」という捉え方から、「みんなで育てる歌語」「題材の攻略」「短歌の身体」「歌人は酵母菌」の四章にわたって短歌を論じている。たとえば、第一章では「トマトぐっちょんベイベー」というタイトルで、「つぶれたトマト」を詠んだ短歌を論じている。「今まで短歌で発表されていない事象を初めて短歌に書くということは、けっこう難しいことである」「短歌の評は、作者という個人の手柄を論じる話になりやすい。だが、世界のありようは、見事な個人技、独自な能力だけでは咀嚼しきれない。みんなで共有して、はずむ話のなかで攻略が進む面もある」
そこから短歌あるいは短詩型のデータベースという考えが生まれる。データベースから検索した「トマト」の歌がいろいろ引用されているが、その中には斎藤茂吉の有名な「赤茄子」の歌も登場する。
6月某日
京都の泉屋博古館で「明清書画展」を見る。
お目当ては八大山人の「安晩帖」である。「これを見ないでは京都にいる甲斐がない」と言われる名品。画冊になっていて、展示の際にはページをめくることができないから、一面しか見られない。以前、叭々鳥を描いた別のページを見たことがあり、今回でようやく二面を制覇したことになる。
画面の中央を一匹の魚が泳いでいる。
川の流れは何も描かれていないが、この川は「曲阿」という川らしい。
曲学阿世という言葉がある。世におもねって生きてゆく人は多い。
八大山人は明朝の遺民である。明が清に滅ぼされたあと、明朝の家臣たちの身の振り方はさまざまである。世を捨てて隠棲するもの、節を屈して清朝に仕えるもの。八大山人は明の皇帝の一族だったから、去就はいっそう困難をともなっただろう。清から逃れて出家したあと発狂したとも言われるが、発狂を装っただけ(佯狂)かもしれない。
一匹の魚が阿世の川を泳いでゆく。それなら阿世の川の最後までたどり尽くしてやろう、とでもいうように魚の眼は力強い。
2015年6月5日金曜日
つゆくさをちりばめ―諸誌・句集逍遥
きちんと読めないままに諸誌・句集が手元にたまっている。今回は川柳・俳句をとりまぜて取り上げてゆきたい。
自由と平和たなびくランジェリーショップ 濱山哲也
「触光」42号から「第5回高田寄生木賞」大賞作品。渡辺隆夫特選。
雲や霞がたなびくように自由と平和がたなびいている。ランジェリーショップでは自由と平和の下着を売っているのだろうか。
タスマニアデビルに着せる作業服 森田律子
「触光」42号。「第5回高田寄生木賞」樋口由紀子特選。
動物の句は私もいろいろ作ったが、タスマニアデビルはまだ使ったことがない。しまった、先を越されたと思う。オーストラリアのタスマニア島に棲息。デビル(悪魔)という名前がついているが、写真で見るとかわいい感じがする。有袋類。
掲出句ではデビルに作業服を着せてしまった。仕事をしなければばらないのなら、デビルもたいへんなことだ。
三月の震災・サリン・東京空襲 滋野さち
「触光」42号。会員自選作品。
同誌の誌上句会の選評で滋野はこんなふうに書いている。
「毎日、事件・事故が報道される。身近なことから、遠い国の戦争のことまで、驚いたり怒ったり、世間の人に知らせ、訴えたい気持ちはよくわかる。漏れ続ける汚染水のこと。核廃棄物のこと、辺野古をめぐる永田町と沖縄知事のこと。しかし、それらを、第三者的の眺めて、羅列してもうまく句にはならない」
そして掲出句を自ら「失敗作の見本」と言っている。失敗作かどうかは別として滋野の問題意識は貴重だ。
つぶつぶを分ける貴方はどうします 草地豊子
「井泉」63号。同誌は短歌誌だが、巻頭の招待作品に他ジャンルの作品を掲載。ときどき川柳も招待される。
草地の作品は「どうします?」というタイトルの15句。「それほどの人気は無いが人は良い」「ゴキブリは急ぐ私と遊ばない」「コンビニの数と失踪者の数と」「コンニャクの揺れに任せるのか国家」など、日常性と批評性が取り交ぜられている。
掲出句では何を分けているのか分からないが、つぶつぶになったものを分けているのだろう。分けたもののうちどっちをとるか、あるいは分けるのか分けないのか、読者に問いかけている。
蟻地獄しんと美僧が落ちてくる 金原まさ子
「豈」57号。招待作家作品から。50句のうちの一句。
「カタツムリはミタ・目をあけて眠るから」「耳鼻科で逢い三半規管へ深入りす」「赤鱏をしばくとき切り出しを使う」「串のレバーに蛍がついていやせぬか」「ゼブラゾーンで消え縞パンツのパン職人」など自在な作品が並んでいる。
掲出句から安部公房の『砂の女』を連想したり、「もうひとり落ちてくるまで穴はたいくつ」(広瀬ちえみ)を思い出したりして楽しい。落ちてくるのが美僧というのがいい。
歳をとって硬直してゆく人もいるが、老齢を迎えて句がますます華やぐ人もいるものだ。
提灯をさげているなら正装だ 我妻俊樹
「SH」から。
「川柳フリマ」のために歌人の瀬戸夏子と平岡直子が作った「川柳句集」である。ゲストに我妻俊樹が参加している。
提灯をさげるのは誰か。作中主体を書かないことによって含みのある表現が可能となる。闇夜に提灯をさげるのは現実のことだが、妖怪だと読むと「怖い川柳」になる。百鬼夜行の正装である。
風の吹く窓辺で「ノン」という手紙 峯裕見子
『川柳サロン・洋子の部屋』Part3から。
本多洋子の同名のホームページの冊子版で3冊目になる。今回は点鐘散歩会の作品と本多のエッセイを中心に収録されている。
掲出句は2011年8月京都市美術館で開催された「フェルメールからの手紙」展を見て詠まれたもの。アムステルダム国立美術館所蔵の「手紙を読む青衣の女」である。
フェルメールの作品は「ルーブル美術館展」でも見られるし、東京展のあとは京都にも巡回するので楽しみである。
潜むには睫毛が上を向きすぎる 久保田紺
久保田紺句集『大阪のかたち』から。川柳カード叢書の第一巻『ほぼむほん』(きゅういち)、第二巻『実朝の首』(飯田良祐)に続く第三巻。
前二巻が難解だったのに対し久保田紺作品は読みやすいという声を聞くが、本当にそうだろうか。
隠れたいのに睫毛が上を向きすぎているので身を隠すことができないというのだ。そんなことがあるはずがないのに、何となく可笑しい。
きれいなひとと目があって風船ガム 岡田幸生
『無伴奏』拾遺から。
岡田幸生は自由律俳句の作家。1996年に『無伴奏』が出て、今度の新版には拾位60句が付いている。
「遠い美人に人違いの会釈されている」という句もある。
花眩暈わがなきがらを抱きしめむ 冬野虹
『冬野虹作品集成』(書肆山田)第一巻「雪予報」から。
全三巻で第二巻「頬白の影たち」には詩が、第三巻「かしすまりあ」短歌などが収録されている。
冬野虹が生前に出版したのは句集『雪予報』のみだったという。このことは冬野が特定のジャンル内での自己完成をめざすような表現者ではなかったことを示している。言いかえれば、残された作品自体より冬野虹そのひとの存在が大きかったということだ。けれども、私たちはかたちとして残された作品を通してしか冬野を知ることができない。時間をかけて作品集成を読みたいと思う。
つゆくさをちりばめここにねむりなさい 冬野虹
金魚藻をふたつつないでねむりなさい
自由と平和たなびくランジェリーショップ 濱山哲也
「触光」42号から「第5回高田寄生木賞」大賞作品。渡辺隆夫特選。
雲や霞がたなびくように自由と平和がたなびいている。ランジェリーショップでは自由と平和の下着を売っているのだろうか。
タスマニアデビルに着せる作業服 森田律子
「触光」42号。「第5回高田寄生木賞」樋口由紀子特選。
動物の句は私もいろいろ作ったが、タスマニアデビルはまだ使ったことがない。しまった、先を越されたと思う。オーストラリアのタスマニア島に棲息。デビル(悪魔)という名前がついているが、写真で見るとかわいい感じがする。有袋類。
掲出句ではデビルに作業服を着せてしまった。仕事をしなければばらないのなら、デビルもたいへんなことだ。
三月の震災・サリン・東京空襲 滋野さち
「触光」42号。会員自選作品。
同誌の誌上句会の選評で滋野はこんなふうに書いている。
「毎日、事件・事故が報道される。身近なことから、遠い国の戦争のことまで、驚いたり怒ったり、世間の人に知らせ、訴えたい気持ちはよくわかる。漏れ続ける汚染水のこと。核廃棄物のこと、辺野古をめぐる永田町と沖縄知事のこと。しかし、それらを、第三者的の眺めて、羅列してもうまく句にはならない」
そして掲出句を自ら「失敗作の見本」と言っている。失敗作かどうかは別として滋野の問題意識は貴重だ。
つぶつぶを分ける貴方はどうします 草地豊子
「井泉」63号。同誌は短歌誌だが、巻頭の招待作品に他ジャンルの作品を掲載。ときどき川柳も招待される。
草地の作品は「どうします?」というタイトルの15句。「それほどの人気は無いが人は良い」「ゴキブリは急ぐ私と遊ばない」「コンビニの数と失踪者の数と」「コンニャクの揺れに任せるのか国家」など、日常性と批評性が取り交ぜられている。
掲出句では何を分けているのか分からないが、つぶつぶになったものを分けているのだろう。分けたもののうちどっちをとるか、あるいは分けるのか分けないのか、読者に問いかけている。
蟻地獄しんと美僧が落ちてくる 金原まさ子
「豈」57号。招待作家作品から。50句のうちの一句。
「カタツムリはミタ・目をあけて眠るから」「耳鼻科で逢い三半規管へ深入りす」「赤鱏をしばくとき切り出しを使う」「串のレバーに蛍がついていやせぬか」「ゼブラゾーンで消え縞パンツのパン職人」など自在な作品が並んでいる。
掲出句から安部公房の『砂の女』を連想したり、「もうひとり落ちてくるまで穴はたいくつ」(広瀬ちえみ)を思い出したりして楽しい。落ちてくるのが美僧というのがいい。
歳をとって硬直してゆく人もいるが、老齢を迎えて句がますます華やぐ人もいるものだ。
提灯をさげているなら正装だ 我妻俊樹
「SH」から。
「川柳フリマ」のために歌人の瀬戸夏子と平岡直子が作った「川柳句集」である。ゲストに我妻俊樹が参加している。
提灯をさげるのは誰か。作中主体を書かないことによって含みのある表現が可能となる。闇夜に提灯をさげるのは現実のことだが、妖怪だと読むと「怖い川柳」になる。百鬼夜行の正装である。
風の吹く窓辺で「ノン」という手紙 峯裕見子
『川柳サロン・洋子の部屋』Part3から。
本多洋子の同名のホームページの冊子版で3冊目になる。今回は点鐘散歩会の作品と本多のエッセイを中心に収録されている。
掲出句は2011年8月京都市美術館で開催された「フェルメールからの手紙」展を見て詠まれたもの。アムステルダム国立美術館所蔵の「手紙を読む青衣の女」である。
フェルメールの作品は「ルーブル美術館展」でも見られるし、東京展のあとは京都にも巡回するので楽しみである。
潜むには睫毛が上を向きすぎる 久保田紺
久保田紺句集『大阪のかたち』から。川柳カード叢書の第一巻『ほぼむほん』(きゅういち)、第二巻『実朝の首』(飯田良祐)に続く第三巻。
前二巻が難解だったのに対し久保田紺作品は読みやすいという声を聞くが、本当にそうだろうか。
隠れたいのに睫毛が上を向きすぎているので身を隠すことができないというのだ。そんなことがあるはずがないのに、何となく可笑しい。
きれいなひとと目があって風船ガム 岡田幸生
『無伴奏』拾遺から。
岡田幸生は自由律俳句の作家。1996年に『無伴奏』が出て、今度の新版には拾位60句が付いている。
「遠い美人に人違いの会釈されている」という句もある。
花眩暈わがなきがらを抱きしめむ 冬野虹
『冬野虹作品集成』(書肆山田)第一巻「雪予報」から。
全三巻で第二巻「頬白の影たち」には詩が、第三巻「かしすまりあ」短歌などが収録されている。
冬野虹が生前に出版したのは句集『雪予報』のみだったという。このことは冬野が特定のジャンル内での自己完成をめざすような表現者ではなかったことを示している。言いかえれば、残された作品自体より冬野虹そのひとの存在が大きかったということだ。けれども、私たちはかたちとして残された作品を通してしか冬野を知ることができない。時間をかけて作品集成を読みたいと思う。
つゆくさをちりばめここにねむりなさい 冬野虹
金魚藻をふたつつないでねむりなさい
2015年5月30日土曜日
滋野さち句集『オオバコの花』
この時評で何度か紹介してきた東奥文芸叢書に新たな一冊が加わった。滋野さち句集『オオバコの花』である。滋野は青森市在住の川柳人、おかじょうき川柳社、川柳触光舎に所属。「触光」では現在「誌上句会」の選を担当している。
滋野は「バックストローク」「川柳カード」にも投句していて、2010年4月の「第三回BSおかやま大会」の第一部「石部明を三枚おろし」のときに、「現在注目されている川柳人は?」という私の質問に答えて石部が挙げた何人かの川柳人の中に滋野の名前があった。「川柳では失われつつある風土が書ける」「時事性を越えて、社会性のしっぽをつかむぐらいの力量を持っている得難い個性」と石部が述べたことが印象に残っている。
それでは、句集を開いてみることにしよう。全体は五章に分かれ、年代順に配列されている。滋野は川柳をはじめて二年半くらいの作品を集めて、『川柳のしっぽ』を上梓している。今度の句集の最初の章「川柳のしっぽから」はその第一句集(2003年~2005年の作品)からとられている。
川 流れる意味を探している
「川」を「題」ととらえれば、そこからの連想で「流れる意味を探している」へと飛躍する構造になっている。句集全体の巻頭句だから、比喩的な意味も出てくる。
この書き方は冠句に似ている。たとえば、近代冠句の代表的作家である久佐太郎に次のような作品がある。
宝石箱 いちどに春がこぼれ出る
在る男 村から消えて秋が来る
羊飼い まさか俺が狼とは
米を研ぐ昨日も今日も模範囚
日常性というものがある。毎日、米を研ぎ食事の準備をする。それは刑罰ではないはずだが、毎日がまるで牢獄のように感じられるのだろう。何のために自分はここにいて、こんなことをしているのか。日常の中に豊かな可能性を感じてもよいのに、きれいごとでは毎日を過ごせない。ただ、模範囚のようにきちんと仕事をこなしてゆくのだ。
相討ちの顔で朝飯食っている
多くの表現者と同じように、滋野の出発点にあるのは現実との違和感である。
朝飯を食べながらも何らかの憤懣があるのだろう。
杉はドーンと倒れ私のものになる
このような爽快感、カタルシスを感じる句もある。
次の「泡立ち草」の章には批評性のある句が多く収録されている。自己探求の人生派であった作品がここでは社会派に変貌してゆく。
雨だれの音が揃うと共謀罪
親知らず抜くと国家が生えてくる
国家斉唱 金魚は長い糞たれて
戦争は卵胎生ときどきアルビノ
兵役があった時代のいぼがえる
ペットです軍用犬に向きません
二番目に刻むとネギくさい祖国
石部明が言ったように、時事性を越えて社会性へと向かう作品だろう。
「じゅげむじゅげむ」の章からは次の一句。
自分史が有害図書の棚にある
第四章「大気は澄んで」には2011年~2013年の句が収録されている。
福島の原発事故をはじめ、さまざまな事件が諷刺されている。
雪無音 土偶は乳房尖らせて
それ以上覗きこんだらかじるわよ
羽化してもいいか 大気は澄んでるか
ステルスが来るってよゲンパツ飛び越えて
着地するたび夢精するオスプレイ
最後に「地球は青いか」(2014年)の章から。
埋め立ててジュゴンの沖を売る話
解釈を変えたらカナムグラ繁茂
草取りの軍手に玉音放送かな
傭兵もバイトもビラで募集中
滋野の句にはいろいろな面があるが、私の紹介は社会性の句に偏ったかもしれない。
かつて私は滋野の句に関連して次のように書いたことがある(「川柳カード」5号)。
〈 時事川柳や社会詠は「消える川柳」と呼ばれることが多い。確かにその時々の常識的な世評に乗っかって作られた句はすぐに忘れ去られてしまうだろう。ためされているのは作者の主観性・思想性の強度である。客観性(第三者性)の視点から詠まれた時事川柳もおもしろいが、「思い」と「時事」と「言葉」が三位一体となる方向は模索されてよいと思う 〉
諷刺対象を第三者的に眺めて無責任な立場から句を詠むやり方がある。けれども、滋野は社会詠の場合にも、そこに自己の「思い」を込めないではいられないタイプなのだ。滋野の内部に存在する人生派・社会派・芸術派の要素が互いに否定し合うことなく、さらに大きなスケールで作品を生み出すのを私は楽しみにしている。
滋野は「バックストローク」「川柳カード」にも投句していて、2010年4月の「第三回BSおかやま大会」の第一部「石部明を三枚おろし」のときに、「現在注目されている川柳人は?」という私の質問に答えて石部が挙げた何人かの川柳人の中に滋野の名前があった。「川柳では失われつつある風土が書ける」「時事性を越えて、社会性のしっぽをつかむぐらいの力量を持っている得難い個性」と石部が述べたことが印象に残っている。
それでは、句集を開いてみることにしよう。全体は五章に分かれ、年代順に配列されている。滋野は川柳をはじめて二年半くらいの作品を集めて、『川柳のしっぽ』を上梓している。今度の句集の最初の章「川柳のしっぽから」はその第一句集(2003年~2005年の作品)からとられている。
川 流れる意味を探している
「川」を「題」ととらえれば、そこからの連想で「流れる意味を探している」へと飛躍する構造になっている。句集全体の巻頭句だから、比喩的な意味も出てくる。
この書き方は冠句に似ている。たとえば、近代冠句の代表的作家である久佐太郎に次のような作品がある。
宝石箱 いちどに春がこぼれ出る
在る男 村から消えて秋が来る
羊飼い まさか俺が狼とは
米を研ぐ昨日も今日も模範囚
日常性というものがある。毎日、米を研ぎ食事の準備をする。それは刑罰ではないはずだが、毎日がまるで牢獄のように感じられるのだろう。何のために自分はここにいて、こんなことをしているのか。日常の中に豊かな可能性を感じてもよいのに、きれいごとでは毎日を過ごせない。ただ、模範囚のようにきちんと仕事をこなしてゆくのだ。
相討ちの顔で朝飯食っている
多くの表現者と同じように、滋野の出発点にあるのは現実との違和感である。
朝飯を食べながらも何らかの憤懣があるのだろう。
杉はドーンと倒れ私のものになる
このような爽快感、カタルシスを感じる句もある。
次の「泡立ち草」の章には批評性のある句が多く収録されている。自己探求の人生派であった作品がここでは社会派に変貌してゆく。
雨だれの音が揃うと共謀罪
親知らず抜くと国家が生えてくる
国家斉唱 金魚は長い糞たれて
戦争は卵胎生ときどきアルビノ
兵役があった時代のいぼがえる
ペットです軍用犬に向きません
二番目に刻むとネギくさい祖国
石部明が言ったように、時事性を越えて社会性へと向かう作品だろう。
「じゅげむじゅげむ」の章からは次の一句。
自分史が有害図書の棚にある
第四章「大気は澄んで」には2011年~2013年の句が収録されている。
福島の原発事故をはじめ、さまざまな事件が諷刺されている。
雪無音 土偶は乳房尖らせて
それ以上覗きこんだらかじるわよ
羽化してもいいか 大気は澄んでるか
ステルスが来るってよゲンパツ飛び越えて
着地するたび夢精するオスプレイ
最後に「地球は青いか」(2014年)の章から。
埋め立ててジュゴンの沖を売る話
解釈を変えたらカナムグラ繁茂
草取りの軍手に玉音放送かな
傭兵もバイトもビラで募集中
滋野の句にはいろいろな面があるが、私の紹介は社会性の句に偏ったかもしれない。
かつて私は滋野の句に関連して次のように書いたことがある(「川柳カード」5号)。
〈 時事川柳や社会詠は「消える川柳」と呼ばれることが多い。確かにその時々の常識的な世評に乗っかって作られた句はすぐに忘れ去られてしまうだろう。ためされているのは作者の主観性・思想性の強度である。客観性(第三者性)の視点から詠まれた時事川柳もおもしろいが、「思い」と「時事」と「言葉」が三位一体となる方向は模索されてよいと思う 〉
諷刺対象を第三者的に眺めて無責任な立場から句を詠むやり方がある。けれども、滋野は社会詠の場合にも、そこに自己の「思い」を込めないではいられないタイプなのだ。滋野の内部に存在する人生派・社会派・芸術派の要素が互いに否定し合うことなく、さらに大きなスケールで作品を生み出すのを私は楽しみにしている。
2015年5月24日日曜日
現代川柳の縦軸と横軸
5月17日(日)に大阪・上本町の「たかつガーデン」で「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」が開催された。川柳のフリーマーケットとしては、かつて「WE ARE」が東京で開催して以来のことである。参加者74名、うち歌人が13名、俳人が7名。そのほかに受付を通っていない方が若干おられるかも知れない。
当日の挨拶文に私は次のように書いた。
「近年、現代川柳の句集の出版が盛んになってきました。
インターネットなどで注文することができますが、句集の作者と読者が直接交流できる場はそれほど多くありません。
一方で「文学フリマ」が開催され、短歌や俳句、現代詩やアニメなどの出版物を求めて読者が集まる状況が生まれています。またSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)による配信も盛んに行なわれています。
川柳にも時代に即応したコンテンツと配信のあり方が求められています。
本会が句会・大会とは別のかたちで川柳や短詩型文学に関心をもつ人々の交流の場となれば幸いです」
句会・大会とは異なるかたちで川柳の交流の場を作りたかったのである。そのためには、人・もの・情報が集まることが必要になる。
呼びかけに応じて出店したのは、川柳マガジン、あざみエージェント、邑書林、ジュンク堂上本町店、私家本工房、ねじまき句会などで、歌人の瀬戸夏子と平岡直子の二人も「SH」を作って参加してくれた。
フリーペーパーのコーナーも設け、柳本々々の「夢八夜」、川合大祐「異月都市」、「触光」(高田寄生木賞発表号)、「びわこ」、「点鐘雑唱」「SenryuSO」「くねる」「川柳宙」「川柳北田辺」などが無料配布された。フリーペーパーというよりフリーマガジンが多く、ご参加のみなさまにはお得感があったことだろう。あぼか堂の「アオイ575」は現代川柳界をテーマに描いた漫画で、川柳の句会にもっと若い人が増えたらいいなという作成者の熱意が伝わってくる。
フリマと平行して三つのイベントを企画。
第一部は「雑誌で見る現代川柳史」。コンセプトは「過去の川柳人の営為に対するリスペクト」である。
会場の展示コーナーには、「鴉」「天馬」「馬」「流木」「でるた」「縄」「無形像」「現代川柳」「せんば」「短詩」「森林」「海図」「鷹」「不死鳥」「川柳ジャーナル」「視野」「平安」「魚」「藍」などを展示した。「川柳文学館」と呼べるような施設が存在しない現在、過去の川柳誌を実際に手にする機会は多くない。実物を見ることで川柳の先人たちの息吹が伝わってくる。
中村冨二の「鴉」は二冊展示。表紙の鴉のイラストがかわいい。ざら半紙印刷なので、すでにぼろぼろになっており、手を触れていただけなかったのは残念である。合同句集『鴉』も展示したが、これは特に貴重なもので、「この句集は幻ではなくて、ほんとうに発行されていたのか」という声も聞いた。
貴重なものと言えば「せんば」1968年6月号。高柳重信の「赤黄男俳句と川柳」が掲載されている。この文章は重信の著作集にも未収録で、重信の研究者にもあまり知られていない。
第二部は句集紹介とサイン会。
この部分のコンセプトは「句集・フリペを仲立ちとする交流の場」である。
まず田口麦彦に登壇してもらい、今年発行された『新現代川柳必携』の紹介。
続いて、倉間しおりの『かぐや』の紹介。倉間は現在、高校二年生で勉強が忙しいようだが、「川柳スープレックス」を中心に活躍を続けてほしい。
あざみエージェントからは内田真理子句集『ゆくりなく』、竹井紫乙『ひよこ』、泉紅実『シンデレラの斜面』、平井美智子『なみだがとまるまで』などを紹介。『カーブ』は徳永政二の川柳作品と藤田めぐみの写真とのコラボだが、個々の句と対応させて写真を撮るのではなく、句集全体のイメージから写真を撮るという藤田のやり方が興味深かった。
邑書林はこの春、尼崎に移ってきたので、今後、関西川柳人との交流の機会も増えることと思う。
あと、瀬戸夏子・平岡直子にも登壇してもらって、話を聞けたのも嬉しいことだった。
第三部は天野慶と小池正博の対談「川柳をどう配信するか」。
この部分のコンセプトは「発信・配信」である。
川柳は句会・大会には数百人規模で人が集まるが、それはクローズな世界のなかでのことで、短詩型の読者に対するオープンな発信力はそれほど強くない。同人誌・結社誌は発行されていても、一般読者には届かないので、SNSなどのツールを利用して発信するのもひとつの方法である。
天野慶は昨年7月の「大阪短歌チョップ」のスタッフのひとりであり、ツイッターでも毎日短歌を発信しているので、川柳に対してもいろいろな提言をしていただけるものとお招きした。実際、彼女の話はとても刺激になって面白かったという声が多く、さっそくbotを始めた川柳人もいるようだ。
今回は配信の話に特化したので、川柳の中身の話にも少し触れたいと思って「現代川柳百人一句」(小池正博選出)を用意した。
9月12日の「第3回川柳カード大会」には柳本々々を迎えての対談が予定されている。この時には現代川柳の内実の話もできると思う。
さて、事前投句を募集したところ78句のご投句をいただいた。当日、会場で「お好きな句3句」をご投票いただき、結果はいずれ「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」ホームページに掲載されるだろうが、ベストスリーだけ発表させていただく。
12点 枝豆で角度がリリー・フランキー 榊陽子
9点 満水の桜並木の栓をぬく 岩田多佳子
8点 三分ほど笑った馬を降りた馬 筒井祥文
川柳の現在位置を確かめるには縦軸(ヒストリア)と横軸(短詩型文学全体のなかでの川柳)が必要だ。そういう意味では、川柳人だけでなく歌人・俳人の方々にもご参加いただいたのは嬉しいことだった。川柳人はけっこうシャイなところがあるので、はじめての場で思うように交流できないことがある。私自身もお話しできればよかったのにと悔やむことが多い。渡辺隆夫は「川柳は外交的でなければ生きてゆけないのである」と言ったが、その通りだろう。
みなさまに楽しんでいただこうと思って企画したイベントだが、いちばん楽しんでいたのは私自身かもしれない。自分でもおもしろいと思えないようなイベントでは意味がないのである。
当日の挨拶文に私は次のように書いた。
「近年、現代川柳の句集の出版が盛んになってきました。
インターネットなどで注文することができますが、句集の作者と読者が直接交流できる場はそれほど多くありません。
一方で「文学フリマ」が開催され、短歌や俳句、現代詩やアニメなどの出版物を求めて読者が集まる状況が生まれています。またSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)による配信も盛んに行なわれています。
川柳にも時代に即応したコンテンツと配信のあり方が求められています。
本会が句会・大会とは別のかたちで川柳や短詩型文学に関心をもつ人々の交流の場となれば幸いです」
句会・大会とは異なるかたちで川柳の交流の場を作りたかったのである。そのためには、人・もの・情報が集まることが必要になる。
呼びかけに応じて出店したのは、川柳マガジン、あざみエージェント、邑書林、ジュンク堂上本町店、私家本工房、ねじまき句会などで、歌人の瀬戸夏子と平岡直子の二人も「SH」を作って参加してくれた。
フリーペーパーのコーナーも設け、柳本々々の「夢八夜」、川合大祐「異月都市」、「触光」(高田寄生木賞発表号)、「びわこ」、「点鐘雑唱」「SenryuSO」「くねる」「川柳宙」「川柳北田辺」などが無料配布された。フリーペーパーというよりフリーマガジンが多く、ご参加のみなさまにはお得感があったことだろう。あぼか堂の「アオイ575」は現代川柳界をテーマに描いた漫画で、川柳の句会にもっと若い人が増えたらいいなという作成者の熱意が伝わってくる。
フリマと平行して三つのイベントを企画。
第一部は「雑誌で見る現代川柳史」。コンセプトは「過去の川柳人の営為に対するリスペクト」である。
会場の展示コーナーには、「鴉」「天馬」「馬」「流木」「でるた」「縄」「無形像」「現代川柳」「せんば」「短詩」「森林」「海図」「鷹」「不死鳥」「川柳ジャーナル」「視野」「平安」「魚」「藍」などを展示した。「川柳文学館」と呼べるような施設が存在しない現在、過去の川柳誌を実際に手にする機会は多くない。実物を見ることで川柳の先人たちの息吹が伝わってくる。
中村冨二の「鴉」は二冊展示。表紙の鴉のイラストがかわいい。ざら半紙印刷なので、すでにぼろぼろになっており、手を触れていただけなかったのは残念である。合同句集『鴉』も展示したが、これは特に貴重なもので、「この句集は幻ではなくて、ほんとうに発行されていたのか」という声も聞いた。
貴重なものと言えば「せんば」1968年6月号。高柳重信の「赤黄男俳句と川柳」が掲載されている。この文章は重信の著作集にも未収録で、重信の研究者にもあまり知られていない。
第二部は句集紹介とサイン会。
この部分のコンセプトは「句集・フリペを仲立ちとする交流の場」である。
まず田口麦彦に登壇してもらい、今年発行された『新現代川柳必携』の紹介。
続いて、倉間しおりの『かぐや』の紹介。倉間は現在、高校二年生で勉強が忙しいようだが、「川柳スープレックス」を中心に活躍を続けてほしい。
あざみエージェントからは内田真理子句集『ゆくりなく』、竹井紫乙『ひよこ』、泉紅実『シンデレラの斜面』、平井美智子『なみだがとまるまで』などを紹介。『カーブ』は徳永政二の川柳作品と藤田めぐみの写真とのコラボだが、個々の句と対応させて写真を撮るのではなく、句集全体のイメージから写真を撮るという藤田のやり方が興味深かった。
邑書林はこの春、尼崎に移ってきたので、今後、関西川柳人との交流の機会も増えることと思う。
あと、瀬戸夏子・平岡直子にも登壇してもらって、話を聞けたのも嬉しいことだった。
第三部は天野慶と小池正博の対談「川柳をどう配信するか」。
この部分のコンセプトは「発信・配信」である。
川柳は句会・大会には数百人規模で人が集まるが、それはクローズな世界のなかでのことで、短詩型の読者に対するオープンな発信力はそれほど強くない。同人誌・結社誌は発行されていても、一般読者には届かないので、SNSなどのツールを利用して発信するのもひとつの方法である。
天野慶は昨年7月の「大阪短歌チョップ」のスタッフのひとりであり、ツイッターでも毎日短歌を発信しているので、川柳に対してもいろいろな提言をしていただけるものとお招きした。実際、彼女の話はとても刺激になって面白かったという声が多く、さっそくbotを始めた川柳人もいるようだ。
今回は配信の話に特化したので、川柳の中身の話にも少し触れたいと思って「現代川柳百人一句」(小池正博選出)を用意した。
9月12日の「第3回川柳カード大会」には柳本々々を迎えての対談が予定されている。この時には現代川柳の内実の話もできると思う。
さて、事前投句を募集したところ78句のご投句をいただいた。当日、会場で「お好きな句3句」をご投票いただき、結果はいずれ「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」ホームページに掲載されるだろうが、ベストスリーだけ発表させていただく。
12点 枝豆で角度がリリー・フランキー 榊陽子
9点 満水の桜並木の栓をぬく 岩田多佳子
8点 三分ほど笑った馬を降りた馬 筒井祥文
川柳の現在位置を確かめるには縦軸(ヒストリア)と横軸(短詩型文学全体のなかでの川柳)が必要だ。そういう意味では、川柳人だけでなく歌人・俳人の方々にもご参加いただいたのは嬉しいことだった。川柳人はけっこうシャイなところがあるので、はじめての場で思うように交流できないことがある。私自身もお話しできればよかったのにと悔やむことが多い。渡辺隆夫は「川柳は外交的でなければ生きてゆけないのである」と言ったが、その通りだろう。
みなさまに楽しんでいただこうと思って企画したイベントだが、いちばん楽しんでいたのは私自身かもしれない。自分でもおもしろいと思えないようなイベントでは意味がないのである。
2015年5月15日金曜日
追悼・津田清子
5月5日、津田清子が亡くなった。享年94歳。
津田清子は前川佐美雄に師事して短歌をはじめたが、やがて橋本多佳子と出会い俳句に転じた。「天狼」にも投句して山口誓子の指導を受けている。「圭」主宰。私の敬愛する関西の俳人がまたひとりいなくなった。
句集『無方』を改めて読んでみた。
はじめに神砂漠を創り私す 津田清子
『無方』の巻頭句である。
1993年、津田は写真家の芥川仁に誘われアフリカのナミブ砂漠へ旅行した。このとき72歳。この句集で第34回飯田蛇笏賞を受賞している。
砂漠の句だけが収録されているのではなくて、他の吟行句も含まれているのだが、砂漠の句の印象が強烈だ。砂漠に立ったとき、対峙する自己もまた強烈に意識されたに違いない。
無方無時無距離砂漠の夜が明けて
「無方」は『荘子』秋水篇から取られたという。
津田は神田秀夫の『荘子』の講座を聞きに東京まで通っている。
『荘子』は清子の気質にぴったりかなったのだろう。
唾すれば唾を甘しと吸ふ砂漠
句集のあとがきに次の言葉がある。
「最大の悲哀は、私自身に私自身が未だに解らないということである。だから私は八十歳になっても九十歳になっても俳句を作り続けなければならないのである」
これはすごいと思う。五十歳や六十歳で行き詰まったり創作意欲を失ったりする私たちに活を入れるような言葉である。
「俳句研究」2002年9月号に桂信子と津田清子の対談が掲載されている。タイトルは「私たち死なれませんね!」。(「俳句研究」という雑誌も今はなくなった)
こんなやりとりがある。
桂 でも、あなたは砂漠へ行ったり、ものすごく遠いところに行っておられる。
津田 みんなと同じものを見ているとみんなと同じ俳句しかできないから、違うところを見たほうがいいんです。
桂 私は砂漠より海底のほうがきれいでいいと思いますけど。
津田 きれいすぎる。砂漠のように何もないほうが自分だけ残ってしまう。
桂 砂漠にはまた行きたいと思われるんですね。
津田 はい。砂漠には蛇もいてないし、ラクダ、ライオン、トラもいませんでした。
また、山口誓子についてこんなことも言っている。
津田 先生の若い頃は、それこそ先生のものさしにはまらない俳句があったら、ちょっとものさしを広げたりしてすくい取ってくださったんですけれど、晩年になってきますとものさしがきちっと決まってしまった。決まってもいいんですけれど、「天狼」の人々が無理して誓子先生のものさしにはまるような句しか作らなくなった。
この対談のあと桂信子は惜しくも亡くなった。
津田清子には二度会ったことがある。
2005年7月、堀本吟・長岡千尋による「第六回短詩型文学を語る会」では「津田清子と旅」というテーマを取り上げた。そのときの打ち合わせと本番のときの二回である。
私の役割は橋本多佳子と津田清子の吟行句を比べて読んでいくというものだった。清子は多佳子のお供をしてしばしば吟行に出かけている。そのときの二人の句を比較してみるとおもしろいと思ったのである。
そこで『礼拝』から橋本多佳子との旅の句を抜粋し、『海彦』『命終』所収の多佳子の句と並べてみた。たとえば、昭和27年10月、清子は多佳子に伴われ、信州へ四泊六日の旅に出る。
リンゴ採り尽くすまで樹の上にゐる 津田清子
林檎にかけし梯子が空へぬける 橋本多佳子
「私と清子さんはリンゴ採りの梯子にのぼり、枝から直かにもぎとって食べた。鮮しい果肉は固く酸がつよかった。浅間の溶岩の原の夕焼けには身の底までしみる淋しさがあった」(橋本多佳子)
津田清子といえば、第一句集『礼拝』の序文を思い出す。この序文は山口誓子が書いている。
〈 いつの新年だったか、私は新聞社の依頼によって南極を詠って詩一篇を作ったことがある。その詩を見せたとき清子は言下に「正直な詩ですね」と云った。私を正直詩派としたのである。これは清子に不正直詩派的なところがあることを物語る 〉
これを読んだとき私は度胆を抜かれた。誓子に対して「正直な詩ですね」と言い放つことができる弟子が津田清子のほかにいるだろうか。清子を「不正直詩派」と呼ぶ誓子もまた相当なものだ。ジャンルは異なっても私は津田清子から文芸の本質的な部分を教わったような気がする。
最後に『礼拝』から一句引用しておきたい。
虹二重神も恋愛したまへり 津田清子
津田清子は前川佐美雄に師事して短歌をはじめたが、やがて橋本多佳子と出会い俳句に転じた。「天狼」にも投句して山口誓子の指導を受けている。「圭」主宰。私の敬愛する関西の俳人がまたひとりいなくなった。
句集『無方』を改めて読んでみた。
はじめに神砂漠を創り私す 津田清子
『無方』の巻頭句である。
1993年、津田は写真家の芥川仁に誘われアフリカのナミブ砂漠へ旅行した。このとき72歳。この句集で第34回飯田蛇笏賞を受賞している。
砂漠の句だけが収録されているのではなくて、他の吟行句も含まれているのだが、砂漠の句の印象が強烈だ。砂漠に立ったとき、対峙する自己もまた強烈に意識されたに違いない。
無方無時無距離砂漠の夜が明けて
「無方」は『荘子』秋水篇から取られたという。
津田は神田秀夫の『荘子』の講座を聞きに東京まで通っている。
『荘子』は清子の気質にぴったりかなったのだろう。
唾すれば唾を甘しと吸ふ砂漠
句集のあとがきに次の言葉がある。
「最大の悲哀は、私自身に私自身が未だに解らないということである。だから私は八十歳になっても九十歳になっても俳句を作り続けなければならないのである」
これはすごいと思う。五十歳や六十歳で行き詰まったり創作意欲を失ったりする私たちに活を入れるような言葉である。
「俳句研究」2002年9月号に桂信子と津田清子の対談が掲載されている。タイトルは「私たち死なれませんね!」。(「俳句研究」という雑誌も今はなくなった)
こんなやりとりがある。
桂 でも、あなたは砂漠へ行ったり、ものすごく遠いところに行っておられる。
津田 みんなと同じものを見ているとみんなと同じ俳句しかできないから、違うところを見たほうがいいんです。
桂 私は砂漠より海底のほうがきれいでいいと思いますけど。
津田 きれいすぎる。砂漠のように何もないほうが自分だけ残ってしまう。
桂 砂漠にはまた行きたいと思われるんですね。
津田 はい。砂漠には蛇もいてないし、ラクダ、ライオン、トラもいませんでした。
また、山口誓子についてこんなことも言っている。
津田 先生の若い頃は、それこそ先生のものさしにはまらない俳句があったら、ちょっとものさしを広げたりしてすくい取ってくださったんですけれど、晩年になってきますとものさしがきちっと決まってしまった。決まってもいいんですけれど、「天狼」の人々が無理して誓子先生のものさしにはまるような句しか作らなくなった。
この対談のあと桂信子は惜しくも亡くなった。
津田清子には二度会ったことがある。
2005年7月、堀本吟・長岡千尋による「第六回短詩型文学を語る会」では「津田清子と旅」というテーマを取り上げた。そのときの打ち合わせと本番のときの二回である。
私の役割は橋本多佳子と津田清子の吟行句を比べて読んでいくというものだった。清子は多佳子のお供をしてしばしば吟行に出かけている。そのときの二人の句を比較してみるとおもしろいと思ったのである。
そこで『礼拝』から橋本多佳子との旅の句を抜粋し、『海彦』『命終』所収の多佳子の句と並べてみた。たとえば、昭和27年10月、清子は多佳子に伴われ、信州へ四泊六日の旅に出る。
リンゴ採り尽くすまで樹の上にゐる 津田清子
林檎にかけし梯子が空へぬける 橋本多佳子
「私と清子さんはリンゴ採りの梯子にのぼり、枝から直かにもぎとって食べた。鮮しい果肉は固く酸がつよかった。浅間の溶岩の原の夕焼けには身の底までしみる淋しさがあった」(橋本多佳子)
津田清子といえば、第一句集『礼拝』の序文を思い出す。この序文は山口誓子が書いている。
〈 いつの新年だったか、私は新聞社の依頼によって南極を詠って詩一篇を作ったことがある。その詩を見せたとき清子は言下に「正直な詩ですね」と云った。私を正直詩派としたのである。これは清子に不正直詩派的なところがあることを物語る 〉
これを読んだとき私は度胆を抜かれた。誓子に対して「正直な詩ですね」と言い放つことができる弟子が津田清子のほかにいるだろうか。清子を「不正直詩派」と呼ぶ誓子もまた相当なものだ。ジャンルは異なっても私は津田清子から文芸の本質的な部分を教わったような気がする。
最後に『礼拝』から一句引用しておきたい。
虹二重神も恋愛したまへり 津田清子
2015年5月9日土曜日
楢崎進弘の川柳ワールド
「逸」35号に楢崎進弘(ならざき・のぶひろ)が書き下ろし作品300句を掲載している。タイトルは「地図を読む」。
楢崎といえば、『現代川柳の精鋭たち』(北宋社、2000年)に掲載された「わけあってバナナの皮を持ち歩く」は強烈な印象を残している。それ以後、楢崎の句をまとまって読む機会がなかったが、今回は彼の句を取り上げてみたい。
苦しくていとこんにゃくを身にまとう
わたくしの死後もうどんを煮てください
人参ハ常ニ戦闘態勢にアリ
小松菜も天皇制もむずむずする
茄子っ!投げて届かぬ手榴弾
「食べ物」を素材とする句から。
川柳では食べ物を詠むことが多いが、それは日常性を詠むことが川柳のひとつの方向でもあるからだ。ここでは、日常性・私性から次第に飛躍してゆく様々なレベルの食べ物の詠み方が見られ、思いが次第にエスカレートしてゆくように感じられる。
300句は句集一冊に相当する分量である。「蒟蒻」「かつ丼」「天丼」「茄子」「うどん」など同一素材の繰り返しや同じ発想の句も見られるが、そんなことにはおかまいなく、むしろバリエーションを楽しみながら、ぐいぐい押してゆく力業がここにはある。
次に「人名」を使った句から。
それならば犬飼現八課長補佐
いつまでが胡瓜クラウス・キンスキー
かつて岩崎宏美の前髪のせつなさ
もう少し寒くなったら笠智衆
ミレーヌと呼んでみたらし団子かな
人名は強いイメージを喚起する。
たとえば、クラウス・キンスキーは怪奇映画やドラキュラ役者として活躍し、彼の娘のナスターシャ・キンスキーも女優として著名である。ここでは人名と食べ物のダブルになっている。
次に「地名」を用いた句。
種子島あたりで力つきてしまう
腰つきも何が何だか南禅寺
カレーうどんの汁も飛び散る淡路島
神戸かな何をいまさらアスピリン
通天閣の方から風が吹いてくる
続いて「犬」の句から。
残業がないので犬の爪を切る
犬の影 犬のかたちをして歩く
寝屋川の犬のうんこを手で摑む
疥癬や犬の晩年牡蠣フライ
睾丸の袋と犬を持て余す
「犬」には川柳的喩を込めやすい。
たとえば、ここに「父」のイメージを重ねることができる。
スカトロジーと結びつけることもできて、引用はしないが楢崎のスカトロジックな句は十分楽しめる。
分類から離れて印象に残った句から。
寝不足や鮫の一族みな滅ぶ
病院の廊下で転ぶ「十代の性典」
たいむかあどや魚の眼の裏返し
その辺に転がっている副所長
粘膜やすでにこの世のことならず
楢崎の300句を読んで感じるのは強い表現衝動であり、私自身はすでに忘れてしまったルサンチマンである。
最後にもう一度「食べ物」の句を紹介して締めくくろう。
たこやきのたこになったりならなかったり
すでに手遅れの大根を洗っている
あきらかに鯖の味噌煮の肝試し
人参の首から下が改革派
蒟蒻を食べてもいいがへらへらするな
楢崎といえば、『現代川柳の精鋭たち』(北宋社、2000年)に掲載された「わけあってバナナの皮を持ち歩く」は強烈な印象を残している。それ以後、楢崎の句をまとまって読む機会がなかったが、今回は彼の句を取り上げてみたい。
苦しくていとこんにゃくを身にまとう
わたくしの死後もうどんを煮てください
人参ハ常ニ戦闘態勢にアリ
小松菜も天皇制もむずむずする
茄子っ!投げて届かぬ手榴弾
「食べ物」を素材とする句から。
川柳では食べ物を詠むことが多いが、それは日常性を詠むことが川柳のひとつの方向でもあるからだ。ここでは、日常性・私性から次第に飛躍してゆく様々なレベルの食べ物の詠み方が見られ、思いが次第にエスカレートしてゆくように感じられる。
300句は句集一冊に相当する分量である。「蒟蒻」「かつ丼」「天丼」「茄子」「うどん」など同一素材の繰り返しや同じ発想の句も見られるが、そんなことにはおかまいなく、むしろバリエーションを楽しみながら、ぐいぐい押してゆく力業がここにはある。
次に「人名」を使った句から。
それならば犬飼現八課長補佐
いつまでが胡瓜クラウス・キンスキー
かつて岩崎宏美の前髪のせつなさ
もう少し寒くなったら笠智衆
ミレーヌと呼んでみたらし団子かな
人名は強いイメージを喚起する。
たとえば、クラウス・キンスキーは怪奇映画やドラキュラ役者として活躍し、彼の娘のナスターシャ・キンスキーも女優として著名である。ここでは人名と食べ物のダブルになっている。
次に「地名」を用いた句。
種子島あたりで力つきてしまう
腰つきも何が何だか南禅寺
カレーうどんの汁も飛び散る淡路島
神戸かな何をいまさらアスピリン
通天閣の方から風が吹いてくる
続いて「犬」の句から。
残業がないので犬の爪を切る
犬の影 犬のかたちをして歩く
寝屋川の犬のうんこを手で摑む
疥癬や犬の晩年牡蠣フライ
睾丸の袋と犬を持て余す
「犬」には川柳的喩を込めやすい。
たとえば、ここに「父」のイメージを重ねることができる。
スカトロジーと結びつけることもできて、引用はしないが楢崎のスカトロジックな句は十分楽しめる。
分類から離れて印象に残った句から。
寝不足や鮫の一族みな滅ぶ
病院の廊下で転ぶ「十代の性典」
たいむかあどや魚の眼の裏返し
その辺に転がっている副所長
粘膜やすでにこの世のことならず
楢崎の300句を読んで感じるのは強い表現衝動であり、私自身はすでに忘れてしまったルサンチマンである。
最後にもう一度「食べ物」の句を紹介して締めくくろう。
たこやきのたこになったりならなかったり
すでに手遅れの大根を洗っている
あきらかに鯖の味噌煮の肝試し
人参の首から下が改革派
蒟蒻を食べてもいいがへらへらするな
2015年5月3日日曜日
強権に確執をかもす志
連休でゆっくりしているうちに、短詩型の世界ではいろいろなことがどんどん進んでゆく。
特に俳句の動きが活発だ。
「文学界」5月号の巻頭表現は佐藤文香の「夏の末裔」10句。写真は安藤瑠美。(一か月近く前に発行されていたのに、いまごろになって気づいた。)
みずうみの氷るすべてがそのからだ 佐藤文香
間奏や夏を養ふ左心房
冷房や唾液をはじく耳朶の産毛
「オルガン」1号が発行されて話題になっている。生駒大祐・田島健一・鴇田智哉・宮本佳世乃の四人の同人誌。同人による対談「佐藤文香の『君に目があり見開かれ』を読んでみた」が掲載されている。
春暁をしばし冷たき雲の空 生駒大祐
鶴は手を欲しがっているくすぐる手 田島健一
しわしわの淵へと波の消えゆけり 鴇田智哉
風船に入る空気のちとぎくしやく 宮本佳世乃
「蝶」213号の特集『たむらちせい全句集』。伊丹啓子がこんなふうに書いている。
〈たむらちせいの作品には読者が解釈するにあたって難解なものが間間ある。が、それらの句はいわゆる「コトバ派」の俳人たちの難解句とは方向性が異なるように思う。なぜなら、ちせいの句の基底には初期の頃より培われてきたリアリズムが存在する。そして、リアリズムを踏まえたうえで独特の幻想性を加味しているからである〉
宮﨑玲奈の「赤黄男に贈る詩」も興味深く読んだ。
寒椿詠まねばすべて無なりけり たむらちせい
雪女陸軍伍長の墓を抱く 森武司
「豈」57号、招待作家として金原まさ子の50句が掲載されていておもしろいが、「豈」についてはまた別の機会に。
『冬野虹作品集成』全三巻。ゆっくりと読みたい。
作品をまとめて残してゆく作業、新しい同人誌のスタートなど、いろいろな動きがあって目が離せない。同人誌はさまざまな表現者の組み合わせによって、新鮮な活動が期待できる。川柳でも数名の同人によるユニットが複数できて、それぞれの表現世界を追求してゆくような状況が生まれるとよいのにと思っている。
川柳では「ノエマ・ノエシス」29号、高鶴礼子の巻頭作品「総員情報機器化症候群」に注目した。「症候群」に「シンドローム」のルビが付いている。初出は詩誌「飛揚」59号、特集「機械」のゲスト作品ということだ。それに新たな二句を加え、「見田宗介先生に捧ぐ」という献辞が添えられている。
工程を踏めば図太くなる舌禍
「機械」というテーマだが、そこに現代社会に対する批評的な意味が込められている。「舌禍」というのだから、ことは「言論の自由」にかかわっているだろう。
工程を踏めば大きな制作物も可能になる。同時に負の一面も巨大化するのだ。
擬制いえ規制 ザムザは虫になる
「擬制」と「規制」。「自己規制」という言葉もある。社会全体が規制の方向に動いている。
カフカの「変身」はかつて不条理文学として読まれたが、いまは「ひきこもり文学」として読まれることもある。この句では「不条理」の方の意味が強いようだ。
「特定秘密保護法」のことなどが思い浮かぶ。
起動音 織機の下のキリギリス
織機の起動音とキリギリスの鳴き声とだったら、言うまでもなく起動音の方が優勢だ。けれどもキリギリスの鳴き声を聞き取る耳を失いたくないところだ。
整然と仮象の桃は腐らない
バーチャルの桃は映像の世界の中で腐らない。
情報化社会。マトリックスの海。
置換されたいか深層社会学
見田宗介はたしか社会学者だった。
大澤真幸・宮台真司などが見田ゼミの出身だという。
深層心理学はよく耳にするが、深層社会学というものがあるのだろうか。
ギシギシとネジのネジレはまだ癒えぬ
部品を止めているネジには大きな負荷がかかっている。
「銀河鉄道999」というアニメでは機械の星を支えるネジは人間からできている。
心あるネジたちは機械の星を破壊するために、自らバラバラになるという結末だった。
あの映画ではまだロマン主義が生きていた。
メガバイト ナンジシンミンハゲムベシ
情報操作と権力との関係。
情報量の大きさの陰で権力は行使されているのだろうか。
追投下 領有するという疎外
「追投下」には「リ・ツイート」のルビ。
国境と領有権の問題。
餓死しないボクと見つめるボクの餓死
かつて「飢えた子の前で文学は有効か」ということが言われた時代があった。
栄養失調の子どもたちがじっと私たちを見つめているというイメージだろう。
組織論なんて牧歌をうたうなよ
権力に対する対抗組織もいまは力をもたない。
ここでは「牧歌」だと一刀両断されている。
符号ゆえゼンノウ 瓊瓊杵尊モ、ワ、タ、クシモ
「瓊瓊杵尊」には「カミ」というルビ。
ニニギノミコトは天孫降臨神話に登場する天孫だから、ここでは天皇制がテーマとなっているのだ。
「ワ、タ、クシ」とは誰だろう。
跨ぐなと合わせ鏡の中の死者
戦後70年。
「戦争は絶対にしてはいけない」と発言する人も次々と世を去ってゆく。
現在が昭和十年代と似ているとしたら、無気味なことである。
今回の高鶴の作品に現代川柳ではすでに珍しくなった社会性を感じたので、私なりの感想を書き留めてみた。石川啄木が「時代閉塞の現状」の中で述べ、のちに大江健三郎が敷衍した「強権に確執をかもす志」という言葉が思い出された。
特に俳句の動きが活発だ。
「文学界」5月号の巻頭表現は佐藤文香の「夏の末裔」10句。写真は安藤瑠美。(一か月近く前に発行されていたのに、いまごろになって気づいた。)
みずうみの氷るすべてがそのからだ 佐藤文香
間奏や夏を養ふ左心房
冷房や唾液をはじく耳朶の産毛
「オルガン」1号が発行されて話題になっている。生駒大祐・田島健一・鴇田智哉・宮本佳世乃の四人の同人誌。同人による対談「佐藤文香の『君に目があり見開かれ』を読んでみた」が掲載されている。
春暁をしばし冷たき雲の空 生駒大祐
鶴は手を欲しがっているくすぐる手 田島健一
しわしわの淵へと波の消えゆけり 鴇田智哉
風船に入る空気のちとぎくしやく 宮本佳世乃
「蝶」213号の特集『たむらちせい全句集』。伊丹啓子がこんなふうに書いている。
〈たむらちせいの作品には読者が解釈するにあたって難解なものが間間ある。が、それらの句はいわゆる「コトバ派」の俳人たちの難解句とは方向性が異なるように思う。なぜなら、ちせいの句の基底には初期の頃より培われてきたリアリズムが存在する。そして、リアリズムを踏まえたうえで独特の幻想性を加味しているからである〉
宮﨑玲奈の「赤黄男に贈る詩」も興味深く読んだ。
寒椿詠まねばすべて無なりけり たむらちせい
雪女陸軍伍長の墓を抱く 森武司
「豈」57号、招待作家として金原まさ子の50句が掲載されていておもしろいが、「豈」についてはまた別の機会に。
『冬野虹作品集成』全三巻。ゆっくりと読みたい。
作品をまとめて残してゆく作業、新しい同人誌のスタートなど、いろいろな動きがあって目が離せない。同人誌はさまざまな表現者の組み合わせによって、新鮮な活動が期待できる。川柳でも数名の同人によるユニットが複数できて、それぞれの表現世界を追求してゆくような状況が生まれるとよいのにと思っている。
川柳では「ノエマ・ノエシス」29号、高鶴礼子の巻頭作品「総員情報機器化症候群」に注目した。「症候群」に「シンドローム」のルビが付いている。初出は詩誌「飛揚」59号、特集「機械」のゲスト作品ということだ。それに新たな二句を加え、「見田宗介先生に捧ぐ」という献辞が添えられている。
工程を踏めば図太くなる舌禍
「機械」というテーマだが、そこに現代社会に対する批評的な意味が込められている。「舌禍」というのだから、ことは「言論の自由」にかかわっているだろう。
工程を踏めば大きな制作物も可能になる。同時に負の一面も巨大化するのだ。
擬制いえ規制 ザムザは虫になる
「擬制」と「規制」。「自己規制」という言葉もある。社会全体が規制の方向に動いている。
カフカの「変身」はかつて不条理文学として読まれたが、いまは「ひきこもり文学」として読まれることもある。この句では「不条理」の方の意味が強いようだ。
「特定秘密保護法」のことなどが思い浮かぶ。
起動音 織機の下のキリギリス
織機の起動音とキリギリスの鳴き声とだったら、言うまでもなく起動音の方が優勢だ。けれどもキリギリスの鳴き声を聞き取る耳を失いたくないところだ。
整然と仮象の桃は腐らない
バーチャルの桃は映像の世界の中で腐らない。
情報化社会。マトリックスの海。
置換されたいか深層社会学
見田宗介はたしか社会学者だった。
大澤真幸・宮台真司などが見田ゼミの出身だという。
深層心理学はよく耳にするが、深層社会学というものがあるのだろうか。
ギシギシとネジのネジレはまだ癒えぬ
部品を止めているネジには大きな負荷がかかっている。
「銀河鉄道999」というアニメでは機械の星を支えるネジは人間からできている。
心あるネジたちは機械の星を破壊するために、自らバラバラになるという結末だった。
あの映画ではまだロマン主義が生きていた。
メガバイト ナンジシンミンハゲムベシ
情報操作と権力との関係。
情報量の大きさの陰で権力は行使されているのだろうか。
追投下 領有するという疎外
「追投下」には「リ・ツイート」のルビ。
国境と領有権の問題。
餓死しないボクと見つめるボクの餓死
かつて「飢えた子の前で文学は有効か」ということが言われた時代があった。
栄養失調の子どもたちがじっと私たちを見つめているというイメージだろう。
組織論なんて牧歌をうたうなよ
権力に対する対抗組織もいまは力をもたない。
ここでは「牧歌」だと一刀両断されている。
符号ゆえゼンノウ 瓊瓊杵尊モ、ワ、タ、クシモ
「瓊瓊杵尊」には「カミ」というルビ。
ニニギノミコトは天孫降臨神話に登場する天孫だから、ここでは天皇制がテーマとなっているのだ。
「ワ、タ、クシ」とは誰だろう。
跨ぐなと合わせ鏡の中の死者
戦後70年。
「戦争は絶対にしてはいけない」と発言する人も次々と世を去ってゆく。
現在が昭和十年代と似ているとしたら、無気味なことである。
今回の高鶴の作品に現代川柳ではすでに珍しくなった社会性を感じたので、私なりの感想を書き留めてみた。石川啄木が「時代閉塞の現状」の中で述べ、のちに大江健三郎が敷衍した「強権に確執をかもす志」という言葉が思い出された。
2015年4月25日土曜日
ふわりと・くるりと・つるりと―畑美樹の川柳
今回は「川柳カード」8号に掲載されている畑美樹の作品を読んでゆきたい。
「三拍子」というタイトルの十句である。
雲梯をふわりと越えて波になる
小学校のころ校庭に雲梯というものがあった。
はしごを水平にしたような遊具でぶらさがりながら伝い進んでゆく。
今でも公園で見かけたときにやってみようかなと思うこともあるが、体重を考えて自重している。
語源は古代中国の兵器だったようで、雲に届くような梯子をかけて城攻めをするのだ。
この句では雲梯にぶらさがるのではなくて、ふわりと越えると言っている。身体の重さが消去されているのは、「雲」という字のイメージからだろう。
雲を越えたあとに波になるので、実体は感じられない。
あたらしい名前を売っている渚
名前と実体。
名前を変えると新しい自分になることができるのだろうか。
歌舞伎の襲名のように、名を変えることによって実体が名に追いついてゆくこともある。
渚では名前を売っているという。
買ってみようかなと思うが、迷うところだ。街の雑踏の中で売っているなら買う気がしないのだが。
納豆にからまりながら秋津島
秋津島は日本の古名。神話のイメージも感じられる。
日本という島が納豆のねばねばにからまっているというのだ。
本州が納豆ほどに縮小されている。
塩ふって島の意見を聞いていく
ここでは島に塩をふっている。
島の意見に味付けをする。悪意をもって。それとも味を濃くするために。あるいはナメクジのように溶かしてしまうために?
この句には時事を読み取らない方がよいと思う。
ここまで、波→渚→島という連想で句が続いている。
足首をくるりと回す精肉屋
精肉屋が何のために足首を回しているのかという問いは無効である。
「意味よりもほんの少し前に」という文章で畑美樹はこんなふうに書いている。
「意味がやってくる前に伝えられるもの。それは一体なんだろうか」
「コトバが意味を伝えてくるよりもほんの少しだけ前に、何かが届いてしまう、そんなかんじ」
「そこまで」という声がして匂ふ葱
意味より前にやってくるものと言うならば、それは音やリズム、感覚だろうと思って、私は畑美樹を川柳における感覚派ととらえている。
この句では声(聴覚)と匂い(嗅覚)。
「川柳カード」8号の合評会で、「匂ふ」の歴史的かなづかいが話題になった。
「そこまで」は過去をそこで区切っているのだという意見もあった。
顎の先つるりと滑らせてふたり
恋句かなと思ったが、そうではないかもしれない。恋句だとしても手がこんでいる。
足を滑らせるのではなくて、顎の先を滑らせている。あるいは、顎の先で二人が滑っている。そんなことは実景としてはないはずだが、残るのはつるりと滑る感覚である。
「ふわりと」「くるりと」「つるりと」、こういう擬態語の多用はこの作者の特徴だが、実のところ私はあまり好きではない。既成の擬態語や擬音語で感覚自体を表現するのはむつかしいのだ。
おぼろ月やがて水汲む人になる
水のイメージに戻る。
「やがて」に時間の経過がある。
「水を汲まない人」から「水を汲む人」への変化によって、何か新しいことが生まれたらいいなと思う。
水は畑美樹の原イメージである。
お前とかカワウソだとか綿の雲
水といえばカワウソでしょう。
すでにニホンカワウソは絶滅している。
この句は独白ではなくて、二人で会話しているような雰囲気が私には感じられる。
ことりことり新聞紙の三拍子
「こ・と・り」と分節すれば三拍子なのか。
新聞に書かれている内容が三拍子なのか。
小鳥・子盗り・ことり―意味はいろいろ代入できる。
わからないなりにおもしろいなと思った。
かつて私はセレクション柳人『畑美樹集』の解説で次のように書いたことがある。
「言葉と言葉の関係性や完成度に腐心している私には、言葉以前の感覚にこだわる畑美樹の作品は新鮮に見えるし、それがどのように川柳の言葉に定着してゆくのかにとても興味がある」
それから十年ほどが経過した。畑美樹が新境地を切り開くことを読者は待っている。
「三拍子」というタイトルの十句である。
雲梯をふわりと越えて波になる
小学校のころ校庭に雲梯というものがあった。
はしごを水平にしたような遊具でぶらさがりながら伝い進んでゆく。
今でも公園で見かけたときにやってみようかなと思うこともあるが、体重を考えて自重している。
語源は古代中国の兵器だったようで、雲に届くような梯子をかけて城攻めをするのだ。
この句では雲梯にぶらさがるのではなくて、ふわりと越えると言っている。身体の重さが消去されているのは、「雲」という字のイメージからだろう。
雲を越えたあとに波になるので、実体は感じられない。
あたらしい名前を売っている渚
名前と実体。
名前を変えると新しい自分になることができるのだろうか。
歌舞伎の襲名のように、名を変えることによって実体が名に追いついてゆくこともある。
渚では名前を売っているという。
買ってみようかなと思うが、迷うところだ。街の雑踏の中で売っているなら買う気がしないのだが。
納豆にからまりながら秋津島
秋津島は日本の古名。神話のイメージも感じられる。
日本という島が納豆のねばねばにからまっているというのだ。
本州が納豆ほどに縮小されている。
塩ふって島の意見を聞いていく
ここでは島に塩をふっている。
島の意見に味付けをする。悪意をもって。それとも味を濃くするために。あるいはナメクジのように溶かしてしまうために?
この句には時事を読み取らない方がよいと思う。
ここまで、波→渚→島という連想で句が続いている。
足首をくるりと回す精肉屋
精肉屋が何のために足首を回しているのかという問いは無効である。
「意味よりもほんの少し前に」という文章で畑美樹はこんなふうに書いている。
「意味がやってくる前に伝えられるもの。それは一体なんだろうか」
「コトバが意味を伝えてくるよりもほんの少しだけ前に、何かが届いてしまう、そんなかんじ」
「そこまで」という声がして匂ふ葱
意味より前にやってくるものと言うならば、それは音やリズム、感覚だろうと思って、私は畑美樹を川柳における感覚派ととらえている。
この句では声(聴覚)と匂い(嗅覚)。
「川柳カード」8号の合評会で、「匂ふ」の歴史的かなづかいが話題になった。
「そこまで」は過去をそこで区切っているのだという意見もあった。
顎の先つるりと滑らせてふたり
恋句かなと思ったが、そうではないかもしれない。恋句だとしても手がこんでいる。
足を滑らせるのではなくて、顎の先を滑らせている。あるいは、顎の先で二人が滑っている。そんなことは実景としてはないはずだが、残るのはつるりと滑る感覚である。
「ふわりと」「くるりと」「つるりと」、こういう擬態語の多用はこの作者の特徴だが、実のところ私はあまり好きではない。既成の擬態語や擬音語で感覚自体を表現するのはむつかしいのだ。
おぼろ月やがて水汲む人になる
水のイメージに戻る。
「やがて」に時間の経過がある。
「水を汲まない人」から「水を汲む人」への変化によって、何か新しいことが生まれたらいいなと思う。
水は畑美樹の原イメージである。
お前とかカワウソだとか綿の雲
水といえばカワウソでしょう。
すでにニホンカワウソは絶滅している。
この句は独白ではなくて、二人で会話しているような雰囲気が私には感じられる。
ことりことり新聞紙の三拍子
「こ・と・り」と分節すれば三拍子なのか。
新聞に書かれている内容が三拍子なのか。
小鳥・子盗り・ことり―意味はいろいろ代入できる。
わからないなりにおもしろいなと思った。
かつて私はセレクション柳人『畑美樹集』の解説で次のように書いたことがある。
「言葉と言葉の関係性や完成度に腐心している私には、言葉以前の感覚にこだわる畑美樹の作品は新鮮に見えるし、それがどのように川柳の言葉に定着してゆくのかにとても興味がある」
それから十年ほどが経過した。畑美樹が新境地を切り開くことを読者は待っている。
2015年4月17日金曜日
『関西俳句なう』
関西短詩型文芸の地盤沈下が言われるようになって久しい。
俳句について言えば、かつて関西には独自の存在感を示す俳人が何人もいた。
鈴木六林男・永田耕衣・八木三日女・橋閒石などの名が思い浮かぶ。これらの一時代を画した作者たちが亡くなったあと、関西の短詩型の世界は何だか元気がない。
そういう不満を吹き飛ばすように、このたび関西の若手俳人の作品のアンソロジーとして『関西俳句なう』(本阿弥書店)が刊行された。
塩見恵介による「はじめに」には次のように書かれている。
〈「関西俳句なう」は2011年1月1日より、俳句グループ「船団」の関西在住若手メンバー六人で立ち上げました情報サイトです〉
〈2000年代以降、社会情勢の影響が多分にあると思われますが、総合誌の話題はどうしても首都圏が中心となっており、関西に住む我々にとっては少し残念な思いをすることの多い日々が続きました〉
〈本書は、2012年現在、「船団」に所属している若手作家13人と他結社・個人の作家13人の書簡交換形式による作品五十句の発表の場としました〉
本書の帯には端的に「東京がなんぼのもんじゃ」と書かれている。
13組26人の各50句のほかミニエッセイも収録されているが、ここでは私が個人的に興味をひかれた〈久留島元VS岡田一実〉の組み合わせを取り上げる。
まず、久留島元の作品から。久留島の50句には「妖怪の国」というタイトルが付けられている。
静粛に! 今夜稲妻鑑賞会
倉阪鬼一郎の『怖い俳句』(幻冬舎新書)の巻頭には芭蕉の句「稲づまやかほのところが薄の穂」が取り上げられている。倉阪はこんなふうに書いている。
〈「言ひおほせて何かある」とは芭蕉の俳言の一つですが、これは怖さを醸成する場合にも当てはまります。「怖がらせるには、まず隠せ」といったところでしょうか〉
稲妻は恐怖を起こさせる状況設定として、しばしば用いられる。ところが久留島のこの句では、みんながガヤガヤ言いながら稲妻を鑑賞している。「ちょっと静かにしなさい」と注意しなければならないほどだ。現代では恐怖ですら消費の対象となってしまっている。
日本は妖怪の国春の川
川柳で「妖怪」という言葉を用いると「妖怪のような人」という揶揄の意味になってしまうが、この句ではそこまでの意味性は込められていないようだ。『遠野物語』や水木しげるの漫画に描かれているような妖怪の棲息する国であると言っている。妖怪は夏に似合うのに、ここでは「春の川」と取り合わせられている。
きつね来て久遠と啼いて夏の夕
きつねが来てコンと啼いたというだけの句である。それを「久遠」と書いたところに機知を感じる。狐はふつう冬の季語だが、ここでは夏にしている。
鳥の巣に鳥がいるとは限らない
では、何がいるというのだろう。おそろしいものがいるのではないか。
久留島は妖怪研究者でもあって「是害房絵巻」に関しては第一人者である。
是害房という唐土の天狗が日本にやってきて日羅房という日本の天狗と対面する。是害房は日本の僧侶と力比べを試みるが、高僧によって次々と撃退される。傷ついた是害房を天狗たちが介抱し、送別会を開いて、是害房は唐土に帰ってゆく、というような話である。
私は京都国立博物館でこの絵巻を見たことがあり、おもしろいなと思って記憶に残っている。恐ろしいはずの天狗が俳諧性をもって描かれているのだ。
台風の目の中にいるおばあさん
このおばあさんは恐ろしい存在かもしれないし、ユーモアを感じさせる存在かもしれない。そういう二重の存在として、いかようにも受け取れるように思う。
では、続いて岡田一実の作品から。
とほくに象死んで熟れゆく夜のバナナ
遠景には死んだ象がいる。近景には熟れたバナナがある。バナナは象の好物であるはずだが、それを食べる象はもういない。
蟷螂のしづかに草を持てあます
蟷螂が草の上でじっとしている。
たぶん餌となる虫がくるのを待っているのだろうが、虫はいつまでもやってこない。
蟷螂は時間を持てあましているようだが、次の瞬間には餌をとらえるかもしれない。持てあましながら、緊張しているのだ。
象も蟷螂も「もの」でありながら、かすかに喩としての意味を感じさせる。
白鳥が白くてどうでもよくて好き
本当に「どうでもよい」のだろうか。「どうでもよい」と言わないと苦しいほど好きなのではないか。
昨年発行されたこの作者の句集『境界‐border』に「はくれんの中身知りたし知らんでも良し」という句があった。二律背反的な感情がつきまとうのだ。
焚火かの兎を入れて愛しめり
最初読んだとき、焚火の中に兎を放り込むのかと思ってドキッとした。しかし、そうではなくて、焚火の輪のなかに兎も入れて一緒に暖をとっているのだろう。「かの」という言葉から三橋敏雄の「絶滅のかの狼を連れ歩く」を連想する。狼ではなくて兎をつれているのだろう。
茎容れて吸はれながらに水澄めり
花瓶に花を活けると茎は水を吸う。花の茎の水を吸われることによって花瓶の水は澄んでゆくのだ。吸われることによって濁ってゆくのではなくて、澄んでゆくと見たところに作者の感性がある。
十年以上前に巻いた妖怪賦物・胡蝶「一反木綿」の巻がある。
別所真紀さんの発句は「わが死後は一反木綿秋の風」。
抽斗からその時の付句が何句か出てきたので、書き留めておきたい。
座敷わらしと仲良しになり 漠
塗り壁にぶつかるまではともに行く 正博
妙齢をおいてけ堀の夕映に 漠
膝のあたりに人面の瘡 正博
ドラキュラに母あることのかなしさよ 真紀
(花の座では次の句を付けている。)
花の下天狗評定続きをり 正博
俳句について言えば、かつて関西には独自の存在感を示す俳人が何人もいた。
鈴木六林男・永田耕衣・八木三日女・橋閒石などの名が思い浮かぶ。これらの一時代を画した作者たちが亡くなったあと、関西の短詩型の世界は何だか元気がない。
そういう不満を吹き飛ばすように、このたび関西の若手俳人の作品のアンソロジーとして『関西俳句なう』(本阿弥書店)が刊行された。
塩見恵介による「はじめに」には次のように書かれている。
〈「関西俳句なう」は2011年1月1日より、俳句グループ「船団」の関西在住若手メンバー六人で立ち上げました情報サイトです〉
〈2000年代以降、社会情勢の影響が多分にあると思われますが、総合誌の話題はどうしても首都圏が中心となっており、関西に住む我々にとっては少し残念な思いをすることの多い日々が続きました〉
〈本書は、2012年現在、「船団」に所属している若手作家13人と他結社・個人の作家13人の書簡交換形式による作品五十句の発表の場としました〉
本書の帯には端的に「東京がなんぼのもんじゃ」と書かれている。
13組26人の各50句のほかミニエッセイも収録されているが、ここでは私が個人的に興味をひかれた〈久留島元VS岡田一実〉の組み合わせを取り上げる。
まず、久留島元の作品から。久留島の50句には「妖怪の国」というタイトルが付けられている。
静粛に! 今夜稲妻鑑賞会
倉阪鬼一郎の『怖い俳句』(幻冬舎新書)の巻頭には芭蕉の句「稲づまやかほのところが薄の穂」が取り上げられている。倉阪はこんなふうに書いている。
〈「言ひおほせて何かある」とは芭蕉の俳言の一つですが、これは怖さを醸成する場合にも当てはまります。「怖がらせるには、まず隠せ」といったところでしょうか〉
稲妻は恐怖を起こさせる状況設定として、しばしば用いられる。ところが久留島のこの句では、みんながガヤガヤ言いながら稲妻を鑑賞している。「ちょっと静かにしなさい」と注意しなければならないほどだ。現代では恐怖ですら消費の対象となってしまっている。
日本は妖怪の国春の川
川柳で「妖怪」という言葉を用いると「妖怪のような人」という揶揄の意味になってしまうが、この句ではそこまでの意味性は込められていないようだ。『遠野物語』や水木しげるの漫画に描かれているような妖怪の棲息する国であると言っている。妖怪は夏に似合うのに、ここでは「春の川」と取り合わせられている。
きつね来て久遠と啼いて夏の夕
きつねが来てコンと啼いたというだけの句である。それを「久遠」と書いたところに機知を感じる。狐はふつう冬の季語だが、ここでは夏にしている。
鳥の巣に鳥がいるとは限らない
では、何がいるというのだろう。おそろしいものがいるのではないか。
久留島は妖怪研究者でもあって「是害房絵巻」に関しては第一人者である。
是害房という唐土の天狗が日本にやってきて日羅房という日本の天狗と対面する。是害房は日本の僧侶と力比べを試みるが、高僧によって次々と撃退される。傷ついた是害房を天狗たちが介抱し、送別会を開いて、是害房は唐土に帰ってゆく、というような話である。
私は京都国立博物館でこの絵巻を見たことがあり、おもしろいなと思って記憶に残っている。恐ろしいはずの天狗が俳諧性をもって描かれているのだ。
台風の目の中にいるおばあさん
このおばあさんは恐ろしい存在かもしれないし、ユーモアを感じさせる存在かもしれない。そういう二重の存在として、いかようにも受け取れるように思う。
では、続いて岡田一実の作品から。
とほくに象死んで熟れゆく夜のバナナ
遠景には死んだ象がいる。近景には熟れたバナナがある。バナナは象の好物であるはずだが、それを食べる象はもういない。
蟷螂のしづかに草を持てあます
蟷螂が草の上でじっとしている。
たぶん餌となる虫がくるのを待っているのだろうが、虫はいつまでもやってこない。
蟷螂は時間を持てあましているようだが、次の瞬間には餌をとらえるかもしれない。持てあましながら、緊張しているのだ。
象も蟷螂も「もの」でありながら、かすかに喩としての意味を感じさせる。
白鳥が白くてどうでもよくて好き
本当に「どうでもよい」のだろうか。「どうでもよい」と言わないと苦しいほど好きなのではないか。
昨年発行されたこの作者の句集『境界‐border』に「はくれんの中身知りたし知らんでも良し」という句があった。二律背反的な感情がつきまとうのだ。
焚火かの兎を入れて愛しめり
最初読んだとき、焚火の中に兎を放り込むのかと思ってドキッとした。しかし、そうではなくて、焚火の輪のなかに兎も入れて一緒に暖をとっているのだろう。「かの」という言葉から三橋敏雄の「絶滅のかの狼を連れ歩く」を連想する。狼ではなくて兎をつれているのだろう。
茎容れて吸はれながらに水澄めり
花瓶に花を活けると茎は水を吸う。花の茎の水を吸われることによって花瓶の水は澄んでゆくのだ。吸われることによって濁ってゆくのではなくて、澄んでゆくと見たところに作者の感性がある。
十年以上前に巻いた妖怪賦物・胡蝶「一反木綿」の巻がある。
別所真紀さんの発句は「わが死後は一反木綿秋の風」。
抽斗からその時の付句が何句か出てきたので、書き留めておきたい。
座敷わらしと仲良しになり 漠
塗り壁にぶつかるまではともに行く 正博
妙齢をおいてけ堀の夕映に 漠
膝のあたりに人面の瘡 正博
ドラキュラに母あることのかなしさよ 真紀
(花の座では次の句を付けている。)
花の下天狗評定続きをり 正博
2015年4月3日金曜日
中村冨二と「川柳的技術」
「川柳カード」8号に石田柊馬が「冨二考」を発表している。25ページに及ぶ長編評論である。いまなぜ冨二なのか。
もう十年以前のことだと思うが、石田柊馬と松本仁が次のような会話を交わしているのを聞いたことがある。
「中村冨二をどう思う?」
「伝統やね」
「やっぱりそう思うか」
そばで聞いていた私にはよく理解できなかった。
現代川柳は中村冨二と河野春三から始まったというのが私の持論であり、「東の冨二、西の春三」などと言われる。その冨二が「伝統」だと言うのである。
ここで言う「伝統」とは、川柳を「伝統川柳」と「革新川柳」に二分したときの「伝統川柳」の意味で、「現代川柳」には「革新川柳」という意味が強く込められている。この二分法は現在ではすでに無効となっていると私は思っているが、戦後川柳史を理解するときの前提となるキイ・ワードである。
だから「冨二が伝統である」という認識は当時の私にはすぐに理解できないところがあったのだ。そのとき以来、冨二が伝統であるということの内実をいつか石田に解き明かしてほしいという願望を私はもっていた。
一方で、冨二には「川柳という名に残されたモノは、技術だけである」という有名な発言がある。この言葉もさまざまに解釈できて、定説というようなものはない。というより、この言葉の意味を真剣に追及した川柳人がいなかったのである。
そういうモヤモヤした疑問を吹き飛ばす文章として、石田の評論がいま目の前にある。
「川柳に残された川柳的技術」について、かつて私は次のように書いたことがある(「中村冨二と現代川柳」、『蕩尽の文芸』所収)。
〈 冨二の発言の中で最も有名なのが「川柳という名に残されたモノは、技術だけである」という言葉である。『中村冨二句集』(森林書房)の「あとがき」にあるが、同じようなことを冨二はあちこちで繰り返し語っているようだ。
この言葉はペシミズムではなく、むしろ冨二の川柳職人としての矜持を示すものだと私は受け止めている。作家精神の裏づけとしての川柳技術。山村祐の川柳中年文学説に対して、冨二は「川柳は青春の文学であってほしい」という願いをもっていた。「川柳とaの会」による合同句集『鬼』の序「火を焚く」という文章の中で冨二は次のように書いている。
「誠に過去現代を通して川柳には青春がとぼしい。そして皆無だと言われない所にボクは川柳の可能性を信じている。たとえ否定する何ものもないボクへの過去の川柳ではあっても、ボク自身や、ボクを取巻く社会の中に存在して否定するに足りる数々の現象に対して『川柳に残された川柳的技術』を武器として歩ける所まで歩いて行こうと思っている」 〉
「川柳職人としての矜持」では何も説明したことにならないが、仕方がない。
では、石田はどんなふうに述べているだろうか。
詳しくは石田の評論をお読みいただきたいが、興趣と発想の不可分性を冨二は「技術」の一語に込めたということになる。
「興趣」とは「川柳的興趣」である。では「川柳的興趣」とは何か。冨二の場合、「意味性」「大衆性」「共感性」などの伝統川柳の諸要素である。この中には「詩性」は入らないのである。
「詩性に及べば自分の意識に在る川柳性からの逸脱になる」
「詩性の追求が深まれば深まるほど、川柳の固有性と言ってもおかしくない意味性と大衆性が後退する」
「冨二の川柳についてのスピリットは意味性に留まること、その共感性の埒内に留まることであった」
「(冨二は)川柳の発展要素を詩性の追求とする議論には加わらなかった」
石田は冨二の川柳をこのようにとらえている。そして、冨二を「川柳的興趣の人」と呼ぶのである。「川柳的興趣」と「詩的興趣」に分けるとすれば、冨二は「詩性」「詩的興趣」の側に立った河野春三とは正反対の位置にいる。そういう意味で冨二は伝統の作家ということになる。詩性川柳を視野に入れつつ、冨二は川柳的興趣に留まったのである。
では、あまたの伝統の作家から冨二を区別しているものは何か。
たぶん、それが「川柳的技術」だろう。
「技術の貧困」は多くの「流れ作業」的作品を生み出した。「発想の中の技術」を含めて、冨二の作品はおもしろいのである。
石田の議論は多面的なので、以上の紹介がどこまで彼の真意を伝えているかはわからない。
冨二の捉え方についても石田とは別の見方も存在する。
たとえば、堺利彦の「中村冨二と『鴉』お時代」(『セレクション柳論』所収)。
堺は「作品は作者ではない」という冨二の言葉に注目して次のように述べている。
〈これは、川柳の作品を、その作者の私性から解き放し、作品を「ことば」そのものによって始めて定立するという先見性を表象する端的な持論と読み解くことも出来る。
今日のテクスト論からすれば常識的な作品に対するスタンスを、すでに冨二は戦前の早い時期から直感的に認識していたことになる。(中略)近代的自我を超えて読者の〈読み〉の前にあっては、作品の〈ことば〉が独り歩きするという言葉の自律性から生み出されるものが作品であるという意識があったに違いない。こうした点においても、既成の川柳からみれば、極めて革新的で〈現代〉を先取りしていた感がある。作品に張り付いた作者の近代的な自我意識が、作品の〈ことば〉によって解き放たれるという、その先見性に刮目するばかりである〉
堺の評価は現在の時点から冨二を過大評価しているところもあるが、石田とは別の冨二像を提出している。
石田の文章で興味深いのは「川柳には二つの興趣がある」という捉え方である。ひとつは「作句時に作者個人が体感する発想と興趣」であり、もうひとつは「読者が一句を読んで感じる川柳的な興趣」である。前者は作者論的な興趣、後者は読者論的な興趣だろう。石田が展開した冨二像は作者論的にとらえたものである。冨二の作品は現在の眼で読んでも少しも古くなっていない。読者は冨二の作品から川柳本来のおもしろさを感じ取ることができると思う。
もう十年以前のことだと思うが、石田柊馬と松本仁が次のような会話を交わしているのを聞いたことがある。
「中村冨二をどう思う?」
「伝統やね」
「やっぱりそう思うか」
そばで聞いていた私にはよく理解できなかった。
現代川柳は中村冨二と河野春三から始まったというのが私の持論であり、「東の冨二、西の春三」などと言われる。その冨二が「伝統」だと言うのである。
ここで言う「伝統」とは、川柳を「伝統川柳」と「革新川柳」に二分したときの「伝統川柳」の意味で、「現代川柳」には「革新川柳」という意味が強く込められている。この二分法は現在ではすでに無効となっていると私は思っているが、戦後川柳史を理解するときの前提となるキイ・ワードである。
だから「冨二が伝統である」という認識は当時の私にはすぐに理解できないところがあったのだ。そのとき以来、冨二が伝統であるということの内実をいつか石田に解き明かしてほしいという願望を私はもっていた。
一方で、冨二には「川柳という名に残されたモノは、技術だけである」という有名な発言がある。この言葉もさまざまに解釈できて、定説というようなものはない。というより、この言葉の意味を真剣に追及した川柳人がいなかったのである。
そういうモヤモヤした疑問を吹き飛ばす文章として、石田の評論がいま目の前にある。
「川柳に残された川柳的技術」について、かつて私は次のように書いたことがある(「中村冨二と現代川柳」、『蕩尽の文芸』所収)。
〈 冨二の発言の中で最も有名なのが「川柳という名に残されたモノは、技術だけである」という言葉である。『中村冨二句集』(森林書房)の「あとがき」にあるが、同じようなことを冨二はあちこちで繰り返し語っているようだ。
この言葉はペシミズムではなく、むしろ冨二の川柳職人としての矜持を示すものだと私は受け止めている。作家精神の裏づけとしての川柳技術。山村祐の川柳中年文学説に対して、冨二は「川柳は青春の文学であってほしい」という願いをもっていた。「川柳とaの会」による合同句集『鬼』の序「火を焚く」という文章の中で冨二は次のように書いている。
「誠に過去現代を通して川柳には青春がとぼしい。そして皆無だと言われない所にボクは川柳の可能性を信じている。たとえ否定する何ものもないボクへの過去の川柳ではあっても、ボク自身や、ボクを取巻く社会の中に存在して否定するに足りる数々の現象に対して『川柳に残された川柳的技術』を武器として歩ける所まで歩いて行こうと思っている」 〉
「川柳職人としての矜持」では何も説明したことにならないが、仕方がない。
では、石田はどんなふうに述べているだろうか。
詳しくは石田の評論をお読みいただきたいが、興趣と発想の不可分性を冨二は「技術」の一語に込めたということになる。
「興趣」とは「川柳的興趣」である。では「川柳的興趣」とは何か。冨二の場合、「意味性」「大衆性」「共感性」などの伝統川柳の諸要素である。この中には「詩性」は入らないのである。
「詩性に及べば自分の意識に在る川柳性からの逸脱になる」
「詩性の追求が深まれば深まるほど、川柳の固有性と言ってもおかしくない意味性と大衆性が後退する」
「冨二の川柳についてのスピリットは意味性に留まること、その共感性の埒内に留まることであった」
「(冨二は)川柳の発展要素を詩性の追求とする議論には加わらなかった」
石田は冨二の川柳をこのようにとらえている。そして、冨二を「川柳的興趣の人」と呼ぶのである。「川柳的興趣」と「詩的興趣」に分けるとすれば、冨二は「詩性」「詩的興趣」の側に立った河野春三とは正反対の位置にいる。そういう意味で冨二は伝統の作家ということになる。詩性川柳を視野に入れつつ、冨二は川柳的興趣に留まったのである。
では、あまたの伝統の作家から冨二を区別しているものは何か。
たぶん、それが「川柳的技術」だろう。
「技術の貧困」は多くの「流れ作業」的作品を生み出した。「発想の中の技術」を含めて、冨二の作品はおもしろいのである。
石田の議論は多面的なので、以上の紹介がどこまで彼の真意を伝えているかはわからない。
冨二の捉え方についても石田とは別の見方も存在する。
たとえば、堺利彦の「中村冨二と『鴉』お時代」(『セレクション柳論』所収)。
堺は「作品は作者ではない」という冨二の言葉に注目して次のように述べている。
〈これは、川柳の作品を、その作者の私性から解き放し、作品を「ことば」そのものによって始めて定立するという先見性を表象する端的な持論と読み解くことも出来る。
今日のテクスト論からすれば常識的な作品に対するスタンスを、すでに冨二は戦前の早い時期から直感的に認識していたことになる。(中略)近代的自我を超えて読者の〈読み〉の前にあっては、作品の〈ことば〉が独り歩きするという言葉の自律性から生み出されるものが作品であるという意識があったに違いない。こうした点においても、既成の川柳からみれば、極めて革新的で〈現代〉を先取りしていた感がある。作品に張り付いた作者の近代的な自我意識が、作品の〈ことば〉によって解き放たれるという、その先見性に刮目するばかりである〉
堺の評価は現在の時点から冨二を過大評価しているところもあるが、石田とは別の冨二像を提出している。
石田の文章で興味深いのは「川柳には二つの興趣がある」という捉え方である。ひとつは「作句時に作者個人が体感する発想と興趣」であり、もうひとつは「読者が一句を読んで感じる川柳的な興趣」である。前者は作者論的な興趣、後者は読者論的な興趣だろう。石田が展開した冨二像は作者論的にとらえたものである。冨二の作品は現在の眼で読んでも少しも古くなっていない。読者は冨二の作品から川柳本来のおもしろさを感じ取ることができると思う。
2015年3月27日金曜日
川柳のフルコース―笹田かなえ句集
「東奥文芸叢書」は青森県の東奥日報社創刊125周年企画として発刊され、短歌・俳句・川柳各30冊、全90冊が予定されている。この叢書の川柳句集についてはこれまで何冊か紹介したことがあるが、今回は『笹田かなえ句集 お味はいかが?』を取り上げる。
句集の編集の仕方にはいくつかのやり方があり、この句集では「前菜」「サラダ」「スープ」「メインディッシュ」「デザート」の五章に分け、各72句、全360句が収録されている。料理のフルコースが順番に出されてゆくように、句集一冊を読むことができる。発表順とかアットランダムに並べるやり方もあるが、単独句の集積ではなくて一冊の句集として読まれることを意識した構成がまず目をひく。
したがって読者としてはこのコンセプトに沿って読んでいくのが順当だろうから、ここでも各章から数句を抜き出してゆくことにしよう。
最初に「前菜」である。
立春の雨のたとえば応挙の絵
巻頭句は雨の句である。
この句集では全体に雨や水のイメージをもつ句が点在していて印象的。
外では雨が降っていて、別に絵の中でも雨が降っている必要はないのだが、応挙の絵から連想すると、たとえば兵庫県香住の大乗寺にある襖絵などが思い浮かぶ。葉のかげから子どもの顔がのぞいている。
古い道古い神社につきあたる
特に何を言っているわけでもない、情景を詠んだ句である。
こういう句の方が主観句よりも印象に残る場合がある。
待ってと言って待ってもらってもどかしい
「待って」と言えば相手は待ってくれるだろうが、待つ方も待ってもらう方も、もどかしい。自分自身がもどかしいのだが、置き去りにされてしまうのも困る。
足元を見られぬように少し浮く
「足元を見る」というフレーズがある。そこから「見られぬように」と逆の方向へゆく。現実からの浮遊はかえって足元が見えてしまうことになるかも。
虫流す排水管は暗いだろうな
誰でも経験のある共感の句。流されてゆく虫の立場で詠んでいる。
「前菜」はこれくらいにして「サラダ」に。
ものすごい緑のままで枯れていく
「ものすごい緑」とはどんな緑なんだろう。
全盛の姿のままで枯れてゆくのだ。悔いが残るとも言えるし、逆に幸せとも言える。
プランクトンの名前をいくつ言えますか
はい、言えますよ。ミジンコ・ケンミジンコ・ボルボックス・ミドリムシ・ゾウリムシ…あれ、もう言えない。
続いて「スープ」に移る。
うさぎ抱くころしてしまいそうに抱く
可愛がって抱きしめるあまり殺してしまうことがある。ここでは、その寸前で止めている。
首筋に森を通ってきた匂い
作者に見られる感覚表現はここでは嗅覚に特化されている。
「木の匂い」「雨の匂い」「せっけんの匂い」「にんにくの匂い」「日向の匂い」―匂いの句はいろいろある。
紫陽花を咲かせる声にしてください
「向日葵を咲かせる声」とか「紫陽花を咲かせる声」とか、いろいろあるとおもしろいだろうな。
いよいよ「メインディッシュ」。
くるぶしのますます白く位置に着く
スタートラインに着く。それを見ている人の視線は白い踝に注がれている。
あどけなく弱いところがもりあがる
弱いところをカバーしながら傷口は自然に治癒する。人生経験を積むと、傷を受けないようにあらかじめ弱点を鎧で覆っておくようになる。この句の作中主体はまだあどけないのだろう。
雨続く今日見たことは今日話す
明日話そうと思っていても、明日は話す相手がいないかもしれないし、そもそも話すことを忘れてしまっているかも知れない。
切り口に合うのは切った刃のかたち
「切られたもの」と「切ったもの」との関係性。敵対関係なのだが、妙な親和性がある。
最後に「デザート」。
「行基です」秋の小声に振り返る
川柳でも固有名詞はしばしば使われるが、「行基」はあまり見たことがない。
「秋の小声」ともぴったり合っている。
水に浮くなかったことにしてみても
沈むのではなく浮いてしまうのだ。何もなかったことにはできないのだろう。
絵の中の林檎は蜜のある林檎
現実の林檎は「蜜のない林檎」ばかりなのだろう。
ごきげんよう 桃はひとまず冷蔵庫
句集の最後の句。
デザートにふさわしく果実の句で終わっている。
以上、句集のコンテンツに従った読み方をしてきたが、別にどこから読んでもかまわないだろう。私には雨や水のイメージをともなう句が印象的だった。季語や切れ字を用いた句もあって、俳句的だと感じる句もあった。これは柳俳異同論とは関係のない感想である。
「ボナペティ」「メルシイ」。
句集の編集の仕方にはいくつかのやり方があり、この句集では「前菜」「サラダ」「スープ」「メインディッシュ」「デザート」の五章に分け、各72句、全360句が収録されている。料理のフルコースが順番に出されてゆくように、句集一冊を読むことができる。発表順とかアットランダムに並べるやり方もあるが、単独句の集積ではなくて一冊の句集として読まれることを意識した構成がまず目をひく。
したがって読者としてはこのコンセプトに沿って読んでいくのが順当だろうから、ここでも各章から数句を抜き出してゆくことにしよう。
最初に「前菜」である。
立春の雨のたとえば応挙の絵
巻頭句は雨の句である。
この句集では全体に雨や水のイメージをもつ句が点在していて印象的。
外では雨が降っていて、別に絵の中でも雨が降っている必要はないのだが、応挙の絵から連想すると、たとえば兵庫県香住の大乗寺にある襖絵などが思い浮かぶ。葉のかげから子どもの顔がのぞいている。
古い道古い神社につきあたる
特に何を言っているわけでもない、情景を詠んだ句である。
こういう句の方が主観句よりも印象に残る場合がある。
待ってと言って待ってもらってもどかしい
「待って」と言えば相手は待ってくれるだろうが、待つ方も待ってもらう方も、もどかしい。自分自身がもどかしいのだが、置き去りにされてしまうのも困る。
足元を見られぬように少し浮く
「足元を見る」というフレーズがある。そこから「見られぬように」と逆の方向へゆく。現実からの浮遊はかえって足元が見えてしまうことになるかも。
虫流す排水管は暗いだろうな
誰でも経験のある共感の句。流されてゆく虫の立場で詠んでいる。
「前菜」はこれくらいにして「サラダ」に。
ものすごい緑のままで枯れていく
「ものすごい緑」とはどんな緑なんだろう。
全盛の姿のままで枯れてゆくのだ。悔いが残るとも言えるし、逆に幸せとも言える。
プランクトンの名前をいくつ言えますか
はい、言えますよ。ミジンコ・ケンミジンコ・ボルボックス・ミドリムシ・ゾウリムシ…あれ、もう言えない。
続いて「スープ」に移る。
うさぎ抱くころしてしまいそうに抱く
可愛がって抱きしめるあまり殺してしまうことがある。ここでは、その寸前で止めている。
首筋に森を通ってきた匂い
作者に見られる感覚表現はここでは嗅覚に特化されている。
「木の匂い」「雨の匂い」「せっけんの匂い」「にんにくの匂い」「日向の匂い」―匂いの句はいろいろある。
紫陽花を咲かせる声にしてください
「向日葵を咲かせる声」とか「紫陽花を咲かせる声」とか、いろいろあるとおもしろいだろうな。
いよいよ「メインディッシュ」。
くるぶしのますます白く位置に着く
スタートラインに着く。それを見ている人の視線は白い踝に注がれている。
あどけなく弱いところがもりあがる
弱いところをカバーしながら傷口は自然に治癒する。人生経験を積むと、傷を受けないようにあらかじめ弱点を鎧で覆っておくようになる。この句の作中主体はまだあどけないのだろう。
雨続く今日見たことは今日話す
明日話そうと思っていても、明日は話す相手がいないかもしれないし、そもそも話すことを忘れてしまっているかも知れない。
切り口に合うのは切った刃のかたち
「切られたもの」と「切ったもの」との関係性。敵対関係なのだが、妙な親和性がある。
最後に「デザート」。
「行基です」秋の小声に振り返る
川柳でも固有名詞はしばしば使われるが、「行基」はあまり見たことがない。
「秋の小声」ともぴったり合っている。
水に浮くなかったことにしてみても
沈むのではなく浮いてしまうのだ。何もなかったことにはできないのだろう。
絵の中の林檎は蜜のある林檎
現実の林檎は「蜜のない林檎」ばかりなのだろう。
ごきげんよう 桃はひとまず冷蔵庫
句集の最後の句。
デザートにふさわしく果実の句で終わっている。
以上、句集のコンテンツに従った読み方をしてきたが、別にどこから読んでもかまわないだろう。私には雨や水のイメージをともなう句が印象的だった。季語や切れ字を用いた句もあって、俳句的だと感じる句もあった。これは柳俳異同論とは関係のない感想である。
「ボナペティ」「メルシイ」。
2015年3月20日金曜日
現代川柳ヒストリア―雑誌で見る現代川柳史
「里」144号(2015年3月)の特集は〈佐藤文香『君に目があり見開かれ』の開かれ方〉。
上田信治は「世界に『私』を与え直す」でこんなふうに書いている。
〈佐藤文香の第二句集『君に目があり見開かれ』のオリジナリティは「私性の持ち込み」と「文体の更新」にある。それは俳句が、詩として生まれ直すために、それこそ俳諧の成立以来何度となく行なってきたことだ〉
夜を水のように君とは遊ぶ仲
歩く鳥世界にはよろこびがある
知らない町の吹雪のなかは知っている
星がある 見てきた景色とは別に
町を抜けて橋に踊る海が見えた冬の
これらの句を挙げて上田は「私性」に関して〈その(作者の命名するところの)「超口語」が句に極私的な「つぶやく」主体を仮構している〉と述べている。また、「文体」に関しては〈個々の文節が五・七・五にズレつつ乗っていく感覚は、今どきの「譜割り」(旋律の各音に対する歌詞の割り振り)の複雑さを思わせる〉という。
特集には数名の論考のほか、佐藤文香による「出版記念特別作品22句」と「ぽえむ1篇(星とは何か)」が掲載されている。佐藤の新作から。
雪一面すすまぬ青はスキー我
肉塊として起き上がるスキー我
「里」の発行所である邑書林は3月に佐久から尼崎市に移転してきた。関西の俳人・川柳人にとっては「里」句会との交流がしやすくなる。
5月17日に大阪・上本町で開催される「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」の準備のため、このところ手元にある川柳誌を広げて、現代川柳の歴史をたどっている。
一般に川柳誌は消耗品なので、残されることが少ない。過去の川柳史に対するリスペクトがないというよりは、そもそも保存するという感覚を川柳人は持たないのだろう。
俳句の場合は「俳句文学館」があって、過去の俳誌のバックナンバーを調べるにも便利であるが、川柳の場合は「川柳文学館」のようなものはない。
川柳誌の実物を手にすると、過去の川柳人たちの息吹を実感することができるし、私たちがその流れのなかにいることが納得できるだろう。
宣伝をかねて、いま考えている内容をお知らせしてゆきたい。
現代川柳が中村冨二と河野春三からはじまった、というのが私の持論である。「東の冨二、西の春三」などと言われる。まず冨二の方から。
「鴉」は1951年1月から。(全27号)。同人は中村冨二・金子勘九郎・高井花眠・片柳哲郎・松本芳味。ガリ版刷で、当日は23号・25号の二冊を展示するが、触るとボロボロになってしまいそうので、残念ながら手にとって見ていただくわけにはいかない。また合同句集『鴉』も展示。
次に春三の方だが、まず「天馬」を展示。
「川柳ジャーナル」は比較的目にする機会があると思われる。
1966年(昭和41年)8月、「川柳ジャーナル」創刊。「海図」「鷹」「不死鳥」「流木」「馬」の各誌を統合して生まれた。「川柳ジャーナル」は終刊号を展示するが、「川柳ジャーナル」以前の5誌をあわせて見ることができるのはめったにない機会となるはずである。
河野春三の個人誌「馬」は1964年3月から1966年7月まで全15号が発行され、「川柳ジャーナル」に発展的解消された。毎号、特別作品が掲載され、6号に新子の50句、7号に草刈蒼之助50句、8号に春三の50句、9号に松本芳味の15句(多行作品「難破船」)、10号に春三の38句(黒縄抄拾遺「空蝉」)、11号に定金冬二の37句(「亡霊」)、15号は現代川柳作家自選集として56名が参加したという。
「流木」は1965年4月に京都で創刊。流木グループは橋本白史・宮田あきら・中奥治一郎・所ゆきら・上田枯粒・渡辺極堂の6人で、編集は宮田あきら。
静岡から出ていた「不死鳥」は1962年4月から1966年7月まで、全52号。私が見ることができた34号(昭和40年1月)を展示の予定。同人は中野柳窓、服部たかほ、稲村雀穂、森由旬、石川重尾の五人。
「海図」は編集発行人・山村祐。森林書房。
「鷹」は静岡の鷹集団発行。1964年~1966年7月。全33号。発行人・小泉十支尾、編集・片柳哲郎(30号から福島眞澄)。
「現代川柳作家連盟」(現川連)のことも触れておきたい。推進者となったのは岐阜の今井鴨平である。「現代川柳」は現代川柳作家連盟機関誌として岐阜で発行。1957年7月~1962年3月(全36号) 発行人・今井鴨平。しかし、現川連の会員たちは積極的な協力の姿勢をとらなかったため、鴨平は個人で「川柳現代」を発行することになる。1962年7月~1964年10月(全17号)。その「川柳現代」も1964年の鴨平によって終刊。第17号「今井鴨平追悼号」を展示する。
それ以後の川柳誌については省略するが、当日会場でご覧になっていただければ幸いである。現在、展示用の簡単なラベルを作成中。創刊から終刊まで何号あり、同人や発行人・編集人は誰かなど基本的なデータを記録するのにけっこう時間がかかる。
また、当日はパワーポイントを使って現代川柳史の流れを簡単に解説する予定。
当日は展示だけではなく、フリーマーケットを開催しているので、川柳句集を購入することができる。また、句集作者によるサイン会も予定。
あと、歌人の天野慶さんとの対談もお楽しみいただけることと思う。
フリマの出店は現在募集中。詳しいことは専用ホームページをご覧いただきたい。出店申し込みは4月末日までだが、会場はそれほど広くないので、お早めに申し込みいただけるとありがたい。
上田信治は「世界に『私』を与え直す」でこんなふうに書いている。
〈佐藤文香の第二句集『君に目があり見開かれ』のオリジナリティは「私性の持ち込み」と「文体の更新」にある。それは俳句が、詩として生まれ直すために、それこそ俳諧の成立以来何度となく行なってきたことだ〉
夜を水のように君とは遊ぶ仲
歩く鳥世界にはよろこびがある
知らない町の吹雪のなかは知っている
星がある 見てきた景色とは別に
町を抜けて橋に踊る海が見えた冬の
これらの句を挙げて上田は「私性」に関して〈その(作者の命名するところの)「超口語」が句に極私的な「つぶやく」主体を仮構している〉と述べている。また、「文体」に関しては〈個々の文節が五・七・五にズレつつ乗っていく感覚は、今どきの「譜割り」(旋律の各音に対する歌詞の割り振り)の複雑さを思わせる〉という。
特集には数名の論考のほか、佐藤文香による「出版記念特別作品22句」と「ぽえむ1篇(星とは何か)」が掲載されている。佐藤の新作から。
雪一面すすまぬ青はスキー我
肉塊として起き上がるスキー我
「里」の発行所である邑書林は3月に佐久から尼崎市に移転してきた。関西の俳人・川柳人にとっては「里」句会との交流がしやすくなる。
5月17日に大阪・上本町で開催される「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」の準備のため、このところ手元にある川柳誌を広げて、現代川柳の歴史をたどっている。
一般に川柳誌は消耗品なので、残されることが少ない。過去の川柳史に対するリスペクトがないというよりは、そもそも保存するという感覚を川柳人は持たないのだろう。
俳句の場合は「俳句文学館」があって、過去の俳誌のバックナンバーを調べるにも便利であるが、川柳の場合は「川柳文学館」のようなものはない。
川柳誌の実物を手にすると、過去の川柳人たちの息吹を実感することができるし、私たちがその流れのなかにいることが納得できるだろう。
宣伝をかねて、いま考えている内容をお知らせしてゆきたい。
現代川柳が中村冨二と河野春三からはじまった、というのが私の持論である。「東の冨二、西の春三」などと言われる。まず冨二の方から。
「鴉」は1951年1月から。(全27号)。同人は中村冨二・金子勘九郎・高井花眠・片柳哲郎・松本芳味。ガリ版刷で、当日は23号・25号の二冊を展示するが、触るとボロボロになってしまいそうので、残念ながら手にとって見ていただくわけにはいかない。また合同句集『鴉』も展示。
次に春三の方だが、まず「天馬」を展示。
「川柳ジャーナル」は比較的目にする機会があると思われる。
1966年(昭和41年)8月、「川柳ジャーナル」創刊。「海図」「鷹」「不死鳥」「流木」「馬」の各誌を統合して生まれた。「川柳ジャーナル」は終刊号を展示するが、「川柳ジャーナル」以前の5誌をあわせて見ることができるのはめったにない機会となるはずである。
河野春三の個人誌「馬」は1964年3月から1966年7月まで全15号が発行され、「川柳ジャーナル」に発展的解消された。毎号、特別作品が掲載され、6号に新子の50句、7号に草刈蒼之助50句、8号に春三の50句、9号に松本芳味の15句(多行作品「難破船」)、10号に春三の38句(黒縄抄拾遺「空蝉」)、11号に定金冬二の37句(「亡霊」)、15号は現代川柳作家自選集として56名が参加したという。
「流木」は1965年4月に京都で創刊。流木グループは橋本白史・宮田あきら・中奥治一郎・所ゆきら・上田枯粒・渡辺極堂の6人で、編集は宮田あきら。
静岡から出ていた「不死鳥」は1962年4月から1966年7月まで、全52号。私が見ることができた34号(昭和40年1月)を展示の予定。同人は中野柳窓、服部たかほ、稲村雀穂、森由旬、石川重尾の五人。
「海図」は編集発行人・山村祐。森林書房。
「鷹」は静岡の鷹集団発行。1964年~1966年7月。全33号。発行人・小泉十支尾、編集・片柳哲郎(30号から福島眞澄)。
「現代川柳作家連盟」(現川連)のことも触れておきたい。推進者となったのは岐阜の今井鴨平である。「現代川柳」は現代川柳作家連盟機関誌として岐阜で発行。1957年7月~1962年3月(全36号) 発行人・今井鴨平。しかし、現川連の会員たちは積極的な協力の姿勢をとらなかったため、鴨平は個人で「川柳現代」を発行することになる。1962年7月~1964年10月(全17号)。その「川柳現代」も1964年の鴨平によって終刊。第17号「今井鴨平追悼号」を展示する。
それ以後の川柳誌については省略するが、当日会場でご覧になっていただければ幸いである。現在、展示用の簡単なラベルを作成中。創刊から終刊まで何号あり、同人や発行人・編集人は誰かなど基本的なデータを記録するのにけっこう時間がかかる。
また、当日はパワーポイントを使って現代川柳史の流れを簡単に解説する予定。
当日は展示だけではなく、フリーマーケットを開催しているので、川柳句集を購入することができる。また、句集作者によるサイン会も予定。
あと、歌人の天野慶さんとの対談もお楽しみいただけることと思う。
フリマの出店は現在募集中。詳しいことは専用ホームページをご覧いただきたい。出店申し込みは4月末日までだが、会場はそれほど広くないので、お早めに申し込みいただけるとありがたい。
2015年3月13日金曜日
川合大祐の軌跡
自動ドア誰も救ってやれないよ(2002年1月)
「川柳の仲間 旬」115号の「人物クローズアップ」で私は川合大祐の名をはじめて知った。このとき川合は28歳、川柳をはじめて1年たたない時期である。
いとう岬の解説によると、「旬」113号に彼は「檻のなかから世界を眺めて」という文章を掲載している。その中で川合は自分が川柳で表現したいものは「影」であると語っている。
では、なぜ川柳なのか。
「人は不自由さの中にあってこそ、始めて本当の自由を実感できる。不自由に縛られたなかでの稀少な自由とは、無限のひろがりを持つものだ。それこそが、私が川柳という表現形態に求めるものなのだ」
おはようで今日もはじまるつなわたり
誕生日童話いっさつ火にくべる
戦争はガラスの中でピンク色
滅茶苦茶になれたらいいね うんいいね
中八がそんなに憎いかさあ殺せ(2011年9月)
「川柳コロキウム」誌上大会、丸山進選。
五七五定型のうち上五は字余りでも許容されるが、中七は比較的守られている。「中八はいけない」という川柳人が多いが、この句はそれに対して疑問を呈している。
発表以来、中八をめぐる議論ではこの句がときどき取り上げられるのを目にする。
ロミオではないあなたには興味なし(2014年11月)
「裸木」2号(編集人・いわさき楊子)。
二通りに読めると思う。
「ロミオではないあなた」には「私」は興味がない。
「私」はロミオではない(あなたもジュリエットではない)。だから、あなたには興味がない。
あとの読みの場合は、「ロミオではない」の後に切れがあることになる。
薔薇とのみ呼ばれし花よ市民A
ジャイアント馬場や水葬物語
ビンラディン/市民 ころした/ころされた
…早送り…二人は……豚になり終 (2014年11月)
「川柳カード」7号。誌上大会、兼題「早い」準特選。選者は樋口由紀子。
「/」や「…」などの記号を使った川柳を川合はしばしば書いている。
短歌ではめずらしくないが、川柳ではまだ新鮮なのだろう。
掲出句はビデオなどの早送りの感じをうまく表現している。「豚になり終」というのは皮肉である。
「川柳スープレックス」(2015年2月)
飯島章友・柳本々々・川合大祐・倉間しおり・江口ちかるの五人で「川柳スープレックス」を立ち上げた。私はプロレスの技には詳しくないが、スープレックスはバックドロップと同じような技だろうか。
「百万遍死んでも四足歩行なり」(飯田良祐)について、川合は次のように書いている。
〈川柳は檻である、と昔書いた。
スープレックスのテスト版にもそんな小文を書いたので、いつか機会があれば再掲したい。
それはともかく、僕にとっての川柳は檻だった。
五七五という定型。
それは僕にとって檻であり、その檻の不自由さのなかではじめて自由を夢見ることができる、そんな内容だったと思う。
(だから方哉も山頭火も、ある意味業に似た不自由さから逃れられなかった、という気もするのだが、それはまた別の折に)
そんな僕のアプローチと、この句のアプローチは、どこか違う。
この句は、自ら檻に入ったのだ。
五七五の檻に、自らの獣を閉じ込めるために。〉
星だって掴めるような気がしてたそれが怖くて掴まなかった(2015年3月)
「かばん」新人特集号Vol.6。
2009年10月から2013年9月に入会した23名による短歌各30首が収録されている。これに「かばん」内と「かばん」外の執筆者による歌評がそれぞれ付いている。
飯島章友は内部評で次のように書いている。
〈連作の終盤、26首目~30首目で主人公は、ふだん抑圧している影の自分に言葉を投げかけ、歩み寄りをみせている。「僕」「僕ら」と柔らかい自称になったのはその表れ。「おひさまが西から昇」るような受け入れがたい無意識下(影)の自分をも「肯定」し、「僕ら」として共に「歌う」ことで、自己の総合化へ一歩踏み出したのだ〉
手をほどく眠りに噴き出す無意識をほんとうの無へ返せるように
自由とは真夏の夜の夢なれば監視カメラを撃つ銃もなし
なあ俺よ答えてくれよ星座とは見るものなのかなるものなのか
おひさまが西から昇っただとしても肯定しよう僕は僕だと
「川柳の仲間 旬」115号の「人物クローズアップ」で私は川合大祐の名をはじめて知った。このとき川合は28歳、川柳をはじめて1年たたない時期である。
いとう岬の解説によると、「旬」113号に彼は「檻のなかから世界を眺めて」という文章を掲載している。その中で川合は自分が川柳で表現したいものは「影」であると語っている。
では、なぜ川柳なのか。
「人は不自由さの中にあってこそ、始めて本当の自由を実感できる。不自由に縛られたなかでの稀少な自由とは、無限のひろがりを持つものだ。それこそが、私が川柳という表現形態に求めるものなのだ」
おはようで今日もはじまるつなわたり
誕生日童話いっさつ火にくべる
戦争はガラスの中でピンク色
滅茶苦茶になれたらいいね うんいいね
中八がそんなに憎いかさあ殺せ(2011年9月)
「川柳コロキウム」誌上大会、丸山進選。
五七五定型のうち上五は字余りでも許容されるが、中七は比較的守られている。「中八はいけない」という川柳人が多いが、この句はそれに対して疑問を呈している。
発表以来、中八をめぐる議論ではこの句がときどき取り上げられるのを目にする。
ロミオではないあなたには興味なし(2014年11月)
「裸木」2号(編集人・いわさき楊子)。
二通りに読めると思う。
「ロミオではないあなた」には「私」は興味がない。
「私」はロミオではない(あなたもジュリエットではない)。だから、あなたには興味がない。
あとの読みの場合は、「ロミオではない」の後に切れがあることになる。
薔薇とのみ呼ばれし花よ市民A
ジャイアント馬場や水葬物語
ビンラディン/市民 ころした/ころされた
…早送り…二人は……豚になり終 (2014年11月)
「川柳カード」7号。誌上大会、兼題「早い」準特選。選者は樋口由紀子。
「/」や「…」などの記号を使った川柳を川合はしばしば書いている。
短歌ではめずらしくないが、川柳ではまだ新鮮なのだろう。
掲出句はビデオなどの早送りの感じをうまく表現している。「豚になり終」というのは皮肉である。
「川柳スープレックス」(2015年2月)
飯島章友・柳本々々・川合大祐・倉間しおり・江口ちかるの五人で「川柳スープレックス」を立ち上げた。私はプロレスの技には詳しくないが、スープレックスはバックドロップと同じような技だろうか。
「百万遍死んでも四足歩行なり」(飯田良祐)について、川合は次のように書いている。
〈川柳は檻である、と昔書いた。
スープレックスのテスト版にもそんな小文を書いたので、いつか機会があれば再掲したい。
それはともかく、僕にとっての川柳は檻だった。
五七五という定型。
それは僕にとって檻であり、その檻の不自由さのなかではじめて自由を夢見ることができる、そんな内容だったと思う。
(だから方哉も山頭火も、ある意味業に似た不自由さから逃れられなかった、という気もするのだが、それはまた別の折に)
そんな僕のアプローチと、この句のアプローチは、どこか違う。
この句は、自ら檻に入ったのだ。
五七五の檻に、自らの獣を閉じ込めるために。〉
星だって掴めるような気がしてたそれが怖くて掴まなかった(2015年3月)
「かばん」新人特集号Vol.6。
2009年10月から2013年9月に入会した23名による短歌各30首が収録されている。これに「かばん」内と「かばん」外の執筆者による歌評がそれぞれ付いている。
飯島章友は内部評で次のように書いている。
〈連作の終盤、26首目~30首目で主人公は、ふだん抑圧している影の自分に言葉を投げかけ、歩み寄りをみせている。「僕」「僕ら」と柔らかい自称になったのはその表れ。「おひさまが西から昇」るような受け入れがたい無意識下(影)の自分をも「肯定」し、「僕ら」として共に「歌う」ことで、自己の総合化へ一歩踏み出したのだ〉
手をほどく眠りに噴き出す無意識をほんとうの無へ返せるように
自由とは真夏の夜の夢なれば監視カメラを撃つ銃もなし
なあ俺よ答えてくれよ星座とは見るものなのかなるものなのか
おひさまが西から昇っただとしても肯定しよう僕は僕だと
2015年3月6日金曜日
俳句を壊す―「船団」104号
5月17日に大阪・上本町で開催される「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」の準備を始めている。専用のホームページの方もご覧いただきたい。ホームページから出店の申し込みができるが、小池正博まで直接お申込みいただいてもOK。また、ホームページに川柳投稿フォームを設けていて、投句できるようになっている(雑詠1句)。句会を開くわけではないが、当日会場に来られた方々に良いと思う作品に投票していただき、後日集計結果を発表することになっている。ふるって投句をお願いしたい(投句はインターネットのみの受付)。また、フリーペーパーのコーナーを設けるので、配布ご希望の方は当日ご持参いただければ机上に置かせていただく。こちらは出店料無料だが、無料配布となるのでご了解いただきたい。川柳誌のバックナンバーもお持ちいただければ無料配布可能。
さて、俳誌「船団」掲載のエッセイ、芳賀博子の「今日の川柳」は連載29回目。今回の104号は「一の麦」というタイトルで田口麦彦のことを取り上げている。芳賀は熊本まで田口に会いに出かけて、きちんと取材している。『新現代川柳必携』(三省堂)のことなど、田口の川柳活動が紹介されている。「麦彦」という号の由来は、「米」に対抗して「麦」。「日本といえば米でしょ。だったら麦でいこうと。これは私の反骨精神でね」。麦彦さんには5月の川柳フリマにも来ていただくことになっている。
「船団」同号の特集では「座談会・俳句を壊す」が読みごたえがある。関悦史・池田澄子・三宅やよいの対談で、司会は木村和也。刺激的なのは次のような部分。
関 表現しなければならない、場合によっては不愉快なところ、あるいは自分が同じような作品ばかり作ってしまうという批評的な苛立ちがあったとして、その苛立ちを含み込んで乗り越えて俳句として読めるものにする。そういう作業を、俳句形式にぶちあたっていく中で工夫して、最終的に洗練された表現にしていくわけで、それは壊すという方向ではないわけです。書かなければならないものがどこかにあって、その志とか批評性を俳句として洗練された方向にまとめ上げていく。そのまとめ上げるときに、一見壊れるという臨界点にまで踏み込んでいるという緊張感が出てくるんです。
木村 今の論でいくと、「壊す」ということのキーというか基点になるのは批評精神ということでしょうか。
関 そうでしょうね。
木村 それは、もちろん自分の俳句とか、自分の関わる現実とかいうものに対する批評精神といったものが、一見壊すというふうに見えてくるということでしょうか。
関 それともう一つは、俳句の歴史全体に対して。今まで詠まれてきたものと今自分が一緒のことをやっていてはどうしようもないという、自分に対する批評性。
「批評性」「批評精神」をキーにしているところが興味深い。あと、俳句の季語に対して関が「他者性」という視点からとらえていることも私には新鮮な感じがした。次はすべて関の発言。
「一句のなかに季語が入ったら、そこは自分が言いたいことは直接は言えてないわけです。そこに他者性、批評性が入ってくるという形で季語が生かされる」
「俳句の季語っていうのはその、メッセージを担っちゃいけない、何かものの喩え、メタファーになっちゃいけないんですよ」
「無季でやる場合は季語に変わる何かしらの他者性が入ってくるわけですよ」
川柳や連句についても触れられていて、次は三宅やよいの発言。
三宅 私は、無季の句を作ると意味が強くなっちゃうんですよ。だから川柳の人たちと句会をやっているとき、結構無季の俳句つくっていたんです。そうするとやっぱり川柳は季語がないから言葉を強くしなきゃという思いがあるんですよ。川柳は意味だ、っていう意味じゃないんですよ。それだけ言葉の選択っていうのは、季語に代わる強さとか、心情とか直接に訴えた形で言葉を出さなきゃならないから、そのときは一緒にやるときは作ったことありますけど、すごく分裂しちゃうんです自分が。
「俳句と川柳の違い」という話題になると、すぐ「川柳の意味性」で片づけられてしまうが、三宅は川柳人とも交流があるから、意味性で括ることはしていない。三宅は「川柳的っていうとすぐ意味とか、そういうとこに走るけど、決してそういうものでもないと思います」とも発言していて、さすがに現代川柳に対する理解が深い人だと思う。
最後に、古い自分を壊し新しい自分を見出すための突破口は、というような話になって、池田澄子が「私はね、そんな何も思わないの。ただ作る、ひたすら作る」と言っているのは、言葉通りには受け取れないにしても、やはりおもしろい。
座談の参加者はみな実作者だから、具体的な創作のヒントがいろいろ得られる。
自己模倣から抜けだしたいと苦吟している表現者にとっては刺激的な特集である。
さて、俳誌「船団」掲載のエッセイ、芳賀博子の「今日の川柳」は連載29回目。今回の104号は「一の麦」というタイトルで田口麦彦のことを取り上げている。芳賀は熊本まで田口に会いに出かけて、きちんと取材している。『新現代川柳必携』(三省堂)のことなど、田口の川柳活動が紹介されている。「麦彦」という号の由来は、「米」に対抗して「麦」。「日本といえば米でしょ。だったら麦でいこうと。これは私の反骨精神でね」。麦彦さんには5月の川柳フリマにも来ていただくことになっている。
「船団」同号の特集では「座談会・俳句を壊す」が読みごたえがある。関悦史・池田澄子・三宅やよいの対談で、司会は木村和也。刺激的なのは次のような部分。
関 表現しなければならない、場合によっては不愉快なところ、あるいは自分が同じような作品ばかり作ってしまうという批評的な苛立ちがあったとして、その苛立ちを含み込んで乗り越えて俳句として読めるものにする。そういう作業を、俳句形式にぶちあたっていく中で工夫して、最終的に洗練された表現にしていくわけで、それは壊すという方向ではないわけです。書かなければならないものがどこかにあって、その志とか批評性を俳句として洗練された方向にまとめ上げていく。そのまとめ上げるときに、一見壊れるという臨界点にまで踏み込んでいるという緊張感が出てくるんです。
木村 今の論でいくと、「壊す」ということのキーというか基点になるのは批評精神ということでしょうか。
関 そうでしょうね。
木村 それは、もちろん自分の俳句とか、自分の関わる現実とかいうものに対する批評精神といったものが、一見壊すというふうに見えてくるということでしょうか。
関 それともう一つは、俳句の歴史全体に対して。今まで詠まれてきたものと今自分が一緒のことをやっていてはどうしようもないという、自分に対する批評性。
「批評性」「批評精神」をキーにしているところが興味深い。あと、俳句の季語に対して関が「他者性」という視点からとらえていることも私には新鮮な感じがした。次はすべて関の発言。
「一句のなかに季語が入ったら、そこは自分が言いたいことは直接は言えてないわけです。そこに他者性、批評性が入ってくるという形で季語が生かされる」
「俳句の季語っていうのはその、メッセージを担っちゃいけない、何かものの喩え、メタファーになっちゃいけないんですよ」
「無季でやる場合は季語に変わる何かしらの他者性が入ってくるわけですよ」
川柳や連句についても触れられていて、次は三宅やよいの発言。
三宅 私は、無季の句を作ると意味が強くなっちゃうんですよ。だから川柳の人たちと句会をやっているとき、結構無季の俳句つくっていたんです。そうするとやっぱり川柳は季語がないから言葉を強くしなきゃという思いがあるんですよ。川柳は意味だ、っていう意味じゃないんですよ。それだけ言葉の選択っていうのは、季語に代わる強さとか、心情とか直接に訴えた形で言葉を出さなきゃならないから、そのときは一緒にやるときは作ったことありますけど、すごく分裂しちゃうんです自分が。
「俳句と川柳の違い」という話題になると、すぐ「川柳の意味性」で片づけられてしまうが、三宅は川柳人とも交流があるから、意味性で括ることはしていない。三宅は「川柳的っていうとすぐ意味とか、そういうとこに走るけど、決してそういうものでもないと思います」とも発言していて、さすがに現代川柳に対する理解が深い人だと思う。
最後に、古い自分を壊し新しい自分を見出すための突破口は、というような話になって、池田澄子が「私はね、そんな何も思わないの。ただ作る、ひたすら作る」と言っているのは、言葉通りには受け取れないにしても、やはりおもしろい。
座談の参加者はみな実作者だから、具体的な創作のヒントがいろいろ得られる。
自己模倣から抜けだしたいと苦吟している表現者にとっては刺激的な特集である。
2015年2月27日金曜日
飯田良祐のいる二月
お白粉をつけて教授の鰊蕎麦 飯田良祐(以下、同じ)
「白粉」「教授」「鰊蕎麦」、いずれも日常にある物や人である。別に異常なものではない。
けれども、この三つの単語を繋ぎあわせると、そこには尋常でない光景が浮かび上がる。
白粉をつけているのは教授だろう。女性の教授とも考えられるが、男性教授が白粉をしていると読んだ方がおもしろい。男でも化粧をすることはあって、たとえばニュースキャスターは男性であってもテレビ映りのために薄化粧をすることがあるらしい。この場合は職業目的であるが、この句の教授は何のために化粧しているのだろう。
しかも、その教授が鰊蕎麦を食べている。
「お白粉をつけた教授が」ではなくて、「お白粉をつけて」で少し切れる。作者の視線はまず白粉に向けられている。川柳では食べ物などの日常的なものをよく取り合わせる。良祐の句にも「大福餅」「串カツ」「クラッカー」などの食べ物が出てくる。衣食住は生活詩としての川柳には不可欠の素材であって、しばしば使われる。
人は白粉をつけ化粧することで日常とは次元の異なる世界にヴァージョン・アップする。それなのに、鰊蕎麦という日常次元にダウンしてしまう。その落差が何となくおかしい。
ビニール袋の中のカサカサの勃起
そんなものをビニール袋の中へ入れられても困る。ノーマルな恋愛関係であれば、カサカサのとは言わないだろう。スーパーで買い物をすると、商品をビニール袋に入れて持ち帰る。水漏れしないように、水分が逃げないように、品物は包みこまれる。冷蔵庫に入れる場合はラップをかけて保存する。みずみずしい状態に鮮度が保たれる。けれども、この句の場合は乾いている。ドライである。欲望はある。けれども、その欲望が人間的なつながりに結びついてゆかない。欲望は恋人たちを結びつけたり、欲望の結果、子どもが産まれたりする。欲望自体には良いも悪いもなく、ある意味で生の原動力かもしれない。その欲望さえ本物かどうか、疑わしい。避妊具のなかで、欲望は痛ましいまま宙吊りになっているのだ。
公定歩合にさしこんでみたプラグ
現実に生きる人間として、経済問題は重要である。金利とか円高・円安とか年金とか。人はパンのために生きるものにあらず、とは言いながら、生活できなければ文芸もなにもない。ヒト・モノ・情報・カネ。同じように暮らしているつもりでも、運・不運によって経済的格差が生まれたりする。情報を人より先に握っただけで、巨万の富を得たりする世の中である。良祐は自分の事務所をもっていたから、部下たちの生活のことも考えなければならなかった。状況に翻弄されながら、ふとプラグでも差し込んでやろうか、という怒りが生まれる。火花でも散るだろうか。何の影響もないだろうか。人生設計をむちゃくちゃにした者たちに一矢報いることができるだろうか。
庭のない少年からの速達便
「庭のない少年」とは何だろう。アパートなどに住んでいて住まいに庭をもたない少年だろうか。そういうふうに読んでもいいが、川柳の意味性ということを考えると、この庭は内面的なものであるように思えてくる。
庭には植木や花々や野菜などが植えられていて、水やりや手入れが大変であるが、ちょっとした食材を栽培する実利的な役割のほかに、土をいじったり花を育てたりすることで気分転換や安らぎを得ることもできる。その人の庭がある精神の状態を表しているととらえると、たとえば箱庭療法では、箱庭の中にいろいろな玩具を並べることによってカウンセリングの一助になったりする。禅寺の枯山水になると石や砂が象徴的な意味をもったりする。
さて、「庭のない少年」から速達が届いた。いったいどう返事をすればよいのだろうか。速達だから、緊急性を要する内容かもしれない。こちらも「庭のない大人」であって、適切なアドヴァイスなんてできるはずがないのである。
ほうれん草炒めがほしい餓鬼草紙
「地獄草紙」や「餓鬼草紙」などの絵巻や断簡がある。「地獄草紙」には糞尿地獄など、往生要集に書かれているような、様々な地獄が登場する。「病草紙」というのもある。たとえば、不眠症の女。みんなが眠りこけている深夜、ひとり目ざめている女の顔は不安に満ちている。餓鬼は修羅など六道のひとつである。水を飲もうとして泉に触れると、水は火となって、餓鬼は永遠の渇きに苦しめられる。餓鬼草紙を見ながらふとホウレンソウが食べたくなったのだろうか。あまり食欲がわく状況とも思えない。「ほうれん草炒めがほしい」のは作者であり、餓鬼ではない。しかし、何となく餓鬼が「ほうれん草炒めがほしい」と言っているような感じもする。自分も一匹の餓鬼であり、ほうれんそう炒めとビールがあればしばしの憩いの時間がもてるかも知れない。ふと垣間見せた良祐のやさしさだろう。
母死ねとうるさき月と酌み交わす
母は憎悪の対象であろうか。
娘と母との関係において、娘が母を憎むことはエレクトラ・コンプレックスと呼ばれている。逆に、息子が母を愛するのがエディプス・コンプレックスのはずだが、良祐の句では母への憎悪が詠まれている。
寺山はつ著『母の螢』という本がある。はつは寺山修司の母である。寺山が写真集を出すというので、母をモデルにした。
「何で私なの。お化けの写真集でも作るの?」
「まあ、似たようなものなんだけど…」
というので、京王ホテルで撮影する。「ここでは半分喧嘩でした。脱がされたり、塗りたくられたり、いい玩具にされた感じでした」とはつは書いている。
写真集が出来上がる。グロテスクな写真がいろいろあって、「ぼくの母は、若い男と駆け落ちをして…」などまことしやかに書いてあった。もちろん虚構である。
母が激怒するのを、修司はポカンと見ていたという。
自転車は白塗り 娼婦らの明け方
まだ二十代のころ、難波から天王寺まで深夜の街を歩いたことがある。
もう何も覚えてはいないが、それなりに鬱屈した気持があったのだろう。
難波のジャズ喫茶を出たあと、知らない道をずんずん歩いていった。天王寺公園の近くまで来たころ、闇の中にそれほど若くもない女が立っていて、目があった。女は私に呼びかけた。
「おにいさん…」
街娼であった。
この句では「自転車は白塗り」と言っているが、白塗りなのは娼婦だろう。明け方の空が黒からブルーに変ろうとするころ、娼婦たちは何を思っているのだろうか。
ちなみに「朝日劇場」連作は初出では次の十句になっている。「男娼が大外刈りの串カツ屋」という句が私はけっこう気に入っている。
自転車は白塗り 娼婦らの明け方
ガニマタでポテトサラダが座る席
半券は揉みしだかれて歌謡ショー
八宝菜二百円也酒の穴
男娼が大外刈りの串カツ屋
稲刈りが始まる通天閣展望台
友情や梅焼はいつも生煮え
作務衣脱ぎすて 尿(しし)臭い猫
病い犬明日は大安ジャンジャン町
ビリケンの頭 南瓜は鬱王
大福をかぶり貞操帯はずし
「かぶる」とは「かぶりつく」(食いつく)という意味である。
大福餅にかぶりつくのは男であろうか、女であろうか。
餅を食べながら貞操帯を外す。外すのはもちろん貞操帯を付けたのとは別人である。貞操帯を取り付けたものと貞操帯を外したもの、これも別人であろう。
澁澤龍彦の本で読んだような気がするが、貞操帯には鍵がついていて、旅行に出かける夫はその鍵をもったまま出かけて行く。難儀なことである。
この句の人物はどうやって貞操帯をはずしたのであろうか。別に私が心配することはないのだが、それほどきちんとした貞操帯ではなかったのだろう。
大福餅は食べないといけないし、貞操帯も外さなければならないとなると、いそがしいことである。食欲と性欲をパラレルに捉えている。
斜め右に木耳ラーメンは淫靡
「木の耳」と書いて「きくらげ」とは考えて見ればおもしろい命名である。
ラーメンにはいろいろなものが入っていて、たとえば「ナルト」は鳴門の渦潮から来ている。ここでは斜め右に木耳が入っていた。
この「斜め右」という位置が微妙である。「斜め下」でもなく、「中央」でもない。少し位置をずらしたところに木耳がある。
このラーメンを作者は「淫靡」と言い切った。ある種の川柳は、ひとつの断言である。なぜそう言えるのかという根拠は示されない。作者が淫靡だと感じた。別の感じ方、捉え方はもちろんありうる。従来の川柳では、読者の共感を得られるような普遍性に基づいた書き方がされることが多かった。もちろん、それは一つの書き方であるが、普遍性はなくても作者の独自な感性を言い切る書き方も成立する。問題はそのような断言が一句の中で効果的に働いているどうか、ということである。
そう考えるとき、「斜め右」という位置が有効に働いてくる。「木耳」の「耳」という文字も何やら意味ありげに見えてくるのだ。
張り込みの途中で確定申告
こういうことは現実にはありえない。
けれども、実際にあればおもしろいなと思う。
職務怠慢なのだけれど、そう目くじらを立てるには及ばない。
松本清張の短編に「張り込み」というのがある。
指名手配の男が昔関係のあった女のところに立ち寄るのではないかと、二人の刑事が張り込みをしている。女は吝嗇な夫のもとで窮屈な生活をしている。その生活ぶりを刑事は見つめている。もし、指名手配の男がやって来たら、女はどのような行動に出るのか。
清張は社会派だが、良祐の句はそんな深刻なものではない。少しでもお金が戻ってきたら居酒屋にでも行けるだろう。
夢が人生を食い破ることもあれば、現実が文学を殺すこともある。だが、私は良祐が死んだとは思っていない。疑うものは飯田良祐句集を見ればよい。
「白粉」「教授」「鰊蕎麦」、いずれも日常にある物や人である。別に異常なものではない。
けれども、この三つの単語を繋ぎあわせると、そこには尋常でない光景が浮かび上がる。
白粉をつけているのは教授だろう。女性の教授とも考えられるが、男性教授が白粉をしていると読んだ方がおもしろい。男でも化粧をすることはあって、たとえばニュースキャスターは男性であってもテレビ映りのために薄化粧をすることがあるらしい。この場合は職業目的であるが、この句の教授は何のために化粧しているのだろう。
しかも、その教授が鰊蕎麦を食べている。
「お白粉をつけた教授が」ではなくて、「お白粉をつけて」で少し切れる。作者の視線はまず白粉に向けられている。川柳では食べ物などの日常的なものをよく取り合わせる。良祐の句にも「大福餅」「串カツ」「クラッカー」などの食べ物が出てくる。衣食住は生活詩としての川柳には不可欠の素材であって、しばしば使われる。
人は白粉をつけ化粧することで日常とは次元の異なる世界にヴァージョン・アップする。それなのに、鰊蕎麦という日常次元にダウンしてしまう。その落差が何となくおかしい。
ビニール袋の中のカサカサの勃起
そんなものをビニール袋の中へ入れられても困る。ノーマルな恋愛関係であれば、カサカサのとは言わないだろう。スーパーで買い物をすると、商品をビニール袋に入れて持ち帰る。水漏れしないように、水分が逃げないように、品物は包みこまれる。冷蔵庫に入れる場合はラップをかけて保存する。みずみずしい状態に鮮度が保たれる。けれども、この句の場合は乾いている。ドライである。欲望はある。けれども、その欲望が人間的なつながりに結びついてゆかない。欲望は恋人たちを結びつけたり、欲望の結果、子どもが産まれたりする。欲望自体には良いも悪いもなく、ある意味で生の原動力かもしれない。その欲望さえ本物かどうか、疑わしい。避妊具のなかで、欲望は痛ましいまま宙吊りになっているのだ。
公定歩合にさしこんでみたプラグ
現実に生きる人間として、経済問題は重要である。金利とか円高・円安とか年金とか。人はパンのために生きるものにあらず、とは言いながら、生活できなければ文芸もなにもない。ヒト・モノ・情報・カネ。同じように暮らしているつもりでも、運・不運によって経済的格差が生まれたりする。情報を人より先に握っただけで、巨万の富を得たりする世の中である。良祐は自分の事務所をもっていたから、部下たちの生活のことも考えなければならなかった。状況に翻弄されながら、ふとプラグでも差し込んでやろうか、という怒りが生まれる。火花でも散るだろうか。何の影響もないだろうか。人生設計をむちゃくちゃにした者たちに一矢報いることができるだろうか。
庭のない少年からの速達便
「庭のない少年」とは何だろう。アパートなどに住んでいて住まいに庭をもたない少年だろうか。そういうふうに読んでもいいが、川柳の意味性ということを考えると、この庭は内面的なものであるように思えてくる。
庭には植木や花々や野菜などが植えられていて、水やりや手入れが大変であるが、ちょっとした食材を栽培する実利的な役割のほかに、土をいじったり花を育てたりすることで気分転換や安らぎを得ることもできる。その人の庭がある精神の状態を表しているととらえると、たとえば箱庭療法では、箱庭の中にいろいろな玩具を並べることによってカウンセリングの一助になったりする。禅寺の枯山水になると石や砂が象徴的な意味をもったりする。
さて、「庭のない少年」から速達が届いた。いったいどう返事をすればよいのだろうか。速達だから、緊急性を要する内容かもしれない。こちらも「庭のない大人」であって、適切なアドヴァイスなんてできるはずがないのである。
ほうれん草炒めがほしい餓鬼草紙
「地獄草紙」や「餓鬼草紙」などの絵巻や断簡がある。「地獄草紙」には糞尿地獄など、往生要集に書かれているような、様々な地獄が登場する。「病草紙」というのもある。たとえば、不眠症の女。みんなが眠りこけている深夜、ひとり目ざめている女の顔は不安に満ちている。餓鬼は修羅など六道のひとつである。水を飲もうとして泉に触れると、水は火となって、餓鬼は永遠の渇きに苦しめられる。餓鬼草紙を見ながらふとホウレンソウが食べたくなったのだろうか。あまり食欲がわく状況とも思えない。「ほうれん草炒めがほしい」のは作者であり、餓鬼ではない。しかし、何となく餓鬼が「ほうれん草炒めがほしい」と言っているような感じもする。自分も一匹の餓鬼であり、ほうれんそう炒めとビールがあればしばしの憩いの時間がもてるかも知れない。ふと垣間見せた良祐のやさしさだろう。
母死ねとうるさき月と酌み交わす
母は憎悪の対象であろうか。
娘と母との関係において、娘が母を憎むことはエレクトラ・コンプレックスと呼ばれている。逆に、息子が母を愛するのがエディプス・コンプレックスのはずだが、良祐の句では母への憎悪が詠まれている。
寺山はつ著『母の螢』という本がある。はつは寺山修司の母である。寺山が写真集を出すというので、母をモデルにした。
「何で私なの。お化けの写真集でも作るの?」
「まあ、似たようなものなんだけど…」
というので、京王ホテルで撮影する。「ここでは半分喧嘩でした。脱がされたり、塗りたくられたり、いい玩具にされた感じでした」とはつは書いている。
写真集が出来上がる。グロテスクな写真がいろいろあって、「ぼくの母は、若い男と駆け落ちをして…」などまことしやかに書いてあった。もちろん虚構である。
母が激怒するのを、修司はポカンと見ていたという。
自転車は白塗り 娼婦らの明け方
まだ二十代のころ、難波から天王寺まで深夜の街を歩いたことがある。
もう何も覚えてはいないが、それなりに鬱屈した気持があったのだろう。
難波のジャズ喫茶を出たあと、知らない道をずんずん歩いていった。天王寺公園の近くまで来たころ、闇の中にそれほど若くもない女が立っていて、目があった。女は私に呼びかけた。
「おにいさん…」
街娼であった。
この句では「自転車は白塗り」と言っているが、白塗りなのは娼婦だろう。明け方の空が黒からブルーに変ろうとするころ、娼婦たちは何を思っているのだろうか。
ちなみに「朝日劇場」連作は初出では次の十句になっている。「男娼が大外刈りの串カツ屋」という句が私はけっこう気に入っている。
自転車は白塗り 娼婦らの明け方
ガニマタでポテトサラダが座る席
半券は揉みしだかれて歌謡ショー
八宝菜二百円也酒の穴
男娼が大外刈りの串カツ屋
稲刈りが始まる通天閣展望台
友情や梅焼はいつも生煮え
作務衣脱ぎすて 尿(しし)臭い猫
病い犬明日は大安ジャンジャン町
ビリケンの頭 南瓜は鬱王
大福をかぶり貞操帯はずし
「かぶる」とは「かぶりつく」(食いつく)という意味である。
大福餅にかぶりつくのは男であろうか、女であろうか。
餅を食べながら貞操帯を外す。外すのはもちろん貞操帯を付けたのとは別人である。貞操帯を取り付けたものと貞操帯を外したもの、これも別人であろう。
澁澤龍彦の本で読んだような気がするが、貞操帯には鍵がついていて、旅行に出かける夫はその鍵をもったまま出かけて行く。難儀なことである。
この句の人物はどうやって貞操帯をはずしたのであろうか。別に私が心配することはないのだが、それほどきちんとした貞操帯ではなかったのだろう。
大福餅は食べないといけないし、貞操帯も外さなければならないとなると、いそがしいことである。食欲と性欲をパラレルに捉えている。
斜め右に木耳ラーメンは淫靡
「木の耳」と書いて「きくらげ」とは考えて見ればおもしろい命名である。
ラーメンにはいろいろなものが入っていて、たとえば「ナルト」は鳴門の渦潮から来ている。ここでは斜め右に木耳が入っていた。
この「斜め右」という位置が微妙である。「斜め下」でもなく、「中央」でもない。少し位置をずらしたところに木耳がある。
このラーメンを作者は「淫靡」と言い切った。ある種の川柳は、ひとつの断言である。なぜそう言えるのかという根拠は示されない。作者が淫靡だと感じた。別の感じ方、捉え方はもちろんありうる。従来の川柳では、読者の共感を得られるような普遍性に基づいた書き方がされることが多かった。もちろん、それは一つの書き方であるが、普遍性はなくても作者の独自な感性を言い切る書き方も成立する。問題はそのような断言が一句の中で効果的に働いているどうか、ということである。
そう考えるとき、「斜め右」という位置が有効に働いてくる。「木耳」の「耳」という文字も何やら意味ありげに見えてくるのだ。
張り込みの途中で確定申告
こういうことは現実にはありえない。
けれども、実際にあればおもしろいなと思う。
職務怠慢なのだけれど、そう目くじらを立てるには及ばない。
松本清張の短編に「張り込み」というのがある。
指名手配の男が昔関係のあった女のところに立ち寄るのではないかと、二人の刑事が張り込みをしている。女は吝嗇な夫のもとで窮屈な生活をしている。その生活ぶりを刑事は見つめている。もし、指名手配の男がやって来たら、女はどのような行動に出るのか。
清張は社会派だが、良祐の句はそんな深刻なものではない。少しでもお金が戻ってきたら居酒屋にでも行けるだろう。
夢が人生を食い破ることもあれば、現実が文学を殺すこともある。だが、私は良祐が死んだとは思っていない。疑うものは飯田良祐句集を見ればよい。
2015年2月20日金曜日
兵頭全郎の川柳
「川柳木馬」143号の巻頭言(「一塵窓」)で清水かおりが「高知県短詩型文学賞」について述べている。受賞作品が難解であるという意見があるらしい。清水は川柳部門の「難解」がこの十数年間でどう変化したのか、次のような作品を例に挙げている。
償いの縄がするする降りてくる 大破(平成8年度)
老いるのは切ない川は蛇行する 望(平成10年度)
砂の国巨象が足を踏み入れる 鮎美(平成15年度)
自惚れはないか真っ赤な唐辛子 知華子(平成16年度)
ギター掻く第六弦は父であり 浩佑(平成23年度)
明日の子へひみつひみつの国渡す 郁子(平成25年度)
そして清水は次のようにコメントする。
「読み手が思う難解はおおむね比喩、暗喩の解釈についてであるが、作品上大きな変化は感じられない」「どんな文芸の現場にも『難解』は存在する。たびたび論の俎上に上げられる現代川柳のそれは、比喩の解りづらさから、言葉と言葉の飛躍の距離へと少しずつ変化をしてきているという状況がある」
比喩・暗喩(メタファー)は結局のところ「意味性」につながる。〈「暗喩(意味)」から「言葉の飛躍」へ〉という清水の分析は、現代川柳の先端的情況に対応している。
さて、本号では「作家群像」のコーナーに兵頭全郎の60句が掲載されている。
その巻頭句と前掲の「高知県短詩型文学賞」と比べてみるとおもしろい。
償いの縄がするする降りてくる 海地大破
足並みを揃えて竜が降りてくる 兵頭全郎
「償いの縄」は「償いという縄」で「縄」は「償い」の比喩である。縄だから「するする降りてくる」という言葉につながるので、意味的には「償い」が目の前にあらわれるという状況である。「私」(作中主体)が償いをするのか、誰かが「私」(作中主体)に償うために縄を降ろしてくれたのか、どちらとも読めるが、それは大きな問題ではない。
一方、全郎の句では「竜」は意味に置き換えられない。暗喩と受け取って無理に意味に置き換えて読むこともできるが、きっとつまらない読みになってしまうだろう。これを挨拶句として読むと、たとえば年賀状にこの句が書いてあれば、新年の挨拶になる。
湊圭史は次のように書いている。
「一見ふつうの歳旦のあいさつ句に見えて、しかしなぜ『足並みを揃えて』くるのかを立ち止まって考えると、一句から歳旦にあたって不可欠な目出度さがすーっと、風から空気が抜けるように、抜け出ていくような気がする。読後振り返ってみると、手ごたえのある句の『中心』的なものがなかったことに気づかされる。句の中の言葉がひとつの意味や読みに集約されていくのが通常のかたちでの作品の『読み』だとすれば、兵頭全郎の句とはどこかでそうした解釈的な『読み』を拒むように書かれているのだ」
再び海地大破の句と比較すると、大破の句には「償い」という意味の中心が存在するのに対して、全郎の句では「竜」は一義的な意味を提示しない。「足並みを揃えて」という部分にかすかに意味性が感じられるが、これを全体主義批判などと結びつけるのは読みすぎだろう。意味の中心がなく、しかも一句全体として何かを詠んでいる。そのような書き方が意識的にされていることになる。
受付にポテトチップス預り証
狼尾男カバンの中の灰
船頭を触れれば溶ける糸で編む
当駅一等地に遮音室はある
夜姫に光の当たる夜がくる
馬術部に預けた砂を返してもらう
湊圭史と江口ちかるが解説を書いていて、湊の文章はすでに引用したが、湊はさらに「取り合わせ」と「取りはやし」という用語を使って注目すべきことを言っている。
俳句では「取り合わせ」「配合」ということが言われる。「二物衝撃」という言葉もある。
「発句は取り合わせものなり」とは芭蕉の有名なことばだが、「取りはやし」とは「取り合わせ」た二つの要素をいかに一句のなかで結びつけるのか、ということらしい。
全郎の句は「二物衝撃」や「意表」をねらっているのではない、と湊は見ている。
「全郎の『取りはやし』の主要パターンのひとつは、二つの要素の異質性を『ぶつからないように』強調するところにある」
「全郎句の『取りはやし』では、各句のなかの二つの直線は簡単に互いを位置づけられないように配置されている。平行も交差もしない『ねじれ』の位置に置かれていると言い換えてもよい」
「全郎句の言葉は一句のなかでも、一つの平面に収束していかないで、読者の読みを複数のバラバラの方向に連れていこうとするのだ」
全郎は「作者の言葉」でこんなふうに書いている。
「伝達の道具としての言葉から伝達の機能を抜くとどうなるのか」
「私はこう思う」ではなくて「読んでくれた方がそこで感じた気持ち」こそが作品の真価になる。そう思いながら彼は「ガラスの小瓶」を作っている、というのだ。
では、「ガラスの小瓶」(作品)をどのように作るのか。
「私はこう思う」を出発点にしないならば、出発点は言葉しかない。
従来の全郎作品はテーマとなる「言葉」をまず決めて、そこから連作を書き上げるという傾向が強かった。そこに彼の作品のおもしろさと同時に単調さがあった。今回の60句は多彩であり、新鮮な感じがした。
ただこのような書き方を続けるのは困難な作業だから、ふと気が弱ったときには、たとえば「寝言ではあるが鋭いご指摘で」のような意味性にもたれた句が混じってくることになる。「蜘蛛の巣のどこから補助線をひくか」は隠喩と読まれても仕方がない書き方である。
「私はこう思う」を出発点にしない書き方にはまだまだ可能性がある。
冒頭に紹介した清水かおりの認識に重ねて言えば、現代川柳の先端部分は西脇順三郎の詩学の方向性で進んでいるのだ。即ち〈意味から言葉の飛躍へ〉。
償いの縄がするする降りてくる 大破(平成8年度)
老いるのは切ない川は蛇行する 望(平成10年度)
砂の国巨象が足を踏み入れる 鮎美(平成15年度)
自惚れはないか真っ赤な唐辛子 知華子(平成16年度)
ギター掻く第六弦は父であり 浩佑(平成23年度)
明日の子へひみつひみつの国渡す 郁子(平成25年度)
そして清水は次のようにコメントする。
「読み手が思う難解はおおむね比喩、暗喩の解釈についてであるが、作品上大きな変化は感じられない」「どんな文芸の現場にも『難解』は存在する。たびたび論の俎上に上げられる現代川柳のそれは、比喩の解りづらさから、言葉と言葉の飛躍の距離へと少しずつ変化をしてきているという状況がある」
比喩・暗喩(メタファー)は結局のところ「意味性」につながる。〈「暗喩(意味)」から「言葉の飛躍」へ〉という清水の分析は、現代川柳の先端的情況に対応している。
さて、本号では「作家群像」のコーナーに兵頭全郎の60句が掲載されている。
その巻頭句と前掲の「高知県短詩型文学賞」と比べてみるとおもしろい。
償いの縄がするする降りてくる 海地大破
足並みを揃えて竜が降りてくる 兵頭全郎
「償いの縄」は「償いという縄」で「縄」は「償い」の比喩である。縄だから「するする降りてくる」という言葉につながるので、意味的には「償い」が目の前にあらわれるという状況である。「私」(作中主体)が償いをするのか、誰かが「私」(作中主体)に償うために縄を降ろしてくれたのか、どちらとも読めるが、それは大きな問題ではない。
一方、全郎の句では「竜」は意味に置き換えられない。暗喩と受け取って無理に意味に置き換えて読むこともできるが、きっとつまらない読みになってしまうだろう。これを挨拶句として読むと、たとえば年賀状にこの句が書いてあれば、新年の挨拶になる。
湊圭史は次のように書いている。
「一見ふつうの歳旦のあいさつ句に見えて、しかしなぜ『足並みを揃えて』くるのかを立ち止まって考えると、一句から歳旦にあたって不可欠な目出度さがすーっと、風から空気が抜けるように、抜け出ていくような気がする。読後振り返ってみると、手ごたえのある句の『中心』的なものがなかったことに気づかされる。句の中の言葉がひとつの意味や読みに集約されていくのが通常のかたちでの作品の『読み』だとすれば、兵頭全郎の句とはどこかでそうした解釈的な『読み』を拒むように書かれているのだ」
再び海地大破の句と比較すると、大破の句には「償い」という意味の中心が存在するのに対して、全郎の句では「竜」は一義的な意味を提示しない。「足並みを揃えて」という部分にかすかに意味性が感じられるが、これを全体主義批判などと結びつけるのは読みすぎだろう。意味の中心がなく、しかも一句全体として何かを詠んでいる。そのような書き方が意識的にされていることになる。
受付にポテトチップス預り証
狼尾男カバンの中の灰
船頭を触れれば溶ける糸で編む
当駅一等地に遮音室はある
夜姫に光の当たる夜がくる
馬術部に預けた砂を返してもらう
湊圭史と江口ちかるが解説を書いていて、湊の文章はすでに引用したが、湊はさらに「取り合わせ」と「取りはやし」という用語を使って注目すべきことを言っている。
俳句では「取り合わせ」「配合」ということが言われる。「二物衝撃」という言葉もある。
「発句は取り合わせものなり」とは芭蕉の有名なことばだが、「取りはやし」とは「取り合わせ」た二つの要素をいかに一句のなかで結びつけるのか、ということらしい。
全郎の句は「二物衝撃」や「意表」をねらっているのではない、と湊は見ている。
「全郎の『取りはやし』の主要パターンのひとつは、二つの要素の異質性を『ぶつからないように』強調するところにある」
「全郎句の『取りはやし』では、各句のなかの二つの直線は簡単に互いを位置づけられないように配置されている。平行も交差もしない『ねじれ』の位置に置かれていると言い換えてもよい」
「全郎句の言葉は一句のなかでも、一つの平面に収束していかないで、読者の読みを複数のバラバラの方向に連れていこうとするのだ」
全郎は「作者の言葉」でこんなふうに書いている。
「伝達の道具としての言葉から伝達の機能を抜くとどうなるのか」
「私はこう思う」ではなくて「読んでくれた方がそこで感じた気持ち」こそが作品の真価になる。そう思いながら彼は「ガラスの小瓶」を作っている、というのだ。
では、「ガラスの小瓶」(作品)をどのように作るのか。
「私はこう思う」を出発点にしないならば、出発点は言葉しかない。
従来の全郎作品はテーマとなる「言葉」をまず決めて、そこから連作を書き上げるという傾向が強かった。そこに彼の作品のおもしろさと同時に単調さがあった。今回の60句は多彩であり、新鮮な感じがした。
ただこのような書き方を続けるのは困難な作業だから、ふと気が弱ったときには、たとえば「寝言ではあるが鋭いご指摘で」のような意味性にもたれた句が混じってくることになる。「蜘蛛の巣のどこから補助線をひくか」は隠喩と読まれても仕方がない書き方である。
「私はこう思う」を出発点にしない書き方にはまだまだ可能性がある。
冒頭に紹介した清水かおりの認識に重ねて言えば、現代川柳の先端部分は西脇順三郎の詩学の方向性で進んでいるのだ。即ち〈意味から言葉の飛躍へ〉。
2015年2月13日金曜日
雛壇の一番下には
先週ご案内した5月17日の「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」の件、ホームページを立ち上げたのでご覧いただければ幸いである。
http://senryu17.web.fc2.com/
さて今回は川柳誌を逍遥しながら、気になる作品を読んでみることにしたい。
雛壇の一番下の舌濡れる 青砥和子
「触光」41号掲載。
「雛壇の一番下」と「舌濡れる」を「の」で繋いでいる。
雛壇の一番下には何があるのだろう。
これを、たとえば五人囃子だとすると、笛を吹いている雛人形の舌が濡れているように見える、という写生の句になる。
一番下が雛壇の最下段ではなくて、さらにその下に存在するもの、段全体を支えているものだとすると、それが「舌」だというのは何やら妖しい雰囲気となる。
「一番下の舌」と書いてあるが、この「の」に前後をつなぐ役割はあまりなくて、一種の切れだとすると、「雛壇の一番下」と「舌濡れる」は別のことになり、この舌は見ている人の舌だとか、女の子の舌だとかいう解釈が生まれる。
「下」「舌」の発音の共通性から一句が出来ているので、それをおもしろいと思うか、わざとらしいと思うかによって読者の受け止め方は異なってくる。
青砥和子は瀬戸市在住の川柳人。川柳をはじめて9年ほどになるという。同号の「触光の作家」というコーナーに青砥が取り上げられていて、彼女はこんなふうに書いている。
「そろそろと作句して、自分の思いがなんとか十七文字であるから言葉で伝わらないもどかしさ、描写の難しさをしみじみ感じている。更につきまとう既視感。快感を知ったが故に迷路に深くはまり込んでしまったようだ。しかし、幸いにもその迷路は、私にとって今は不快」ではない」
掲出句はそういう試行・迷路の中で生まれた一句だと読める。
オオバコもアザミも私の子ではなく 滋野さち
「触光」41号から、もう一句。
むつかしい言葉は何も使われていないのだが、案外わかりくい句である。
オオバコもアザミも野に咲く雑草である。そういう雑草の立場に共感して「オオバコもアザミも私の子」というのなら、よく分かるのだが、ここでは「私の子ではなく」と言って突き放している。
植物だから私の子ではないのは当然である。では、このオオバコやアザミは喩なのだろうか。川柳的喩・メタファーとして植物はよく使われる。けれども、この句ではメタファーとして使われているのでもないようだ。
この句のベースにあるのは何らかの断念の気持ちであるように思う。自然との共生ではなくて、断絶の思いなのだろう。
「触光」今号から滋野は誌上句会の選を担当している。題は「煙」。次に挙げるのは滋野が秀作選んだ句のひとつ。
あのけむり地方葬送かも知れぬ 小暮健一
滋野は選評の中でこんなふうに書いている。
「感動は人それぞれです。つまらないと言う人もいれば、同じ句を名句だと言う人もいます。選者の好みで、何点とか順位を決められて、人の目に触れることなく、句が捨てられてしまうのは、理不尽な気がします」「目の前のくすぶる煙に拘らず、視野を広く想を飛ばし、ことばにすることが作句の大切な要素ではないでしょうか」
大阪府交野市で「川柳交差点」という句会が毎月開催されている。代表・嶋澤喜八郎。この2月の例会で第94回となる。その様子が「川柳交差点」95号に掲載されている。ここでは井上一筒の作品を紹介しよう。
河童逃げ込んだニジェール共和国 井上一筒
梅田から地下鉄で行く淡路島
一筒の句の作り方がうかがえる。
一句目は「河童」という題。『遠野物語』や芥川龍之介の小説に登場する河童だが、遠くニジェールへと飛躍させている。
二句目は「可笑しい」という題。梅田から淡路島まで地下鉄で行けたらおもしろいだろうという、ありえないことを詠んでいる。
ちなみに「河童」の選者は筒井祥文で、祥文の軸吟は「飛行機を降りてきたのは皆カッパ」。また、「可笑しい」の選者は酒井かがりで、軸吟は「ウルトラマンなのに三分以上甘えてる」。それぞれ句会を楽しんで遊んでいる様子が伝わってくる。
井上一筒(いのうえ・いーとん)。号は麻雀のピンズの一にちなむ。
本多洋子のホームページ「洋子の部屋」から。
死ぬときはびわこになると思います 本多洋子
ガラスの蝶の透ける血の道海へ海へ
前者は第19回杉野十佐一賞の大賞作品。
後者は1995年の川柳公論大賞作品。
この20年の間に本多洋子の軌跡がある。
http://senryu17.web.fc2.com/
さて今回は川柳誌を逍遥しながら、気になる作品を読んでみることにしたい。
雛壇の一番下の舌濡れる 青砥和子
「触光」41号掲載。
「雛壇の一番下」と「舌濡れる」を「の」で繋いでいる。
雛壇の一番下には何があるのだろう。
これを、たとえば五人囃子だとすると、笛を吹いている雛人形の舌が濡れているように見える、という写生の句になる。
一番下が雛壇の最下段ではなくて、さらにその下に存在するもの、段全体を支えているものだとすると、それが「舌」だというのは何やら妖しい雰囲気となる。
「一番下の舌」と書いてあるが、この「の」に前後をつなぐ役割はあまりなくて、一種の切れだとすると、「雛壇の一番下」と「舌濡れる」は別のことになり、この舌は見ている人の舌だとか、女の子の舌だとかいう解釈が生まれる。
「下」「舌」の発音の共通性から一句が出来ているので、それをおもしろいと思うか、わざとらしいと思うかによって読者の受け止め方は異なってくる。
青砥和子は瀬戸市在住の川柳人。川柳をはじめて9年ほどになるという。同号の「触光の作家」というコーナーに青砥が取り上げられていて、彼女はこんなふうに書いている。
「そろそろと作句して、自分の思いがなんとか十七文字であるから言葉で伝わらないもどかしさ、描写の難しさをしみじみ感じている。更につきまとう既視感。快感を知ったが故に迷路に深くはまり込んでしまったようだ。しかし、幸いにもその迷路は、私にとって今は不快」ではない」
掲出句はそういう試行・迷路の中で生まれた一句だと読める。
オオバコもアザミも私の子ではなく 滋野さち
「触光」41号から、もう一句。
むつかしい言葉は何も使われていないのだが、案外わかりくい句である。
オオバコもアザミも野に咲く雑草である。そういう雑草の立場に共感して「オオバコもアザミも私の子」というのなら、よく分かるのだが、ここでは「私の子ではなく」と言って突き放している。
植物だから私の子ではないのは当然である。では、このオオバコやアザミは喩なのだろうか。川柳的喩・メタファーとして植物はよく使われる。けれども、この句ではメタファーとして使われているのでもないようだ。
この句のベースにあるのは何らかの断念の気持ちであるように思う。自然との共生ではなくて、断絶の思いなのだろう。
「触光」今号から滋野は誌上句会の選を担当している。題は「煙」。次に挙げるのは滋野が秀作選んだ句のひとつ。
あのけむり地方葬送かも知れぬ 小暮健一
滋野は選評の中でこんなふうに書いている。
「感動は人それぞれです。つまらないと言う人もいれば、同じ句を名句だと言う人もいます。選者の好みで、何点とか順位を決められて、人の目に触れることなく、句が捨てられてしまうのは、理不尽な気がします」「目の前のくすぶる煙に拘らず、視野を広く想を飛ばし、ことばにすることが作句の大切な要素ではないでしょうか」
大阪府交野市で「川柳交差点」という句会が毎月開催されている。代表・嶋澤喜八郎。この2月の例会で第94回となる。その様子が「川柳交差点」95号に掲載されている。ここでは井上一筒の作品を紹介しよう。
河童逃げ込んだニジェール共和国 井上一筒
梅田から地下鉄で行く淡路島
一筒の句の作り方がうかがえる。
一句目は「河童」という題。『遠野物語』や芥川龍之介の小説に登場する河童だが、遠くニジェールへと飛躍させている。
二句目は「可笑しい」という題。梅田から淡路島まで地下鉄で行けたらおもしろいだろうという、ありえないことを詠んでいる。
ちなみに「河童」の選者は筒井祥文で、祥文の軸吟は「飛行機を降りてきたのは皆カッパ」。また、「可笑しい」の選者は酒井かがりで、軸吟は「ウルトラマンなのに三分以上甘えてる」。それぞれ句会を楽しんで遊んでいる様子が伝わってくる。
井上一筒(いのうえ・いーとん)。号は麻雀のピンズの一にちなむ。
本多洋子のホームページ「洋子の部屋」から。
死ぬときはびわこになると思います 本多洋子
ガラスの蝶の透ける血の道海へ海へ
前者は第19回杉野十佐一賞の大賞作品。
後者は1995年の川柳公論大賞作品。
この20年の間に本多洋子の軌跡がある。
2015年2月6日金曜日
現代川柳ヒストリア+川柳フリマ
今回は時評ではなくて宣伝・広報となるが、ご了解いただきたい。
今年の5月17日(日)、大阪・上本町の「たかつガーデン」で川柳のフリーマーケットを開催することになった。次に掲げるのはその挨拶文。
近年、現代川柳の句集の出版が盛んになってきました。
インターネットなどで注文することができますが、句集の作者と読者が直接交流できる場はそれほど多くありません。
一方で「文学フリマ」が開催され、短歌や俳句、現代詩やアニメなどの出版物を求めて読者が集まる状況が生まれています。川柳でも、句会・大会以外に不特定の人たちが集まって交流するという場がもてないものでしょうか。
現代川柳の歩みをふりかえりつつ、句集やフリーペパーを仲立ちとする交流の場を求めて、次のような集いをもつことにしました。
お申込みなしにご参加いただけますし、ご都合に応じて会場の出入りはご自由です。
また、趣旨にご賛同いただける場合は出店をお願い致します。
では、会場でお目にかかりましょう。
具体的な内容については今後、多少の変更はあるかも知れないが、ほぼ次のように計画している。
日時 2015年5月17日(日) 13:00~17:00
場所 たかつガーデン 3Fカトレア
川柳フリマ 13:00~17:00
○出店料1000円
机1台分のスペースを60cm×180cmを提供・机2台希望の場合は2000円
出店の申し込みは4月30日まで(申込は小池正博まで)。
○入場無料 ご都合のよい時間帯にご来場ください。
○物品販売 あざみエージェント・川柳マガジン・邑書林・飯塚書店・三省堂ほか
○フリーペーパー・コーナーを1机用意します。フリーペーパーは当日ご持参ください(出店料無料)。参加者に自由にお持ち帰りいただきます。
開催時間帯であれば自由に出入りできる。また、川柳人だけでなく、短詩型文学に関心のある方なら、誰でも参加できるので多数ご来場いただきたい。入場は無料だが、受付で案内パンフレットをご購入いただければありがたい。
フリマと並行して展示・句集紹介・対談なども予定している。
まず、「雑誌でたどる現代川柳の歩み」として、次のような現代川柳誌を展示する。
「鴉」「天馬」「馬」「流木」「でるた」「縄」「無形像」「現代川柳」「せんば」「短詩」「森林」「海図」「鷹」「不死鳥」「川柳ジャーナル」「視野」「平安」「魚」「藍」「バックストローク」など。
これらは非売品。川柳に関心がある方なら垂涎の同人誌のはず。実物は単なる古雑誌にすぎないが、私にとってはお宝の数々である。
名前は聞いたことがあるが、実物は見たことがない雑誌が大半だろう。たとえば、「鴉」は中村冨二が発行していた川柳誌でガリ版刷。河野春三の「天馬」や「馬」。「川柳ジャーナル」以前の「海図」「鷹」「不死鳥」など。葉書川柳の「視野」。女性川柳の先駆けとなった飯尾マサ子の「魚」など、その時代の川柳人の息吹が伝わってくる。
14:00~14:30にパワーポイントを使って展示品の解説をするので、興味のある方は私の解説を聞いてください。
続いて14:30~15:30に、句集紹介・作者サイン会。
田口麦彦『新現代川柳必携』をはじめ、句集を紹介しながら、作者と読者が直接、交歓し
あうコーナー。
田口麦彦さんが熊本から来阪の予定。サインが欲しい方はどうぞ。
あと、句集の魅力を推薦者が持ち時間五分で語るコーナーなどを予定している。これは、
いま流行りのビブリオ・バトルの形式をまねたもの。ただし、バトル・投票はしません。
推薦句集・ゲストなどは現在交渉中なので、誰に会えるかわからないサプライズがあるかも。
16:00~17:00 「川柳をどう配信するか」は天野慶さんと小池正博の対談コーナー。
ネット短歌・ケータイ短歌・ツイッターなど、現代短歌の発信の仕方を紹介しながら、こ
れから川柳をどう配信していくことができるかを考える。
天野慶(あまの・けい)さんは歌人で「短歌人」所属。奈良市在住。「ケータイ短歌」番組スタート時からゲスト歌人として出演。著書に『百人一首百うたがたり』(幻冬舎エデュケーション)『百人一首・短歌・俳句』(ポプラ社)『だめだめママだめ!』(絵・はまのゆか 文・天野慶 ほるぷ出版)などがある。昨年7月の「大阪短歌チョップ」の企画にも参加していた方なので、短歌の発信の仕方についていろいろ尋ねてみたい。
この企画は「川柳カード」とは関係なく、私が個人的に計画しているものである。
スタッフを募集中なので、ご協力いただける方はご連絡ください。
また、出店ご希望の方は、店名と出店の意志表示をいただければ、机のスペースを用意し
ます。出店料は当日徴収。
あと、フリーペーパーについては当日会場に持参していただければ、展示させていただく。
出店料はいただかないが、無料配布となるのでご了解を。
会場は開催時間帯であれば出入り自由なので、ご都合のいい時間帯にきていただければ幸
いである。川柳だけでなく短詩型文学に関心のある方々にとって、人・物・情報の集まる
ひとつの場になればと思っている。
近いうちに専用ホームページを立ち上げる予定なので、情報はそこからも発信する。
主催 現代川柳ヒストリア(小池正博)
連絡先
〒594-0041 和泉市いぶき野2-20-8 小池正博
TEL・FAX 0725-56-2895
今年の5月17日(日)、大阪・上本町の「たかつガーデン」で川柳のフリーマーケットを開催することになった。次に掲げるのはその挨拶文。
近年、現代川柳の句集の出版が盛んになってきました。
インターネットなどで注文することができますが、句集の作者と読者が直接交流できる場はそれほど多くありません。
一方で「文学フリマ」が開催され、短歌や俳句、現代詩やアニメなどの出版物を求めて読者が集まる状況が生まれています。川柳でも、句会・大会以外に不特定の人たちが集まって交流するという場がもてないものでしょうか。
現代川柳の歩みをふりかえりつつ、句集やフリーペパーを仲立ちとする交流の場を求めて、次のような集いをもつことにしました。
お申込みなしにご参加いただけますし、ご都合に応じて会場の出入りはご自由です。
また、趣旨にご賛同いただける場合は出店をお願い致します。
では、会場でお目にかかりましょう。
具体的な内容については今後、多少の変更はあるかも知れないが、ほぼ次のように計画している。
日時 2015年5月17日(日) 13:00~17:00
場所 たかつガーデン 3Fカトレア
川柳フリマ 13:00~17:00
○出店料1000円
机1台分のスペースを60cm×180cmを提供・机2台希望の場合は2000円
出店の申し込みは4月30日まで(申込は小池正博まで)。
○入場無料 ご都合のよい時間帯にご来場ください。
○物品販売 あざみエージェント・川柳マガジン・邑書林・飯塚書店・三省堂ほか
○フリーペーパー・コーナーを1机用意します。フリーペーパーは当日ご持参ください(出店料無料)。参加者に自由にお持ち帰りいただきます。
開催時間帯であれば自由に出入りできる。また、川柳人だけでなく、短詩型文学に関心のある方なら、誰でも参加できるので多数ご来場いただきたい。入場は無料だが、受付で案内パンフレットをご購入いただければありがたい。
フリマと並行して展示・句集紹介・対談なども予定している。
まず、「雑誌でたどる現代川柳の歩み」として、次のような現代川柳誌を展示する。
「鴉」「天馬」「馬」「流木」「でるた」「縄」「無形像」「現代川柳」「せんば」「短詩」「森林」「海図」「鷹」「不死鳥」「川柳ジャーナル」「視野」「平安」「魚」「藍」「バックストローク」など。
これらは非売品。川柳に関心がある方なら垂涎の同人誌のはず。実物は単なる古雑誌にすぎないが、私にとってはお宝の数々である。
名前は聞いたことがあるが、実物は見たことがない雑誌が大半だろう。たとえば、「鴉」は中村冨二が発行していた川柳誌でガリ版刷。河野春三の「天馬」や「馬」。「川柳ジャーナル」以前の「海図」「鷹」「不死鳥」など。葉書川柳の「視野」。女性川柳の先駆けとなった飯尾マサ子の「魚」など、その時代の川柳人の息吹が伝わってくる。
14:00~14:30にパワーポイントを使って展示品の解説をするので、興味のある方は私の解説を聞いてください。
続いて14:30~15:30に、句集紹介・作者サイン会。
田口麦彦『新現代川柳必携』をはじめ、句集を紹介しながら、作者と読者が直接、交歓し
あうコーナー。
田口麦彦さんが熊本から来阪の予定。サインが欲しい方はどうぞ。
あと、句集の魅力を推薦者が持ち時間五分で語るコーナーなどを予定している。これは、
いま流行りのビブリオ・バトルの形式をまねたもの。ただし、バトル・投票はしません。
推薦句集・ゲストなどは現在交渉中なので、誰に会えるかわからないサプライズがあるかも。
16:00~17:00 「川柳をどう配信するか」は天野慶さんと小池正博の対談コーナー。
ネット短歌・ケータイ短歌・ツイッターなど、現代短歌の発信の仕方を紹介しながら、こ
れから川柳をどう配信していくことができるかを考える。
天野慶(あまの・けい)さんは歌人で「短歌人」所属。奈良市在住。「ケータイ短歌」番組スタート時からゲスト歌人として出演。著書に『百人一首百うたがたり』(幻冬舎エデュケーション)『百人一首・短歌・俳句』(ポプラ社)『だめだめママだめ!』(絵・はまのゆか 文・天野慶 ほるぷ出版)などがある。昨年7月の「大阪短歌チョップ」の企画にも参加していた方なので、短歌の発信の仕方についていろいろ尋ねてみたい。
この企画は「川柳カード」とは関係なく、私が個人的に計画しているものである。
スタッフを募集中なので、ご協力いただける方はご連絡ください。
また、出店ご希望の方は、店名と出店の意志表示をいただければ、机のスペースを用意し
ます。出店料は当日徴収。
あと、フリーペーパーについては当日会場に持参していただければ、展示させていただく。
出店料はいただかないが、無料配布となるのでご了解を。
会場は開催時間帯であれば出入り自由なので、ご都合のいい時間帯にきていただければ幸
いである。川柳だけでなく短詩型文学に関心のある方々にとって、人・物・情報の集まる
ひとつの場になればと思っている。
近いうちに専用ホームページを立ち上げる予定なので、情報はそこからも発信する。
主催 現代川柳ヒストリア(小池正博)
連絡先
〒594-0041 和泉市いぶき野2-20-8 小池正博
TEL・FAX 0725-56-2895
2015年1月30日金曜日
酒場詩人・ビブリオバトル・ツイッター
吉田類の『酒場詩人の流儀』(中公新書)を読んだ。
テレビでときどき「吉田類の酒場放浪記」を見ているので、俳句と酒の好きなおじさん程度に思っていたが、読んでみると筋がね入りのナチュラリストであり、山登りや釣りや昆虫の話が満載で興味深かった。
吉田が高知県仁淀川町の出身だということも知った。こんな一節がある。
「誰かから『清酒と合うおススメの料理は何?』と尋ねられれば、〝ウツボのしゃぶしゃぶ〟と即答するほど気に入っている。平皿へ白牡丹の花びらみたいに盛り付けて供されれば、元のウツボの姿とはほど遠い。厚めにスライスされた白身を、箸にとって10秒ほど熱湯へくぐらせる。フグのしゃぶしゃぶと似た食感が得られ、柚子ポン酢との相性も申し分ない」
うーん、「ウツボのしゃぶしゃぶ」か。
私は高知に何度か行ったが、そのたびにウツボのから揚げを食べそこなった。宴会の一次会で飲み過ぎて、二次会でウツボが出るころにはもう訳がわからなくなっているからだ。まして、ウツボのしゃぶしゃぶである。食べるチャンスがあれば逃がさないようにしたい。
吉田類は北海道とも縁が深い。五十嵐秀彦の句集『無量』の帯文を吉田が書いている。
「川の外科医」と言われる福留脩文が「近自然工法」で川を再生させる話も印象的である。
ビブリオバトルについてあちこちで耳にするようになって、学校の読書教育の場でも関心が高まっている。公式サイトによると、次のようなルールになっている。
1.発表参加者が読んで面白いと思った本を持って集まる。
2.順番に一人5分間で本を紹介する。
3.それぞれの発表の後に参加者全員でその発表に関するディスカッションを2~3分行う。
4.全ての発表が終了した後に「どの本が一番読みたくなったか?」を基準とした投票を参加者全員で行い,最多票を集めたものを『チャンプ本』とする。
昨年七月の「大阪短歌チョップ」でも、「この歌集がすごい!」という歌集紹介コーナーがあったが、川柳でも句集紹介に応用できるかもしれない。
先日のセンター試験の国語の問題で、佐々木敦の『未知との遭遇』という文章が出題された。ツイッターとインターネットの問題に言及されていて、ネット上でもちょっとした話題になった。
佐々木はこんなふうに書いている。
「ネット上で教えを垂れる人たちは、特にある程度有名な方々は、他者に対して啓蒙的な態度を取るということに、一種の義務感を持ってやってらっしゃる場合もあるのだろうと思います。僕も啓蒙は必要だと思うのですが、どうも良くないと思うのは、ともするとネット上では、啓蒙のベクトルが、どんどん落ちていくことです」
掲示板やブログには「~について教えてください」という書き込みがよくある。佐々木はこれを「教えて君」と呼び、教えてあげる人を「教えてあげる君」と呼ぶ。自分で調べればすぐわかることを、質問者と解答者がいっしょになって川が下流に流れるように、どんどんものを知らない人へと向かってゆく。この事態を指して佐々木は「啓蒙のベクトルが落ちる」と言うのだ。
センター試験の問題には(注)がついていて、「ツイッター」には「インターネットにおいて『ツイート』や『つぶやき』と呼ばれる短文を投稿。閲覧できるサービス。なお、閲覧したツイートに反応して投稿することを『リプライを飛ばす』などという」とある。十代の受験生には必要ない注だが、ツイッターに馴染みのうすいものにとっては、「そうなんだ」と理解しやすいかもしれない。
問題はこのリプライである。佐々木の文章を続ける。
「ツイッターでも、ちょっとしたつぶやきに対して『これこれはご存知ですか?』というリプライを飛ばしてくる人がいますが、つぶやいた人は『教えてあげる君』に教えられるまでもなく、それは知っていて、その上でつぶやいたのかも知れない。だから僕は『教えて君』よりも『教えてあげる君』の方が、場合によっては問題だと思います」
ところで、インターネットにおいて顕著に見られる問題は「君の考えたことはとっくに誰かが考えた問題」であるということ。
「ではどうして自分が考えたことをすでに考えた誰かが必ずといっていいほど存在するのか。それは要するに、過去があるから、大袈裟に言えば、人類がそれなりに長い歴史を持っているから、です」
「しかしわれわれは過去のすべてを知っているわけではない。だからオリジナルだと思ってリヴァイバルをしてしまうことがある。それゆえ生じてくる問題にいかに対すればいいのか」
「単純な答えですが、順番はともかくとして、自力で考えてみること、過去を参照することを、ワンセットでやるのがいいのだと思います」
さらに、佐々木は「盗作、パクリをめぐる問題」に触れている。
「意識せずして過去の何かに似てしまっているものに、誰かが気付いて『これって○○だよね』という指摘をする。それを自分自身の独創だと思っていた者は、驚き、戸惑う。しかし、その一方では、意識的な盗作をわからない人たちもいるわけです。明らか意識的にパクっているのだけれども、受け取る側のリテラシーの低さゆえに、オリジナルとして流通してしまう、ということもしばしば起こっている」
他人のツイートをパクって、自分が考えたことのようにして発信する人がいるらしい。「パクツイ」と言って、ツイートのパクリである。リツイートするのではなく、自分のツイートとして素知らぬ顔で発信する人がけっこういるそうだ。何のためにそんなことをするのか。何でもいいから注目されたい、という気持がベースにあるのだろう。パクツイがばれるとそれなりの制裁を覚悟しなければならないが、他人の考えたコンテンツをパクって自分の手柄として配信することは、さまざまな場面で見られることかも知れない。
センター試験問題の(注)には「リテラシー 読み書き能力。転じて、ある分野に関する知識を活用する基礎的な能力」とある。
テレビでときどき「吉田類の酒場放浪記」を見ているので、俳句と酒の好きなおじさん程度に思っていたが、読んでみると筋がね入りのナチュラリストであり、山登りや釣りや昆虫の話が満載で興味深かった。
吉田が高知県仁淀川町の出身だということも知った。こんな一節がある。
「誰かから『清酒と合うおススメの料理は何?』と尋ねられれば、〝ウツボのしゃぶしゃぶ〟と即答するほど気に入っている。平皿へ白牡丹の花びらみたいに盛り付けて供されれば、元のウツボの姿とはほど遠い。厚めにスライスされた白身を、箸にとって10秒ほど熱湯へくぐらせる。フグのしゃぶしゃぶと似た食感が得られ、柚子ポン酢との相性も申し分ない」
うーん、「ウツボのしゃぶしゃぶ」か。
私は高知に何度か行ったが、そのたびにウツボのから揚げを食べそこなった。宴会の一次会で飲み過ぎて、二次会でウツボが出るころにはもう訳がわからなくなっているからだ。まして、ウツボのしゃぶしゃぶである。食べるチャンスがあれば逃がさないようにしたい。
吉田類は北海道とも縁が深い。五十嵐秀彦の句集『無量』の帯文を吉田が書いている。
「川の外科医」と言われる福留脩文が「近自然工法」で川を再生させる話も印象的である。
ビブリオバトルについてあちこちで耳にするようになって、学校の読書教育の場でも関心が高まっている。公式サイトによると、次のようなルールになっている。
1.発表参加者が読んで面白いと思った本を持って集まる。
2.順番に一人5分間で本を紹介する。
3.それぞれの発表の後に参加者全員でその発表に関するディスカッションを2~3分行う。
4.全ての発表が終了した後に「どの本が一番読みたくなったか?」を基準とした投票を参加者全員で行い,最多票を集めたものを『チャンプ本』とする。
昨年七月の「大阪短歌チョップ」でも、「この歌集がすごい!」という歌集紹介コーナーがあったが、川柳でも句集紹介に応用できるかもしれない。
先日のセンター試験の国語の問題で、佐々木敦の『未知との遭遇』という文章が出題された。ツイッターとインターネットの問題に言及されていて、ネット上でもちょっとした話題になった。
佐々木はこんなふうに書いている。
「ネット上で教えを垂れる人たちは、特にある程度有名な方々は、他者に対して啓蒙的な態度を取るということに、一種の義務感を持ってやってらっしゃる場合もあるのだろうと思います。僕も啓蒙は必要だと思うのですが、どうも良くないと思うのは、ともするとネット上では、啓蒙のベクトルが、どんどん落ちていくことです」
掲示板やブログには「~について教えてください」という書き込みがよくある。佐々木はこれを「教えて君」と呼び、教えてあげる人を「教えてあげる君」と呼ぶ。自分で調べればすぐわかることを、質問者と解答者がいっしょになって川が下流に流れるように、どんどんものを知らない人へと向かってゆく。この事態を指して佐々木は「啓蒙のベクトルが落ちる」と言うのだ。
センター試験の問題には(注)がついていて、「ツイッター」には「インターネットにおいて『ツイート』や『つぶやき』と呼ばれる短文を投稿。閲覧できるサービス。なお、閲覧したツイートに反応して投稿することを『リプライを飛ばす』などという」とある。十代の受験生には必要ない注だが、ツイッターに馴染みのうすいものにとっては、「そうなんだ」と理解しやすいかもしれない。
問題はこのリプライである。佐々木の文章を続ける。
「ツイッターでも、ちょっとしたつぶやきに対して『これこれはご存知ですか?』というリプライを飛ばしてくる人がいますが、つぶやいた人は『教えてあげる君』に教えられるまでもなく、それは知っていて、その上でつぶやいたのかも知れない。だから僕は『教えて君』よりも『教えてあげる君』の方が、場合によっては問題だと思います」
ところで、インターネットにおいて顕著に見られる問題は「君の考えたことはとっくに誰かが考えた問題」であるということ。
「ではどうして自分が考えたことをすでに考えた誰かが必ずといっていいほど存在するのか。それは要するに、過去があるから、大袈裟に言えば、人類がそれなりに長い歴史を持っているから、です」
「しかしわれわれは過去のすべてを知っているわけではない。だからオリジナルだと思ってリヴァイバルをしてしまうことがある。それゆえ生じてくる問題にいかに対すればいいのか」
「単純な答えですが、順番はともかくとして、自力で考えてみること、過去を参照することを、ワンセットでやるのがいいのだと思います」
さらに、佐々木は「盗作、パクリをめぐる問題」に触れている。
「意識せずして過去の何かに似てしまっているものに、誰かが気付いて『これって○○だよね』という指摘をする。それを自分自身の独創だと思っていた者は、驚き、戸惑う。しかし、その一方では、意識的な盗作をわからない人たちもいるわけです。明らか意識的にパクっているのだけれども、受け取る側のリテラシーの低さゆえに、オリジナルとして流通してしまう、ということもしばしば起こっている」
他人のツイートをパクって、自分が考えたことのようにして発信する人がいるらしい。「パクツイ」と言って、ツイートのパクリである。リツイートするのではなく、自分のツイートとして素知らぬ顔で発信する人がけっこういるそうだ。何のためにそんなことをするのか。何でもいいから注目されたい、という気持がベースにあるのだろう。パクツイがばれるとそれなりの制裁を覚悟しなければならないが、他人の考えたコンテンツをパクって自分の手柄として配信することは、さまざまな場面で見られることかも知れない。
センター試験問題の(注)には「リテラシー 読み書き能力。転じて、ある分野に関する知識を活用する基礎的な能力」とある。
2015年1月23日金曜日
ほぼむほん論
蘆花・徳冨健次郎に有名な「謀反論」がある。
明治44年2月1日、旧制一高で行なった準公開講演である。大逆事件で幸徳秋水ら12名の処刑が行なわれた8日後のことだった。
「実に思いがけなく今明治四十四年の劈頭において、我々は早くもここに十二名の謀反人を殺すこととなった。ただ一週間前の事である」(岩波文庫『謀反論』)
蘆花は幸徳秋水たちとは立場を異にすると述べつつも、「諸君、幸徳君らは時の政府に謀反人と見做されて殺された。諸君、謀反を恐れてはならぬ。謀反人を恐れてはならぬ。自ら謀反人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀反である」と語りかける。
「我々は生きねばならぬ、生きるために常に謀反しなければならぬ、自己に対して、また周囲に対して」
川柳カード叢書の第一巻として、昨年九月に『ほぼむほん』が刊行された。きゅういちの第一句集である。
私が解説を書いたことでもあり、今まであえて取り上げなかったが、感想・書評も出尽くしたようなので、このあたりでふり返ってみたい。
いったい川柳の句集が出ても、私信はともかくとして、川柳人から書評・感想が公表されることは少ない。いきおい外部の、たとえば俳人からの視線をリサーチすることになる。
まず、西村麒麟による感想から(2014-09-22 きりんの部屋)。
FAX受信ヴォっと膨らむ冷蔵庫
〈 これ好きですね。ヴォッて感じがなんかよくわかる。〉
バッティングフォームがとても浄土宗
〈 これも大好き。なんかわかるし笑ってしまう。この「なんだか面白い」のすごく奇妙で良いものがたくさん詰まっているのがこの句集です。〉
〈 〉内が麒麟さんの感想。こんな感じで句が取り上げられている。全部紹介できないのが残念である。
次に、大井恒行のブログから(「大井恒行の日日彼是」2014年9月23日)。
遠雷や全ては奇より孵化した きゅういち
〈上掲の句について小池正博は解説で「『孵化』は昆虫や鳥の場合に使う。ヒトが生まれるにしても、鳥獣虫魚と同じ相で眺められている。『奇』はマイナス・イメージではない。すべての起動力は『奇』にあるという認識である」と述べる。その結びには「司祭かの虚空にバックドロップか」の句を引いて「きゅういちという覆面レスラーは虚空に言葉のバックドロップを仕掛ける。その技はときに掛け損なうこともあるが、見事に決まる場合は心地よい。観客はそれを楽しめばいいのだ」と記している。
楽しみついでに気が付いたことだが、最近の『鹿首』第6号の「鹿首 招待席 川柳」に「無題」と題してきゅういちが20句を寄稿している。以下に数句挙げておこう。
歩道より最上階へさざ波さざ波
教室の装置としてのうわごと
連綿も手の湿り気も握り寿司
又貸しの魂魄がほら水浸し
言葉使いの自由さにおいては、俳句よりもどうやら自由度、想像力の幅が大きいようである。
『ほぼむほん』は「ほぼ」と記すからにはどうやら「謀反」には至らない「むほん」なのだろう。〉
川柳人からの感想もある。瀧村小奈生はこんなふうに(「そらいろの空」2014年9月22日)。
幾何学の都市に破調を連れまわす きゅういち
〈おや?と思う素敵な表紙の本が届いた。「ほぼむほん」え?なんだかかわいい響きである。「ほぼ謀反」に変換するまでの一瞬が楽しい。何に対する謀反なのだろう。社会?時代?運命?もちろんそういう要素がないわけではないと思うが、それら全部をひっくるめた自分の存在そのものに対する「ほぼむほん」のような気がしてならない。だから謀反は永遠に続く。ずうっと。きゅういちさんは、謀反的な行為として書き続けていくということなのじゃないかなあと思った。掲出句も存在に対する自意識をうかがわせる。ビルが林立する街中に立つと、まっすぐで平行な線が空間に並び立っている。たとえば、交差点で信号待ちをしている人の存在は、ちいさな破調だろう。無機質の中の有機質。圧倒的なものとあやういもの。完全と不完全。その「破調」を「連れまわす」自覚が、さわやかでたくましく感じられた。〉
ネット上にはこのほかにもいくつか感想が出ているが、句集名の「ほぼ」に触れているものが多い。「謀反」と断言してしまうことへの羞恥が作者に「ほぼむほん」と言わせているのだろう。解説で私は宮沢賢治の「やまなし」の連想から「くらんぼん」説を唱えてみたが、当っているかどうか怪しい。
「むほん」と「ほぼむほん」のはざまに、きゅういちの川柳は存在するのだろう。
「川柳カード」7号に榊陽子が書評を書いている。
〈 あの日きゅうちゃんに質問した。「何に対して謀反なん?世の中?川柳?」「・・・自分にかなあ。」きゅうちゃんはほぼかっこいい。〉
句集を出したあと、自分自身のためのブックレビューを作っておくことは必要である。
第一句集を出したあと、次の句集を出すまでには一層の創作の苦しみがつきまとうものだが、この句集には、きゅういちの初心があり、そういう句集をもつ川柳人は幸福なのである。
明治44年2月1日、旧制一高で行なった準公開講演である。大逆事件で幸徳秋水ら12名の処刑が行なわれた8日後のことだった。
「実に思いがけなく今明治四十四年の劈頭において、我々は早くもここに十二名の謀反人を殺すこととなった。ただ一週間前の事である」(岩波文庫『謀反論』)
蘆花は幸徳秋水たちとは立場を異にすると述べつつも、「諸君、幸徳君らは時の政府に謀反人と見做されて殺された。諸君、謀反を恐れてはならぬ。謀反人を恐れてはならぬ。自ら謀反人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀反である」と語りかける。
「我々は生きねばならぬ、生きるために常に謀反しなければならぬ、自己に対して、また周囲に対して」
川柳カード叢書の第一巻として、昨年九月に『ほぼむほん』が刊行された。きゅういちの第一句集である。
私が解説を書いたことでもあり、今まであえて取り上げなかったが、感想・書評も出尽くしたようなので、このあたりでふり返ってみたい。
いったい川柳の句集が出ても、私信はともかくとして、川柳人から書評・感想が公表されることは少ない。いきおい外部の、たとえば俳人からの視線をリサーチすることになる。
まず、西村麒麟による感想から(2014-09-22 きりんの部屋)。
FAX受信ヴォっと膨らむ冷蔵庫
〈 これ好きですね。ヴォッて感じがなんかよくわかる。〉
バッティングフォームがとても浄土宗
〈 これも大好き。なんかわかるし笑ってしまう。この「なんだか面白い」のすごく奇妙で良いものがたくさん詰まっているのがこの句集です。〉
〈 〉内が麒麟さんの感想。こんな感じで句が取り上げられている。全部紹介できないのが残念である。
次に、大井恒行のブログから(「大井恒行の日日彼是」2014年9月23日)。
遠雷や全ては奇より孵化した きゅういち
〈上掲の句について小池正博は解説で「『孵化』は昆虫や鳥の場合に使う。ヒトが生まれるにしても、鳥獣虫魚と同じ相で眺められている。『奇』はマイナス・イメージではない。すべての起動力は『奇』にあるという認識である」と述べる。その結びには「司祭かの虚空にバックドロップか」の句を引いて「きゅういちという覆面レスラーは虚空に言葉のバックドロップを仕掛ける。その技はときに掛け損なうこともあるが、見事に決まる場合は心地よい。観客はそれを楽しめばいいのだ」と記している。
楽しみついでに気が付いたことだが、最近の『鹿首』第6号の「鹿首 招待席 川柳」に「無題」と題してきゅういちが20句を寄稿している。以下に数句挙げておこう。
歩道より最上階へさざ波さざ波
教室の装置としてのうわごと
連綿も手の湿り気も握り寿司
又貸しの魂魄がほら水浸し
言葉使いの自由さにおいては、俳句よりもどうやら自由度、想像力の幅が大きいようである。
『ほぼむほん』は「ほぼ」と記すからにはどうやら「謀反」には至らない「むほん」なのだろう。〉
川柳人からの感想もある。瀧村小奈生はこんなふうに(「そらいろの空」2014年9月22日)。
幾何学の都市に破調を連れまわす きゅういち
〈おや?と思う素敵な表紙の本が届いた。「ほぼむほん」え?なんだかかわいい響きである。「ほぼ謀反」に変換するまでの一瞬が楽しい。何に対する謀反なのだろう。社会?時代?運命?もちろんそういう要素がないわけではないと思うが、それら全部をひっくるめた自分の存在そのものに対する「ほぼむほん」のような気がしてならない。だから謀反は永遠に続く。ずうっと。きゅういちさんは、謀反的な行為として書き続けていくということなのじゃないかなあと思った。掲出句も存在に対する自意識をうかがわせる。ビルが林立する街中に立つと、まっすぐで平行な線が空間に並び立っている。たとえば、交差点で信号待ちをしている人の存在は、ちいさな破調だろう。無機質の中の有機質。圧倒的なものとあやういもの。完全と不完全。その「破調」を「連れまわす」自覚が、さわやかでたくましく感じられた。〉
ネット上にはこのほかにもいくつか感想が出ているが、句集名の「ほぼ」に触れているものが多い。「謀反」と断言してしまうことへの羞恥が作者に「ほぼむほん」と言わせているのだろう。解説で私は宮沢賢治の「やまなし」の連想から「くらんぼん」説を唱えてみたが、当っているかどうか怪しい。
「むほん」と「ほぼむほん」のはざまに、きゅういちの川柳は存在するのだろう。
「川柳カード」7号に榊陽子が書評を書いている。
〈 あの日きゅうちゃんに質問した。「何に対して謀反なん?世の中?川柳?」「・・・自分にかなあ。」きゅうちゃんはほぼかっこいい。〉
句集を出したあと、自分自身のためのブックレビューを作っておくことは必要である。
第一句集を出したあと、次の句集を出すまでには一層の創作の苦しみがつきまとうものだが、この句集には、きゅういちの初心があり、そういう句集をもつ川柳人は幸福なのである。
2015年1月16日金曜日
世界は広い El Mund es grande.
年末から年始にかけて、いろいろな句会やイベントに参加する機会があった。また手元の俳誌・柳誌などを読んでいると、さまざまな人がさまざまな発信をしていることがわかる。そういう刺激を受けながら今年のプランをさまざま考えてみたが、その中にはかたちになりそうなものもあるし、かたちにならずに消えてゆくものもある。まとまりがつかないままに、手元の俳句や川柳の諸誌を紹介してゆきたい。
阪神淡路大震災から20年が経過して、1月17日がまたやってくる。
神戸から出ている現代詩の同人誌「ア・テンポ」46号は小特集「阪神淡路大震災から20年」を掲載している。
その特集とは関係ないが、巻頭の赤坂恒子の俳句から。
炎ゆる残照へたむろして頬杖 赤坂恒子
一期なる彼のコスモスへ遠回り
ラスクサクサクサクと時雨のち晴れ
小雪の日は乱調の海に在り
長続きいたさぬ忿怒雪こんこ
昨年四月、高知の「川柳木馬35周年大会」に行ったときに、味元昭次と知り合った。それ以来「蝶」を送っていただいている。たむらちせいのあとを継いで、現在は味元さんが編集人・代表者である。
昨年11月に「第38周年蝶俳句大会」が開催された。味元はこんなふうに書いている。
「本誌はルーツである同人誌と結社誌の中間を行く俳誌だと私は認識しています。誌として〈俳句はこういうものだ〉といった硬直した考えを押し付ける俳誌ではありません。難しいことですが、一人一人が〈自分の俳句〉を自分の頭で考えて書いて下さるのが理想です」(味元昭次「蝶」211号)
「蝶」には土佐高校の十代の作者が育っている。
人間は細胞なのだ冬紅葉 川村貴子
テレビの中のみみずくがウオッと鳴く 宮崎玲奈
「蝶俳句会」発行の『昭和の俳句を読もう』は、「蝶」157号(2006年1月)からはじまった連載を冊子にまとめたものである。第一回の中村草田男をはじめ阿部完市、折笠美秋、中村苑子、林田紀音夫など昭和の俳人54人の作品が30句ずつ収録されている。
紹介文もおもしろく、例えば飯島晴子のページでは、「もし女がユーモアに溢れていれば、赤ん坊などというものはパン粉をまぶしてフライにしてしまうだろう」とか、常識的な俳句に対して「五七五の念仏の山」とか、知的操作だけの新奇な作品に対して「単細胞に電流を流したようなもの」とかいう晴子の言葉が紹介されている。
現代俳句のアンソロジーとして、俳句会のテクストにも使えそうだ。
みずぎわのはんもっくのようなひとがすき 須藤徹
「ぶるうまりん」は須藤徹没後も継続して発行されている。
その29号の巻頭に須藤徹の句が掲載されている。平成25年6月、須藤最後の句会での作品らしい。
この号には前号に続いて「まるかじりインタヴュー渡辺隆夫の世界(後編)」が掲載されている。聞き手は歌人の武藤雅治。武藤はこんなふうに発言している。
「隆夫さんは、非人称と無名性について触れていますよね。短詩型でいう人称は、多くは、一人称を指しているかと思いますが、一口に一人称と言っても『生身の我』『社会人としての我』『創作された我』と三つぐらいの『我』というものが考えられます。こういう人称を離れた非人称というのはありうるのか?」
川柳誌「凛」60号は渡辺自身の文章を掲載。
この時評でも取り上げたことがある「川柳使命論争」について、隆夫自身が書いている。
くりかえしになるが、経緯を紹介すると
ふる里は戦争放棄した日本 大久保真澄
について、隆夫が「この句には川柳の使命のようなものが濃縮されている」(「触光」37号)と書いたことについて、「触光」38号で広瀬ちえみや芳賀博子から「川柳の使命」という言い方に対する疑問が呈された。それを受けて、隆夫自身は次のように書いている。
「二人の女史に指摘されてはじめて、私は『使命』というコトバを安易に使用していたことに気がついた。『川柳とはなんでもありの五七五』などとチャランポランを吹聴してきた男が、『使命』などというウソくさい言葉を並べて、こりゃなんじゃらほい、と思ったに違いない。それほど、この戦争放棄の句は私をしてクソマジメな男に回帰させたのである」
「人間というものは気をつけていないと、すぐマジメになってしまう」とは隆夫自身の言葉だが、渡辺隆夫という人は自己を客観視できる人だということを改めて感じた。
「川柳・北田辺」第51回句会報。
くんじろうの「放蕩言」に曰く。
「…趣味の会だから本気で作らないのなら、そこから本物の川柳など生まれて来るはずがない。本物が出て来なければいずれ川柳は滅びる。何十万人の人が川柳と称して五七五を作ろうと、もはやそこに川柳は無かろう。昔良き時代に詠まれた先輩方の句をなぞって、さもそれらしい顔をしているだけなら、そこに独創性など存在するはずもない。決して伝統川柳を否定しているのではない。独創性の無さ、個性の乏しさを憂いているのである」
同句会報の作品から。
白鳥をたった一人で干している 榊陽子
貝塚の貝を全身貼りつける 竹井紫乙
半身はミイラ半身は国宝 田久保亜蘭
つぎはぎブギウギひょうたんつぎもどき 酒井かがり
口紅を狼煙にできるものならば 森田律子
今年も元気のでる川柳時評を書いてゆきたい。そのためには、まず自分が元気でなければならない。
阪神淡路大震災から20年が経過して、1月17日がまたやってくる。
神戸から出ている現代詩の同人誌「ア・テンポ」46号は小特集「阪神淡路大震災から20年」を掲載している。
その特集とは関係ないが、巻頭の赤坂恒子の俳句から。
炎ゆる残照へたむろして頬杖 赤坂恒子
一期なる彼のコスモスへ遠回り
ラスクサクサクサクと時雨のち晴れ
小雪の日は乱調の海に在り
長続きいたさぬ忿怒雪こんこ
昨年四月、高知の「川柳木馬35周年大会」に行ったときに、味元昭次と知り合った。それ以来「蝶」を送っていただいている。たむらちせいのあとを継いで、現在は味元さんが編集人・代表者である。
昨年11月に「第38周年蝶俳句大会」が開催された。味元はこんなふうに書いている。
「本誌はルーツである同人誌と結社誌の中間を行く俳誌だと私は認識しています。誌として〈俳句はこういうものだ〉といった硬直した考えを押し付ける俳誌ではありません。難しいことですが、一人一人が〈自分の俳句〉を自分の頭で考えて書いて下さるのが理想です」(味元昭次「蝶」211号)
「蝶」には土佐高校の十代の作者が育っている。
人間は細胞なのだ冬紅葉 川村貴子
テレビの中のみみずくがウオッと鳴く 宮崎玲奈
「蝶俳句会」発行の『昭和の俳句を読もう』は、「蝶」157号(2006年1月)からはじまった連載を冊子にまとめたものである。第一回の中村草田男をはじめ阿部完市、折笠美秋、中村苑子、林田紀音夫など昭和の俳人54人の作品が30句ずつ収録されている。
紹介文もおもしろく、例えば飯島晴子のページでは、「もし女がユーモアに溢れていれば、赤ん坊などというものはパン粉をまぶしてフライにしてしまうだろう」とか、常識的な俳句に対して「五七五の念仏の山」とか、知的操作だけの新奇な作品に対して「単細胞に電流を流したようなもの」とかいう晴子の言葉が紹介されている。
現代俳句のアンソロジーとして、俳句会のテクストにも使えそうだ。
みずぎわのはんもっくのようなひとがすき 須藤徹
「ぶるうまりん」は須藤徹没後も継続して発行されている。
その29号の巻頭に須藤徹の句が掲載されている。平成25年6月、須藤最後の句会での作品らしい。
この号には前号に続いて「まるかじりインタヴュー渡辺隆夫の世界(後編)」が掲載されている。聞き手は歌人の武藤雅治。武藤はこんなふうに発言している。
「隆夫さんは、非人称と無名性について触れていますよね。短詩型でいう人称は、多くは、一人称を指しているかと思いますが、一口に一人称と言っても『生身の我』『社会人としての我』『創作された我』と三つぐらいの『我』というものが考えられます。こういう人称を離れた非人称というのはありうるのか?」
川柳誌「凛」60号は渡辺自身の文章を掲載。
この時評でも取り上げたことがある「川柳使命論争」について、隆夫自身が書いている。
くりかえしになるが、経緯を紹介すると
ふる里は戦争放棄した日本 大久保真澄
について、隆夫が「この句には川柳の使命のようなものが濃縮されている」(「触光」37号)と書いたことについて、「触光」38号で広瀬ちえみや芳賀博子から「川柳の使命」という言い方に対する疑問が呈された。それを受けて、隆夫自身は次のように書いている。
「二人の女史に指摘されてはじめて、私は『使命』というコトバを安易に使用していたことに気がついた。『川柳とはなんでもありの五七五』などとチャランポランを吹聴してきた男が、『使命』などというウソくさい言葉を並べて、こりゃなんじゃらほい、と思ったに違いない。それほど、この戦争放棄の句は私をしてクソマジメな男に回帰させたのである」
「人間というものは気をつけていないと、すぐマジメになってしまう」とは隆夫自身の言葉だが、渡辺隆夫という人は自己を客観視できる人だということを改めて感じた。
「川柳・北田辺」第51回句会報。
くんじろうの「放蕩言」に曰く。
「…趣味の会だから本気で作らないのなら、そこから本物の川柳など生まれて来るはずがない。本物が出て来なければいずれ川柳は滅びる。何十万人の人が川柳と称して五七五を作ろうと、もはやそこに川柳は無かろう。昔良き時代に詠まれた先輩方の句をなぞって、さもそれらしい顔をしているだけなら、そこに独創性など存在するはずもない。決して伝統川柳を否定しているのではない。独創性の無さ、個性の乏しさを憂いているのである」
同句会報の作品から。
白鳥をたった一人で干している 榊陽子
貝塚の貝を全身貼りつける 竹井紫乙
半身はミイラ半身は国宝 田久保亜蘭
つぎはぎブギウギひょうたんつぎもどき 酒井かがり
口紅を狼煙にできるものならば 森田律子
今年も元気のでる川柳時評を書いてゆきたい。そのためには、まず自分が元気でなければならない。
2015年1月2日金曜日
榎本冬一郎と藤井冨美子
『藤井冨美子全句集』(文学の森)が刊行された。
藤井は俳誌「群蜂」の主宰。榎本冬一郎を師と仰ぎ、榎本が亡くなったあと「群蜂」を継承した。全句集には『海映』『氏の神』『花びら清し』『木の国抄』の四句集のほか〈『木の国抄』以後〉の句も収録されている。和田悟朗の序、「藤井冨美子鑑賞」として樋口由紀子・丸山巧・楠本義雄の文章、堀本吟の「藤井冨美子論」が添えられている。
樋口はこんなふうに書いている。
「関西には津田清子、藤井冨美子、八木三日女などの穏やかであるが、芯が一本通った女性俳人がいる。事象をしっかりと見据える彼女らは総じてカッコイイ。根っこが太く深く、誰にも媚びず、女であることに甘えない。同性として、同じ関西人として憧れの誇らしい存在である」
関西女性俳人としては、もうひとり澁谷道を挙げるべきだろう。八木三日女は惜しくも昨年2月に亡くなった。
かつて「社会性俳句」というものがあった。
初期の藤井もその影響を受けている。第一句集『海映』(うみはえ)から。
寒土で一本酸素ボンベの仮死つづく 藤井冨美子
冷え極む鋼材巡視の人影濃し
団交や平炉を囲む荒き霧
官憲へも降るメーデーの紙吹雪
鋼塊積みし汽笛南風に負けるなよ
雷鳴の工区瞬時がみなぎれり
昭和30年ごろの句である。このとき作者は住友金属に在職。
『海映』の解説で川崎三郎は次のように書いている。
「どの作品にもみられる『炉工』や『鉄』など用語の生硬な語感は藤井氏の特徴の一つといってしかるべきであろう。しかし、このような組織と人間への衝迫はかなりアクチュアルな指向をもってとらえられてはいるが、それは現象的なイデオロギーや革命などとは少しく違っているといえよう。藤井氏にとっては、製鋼煙に被われた底辺層で生きる人間の個としての存在の把握が精一杯の作業だったのであり、それと同時に、そういう階層に対する社会的な自覚、連帯感を基調にして、終始リアリズムの方法で迫るという、徹底した自己形成をはかっていたのである」
川崎は冨美子の今後について、社会性から更に内面的な深化への方向性を予見していた。「さりげなく、それでいて容赦なく過ぎ去っていく平板な日常の時間の流れの中から、いかにクライシス(危機感)を感受するか」というところに川崎は詩の本質を見ている。
以後の藤井冨美子はほぼ川崎のいうような軌跡をたどったと思われる。
藤井を語るには榎本冬一郎のことを語らなければならない。
榎本は和歌山県の田辺市で生まれた。近くに南方熊楠の家があったという。
生駒に転居したり、生地の田辺に戻ったりしたあと、大阪へ。いろいろ生活の苦労があったようだ。山口誓子に師事し、「天狼」創刊に同人参加。その一年後に高橋力らと「群蜂」を創刊して主宰となる。
冬一郎の第二句集『鋳造』(ちゅうぞう)には山口誓子の序が収録されている。
誓子はまず「こんどの句集の『鋳造』という題名は、冬一郎氏が俳句によって自己の人間像を打ち建てることを云うのであろう」と書いている。では、どこにそれを打ち建てるのか。「庶民の中に」というのが冬一郎の答えだ、と誓子は言う。
「庶民の中に自己の人間像を打ち建てるというのは、単に自己の周囲の庶民を素材とすることではない。庶民の心を吾が心とし、吾が心を庶民の心とすることである。『私たち』を『私』として詠い、『私』を『私たち』として詠うことである。これは俳句に於ける新しい分野である。ただしかし、自己を見つむる短詩型の詩歌にあっては、究極に於ては『私』を詠うのであるから、その『私』をどのように『私たち』にかかわらせ、からませるかが問題として残る」
誓子は冬一郎の俳句を「難渋なる『庶民性の俳句』」と呼び、「詠う面に於て庶民性があっても、伝わる面に於ては庶民性が欠ける。庶民を詠って庶民から離れることになる」と批評している。誓子自身は「私は、俳句はまず個人が詠えなくてはならないと思う。その上で庶民を詠い、更に社会を詠うべきであると思う。個人が詠えなくてどうして庶民や社会が詠えようか」という立場のようである。
「社会性俳句」の時期における「私」と「私たち」との関係をめぐる議論である。今の眼から見ても興味深いものを感じるので紹介してみた。
拳銃を帯びし身に触れ穂絮とぶ 榎本冬一郎
「拳銃」は単なる素材ではない。
冬一郎は警官であった。昭和16年から昭和30年まで、彼は大阪府警に勤務し、その後大阪府立大学に出向した。冬一郎の社会性俳句として有名なものにメーデー俳句がある。
メーデーの明日へ怒れるごとく訣る
メーデーの中やうしなふおのれの顔
メーデーのあとなお昼や白き広場
最後の句集『根の祖國』の解説で松井牧歌は次のように書いている。
「冬一郎のメーデー作品は、警官の立場から、いや民主警察の警察官が一人の詩人に立ち返って、メーデーの群集に包囲されつつ表出した臨場感あふれる作品であった。しかし、メーデーという労働者の祭典に、警察官は職務上、労働者と対峙して臨まざるを得ない。この孤独と寂寥の渦中で警察官の心情を詠いあげたのが、冬一郎のメーデー俳句である」
評価は二分されている。
「新しい社会性俳句の出現」という評価と「労働者の祭典を単に敵視した立場で捉えているにすぎない」という批判である。
次の句は第四句集『尻無河畔』から。
定時断水犬も女も乳房重し
これも松井牧歌の解説から引用する。
「大阪湾にそそぐ尻無川流域に、戦前から沖縄の人たちの集落があった。河畔に屑鉄撰場、炭焼窯、解船場が並び、内湾沿いに貯木場、その背後はベニヤ工場と馬小屋が連なっていた。デルタ地帯の中央部を見ると、ラワン材が何本も浮かぶ貯木池と粗末な製材工場のたたずまいがあった」
集落をたずねた瞬間から冬一郎は気持ちをひかれ、以後いくたびも訪問したという。
昭和40年代以降、冬一郎は『時の軸』『故郷仏』『根の祖國』と土俗的な世界へ回帰してゆく。アクチュアリティは失われ、そのぶん言葉と物との関係が深化してゆく。
「夥しいコトバによって隔てられている『ものたち』に、できるだけ親密に皮接して、そこから逆にコトバを捉えようとした」(『時の軸』あとがき)
このような冬一郎の俳句の軌跡を受け継ぎながら、藤井冨美子は自らの俳句世界を詠み続けてきたのだ。『木の国抄』のあとがきに曰く。
「この句集は、全ての肉親と永別した日からの私の心を写す鏡となった。身がまえて生きる方法よりも、ひょっとしたら、淡々と歩むなかで自分の心の置きどころが見えてくるのではないか、と気づかせてくれた年月でもあった。けれん味なく暮しぶりを見究めてゆくことの大切さを教えられたといえる」「そして、先師榎本冬一郎の文学性に追いつく道でもあろう」
和歌山市の加太には「流し雛」で有名な淡嶋神社がある。1989年6月、群蜂40周年記念大会で神社の境内に冬一郎の句碑を建立した際に、冨美子は次の句を詠んでいる。師弟の句を並べて紹介しよう。
明るさに顔耐えている流し雛 冬一郎
ふふむ花芯にこもれる怒濤かな 冨美子
私は本来このような師弟関係をキモチワルイと感じる人間である。けれども、冬一郎と冨美子に限っては、そこに文学的な継承の在り方を認めることができる。両者のベースには関西前衛俳句の精神があるからだ。
「戦後三十年を経ても、人間の生命を奪った戦時体験は忘れよう筈はありません」(藤井冨美子『海映』あとがき)
藤井は俳誌「群蜂」の主宰。榎本冬一郎を師と仰ぎ、榎本が亡くなったあと「群蜂」を継承した。全句集には『海映』『氏の神』『花びら清し』『木の国抄』の四句集のほか〈『木の国抄』以後〉の句も収録されている。和田悟朗の序、「藤井冨美子鑑賞」として樋口由紀子・丸山巧・楠本義雄の文章、堀本吟の「藤井冨美子論」が添えられている。
樋口はこんなふうに書いている。
「関西には津田清子、藤井冨美子、八木三日女などの穏やかであるが、芯が一本通った女性俳人がいる。事象をしっかりと見据える彼女らは総じてカッコイイ。根っこが太く深く、誰にも媚びず、女であることに甘えない。同性として、同じ関西人として憧れの誇らしい存在である」
関西女性俳人としては、もうひとり澁谷道を挙げるべきだろう。八木三日女は惜しくも昨年2月に亡くなった。
かつて「社会性俳句」というものがあった。
初期の藤井もその影響を受けている。第一句集『海映』(うみはえ)から。
寒土で一本酸素ボンベの仮死つづく 藤井冨美子
冷え極む鋼材巡視の人影濃し
団交や平炉を囲む荒き霧
官憲へも降るメーデーの紙吹雪
鋼塊積みし汽笛南風に負けるなよ
雷鳴の工区瞬時がみなぎれり
昭和30年ごろの句である。このとき作者は住友金属に在職。
『海映』の解説で川崎三郎は次のように書いている。
「どの作品にもみられる『炉工』や『鉄』など用語の生硬な語感は藤井氏の特徴の一つといってしかるべきであろう。しかし、このような組織と人間への衝迫はかなりアクチュアルな指向をもってとらえられてはいるが、それは現象的なイデオロギーや革命などとは少しく違っているといえよう。藤井氏にとっては、製鋼煙に被われた底辺層で生きる人間の個としての存在の把握が精一杯の作業だったのであり、それと同時に、そういう階層に対する社会的な自覚、連帯感を基調にして、終始リアリズムの方法で迫るという、徹底した自己形成をはかっていたのである」
川崎は冨美子の今後について、社会性から更に内面的な深化への方向性を予見していた。「さりげなく、それでいて容赦なく過ぎ去っていく平板な日常の時間の流れの中から、いかにクライシス(危機感)を感受するか」というところに川崎は詩の本質を見ている。
以後の藤井冨美子はほぼ川崎のいうような軌跡をたどったと思われる。
藤井を語るには榎本冬一郎のことを語らなければならない。
榎本は和歌山県の田辺市で生まれた。近くに南方熊楠の家があったという。
生駒に転居したり、生地の田辺に戻ったりしたあと、大阪へ。いろいろ生活の苦労があったようだ。山口誓子に師事し、「天狼」創刊に同人参加。その一年後に高橋力らと「群蜂」を創刊して主宰となる。
冬一郎の第二句集『鋳造』(ちゅうぞう)には山口誓子の序が収録されている。
誓子はまず「こんどの句集の『鋳造』という題名は、冬一郎氏が俳句によって自己の人間像を打ち建てることを云うのであろう」と書いている。では、どこにそれを打ち建てるのか。「庶民の中に」というのが冬一郎の答えだ、と誓子は言う。
「庶民の中に自己の人間像を打ち建てるというのは、単に自己の周囲の庶民を素材とすることではない。庶民の心を吾が心とし、吾が心を庶民の心とすることである。『私たち』を『私』として詠い、『私』を『私たち』として詠うことである。これは俳句に於ける新しい分野である。ただしかし、自己を見つむる短詩型の詩歌にあっては、究極に於ては『私』を詠うのであるから、その『私』をどのように『私たち』にかかわらせ、からませるかが問題として残る」
誓子は冬一郎の俳句を「難渋なる『庶民性の俳句』」と呼び、「詠う面に於て庶民性があっても、伝わる面に於ては庶民性が欠ける。庶民を詠って庶民から離れることになる」と批評している。誓子自身は「私は、俳句はまず個人が詠えなくてはならないと思う。その上で庶民を詠い、更に社会を詠うべきであると思う。個人が詠えなくてどうして庶民や社会が詠えようか」という立場のようである。
「社会性俳句」の時期における「私」と「私たち」との関係をめぐる議論である。今の眼から見ても興味深いものを感じるので紹介してみた。
拳銃を帯びし身に触れ穂絮とぶ 榎本冬一郎
「拳銃」は単なる素材ではない。
冬一郎は警官であった。昭和16年から昭和30年まで、彼は大阪府警に勤務し、その後大阪府立大学に出向した。冬一郎の社会性俳句として有名なものにメーデー俳句がある。
メーデーの明日へ怒れるごとく訣る
メーデーの中やうしなふおのれの顔
メーデーのあとなお昼や白き広場
最後の句集『根の祖國』の解説で松井牧歌は次のように書いている。
「冬一郎のメーデー作品は、警官の立場から、いや民主警察の警察官が一人の詩人に立ち返って、メーデーの群集に包囲されつつ表出した臨場感あふれる作品であった。しかし、メーデーという労働者の祭典に、警察官は職務上、労働者と対峙して臨まざるを得ない。この孤独と寂寥の渦中で警察官の心情を詠いあげたのが、冬一郎のメーデー俳句である」
評価は二分されている。
「新しい社会性俳句の出現」という評価と「労働者の祭典を単に敵視した立場で捉えているにすぎない」という批判である。
次の句は第四句集『尻無河畔』から。
定時断水犬も女も乳房重し
これも松井牧歌の解説から引用する。
「大阪湾にそそぐ尻無川流域に、戦前から沖縄の人たちの集落があった。河畔に屑鉄撰場、炭焼窯、解船場が並び、内湾沿いに貯木場、その背後はベニヤ工場と馬小屋が連なっていた。デルタ地帯の中央部を見ると、ラワン材が何本も浮かぶ貯木池と粗末な製材工場のたたずまいがあった」
集落をたずねた瞬間から冬一郎は気持ちをひかれ、以後いくたびも訪問したという。
昭和40年代以降、冬一郎は『時の軸』『故郷仏』『根の祖國』と土俗的な世界へ回帰してゆく。アクチュアリティは失われ、そのぶん言葉と物との関係が深化してゆく。
「夥しいコトバによって隔てられている『ものたち』に、できるだけ親密に皮接して、そこから逆にコトバを捉えようとした」(『時の軸』あとがき)
このような冬一郎の俳句の軌跡を受け継ぎながら、藤井冨美子は自らの俳句世界を詠み続けてきたのだ。『木の国抄』のあとがきに曰く。
「この句集は、全ての肉親と永別した日からの私の心を写す鏡となった。身がまえて生きる方法よりも、ひょっとしたら、淡々と歩むなかで自分の心の置きどころが見えてくるのではないか、と気づかせてくれた年月でもあった。けれん味なく暮しぶりを見究めてゆくことの大切さを教えられたといえる」「そして、先師榎本冬一郎の文学性に追いつく道でもあろう」
和歌山市の加太には「流し雛」で有名な淡嶋神社がある。1989年6月、群蜂40周年記念大会で神社の境内に冬一郎の句碑を建立した際に、冨美子は次の句を詠んでいる。師弟の句を並べて紹介しよう。
明るさに顔耐えている流し雛 冬一郎
ふふむ花芯にこもれる怒濤かな 冨美子
私は本来このような師弟関係をキモチワルイと感じる人間である。けれども、冬一郎と冨美子に限っては、そこに文学的な継承の在り方を認めることができる。両者のベースには関西前衛俳句の精神があるからだ。
「戦後三十年を経ても、人間の生命を奪った戦時体験は忘れよう筈はありません」(藤井冨美子『海映』あとがき)