「第三回川柳カード」の開催が明日に迫り、その準備の合間にこれを書いているので、今日の時評は簡略なものでお許し願いたい。
「クプラス」2号の付録「平成二十六年俳諧國之概略」が話題になっている。
現代の俳人たちを「伝統主義」「ロマン主義」「原理主義」に分けてマッピングしたものだ。俳人たちの位置づけには異論がでるだろうが、興味深い試みだし、見ていて十分楽しめる。
By上田信治・高山れおな・古脇語・山田耕司とあるから、この四人で考えたもののようだ。「原理主義」って何?とか思うので、まず図の構造について一瞥してみよう。
「平成二十六年の俳句界をマッピングしてみたらこんなことになった」は上掲の四人による座談会で、山田はこんなふうに語っている。
山田 まず《伝統/前衛》という形式をめぐる対立と別に、形式を利用して何かを述べる《ロマン主義》という領域を仮設する。社会性俳句なども含む「語るべきドラマを持つ」スタイルです。そのことによってワタシ語り等の系譜も見えやすくなります。
一方《伝統主義》は、厳然として存在する俳句の、その存在を疑わないという主義。師匠の言ったことを一言一句ゆるがせにしないという姿勢の問題でもある。《伝統主義》がマナーとしての俳句であるのに対して《原理主義》は言語表現としての俳句を対象化し、詩歌および表現することそのものの広い領域を批評の座に組み込もうとします。かつ、現状を疑い、ともすればあるべき理想へと傾斜してゆく。
この発言を受けて上田はさらに次のように言う。
上田 山田さんが三項に分けた時点で、蛇のシッポ呑み的な運動をはらんだ図になることは必然でした。その意図を引き継ぐために、三項のどの一つも、他の二つと対立軸があるように定義すべきだと考えました。《伝統とロマン》にあって《原理》にないものは〈大衆性〉です。《ロマンと原理》にあって《伝統》にないものは〈新しさ〉。《伝統と原理》にあって《ロマン》にないものは〈専門性〉です。
これ以上の引用は避けるが、「伝統主義」(「俳句は変わらない」)と「ロマン主義」(「自分の俳句」)には「大衆性」(共感性/了解性を志向、共同性を志向)があり、「ロマン主義」と「原理主義」(「俳句とは?」)には「新しさ」(現代性を志向、詩性/芸術性を志向)があり、「伝統主義」と「原理主義」には「専門性」(純粋性を志向)があるというわけだ。
また、この三項の中の細部として、「伝統主義」には「品格派」「分からないとダメ派」「低廻派」「高踏派」があり、「ロマン主義」の中に「等身大派」「文学派」「Jpop派」があり、「原理主義」の中に「コトバ派」「旧前衛派」がある。
それぞれの俳人がどこに位置しているかは本書をご覧いただきたい。人名が若干間違っているようだが、なかなかおもしろい。
振り返って川柳界のマッピングについて連想が及ぶのは自然なことだが、現代川柳全体を見渡すようなマッピングは見たことがないし、作るのは困難だろう。「伝統主義」に誰を入れるかは微妙だし、ひょっとすると誰もいないかもしれない。「分からないとダメ派」「コトバ派」などは川柳にも応用できそうだ。「ロマン主義」の中には詩性川柳・社会性川柳・「私の思い・想いを書く川柳」が全部入ってしまう。何より問題は、川柳人の中には発表の場によって作風を使い分ける傾向があるから、どこに入れてよいかわからない場合が出てきそうだ。マッピングの話は明日の柳本々々との対談で話題になるかもしれないし、ならないかもしれない。
9月20日(日)には「文学フリマ大阪」が堺市産業振興センターで開催される。
私は会場のE48にいて、「川柳カード」バックナンバーのほか、「川柳カード叢書」(きゅういち句集『ほぼむほん』、飯田良祐句集『実朝の首』、久保田紺句集『大阪のかたち』)、「THANATOS石部明」などを並べる予定である。
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