6月某日
「船団」101号を読む。
今号から表紙やレイアウトが変った。新たなスタートを切るための誌面一新だろう。
ねじめ正一のエッセイ「高橋鏡太郎・続」に注目。
100号に掲載された「高橋鏡太郎」を読んだとき、この無頼派の俳人に興味が湧いて『俳人風狂列伝』(石川桂郎)を読んでみた。本号の文章は続篇である。
新宿の居酒屋「ぼるが」の主人で俳人の高島茂のことが詳しく書いてある。もうひとり、高橋鏡太郎の友人だった山岸外史も印象的である。
今や無頼派はどこにもいなくなった。
抒情涸れしかと春水に翳うつす 高橋鏡太郎
はまなすは棘やはらかし砂に匍ひ
6月某日
『漱石東京百句』(坪内稔典・三宅やよい編、創風社出版)を読む。
『漱石松山百句』『漱石熊本百句』に続く東京篇である。
「表現されているままに読む」「漱石を知らなくても読める」というコンセプトの通り、予備知識なしに、漱石俳句に向かい合うことができる。
時鳥厠半ばに出かねたり 漱石
西園寺公望のサロン「雨声会」に招待されたときに漱石が出席を断ったときの句である。『虞美人草』執筆中なので、出席することができないというのである。漱石の反骨精神をあらわしているエピソードとして有名だが、本書ではそういうことに触れず、句を素直に鑑賞している。
雷の図にのりすぎて落にけり
漱石らしい俳諧味のある句である。
君逝きて浮世に花はなかりけり
有る程の菊抛げ入れよ棺の中
追悼句を二句並べてみた。
前者は兄嫁・登世が逝去したときの句。兄嫁は漱石の原イメージとなった女性である。
後者は大塚楠緒子に対する追悼句として知られている。
6月某日
横光利一『上海』読了。
新感覚派の集大成的作品として知られるが、今まで読む機会がなかった。
読んでみて驚いた。これは同時代のプロレタリア文学を越える社会小説ではないか。
1925年の5・30事件を描いていて、当時の国際政治・経済の動きがきちんと視野に入っている。『旅愁』の日本回帰の評判が悪いので、『上海』にも先入観があったのだ。
『家族会議』も読んでみたが、兜町の株の世界が生き生きと描かれている。特に主人公を取り巻く女性たちの姿が躍動している。横光が女を描ける小説家だとは意外だった。
横光は俳句とも関係が深い。石田波郷の句集『鶴の眼』に横光は序文を書いていて、波郷との交流が指摘されている。
蟻台上に飢ゑて月高し 横光利一
6月22日(日)
第10回大阪連句懇話会。
第4回芝不器男俳句新人賞を受賞した曾根毅をゲストに迎えて話を聞く。
曾根は一週間前の関西現俳協青年部の集まりでも話をしている。そのときのMCは小池康生。
「未定」「LOTUS」「光芒」「儒艮」など、手元にある俳誌をかかえて会場に赴いた。
今回の受賞作は「セシウム」「シーベルト」などの語を用いて原発を詠んだ句が話題となったので、まず震災体験について話してもらった。曾根は震災当日、出張で仙台にいて、実際に震災を体験している。あと、師である鈴木六林男のことなど、興味深い話を聞くことができた。
連句の座にも入ってもらって、受賞作から曾根の句を発句にして半歌仙を巻いた。
夏風や波の間に間の子供たち 曾根毅
浜昼顔の揺れておだやか 小池正博
何も本当におだやかだと思っているわけではない。
危機意識は日常の裏側に常に貼りついているのだ。
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