「ぶるうまりん」という俳誌がある。須藤徹が発行人となって2004年12月に創刊されたが、須藤の死によって前回の27号は須藤の追悼号となった。今号の28号から「第二次ぶるうまりん」というべきもので、発行所は松本光雄になっている。
特集として「まるかじりインタヴュー 渡辺隆夫の世界」。
渡辺隆夫の第六句集『六福神』(角川学芸出版)は今年1月に発行されたが、今までこの時評では取り上げる機会がなかった。この特集を契機に、改めて隆夫の川柳について考えてみたい。まず、渡辺隆夫のプロフィールを紹介しておく。
1937年、愛媛県生まれ。
1988年以降、川柳グループ「わだちの会」(石川重尾)、「点鐘の会」(墨作二郎)「宇宙船」(福田弘)「短詩サロン」(吉田健治)「バックストローク」(石部明)などに参加。俳句グループ「船団京都句会」「逸の会」(花森こま)「水の会」(森田緑郎)「ぶるうまりん」(須藤徹)などにも参加。川柳の枠にとらわれず、短詩型のさまざまな表現者と交流していることがわかる。
「川柳は何でもありの五七五」「人間というものは気をつけていないと、すぐ真面目になってしまう」「川柳にはスンバラシイ伝統などなーんもない」などの言葉が強烈な印象を残している。
私は隆夫とは「点鐘の会」で顔を合わせたが、「バックストローク」同人としても交流があった。2011年に隆夫の第五句集『魚命魚辞』(邑書林)が上梓されたときに、私の句集『水牛の余波』と合同で句評会を行っている。
さて、「ぶるうまりん」のインタヴューは歌人・武藤雅治との対談になっている。
隆夫の発言の中で次の部分に注目した。
「わたしが川柳はじめた時にはね、川柳はポエジーでなければダメだというのが僕らの師匠のやり方でね。お前の川柳は下品過ぎる、川柳は俳句と太刀打ちできる位のポエジーがないといかんと言われ、これは困ったな、僕はもともとそういうポエジーのない男で、どっちかというと詩というより歌・ソングの方が合っている、そういう風に川柳を持っていけないかな、と思っておったのですけど…」
「基本的にはね、僕は川柳は何かと言われた時に、なんでもありの五七五だと言ってます。季語あり俳句もありみんな含めて川柳だという所から出発せんといかん、グングン狭まって行かないで、出発点から広いんだという線で言ってきたんだけれど、じゃあどれが川柳なんだと言われて、これが川柳だというものがないぞと思って、じゃんじゃんわしは句集を出してやるぞとやってきて、ふと振り向いたら僕の後を誰もついて来ないなあと気がついてね」
さて、『六福神』は次の句で始まっている。
キミたち曼珠沙華ミャオミャオ
ボクたち落玉華バウワウ
「落玉華」(おったまげ)は隆夫の造語である。
『魚命魚辞』のあとがきに次のように書いてある。「さて、『魚命魚辞』を読んで、代り映えしないとオナゲキの皆さまには、次回こそ、必ずオッタマゲルゾと予告して、ごあいさつに代えます」
このあとがきとの関係の有無は定かではないが、「曼珠沙華」「落玉華」と対にして、猫と犬の鳴き声をくっつけている。郷ひろみの「男の子女の子」の節で歌ってみると茶化しはいっそう強力になる。
君が代を素直に唄う浪花のポチ
ポチが唄えばタマも唄うか
「君が代」は国家権力と結びついた歌である。
タマは猫の名だが、かつてタマちゃんというアザラシがいたから、東京の猫ということになるだろう。
郷ひろみも君が代も茶化されているのだ。セックスと政治はともに隆夫にとって諷刺対象である。
女と男、猫と犬、大阪と東京などの対の発想によってヴァリエーションがどんどん展開してゆくおもしろさがある。セックスの話かと思って読んでいると政治諷刺に展開するから気をつけていなければならない。隆夫は「社会性川柳」の最後の作家である。
第二章では「老いらくの恋」が主題として取り上げられる。
老いらくの恋のエリマキトカゲかな
そうだ京都キミの紅葉も見てみたいし
芒野は不義密通の細道じゃ
高齢者のための密通相談所
「老いらくの恋」というと歌人の川田順のことなどが思い浮かぶ。
ひょっとすると隆夫は川柳における「高齢者とセックス」という表現領域を切り開いたのかもしれない。
なあ芒おれの女にならないか
ススキさんから電話、否(ノー)だってよ
私は隆夫とは川柳観が異なるが、彼の批評性や諷刺を貴重なものと思い続けてきた。隆夫はポエジー否定であるが、肝心なのは何がポエジーかということだ。
『六福神』を読みながら、私は花田清輝の「放蕩無頼のやぶれかぶれもあれば、品行方正のやぶれかぶれもある」という言葉を思い出していた。私もそろそろ次の句集の準備をしなければならないのかも知れない。
最後に『六福神』のなかでもっとも気に入った句を挙げておこう。
首括る前にオシッコしておこう 渡辺隆夫
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