6月某日
「船団」101号を読む。
今号から表紙やレイアウトが変った。新たなスタートを切るための誌面一新だろう。
ねじめ正一のエッセイ「高橋鏡太郎・続」に注目。
100号に掲載された「高橋鏡太郎」を読んだとき、この無頼派の俳人に興味が湧いて『俳人風狂列伝』(石川桂郎)を読んでみた。本号の文章は続篇である。
新宿の居酒屋「ぼるが」の主人で俳人の高島茂のことが詳しく書いてある。もうひとり、高橋鏡太郎の友人だった山岸外史も印象的である。
今や無頼派はどこにもいなくなった。
抒情涸れしかと春水に翳うつす 高橋鏡太郎
はまなすは棘やはらかし砂に匍ひ
6月某日
『漱石東京百句』(坪内稔典・三宅やよい編、創風社出版)を読む。
『漱石松山百句』『漱石熊本百句』に続く東京篇である。
「表現されているままに読む」「漱石を知らなくても読める」というコンセプトの通り、予備知識なしに、漱石俳句に向かい合うことができる。
時鳥厠半ばに出かねたり 漱石
西園寺公望のサロン「雨声会」に招待されたときに漱石が出席を断ったときの句である。『虞美人草』執筆中なので、出席することができないというのである。漱石の反骨精神をあらわしているエピソードとして有名だが、本書ではそういうことに触れず、句を素直に鑑賞している。
雷の図にのりすぎて落にけり
漱石らしい俳諧味のある句である。
君逝きて浮世に花はなかりけり
有る程の菊抛げ入れよ棺の中
追悼句を二句並べてみた。
前者は兄嫁・登世が逝去したときの句。兄嫁は漱石の原イメージとなった女性である。
後者は大塚楠緒子に対する追悼句として知られている。
6月某日
横光利一『上海』読了。
新感覚派の集大成的作品として知られるが、今まで読む機会がなかった。
読んでみて驚いた。これは同時代のプロレタリア文学を越える社会小説ではないか。
1925年の5・30事件を描いていて、当時の国際政治・経済の動きがきちんと視野に入っている。『旅愁』の日本回帰の評判が悪いので、『上海』にも先入観があったのだ。
『家族会議』も読んでみたが、兜町の株の世界が生き生きと描かれている。特に主人公を取り巻く女性たちの姿が躍動している。横光が女を描ける小説家だとは意外だった。
横光は俳句とも関係が深い。石田波郷の句集『鶴の眼』に横光は序文を書いていて、波郷との交流が指摘されている。
蟻台上に飢ゑて月高し 横光利一
6月22日(日)
第10回大阪連句懇話会。
第4回芝不器男俳句新人賞を受賞した曾根毅をゲストに迎えて話を聞く。
曾根は一週間前の関西現俳協青年部の集まりでも話をしている。そのときのMCは小池康生。
「未定」「LOTUS」「光芒」「儒艮」など、手元にある俳誌をかかえて会場に赴いた。
今回の受賞作は「セシウム」「シーベルト」などの語を用いて原発を詠んだ句が話題となったので、まず震災体験について話してもらった。曾根は震災当日、出張で仙台にいて、実際に震災を体験している。あと、師である鈴木六林男のことなど、興味深い話を聞くことができた。
連句の座にも入ってもらって、受賞作から曾根の句を発句にして半歌仙を巻いた。
夏風や波の間に間の子供たち 曾根毅
浜昼顔の揺れておだやか 小池正博
何も本当におだやかだと思っているわけではない。
危機意識は日常の裏側に常に貼りついているのだ。
2014年6月27日金曜日
2014年6月20日金曜日
歌人・俳人・柳人合同句歌会
「かばん」6月号が届いた。
まず開いたページは「歌人・俳人・柳人合同句歌会レポート」(飯島章友)。
3月2日に新宿の喫茶室で開催されたが、断片的な情報は入ってくるものの、今までまとまったレポートもなく、どんな様子だったか気になっていたのだ。
この集まりは「かばんの会」主催で、「馬」という題または自由詠で短歌と五七五(俳句か川柳)を1作品ずつ提出、互選するもの。
参加者は「かばん」から東直子・佐藤弓生・澤田順、こずえユノ、白辺いづみ、川合大祐、鳥栖なおこ、飯島章友。俳人は西原天気、手嶋崖元、西村麒麟。川柳人は藤田めぐみ、倉間しおり。
まず、短歌作品からピックアップする。
自転車廃棄所の銀の光の中をゆく馬を欲しがる妹のため 倉間しおり
楽しくも寂しくも無き湖の向かう岸から馬が見てゐる 西村麒麟
駆け抜ける馬のかずかず現実の世界と同じ大きさの地図 西原天気
こんなにも明るい昼を走り過ぐ馬上の人のとけゆくほどに 東直子
星を見に行こうよ井戸に落ちた星、実感馬鹿なんかほっといて 佐藤弓生
肉食ひて肉と成したるおのが身を恥づれば馬の国のガリバー 川合大祐
最高得点は6票で、倉間しおりの作品。
「イメージのカッコ良さや映像の鮮明さ、置場ではなく『廃棄所』とした上手さ、サカナクションのようなテクノロックっぽさ、『馬』という聖と『自転車廃棄所』という俗の関係から光を見つけるところなどが高い評価を得、三分野すべての参加者から票が入った」と飯島はコメントしている。
次点は五票で、西村と西原の作品。
三位が東の作品だったという。
続いて五七五作品をピックアップする。
のどけさや君の桂馬が裏返る 鳥栖なおこ
開戦前ひづめは紅くなっている 藤田めぐみ
わたしって馬だし箸は持てないし 飯島章友
春の雪ぼくらしばらく木となりて 佐藤弓生
馬が突き刺してゐる春の雷 手嶋崖元
最高得点は五票で、鳥栖・藤田・手嶋の三作品。
ジャンルを超えた短詩型の実作会・批評会はこれまでにもいろいろ試みられてきた。他ジャンルの人が作った作品がそのジャンルの作品を読み慣れている者にとって新鮮にうつることもあるし、そのジャンルに習熟している実作者ならではの作品が順当に評価されることもある。実作を通して、それぞれの形式の手触りの違いが浮き彫りにされるのが越境句会・歌会の醍醐味だろう。「短歌がじっくり分析することに向いているのに対し、俳句や川柳は分析しすぎても詰らない」という感想が会の後で出たそうだ。
特集のひとつ、陣崎草子(じんさき・そうこ)の第一歌集『春戦争』にも注目した。「かばん新人特集号Vol.5」(2011年1月)以来、陣崎は何となく気になっていた歌人である。その時のプロフィールには「絵、絵本、短歌、小説をかいています。小説『草の上で愛を』で講談社児童文学賞佳作受賞。絵本作品に『ロボットボロたん』など」とある。その後も絵本『おむかえワニさん』や穂村弘の本の装丁などで活躍している。『春戦争』は2013年9月、書肆侃侃房刊。自選20首から。
スニーカーの親指のとこやぶれてて親指さわればおもしろい夏
生きることぜんぜん面倒くさくない 笑える絵の具のぶちまけ方を
好きでしょ、蛇口。だって飛びでているとこが三つもあるし、光っているわ
夢を見るちから失わないために吠え声のごと光らす陰毛
何故生きる なんてたずねて欲しそうな戦力外の詩的なおまえ
どうせ死ぬ こんなオシャレな雑貨やらインテリアやら永遠めいて
このひとに触れずに死んでよいものか思案をしつつ撒いている水
そういえば蛇口には飛びでているとこがあるなあ、と改めて思う。
今回の自選20首には入っていないが、前掲の「新人特集号」から何首か追加しておく。
皿を割って割って割って、割ってって 雪がほんとに積もってしまう
まっすぐに落下してゆく鳥がいまいるね ほら、函館の空
海亀の目は何故あんなおそろしい 人をやめてしまいたくなる
馬鹿にされたことは誇っていい 熟れたトマトを潰した手を忘れるな
ええとても疲れるしとてもさびしいでもクレヨンの黄はきれいだとおもってる
さて、最初に紹介した合同句歌会に参加した倉間しおりは、昨年川柳句集『かぐや』(新葉館出版)を上梓して注目された十代の川柳人である。「川柳マガジン」に連載のコーナーももっている。『かぐや』からいくつか紹介しておく。
ひとりでは月に帰れぬかぐや姫 倉間しおり
憧れてキリンに化けてみるバナナ
好きな色は緑だという人に逢う
大根の白さで殴りたいあの子
ひっそりと風呂でイルカを飼ってます
まず開いたページは「歌人・俳人・柳人合同句歌会レポート」(飯島章友)。
3月2日に新宿の喫茶室で開催されたが、断片的な情報は入ってくるものの、今までまとまったレポートもなく、どんな様子だったか気になっていたのだ。
この集まりは「かばんの会」主催で、「馬」という題または自由詠で短歌と五七五(俳句か川柳)を1作品ずつ提出、互選するもの。
参加者は「かばん」から東直子・佐藤弓生・澤田順、こずえユノ、白辺いづみ、川合大祐、鳥栖なおこ、飯島章友。俳人は西原天気、手嶋崖元、西村麒麟。川柳人は藤田めぐみ、倉間しおり。
まず、短歌作品からピックアップする。
自転車廃棄所の銀の光の中をゆく馬を欲しがる妹のため 倉間しおり
楽しくも寂しくも無き湖の向かう岸から馬が見てゐる 西村麒麟
駆け抜ける馬のかずかず現実の世界と同じ大きさの地図 西原天気
こんなにも明るい昼を走り過ぐ馬上の人のとけゆくほどに 東直子
星を見に行こうよ井戸に落ちた星、実感馬鹿なんかほっといて 佐藤弓生
肉食ひて肉と成したるおのが身を恥づれば馬の国のガリバー 川合大祐
最高得点は6票で、倉間しおりの作品。
「イメージのカッコ良さや映像の鮮明さ、置場ではなく『廃棄所』とした上手さ、サカナクションのようなテクノロックっぽさ、『馬』という聖と『自転車廃棄所』という俗の関係から光を見つけるところなどが高い評価を得、三分野すべての参加者から票が入った」と飯島はコメントしている。
次点は五票で、西村と西原の作品。
三位が東の作品だったという。
続いて五七五作品をピックアップする。
のどけさや君の桂馬が裏返る 鳥栖なおこ
開戦前ひづめは紅くなっている 藤田めぐみ
わたしって馬だし箸は持てないし 飯島章友
春の雪ぼくらしばらく木となりて 佐藤弓生
馬が突き刺してゐる春の雷 手嶋崖元
最高得点は五票で、鳥栖・藤田・手嶋の三作品。
ジャンルを超えた短詩型の実作会・批評会はこれまでにもいろいろ試みられてきた。他ジャンルの人が作った作品がそのジャンルの作品を読み慣れている者にとって新鮮にうつることもあるし、そのジャンルに習熟している実作者ならではの作品が順当に評価されることもある。実作を通して、それぞれの形式の手触りの違いが浮き彫りにされるのが越境句会・歌会の醍醐味だろう。「短歌がじっくり分析することに向いているのに対し、俳句や川柳は分析しすぎても詰らない」という感想が会の後で出たそうだ。
特集のひとつ、陣崎草子(じんさき・そうこ)の第一歌集『春戦争』にも注目した。「かばん新人特集号Vol.5」(2011年1月)以来、陣崎は何となく気になっていた歌人である。その時のプロフィールには「絵、絵本、短歌、小説をかいています。小説『草の上で愛を』で講談社児童文学賞佳作受賞。絵本作品に『ロボットボロたん』など」とある。その後も絵本『おむかえワニさん』や穂村弘の本の装丁などで活躍している。『春戦争』は2013年9月、書肆侃侃房刊。自選20首から。
スニーカーの親指のとこやぶれてて親指さわればおもしろい夏
生きることぜんぜん面倒くさくない 笑える絵の具のぶちまけ方を
好きでしょ、蛇口。だって飛びでているとこが三つもあるし、光っているわ
夢を見るちから失わないために吠え声のごと光らす陰毛
何故生きる なんてたずねて欲しそうな戦力外の詩的なおまえ
どうせ死ぬ こんなオシャレな雑貨やらインテリアやら永遠めいて
このひとに触れずに死んでよいものか思案をしつつ撒いている水
そういえば蛇口には飛びでているとこがあるなあ、と改めて思う。
今回の自選20首には入っていないが、前掲の「新人特集号」から何首か追加しておく。
皿を割って割って割って、割ってって 雪がほんとに積もってしまう
まっすぐに落下してゆく鳥がいまいるね ほら、函館の空
海亀の目は何故あんなおそろしい 人をやめてしまいたくなる
馬鹿にされたことは誇っていい 熟れたトマトを潰した手を忘れるな
ええとても疲れるしとてもさびしいでもクレヨンの黄はきれいだとおもってる
さて、最初に紹介した合同句歌会に参加した倉間しおりは、昨年川柳句集『かぐや』(新葉館出版)を上梓して注目された十代の川柳人である。「川柳マガジン」に連載のコーナーももっている。『かぐや』からいくつか紹介しておく。
ひとりでは月に帰れぬかぐや姫 倉間しおり
憧れてキリンに化けてみるバナナ
好きな色は緑だという人に逢う
大根の白さで殴りたいあの子
ひっそりと風呂でイルカを飼ってます
2014年6月13日金曜日
「ES」27号―佐村河内事件と短歌
今回は短歌誌の話題になるが、「ES」27号が発行された。
誌名には毎回「ES」の次にタイトルが付く。今号には「崖線」が付いて「ES崖線」という具合だ。編集後記に曰く。
〈 河岸段丘の片岸に形成される崖地形を「はけ」と呼び、学術的には崖線という。「土地の人はなぜそこが『はけ』と呼ばれるかを知らない」とは大岡昇平の『武蔵野夫人』の書き出しであった。崖線の下には多くの湧水がみられる。土中で濾過された清流の冷たさが周囲に自生する雑木林の緑を繁らせても来たのだ 〉
特集も組まれていて、今回のテーマは「プロパガンダ」。まず同人作品を紹介しておこう。
ねがわくは花の下にて大輪の大義のためにうっとりと死ね 松野志保
情報を嚥下しているこの苦さ酒と思えばさぶしゆうかげ 桜井健司
たましひのバリケードとは何だらうマヤコフスキー通りの夕陽 天草季紅
友に告ぐアドルフに告ぐ集団の催眠術をわれ知るのみと 大津仁昭
伝統は苦しむものか雨の夜にたへがたきまで嘔吐つづけむ 江田浩司
植民地史父の蔵書に見出して読みふけりしよ十三の夏 崔龍源
やはらかく霧雨けぶる一億は信じやすく寄りやすき岸辺に 加藤英彦
地震国にも輸出したから原発で異人さんたち死ぬ おら知らね 山田消児
それぞれ十首の連作でタイトルも付いているから、一首だけ抜き出しても分かりにくいかも知れない。たとえば、最後の山田消児の作品には「おら知っちょる」というタイトルがあって、その次のページにマヤコフスキーの次の一節が引用されている。
〈ぼくは知ってる、ことばの力を、ぼくは知ってる、ことばの早鐘を。
それらのことばは、桟敷が拍手喝采するあの音ではない。
それらのことばに、棺桶はむっくり起き上がり、
樫づくりの四つ足で堂々と歩き出すのだ。
活字にも本にもならずに、ことばが捨てられる―それは毎度のこと。
だが、言葉は走る、腹帯をひきしめ、
何世紀も鳴りつづける、そして列車は這い寄ってくる、
ポエジイのまめだらけの手を舐めに。〉
マヤコフスキー「遺稿」1930年よりの引用で、このメッセージは特集全体を照射しているのかもしれないが、山田の短歌に限定して言えば、「ぼくは知ってる」→「おら知っちょる」→「おら知らね」というきわめて反語的なものになる。
そういえば「マヤコフスキー事件」について小笠原豊樹の本が出版されている。
評論も何本か掲載されているが、まず注目したのは山田消児の「佐村河内になりたくて―物語の中の作品と作者―」。佐村河内の代作問題について、短歌にひきつけて論じたものである。山田はこんなふうに書いている。
「今回の事件において世間でいちばん大きな関心を集めたのは、佐村河内が自ら作りあげてきた虚像のスケールの大きさであったろう。単に嘘をついて世の中を騙すのではなく、嘘と本当を混ぜ合わせて新たな一個の〈現実〉を生みだしていったプロデュース力、演出力、演技力。それらを目の当たりにして、観客である私たちは、ときにバッシングの矢を放ったりしながら、興味津々で事の成り行きを見守ったのである」
山田はこの事件についての二つの代表的な見方を紹介している。
ひとつは〈音楽の価値は作品だけで決まるものではなく、作品に付属する付加価値とは独立して純粋な作品だけの価値が存在すると思うのは、あまりにもおめでたい見方である。作品の価値はそれが置かれている場、文脈、環境とセットで決まる〉という佐倉統の考え方。
もうひとつは〈作曲家がどういう生いたちであるか、年齢とか、ハンディキャップがあるとか…そんなことはどうでもいい。確かにパーソナリティと作品は切り離せないけれど、パーソナリティにあまりに依存するのはよくない〉という千住明の考え方。
山田は基本的には千住の考え方を支持しつつ、短歌の場合、千住のように言い切るのは難しいとも述べている。なぜだろうか。
〈今の短歌の主流は、作者自身の体験や境遇とそれに伴う心情を詠ったいわゆる自分語りの歌である。そこにははじめから千住言うところの「パーソナリティ」が多分に入っており、しかもそれが言語で表現されているため、読者にも明示的に伝わりやすい。短さゆえに一首だけで伝えられる情報には限りがあるにせよ、複数の歌を連作形式で並べたり、歌集にまとめたりすることにより、自ずから作歌の背景が浮かび上ってくる場合も少なくない。つまり、付加的な情報がなくても、作品自体がある程度のパーソナル性を具えているのが短歌という詩型の大きな特徴なのである〉
山田のいう「作品と作者とがセットになって提示され、読む側もそのようなものとして特に疑問もなく受け止める短歌のあり方」は川柳にも共通した問題である。評論集『短歌が人を騙すとき』(彩流社)以来、私が山田の書くものに関心をもつ理由もそこにある。
テクスト論だけで片がつけば楽なのだが、川柳の場合も「作者」の問題にまで踏みこまなければ本当の川柳論にはならない。その前提として川柳におけるテクスト論の確立が必要であり、前提を確立してからそれを批判するという二重の作業が迫られるのが川柳の状況である。
そのほか、江田浩司の「岡井隆のソネットを読む。補記2―詩における私性の問題―」など本誌には興味深い論考が掲載されている。江田の歌集『逝きし者のやうに』(北冬舎)がこの秋に刊行予定というのも楽しみである。
谷村はるかが「ES」を退会したという。私は谷村の文章もけっこう愛読していたので残念だ。一度しか会ったことはないが、大橋麻衣子歌集『Joker』の歌評会で谷村は仮借のない意見を述べていた。なるほど表現者とは厳しいものだと思ったことを覚えている。
誌名には毎回「ES」の次にタイトルが付く。今号には「崖線」が付いて「ES崖線」という具合だ。編集後記に曰く。
〈 河岸段丘の片岸に形成される崖地形を「はけ」と呼び、学術的には崖線という。「土地の人はなぜそこが『はけ』と呼ばれるかを知らない」とは大岡昇平の『武蔵野夫人』の書き出しであった。崖線の下には多くの湧水がみられる。土中で濾過された清流の冷たさが周囲に自生する雑木林の緑を繁らせても来たのだ 〉
特集も組まれていて、今回のテーマは「プロパガンダ」。まず同人作品を紹介しておこう。
ねがわくは花の下にて大輪の大義のためにうっとりと死ね 松野志保
情報を嚥下しているこの苦さ酒と思えばさぶしゆうかげ 桜井健司
たましひのバリケードとは何だらうマヤコフスキー通りの夕陽 天草季紅
友に告ぐアドルフに告ぐ集団の催眠術をわれ知るのみと 大津仁昭
伝統は苦しむものか雨の夜にたへがたきまで嘔吐つづけむ 江田浩司
植民地史父の蔵書に見出して読みふけりしよ十三の夏 崔龍源
やはらかく霧雨けぶる一億は信じやすく寄りやすき岸辺に 加藤英彦
地震国にも輸出したから原発で異人さんたち死ぬ おら知らね 山田消児
それぞれ十首の連作でタイトルも付いているから、一首だけ抜き出しても分かりにくいかも知れない。たとえば、最後の山田消児の作品には「おら知っちょる」というタイトルがあって、その次のページにマヤコフスキーの次の一節が引用されている。
〈ぼくは知ってる、ことばの力を、ぼくは知ってる、ことばの早鐘を。
それらのことばは、桟敷が拍手喝采するあの音ではない。
それらのことばに、棺桶はむっくり起き上がり、
樫づくりの四つ足で堂々と歩き出すのだ。
活字にも本にもならずに、ことばが捨てられる―それは毎度のこと。
だが、言葉は走る、腹帯をひきしめ、
何世紀も鳴りつづける、そして列車は這い寄ってくる、
ポエジイのまめだらけの手を舐めに。〉
マヤコフスキー「遺稿」1930年よりの引用で、このメッセージは特集全体を照射しているのかもしれないが、山田の短歌に限定して言えば、「ぼくは知ってる」→「おら知っちょる」→「おら知らね」というきわめて反語的なものになる。
そういえば「マヤコフスキー事件」について小笠原豊樹の本が出版されている。
評論も何本か掲載されているが、まず注目したのは山田消児の「佐村河内になりたくて―物語の中の作品と作者―」。佐村河内の代作問題について、短歌にひきつけて論じたものである。山田はこんなふうに書いている。
「今回の事件において世間でいちばん大きな関心を集めたのは、佐村河内が自ら作りあげてきた虚像のスケールの大きさであったろう。単に嘘をついて世の中を騙すのではなく、嘘と本当を混ぜ合わせて新たな一個の〈現実〉を生みだしていったプロデュース力、演出力、演技力。それらを目の当たりにして、観客である私たちは、ときにバッシングの矢を放ったりしながら、興味津々で事の成り行きを見守ったのである」
山田はこの事件についての二つの代表的な見方を紹介している。
ひとつは〈音楽の価値は作品だけで決まるものではなく、作品に付属する付加価値とは独立して純粋な作品だけの価値が存在すると思うのは、あまりにもおめでたい見方である。作品の価値はそれが置かれている場、文脈、環境とセットで決まる〉という佐倉統の考え方。
もうひとつは〈作曲家がどういう生いたちであるか、年齢とか、ハンディキャップがあるとか…そんなことはどうでもいい。確かにパーソナリティと作品は切り離せないけれど、パーソナリティにあまりに依存するのはよくない〉という千住明の考え方。
山田は基本的には千住の考え方を支持しつつ、短歌の場合、千住のように言い切るのは難しいとも述べている。なぜだろうか。
〈今の短歌の主流は、作者自身の体験や境遇とそれに伴う心情を詠ったいわゆる自分語りの歌である。そこにははじめから千住言うところの「パーソナリティ」が多分に入っており、しかもそれが言語で表現されているため、読者にも明示的に伝わりやすい。短さゆえに一首だけで伝えられる情報には限りがあるにせよ、複数の歌を連作形式で並べたり、歌集にまとめたりすることにより、自ずから作歌の背景が浮かび上ってくる場合も少なくない。つまり、付加的な情報がなくても、作品自体がある程度のパーソナル性を具えているのが短歌という詩型の大きな特徴なのである〉
山田のいう「作品と作者とがセットになって提示され、読む側もそのようなものとして特に疑問もなく受け止める短歌のあり方」は川柳にも共通した問題である。評論集『短歌が人を騙すとき』(彩流社)以来、私が山田の書くものに関心をもつ理由もそこにある。
テクスト論だけで片がつけば楽なのだが、川柳の場合も「作者」の問題にまで踏みこまなければ本当の川柳論にはならない。その前提として川柳におけるテクスト論の確立が必要であり、前提を確立してからそれを批判するという二重の作業が迫られるのが川柳の状況である。
そのほか、江田浩司の「岡井隆のソネットを読む。補記2―詩における私性の問題―」など本誌には興味深い論考が掲載されている。江田の歌集『逝きし者のやうに』(北冬舎)がこの秋に刊行予定というのも楽しみである。
谷村はるかが「ES」を退会したという。私は谷村の文章もけっこう愛読していたので残念だ。一度しか会ったことはないが、大橋麻衣子歌集『Joker』の歌評会で谷村は仮借のない意見を述べていた。なるほど表現者とは厳しいものだと思ったことを覚えている。
2014年6月6日金曜日
月に間接キス ― 森茂俊の川柳
『川柳 その作り方・味わい方』(番傘川柳本社・編)という本がある。
番傘85周年を記念して刊行されたもので、この大会には私も参加したが、大会直前に本書の編集と大会の開催に尽力した亀山恭太が亡くなったことを鮮明に覚えている。
本書に収録されている番傘同人の句から、大阪府の川柳人を紹介する。
看護婦の集合写真白すぎる 岩井三窓
まだ家が買えぬ百石取りの武士 海堀酔月
加代ちゃんが好き加代ちゃんに通せんぼ 柏原幻四郎
わが生涯と鍾乳石の一センチ 亀山恭太
天高く月夜のカニに御座候 杉本一本杉
人ひとり愛しぬけずに殺せずに 田頭良子
ご意見はともかく灰が落ちますよ 野里猪突
一善を積む偶然を大切に 牧浦完次
濡れたままてるてる坊主うなだれる 森茂俊
本日の主人公として森茂俊のことを書いてみたい。
森茂俊が「川柳木馬35周年記念大会」で選者のトリをつとめたことは記憶に新しい。
ここでは「ふらすこてん」33号(5月1日発行)に掲載されている茂俊の句を読んでみたい。
ホタルイカ月に間接キスをして 森茂俊
月面へ降り立つ貝柱を提げて
切符売場を覗くと海の嵐だった
目の前で海が寝ているたこ焼き屋
ブータンの山と交換しませんか
「ホタルイカ」の句の「間接キス」とは、たとえば珈琲カップで相手が口をつけたところから別の人が飲んだりする場合。恋人でなくても微妙な状況である。掲出句では、男がひとりホタルイカの沖漬けを肴に一杯やっているのだろう。ホタルイカを口に運ぶ。まるで月に間接キスしているみたいだな、という想念がふと頭をよぎる。風流でも月では仕方ないか、という哀愁も混じる。「ホタルイカ」が月に間接キスをしているとも読めるが、ホタルイカのあとに切れがあり、「私」(作中主体)が月に間接キスをしているのだ、というふうに受け取っている。
二句目。アポロの乗組員のように月面に降り立つとき、貝柱を提げているという。これも貝柱を肴に一杯やっているときに、貝柱を提げて月面に降りたらおもしろいな、と思ったのかもしれない。
三句目は海に転じ、最後の句は山に転じている。10句掲載のうち5句しか引用していないが、句の配列に何となく流れがあるのがおもしろい。
森茂俊といえば、「第2回BSおかやま川柳大会」(2009年4月11日)で特選をとった次の句が印象的である。兼題は「図」。
23ページのメロン図について 森茂俊
選者は歌人の彦坂美喜子。
そのときの選評で彦坂は次のように書いている。
〈なぜ23ページなのか。メロン図とは何か。「について」とは何を指すのか。ここには何一つ答えをみつけだすことは出来ない。メロンという果物の表面にある模様がわずかに図を想起させる。が、これとてもメロン図の確証ではない。諧謔も穿ちもユーモアもアイロニーもない。この句に出会った時の「ナニ、コレ?」という読者の一様な心境。それこそが最大の諧謔と穿ちといえないだろうか。この句の言葉の外部で、個々の心情を巻き込んで生起している表現の場所を考えない限り、この作品を川柳として認めることは出来ないだろう。究極のところで辛うじて繋ぎとめられている現在の言葉の場所がここにある、と思う。だが、しかし、それゆえに一回性の表現という限界も併せ持つ〉
私も同じ「図」という題で彦坂と共選だったから、よく覚えている。
このときの私は別の句を特選にとり、選評ではしきりに「マンガ的読み」を強調している。彦坂の選句眼の優位は明らかだろう。
「バックストロークin仙台」のときに、青葉城にでかけた一行の中で、茂俊が「真田幸村の銅像はどこですか」と尋ねたエピソードがいまも語り継がれている。もちろん本人は「伊達政宗」のつもりだったのだ。この話は茂俊自身がブログで書いているから、ここに紹介しても彼は怒らないだろう。
茂俊は番傘同人で、「二七会」の会長もしている。
二七会は岸本水府が創設した由緒ある句会である。
『番傘川柳百年史』の1959年(昭和34年)の項から、「川柳二七会の設立」の記事を引用しておこう。
〈「川柳二七会」は7月27日に結成された。9月1日の創刊号にその経緯が載っているが、もともと芸人の楽日後の27日は皆が集まりやすいので、何かやろうという事になり、水府を会長に芸能人、作家、学者、画家など様々な分野の人が会員となって川柳会をスタートさせた。昭和40年水府没後、会長は橋本橘次、深尾吉則、牧浦完次、森茂俊と受け継がれ、平成21年には創立50周年の節目を迎える〉
「蕩尽の文芸」というのが私の持論だが、川柳は活字や句集だけでは分からない世界である。川柳もまた「座の文芸」としての一面をもっている。
番傘85周年を記念して刊行されたもので、この大会には私も参加したが、大会直前に本書の編集と大会の開催に尽力した亀山恭太が亡くなったことを鮮明に覚えている。
本書に収録されている番傘同人の句から、大阪府の川柳人を紹介する。
看護婦の集合写真白すぎる 岩井三窓
まだ家が買えぬ百石取りの武士 海堀酔月
加代ちゃんが好き加代ちゃんに通せんぼ 柏原幻四郎
わが生涯と鍾乳石の一センチ 亀山恭太
天高く月夜のカニに御座候 杉本一本杉
人ひとり愛しぬけずに殺せずに 田頭良子
ご意見はともかく灰が落ちますよ 野里猪突
一善を積む偶然を大切に 牧浦完次
濡れたままてるてる坊主うなだれる 森茂俊
本日の主人公として森茂俊のことを書いてみたい。
森茂俊が「川柳木馬35周年記念大会」で選者のトリをつとめたことは記憶に新しい。
ここでは「ふらすこてん」33号(5月1日発行)に掲載されている茂俊の句を読んでみたい。
ホタルイカ月に間接キスをして 森茂俊
月面へ降り立つ貝柱を提げて
切符売場を覗くと海の嵐だった
目の前で海が寝ているたこ焼き屋
ブータンの山と交換しませんか
「ホタルイカ」の句の「間接キス」とは、たとえば珈琲カップで相手が口をつけたところから別の人が飲んだりする場合。恋人でなくても微妙な状況である。掲出句では、男がひとりホタルイカの沖漬けを肴に一杯やっているのだろう。ホタルイカを口に運ぶ。まるで月に間接キスしているみたいだな、という想念がふと頭をよぎる。風流でも月では仕方ないか、という哀愁も混じる。「ホタルイカ」が月に間接キスをしているとも読めるが、ホタルイカのあとに切れがあり、「私」(作中主体)が月に間接キスをしているのだ、というふうに受け取っている。
二句目。アポロの乗組員のように月面に降り立つとき、貝柱を提げているという。これも貝柱を肴に一杯やっているときに、貝柱を提げて月面に降りたらおもしろいな、と思ったのかもしれない。
三句目は海に転じ、最後の句は山に転じている。10句掲載のうち5句しか引用していないが、句の配列に何となく流れがあるのがおもしろい。
森茂俊といえば、「第2回BSおかやま川柳大会」(2009年4月11日)で特選をとった次の句が印象的である。兼題は「図」。
23ページのメロン図について 森茂俊
選者は歌人の彦坂美喜子。
そのときの選評で彦坂は次のように書いている。
〈なぜ23ページなのか。メロン図とは何か。「について」とは何を指すのか。ここには何一つ答えをみつけだすことは出来ない。メロンという果物の表面にある模様がわずかに図を想起させる。が、これとてもメロン図の確証ではない。諧謔も穿ちもユーモアもアイロニーもない。この句に出会った時の「ナニ、コレ?」という読者の一様な心境。それこそが最大の諧謔と穿ちといえないだろうか。この句の言葉の外部で、個々の心情を巻き込んで生起している表現の場所を考えない限り、この作品を川柳として認めることは出来ないだろう。究極のところで辛うじて繋ぎとめられている現在の言葉の場所がここにある、と思う。だが、しかし、それゆえに一回性の表現という限界も併せ持つ〉
私も同じ「図」という題で彦坂と共選だったから、よく覚えている。
このときの私は別の句を特選にとり、選評ではしきりに「マンガ的読み」を強調している。彦坂の選句眼の優位は明らかだろう。
「バックストロークin仙台」のときに、青葉城にでかけた一行の中で、茂俊が「真田幸村の銅像はどこですか」と尋ねたエピソードがいまも語り継がれている。もちろん本人は「伊達政宗」のつもりだったのだ。この話は茂俊自身がブログで書いているから、ここに紹介しても彼は怒らないだろう。
茂俊は番傘同人で、「二七会」の会長もしている。
二七会は岸本水府が創設した由緒ある句会である。
『番傘川柳百年史』の1959年(昭和34年)の項から、「川柳二七会の設立」の記事を引用しておこう。
〈「川柳二七会」は7月27日に結成された。9月1日の創刊号にその経緯が載っているが、もともと芸人の楽日後の27日は皆が集まりやすいので、何かやろうという事になり、水府を会長に芸能人、作家、学者、画家など様々な分野の人が会員となって川柳会をスタートさせた。昭和40年水府没後、会長は橋本橘次、深尾吉則、牧浦完次、森茂俊と受け継がれ、平成21年には創立50周年の節目を迎える〉
「蕩尽の文芸」というのが私の持論だが、川柳は活字や句集だけでは分からない世界である。川柳もまた「座の文芸」としての一面をもっている。