2012年1月20日金曜日

「おかじょうき」と「杜人」―東北の二つの川柳誌から―

今回は東北地方から発行されている二つの川柳誌を紹介する。
「おかじょうき川柳社」(青森県東津軽郡)は創立者の杉野十佐一(すぎの・とさいち)にちなんだ川柳賞を毎年募集しており、「おかじょうき」1月号(通巻216号)には「第16回杉野十佐一賞」が発表されている。募集作品は題詠で、今回の題は「岸」。選者は徳永政二・なかはられいこ・樋口由紀子・広瀬ちえみ・能田勝利・むさしの6人。各選者の特選5点・秀逸3点・佳作1点とし、合計点によって順位を決定する。選評を読んでいくと各選者による読みの違いが浮かび上がってくるのが興味深い。大賞(11点)は次の作品である。

ある朝岸はちいさなへびを生みました。  内田真理子

この句を特選に選んだなかはられいこは、「ちいさな蛇」を何かの予兆と読んだこと、「ですます調」で書かれているのはこの句が「語り」であるからだということ、安易に使われることもある「ある朝」という言葉がこの句では必然性があることなどを述べている。
内田真理子はこの句のほかに「鍵盤を敲いてわたる向こう岸」「ぶくぶくあぶく水際の恋はフェルマータ」を出句しているが、三句の中でもこの句の評価が高かったということになる。
準賞(10点)は次の二句である。

うつくしく並ぶ彼岸の膝がしら    小野善江
流れ着くきれいなほうを上にして   ながたまみ

広瀬ちえみは「うつくしく…」の句を特選に取り、「この世から剥がれた膝がうつくしい」(倉本朝世)と比較している。朝世の作品が「剥がれたその場所にとどまっている膝」なのに対して、善江の作品は膝(複数)が立ち上がって向こう岸に渡ってゆく様子が含まれていると広瀬は読む。先行作品と比較して読まれるのは短詩型文学の宿命だろう。「膝」が並んでいる情景を作者は提示する。読者は「膝」に情感を見つけようとしたり、句の中に何があるのかを探そうとしたりする。作者と読者との交感・かけひきが好きだと広瀬は言う。
「流れ着く…」は徳永政二・なかはられいこが秀句に取っている。徳永は「『きれいでないほう』を思う。なんともいえないかなしさを感じさせてくれる」と述べている。なかはらは「主語の省略という手法は読み手の好奇心を刺激する」という。「主語を自分として読んだとき、流れ着くときはやはり、きれいなほうを上にしていたいと思う自分を発見する。流木も海草の切れ端もガラスのかけらも空き缶も、たぶん、みんな、最後の姿を目撃されるときは、きれいなほうを記憶してほしいだろうと思う」
なかはらは「ある朝岸は…」と「流れ着く…」のどちらを特選にするか迷ったと告白している。そして題詠であることとの関連で前者を「始まりの岸」、後者を「終わりの岸」ととらえている。「おかじょうき」の編集人であるSinが編集後記「終着駅」で「大賞作品は不思議な作品という印象でした。物語の始まりっぽくもあり、エンディングっぽくもあり、そのエンドレスにリピートするような危うさ、怪しさに惹かれますね」と述べていることと考えあわせると、さらに句の陰翳が深くなる。
4位の句(7点)についても触れておきたい。

妹は岸辺の花を描く 白く      城後朱美

能田勝利が「『描く 白く』と強く言い切った白い花とは、妹さんへの思い入れの深さが響いてくる」と言うのに対して、樋口由紀子は「『白く』が不気味。白いものを白く描くのは当然だが、どうもこの妹の場合は何色であろうとも岸辺の花を白く描いているようである」と述べている。テクストは作者の手を離れて読者の読みにさらされるということを如実にあらわしている。
一般に川柳の「選」には「自選」「単独選」「共選」「互選」があり、杉野十佐一賞の場合は「共選」である。「共選」では「二人選」が多いが、「ふらすこてん」のように「三人選」のときもあり、十佐一賞では「六人選」となる。共選の選者が増えるほど多角的になり、読みの差異がくっきりと立ち上がってくるのは興味深いことでもあり、こわいことでもある。

仙台から発行されている「川柳 杜人」2011年冬号通巻232号)は添田星人追悼号である。添田星人は1924年に仙台市で生まれた。1947年「川柳杜人」創刊同人。2011年10月27日逝去。享年81歳。
連句人との接点は1999年の「連句文芸賞」の選者を務めたことである。『わいわい連句遊び』(東京文献センター)にその時の記録が掲載されているが、選者プロフィールに次のような句が掲載されている。

みんなキツネになってしまった萩・芒   添田星人
色づく前に錆びる教室
星音やわらかな禁断の書
それっきり行方不明の天の唾
石投げてポンポンポポと来世紀
そぞろ神 仙台四郎共存す
日照雨立ち上がるものみな異体

句集に『川柳作家全集 添田星人』(葉文館)があり、「杜人」226号(2010年6月)ではこの句集についての特集を組んでいる。句集は「第一章・酒有情」「第二章・月無情」「第三章・花有情」に分かれている。
星人に次のような詩性川柳の作品があることを知った。「吹雪」の句は句集に収録されていないが、自由律川柳誌「視野」や河野春三の自由律作品に触発されたものらしい。そんな時代もあったのである。

吹雪 ストーブの中では化石のつぶやき        添田星人
騙されてみようかエンゼルフィッシュの透明な速度
森のファスナーひらくとお伽の面溢れ
銀のフォークの手を止めて花の匂い

金魚の句が多いことは「杜人」の同人たちが指摘している。
「彼の居間の目の前の水槽に、十年来飼っているという巨大な金魚がゆらゆら泳いでいた。思索の時を金魚と共にしたのだろうか。金魚は金魚そのものであったり、作者自身であったり周りの他人であったりして、作品の内在性はバラエティーに富む」と大友逸星が書いている。

花よりもきれいに金魚開きけり
金魚舞ふダリヤを水に溶くごとく
咳込めば金魚は媚を斜めから
青天白日半透明に金魚游く
仏門に入るか金魚肘ついて

添田星人は川柳歴が長く、いろいろな面をもっているだろうが、今の私には次のような作品が心に響く。

黄金の孤独が酒の中に棲む
富士荘厳 脳裏の富士と一致して
音楽のように将棋を指してゐる
雨みどり織部の皿の橋に降る
かぎ裂きのままの八月いまも着る
かまいたちあへなきものを手にかけし
鬱の字がすらすら書けてとても鬱
眼帯外す天の明るさ地の若さ

これらの作品は添田星人の実力を示している。「杜人」の長老として高名だったのに、私にはその全貌がよくわかっていなかったことが悔やまれるのだ。
今年の3月11日に仙台で「大友逸星・添田星人追悼句会」が開催される。

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