今週は特に取り上げるような話題もないので、閑談を一席。
落語と川柳には同じ庶民文芸として相通じるものがある。
落語の途中で川柳が引き合いにだされることも多く、「文七元結」で必ず引用されるのが次の句。
闇の夜は吉原ばかり月夜かな
しまった、これは其角だから俳句だった。まあいいや、このまま話を続けると…
闇夜でも吉原だけは明るい不夜城だというのである。けれども、この句には別解もあって、人間の欲望が渦巻く吉原は暗いのであって、月だけが明るいのだともいう。「闇の夜は/吉原ばかり月夜かな」ではなくて「闇の夜は吉原ばかり/月夜かな」というふうに切れるというのだ。「吉原が明るくなれば家は闇」という句もある。
次のは間違いなく川柳である。
田楽のクシで小判の封を切り
「吉原のそばにむかし、田楽の大変うまいのがありましてナ、田楽でいっぱい飲んで、いい心持になると、すぐそばが吉原だから、行こうッて気になる。田楽のクシで小判の封を切り…という川柳がありまして、こりゃ主人の金だからこいつァ…ッていってても、酔っ払うてえと、なにかまうもんか…てんで、その田楽のクシで小判の封を切って遊びに行ったりしましてナ」(「五人まわし」・江國滋『落語美学』による)
主人の金なのに勢いにまかせて田楽のクシで封印切りをしてしまうのである。
六代目三遊亭円生の『書きかけの自伝』に坊野寿山との対談「落語家の川柳」が収録されている。寿山は落語好きの川柳家で落語家との交流が深かった。昭和五、六年ごろに五代目円生や四代目小さんたちと始めた「鹿連会」という川柳句会があった。これは二年ほどで消滅したようだが、戦後の昭和28年に第二次鹿連会が発足する。『書きかけの自伝』で語られているのは第二次の方である。文楽、志ん生、円生(六代目)のほか小さん(五代目)、柳枝(八代目)、馬生(十代目)、三木助(三代目)など会員13人だったが、やめるときは30万円払うという約束があり、だれもやめなかったという。
ふぐ刺身は皿ばかりかと近眼見る 柳枝
鼻唄で寝酒もさみしい酔いごこち 志ん生
はなしかをふと困らせるバカ笑い 円生
松羽目へさっきの雪が一つふり ○丸
川柳人の西島○丸(にしじま・れいがん)も選者として来ていたらしい。
川上三太郎の話も出てきて、三太郎は何でも他人の勘定でいくそうで、勘定を払う段になるとちょっと懐へ手をやるという。
がま口をあけそうにする三太郎 坊野寿山
あけるのを見たことがない三太郎
「だいたい川柳はわる口ですからね。町人のわる口ですよ。でも、なんかはっきりわかっちゃいけないんだ。なんか、味がなくちゃいけない」(寿山)
小さんが句会の前日に川上三太郎に会って、明日の句会の宿題が「大みそか」なんだけれども、何かありませんかね、と尋ねた。三太郎は「大みそかとうとう猫はけとばされ」という句がある、俺の句だよ、と答えた。その句を小さんがうっかり句会で出してしまったら、選者の○丸が抜いて(選んで)しまったというエピソードもある。
落語家には頑固な人が多く、句を直すと呼名(返事)をしないこともあったらしい。
「川柳学」創刊号(2005年9月)に延広信治が「坊野寿山―花柳吟と鹿連会―」を書いている。延広の文章から落語家たちの川柳をもう少し抜き出しておきたい。
米の値を知らぬ亭主は肥つてる 文楽
後ろから眼かくしをする小さな手 小さん
眼帯へ目玉をかいて怒られる 正楽
目薬の看板の眼はどつちの眼 右女助
若手落語家による「仔鹿会」「鹿柳会」などの集まりもあったらしい。
円生は落語にちなんだ句も作っている。
芝浜の財布世に出る大みそか 円生
私がさっそく三木助の「芝浜」のCDを聴いてみたことは言うまでもない。
そういえば、落語「雑俳」には次の句が出てくる。これは、俳句かも知れないが。
船底をガリガリ齧る春の鮫
古川柳や古いタイプの川柳の話が続いたので、少しだけ現代のことについて触れる。
立川談志が昨年亡くなったが、談志の不幸は彼の反語が現代の観客に反語として響かないところにあると言われる。
「いつだったか、ある社会的な事件に巻き込まれた人物について、談志さんは高座でその人を滅茶苦茶に貶し、笑いを取ったあと、調子を落とした声で、本当はあんた方世間の連中がこいつのことを散々に悪く言う、そこへ落語家であるおれが出てきて、ちょっと待ってくださいよ、こいつはそんなに悪いことをしたんですかね、見方を変えればどうでしょう、とひっくり返したことを言ってみせる、それが本来の落語家の役割なんだが、いまはそうならない、だからおれがこいつを悪く言う役回りを引き受けなきゃならんのだ、と続けた。そうして、満員の観客に『この状況を末世と言う』と付け加えたが、反応は薄かった」(松本尚久『芸と話と―落語を考えるヒント』)
確かにやりにくいことだろう。
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