「触光」78号に第13回高田寄生木賞が発表されている。受賞は木本朱夏「白椿のひと―森中惠美子小論」、入賞は滋野さち「社会詠として時事を詠む」、北村克郎「川柳が今、おもしろい」、原田隆子「隆子流『江戸川柳』考」。
高田寄生木賞は川柳に関する論文・エッセイを募集する川柳界で唯一の賞である。今回の受賞作、木本朱夏は「川柳界には二人のエミコがいる」という書き出しで、時実新子(旧姓・森恵美子)と森中惠美子を対照的に取り上げている。
墓の下の男の下にねむりたや 時実新子
子を産まぬ約束で逢う雪しきり 森中惠美子
入賞作の中では滋野さちの「社会詠として時事を詠む」に注目した。「時事吟は消え物か」「時事川柳は男性のものか」「時事をどう書くか」「批判をどう書くか」など体験に基づいた滋野の考えが語られている。
「触光」には時事川柳のコーナーがあり、濱山哲也が選をしている。何句か紹介しよう。
WBCわたしのよるのトピックス 勝又明城
鯨幕見ても涙のパンダロス 津田暹
政治家の公平さんの肩をもつ まつりぺきん
産めよ増やせよタイムスリップしたみたい 鈴木節子
外野席から必勝しゃもじ振っている 滋野さち
「川柳木馬」176号。「木馬座の作家」として内田万貴と大野美恵が取り上げられている。
又してもバベルの塔が築かれる 内田万貴
体幹を支えていたのはゼリー質
差し色に清少納言の悪意など
木っ端仏に見入っていたら口説かれる
こんな時に届くワルツの沈殿物
仮の世の裏でカルマの耳打ちが 大野美恵
禁固刑でしょうか無菌室ですか
竹林に隠士の集う蝮草
空席に耳の形を置いてくる
二周目はない缶切りの潔さ
昭和54年(1979年)7月創刊の「川柳木馬」は高知県の若手グループ「四季の会」を母胎とする。誌名の由来は次の句によるという。
目覚めは哀しい曲で始まる回転木馬 渡部可奈子
「長尾鶏」「どろめ」「軍鶏」「土佐犬」などの案があったが、海地大破が掲出の可奈子の句を口づさんで誌名が決定したという。
同人作品からご紹介。
天使・悪魔それぞれの手に紙袋 湊圭伍
視界ゼロどこかで鈴が鳴っている 古谷恭一
器では二度目の味変が始まっている 山本三香子
スローモーションで君の時計を隠したんだ 高橋由美
木が燃える約束通りゆらめいて 清水かおり
月や星について行ってはだめですよ 山下和代
紙媒体の川柳誌二誌を紹介したが、このところネット川柳が元気だ。
6月に入って、成瀬悠によるネットプリント「Twitter現代川柳アンソロ」が発行された。短歌や俳句ではよく見かけるネプリだが、川柳でも試みてみようということで、成瀬の呼びかけに応じて63名126句が集まった(一人2句)。参加者一覧も掲載されているので、ネット川柳の現在を知るのに便利だ。何人かの作品を紹介しておく。
泣いていたから車幅灯だとわかる Ryu_sen
押入れの口内炎が治らない 優木ごまヲ
ベランダで半分行方不明です 石畑由紀子
大丈夫じゃないと言えば良かったな 伊藤聖子
ブロックを嵌めたら夜の完成です 雨月茄子春
栞がない 湾岸で挟む 嘔吐彗星
息継ぎする度襲名しちゃう 栫伸太郎
ヘイトから届くゆるふわ母子手帳 西脇祥貴
ネットプリントの打ち出し期間はもう済んでいるが、秋には第二弾が予定されているという。
もうひとつ、まつりぺきんによる投稿連作川柳アンソロジー「川柳EXPO」が作品募集中。誰でも投稿できるが、ネット上の投稿ページからに限る。投稿作品は未発表の20句からなる川柳連作・群作(タイトルを付ける)。単発作品ではなくて20句セットなので、作者・作品の資質・特性が立ち上がってくることになりそうだ。募集は6月30日まで。
先日の朝日新聞「うたをよむ」(6月11日朝刊)の欄で染野太朗が「文学フリマ」の熱気について書いていた。5月21日の文学フリマ東京では出店者・来場者合わせて1万人を超えた。「文学フリマのたびに膨大な数の短歌が発表されるが、それが読まれる場はいまだにほぼSNSに限られているように思う。分断を越えて読みの場の拡大を、などと『べき』を掲げるつもりはないが、参加した一人として少しでも鑑賞や批評を残していきたいと思った」と染野は書いている。
川柳では文学フリマでの作品発表はほとんどないが、ネットでの作品発表は出始めている。読まれ語り継がれる作品と消えてゆく作品があるのは紙媒体でも同じだが、量産されるネット作品を整理・可視化する試みがいくつか出てきたのは、貴重な情報源となりそうだ。
2023年6月14日水曜日
2023年6月2日金曜日
現代川柳の歴史を振り返る
4月からNHK文化センター梅田教室で「はじめまして現代川柳」の講座を開いている。月1回第四土曜日の夜で、第1回「現代川柳とはどういうものか」、第2回「現代川柳の歴史を振り返る」まで終了。ここでは第2回の内容を簡単に述べておきたい。
現代川柳の出発点について定説はないが、戦後の現代川柳の出発は関東では中村冨二、関西では河野春三からはじまったというのが私の考えである。
まず中村冨二の方から話をはじめると、『はじめまして現代川柳』の冨二の解説で私はこんなふうに書いている。
「1948年(昭和23年)の暮れ、まだ闇市の雰囲気の残る川崎駅前で中村冨二はバラック造りの古本屋「なかとみ書房」を開いていた。二坪ほどの仮店舗で、雨が降ると土間には水たまりができた。ある日、ビールの空き箱を逆さにして雑誌を読んでいた冨二の目の前が急に暗くなって、佇んだ一人の青年がいた。この青年・松本芳味と中村冨二の出会いから関東における戦後川柳は始まった」
読者に興味をもってもらえるようにこの部分は物語的に書いている。実際に見てきたわけではないが、いちおう当時の証言にもとづいている。
1950年、冨二は「川柳鴉組」を結成。梅田教室では合同句集『鴉』(1957年)を展示して参加者の手に取ってもらった。冨二のほか星野光一、片柳哲郎、金子勘九郎、山村祐、松本芳味などの作品が収録されている。
『中村冨二・千句集』から5句だけ紹介しておく。
人殺しして來て細い糞をする
セロファンを買いに出掛ける蝶夫妻
たちあがると、鬼である
パチンコ屋 オヤ 貴方にも影が無い
美少年 ゼリーのように裸だね
次に河野春三について。春三は1948年3月に川柳誌「私」を発行。1956年12月に「天馬」創刊。「私」は個人誌だったが、「天馬」は同人誌である。「現代川柳」という呼称が定着したのはこの頃である。
「我々の作品を今後、現代川柳という呼称に統一したい」(「天馬」二号・1957年2月の座談会)
春三の作品を紹介しておく。
水栓のもるる枯野を故郷とす
母系につながる一本の高い細い桐の木
死蝶 私を降りてゆく 無限階段の縄
濁流は太古に発し流木の刑
おれの ひつぎは おれがくぎうつ
「水栓」の句について、『はじめまして現代川柳』では次のように解説している。
「一面の焼野原と化した戦後の情景である。焼け残った水道の蛇口から水がポタポタ滴り落ちている」「終戦後、春三は堺市でバラック小屋に住み、自炊生活をしていた。泥棒に二回も入られたが、警察に捕まった泥棒に「お前のうちはとるものが少なかった」と言われたそうだ。関西における戦後川柳の出発点であり、それが水栓のもれる故郷の原風景と重ねあわされている」
その後、紆余曲折があるのだが、1966年8月に「川柳ジャーナル」が創刊される。「海図」「鷹」「不死鳥」「流木」「馬」の各誌を統合するかたちである。教室ではこれらの雑誌の実物を展示。当時の雰囲気を実感するには川柳誌の実物を手にとるのが一番であるが、「川柳ジャーナル」といっても40ページ足らずの薄い冊子なので、逆に幻滅するかもしれない。しかし、「川柳ジャーナル」の時代には現代川柳の多方向に向かう傾向が共存していたので、さまざまな可能性があった。
神さまに聞える声で ごはんだよ ごはんだよ 山村祐
これはたたみか 松本芳味
芒が原か
父かえせ
母かえせ
風が掛けた鍵 開けて逝く誰か 細田洋二
サルビヤ登る 天の階段 から こぼれ
夜の藻を九官鳥でかいくぐる
山村祐は川柳を一行詩ととらえ、川柳を現代詩に解消しようとした。松本芳味は多行川柳の代表的作者。細田洋二は言葉の復権を唱え川柳における言葉派のルーツとなった。
さて、大正末年から昭和初年にかけて新興川柳運動が起こったが、戦前の新興川柳と戦後の現代川柳とはどのような関係にあるのだろうか。両者は無関係で現代川柳は新興川柳の継承者ではないという立場もあるが、私は継承関係はあるという立場であるし、また新興川柳の遺産を継承しなければならないと思っている。そういう意味で『はじめまして現代川柳』の第三章に川上日車、木村半文銭、河野春三、中村冨二、細田洋二の作品を収録している。
人間を摑めば風が手に残り 田中五呂八
人間を取ればおしゃれな地球なり 白石維想樓
竝べ見る宇宙一つはアメーバの 渡辺尺蠖
錫 鉛 銀 川上日車
元前二世紀ごろの咳もする 木村半文銭
あと、講座では実践編として「第55回玉野市民川柳大会」(平成16年7月)のときの兼題「妖精」の入選句を資料として配布した。石田柊馬の「妖精は酢豚に似ている絶対似ている」が詠まれた大会である。
次回6月24日の教室では「現代川柳をどう読むか」というテーマで、『はじめまして現代川柳』の第一章・第二章に収録されている作者を中心に取り上げる予定である。
現代川柳の出発点について定説はないが、戦後の現代川柳の出発は関東では中村冨二、関西では河野春三からはじまったというのが私の考えである。
まず中村冨二の方から話をはじめると、『はじめまして現代川柳』の冨二の解説で私はこんなふうに書いている。
「1948年(昭和23年)の暮れ、まだ闇市の雰囲気の残る川崎駅前で中村冨二はバラック造りの古本屋「なかとみ書房」を開いていた。二坪ほどの仮店舗で、雨が降ると土間には水たまりができた。ある日、ビールの空き箱を逆さにして雑誌を読んでいた冨二の目の前が急に暗くなって、佇んだ一人の青年がいた。この青年・松本芳味と中村冨二の出会いから関東における戦後川柳は始まった」
読者に興味をもってもらえるようにこの部分は物語的に書いている。実際に見てきたわけではないが、いちおう当時の証言にもとづいている。
1950年、冨二は「川柳鴉組」を結成。梅田教室では合同句集『鴉』(1957年)を展示して参加者の手に取ってもらった。冨二のほか星野光一、片柳哲郎、金子勘九郎、山村祐、松本芳味などの作品が収録されている。
『中村冨二・千句集』から5句だけ紹介しておく。
人殺しして來て細い糞をする
セロファンを買いに出掛ける蝶夫妻
たちあがると、鬼である
パチンコ屋 オヤ 貴方にも影が無い
美少年 ゼリーのように裸だね
次に河野春三について。春三は1948年3月に川柳誌「私」を発行。1956年12月に「天馬」創刊。「私」は個人誌だったが、「天馬」は同人誌である。「現代川柳」という呼称が定着したのはこの頃である。
「我々の作品を今後、現代川柳という呼称に統一したい」(「天馬」二号・1957年2月の座談会)
春三の作品を紹介しておく。
水栓のもるる枯野を故郷とす
母系につながる一本の高い細い桐の木
死蝶 私を降りてゆく 無限階段の縄
濁流は太古に発し流木の刑
おれの ひつぎは おれがくぎうつ
「水栓」の句について、『はじめまして現代川柳』では次のように解説している。
「一面の焼野原と化した戦後の情景である。焼け残った水道の蛇口から水がポタポタ滴り落ちている」「終戦後、春三は堺市でバラック小屋に住み、自炊生活をしていた。泥棒に二回も入られたが、警察に捕まった泥棒に「お前のうちはとるものが少なかった」と言われたそうだ。関西における戦後川柳の出発点であり、それが水栓のもれる故郷の原風景と重ねあわされている」
その後、紆余曲折があるのだが、1966年8月に「川柳ジャーナル」が創刊される。「海図」「鷹」「不死鳥」「流木」「馬」の各誌を統合するかたちである。教室ではこれらの雑誌の実物を展示。当時の雰囲気を実感するには川柳誌の実物を手にとるのが一番であるが、「川柳ジャーナル」といっても40ページ足らずの薄い冊子なので、逆に幻滅するかもしれない。しかし、「川柳ジャーナル」の時代には現代川柳の多方向に向かう傾向が共存していたので、さまざまな可能性があった。
神さまに聞える声で ごはんだよ ごはんだよ 山村祐
これはたたみか 松本芳味
芒が原か
父かえせ
母かえせ
風が掛けた鍵 開けて逝く誰か 細田洋二
サルビヤ登る 天の階段 から こぼれ
夜の藻を九官鳥でかいくぐる
山村祐は川柳を一行詩ととらえ、川柳を現代詩に解消しようとした。松本芳味は多行川柳の代表的作者。細田洋二は言葉の復権を唱え川柳における言葉派のルーツとなった。
さて、大正末年から昭和初年にかけて新興川柳運動が起こったが、戦前の新興川柳と戦後の現代川柳とはどのような関係にあるのだろうか。両者は無関係で現代川柳は新興川柳の継承者ではないという立場もあるが、私は継承関係はあるという立場であるし、また新興川柳の遺産を継承しなければならないと思っている。そういう意味で『はじめまして現代川柳』の第三章に川上日車、木村半文銭、河野春三、中村冨二、細田洋二の作品を収録している。
人間を摑めば風が手に残り 田中五呂八
人間を取ればおしゃれな地球なり 白石維想樓
竝べ見る宇宙一つはアメーバの 渡辺尺蠖
錫 鉛 銀 川上日車
元前二世紀ごろの咳もする 木村半文銭
あと、講座では実践編として「第55回玉野市民川柳大会」(平成16年7月)のときの兼題「妖精」の入選句を資料として配布した。石田柊馬の「妖精は酢豚に似ている絶対似ている」が詠まれた大会である。
次回6月24日の教室では「現代川柳をどう読むか」というテーマで、『はじめまして現代川柳』の第一章・第二章に収録されている作者を中心に取り上げる予定である。