2023年4月15日土曜日

我妻俊樹歌集『カメラは光ることをやめて触った』

短歌誌「遊子」29号が届いた。昨年12月に発行されているが、「歌人が詠む川柳」が特集されているので遅ればせながら取り上げる。特集の趣旨は次のように書かれている。
「現代短歌と現代俳句の距離よりも、現代短歌と現代川柳の距離のほうがずいぶんと近いというのは、よく言われてきたことである。感覚的にはそう思っても、どうしてなのか、なかなかうまく説明がつかない」「今回はそういうことも踏まえながら、同人各人が川柳の実作に挑戦してみた」

雲ひとつなくて薄気味悪い空    片上雅仁
カミサマと彫られた岩が追ってくる 久野はすみ
もう何も噛まぬ前歯がまっしろい  白石真佐子
ヒゲダンの好きな男についてゆく  杉田加代子
天井に鬼がいるのを知っている   千坂麻緒
マスクしてどの属性もじぇのさいど 渡部光一郎
ただのシャンプーでした使ってみるまでは 山田消児
使ってみればただのシャンプー      山田消児

ふだん短歌を詠んでいる同人の川柳作品である。それぞれの「川柳イメージ」がうかがえて興味深い。山田消児は同じ素材を二通りの形式で詠んでいる。山田とは2016年5月に「短歌の虚構・川柳の虚構」というテーマで対談したことがある(「川柳カード」12号に掲載)。
あと「遊子」には平岡直子が「川柳は短歌に似ている絶対似ている」という論考を書いている。平岡は第一歌集に続いて川柳句集『Ladies and』を上梓しているが、論考のタイトルは石田柊馬の「妖精は酢豚に似ている絶対似ている」を踏まえたもの。俳句・短歌・川柳の違いについて平岡の文章の次の一節が注目される
「季語も切れも必要としない川柳は、俳句よりもはるかに自由で、そして、後ろ盾がない。俳句は季語がしゃべり、短歌は〈私〉がしゃべり、川柳はだれがしゃべっているのかわからない」

我妻俊樹の第一歌集『カメラは光ることをやめて触った』(書肆侃侃房)が発行された。我妻の短歌は「率」10号(2016年)に「足の踏み場、象の墓場」として掲載され、本書にも収録されているが、2022年までの歌をまとめた「カメラは光ることをやめて触った」が本編として読めるのはありがたい。

見てくれにこだわるひとの有り金が花びらに変えられて匂うの
質問にいちいち紫蘇の香をつけて忘れられなくしたいのかしら
暴れたりしないと夏の光だとたぶん気づいてもらえなくない?
わたあめにならずに風に奪われた 鳥のすべてに意味をもとめた
橋が川にあらわれるリズム 友達のしている恋の中の喫茶店

「足の踏み場、象の墓場」のときより書き方はさらに多彩に展開している。一首目、「有り金」という俗世間のものが花びらに変容する。見てくれ・有り金・花びら・匂うという視覚から嗅覚への言葉の変化が連句の三句の渡りとはまた異なる感覚で一首の中で実現されている。二首目・三首目のようなシンプルな詠み方もある。流れ去ってゆく不条理な時間のなかで一瞬のときを記憶に刻みつけるために人はいろいろなことをするのだろう。四首目は上句と下句の取り合わせが「奪われた」「もとめた」という動詞文体で統一されている。川柳であれば「わたあめにならずに風に奪われた」で完結し、あとは読者の読みに任せることになるだろう。五首目は瀬戸夏子が栞で取り上げている作品。上句と下句にそれぞれねじれがあり、ふたつのねじれが滲み合うように重ねられていると瀬戸は言う。
ちなみに栞は瀬戸夏子と平岡直子が書いているが、それぞれ次のように述べている。
「この歌集を前にして、可能な限り無力な読者として存在してみたかった、と思った」(瀬戸夏子)
「我妻さんの歌は、無数の蛍が放たれた小さな暗がりもようで、一首の歌がいくつもの呼吸をしている」(平岡直子)
2018年5月の「川柳スパイラル」東京句会において、我妻の「短歌は行って戻ってくる。川柳は引き返さずに通り抜ける」という発言がずっと記憶に残っている。短歌についても本当は通り抜けられると彼は言ったが、『カメラは光ることをやめて触った』を読みながら、行ったり来たりするうちに変な「私」が出てきてしまうのとはまったく異なる、現代短歌の書き方を感じた。「足の踏み場、象の墓場」(「率」10号)の「あとがき」の「書き手など、偶々そこに生えていた草のようなものだ。無駄に繁茂して読者の視界を遮っていないことを願うばかりである」という文章も印象的だった。

いま「葉ね文庫」の壁に芳賀博子の川柳と吉村哲の絵のコラボが展示されている。吉村の絵の人物の後ろ姿がとてもいい。牛隆佑のプロデュース。芳賀の句集『髷を切る』(青磁社)の残部がもうないそうなので、改めて十句挙げておく。

歩きつつ曖昧になる目的地   芳賀博子
壁の染みあるいは逆立ちの蜥蜴
一番の理由が省略されている
欠けているから毎日触れるガラス猫
そこらじゅう汚してぱっと立ち上がる
私も土を被せたひとりです
M78星雲へ帰るバス
みずかきをぱっと開いて転校す
ひきちぎるためにつないでいる言葉
かたつむり教義に背く方向へ

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