ゼロ年代後半の出来事としては「セレクション柳人」(邑書林)の刊行が挙げられる。従来の川柳句集は自費出版や結社内で配付されることが多く、全20冊規模のシリーズとして書店の店頭に並ぶことはなかった。「セレクション歌人」「セレクション俳人」と並んで「セレクション柳人」が刊行されたことに意味があり、ISBNも付いていて一般読者への流通が可能となった。句集の出版が最終目的ではなく、そのあとどのように読者に届けるかということが意識されるようになったのは画期的であった。
2005年に入って訃報が続いた。2月27日、石森騎久夫没(90歳)。4月24日、橘高薫風没(79歳)、5月7日 高橋古啓没。
石森騎久夫は名古屋の川柳グループ「創」の代表。『空間表現の世界』(1999年、葉文館出版)の「あとがき」には次のように書かれている。「かねがね私は、川柳が名実共に短詩型文学の一翼を担える高さに行き着くためには、豊かな『文学性志向』を強く押し進めなければと思いつづけています。従って作品の読み方も、その視点に立って、作者の思い、感動の空間的表現の完成度を重視しています」
橘高薫風については、この時評(20011年4月15日)で論じているのでご覧いただきたい。
高橋古啓は「点鐘の会」で親しく接した人で、彼女は代表作を問われたときに「私がこれから書く作品が代表作だ」と言って句集を残さなかった。「グループ明暗」25号(2005年9月)掲載の「高橋古啓作品抄」から。
逢いたさは薬師如来の副作用 高橋古啓
かくも長き痙攣闘魚の終幕
みねうちで倒せるならば抜きなさい
5月に『渡辺隆夫集』『樋口由起子集』が刊行されて「セレクション柳人」がスタートした。以下、6月に『石田柊馬集』、7月に『小池正博集』、10月に『前田一石集』『櫟田礼文集』、11月に『野沢省悟集』、12月に『広瀬ちえみ集』『田中博造集』『畑美樹集』『細川不凍集』と続く。
9月15日、丸山進句集『アルバトロス』(風媒社)。
中年のお知らせですと葉書くる 丸山進
父帰る多肉植物ぶら下げて
生きてればティッシュを呉れる人がいる
9月21日、石曾根民郎没(95歳)。松本市在住で印刷業を営み、川柳「しなの」の発行のほか各種の川柳書の印刷によって川柳界を支えた。句集『山彦』(1970年、しなの川柳社)から。
山近しわが身のうへを守るごと 石曾根民郎
蝶はわが影のいとしさから狂ひ
一枚の構図鴉を動かせず
9月23日、「川柳学」創刊号。堺利彦「中村冨二と『鴉』の時代」など。
2006年3月11日、アウィーナ大阪にて「セレクション柳人」発刊記念川柳大会が開催された。第一部『セレクション柳人』句集の読み。コメンテイターは『渡辺隆夫集』『畑美樹集』を小池正博、『樋口由起子集』を吉澤久良、『石田柊馬集』を飯田良祐、『小池正博集』『広瀬ちえみ集』を野口裕、『前田一石集』を石田柊馬、『櫟田礼文集』を樋口由紀子、『野沢省悟集』を広瀬ちえみ、『田中博造集』を堺利彦、『赤松ますみ集』を畑美樹、『筒井祥文集』を渡辺隆夫、『細川不凍集』を石部明、というようにそれまで発行された13句集の一気読みを試みている。第二部の句会の選者は浪越靖政、古俣麻子、なかはられいこ、墨作二郎、石部明。
10月10日、田口麦彦編著『現代女流川柳鑑賞事典』(三省堂)。田口は『現代川柳必携』(2001年9月)、『現代川柳鑑賞事典』(2004年1月)、『新現代川柳必携』(2014年9月)を三省堂から出している。
2007年4月1日、青森の野沢省悟が「触光」を創刊。終刊した「双眸」を発展させたもの。
3月30日、川柳発祥250年記念出版として、尾藤三柳監修、尾藤一泉編『川柳総合大事典第三巻・用語編』が雄山閣から出版される。続いて8月31日に尾藤三柳監修、尾藤一泉・堺利彦編『第一巻・人物編』が刊行されたが、それ以後他の巻は出ていない。
10月、現代川柳「隗」(山崎蒼平)が41号で終刊。
11月25日、佐藤みさ子句集『呼びにゆく』(あざみエージェント)。
さびしくはないか味方に囲まれて 佐藤みさ子
たすけてくださいと自分を呼びにゆく
正確に立つと私は曲がっている
2008年4月12日、石部明はバックストロークの大会とは別に、第一回BSおかやま川柳大会を開催(BSはバックストローク)。石部明のスピーチは「あなたの意見で川柳は変わる」。以後2011年4月の第4回まで続く。
10月12日、『番傘川柳百年史』(番傘川柳本社)。
2009年1月、川柳結社「ふらすこてん」創立。前年12月の解散した「川柳倶楽部パーセント」を発展的継承したもの。
4月30日、小池正博・樋口由紀子編著『セレクション柳論』(邑書林)。「セレクション歌論」「セレクション俳論」が出ないのに柳論が刊行されたのは、短歌・俳句に比べて川柳では評論が少ないので、収録するにあたっての取捨選択が容易だったからかもしれない。
9月5日、佐藤美文著『川柳は語る激動の戦後』(新葉館)。
11月10日、田口麦彦著『フォト川柳への誘い』(飯塚書店)。
11月25日 小池正博「川柳・雑俳と俳句」(『俳句教養講座第三巻・俳句の広がり』角川学芸出版所収)。
2010年7月20日、大岡信・田口麦彦編『ハンセン病文学全集9俳句・川柳』。
10月、「詩のボクシング」で川柳人のくんじろうが全国チャンピオンに。
2011年2月10日、渡辺隆夫句集『魚命魚辞』(邑書林)。3月10日、小池正博句集『水牛の余波』(邑書林)。二句集の発行を受けて、7月17日に『魚命魚辞』『水牛の余波』批評会がアウィーナ大阪で開催された。
3月14日、新家完司著『川柳の理論と実践』(新葉館)。
4月11日、樋口由紀子著『川柳×薔薇』(ふらんす堂)。
6月10日 田口麦彦著『アート川柳への誘い』(飯塚書店)。
9月17日、「バックストロークin名古屋」開催。テーマは「川柳が文芸になるとき」。司会・小池正博。パネラー・荻原裕幸、樋口由紀子・畑美樹・湊圭史(現・湊圭伍)。
11月25日、「バックストローク」36号で終刊。
すでにテン年代の2011年に入っているが、ゼロ年代の現代川柳の流れは「バックストローク」の終刊をもって一区切りとすると理解してのことである。こうして見てみると、川柳の世界で何も起こらなかったわけではなく、さまざまな動きがあったことがわかる。ただそれが一般の読者に十分伝わらなかったのは事実である。川柳の発信力が高まり、川柳書の出版を引き受ける出版社も徐々に増えてきている。これらのゼロ年代の試みを受けて、次のテン年代の現代川柳の冒険がはじまってゆくことになる。
追記 BSおかやま川柳大会は「バックストローク」の終刊後、2012年4月14日に「FielB BSおかやま句会」の主催で第五回が開催された。
2021年10月29日金曜日
2021年10月23日土曜日
現代川柳クロニクル2000~2004
川柳の世界が句会・大会を中心に回っているということは、その時その場にいなければ何も分からないということなので、句会・大会の参加者には発表誌が届けられるが、その範囲を越えて情報が届くことはほとんどない。一種のタコツボ型、ガラパゴス化の世界なのであって、口の悪い中村冨二は糠味噌桶のなかで漬物をこね回しているようなものだと言った。近年、現代川柳の句集も書店に並ぶようになってきて、活字情報に接することも以前に比べれば容易になったが、川柳の世界全体を見渡すパースペクティヴはなかなか持ちにくい。誰がどこでどんな句を書いているのか、その全体像を把握することなど誰にもできないだろう。
当面の問題はこの十年間の現代川柳の動向がどのようなものだったのかということだが、その前にゼロ年代がどうだったかのかが検証されなければならない。テン年代の現代川柳はゼロ年代を継承・発展させて生まれてきたものだからである。『はじめまして現代川柳』では第一章を「現代川柳の諸相」、第二章を「現代川柳の展開」としているが、第一章が90年代からゼロ年代にかけての動き、第二章がゼロ年代からテン年代にかけての動きというイメージである。もちろん個々の作者の川柳歴は截然と区切れるものではなく、新しいジェネレーションが次々に生れてきたわけでもないので、境界線は混沌としていて図式化するのが困難だ。
とりあえずゼロ年代に何があったのか、今回は事実の確認から始めてみたい。データ収集のあまり面白味のない作業になりそうだが、書いておかないと消えてしまう部分でもある。
現代川柳においてゼロ年代のスタートを告げたのは、2000年7月30日に出版された『現代川柳の精鋭たち 28人集』(北宋社)である。「21世紀へ」という副題が付いているから新世紀への意識がうかがえる。巻頭に岡井省二の句が掲げられている。タイトルは「ミナカテルラ」。「天動なら頭のぺこぺこさはつてみい」ではじまる五句である。また「川柳讃」という文で「俳句、川柳。それは即諧謔祝祭としての宇宙詩。存在詩」と書いているから、曼陀羅(南方熊楠にひきつけて言えば南方曼陀羅)が岡井省二の頭の中にあったのかもしれない。収録されているのは石田柊馬・石部明から渡辺隆夫までの28人・各100句で、全2800句のアンソロジーである。解説は荻原裕幸、堀本吟。編集は樋口由紀子、大井恒行。当時としては珍しく書店の店頭で手に入る川柳本であり、本書の与えた影響は大きい。
ゼロ年代に入る前年1999年には北川絢一郎(82歳)、大石鶴子没(92歳)、定金冬二没(85歳)、寺尾俊平没(74歳)など現代川柳に一時代を画した作者たちが亡くなった。新たな動きとして、たとえば京都では1999年10月、坂根寛哉・田中博造たちが川柳黎明社設立。2000年12月には村井見也子を中心に「川柳 凜」が創刊されている。
2001年に入り、2月1日に高知の「川柳木馬ぐるーぷ」によって『現代川柳の群像』(上下二巻)が刊行された。「川柳木馬」に連載中だった「昭和2桁生れの作家群像」をまとめたもの。上下巻合わせて52名の作者の作品(「作者のことば」と作品60句)に加え、作品論・作家論をそれぞれ2名ずつ執筆している。
「現代川柳点鐘の会」からは2000年6月に句集『龍灯鬼』(墨作二郎)、2001年2月に『紅牙』(本多洋子)と『伐折蘿』(墨作二郎)が発行されている。
4月15日、ホテル・アウィーナ大阪で「川柳ジャンクション2001」が開催された。第一部の鼎談「川柳の立っている場所」は『現代川柳の精鋭たち』をめぐって、荻原裕幸・藤原龍一郎・堀本吟がパネラーをつとめた。第二部は句会で、課題「白い」(大井恒行・石田柊馬共選)、「壊す」(正岡豊・石部明共選)、「羽根」(島一木・金築雨学共選)。第三部の座談会「川柳の現在と21世紀の展望」は司会・荻原裕幸、パネラーは倉本朝世・なかはられいこ・樋口由紀子・広瀬ちえみの四名だった。
なかはられいこは倉富洋子と4月10日「WE ARE!」を創刊。4月20日『脱衣場のアリス』(北冬社)を上梓。「WE ARE」2号は8月に、3号は12月に発行されたが、特に3号に掲載された「ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ」は現在でも語り草になっている。(「WE ARE!」は2002年10月の5号で中断。)
5月27日、「川柳マガジン」創刊(新葉館)
6月30日、『新世紀の現代川柳20人集』(北宋社)刊行。『現代川柳の精鋭たち』の続編という位置づけで、巻頭に桑野晶子の「これからの川柳は」。20人各100句のあと、山崎蒼平と荻原裕幸の解説。編集は山﨑蒼平と野沢省悟。
7月3日・岩村憲治没(62歳)、11月26日・本間美千子没(63歳)。没後『岩村憲治川柳集』(2004年3月13日)、『本間美千子川柳集』(2005年2月1日)が発行されているので、ここで紹介しておきたい。
ぼくら逃亡 海がなければ海創る 岩村憲治
遠い国のあかい血を見たうたにした 本間美千子
2002年に入り、2月1日筒井祥文が「川柳倶楽部パーセント」創刊。
2月28日、石部明句集『遊魔系』(詩遊社)。石部に句集発行を決意させたものは「川柳ジャンクション」のシンポジウムだったようだ。「川柳に大きなうねりの来る予感。シンポジウムに応えるための何か行動を起こす必要があったし、批評を求めての発刊は今が好機とも考えた」(あとがき)
靴屋きてわが体内に棲むという 石部明
川柳黎明社からは句集が続々発行される。5月『森本夷一郎川柳作品集』、6月『坂根寛哉川柳作品集』7月『田中博造川柳作品集』と『片野智恵子川柳作品集』、10月『井出節川柳作品集』。
使わないハンカチがあるあねいもと 坂根寛哉
六月の象がさみしくふりかえる 田中博造
しがらみを脱いで渡ればまばゆい海峡 片野智恵子
シンデレラの秘部より落ちた柘榴石 井出節
8月15日、渡辺隆夫句集『亀れおん』(北宋社)。
還暦の男に初潮小豆めし 渡辺隆夫
8月23日、石田柊馬句集『ポテトサラダ』
姉さんはいま蘭鋳を揚げてます 石田柊馬
川柳誌としては、浪越靖政が8月に「水脈」を創刊。この年7月に終刊した飯尾麻佐子の「あんぐる」の後継誌である。7月1日、赤松ますみが「川柳文学コロキュウム」を創刊。2000年8月に亡くなった波部白洋(69歳)の「川柳文学」を受け継ぐもの。
11月6日、堺利彦『川柳解体新書』(新葉館)発行。20世紀思想の流れを「実体から関係へ」ととらえ、「〈川柳のまなざし〉はこうした相対主義思想の遙か以前から〈実体〉を突き崩し、ものごとを〈関係〉として捉えていた」というクオリティの高い川柳論となっている。
12月20日、『風 十四字詩作品集』(新葉館)発行。佐藤美文の川柳誌「風」は十四字(短句、七七句)に力を入れている。十四字は「武玉川調」とも呼ばれ、五七五と並ぶもうひとつの定型である。
手品の鳩でたましいがない かわたやつで
ドミノ倒しへ誰が裏切る 佐藤美文
無精卵でも孵る未来図 瀧正治
雨を濃くして鶏頭の紅 田中白牧
2003年1月「バックストローク」創刊。発行人・石部明、編集人・畑美樹。「私たちは川柳を刷新する」(巻頭言「形式の自由を求めて」石部明)。「バックストローク」は雑誌の発行だけではなく、シンポジウムをともなう大会を各地で開く。同年9月14日には「バックストロークin京都」を開催。テーマは「川柳にあらわれる悪意について」、パネラーは石田柊馬・筒井祥文・樋口由紀子・広瀬ちえみ・松本仁。以後、2005年5月21日「バックストロークin東京」(テーマ「軽薄について」)、2007年5月26日「バックストロークin仙台」(川柳にあらわれる「虚」について)、2009年9月19日「バックストロークin大阪」(「私」のいる川柳/「私」のいない川柳)、2011年9月17日「バックストロークin名古屋」(川柳が文芸になるとき)と隔年に開催された。
1月3日、定金冬二句集『一老人』(詩遊社)。
一老人 交尾の姿勢ならできる 定金冬二
2月1日、『目ん玉』曲線立歩。曲線立歩は新興川柳の時期から句作を続けている川柳歴の長い作者であるが、句集発行後亡くなった。
北ばかり指して磁石の死に切れず 曲線立歩
12月6日に「WE ARE 」川柳大会が東京のアルカディア市ヶ谷で開催される。午前中にフリマ、午後に川柳大会という一日がかりのイベントで、川柳大会のかたちとしてはおもしろい試みだった。
2004年2月29日、『川柳の群像』(集英社)。東野大八著、田辺聖子監修。東野は2001年7月に87歳で亡くなっているが、本書は「川柳塔」に連載された文章をまとめたもので、明治・大正・昭和の川柳作家100人を解説している。
10月27日、渡部可奈子没(66歳)。12月4日、谷口光穂没(90歳)。
長くなるのでこのへんでひとまず終わりにして、続きは次の機会に。
当面の問題はこの十年間の現代川柳の動向がどのようなものだったのかということだが、その前にゼロ年代がどうだったかのかが検証されなければならない。テン年代の現代川柳はゼロ年代を継承・発展させて生まれてきたものだからである。『はじめまして現代川柳』では第一章を「現代川柳の諸相」、第二章を「現代川柳の展開」としているが、第一章が90年代からゼロ年代にかけての動き、第二章がゼロ年代からテン年代にかけての動きというイメージである。もちろん個々の作者の川柳歴は截然と区切れるものではなく、新しいジェネレーションが次々に生れてきたわけでもないので、境界線は混沌としていて図式化するのが困難だ。
とりあえずゼロ年代に何があったのか、今回は事実の確認から始めてみたい。データ収集のあまり面白味のない作業になりそうだが、書いておかないと消えてしまう部分でもある。
現代川柳においてゼロ年代のスタートを告げたのは、2000年7月30日に出版された『現代川柳の精鋭たち 28人集』(北宋社)である。「21世紀へ」という副題が付いているから新世紀への意識がうかがえる。巻頭に岡井省二の句が掲げられている。タイトルは「ミナカテルラ」。「天動なら頭のぺこぺこさはつてみい」ではじまる五句である。また「川柳讃」という文で「俳句、川柳。それは即諧謔祝祭としての宇宙詩。存在詩」と書いているから、曼陀羅(南方熊楠にひきつけて言えば南方曼陀羅)が岡井省二の頭の中にあったのかもしれない。収録されているのは石田柊馬・石部明から渡辺隆夫までの28人・各100句で、全2800句のアンソロジーである。解説は荻原裕幸、堀本吟。編集は樋口由紀子、大井恒行。当時としては珍しく書店の店頭で手に入る川柳本であり、本書の与えた影響は大きい。
ゼロ年代に入る前年1999年には北川絢一郎(82歳)、大石鶴子没(92歳)、定金冬二没(85歳)、寺尾俊平没(74歳)など現代川柳に一時代を画した作者たちが亡くなった。新たな動きとして、たとえば京都では1999年10月、坂根寛哉・田中博造たちが川柳黎明社設立。2000年12月には村井見也子を中心に「川柳 凜」が創刊されている。
2001年に入り、2月1日に高知の「川柳木馬ぐるーぷ」によって『現代川柳の群像』(上下二巻)が刊行された。「川柳木馬」に連載中だった「昭和2桁生れの作家群像」をまとめたもの。上下巻合わせて52名の作者の作品(「作者のことば」と作品60句)に加え、作品論・作家論をそれぞれ2名ずつ執筆している。
「現代川柳点鐘の会」からは2000年6月に句集『龍灯鬼』(墨作二郎)、2001年2月に『紅牙』(本多洋子)と『伐折蘿』(墨作二郎)が発行されている。
4月15日、ホテル・アウィーナ大阪で「川柳ジャンクション2001」が開催された。第一部の鼎談「川柳の立っている場所」は『現代川柳の精鋭たち』をめぐって、荻原裕幸・藤原龍一郎・堀本吟がパネラーをつとめた。第二部は句会で、課題「白い」(大井恒行・石田柊馬共選)、「壊す」(正岡豊・石部明共選)、「羽根」(島一木・金築雨学共選)。第三部の座談会「川柳の現在と21世紀の展望」は司会・荻原裕幸、パネラーは倉本朝世・なかはられいこ・樋口由紀子・広瀬ちえみの四名だった。
なかはられいこは倉富洋子と4月10日「WE ARE!」を創刊。4月20日『脱衣場のアリス』(北冬社)を上梓。「WE ARE」2号は8月に、3号は12月に発行されたが、特に3号に掲載された「ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ」は現在でも語り草になっている。(「WE ARE!」は2002年10月の5号で中断。)
5月27日、「川柳マガジン」創刊(新葉館)
6月30日、『新世紀の現代川柳20人集』(北宋社)刊行。『現代川柳の精鋭たち』の続編という位置づけで、巻頭に桑野晶子の「これからの川柳は」。20人各100句のあと、山崎蒼平と荻原裕幸の解説。編集は山﨑蒼平と野沢省悟。
7月3日・岩村憲治没(62歳)、11月26日・本間美千子没(63歳)。没後『岩村憲治川柳集』(2004年3月13日)、『本間美千子川柳集』(2005年2月1日)が発行されているので、ここで紹介しておきたい。
ぼくら逃亡 海がなければ海創る 岩村憲治
遠い国のあかい血を見たうたにした 本間美千子
2002年に入り、2月1日筒井祥文が「川柳倶楽部パーセント」創刊。
2月28日、石部明句集『遊魔系』(詩遊社)。石部に句集発行を決意させたものは「川柳ジャンクション」のシンポジウムだったようだ。「川柳に大きなうねりの来る予感。シンポジウムに応えるための何か行動を起こす必要があったし、批評を求めての発刊は今が好機とも考えた」(あとがき)
靴屋きてわが体内に棲むという 石部明
川柳黎明社からは句集が続々発行される。5月『森本夷一郎川柳作品集』、6月『坂根寛哉川柳作品集』7月『田中博造川柳作品集』と『片野智恵子川柳作品集』、10月『井出節川柳作品集』。
使わないハンカチがあるあねいもと 坂根寛哉
六月の象がさみしくふりかえる 田中博造
しがらみを脱いで渡ればまばゆい海峡 片野智恵子
シンデレラの秘部より落ちた柘榴石 井出節
8月15日、渡辺隆夫句集『亀れおん』(北宋社)。
還暦の男に初潮小豆めし 渡辺隆夫
8月23日、石田柊馬句集『ポテトサラダ』
姉さんはいま蘭鋳を揚げてます 石田柊馬
川柳誌としては、浪越靖政が8月に「水脈」を創刊。この年7月に終刊した飯尾麻佐子の「あんぐる」の後継誌である。7月1日、赤松ますみが「川柳文学コロキュウム」を創刊。2000年8月に亡くなった波部白洋(69歳)の「川柳文学」を受け継ぐもの。
11月6日、堺利彦『川柳解体新書』(新葉館)発行。20世紀思想の流れを「実体から関係へ」ととらえ、「〈川柳のまなざし〉はこうした相対主義思想の遙か以前から〈実体〉を突き崩し、ものごとを〈関係〉として捉えていた」というクオリティの高い川柳論となっている。
12月20日、『風 十四字詩作品集』(新葉館)発行。佐藤美文の川柳誌「風」は十四字(短句、七七句)に力を入れている。十四字は「武玉川調」とも呼ばれ、五七五と並ぶもうひとつの定型である。
手品の鳩でたましいがない かわたやつで
ドミノ倒しへ誰が裏切る 佐藤美文
無精卵でも孵る未来図 瀧正治
雨を濃くして鶏頭の紅 田中白牧
2003年1月「バックストローク」創刊。発行人・石部明、編集人・畑美樹。「私たちは川柳を刷新する」(巻頭言「形式の自由を求めて」石部明)。「バックストローク」は雑誌の発行だけではなく、シンポジウムをともなう大会を各地で開く。同年9月14日には「バックストロークin京都」を開催。テーマは「川柳にあらわれる悪意について」、パネラーは石田柊馬・筒井祥文・樋口由紀子・広瀬ちえみ・松本仁。以後、2005年5月21日「バックストロークin東京」(テーマ「軽薄について」)、2007年5月26日「バックストロークin仙台」(川柳にあらわれる「虚」について)、2009年9月19日「バックストロークin大阪」(「私」のいる川柳/「私」のいない川柳)、2011年9月17日「バックストロークin名古屋」(川柳が文芸になるとき)と隔年に開催された。
1月3日、定金冬二句集『一老人』(詩遊社)。
一老人 交尾の姿勢ならできる 定金冬二
2月1日、『目ん玉』曲線立歩。曲線立歩は新興川柳の時期から句作を続けている川柳歴の長い作者であるが、句集発行後亡くなった。
北ばかり指して磁石の死に切れず 曲線立歩
12月6日に「WE ARE 」川柳大会が東京のアルカディア市ヶ谷で開催される。午前中にフリマ、午後に川柳大会という一日がかりのイベントで、川柳大会のかたちとしてはおもしろい試みだった。
2004年2月29日、『川柳の群像』(集英社)。東野大八著、田辺聖子監修。東野は2001年7月に87歳で亡くなっているが、本書は「川柳塔」に連載された文章をまとめたもので、明治・大正・昭和の川柳作家100人を解説している。
10月27日、渡部可奈子没(66歳)。12月4日、谷口光穂没(90歳)。
長くなるのでこのへんでひとまず終わりにして、続きは次の機会に。
2021年10月16日土曜日
川柳の誌上大会
短歌が流行っているという。10月14日放送のカンテレ「報道ランナー」でも〈「#短歌」18万件超若者に人気再燃のワケ〉として紹介され、田中ましろ、なべとびすこが出ていた。う~ん、本当に流行っているんだなと実感する。
コロナが少し落ち着きを見せているが、この一年半ほどの状況は川柳の句会・大会に大きな打撃を与えてきた。川柳の世界は句会中心に回っているので、実際に集まることができないのは辛いところだ。終幕を迎えた川柳句会もいくつか存在する。川柳人はSNSなどの発信ツールが得意ではないので、リアルな句会・大会にかわる手段は多くない。そういうなかでよく行われているのは誌上大会という方法である。
「川柳たけはら」(編集発行・小島蘭幸)778号は竹原川柳会創立65周年記念誌上大会の入選句を掲載している。広島県の竹原は「安芸の小京都」と呼ばれるように江戸期の街並みがあり、テレビ・ドラマの撮影などに使われることもある。以前、竹原川柳会がドラマに出演しているのを見たことがあるが、それは俳句の句会のシーンなのだった。歴史のある川柳会で、この誌上大会には全国から776名の応募があったという。誌上大会というのは投句料を添えて応募し、結果を誌上で発表するから、リアルの川柳大会よりも結社にとって経済的負担が少ない。そのかわりけっこう手間がかかるので、「川柳カード」のときに一度誌上大会を開催したことがあるが、投句の打ち間違いなどのトラブルがあって苦情が多かった。
さて、「川柳たけはら」の誌上大会の課題「酒」「竹」「自由吟」のうち「酒」と「自由吟」から何句か紹介しよう。まず「酒」から。
酔筆の流れ流れて天の川 芳賀博子
転た寝の酒仙に羽衣をふわり 木下草風
神様はいいな御神酒に囲まれて 平井美智子
月光を着せても脱がせても酒屋 原田否可立
雨降れば雨の仲間が寄って飲む 森中惠美子
三次会寝てる奴らに歌うやつ 石橋芳山
月へ行くミッション抱いている地酒 赤松ますみ
杜氏から水は魔法をかけられる みつ木もも花
たゆたゆと酒ゆらゆらと月明かり くんじろう
山小屋の骨酒に酔う登山靴 美馬りゅうこ
次に「自由吟」から。
茶柱はこれから龍になるところ 西沢葉火
独裁者の景色はひとりだけ違う 濱山哲也
紙芝居まで遠すぎるすべり台 くんじろう
すみれいろのことばまみれになりたくて 吉松澄子
アンネの日記マスク外していいですか 弘津秋の子
安心まで神話になってしまいそう 大久保眞澄
応接間より物置がおもしろい 新家完司
また一人施設へ行くという便り 西出楓楽
蓋あけるまでは真面目な恋でした 米山明日歌
浮世絵の瞳は切れ長に世界見る 原田否可立
入選句のあと、大会参加者の氏名が都道府県別に掲載されている。大阪・兵庫などの関西と島根・鳥取・岡山・広島などの中国地方の参加者が多い。あと、四国では愛媛県が多くて、俳句王国だけではなくて川柳も盛んであることが分かる。ここに名前が掲載されている人々が「川柳界」を支えているのであり、誌面からではあるが川柳大会の雰囲気を実感することができる。
「湖」(編集発行・浅利猪一郎)13号には第13回「ふるさと川柳」の報告が掲載されている。この川柳誌は秋田県仙北市で発行されている。四月と十月の年二回発行。課題を全国から募集していて、今回の課題は「激」。応募者482名。12人の選者による共選なので、選者の傾向の違いと、どの選者に採られるかという興味がある。各選者は入選50句、佳作5句、秀句3句を選び、入選1点、佳作2点、秀句3点の合計点で順位を決定する。受賞作品を紹介する。
暴れたくなるわそよ風だったもの 赤石ゆう
激論にピリオド打ったのは夕陽 永井松柏
核のゴミあなたの庭に埋めますか 橋本敦子
白×白とても激しいものを秘め 前田ゆうこ
八月に今も激しく叱られる 大嶋都嗣子
号泣をした日も青い空だった 児玉浪枝
弱くなっていく激しくなっていく 三好光明
核ボタン飾りボタンでないボタン 柴垣一
歩こうかいろんな風に当るけど 佐々木智恵子
少年の激しい青がある絵皿 前田ゆうこ
この海の怒った貌を忘れない 竹村紀の治
一枚のメモに地雷が埋めてある 浪越靖政
私は句会否定論者ではないので、川柳句会が嫌いではない。同じ課題で他と競うことになり、どのようにユニークな句を詠むか、同時に選者に分かってもらえるかどうか、ひとりで作句する場合と異なって、いろいろな要素が入ってくる。今回紹介した二誌から川柳大会の雰囲気を少し思い出すことができた。
コロナが少し落ち着きを見せているが、この一年半ほどの状況は川柳の句会・大会に大きな打撃を与えてきた。川柳の世界は句会中心に回っているので、実際に集まることができないのは辛いところだ。終幕を迎えた川柳句会もいくつか存在する。川柳人はSNSなどの発信ツールが得意ではないので、リアルな句会・大会にかわる手段は多くない。そういうなかでよく行われているのは誌上大会という方法である。
「川柳たけはら」(編集発行・小島蘭幸)778号は竹原川柳会創立65周年記念誌上大会の入選句を掲載している。広島県の竹原は「安芸の小京都」と呼ばれるように江戸期の街並みがあり、テレビ・ドラマの撮影などに使われることもある。以前、竹原川柳会がドラマに出演しているのを見たことがあるが、それは俳句の句会のシーンなのだった。歴史のある川柳会で、この誌上大会には全国から776名の応募があったという。誌上大会というのは投句料を添えて応募し、結果を誌上で発表するから、リアルの川柳大会よりも結社にとって経済的負担が少ない。そのかわりけっこう手間がかかるので、「川柳カード」のときに一度誌上大会を開催したことがあるが、投句の打ち間違いなどのトラブルがあって苦情が多かった。
さて、「川柳たけはら」の誌上大会の課題「酒」「竹」「自由吟」のうち「酒」と「自由吟」から何句か紹介しよう。まず「酒」から。
酔筆の流れ流れて天の川 芳賀博子
転た寝の酒仙に羽衣をふわり 木下草風
神様はいいな御神酒に囲まれて 平井美智子
月光を着せても脱がせても酒屋 原田否可立
雨降れば雨の仲間が寄って飲む 森中惠美子
三次会寝てる奴らに歌うやつ 石橋芳山
月へ行くミッション抱いている地酒 赤松ますみ
杜氏から水は魔法をかけられる みつ木もも花
たゆたゆと酒ゆらゆらと月明かり くんじろう
山小屋の骨酒に酔う登山靴 美馬りゅうこ
次に「自由吟」から。
茶柱はこれから龍になるところ 西沢葉火
独裁者の景色はひとりだけ違う 濱山哲也
紙芝居まで遠すぎるすべり台 くんじろう
すみれいろのことばまみれになりたくて 吉松澄子
アンネの日記マスク外していいですか 弘津秋の子
安心まで神話になってしまいそう 大久保眞澄
応接間より物置がおもしろい 新家完司
また一人施設へ行くという便り 西出楓楽
蓋あけるまでは真面目な恋でした 米山明日歌
浮世絵の瞳は切れ長に世界見る 原田否可立
入選句のあと、大会参加者の氏名が都道府県別に掲載されている。大阪・兵庫などの関西と島根・鳥取・岡山・広島などの中国地方の参加者が多い。あと、四国では愛媛県が多くて、俳句王国だけではなくて川柳も盛んであることが分かる。ここに名前が掲載されている人々が「川柳界」を支えているのであり、誌面からではあるが川柳大会の雰囲気を実感することができる。
「湖」(編集発行・浅利猪一郎)13号には第13回「ふるさと川柳」の報告が掲載されている。この川柳誌は秋田県仙北市で発行されている。四月と十月の年二回発行。課題を全国から募集していて、今回の課題は「激」。応募者482名。12人の選者による共選なので、選者の傾向の違いと、どの選者に採られるかという興味がある。各選者は入選50句、佳作5句、秀句3句を選び、入選1点、佳作2点、秀句3点の合計点で順位を決定する。受賞作品を紹介する。
暴れたくなるわそよ風だったもの 赤石ゆう
激論にピリオド打ったのは夕陽 永井松柏
核のゴミあなたの庭に埋めますか 橋本敦子
白×白とても激しいものを秘め 前田ゆうこ
八月に今も激しく叱られる 大嶋都嗣子
号泣をした日も青い空だった 児玉浪枝
弱くなっていく激しくなっていく 三好光明
核ボタン飾りボタンでないボタン 柴垣一
歩こうかいろんな風に当るけど 佐々木智恵子
少年の激しい青がある絵皿 前田ゆうこ
この海の怒った貌を忘れない 竹村紀の治
一枚のメモに地雷が埋めてある 浪越靖政
私は句会否定論者ではないので、川柳句会が嫌いではない。同じ課題で他と競うことになり、どのようにユニークな句を詠むか、同時に選者に分かってもらえるかどうか、ひとりで作句する場合と異なって、いろいろな要素が入ってくる。今回紹介した二誌から川柳大会の雰囲気を少し思い出すことができた。
2021年10月8日金曜日
「現代詩手帖」10月号
「現代詩手帖」2021年10月号の特集は「定型と/の自由」。「定型と自由/定型の自由」ということらしい。副題は「短詩型の現在」。座談会は佐藤文香・山田航・佐藤雄一による「俳句・短歌の十年とこれから」。作品は俳人・歌人の書いた現代詩。あと俳人・歌人・川柳人による論考とアンケート〈詩人に聞く「刺激を受けた歌集・句集」〉が付いている。
川柳と関係があるのは最初の座談会で、佐藤文香・山田航が『はじめまして現代川柳』などにふれている。論考では柳本々々が「でも川柳だと信じてる」を書いていて、川合大祐『リバー・ワールド』、石部明、石田柊馬、暮田真名『補遺』などを取りあげている。
佐藤文香は川柳との交流が長く、現代川柳の動向もよく知っているから、次のように的確な発言をしている。「小池正博編著のアンソロジー『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)が出てから、外の読者に読まれることを意識した川柳の句集が立て続けに刊行され、現代川柳の波が来ているように思います。2018年の八上桐子『hibi』(港の人)が、ブームのさきがけでした」「歌人の瀬戸夏子や平岡直子が川柳を書きはじめたことで、興味を持った短歌や俳句の若手が川柳に目を向けるようになったのもよかったですね。柳本々々や暮田真名にも注目しています」
山田航は書評で川柳アンソロジーを紹介するなど、川柳に好意的で「『はじめまして現代川柳』に入っている人ではぼくは丸山進がとくに好きです」「邑書林の『セレクション柳人』シリーズはだいぶ前から集めていて、現代川柳はずっと注目していたんだけど、なんでもっと読まれないんだろうと思っていますね」と述べている。
詩人の佐藤雄一は「私も食わず嫌いで読んでなかった川柳を、今日のお二人のお話を伺って読んでみたいと思いました」と言っているが、川柳についてよく知らないことを中途半端に発言する評者が世間には多いなかで、正直な感想だと思う。佐藤雄一は以前「週刊俳句」でHIP HOPについてロングインタビューを受けたことのある人だ。
さて、今回の「現代詩手帖」の特集では2010年代の動きがテーマになっている。まず俳句について、佐藤文香の発言に基づいて整理しておく。『新撰21』(2009年)『超新撰21』(2010年)『俳コレ』(2011年)のあと、新しい書き方の俳人や伝統系の俳人たちの多彩な活躍が目立ってきた。『天の川銀河発電所』(2017年)以降は「俳句好きによる俳句の時代」がおとずれ、佐藤は生駒大祐、西村麒麟の名を挙げている。短歌については山田航が2000年代の「短歌ヴァーサス」と歌葉新人賞を挙げたあと、ニューウェーブ、笹井宏之、AI短歌などに触れている。近代短歌の歴史はリアリズムと反リアリズムを繰り返しながら進んできたが、2010年代を口語短歌の洗練とリアリズムへの回帰の時代としている。
「現代詩手帖」では取りあげられなかったが、ひるがえってこの十年間の現代川柳の動きはどのようなものだっただろうか。
テン年代を語る前に、その前のゼロ年代について見ておくと、まず2000年7月に『現代川柳の精鋭たち』(北宋社)が発行された。2001年4月には「WE ARE」が創刊。2001年4月15日には大阪で「川柳ジャンクション」が開催され、『現代川柳の精鋭たち』をめぐって荻原裕幸・藤原龍一郎・堀本吟が鼎談している。2003年1月に「バックストローク」創刊。同年9月に「バックストローク」記念大会が京都で開催されている。同年12月6日には「WE ARE 」川柳大会が東京で開催。これは午前中にフリマ、午後に川柳大会と一日がかりのイベントだった。2005年5月「セレクション柳人」刊行開始。2011年9月に「バックストロークin名古屋」が開催されたが、同年11月に「バックストローク」は36号で終刊。ここまでが2000年代の現代川柳の主な流れである。「私性川柳」を乗り越えて、「思い」を書く川柳から「言葉」で書く川柳へと移行してゆく時期だったと言える。
では2010年代はどうかというと、ゼロ年代の成果を受けて表現が多様化していった。2012年11月に「川柳カード」創刊。2014年7月「川柳ねじまき」創刊。文学フリマの影響を受けて、大阪で「川柳フリマ」が開催され、一度目が2015年5月、二度目が2016年5月(このときはゲストに山田消児を迎えた)。2017年3月「川柳カード」14号で終刊。2017年5月、中野サンプラザで「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」が開催。同年11月「川柳スパイラル」創刊。2019年5月、『hibi』句評会が東京・北とぴあで開催。2019年9月、梅田蔦屋書店で「川柳と短歌の交差点」開催(パネラー:岡野大嗣・平岡直子・八上桐子・なかはられいこ)。テン年代はさまざまな川柳作品が同時並行的に存在している過渡の時代であり、実際に川柳の句会・大会を体験してきた作者とネットや活字だけで川柳を発信している作者との乖離が徐々に進みつつある。コロナ禍でリアルの川柳句会・大会が開きづらい情況も加わっている。
「現代詩手帖」に話を戻すと、この詩誌ではときどき俳句・短歌のことが取り上げられる。私の手元にあるのは、2010年9月号「短詩型新時代」と2013年9月号「詩型の越境」の二冊である。私がこの「川柳時評」をはじめたのが2010年で、「短詩型新時代」の方は何も書いていないが、「詩型の越境」については2013年9月6日の時評に書いているので、興味のある方はアーカイヴをご覧いただきたい。
2010年の「短詩型新時代」には、アンソロジー「ゼロ年代の短歌100選」(黒瀬珂瀾編)、「ゼロ年代の俳句100選」(高柳克弘編)が付いている。今回の2021年版が俳句・短歌の新作を掲載せず、逆に生駒大祐、井上法子、小津夜景、大森静佳、川野芽生、千種創一、鴇田智哉、中島憲武に現代詩を書かせているのと対照的だ。どちらが編集方針としておもしろいかは微妙なところで、俳句・短歌の実作を現代詩の読者に紹介するよりも、俳人・歌人の書く現代詩がどのようなものになるかということの方に重きを置いているのだろう。あと論考の書き手(俳句)が、福田若之・西村麒麟・安里琉太・松本てふこなどフレッシュになっていることや、詩人に聞く「刺激を受けた歌集・句集」のコーナーで高塚謙太郎が木下こう『体温と雨』を、文月悠光が平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』を挙げていることなどが印象に残った。どんな句集・歌集に注目するかは、その人のアンテナの感度を如実に示すものだ。
川柳と関係があるのは最初の座談会で、佐藤文香・山田航が『はじめまして現代川柳』などにふれている。論考では柳本々々が「でも川柳だと信じてる」を書いていて、川合大祐『リバー・ワールド』、石部明、石田柊馬、暮田真名『補遺』などを取りあげている。
佐藤文香は川柳との交流が長く、現代川柳の動向もよく知っているから、次のように的確な発言をしている。「小池正博編著のアンソロジー『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)が出てから、外の読者に読まれることを意識した川柳の句集が立て続けに刊行され、現代川柳の波が来ているように思います。2018年の八上桐子『hibi』(港の人)が、ブームのさきがけでした」「歌人の瀬戸夏子や平岡直子が川柳を書きはじめたことで、興味を持った短歌や俳句の若手が川柳に目を向けるようになったのもよかったですね。柳本々々や暮田真名にも注目しています」
山田航は書評で川柳アンソロジーを紹介するなど、川柳に好意的で「『はじめまして現代川柳』に入っている人ではぼくは丸山進がとくに好きです」「邑書林の『セレクション柳人』シリーズはだいぶ前から集めていて、現代川柳はずっと注目していたんだけど、なんでもっと読まれないんだろうと思っていますね」と述べている。
詩人の佐藤雄一は「私も食わず嫌いで読んでなかった川柳を、今日のお二人のお話を伺って読んでみたいと思いました」と言っているが、川柳についてよく知らないことを中途半端に発言する評者が世間には多いなかで、正直な感想だと思う。佐藤雄一は以前「週刊俳句」でHIP HOPについてロングインタビューを受けたことのある人だ。
さて、今回の「現代詩手帖」の特集では2010年代の動きがテーマになっている。まず俳句について、佐藤文香の発言に基づいて整理しておく。『新撰21』(2009年)『超新撰21』(2010年)『俳コレ』(2011年)のあと、新しい書き方の俳人や伝統系の俳人たちの多彩な活躍が目立ってきた。『天の川銀河発電所』(2017年)以降は「俳句好きによる俳句の時代」がおとずれ、佐藤は生駒大祐、西村麒麟の名を挙げている。短歌については山田航が2000年代の「短歌ヴァーサス」と歌葉新人賞を挙げたあと、ニューウェーブ、笹井宏之、AI短歌などに触れている。近代短歌の歴史はリアリズムと反リアリズムを繰り返しながら進んできたが、2010年代を口語短歌の洗練とリアリズムへの回帰の時代としている。
「現代詩手帖」では取りあげられなかったが、ひるがえってこの十年間の現代川柳の動きはどのようなものだっただろうか。
テン年代を語る前に、その前のゼロ年代について見ておくと、まず2000年7月に『現代川柳の精鋭たち』(北宋社)が発行された。2001年4月には「WE ARE」が創刊。2001年4月15日には大阪で「川柳ジャンクション」が開催され、『現代川柳の精鋭たち』をめぐって荻原裕幸・藤原龍一郎・堀本吟が鼎談している。2003年1月に「バックストローク」創刊。同年9月に「バックストローク」記念大会が京都で開催されている。同年12月6日には「WE ARE 」川柳大会が東京で開催。これは午前中にフリマ、午後に川柳大会と一日がかりのイベントだった。2005年5月「セレクション柳人」刊行開始。2011年9月に「バックストロークin名古屋」が開催されたが、同年11月に「バックストローク」は36号で終刊。ここまでが2000年代の現代川柳の主な流れである。「私性川柳」を乗り越えて、「思い」を書く川柳から「言葉」で書く川柳へと移行してゆく時期だったと言える。
では2010年代はどうかというと、ゼロ年代の成果を受けて表現が多様化していった。2012年11月に「川柳カード」創刊。2014年7月「川柳ねじまき」創刊。文学フリマの影響を受けて、大阪で「川柳フリマ」が開催され、一度目が2015年5月、二度目が2016年5月(このときはゲストに山田消児を迎えた)。2017年3月「川柳カード」14号で終刊。2017年5月、中野サンプラザで「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」が開催。同年11月「川柳スパイラル」創刊。2019年5月、『hibi』句評会が東京・北とぴあで開催。2019年9月、梅田蔦屋書店で「川柳と短歌の交差点」開催(パネラー:岡野大嗣・平岡直子・八上桐子・なかはられいこ)。テン年代はさまざまな川柳作品が同時並行的に存在している過渡の時代であり、実際に川柳の句会・大会を体験してきた作者とネットや活字だけで川柳を発信している作者との乖離が徐々に進みつつある。コロナ禍でリアルの川柳句会・大会が開きづらい情況も加わっている。
「現代詩手帖」に話を戻すと、この詩誌ではときどき俳句・短歌のことが取り上げられる。私の手元にあるのは、2010年9月号「短詩型新時代」と2013年9月号「詩型の越境」の二冊である。私がこの「川柳時評」をはじめたのが2010年で、「短詩型新時代」の方は何も書いていないが、「詩型の越境」については2013年9月6日の時評に書いているので、興味のある方はアーカイヴをご覧いただきたい。
2010年の「短詩型新時代」には、アンソロジー「ゼロ年代の短歌100選」(黒瀬珂瀾編)、「ゼロ年代の俳句100選」(高柳克弘編)が付いている。今回の2021年版が俳句・短歌の新作を掲載せず、逆に生駒大祐、井上法子、小津夜景、大森静佳、川野芽生、千種創一、鴇田智哉、中島憲武に現代詩を書かせているのと対照的だ。どちらが編集方針としておもしろいかは微妙なところで、俳句・短歌の実作を現代詩の読者に紹介するよりも、俳人・歌人の書く現代詩がどのようなものになるかということの方に重きを置いているのだろう。あと論考の書き手(俳句)が、福田若之・西村麒麟・安里琉太・松本てふこなどフレッシュになっていることや、詩人に聞く「刺激を受けた歌集・句集」のコーナーで高塚謙太郎が木下こう『体温と雨』を、文月悠光が平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』を挙げていることなどが印象に残った。どんな句集・歌集に注目するかは、その人のアンテナの感度を如実に示すものだ。
2021年10月1日金曜日
三田三郎歌集『鬼と踊る』
三田三郎の第二歌集『鬼と踊る』(左右社)が話題になっている。第一歌集『もうちょっと生きる』(風詠社)から3年。「MITASASA」「ぱんたれい」から「西瓜」へと活動領域を広げていて、この歌集でも独自な三田ワールドが展開されている。
三田には「川柳スパイラル」9号に川柳作品を寄稿してもらったことがある。20句のうち次の句は特に印象に残っている。
自らの咀嚼の音で目が覚める 三田三郎
その号に私は「三田三郎の短歌と川柳」という紹介文を書いていて、『もうちょっと生きる』について次のように述べている。
「この人は川柳も書けるのではないかと思った。歌集の帯には『シニックでブラックなユーモアに満ちた』とある。それって川柳が得意としてきた領域ではないか。同時に思ったのは、川柳性のある題材を短歌形式で書いているところがこの作者の逆説的なおもしろさであって、川柳形式で川柳性のある内容を書くと、この作者の持ち味を損なうことになるのではないか、ということだった」
今度の第二歌集を読んで、この感想は修正しないといけないように思った。彼の短歌はすでに「逆説的なおもしろさ」などではなく、短歌形式であるからこそ、シニック・ブラック・ユーモア・イロニーが効果的に表現されていて、彼独自の世界が成立しているのではないか。
川柳スパイラル東京句会(2018年5月5日・北とぴあ)で我妻俊樹・瀬戸夏子と「短歌と川柳」というトークをしたことがある。そのとき我妻はこんふうに言った。
「短歌は上の句と下の句の二部構成で、二つあるということは往復するような感覚がありますから、行って戻ってくるところに自我が生じるのが短歌だと感じます。そういうこと抜きに、引き返さずに通り抜けるというのが私が川柳を作るときの感覚なんです。」
我妻の「短歌は行って戻ってくる」「川柳は引き返さないで通り抜ける」という発言はずっと心に残っている。我妻の真意とは外れるかも知れないが、三田の短歌で「行って戻ってくる」と感じる作品を幾つか挙げてみよう。
ありがとうございますとは言いづらくその分すいませんを2回言う
『鬼と踊る』の代表歌とは言えないだろうが、川柳との違いが説明しやすいので、この歌を例に挙げてみる。「ありがとう」と「すいません」が対になる言葉で、それぞれが上の句と下の句に振り分けられている。右と左、上半身と下半身、夢と現実、目的と手段など一対になる組み合わせはたくさんある。そのような発想に基づいた作品を私は「ペアの思想」と呼んでいる。川柳の場合は詩形の短さもあって、ペアの片方だけを詠んでもう一方を省略することが多い。「半身」と出てくれば「全身」はどうなんだろうと読者は想像するのであり、その部分は読者に任されている。三田の短歌の場合は、一方の視点からとらえたあと、もう一つの視点から捉え直すことによって諷刺が完結している。
入口じゃないところから入ったがもう出口だから許しておくれ
この発想には川柳とも通じるものがあり、「入口のすぐ真後ろがもう出口」(石部明)という句が思い浮かぶ。入口・出口のペアの発想は同じだが、三田の短歌では「入口じゃないところ」に捻りがあり、「許しておくれ」という他者(または自己)に対する呼びかけで終わっている。「私」が現れてくるのだ。
前もって厳しい罰を受けたのでそれ相応の罪を犯そう
罪と罰の因果関係が普通とは逆になっている。罪を犯したから罰を受けるのではなくて、あらかじめ罰を受けているような不条理。そういうことは『ヨブ記』の昔からよくあることだが、原因・結果を逆転させることによって諷刺や皮肉が効果的に表現されているし、現代に生きる私たちの実感も言い当てている。
不味すぎて獏が思わず吐き出した夢を僕らは現実と呼ぶ
夢と現実。三田はロマン派ではないから、獏でさえ不味くて食べない夢があるという。その吐瀉物が私たちにとっての現実である。夢と現実というテーマはもともとイロニーや反語によってとらえられやすいものだが、この歌は一種のアフォリズムとして読んでも腑に落ちるものとなっている。
川柳は断言の形式で、二面的な世界を一つの視点から一方的に言い切ることが多い。他の反面は省略や読者の読みに任せることになる。三田の短歌はペアの思想によって、二物の関係性に独自の視点を当て、反語的に世界をとらえている。そのとき、「私」が立ち現れてくるのはやはり短歌的と言えるかもしれない。川柳が世界を批評的にとらえる場合、「私」そのものを疑うと諷刺の毒は薄められてしまう。三田の短歌の場合は、作者そのものなのか、フィクションとしての「私」なのかは別として、自虐的な「私」のイメージが立ち現れてくる。それは一種のキャラクターかも知れず、歌集全体を通して作者性が読者に伝わってくるのは短歌形式の功徳かもしれない。
以上は図式的な感想なので、『鬼と踊る』にはさまざまな歌があり、それぞれがおもしろく読める。私の好みは次のような作品。
杖をくれ 精神的な支えとかふざけた意味じゃなく木の杖を
今日は社会の状態が不安定なため所により怒号が降るでしょう
第一に中島みゆきが存在し世界はその注釈に過ぎない
マウンドへ向かうエースのようでした辞表を出しに行く後輩は
特急も直進だけじゃ飽きるだろうたまには空へ向かっていいぞ
ずっと神の救いを待ってるんですがちゃんとオーダー通ってますか
「神さま」は川柳でもよく詠まれていて、山村祐の次の作品が有名である。
神さまに聞こえる声で ごはんだよ ごはんだよ 山村祐
三田には「川柳スパイラル」9号に川柳作品を寄稿してもらったことがある。20句のうち次の句は特に印象に残っている。
自らの咀嚼の音で目が覚める 三田三郎
その号に私は「三田三郎の短歌と川柳」という紹介文を書いていて、『もうちょっと生きる』について次のように述べている。
「この人は川柳も書けるのではないかと思った。歌集の帯には『シニックでブラックなユーモアに満ちた』とある。それって川柳が得意としてきた領域ではないか。同時に思ったのは、川柳性のある題材を短歌形式で書いているところがこの作者の逆説的なおもしろさであって、川柳形式で川柳性のある内容を書くと、この作者の持ち味を損なうことになるのではないか、ということだった」
今度の第二歌集を読んで、この感想は修正しないといけないように思った。彼の短歌はすでに「逆説的なおもしろさ」などではなく、短歌形式であるからこそ、シニック・ブラック・ユーモア・イロニーが効果的に表現されていて、彼独自の世界が成立しているのではないか。
川柳スパイラル東京句会(2018年5月5日・北とぴあ)で我妻俊樹・瀬戸夏子と「短歌と川柳」というトークをしたことがある。そのとき我妻はこんふうに言った。
「短歌は上の句と下の句の二部構成で、二つあるということは往復するような感覚がありますから、行って戻ってくるところに自我が生じるのが短歌だと感じます。そういうこと抜きに、引き返さずに通り抜けるというのが私が川柳を作るときの感覚なんです。」
我妻の「短歌は行って戻ってくる」「川柳は引き返さないで通り抜ける」という発言はずっと心に残っている。我妻の真意とは外れるかも知れないが、三田の短歌で「行って戻ってくる」と感じる作品を幾つか挙げてみよう。
ありがとうございますとは言いづらくその分すいませんを2回言う
『鬼と踊る』の代表歌とは言えないだろうが、川柳との違いが説明しやすいので、この歌を例に挙げてみる。「ありがとう」と「すいません」が対になる言葉で、それぞれが上の句と下の句に振り分けられている。右と左、上半身と下半身、夢と現実、目的と手段など一対になる組み合わせはたくさんある。そのような発想に基づいた作品を私は「ペアの思想」と呼んでいる。川柳の場合は詩形の短さもあって、ペアの片方だけを詠んでもう一方を省略することが多い。「半身」と出てくれば「全身」はどうなんだろうと読者は想像するのであり、その部分は読者に任されている。三田の短歌の場合は、一方の視点からとらえたあと、もう一つの視点から捉え直すことによって諷刺が完結している。
入口じゃないところから入ったがもう出口だから許しておくれ
この発想には川柳とも通じるものがあり、「入口のすぐ真後ろがもう出口」(石部明)という句が思い浮かぶ。入口・出口のペアの発想は同じだが、三田の短歌では「入口じゃないところ」に捻りがあり、「許しておくれ」という他者(または自己)に対する呼びかけで終わっている。「私」が現れてくるのだ。
前もって厳しい罰を受けたのでそれ相応の罪を犯そう
罪と罰の因果関係が普通とは逆になっている。罪を犯したから罰を受けるのではなくて、あらかじめ罰を受けているような不条理。そういうことは『ヨブ記』の昔からよくあることだが、原因・結果を逆転させることによって諷刺や皮肉が効果的に表現されているし、現代に生きる私たちの実感も言い当てている。
不味すぎて獏が思わず吐き出した夢を僕らは現実と呼ぶ
夢と現実。三田はロマン派ではないから、獏でさえ不味くて食べない夢があるという。その吐瀉物が私たちにとっての現実である。夢と現実というテーマはもともとイロニーや反語によってとらえられやすいものだが、この歌は一種のアフォリズムとして読んでも腑に落ちるものとなっている。
川柳は断言の形式で、二面的な世界を一つの視点から一方的に言い切ることが多い。他の反面は省略や読者の読みに任せることになる。三田の短歌はペアの思想によって、二物の関係性に独自の視点を当て、反語的に世界をとらえている。そのとき、「私」が立ち現れてくるのはやはり短歌的と言えるかもしれない。川柳が世界を批評的にとらえる場合、「私」そのものを疑うと諷刺の毒は薄められてしまう。三田の短歌の場合は、作者そのものなのか、フィクションとしての「私」なのかは別として、自虐的な「私」のイメージが立ち現れてくる。それは一種のキャラクターかも知れず、歌集全体を通して作者性が読者に伝わってくるのは短歌形式の功徳かもしれない。
以上は図式的な感想なので、『鬼と踊る』にはさまざまな歌があり、それぞれがおもしろく読める。私の好みは次のような作品。
杖をくれ 精神的な支えとかふざけた意味じゃなく木の杖を
今日は社会の状態が不安定なため所により怒号が降るでしょう
第一に中島みゆきが存在し世界はその注釈に過ぎない
マウンドへ向かうエースのようでした辞表を出しに行く後輩は
特急も直進だけじゃ飽きるだろうたまには空へ向かっていいぞ
ずっと神の救いを待ってるんですがちゃんとオーダー通ってますか
「神さま」は川柳でもよく詠まれていて、山村祐の次の作品が有名である。
神さまに聞こえる声で ごはんだよ ごはんだよ 山村祐