小津夜景のブログ「フラワーズ・カンフー」(4月23日)に『川柳スパイラル』2号の我妻俊樹のゲスト作品について言及がある。小津はこんなふうに書いている。
〈『川柳スパイラル2』をめくったら我妻俊樹の名がありました。我妻俊樹をはじめて知ったのは歌葉新人賞。あの賞では雪舟えま、謎彦、宇都宮敦、フラワーしげる、斉藤斎藤、笹井宏之、永井祐ほか、おもしろい歌人をいっぱい知ったけれど、我妻さんもその一人。〉
そこで『短歌ヴァーサス』を引っ張り出してきて、「歌葉新人賞」の掲載されているページを読み直してみた。我妻俊樹は毎回候補作品に取り上げられている。たとえば第4回歌葉新人賞は笹井宏之だったが、その発表号(『短歌ヴァーサス』10号、2006年12月)には候補作品として我妻の「水の泡たち」が掲載されている。こんな歌である。
指輪から抜けない指で二階から二階へ鳩をとばしあう海
どこまでが駅前なのか徒歩でゆくふたりでたぶん住まない土地を
森の樹にぶつけた車乗り捨ててぼくらはむしろ賑やかになる
「先生、吉田くんが風船です」椅子の背中にむすばれている
(運転を見合わせています)散らかったドレスの中に人がいるのだ
ちなみに『短歌ヴァーサス』10号の「川柳ヴァーサス」の欄で、私は「着信アリ」というタイトルのもとに各地の現代川柳作品を紹介している。
歌葉新人賞で我妻の作品を読んだ人は多いようだ。
『率』10号(2016年5月)は我妻俊樹誌上歌集『足の踏み場、象の墓場』を掲載している。その序文で瀬戸夏子は次のように書いている。
〈私が我妻俊樹の歌の読者になったのは歌葉新人賞のころだから、おそらく十年ほど前になるだろう。つまり、私は十年間、待ったのだ。〉
この誌上歌集については、以前この時評でも紹介したことがある(「川柳人から見た我妻俊樹」2016年5月20日)。
5月5日、「川柳スパイラル東京句会」で我妻俊樹と瀬戸夏子の公開対談が実現する。それにあわせて我妻の川柳作品100句が『眩しすぎる星を減らしてくれ』という冊子になった。当日の参加者には進呈されるが、その中から何句か紹介しておきたい。
沿線のところどころにある気絶 我妻俊樹
くす玉のあるところまで引き返す
いいんだよ十二時ばかり知らせても
おにいさん絶滅前に光ろうか
権力の話を聞きに夏草へ
小津夜景は前掲のブログで我妻の川柳を挙げたあと、こんなふうに書いている。
〈 「先生、吉田君が風船です」椅子の背中にむすばれている
といった詠風を眺めると、ずいぶん川柳的なもののように感じられたりもします。そんなわけで『川柳スパイラル2』からも一句。とっても短歌的なのだけれど、でも川柳にしてベターだったと言えるような仕上がり。
郵便制度のあんなところにも鳥が 〉
2018年4月27日金曜日
2018年4月21日土曜日
桐壺の巻にはじまるショータイム
川柳誌「湖」6号(4月15日発行)が届いた。編集発行は浅利猪一郎(秋田県仙北市)。
第六回「ふるさと川柳」の選考結果が掲載されている。この誌上大会は浅利が愛知県半田市から故郷の秋田県に帰ってからはじめたもので、「湖」創刊が2015年10月。以後、半年ごとに応募を実施して六回目になる。
選者は12名、合点制で優秀句を決める。今回の課題は「彩」。
私が選んだ佳作と秀句は次の作品である。
秀句1 桐壺の巻にはじまるショータイム 加藤ゆみ子
秀句2 母さんから垂れる色とりどりの紐 北村幸子
秀句3 渋滞も好き山がこんなにきれいだぞ 磯松きよし
佳作 金目鯛の彩で離れて行く平成 明名蝶
みぜんれんよう萌黄れんたいほしょうにん 中西素
って言うか ズタズタの傷うつくしい 松谷早苗
曇天の中で虹を生む実験 ひとり静
オジサンは光彩を放って泣いた 森山文切
「彩」という言葉あるいはテーマに即した句もあれば、「彩」から離れて飛躍した句もある。
よく「共感と驚異」ということが言われるが、共感の句もあれば驚異の句もある。選者は自分の川柳観によって選句するが、ストライクゾーンはできるだけ広く構えていたい。
特選1は「彩」という題から『源氏物語』を連想した飛躍感がすごい。題から離れすぎているかもしれないが、雅俗で言えば「桐壺」の王朝文化は「雅」の世界である。「彩」という題から雅やかな色彩をイメージしたのだろう。そういう雅の世界を「ショータイム」で俗の世界に転じている。「ショータイム」で川柳にしているのだ。
秀句2、女性の着物にはいろいろな紐が付いている。カラフルでもあり、「紐」に象徴的な意味を読むこともできる。杉田久女の「花ごろもぬぐやまつわる紐いろいろ」を連想する。
秀句3、渋滞という嫌な状況を風景を楽しむチャンスとしてプラス思考で捉えている。共感の句である。
佳作「金目鯛」は時事句。
「みぜんれんよう」は言葉遊びのおもしろさ。未然→連用→終止→連体の「終止」のところに「萌黄」という色彩をほうり込んだ。すると意味がねじれて「連体」が「連帯」に変質して「連帯保証人」へと文脈がかわる。なかなかの技である。
「って言うか」の口語調。前にあるはずの文脈が隠されている。
「曇天と虹」は矛盾するものの取り合わせ。
「オジサン」の句は共感して読むのもよいし、漫画的に読むのもよいだろう。
その他の句でおもしろいと思ったものを挙げておく。
花芽好きの白い妖精降りてくる 勝又明城
意に添わぬ迷彩服はお脱ぎなさい 吉松澄子
彩りをください生まれたいのです 森田律子
彩ちゃんが買う組立式織姫 岡本聡
押し寄せる彩りさくらサクラさくら 石橋芳山
『船団の俳句』(本阿弥書店)が届いた。
船団の会会員85人の作品を赤青黄白黒の五つのパートに分けて収録したもの。一人につき15句掲載で解説が付く。五人だけ紹介しておく。
亀鳴くやトロンプ・ルイユ出られない 赤坂恒子
笑わないで産卵の途中ですから 小倉喜郎
鳥の巣に鳥がいるとは限らない 久留島元
ワタナベのジュースの素です雲の峰 三宅やよい
大いぬのふぐりはなにを盗んだか 二村典子
二村典子はなかはられいこの「ねじまき句会」にも参加しているが、おもしろい句を書く人である。
明日(4月22日)は京都で「凜 20年記念のつどい」が開催される。
東京では現俳協青年部シンポジウム「俳句の輪郭」。司会・久留島元。パネリスト、秋尾敏、外山一機、青木亮人、安里琉太。行けないのが残念だが、おもしろそうだ。
第六回「ふるさと川柳」の選考結果が掲載されている。この誌上大会は浅利が愛知県半田市から故郷の秋田県に帰ってからはじめたもので、「湖」創刊が2015年10月。以後、半年ごとに応募を実施して六回目になる。
選者は12名、合点制で優秀句を決める。今回の課題は「彩」。
私が選んだ佳作と秀句は次の作品である。
秀句1 桐壺の巻にはじまるショータイム 加藤ゆみ子
秀句2 母さんから垂れる色とりどりの紐 北村幸子
秀句3 渋滞も好き山がこんなにきれいだぞ 磯松きよし
佳作 金目鯛の彩で離れて行く平成 明名蝶
みぜんれんよう萌黄れんたいほしょうにん 中西素
って言うか ズタズタの傷うつくしい 松谷早苗
曇天の中で虹を生む実験 ひとり静
オジサンは光彩を放って泣いた 森山文切
「彩」という言葉あるいはテーマに即した句もあれば、「彩」から離れて飛躍した句もある。
よく「共感と驚異」ということが言われるが、共感の句もあれば驚異の句もある。選者は自分の川柳観によって選句するが、ストライクゾーンはできるだけ広く構えていたい。
特選1は「彩」という題から『源氏物語』を連想した飛躍感がすごい。題から離れすぎているかもしれないが、雅俗で言えば「桐壺」の王朝文化は「雅」の世界である。「彩」という題から雅やかな色彩をイメージしたのだろう。そういう雅の世界を「ショータイム」で俗の世界に転じている。「ショータイム」で川柳にしているのだ。
秀句2、女性の着物にはいろいろな紐が付いている。カラフルでもあり、「紐」に象徴的な意味を読むこともできる。杉田久女の「花ごろもぬぐやまつわる紐いろいろ」を連想する。
秀句3、渋滞という嫌な状況を風景を楽しむチャンスとしてプラス思考で捉えている。共感の句である。
佳作「金目鯛」は時事句。
「みぜんれんよう」は言葉遊びのおもしろさ。未然→連用→終止→連体の「終止」のところに「萌黄」という色彩をほうり込んだ。すると意味がねじれて「連体」が「連帯」に変質して「連帯保証人」へと文脈がかわる。なかなかの技である。
「って言うか」の口語調。前にあるはずの文脈が隠されている。
「曇天と虹」は矛盾するものの取り合わせ。
「オジサン」の句は共感して読むのもよいし、漫画的に読むのもよいだろう。
その他の句でおもしろいと思ったものを挙げておく。
花芽好きの白い妖精降りてくる 勝又明城
意に添わぬ迷彩服はお脱ぎなさい 吉松澄子
彩りをください生まれたいのです 森田律子
彩ちゃんが買う組立式織姫 岡本聡
押し寄せる彩りさくらサクラさくら 石橋芳山
『船団の俳句』(本阿弥書店)が届いた。
船団の会会員85人の作品を赤青黄白黒の五つのパートに分けて収録したもの。一人につき15句掲載で解説が付く。五人だけ紹介しておく。
亀鳴くやトロンプ・ルイユ出られない 赤坂恒子
笑わないで産卵の途中ですから 小倉喜郎
鳥の巣に鳥がいるとは限らない 久留島元
ワタナベのジュースの素です雲の峰 三宅やよい
大いぬのふぐりはなにを盗んだか 二村典子
二村典子はなかはられいこの「ねじまき句会」にも参加しているが、おもしろい句を書く人である。
明日(4月22日)は京都で「凜 20年記念のつどい」が開催される。
東京では現俳協青年部シンポジウム「俳句の輪郭」。司会・久留島元。パネリスト、秋尾敏、外山一機、青木亮人、安里琉太。行けないのが残念だが、おもしろそうだ。
2018年4月14日土曜日
ネットプリントの話‐「当たり」「ウマとヒマワリ」「む犬通信」
最近読んだネットプリントでは「当たり vol.3」がおもしろかった。
大村咲希の短歌と暮田真名の川柳が掲載されている。ここでは暮田真名の作品を紹介する。
コップの水にひそむ交番 暮田真名
毟っても毟らなくても同じだよ
どこまでも続くつがいの隊商は
七七定型と五七五定型の両方で書かれている。
暮田真名といえば「川柳スパイラル」2号の次の作品が好評だ。
いけにえにフリルがあって恥ずかしい 暮田真名
私はこの句について同誌で次のように書いている。
〈 「いけにえ」というのだから危機的な状況にあるはずだが、そんな時にも女の子は羞恥心を失わないのだ。この句は深刻な状況というより、コミックの一場面として軽くとらえるのが正解かもしれない。恥ずかしがっているのが、いけにえにされる方ではなく、いけにえにする方だと読めば無気味さが出てくる。〉
いま考えてみると、恥ずかしがっているのは生贄を見物している群衆かもしれない。私はかつて「処刑場みんなにこにこしているね」という句を作ったことがあって、倉阪鬼一郎『怖い俳句』(幻冬舎新書)に取り上げていただいているが、暮田の句からは恐怖と羞恥と滑稽とが入り混じった複雑な状況を読み取ることができる。
ネットプリントにもだいぶん慣れてきた。
コンビニの機械で番号を打ち込み、お金を入れるとプリントアウトされる。
番号はツイッターなどで告知されるのを控えておく。
ただ、期間が限定されているので、打ち出そうと思っているうちに終了してしまっていることが多い。また、一枚ないし数枚のプリントなので、散逸してしまい保存には適さない。
瀬戸夏子は「現代詩手帖」2月号の短歌時評で、我妻俊樹のネットプリント「天才歌人ヤマダ・ワタル」を紹介している。歌壇についての諷刺的小説で、解説を平岡直子が書いている。
平岡直子と我妻俊樹のコンビでは「ウマとヒマワリ」というネットプリントがある。1号が2月に、2号は手元にないが、3号が4月に出ている。毎号、平岡の短詩型作品と我妻の掌編小説が掲載されている。平岡は1号には短歌、3号には川柳を発表している。ここでは3号の川柳から。
奥義への道が店内を通る 平岡直子
花粉症なのにベンツがきちゃったよ
蛍すべて占いスクールに集まる
木漏れ日のようね手首をねじりあげ
平岡は「川柳スパイラル」2号のゲスト作品にも川柳を発表している。
我妻や平岡の川柳作品は「歌人が書いた川柳」というのではなくて、「川柳」として魅力的な作品になっている。短歌と川柳の関係については微妙な経緯があって、短歌的なものを川柳に導入した第一人者は時実新子である。その場合の「短歌的なもの」というのは大雑把な言い方になるが「私性」ということになる。けれども、近年、他ジャンルを主なフィールドとする表現者が川柳実作を試みる場合に、「私性」とはまた異なった方向性において短歌の感性を川柳形式で表現するようになってきている。それが従来の川柳にとっても刺激になると思っている。
最後に、初谷むいの「む犬通信」。初谷の所属は北海道短歌会で、第一歌集『花は泡、そこにいたって会いたいよ』(書肆侃侃房)が今月刊行される。自選15首がネプリに掲載されているが、三首ご紹介。
イルカがとぶイルカがおちる何も言ってないのにきみが「ん?」と振り向く 初谷むい
カーテンがふくらむ二次性徴みたい あ 願えば春は永遠なのか
酔いながら君を見つける水中で唾を吐いたらきれいだろうか
ネットプリントは読者にとって数十円という安価で購入することができる発信手段だが、コンビニへ行く機会がないままに期間が過ぎてしまったり、ツイッターなどで告知される番号を控えてゆかないといけないので読者範囲が限定される。1、2枚のペーパーなのでよほどの愛読者でない限り読んだら散逸してしまい保存には向かないが、ネットプリントを資料として保存しようという文学館も出てきているようだ。
大村咲希の短歌と暮田真名の川柳が掲載されている。ここでは暮田真名の作品を紹介する。
コップの水にひそむ交番 暮田真名
毟っても毟らなくても同じだよ
どこまでも続くつがいの隊商は
七七定型と五七五定型の両方で書かれている。
暮田真名といえば「川柳スパイラル」2号の次の作品が好評だ。
いけにえにフリルがあって恥ずかしい 暮田真名
私はこの句について同誌で次のように書いている。
〈 「いけにえ」というのだから危機的な状況にあるはずだが、そんな時にも女の子は羞恥心を失わないのだ。この句は深刻な状況というより、コミックの一場面として軽くとらえるのが正解かもしれない。恥ずかしがっているのが、いけにえにされる方ではなく、いけにえにする方だと読めば無気味さが出てくる。〉
いま考えてみると、恥ずかしがっているのは生贄を見物している群衆かもしれない。私はかつて「処刑場みんなにこにこしているね」という句を作ったことがあって、倉阪鬼一郎『怖い俳句』(幻冬舎新書)に取り上げていただいているが、暮田の句からは恐怖と羞恥と滑稽とが入り混じった複雑な状況を読み取ることができる。
ネットプリントにもだいぶん慣れてきた。
コンビニの機械で番号を打ち込み、お金を入れるとプリントアウトされる。
番号はツイッターなどで告知されるのを控えておく。
ただ、期間が限定されているので、打ち出そうと思っているうちに終了してしまっていることが多い。また、一枚ないし数枚のプリントなので、散逸してしまい保存には適さない。
瀬戸夏子は「現代詩手帖」2月号の短歌時評で、我妻俊樹のネットプリント「天才歌人ヤマダ・ワタル」を紹介している。歌壇についての諷刺的小説で、解説を平岡直子が書いている。
平岡直子と我妻俊樹のコンビでは「ウマとヒマワリ」というネットプリントがある。1号が2月に、2号は手元にないが、3号が4月に出ている。毎号、平岡の短詩型作品と我妻の掌編小説が掲載されている。平岡は1号には短歌、3号には川柳を発表している。ここでは3号の川柳から。
奥義への道が店内を通る 平岡直子
花粉症なのにベンツがきちゃったよ
蛍すべて占いスクールに集まる
木漏れ日のようね手首をねじりあげ
平岡は「川柳スパイラル」2号のゲスト作品にも川柳を発表している。
我妻や平岡の川柳作品は「歌人が書いた川柳」というのではなくて、「川柳」として魅力的な作品になっている。短歌と川柳の関係については微妙な経緯があって、短歌的なものを川柳に導入した第一人者は時実新子である。その場合の「短歌的なもの」というのは大雑把な言い方になるが「私性」ということになる。けれども、近年、他ジャンルを主なフィールドとする表現者が川柳実作を試みる場合に、「私性」とはまた異なった方向性において短歌の感性を川柳形式で表現するようになってきている。それが従来の川柳にとっても刺激になると思っている。
最後に、初谷むいの「む犬通信」。初谷の所属は北海道短歌会で、第一歌集『花は泡、そこにいたって会いたいよ』(書肆侃侃房)が今月刊行される。自選15首がネプリに掲載されているが、三首ご紹介。
イルカがとぶイルカがおちる何も言ってないのにきみが「ん?」と振り向く 初谷むい
カーテンがふくらむ二次性徴みたい あ 願えば春は永遠なのか
酔いながら君を見つける水中で唾を吐いたらきれいだろうか
ネットプリントは読者にとって数十円という安価で購入することができる発信手段だが、コンビニへ行く機会がないままに期間が過ぎてしまったり、ツイッターなどで告知される番号を控えてゆかないといけないので読者範囲が限定される。1、2枚のペーパーなのでよほどの愛読者でない限り読んだら散逸してしまい保存には向かないが、ネットプリントを資料として保存しようという文学館も出てきているようだ。
2018年4月6日金曜日
六条御息所的今夜(笹田かなえ)
4月4日に春の散歩会が開催され、京都御苑の吟行と句会に26名が参加した。
この集まりは旧・点鐘散歩会が解散したあと、中野六助・徳永政二・笠嶋恵美子・本多洋子が中心となって春と秋に開催されている。京都御苑の紅枝垂れ桜が満開で、京都御所の一般公開もはじまっていて、王朝文化の雰囲気を楽しむことができた。
青森から笹田かなえと守田啓子が参加した。この二人は「川柳作家ベストコレクション」(新葉館)から句集を出したところなので、少し紹介してみたい。
六条御息所的今夜 笹田かなえ
六条御息所は『源氏物語』に登場する光源氏の年上の恋人である高貴な女性である。
このよく知られている人名に「~的今夜」を続けて、現在の心情を表現している。喚起力の強い作品である。作者自身、句集の顔となる作品として選んでいる。
この句が題詠であると言えば、川柳に馴染のない人は驚くであろうか。「夜」という題だったかなと思って調べてみると、「息」という題だった。第20回杉野土佐一賞応募作品。
創作過程を想像してみると、「息」という題から作者は「六条御息所」を思い浮かべた。この発想はなかなか凄い。題はテーマや素材であるが、作句の出発点でもある。ここからどこまで発想を飛躍させることができるか。さらに作者はこれに「~的今夜」を付けることによって古典世界を現代化してみせた。六条御息所のような心の奥深くコントロールできない嫉妬や恨みは誰でも多かれ少なかれ経験するものである。
この句を秀逸に選んだ広瀬ちえみは選評で次のように書いている。
〈 「息」という題をはずしてやりたくなったのが本心。「ろくじょうのみやすんどころてきこんや」のうち「てきこんや」だけが作者のことばだ。しかしやられたなと思った。六条御息所の激しさがこの現代に生き生きと出現していると感じた。そして表記が漢字だけという作者の知的なことば遊び感覚が成功していると思う。六条御息所が好きだという女性が多いという。それは、嫉妬深くも知性も身分もあり毅然としており、(男性が苦手とする)六条御息所の存在が物語をおもしろくしているからである。あきられ訪ねても来やしない今夜。「的」が笑わせてくれる。六条御息所がユーモアになるなんて今日の今日まで知らなかったなあ。六条御息所にむける作者の視線に余裕が感じられる。 〉
人名を使った作品はたくさん書かれているが、作者は「~的今夜」で川柳にしているのだ。「~的」という言葉は川柳で見かけることもあるが、この句では効果的に使われている。
題詠として読むと「息」とは離れすぎているという問題や批判もあるかもしれない。けれども、こうして句集に収録されると、題詠の痕跡は消え、一個の独立した作品として読者の前に立ち現われてくるのである。
わたし、ずっとずっとの「っ」です よろしくね! 守田啓子
口語を生かした川柳である。
川柳は発生の当初から口語発想・口語文体である。文語から口語に移行した俳句とはその点で異なる。現代川柳の、特に女性川柳人の作品に口語を生かしたものが多く見られる。
言葉や文字そのものを素材に使う川柳は既視感があるが、促音の「っ」をクローズアップしたこの句は新鮮でおもしろい。
「よろしくね!」まで言うのは言い過ぎだと感じる向きもあるかも知れないが、そこまで言ってしまうのが川柳だろう。〈ずっとの「っ」です〉と言われても何のことか分からないような気もするし、どういう人なのか何となく分かるような気もする。明るさが伝わるので、ルサンチマンではない川柳にも魅力がある。
笹田と守田は昨年5月に「川柳カモミール」第1号を発行した。メンバーはこの二人のほかに三浦潤子・滋野さち・横澤あや子など。結社ではなく、川柳を書いたり読んだり吟行や句会をする数名のグループによる活動である。
「カモミール」のようなやり方はこれからの川柳のひとつのモデルになると思う。結社や大グループを否定するものではないが、少数のグループによる自由で小回りのきく川柳活動は川柳の活性化の方向性として重要である。現在は地域や生活圏を越えて、さまざまな人とつながる手段がいろいろあるから、県や地域性にこだわらないネットワークがどんどん広がってゆけばいいと思っている。
この集まりは旧・点鐘散歩会が解散したあと、中野六助・徳永政二・笠嶋恵美子・本多洋子が中心となって春と秋に開催されている。京都御苑の紅枝垂れ桜が満開で、京都御所の一般公開もはじまっていて、王朝文化の雰囲気を楽しむことができた。
青森から笹田かなえと守田啓子が参加した。この二人は「川柳作家ベストコレクション」(新葉館)から句集を出したところなので、少し紹介してみたい。
六条御息所的今夜 笹田かなえ
六条御息所は『源氏物語』に登場する光源氏の年上の恋人である高貴な女性である。
このよく知られている人名に「~的今夜」を続けて、現在の心情を表現している。喚起力の強い作品である。作者自身、句集の顔となる作品として選んでいる。
この句が題詠であると言えば、川柳に馴染のない人は驚くであろうか。「夜」という題だったかなと思って調べてみると、「息」という題だった。第20回杉野土佐一賞応募作品。
創作過程を想像してみると、「息」という題から作者は「六条御息所」を思い浮かべた。この発想はなかなか凄い。題はテーマや素材であるが、作句の出発点でもある。ここからどこまで発想を飛躍させることができるか。さらに作者はこれに「~的今夜」を付けることによって古典世界を現代化してみせた。六条御息所のような心の奥深くコントロールできない嫉妬や恨みは誰でも多かれ少なかれ経験するものである。
この句を秀逸に選んだ広瀬ちえみは選評で次のように書いている。
〈 「息」という題をはずしてやりたくなったのが本心。「ろくじょうのみやすんどころてきこんや」のうち「てきこんや」だけが作者のことばだ。しかしやられたなと思った。六条御息所の激しさがこの現代に生き生きと出現していると感じた。そして表記が漢字だけという作者の知的なことば遊び感覚が成功していると思う。六条御息所が好きだという女性が多いという。それは、嫉妬深くも知性も身分もあり毅然としており、(男性が苦手とする)六条御息所の存在が物語をおもしろくしているからである。あきられ訪ねても来やしない今夜。「的」が笑わせてくれる。六条御息所がユーモアになるなんて今日の今日まで知らなかったなあ。六条御息所にむける作者の視線に余裕が感じられる。 〉
人名を使った作品はたくさん書かれているが、作者は「~的今夜」で川柳にしているのだ。「~的」という言葉は川柳で見かけることもあるが、この句では効果的に使われている。
題詠として読むと「息」とは離れすぎているという問題や批判もあるかもしれない。けれども、こうして句集に収録されると、題詠の痕跡は消え、一個の独立した作品として読者の前に立ち現われてくるのである。
わたし、ずっとずっとの「っ」です よろしくね! 守田啓子
口語を生かした川柳である。
川柳は発生の当初から口語発想・口語文体である。文語から口語に移行した俳句とはその点で異なる。現代川柳の、特に女性川柳人の作品に口語を生かしたものが多く見られる。
言葉や文字そのものを素材に使う川柳は既視感があるが、促音の「っ」をクローズアップしたこの句は新鮮でおもしろい。
「よろしくね!」まで言うのは言い過ぎだと感じる向きもあるかも知れないが、そこまで言ってしまうのが川柳だろう。〈ずっとの「っ」です〉と言われても何のことか分からないような気もするし、どういう人なのか何となく分かるような気もする。明るさが伝わるので、ルサンチマンではない川柳にも魅力がある。
笹田と守田は昨年5月に「川柳カモミール」第1号を発行した。メンバーはこの二人のほかに三浦潤子・滋野さち・横澤あや子など。結社ではなく、川柳を書いたり読んだり吟行や句会をする数名のグループによる活動である。
「カモミール」のようなやり方はこれからの川柳のひとつのモデルになると思う。結社や大グループを否定するものではないが、少数のグループによる自由で小回りのきく川柳活動は川柳の活性化の方向性として重要である。現在は地域や生活圏を越えて、さまざまな人とつながる手段がいろいろあるから、県や地域性にこだわらないネットワークがどんどん広がってゆけばいいと思っている。