石部明は2012年10月27日に亡くなったから、本日はちょうど没後5年に当たる。
川柳人の作品は作者がいなくなると同時に風化し、忘れ去られてゆくのが常であるが、石部の作品は没後も読み継がれ、語り継がれるだけの内実をもっている。
石部の作品を読み直すひとつの契機として、八上桐子と私で「THANATOS」というフリーペーパーを発行している。第一号が2015年9月、第二号が2016年9月、第三号が2017年9月にそれぞれ発行されている。石部明の作品50句選と石部語録、あと石部論が二本という簡便なものだが、けっこう準備には手間がかかっている。年一回発行で次の四期に分けて石部明の川柳を読み解こうとしている。
第一期 1977年~1986年(38歳~47歳) 「マスカット」「展望」
第二期 1987年~1995年(48歳~56歳) 「川柳塾」「新思潮」『賑やかな箱』
第三期 1996年~2002年(57歳~63歳) 「川柳大学」「MANO」『現代川柳の精鋭たち』『遊魔系』
第四期 2003年~2012年(64歳~73歳) 「バックストローク」「Field」
資料収集については、たとえば「THANATOS 1/4」(第一期)の「マスカット」は小池が、「展望」については八上が担当し、雑誌掲載作品を調べたうえで、50句を選出している。「マスカット」「川柳塾」の資料は前田一石に提供を仰ぎ、石部の自伝「私の歩んだ道」(「ぜんけんそうれん」連載)については石田柊馬からコピーをいただいた。
雑誌に発表された初出の句を読んでいると、句集における完成形とはまた違った姿を垣間見ることができ、石部の作句のプロセスが納得されたり、いろいろな発見がある。詳しいことは「THANATOS」を読んでいただきたい。
石部明が「死」をモチーフにしたのはなぜだろうと以前から考えていたが、彼に影響を与えた川柳人が存在するように思われる。「THANATOS 1/4」で私は平野みさと行本みなみの名を挙げておいた。最近になって、石部に影響を与えた川柳人として、海地大破の存在が大きいのではないかと思うようになった。大破の川柳に「死」のモチーフが頻出することは、このブログの10月6日の文章で触れておいた。
さて、石部明の川柳活動は作品の発表だけではなくて、川柳をさまざまなイベントと連動させているところが特徴的である。「シンポジウム+大会」という形態は今では特に珍しくはないだろうが、「バックストローク」時代に彼が強力に推し進めたものであり、「バックストロークin ~」と銘打って各地で開催されたのであった。「THANATOS 2/4」では「おかやまの風・6」について、「THANATOS 3/4」では「川柳ジャンクション」について触れている。
「THANATOS 3/4」は「バックストローク」創刊の手前で終っている。来年の「THANATOS 4/4」では石部明をどのようにとらえたらよいだろうか。こういうささやかなフリーペーパーであっても、回を重ねるにつれて書くのが苦しくなる。同じことばかり繰り返しても仕方がないからだ。石部明のことを偲びつつ、ゆっくり考えていきたいと思っている。
最後に石部明の句を30句載せておく。忘れないことが大切だ。
琵琶湖などもってのほかと却下する
チベットへ行くうつくしく髪を結い
月光に臥すいちまいの花かるた
アドリブよ確かに妻をころせたか
バスが来るまでのぼんやりした殺意
穴掘りの名人が来て穴を掘る
梯子にも轢死体にもなれる春
水掻きのある手がふっと春の空
神の国馬の陣痛始りぬ
雑踏のひとり振り向き滝を吐く
軍艦の変なところが濡れている
国境は切手二枚で封鎖せよ
かげろうのなかのいもうと失禁す
性愛はうっすら鳥の匂いせり
男娼にしばらく逢わぬ眼の模型
栓抜きを探しにいって帰らない
鏡から花粉まみれの父帰る
ボクシングジムへ卵を生みにゆく
息絶えて野に強靭な顎一個
舌が出て鏡の舌と見つめあう
オルガンとすすきになって殴りあう
死者の髭すこうし伸びて雪催い
鳥かごを出れば太古の空があり
死ぬということうつくしい連結器
一族が揃って鳥を解体す
どの家も薄目で眠る鶏の村
わが喉を激しく人の出入りせり
轟音はけらくとなりぬ春の駅
入り口のすぐ真後ろがもう出口
縊死の木か猫かしばらくわからない
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