10月19日(日)
大阪天満宮の梅香学院で「浪速の芭蕉祭」が開催された。
芭蕉終焉の地である大阪にちなんでスタートしたこの連句会も今年で八回目を迎える。
主催の「鷽の会」は天満宮のお使いである「鷽(うそ)」を会名にしており、「鷽替え」という俳句の季語もある。
今回は28名の参加者があり、本殿参拝のあと、授賞式と講評、四座にわかれて連句の実作を楽しんだ。
献詠の連句・前句付・川柳を事前に募集しており、連句の部では、大阪天満宮賞(選者・臼杵游児)として、非懐紙「束の間の」の巻(捌・福永千晴)、大阪天満宮宮司賞(選者・佛渕健悟)として、十八韻 順候式雪月花「夏怒濤」の巻(赤坂恒子・岡本信子両吟)が受賞した。
束の間の逍遥遊や虹の橋 千晴
端折る裾も軽き早乙女 美奈子
富める者易き眠りの得難うて 秋扇
打てば響ける会話愉しく 緋紗
仕組まれし宴まばゆき良夜なる 将義
ナルシスト等は囮籠持ち 美奈子
「束の間」の巻の最初の六句。非懐紙は橋閒石が創始し、澁谷道などが継承している。現代連句の究極のかたちとも考えられ、今回の「浪速の芭蕉祭」では三席にも非懐紙「思い出し笑ひ」の巻が入選している。歌仙を巻き尽くしたあとにはじめて見えてくる、連句精神だけで付け、転じてゆく世界である。この大賞作品は尻取り式になっていて、遊戯的要素を取り入れたのがよかったのかどうか、評価は微妙に分かれるだろう。
夏怒濤くちびる別れ告げにけり 岡本信子
夾竹桃の赤き残像 赤坂恒子
もうひとつの大賞十八韻・順候式雪月花「夏怒濤」の巻は発句と脇だけを挙げておく。
ほかに大阪環状線の駅名を詠み込んだ「佳き月を」の巻(木村ふう独吟)、半歌仙「戦の日」の巻 (洛中落胡・迷鳥子両吟)、押韻定型詩を連句に取り入れたテルツァ・リーマ「聖衣」の巻(捌・渡辺柚)など注目すべき作品は多い。
前句付の部(前句「女子高生にモテモテのキャラ」、下房桃菴 選)の大賞作品。
仙人が猿の腰掛けぶら下げて 矢崎硯水
そして、川柳の部(兼題「満」、樋口由紀子 選)の特選。
無理やりに割り込むおばちゃんがいて満月 徳山泰子
連句関係のイベントとして、11月30日(日)には伊丹の柿衞文庫で「和漢連句に親しむ会」が開催予定である。
10月26日(日)
「びわこ番傘川柳会60周年記念大会」が滋賀県草津のボストンプラザホテルで開催。草津ははじめてなので午前中に到着し、本陣などを観光した。ハロウィンの催しがあり、カボチャの仮面をかぶったり、魔女の格好をした子どもたちが街中を走り回っていたのには驚いた。
「びわこ番傘」は「番傘」のなかでも独自の行き方をしている。番傘であって番傘にあらず。とはいえ披講を聞いていると、やはり「番傘」だと思ったり、いや「番傘」ではないと思ったり、どういう句を出せばよかったのかと迷った。
当日もらった今井和子句集『象と出会って』(あざみエージェント)から。
横にいて時々水をかけてやる 今井和子
入り口でウツボカズラに睨まれて
群れて飛ぶやがてひとりになっている
壱岐島で赤いポストに入れました
マネキンの裸なんでもないはだか
グアテマラの元気ないろを買いました
ざわざわと帰ったあとの金魚鉢
人生の残りは柿の木になろう
10月29日(水)
大阪・宗衛門町のロフト・プラス・ワン・ウエストで枡野浩一と藤井良樹のトーク・イベントがあり、行ってみる。藤井は『プリズン・ガール』などの著書のあるライター。
第一部は枡野と藤井のトーク。
「枡野短歌教」以後のことはあまり知らないので、枡野がお笑い芸人になっているというのには驚いた。サブカルの話にはよく分らないところもあった。
第二部に入り、会場から天野慶と正岡豊が参加し、短歌プロパーの話になった。こちらの方は私にもよく理解できた。
「20年短歌で食ってきた」というのがメイン・テーマだったようで、歌壇と距離をおきつつ、枡野が戦ってきた軌跡がわかった。
マーケットが成立しない川柳の世界とは無縁の話だという気もするが、この人たちが短歌のためにいろいろやってきたことは人ごとではない。さまざまな努力や試みは徒労に終わることが多いが、短歌や俳句を横目にあとから走っている川柳人にとっては、まだできることが残っている。
「MANO」19号に書いた拙文「河野春三伝説」について、大井恒行は「現代川柳はまだまだ希望を胚胎している詩形」と書いてくれたが、様々な試みをやり尽くした短歌・俳句にくらべて、まだ素朴な川柳には「希望」があるのかもしれないと勝手に思った。
2014年10月31日金曜日
2014年10月24日金曜日
「第二回川柳遊魔系」集会
本日は「第二回川柳遊魔系」にお集まりいただき、ありがとうございました。
石部明さんが2012年10月27日にお亡くなりになってから、二年が経過しようとしています。昨年の10月27日には大阪市立総合生涯学習センターで「川柳・遊魔系」句会を開催しました。今年も第二回を開催しようと思っていたのですが、諸般の事情で開催することができませんでした。そのかわりと言うのも変ですが、このブログを借りて、架空の「遊魔系」集会を行いたいと思い立ちました。しばらくおつきあいくださいますようお願いいたします。
昨年は「『遊魔系』に見る無頼の生き方」というタイトルでお話させていただきました。石部明の作品を「現実との違和」「もうひとつの世界」「帰ってから」の三つに分け、異界に行って帰ってくるという石部ワールドを往相・還相の観点から整理してみました。
今回は「石部明における『死』のテーマ」ということでお話したいと思います。
石部明の第一句集『賑やかな箱』(1988年)に次のような句があります。
消えてゆくものの微かな摩擦音 石部明
賑やかに片付けられている死体
なんでもないように死体を裏返す
向きおうて死者も生者もめしを食う
葬式に人がくるくる花日和
これらの句を引用したあと、前田一石さんは「川柳カード」6号「石部明とのいろいろ」で「当時の川柳界で『死』を詠むことは、嫌がられていた。と言うよりも誰もが句にしなかった」と書いておられます。
それでは、石部明以前の川柳において「死」はどのように詠まれていたでしょうか。
死に切って嬉しさうなる顔二つ 柳多留
生まれては苦界死しては淨閑寺 花又花酔
六兵衛は死んだそうだよ風が吹く 大谷五花村
葬式で会いぼろいことおまへんか 須崎豆秋
轢死者の下駄が歩こうとする 中村冨二
心中や社会批判やユーモアなど、人間くさい川柳は「死」を詠む場合でも生者の視点から離れません。ただし、中村冨二だけは少し異質です。『賑やかな箱』で石部明は「死」というテーマを発見しました。その後、『遊魔系』で深められることになる契機が第一句集にあります。
ところで、俳句では「死」がどのように詠まれているか、一瞥しておきます。
雉子の眸のかうかうとして売られけり 加藤楸邨
螢死すこの世のひかり出し尽くし 鷹羽狩行
俳句の場合は「もの」に即して、動物や植物の死を詠んでいる場合が多いようですが、次のように人間くさい句もあります。
うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする 種田山頭火
露の世はつゆの世ながらさりながら 小林一茶
これらは川柳とも近い感じがします。また、俳句では「忌日」という季題があります。先人の亡くなった時期にちなんで、「~忌」という季語を使います。
忌にこもるこころ野に出で若菜摘む 細見綾子
花あれば西行の日とおもふべし 角川源義
女流では、やはり次の二人の句が心をうちます。
月光にいのち死にゆくひとと寝る 橋本多佳子
白露や死んでゆく日も帯締めて 三橋鷹女
さて、石部明の川柳に話を戻しましょう。
川柳に詠まれる「死」は生者の視点から眺められることが多かったようです。ところが、石部明は「異界」の方へ行ってしまった。死の世界は、現実とは次元の異なるもうひとつの世界であって、現実は異界と二重写しになってとらえられています。異界は同時に言葉によって構築される世界、文学の世界でもありました。
第二句集『遊魔系』を読むと現実の中に異界を見る句が目立ちます。「死」の前に「魔」があるわけです。
天井の鏡の中を魔が通る 石部明
水掻きのあるてがふっと春の空
傘濡れて家霊のごとく畳まれる
目隠しをされ禁色の鮫になり
日常生活の中で「魔」や「水掻きのある手」がふっと幻視されます。石部明ほど現実を知り尽くしている人はいないはずなのに、彼はもうひとつの世界の中でも生きていた。そして異界から現実を眺めかえして川柳を書いていたのではないでしょうか。内部に二つの世界をかかえていることは、明さんの場合、矛盾ではないと思っていましたが、句集を読み返してみると、こんな句もありました。
夜ごと樹は目覚めてわれを取り囲む
苦しんで夜明けをまっているさくら
折鶴のほどかれてゆく深夜かな
夜はロマン派の世界であり、魔の跳梁しやすい時間でもあります。それは解放でもあり、同時に苦しみであったかもしれません。
以前から気になっていたのは次の句です。
揺さぶれば鰯五百の眼をひらく
それまで死んでいた鰯を揺さぶると一斉に眼をひらくというのです。
魚には瞼がありませんから、眼をひらくということ自体が虚構です。
しかし、鰯たちが突如五百の眼をひらいてこちらを見るというのは無気味でもあり、爽快でもあります。
石部明の作品にはさまざまな面があり、たとえば「性」もそのひとつです。「性」については次の機会にいたしましょう。最後に引用しておきたい句といえば、やはり次の句になるでしょうか。
死顔の布をめくればまた吹雪
人生の結末を言えば、すべての人は死で終わるわけです。終末を考えればニヒリズムは避けられません。しかし、人生には結末だけではなく、プロセスがあります。結末の時間があるからといって、それまでの時間に価値がないとは言えない。おおかたの川柳人は亡くなると忘れられてしまうのが普通です。追悼句会を行って、あとはきれいさっぱり忘れられてゆく川柳人の運命を私もしばしば目にしてきました。ニヒリズムの克服は大切なことです。
晩年の明さんがよく聞いていたというCDに一青窈「歌窈曲」があります。
今夜もこれを聞きながら石部明のことを考えています。
10月27日は明さんが亡くなって丸二年になります。石部明の川柳について改めて考える機会にしていただければありがたいです。ご清聴ありがとうございました。
石部明さんが2012年10月27日にお亡くなりになってから、二年が経過しようとしています。昨年の10月27日には大阪市立総合生涯学習センターで「川柳・遊魔系」句会を開催しました。今年も第二回を開催しようと思っていたのですが、諸般の事情で開催することができませんでした。そのかわりと言うのも変ですが、このブログを借りて、架空の「遊魔系」集会を行いたいと思い立ちました。しばらくおつきあいくださいますようお願いいたします。
昨年は「『遊魔系』に見る無頼の生き方」というタイトルでお話させていただきました。石部明の作品を「現実との違和」「もうひとつの世界」「帰ってから」の三つに分け、異界に行って帰ってくるという石部ワールドを往相・還相の観点から整理してみました。
今回は「石部明における『死』のテーマ」ということでお話したいと思います。
石部明の第一句集『賑やかな箱』(1988年)に次のような句があります。
消えてゆくものの微かな摩擦音 石部明
賑やかに片付けられている死体
なんでもないように死体を裏返す
向きおうて死者も生者もめしを食う
葬式に人がくるくる花日和
これらの句を引用したあと、前田一石さんは「川柳カード」6号「石部明とのいろいろ」で「当時の川柳界で『死』を詠むことは、嫌がられていた。と言うよりも誰もが句にしなかった」と書いておられます。
それでは、石部明以前の川柳において「死」はどのように詠まれていたでしょうか。
死に切って嬉しさうなる顔二つ 柳多留
生まれては苦界死しては淨閑寺 花又花酔
六兵衛は死んだそうだよ風が吹く 大谷五花村
葬式で会いぼろいことおまへんか 須崎豆秋
轢死者の下駄が歩こうとする 中村冨二
心中や社会批判やユーモアなど、人間くさい川柳は「死」を詠む場合でも生者の視点から離れません。ただし、中村冨二だけは少し異質です。『賑やかな箱』で石部明は「死」というテーマを発見しました。その後、『遊魔系』で深められることになる契機が第一句集にあります。
ところで、俳句では「死」がどのように詠まれているか、一瞥しておきます。
雉子の眸のかうかうとして売られけり 加藤楸邨
螢死すこの世のひかり出し尽くし 鷹羽狩行
俳句の場合は「もの」に即して、動物や植物の死を詠んでいる場合が多いようですが、次のように人間くさい句もあります。
うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする 種田山頭火
露の世はつゆの世ながらさりながら 小林一茶
これらは川柳とも近い感じがします。また、俳句では「忌日」という季題があります。先人の亡くなった時期にちなんで、「~忌」という季語を使います。
忌にこもるこころ野に出で若菜摘む 細見綾子
花あれば西行の日とおもふべし 角川源義
女流では、やはり次の二人の句が心をうちます。
月光にいのち死にゆくひとと寝る 橋本多佳子
白露や死んでゆく日も帯締めて 三橋鷹女
さて、石部明の川柳に話を戻しましょう。
川柳に詠まれる「死」は生者の視点から眺められることが多かったようです。ところが、石部明は「異界」の方へ行ってしまった。死の世界は、現実とは次元の異なるもうひとつの世界であって、現実は異界と二重写しになってとらえられています。異界は同時に言葉によって構築される世界、文学の世界でもありました。
第二句集『遊魔系』を読むと現実の中に異界を見る句が目立ちます。「死」の前に「魔」があるわけです。
天井の鏡の中を魔が通る 石部明
水掻きのあるてがふっと春の空
傘濡れて家霊のごとく畳まれる
目隠しをされ禁色の鮫になり
日常生活の中で「魔」や「水掻きのある手」がふっと幻視されます。石部明ほど現実を知り尽くしている人はいないはずなのに、彼はもうひとつの世界の中でも生きていた。そして異界から現実を眺めかえして川柳を書いていたのではないでしょうか。内部に二つの世界をかかえていることは、明さんの場合、矛盾ではないと思っていましたが、句集を読み返してみると、こんな句もありました。
夜ごと樹は目覚めてわれを取り囲む
苦しんで夜明けをまっているさくら
折鶴のほどかれてゆく深夜かな
夜はロマン派の世界であり、魔の跳梁しやすい時間でもあります。それは解放でもあり、同時に苦しみであったかもしれません。
以前から気になっていたのは次の句です。
揺さぶれば鰯五百の眼をひらく
それまで死んでいた鰯を揺さぶると一斉に眼をひらくというのです。
魚には瞼がありませんから、眼をひらくということ自体が虚構です。
しかし、鰯たちが突如五百の眼をひらいてこちらを見るというのは無気味でもあり、爽快でもあります。
石部明の作品にはさまざまな面があり、たとえば「性」もそのひとつです。「性」については次の機会にいたしましょう。最後に引用しておきたい句といえば、やはり次の句になるでしょうか。
死顔の布をめくればまた吹雪
人生の結末を言えば、すべての人は死で終わるわけです。終末を考えればニヒリズムは避けられません。しかし、人生には結末だけではなく、プロセスがあります。結末の時間があるからといって、それまでの時間に価値がないとは言えない。おおかたの川柳人は亡くなると忘れられてしまうのが普通です。追悼句会を行って、あとはきれいさっぱり忘れられてゆく川柳人の運命を私もしばしば目にしてきました。ニヒリズムの克服は大切なことです。
晩年の明さんがよく聞いていたというCDに一青窈「歌窈曲」があります。
今夜もこれを聞きながら石部明のことを考えています。
10月27日は明さんが亡くなって丸二年になります。石部明の川柳について改めて考える機会にしていただければありがたいです。ご清聴ありがとうございました。
2014年10月17日金曜日
京博へ行けばカエル・パワーがもらえる
美術の秋である。
いくつか話題の展覧会が開催されている。
先週発表しようと書きかけた文章が今週になってしまったので、すでに開催が終わったり、展示替えになったものも多いがご了解いただきたい。
京都国立博物館で平成知新館がオープンした。すでにご覧になった方もおられるだろうが、常設展「京へのいざない」が開催中。
私が見たときは2階の絵画室が充実していて、「源頼朝像」「平重盛像」のほか雪舟が3枚、如拙の「瓢鮎図」、伝徽宗「秋景冬景山水図」、牧谿「遠浦帰帆図」などが陳列されていた。(現在は第二期に入り、陳列替えになっている)。
小学校六年生のときにはじめて京博を訪れてから、ここは私にとって大切な場所のひとつである。新館が平成知新館になってもそのことは変わらない。
たとえば、如拙の「瓢鮎図」。
つるつるした瓢箪でぬるぬるした鯰をどう押さえるかという禅の公案がある。ちなみに「瓢鮎図」の「鮎」は鯰のことである。男の眼と鯰との間に瓢箪がある。瓢箪を鯰の方に徐々に近づけてゆく。するとある位置で、男の視界において鯰は見事に瓢箪の中に隠れるのだ。思えば、かつての私は観念論者だった。
花田清輝に「ナマズ考」という文章がある(『日本のルネサンス人』)。
花田は「瓢鮎図」の男を個人主義者と見る。徹底的な個人主義者だったその男は地震が起こると瓢箪をたずさえて竹藪に逃げ込んだ。彼は地震のおさまるのを待ちながら、悠々と瓢箪の酒を傾けていた。ところが、彼は一匹の大鯰が流れを泳いでくるのを見たのだ。古来、鯰は地震の元凶と言われている。彼は思わず瓢箪を振りかざしたまま、夢中で鯰に向かって突進していった。
花田はこんなふうに書いている。
「しかし、瓢箪でナマズを押えることは、しょせん、無理な相談であって、何遍やってみても、かれの企ては、そのつど、無惨にも挫折した。にもかかわらず、かれは、必死になって、ナマズを追い続けた。そして、わたしには、問題の『瓢鮎図』が、最後にかれの行動に移ろうとした決定的瞬間を、あざやかにとらえているような気がしてならないのだ」
「わたしは、飛んだり、跳ねたり、大騒ぎをしながら、小川を泳ぎくだってくるナマズをみても、指一本うごかそうとはしない冷静な男の分別を、かならずしも過小評価するものではないが―しかし、不可能の可能性を信じて、瓢箪でナマズを押えつけようとする騒騒しい男のなりふりかまわぬ無分別な行動をせせら笑おうとはさらさらおもわない。くりかえしていうが、そこには、個人主義の枠のなかにおさまりきれない、やむにやまれぬ何かがある」
如拙の「瓢鮎図」から随分離れた感想であり、花田にしては珍しく熱くなっているのも面白いが、この文章を読んで以来、如拙の「瓢鮎図」は私のなかで花田テーゼと結びついたものとなっている。
もう一枚、牧谿の「遠浦帰帆図」に触れておこう。湖を帆船が帰ってくる。岸に向かって対角線の構図が心地よい。絵の全体をおおう雨と水蒸気。ターナーが色彩で描いた世界を墨一色で描ききっている。岸には酒旗がひるがえり、居酒屋でいっぱいやってみたい気分に誘われる。この絵は、ほれぼれと立ち去りがたい名品である。
水墨画とか書斎詩画軸というものが長い間、私にはなじめなかったが、こういうものは現実や人間の醜悪な姿を見尽くしたうえで、はじめてその気韻のすばらしさがわかる。政治家や実業家が茶の湯や水墨の世界にひかれるのも理由のあることで、現実の醜さを知り尽くしているからこそ、書斎における静謐な世界が必要であって、心のバランスをとることができるのだ。
「京へのいざない」は展示替えをして10月15日から第二期。京博では特別展「鳥獣戯画と高山寺」も始まっている。「鳥獣戯画」のカエルやウサギたちから私は今までどれだけ笑いとパワーをもらったことだろう。
すでに終了したが香雪美術館では「曾我蕭白展」が開催された。
「蕭白展」は2005年に大きな展覧会が京博であったが、今回は小規模ながらいくつかの名品が陳列されている。香雪美術館所蔵の「鷹図」は色彩の美しいものだし、「獏図杉戸」(朝田寺)などの異形の絵が印象的だった。
数十年前になるが、高校生のときに二条城で「異端の画家」という展覧会が開催され、私は学校をさぼって見に行った。そのとき私は若冲・蕭白・蘆雪などをはじめて見た。1970年ごろ、「異端」というのは魅力的な語であった。その後、「異端派」は「奇想派」と名前を変え、その分パワーを失って、一般に受け入れられるようになった。
伊丹の柿衞文庫では「芭蕉生誕370年展」が開催中。
柿衞文庫は開館30周年を迎える。この30年間の新出作品などを集めて開催されている。
平成5年(1993年)は芭蕉没後300年記念で、柿衞文庫と出光美術館で大規模な芭蕉展が開催された。そのときは120点の作品が一堂に会し、破笠筆「芭蕉翁像」や西村本「奥の細道」、蕪村筆「奥の細道屏風」などを見ることができた。そのときと比べると今回の展覧会は小規模で専門的である。破笠筆芭蕉翁像は今回も出ていたが、前期だけで現在は展示替えで出ていない。芭蕉筆「旅路の画巻」などは見てわかりやすいものである。
現在は後期で11月3日まで開催。
芭蕉に関連して、10月19日には大阪天満宮で「第八回浪速の芭蕉祭」が開催される。大阪は芭蕉の終焉の地である。
あと大和文華館では特別展「酒井抱一」が開催中。抱一の「夏秋草図屏風」が全期間出品されているのが嬉しい。11月16日まで。
川柳のことも少しだけ。
「触光」39号の会員自選作品に渡辺隆夫がこんな句を出している。
「川柳の使命」だなんて呆けたか爺さん
二葉亭四迷もクタバッテ使命
賢女ら健在、使命ってナニよ
とり急ぎ使命打者を探します
爺さんの住所使命は「わかりまへん」
この時評の8月8日に書いたが、「第4回高田寄生木賞」の大賞作品「ふる里は戦争放棄した日本」(大久保眞澄)について、渡辺隆夫が「この句には、川柳の使命のようなものがギュッと濃縮されています」と述べたことに対して、広瀬ちえみは「さて、川柳には隆夫さんが述べる『使命のようなもの』があるのだろうか。川柳の特質のひとつである『批判』や『諷刺』にあたることをさしているのだろうが、私は『使命』という強いことばでいわれるとどこかひいてしまう。アブナイもののようで近づきたくないと思うのだ」と疑義を提出した。今回の隆夫の句は、そのことを受けて書かれている。
隆夫は自分自身を茶化している。あいかわらず話題をふりまくおもしろい人である。
この議論が「川柳に使命があるか、ないか」というように、表層的に理解されてしまうことのないように願っている。
いくつか話題の展覧会が開催されている。
先週発表しようと書きかけた文章が今週になってしまったので、すでに開催が終わったり、展示替えになったものも多いがご了解いただきたい。
京都国立博物館で平成知新館がオープンした。すでにご覧になった方もおられるだろうが、常設展「京へのいざない」が開催中。
私が見たときは2階の絵画室が充実していて、「源頼朝像」「平重盛像」のほか雪舟が3枚、如拙の「瓢鮎図」、伝徽宗「秋景冬景山水図」、牧谿「遠浦帰帆図」などが陳列されていた。(現在は第二期に入り、陳列替えになっている)。
小学校六年生のときにはじめて京博を訪れてから、ここは私にとって大切な場所のひとつである。新館が平成知新館になってもそのことは変わらない。
たとえば、如拙の「瓢鮎図」。
つるつるした瓢箪でぬるぬるした鯰をどう押さえるかという禅の公案がある。ちなみに「瓢鮎図」の「鮎」は鯰のことである。男の眼と鯰との間に瓢箪がある。瓢箪を鯰の方に徐々に近づけてゆく。するとある位置で、男の視界において鯰は見事に瓢箪の中に隠れるのだ。思えば、かつての私は観念論者だった。
花田清輝に「ナマズ考」という文章がある(『日本のルネサンス人』)。
花田は「瓢鮎図」の男を個人主義者と見る。徹底的な個人主義者だったその男は地震が起こると瓢箪をたずさえて竹藪に逃げ込んだ。彼は地震のおさまるのを待ちながら、悠々と瓢箪の酒を傾けていた。ところが、彼は一匹の大鯰が流れを泳いでくるのを見たのだ。古来、鯰は地震の元凶と言われている。彼は思わず瓢箪を振りかざしたまま、夢中で鯰に向かって突進していった。
花田はこんなふうに書いている。
「しかし、瓢箪でナマズを押えることは、しょせん、無理な相談であって、何遍やってみても、かれの企ては、そのつど、無惨にも挫折した。にもかかわらず、かれは、必死になって、ナマズを追い続けた。そして、わたしには、問題の『瓢鮎図』が、最後にかれの行動に移ろうとした決定的瞬間を、あざやかにとらえているような気がしてならないのだ」
「わたしは、飛んだり、跳ねたり、大騒ぎをしながら、小川を泳ぎくだってくるナマズをみても、指一本うごかそうとはしない冷静な男の分別を、かならずしも過小評価するものではないが―しかし、不可能の可能性を信じて、瓢箪でナマズを押えつけようとする騒騒しい男のなりふりかまわぬ無分別な行動をせせら笑おうとはさらさらおもわない。くりかえしていうが、そこには、個人主義の枠のなかにおさまりきれない、やむにやまれぬ何かがある」
如拙の「瓢鮎図」から随分離れた感想であり、花田にしては珍しく熱くなっているのも面白いが、この文章を読んで以来、如拙の「瓢鮎図」は私のなかで花田テーゼと結びついたものとなっている。
もう一枚、牧谿の「遠浦帰帆図」に触れておこう。湖を帆船が帰ってくる。岸に向かって対角線の構図が心地よい。絵の全体をおおう雨と水蒸気。ターナーが色彩で描いた世界を墨一色で描ききっている。岸には酒旗がひるがえり、居酒屋でいっぱいやってみたい気分に誘われる。この絵は、ほれぼれと立ち去りがたい名品である。
水墨画とか書斎詩画軸というものが長い間、私にはなじめなかったが、こういうものは現実や人間の醜悪な姿を見尽くしたうえで、はじめてその気韻のすばらしさがわかる。政治家や実業家が茶の湯や水墨の世界にひかれるのも理由のあることで、現実の醜さを知り尽くしているからこそ、書斎における静謐な世界が必要であって、心のバランスをとることができるのだ。
「京へのいざない」は展示替えをして10月15日から第二期。京博では特別展「鳥獣戯画と高山寺」も始まっている。「鳥獣戯画」のカエルやウサギたちから私は今までどれだけ笑いとパワーをもらったことだろう。
すでに終了したが香雪美術館では「曾我蕭白展」が開催された。
「蕭白展」は2005年に大きな展覧会が京博であったが、今回は小規模ながらいくつかの名品が陳列されている。香雪美術館所蔵の「鷹図」は色彩の美しいものだし、「獏図杉戸」(朝田寺)などの異形の絵が印象的だった。
数十年前になるが、高校生のときに二条城で「異端の画家」という展覧会が開催され、私は学校をさぼって見に行った。そのとき私は若冲・蕭白・蘆雪などをはじめて見た。1970年ごろ、「異端」というのは魅力的な語であった。その後、「異端派」は「奇想派」と名前を変え、その分パワーを失って、一般に受け入れられるようになった。
伊丹の柿衞文庫では「芭蕉生誕370年展」が開催中。
柿衞文庫は開館30周年を迎える。この30年間の新出作品などを集めて開催されている。
平成5年(1993年)は芭蕉没後300年記念で、柿衞文庫と出光美術館で大規模な芭蕉展が開催された。そのときは120点の作品が一堂に会し、破笠筆「芭蕉翁像」や西村本「奥の細道」、蕪村筆「奥の細道屏風」などを見ることができた。そのときと比べると今回の展覧会は小規模で専門的である。破笠筆芭蕉翁像は今回も出ていたが、前期だけで現在は展示替えで出ていない。芭蕉筆「旅路の画巻」などは見てわかりやすいものである。
現在は後期で11月3日まで開催。
芭蕉に関連して、10月19日には大阪天満宮で「第八回浪速の芭蕉祭」が開催される。大阪は芭蕉の終焉の地である。
あと大和文華館では特別展「酒井抱一」が開催中。抱一の「夏秋草図屏風」が全期間出品されているのが嬉しい。11月16日まで。
川柳のことも少しだけ。
「触光」39号の会員自選作品に渡辺隆夫がこんな句を出している。
「川柳の使命」だなんて呆けたか爺さん
二葉亭四迷もクタバッテ使命
賢女ら健在、使命ってナニよ
とり急ぎ使命打者を探します
爺さんの住所使命は「わかりまへん」
この時評の8月8日に書いたが、「第4回高田寄生木賞」の大賞作品「ふる里は戦争放棄した日本」(大久保眞澄)について、渡辺隆夫が「この句には、川柳の使命のようなものがギュッと濃縮されています」と述べたことに対して、広瀬ちえみは「さて、川柳には隆夫さんが述べる『使命のようなもの』があるのだろうか。川柳の特質のひとつである『批判』や『諷刺』にあたることをさしているのだろうが、私は『使命』という強いことばでいわれるとどこかひいてしまう。アブナイもののようで近づきたくないと思うのだ」と疑義を提出した。今回の隆夫の句は、そのことを受けて書かれている。
隆夫は自分自身を茶化している。あいかわらず話題をふりまくおもしろい人である。
この議論が「川柳に使命があるか、ないか」というように、表層的に理解されてしまうことのないように願っている。
2014年10月3日金曜日
台所で言葉の調理がはじまった
加藤久子の作品が掲載されている川柳誌は「MANO」と「杜人」の二誌である。
今回は「MANO」19号、加藤久子の「トルコの空」20句を読んでみたい。
水っぽい体になって箱を出る
主語が省略されているので、誰が、または何が箱を出たのかわからない。
分からなくても「私が」と補って読んでおく。
「箱」もどんな箱か分からないが、部屋とか家のことを言っているような感じがする。
感覚的だけれども、何となく感じは伝わるのだ。
箱の中にいるあいだに、体が水っぽくなってしまった、外に出てみようか、という気分だろう。箱の中にいるのが嫌ということもないのだが、少し違う空気も吸ってみたいのだろう。
蔦の蔓伸びる新聞店の昼
早朝や夕方の配達時間とは異なり、昼の新聞店はのんびりしていることだろう。
無為の時間が流れ、蔦の蔓が伸びていく。
色とりどりの毒を抱えて台所
舞台は台所である。
そこは料理を作る狭い空間であって、ニンジンやキュウリやナスなど色とりどりの食材が並んでいる。それを久子は「毒」に見立てる。毒殺を得意としたボルジア家のように、嫌いなヒトに毒を食べさせる…という空想である。
今回の久子の作品は基本的には「台所川柳」なのではないかと思った。
けれども、久子の台所川柳は世間で書かれている作品と何と異なった姿をしていることだろう。
台所で調理をするというのは日常生活のひとこまに過ぎない。日々繰り返される個人的で狭い体験である。それを事実として書く書き方もあるが、事実以外の何も考えない人は日常の牢獄に住んでいるようなものだ。久子がそこに言葉を加えると、食材の姿は一変する。
こういうことを思うのは、久子の次の句が念頭にあるからかもしれない。
「レタス裂く窓いっぱいの異人船」
台所にいても、久子の眼には別の風景が見えている。たとえば、こんなふうに。
自白はじまっているキャベツの芯
水耕レタス 酸っぱい空を噛む
法話集ぬかに漬け込む茄子胡瓜
梅干しは甕に納まり無音
台所の光景でありながら、何やら異質な世界の予感がする。
世界は「ここ」でありながら別の「どこか」とつながっている。
義母も母も店頭から消える
無為な日常的時間の流れ。
けれども、ふと気づくと親しい人びとはもういない。
ひとりごと軍服少年見え隠れ
日常時間の中に、ふと過去の時間が紛れ込む。
たとえば、戦争。
日常の背後に戦前の軍国少年の姿が彷彿とするのだ。
かつてドストエフスキーを愛読していたころ、革命運動を体験し、逮捕されて銃殺刑寸前に皇帝の恩赦をえてシベリア流刑、やがて聖なるロシアに回帰してゆく、その体験の振幅の激しさに舌を巻いたことがあった。普通の人間にこのような体験ができるわけもなく、私たちは平凡な人生を歩んでいるのである。川柳に書くべき題材といっても特に持ち合わせているわけではない。では、どうすればよいのか。
久子は「MANO」19号のエッセイでこんなことを書いている。
〈 東京行きの新幹線が仙台を発車する寸前だった。三月、冷たい雨の午後、乗車してきた長身の女性が立ち止まって、言った。「おとなりのお席、座らせて頂いてよろしいでしょうか?」
うとうとしていた所へ、あまりにご丁寧なご挨拶に思わず座りなおして、「どうぞ」と。裾の長い黒いコートに、頭からすっぽり目深くフードを被っている。 〉
ミステリアスな雰囲気の女性だったという。うとうとしているところに現れたのだから、白昼夢のたぐいだったのかもしれない。
〈 福島駅に近づいた時、車窓がいきなり雪に変わった。「新しい雪ですね」と言って立ち上がった彼女、「ご道中どうぞお気をつけなさいませ」と降りていった。その時ちらっと見えたフードの中の顔は真っ白で、唇は真っ赤。でも不快ではなくむしろ美しく、それが少し怖かった。 〉
彼女は二言・三言で周囲の雰囲気を変えてしまった。言葉の力をもっていたのだ。
久子の句に戻ろう。
トルコの空ですここへ来てごらん
作者が本当にトルコへ行ったのかどうかは知らない。
トルコは親日的な国で、日本からの観光客もよく訪れるから本当に行ったのかも知れない。
現実の場所であろうと架空の場所であろうと、トルコの空というものがあり、作者は「ここへ来てごらん」と誘うのだ。
図書館のにおいになって帰宅する
出かけていって、帰って来る。
他に帰るべき場所などあるはずもない。
けれども、隣に座った見知らぬ人がふと言うかもしれない。「新しい雪ですね」と。
今回は「MANO」19号、加藤久子の「トルコの空」20句を読んでみたい。
水っぽい体になって箱を出る
主語が省略されているので、誰が、または何が箱を出たのかわからない。
分からなくても「私が」と補って読んでおく。
「箱」もどんな箱か分からないが、部屋とか家のことを言っているような感じがする。
感覚的だけれども、何となく感じは伝わるのだ。
箱の中にいるあいだに、体が水っぽくなってしまった、外に出てみようか、という気分だろう。箱の中にいるのが嫌ということもないのだが、少し違う空気も吸ってみたいのだろう。
蔦の蔓伸びる新聞店の昼
早朝や夕方の配達時間とは異なり、昼の新聞店はのんびりしていることだろう。
無為の時間が流れ、蔦の蔓が伸びていく。
色とりどりの毒を抱えて台所
舞台は台所である。
そこは料理を作る狭い空間であって、ニンジンやキュウリやナスなど色とりどりの食材が並んでいる。それを久子は「毒」に見立てる。毒殺を得意としたボルジア家のように、嫌いなヒトに毒を食べさせる…という空想である。
今回の久子の作品は基本的には「台所川柳」なのではないかと思った。
けれども、久子の台所川柳は世間で書かれている作品と何と異なった姿をしていることだろう。
台所で調理をするというのは日常生活のひとこまに過ぎない。日々繰り返される個人的で狭い体験である。それを事実として書く書き方もあるが、事実以外の何も考えない人は日常の牢獄に住んでいるようなものだ。久子がそこに言葉を加えると、食材の姿は一変する。
こういうことを思うのは、久子の次の句が念頭にあるからかもしれない。
「レタス裂く窓いっぱいの異人船」
台所にいても、久子の眼には別の風景が見えている。たとえば、こんなふうに。
自白はじまっているキャベツの芯
水耕レタス 酸っぱい空を噛む
法話集ぬかに漬け込む茄子胡瓜
梅干しは甕に納まり無音
台所の光景でありながら、何やら異質な世界の予感がする。
世界は「ここ」でありながら別の「どこか」とつながっている。
義母も母も店頭から消える
無為な日常的時間の流れ。
けれども、ふと気づくと親しい人びとはもういない。
ひとりごと軍服少年見え隠れ
日常時間の中に、ふと過去の時間が紛れ込む。
たとえば、戦争。
日常の背後に戦前の軍国少年の姿が彷彿とするのだ。
かつてドストエフスキーを愛読していたころ、革命運動を体験し、逮捕されて銃殺刑寸前に皇帝の恩赦をえてシベリア流刑、やがて聖なるロシアに回帰してゆく、その体験の振幅の激しさに舌を巻いたことがあった。普通の人間にこのような体験ができるわけもなく、私たちは平凡な人生を歩んでいるのである。川柳に書くべき題材といっても特に持ち合わせているわけではない。では、どうすればよいのか。
久子は「MANO」19号のエッセイでこんなことを書いている。
〈 東京行きの新幹線が仙台を発車する寸前だった。三月、冷たい雨の午後、乗車してきた長身の女性が立ち止まって、言った。「おとなりのお席、座らせて頂いてよろしいでしょうか?」
うとうとしていた所へ、あまりにご丁寧なご挨拶に思わず座りなおして、「どうぞ」と。裾の長い黒いコートに、頭からすっぽり目深くフードを被っている。 〉
ミステリアスな雰囲気の女性だったという。うとうとしているところに現れたのだから、白昼夢のたぐいだったのかもしれない。
〈 福島駅に近づいた時、車窓がいきなり雪に変わった。「新しい雪ですね」と言って立ち上がった彼女、「ご道中どうぞお気をつけなさいませ」と降りていった。その時ちらっと見えたフードの中の顔は真っ白で、唇は真っ赤。でも不快ではなくむしろ美しく、それが少し怖かった。 〉
彼女は二言・三言で周囲の雰囲気を変えてしまった。言葉の力をもっていたのだ。
久子の句に戻ろう。
トルコの空ですここへ来てごらん
作者が本当にトルコへ行ったのかどうかは知らない。
トルコは親日的な国で、日本からの観光客もよく訪れるから本当に行ったのかも知れない。
現実の場所であろうと架空の場所であろうと、トルコの空というものがあり、作者は「ここへ来てごらん」と誘うのだ。
図書館のにおいになって帰宅する
出かけていって、帰って来る。
他に帰るべき場所などあるはずもない。
けれども、隣に座った見知らぬ人がふと言うかもしれない。「新しい雪ですね」と。