2014年5月30日金曜日

中尾藻介の川柳

平成5・6年ごろのことだから、もう20年以前の話になる。川柳に興味をもちはじめた私は、当時堺市に住んでいたので、堺番傘の知人に連れられて地元の川柳大会に参加した。「夜市川柳大会」とか「堺市民川柳大会」に毎年行った時期だった。「川柳塔」の西尾栞や橘高薫風が健在で、小島蘭幸・新家完司もよく選者として来ていた。「堺番傘」では梶川雄次郎や中田たつおの姿があった。墨作二郎のズバズバとした発言も聞いた。時代劇の役者で斬られ役専門の大木晤郎も見かけたかな。そんな中で中尾藻介という人の句がよく抜けていて、おもしろいと思った。「モスケ」という呼名が耳にとまったのだ。今回は藻介の作品をいくつか紹介してみたい。
いま手元に『中尾藻介川柳自選句集』がある。180ページの中にぎっしりと1750句が収録されていて、句集の体裁としては読みやすいものではないのが残念である。「舞鶴線」(昭和16年~28年)「憧憬の人」(昭和29年~41年)「唄でなし」(昭和42年~52年)「花火師」(昭和53年~61年)の四章に年代順に分けられているが、特に私がおもしろいと思うのは「唄でなし」の章である。この章を中心に取り上げてゆく。

大阪市都島区に鳴るギター

川柳人の間ではよく知られている句である。特に何を言っているわけでもなくて、ただギターが鳴っているというだけである。この句を印象的にしているのは「大阪市都島区」という地名だろう。
「ハンカチを若草山に二枚敷く」(高橋散二)に通じる味がある。

アマゾンで親を殺してきた闘魚

地名でもこの句は趣きが異なる。机上で作った作か実際に闘魚を見てつくったものか分からないが、実景としては闘魚が泳いでいるだけである。それをこの魚はアマゾンで親を殺してきたのだと見てきたようなことを言っている。

球根よ君を信じることにする
じゃが芋がくさりはじめている倉庫

方向は異なるが、この二句は同じことの表裏を表現している。

断崖でハンドバッグを開けている

ややこしいところでハンドバッグをあけたものだ。一句全体が川柳的喩となっていて、ある状況を表現している。

刺しにくる蜂ではないと思いつつ

蜂が飛んできた。蜂のことをよく知らない人はスズメバチだと思って逃げまわるが、実際はアシナガバチだったりして、そう危険ではない。そんなことは分かっていても、何かの拍子に刺されるかもしれない。この句の場合も川柳的喩として読むことができる。

いのししが走ると山も走りだす

山なんか走るわけがないのだが、おもしろい句である。

世の中が変る牛車の隙間から
美しく老い幻の馬を曳く
波打際の男は蟹に化けるのだ

藻介の川柳の基調は「軽み」なのだが、そのベースの上に多彩な作品を生み出している。
世の中の変遷、生きることの変転を巧みに詠んでいる。

一平のいないかの子を見ています
天王寺駅で別れて以来なり

川柳ではときどき盗作問題が起こる。暗合句というのではなくて、意図的に悪意をもって他人の作の一部または大部分を取り込んで自作と称するのだ。選者にそれを見抜く見識がない場合、そういう作品が入賞したりすることがある。
藻介は、短歌には本歌取りがあるのだから川柳にも本歌取り・パロディがあってもよいと考えていたようだ。だから、意識的にパロディとして作った句がいくつかある。
一句目は「かの子には一平がいた長い雨」(時実新子)を、二句目は「道頓堀の雨に別れて以来なり」のパロディだろう。パロディにする場合は、元になる作品が誰でも知っている句であることが前提となる。
藻介は恋句もけっこう上手い。次のような句はいかがだろう。

声を聞きたい人へハガキを書いている
意地悪をしてくれるので逢いにゆく
逢えたので正倉院は見なくても
死ぬときに逢いたいひとがないように

さて、藻介は刑務官として各地で勤務した。こんな句がある。

刑務所の塀というのは唄でなし

「唄でなし」という章名はこの句から取られているようだ。
32年間、近畿一円の刑務所で奉職したらしい。その間、藻介は川柳にも熱中した。『自選句集』の「あとがき」には次のように書かれている。
「抒情詩風の川柳の真似事から、前田伍健選で川柳の背骨に触れ、ふあうすと調全盛の中で軽味を模索した。憧憬の人大山竹二の訪問も果たせた」
「あとがき」には延原句沙弥、房川素生、青柳山紫楼、馬場魚介などの川柳人の名が挙げられている。
最後になるが、次の句は藻介の実力を遺憾なく発揮したものと思う。

生まれない前から尾行されている

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