2014年5月23日金曜日

第4回高田寄生木賞

「触光」37号(編集発行人・野沢省悟)に「第4回高田寄生木賞」が発表されている。大賞は次の作品である。

ふる里は戦争放棄した日本   大久保真澄

5人の選者のうち、渡辺隆夫と野沢省悟の二人が特選に選んでいる。
この句についてはすでに樋口由紀子が「ウラ俳」の「金曜日の川柳」(5月16日)で取り上げている。
「触光」誌には全応募作品が紹介されている。沖縄から北海道まで全国から205人の応募があり、一人2句の応募だから計410句である。川柳をはじめて数年の人からベテラン川柳人まで多様であり、いまどんな川柳作品が書かれているのかを見るのに便利だと思った。
上位作品は選者によるコメントがあるから、今回はできるだけそれ以外の作品を紹介してみたい。都道府県としては南から北へという順である。

わたくしの庭で飯事(ママゴト)しませんか   (熊本県)阪本ちえこ

子どものころのままごと遊び。草の葉をおかずにして、食べる真似をしたものだ。土の団子などもあっただろうか。それぞれお母さん役、お父さん役になりきっていたようだ。
この句は子どもが言っているのではないから、大人がままごとへと誘っているのである。「わたくしの庭」には何となく秘め事の感じも漂う。
誰かの自宅で開かれる句会に招かれたときに、手料理が出されることがある。皿数は少なくても心がこもっていて嬉しいものである。「ままごとのようなもてなし蝉羽月」(澁谷道)

六年二組だったしろつめ草だった    (福岡県)柴田美都

「~だった~だった」という文体には既視感があるが、それが逆に小学校時代の思い出とよくマッチしている。クローバじゃなくて、しろつめ草というのも懐かしい。
数字については、他の組ではなくて二組なんだという偶然性もある。小学校のとき何組だったのか、すでに記憶は朧である。

一日に一錠海を飲みなさい     (徳島県)徳長怜子

毎日何かの薬を飲んでいる人は多い。ストレス社会だから、体のいろいろな部位に障害が出てくる。パソコンや人間関係に疲れて、しょせん健康と仕事は両立しないと半ばあきらめている人もあることだろう。
この句では錠剤として海を飲みなさいと言う。
インターネットで0.01秒早く経済情報を手にいれた者が莫大な利益を手にする。そのような現代社会へのアンチとして雲を見たり(クラウド・ウォッチング)、歩きながら会議をすることで運動と経済活動の両立をはかったりする。一日一錠の海がリアリティをもってくるのだ。

意味もなくポロリ 生殖器のナミダ   (広島県)河崎あゆみ

涙腺から涙が流れるのは当然だが、ここでは生殖器と言われてハッとする。
昆虫か魚を見て詠んだのかもしれないし、ヒトを虫を見るような目で冷徹にとらえているのかもしれない。
「ひとみ元消化器なりし冬青空」(攝津幸彦)

標的にされて嬉しいではないか    (岡山県)福力明良

「~ではないか」という川柳ではよく使われる文体だ。
標的にされるのはありがたくないはずだが、まったく無視されるよりはターゲットにされる方がいいのかも知れない。自分がそれだけの意味ある存在だと実感できるからである。

リンゴより五センチ下に矢が刺さる   (兵庫県)吉田利秋
一本の矢になってゆく 逢いたい    (兵庫県)前田邦子

題詠ではないだろうが、たまたま二句とも「矢」を詠んでいるので、並べてみた。
一句目は「ウイルヘルム・テル」の一場面を想像するとおそろしい。
二句目は何とストレートな表現だろう。

動物園大人どうしで行くところ     (京都府)高島啓子

子供どうし、おとなとこども、カップル、などの組合せの中で、動物園は大人どうしで行くところだと断言する。動物園は私も好きだが、つい川柳をつくろうなどという気をおこすから、無心になれない。

おばあさんばかりで柩担げない    (大阪府)谷口義

老人が老人を介護する。認知症で一万人の行方不明者がいるというのだから驚きである。
この「柩」が「川柳」でなければいいのだが。

おめでとう誰か知らない人の菓子   (大阪府)久保田紺

お祝いのお菓子が届くが差出人には心当たりがない。あるいは、机の上に誰かがお祝いを置いてくれたのだが、それが誰かが分からない。そんなとき、私は嬉しいというより不気味な感じがする。まず出所を確認しないと、毒でも入っていたら大変だからだ。

西鶴の橋を渡って雨に逢う      (大阪府)山岡冨美子

浅沼璞著『西鶴という俳人』(玉川企画)を読んで、改めて西鶴に関心をもった。
橋は境界をつなぐ役割をもっている。橋をわたってどこへ行くのだろう。

急がねば雲が形を変えてくる      (和歌山県)辻内次根

ボードレールの詩「異邦人」では、詩人の好むものは雲だった。
掲出句では形のないものの自由さではなくて、状況がかわらないうちに何かをなしとげないといけない切迫感がある。

牛乳の膜薄くそこは圏内        (愛知県)青砥和子

牛乳の薄い膜。唇に貼り付いたりして牛乳本体が飲みにくい。けれども、それは牛乳と別のものなのではない。
この句は牛乳の話をしたいのではなくて、何か別のことを言っているのだろう。

俎板のネギはきれいな音がする     (石川県)岡本聡

読んで気持ちのよい句である。
川柳は性悪説の方がおもしろい句になることが多いのだが、「きれいな」とストレートに言えるのは貴重だ。

大嘘をたまにつくのが母の癖      (神奈川県)松尾冬彦

「嘘」は川柳にとって重要なテーマである。
このお母さんは小さな嘘をつくのではなく、大嘘をつくのである。

モナリザの肩はいつでも凝っている   (宮城県)南部多喜子

モナリザに対するさまざまな見方がある。
村野四郎の詩「モナリザ」では、詩人はモナリザに対して「そこを退いてください」と言う。「あなたが居るので/風景が見えない」ここではモナリザは「遮るもの」としてとらえられている。モナリザの微笑も村野にとっては無意味な精神の痙攣にすぎない。
掲出句では、謎の微笑をずっと続けているのでは、さぞ肩が凝ることだろういうのだ。

母さんの着せたコートは捨てなさい    (青森県)豊澤かな江

誰の発言なのか、いろいろ解釈できるが、母自身が娘に言っていると私は受け取っている。母親の方が過激なのだ。
母と娘の確執はエレクトラ・コンプレックスとして知られているが、そういう図式そのものも捨てて、さばさばしたいものだ。

屈葬のやがて背伸びをするだろう   (北海道)新井笑葉

屈葬は死者が甦ってこないように、わざと身体を曲げて埋葬するのだという話を聞いたことがある。
この句では屈葬された者がやがて「うーん」と背伸びをするだろうと言う。
川柳的喩というものがここにはある。

ほどかれてドライトマトは密告者   (北海道)悠とし子

ドライトマトはいろいろな料理に使われるようだ。
乾燥させたものが料理に使われてすこし息を吹き返す。密告者のように。

沖縄から北海道まで、今日もおびただしい数の川柳が作られていることだろう。蕩尽の文芸、無名性の文芸であることに、川柳はどこまで耐えることができるだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿