9月28日に「第2回川柳カード大会」が大阪・上本町で開催され、北は北海道・青森から南は高知・熊本まで、各地の川柳人が集まった。大会はふだん誌上でしかお目にかかれない方々と出会う貴重な機会である。
青森に滋野さちという川柳人がいる。「おかじょうき」「触光」「川柳カード」の会員で、社会性川柳の書き手である。私自身は社会性川柳を書かないが、滋野の作品にはときどき目を奪われることがある。
「触光」34号の会員自選欄に次の句が掲載されている。
着地するたび夢精するオスプレイ 滋野さち
時事川柳は「消える川柳」とも呼ばれ、時間の経過とともに人々の記憶から消えてしまう。その中で、真の批評性をもった力のある句は少ない。オスプレイの句は山ほどあるが、表層的な表現にとどまっているものが多い。そんな中でこの句には読者を立ち止まらせるものがある。
オスプレイはエロティックな夢を見ているのであろうか。着地するたびに大地は犯される。この句は一見するとオスプレイの視点で書かれているように見えるが、オスプレイの姿を冷徹にとらえることによって凌辱される側の感性を表現しているのである。この戦場を飛ぶ機械がオスという名をもっているのは象徴的である。イメージは二重となり、「オスプレイ反対」を唱えるスローガンを越えた表現の高みに達している。
こういう句を読むと社会批評が文学でもあることを信じたくなる。
同号には次のような句もある。
イプシロンこける鳥獣戯画の真ん中で
空爆のアメリカ シリアのねこだまし
垂れ流しですがゲンパツ買いませんか
「鳥獣戯画」「ねこだまし」という語は川柳ではよく使われ、一句の衝撃力は「夢精するオスプレイ」に及ばない。視線は第三者の位置に後退し、批評性は現象の表面を撃つにとどまっている。
滋野は「杜人」239号に「空を飛んだ鯨―石部明のことば―」という文章を発表している。
そこで滋野は自ら疑問とするいくつかの問題を投げかけている。それは「母もの」「時事吟」「思い」「難解句」をめぐる四つの疑問である。滋野の表現そのままではないが、それらは次のようなことになるだろう。
①母を詠んだ句は甘くなるからとらないという選者もいるが、母という題材そのものがダメなのだろうか。むしろどう書くかが問われる題材なのではないだろうか。
②時事吟や社会詠は私たちが生活を詠もうとするかぎり必然的にゆきつくものではないか。
③「思いなんて必要ない」という人もいるが、「思い」がなければ川柳は書けないのではないか。
④「わからない句」には読者が作者とつながる手だてがなく、読者は置き去りにされているのではないか。
一点目、「『「母ものは三文安』」か」では「母の句」について述べている。父や母を書いた句が孫川柳と同様に甘くなるのは避けられないことだろう。
「私も初期のころ母の句をたくさん書いた。長すぎる母への反発に時間を過ぎて、ようやく心が寄り添えるようになったとき死んだから、なおさらであった」とあるのを読むと、「滋野さちよ、おまえもか」と言いたくなる。母の句を書いたことに対してではない。「母への反発」に関してである。
滋野は「母もの」は果たして書くに値しないのかを問う。
「父母を詠むから古臭いのではない。私たちは新しい表現を模索しなければならない」
間違っているところはどこにもない。けれども、古い革袋に新しい酒を入れるのはとてもむつかしいことだ。
二点目、「時を詠む」では石部明の次の句を取り上げている。
あかんべいをしてするすると脱ぐ国家 石部明
滋野は小林多喜二や鶴彬の例を挙げて、「ものを書くことに覚悟が必要だった時代」のことに触れている。
「今、自由にものを言い、行動したり、書いたりしているが、時流に乗って、上澄みを掬って書いていないか、物事の本質を見極めようという気構えを放棄していないかと、自戒している」
こういうところから、滋野の社会性川柳が生まれてくる。
三点目、私が違和感をいだくのは、滋野の「社会性」が「思い」と強く結びついていることである。川柳の読みにおいては、これまで「思い」の強度が評価軸とされることが多く、言葉によって作り出されたテクストとして読まれることが少なかったという経緯がある。作品を書くときの起動力を「思い」と呼んでしまうと、川柳のカバーする世界をずいぶん狭めることになってしまう。
「『思い』とは、句を書く時の起爆剤でもある」と滋野は述べている。
ここにも石部明が登場して、滋野に次のようなアドヴァイスをしたという。
「『思い』がなければ句は書けません。しかし、それ以前に『思いとは何か』を考えなければなりません」
四点目、滋野によれば難解と言われた「バックストローク」の作品に対して、次のようなことが言われたそうだ。
「わからなくても感じればいい」
「わかるように書かない作者が悪い」
「わからない句など、かまうな」
この整理の仕方はある意味でたいへん興味深い。多くの川柳人の本心が率直にうかがえるからだ。
「川柳を始めてたかだか10年ほどの間に『川柳大衆論』『難解句』『言葉派』『意味派』などという言葉を聞くのだが、川柳論は一方的に発表されるだけで、なかなか切り結ぶ事がないように感じている」
率直な感想だろう。批評が実作をリードするというような状況は川柳界にはない。私は現在が過渡期だと思っているから、さまざまな混乱や迷いが生じるのはむしろ当然のことだと考える。曲がりなりにも社会性を書いていた渡辺隆夫が万法を尽し終えて第一線を退いたあと、滋野さちの川柳は社会性のひとつの可能性を感じさせる。隆夫の川柳が第三者の立場からの風刺に終始したのに対して、滋野は少し違うところから川柳を書いているからだ。私は滋野の「思い」には別段興味はないが、滋野が川柳におけるどのような「批評性」を実現するかを見ていたいと思っている。
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