2026年2月27日金曜日

連句の諸形式

国民文化祭・長崎(ながさきピース文化祭2025)「連句の祭典」の入選作品集が届いたので紹介しておきたい。形式は半歌仙で、485巻の応募があった。一般の部、文部科学大臣賞は半歌仙「潮騒」の巻(奈良県、捌・嵯峨澤衣谷)。

潮騒も静寂となりぬ憂国忌  嵯峨澤衣谷
 紅葉挟んだ読みかけの本  春野 彼方
窓を開け名残りの月を眺むらん   衣谷
 微かに揺れる軒の鳥籠      彼方
 (以下略)

五人の選者のうち二人が特選に選んでいる。
高尾秀四郎は選の観点として、次の六点を挙げている。
①発句の訴求力、完成度
②オモテ六句のオモテぶり
③ウラに入る転じの上手さとその後の暴れぶり
④琴線に触れるような情のある恋の場面展開
⑤味わいの佳句の有無
⑥見事で爽やかなエンディング
また、鈴木千惠子は半歌仙のあり方について、一花二月で構成されるが、応募作のなかには正花が二つ詠まれているもの・月が面ごとに一つずつが守られていないものがあり、許容できない。また応募作全体について、発句に一巻の牽引力があり、表六句が穏やかでありながら魅力的なものに惹かれる。月・花・恋の句にも注目、付けと転じの妙が大切、半歌仙を十八歩と考え一歩も後に帰る心のないものを選んだと述べている。
国民文化祭実行委員会会長賞は半歌仙「ゆゆゆ」の巻(愛知県、捌・瀧村小奈生)

光ゆゆ風もゆゆゆの猫柳      瀧村小奈生
 くすぐつたくて笑ふ山々     清水ましろ
トラックの荷ほどきの声うららかに 金子 ユリ
 地図を片手に歩く路地裏       小奈生
  (以下略)
「発句や付句の感覚がおもしろく、フィーリング付という感じ」(小池正博の選評)
選者によって連句観は異なるとしても、連句評価の基準はそれほど違わないと思われるが、基準を適用するするときの感覚の差はどうしても表れてしまうようだ。

徳島の連句グループ「花音」(はなおと)から連句集『花音』第十二集が届いた。
「花が開く時、人の耳には聴こえなくても、きっと小さな小さな音がしているのではないか。それを聴いてみたいものである」(三輪和「はじめに」)
新形式「花音」は「箙」(六・六・六・六の二十四句形式)を基本とするが、各面に花と音、正花は一つ、月は二としている。

パワハラがスポーツ界に蔓延し
 自然の秩序守り月冴ゆ
蝋梅は一斉に咲き香り立ち
 写真撮影フラッシュを焚く
ルンルンの婚前旅行ハワイへと
 泡のごとく消ゆるときめき

三句目が正花ではない花、四句目が音になっている。
これをさらに発展させて、最後に二句のコーダを付けたり、一連の句数を六句から四句へとコンパクトにするなどの試みをしているのは興味深い。

徳島県連句協会からは「ロータス」No.22が届いた。ここにはさまざまな連句形式が掲載されていて、半歌仙、二十韻のほか花音、非懐紙、山茶花、賜餐、オン座六句、ソネット、獅子など新形式を実作する際に参考になる。

最後に、「第27回大分県民文化祭連句大会実作作品集」について。昨年11月に大分県の中津市(中津文化会館)で開催された連句大会の記録である。中津は福沢諭吉のよかりの地で、中津城もあり、鱧料理でも有名。連句会の前の講演「中津の食と文学散歩」は興味深いものだった。

冬の城朝の光を浴びて建つ
 再訪するは紅葉散るころ
料亭の来歴長く記されて

座の文芸としての連句は、各地で開催されているのだ。

2026年2月22日日曜日

ココシュカ「風の花嫁」

マーラーの交響曲はちゃんと聞いたことがないが、「大地の歌」だけはレコードを持っていて繰り返し聞いている。私が持っているのはワルターの指揮ではなくて、バーンスタイン指揮、ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団、フィッシャー・ディースカウのバリトン。第6楽章「告別」の最後はこんなふうに終っている。

春になれば
愛する大地は再びいたるところ花が咲き乱れ
樹々は緑に覆われて
永遠に、世界の遠き果てまでも青々と輝きわたる
永遠に… 永遠に…(ewig…)

マーラーはベートーベンなどが第9交響曲まで書いて死んだことを恐れて、彼の9番目の交響曲には番号を付けずに「大地の歌」としたという。また彼は『カラマーゾフの兄弟』を愛読していて、イワンとアリョーシャのどちらが正しいのだろうかと繰返し言っていたそうだ。
私が「大地の歌」を聞くのはこのようなマーラーの文学的イメージからなので、福永武彦も「告別」という小説の末尾で「大地の歌」を用いている。
さて、このマーラーの妻がアルマ・マーラーで、彼女は21歳のときにマーラーと結婚し、31歳で死別している。二人の最初の出会いは1901年で、アルマはこんなふうに書いている。
「1901年の11月のある午後のこと、友だちと環状通りを歩いていた私は、たまたまツッゲルカンドル夫妻に出会った。こおのツッケルカンドルという人は、すぐれた解剖学者であると同時に、洗練された趣味を持ち、ユーモアのセンスに富んだ人だった。
『今日マーラーがわが家に来るんですよ。いらっしゃいませんか』
私はお断わりだった。マーラーなどに会いたくなかった。実際のところその夏は、私は故意に、しかも、マーラーと顔を合わせる機会を避けてきたのであった。というのは、彼の評判が悪かったからである」(『グスタフ・マーラー 愛と苦悩の回想』)
その一週間後、再度誘われたアルマはマーラーと会う。マーラーは彼女に関心を示し、ふたりは結婚する。アルマは21歳、マーラーは39歳。マーラーはウイーン王立オペラ劇場(現在の国立歌劇場)の指揮者だった。
アルマはたいへん魅力的な女性だったらしく、31歳でマーラーと死別したあと、バウハウスの巨匠として有名な建築家のグロピウスと再婚、グロピウスと離婚したあと作家で詩人のフランツ・ウェルフェルと結婚、ナチスから逃れてアメリカに亡命する。恋人も多く、画家のココシュカが描いた「風の花嫁」はアルマをモデルにしたと言われる。彼女は音楽家、建築家、作家、画家をそれぞれとりこにした運命の女性である。
ココシュカはドイツ表現主義の画家で、「風の花嫁」は1914年の作。現在はバーゼルの美術館が所蔵している。船の中に男女が横たわっていて、女の方は眼をつぶっている。この絵は「風の花嫁」とも「突風」とも呼ばれていて、なぜタイトルが二つもあるのか不思議に思っていたが、ドイツ語の原題は「Windsbraut」で突風という意味になるが、WindとBrautに分けると「風の花嫁」になる。
ドイツの詩人で若くして死んだゲオルク・トラークルに「夜」という詩がある。トラークルはウイーンの滞在中、しばしばココシュカの仕事場を訪れて、この作品を見る機会があったという。「夜」はこんな詩だ(吉村博次訳)。

おまえ、荒あらしい裂け目をぼくは歌う、
夜の嵐のなかに
高くそそりたつ山脈を。
灰色をしたおまえたちの塔は
氾濫している、地獄の悪童どもで、
火をふく獣たちで、
ささくれた羊歯や唐檜で、
水晶のような花花で。
(中略)
黒ずんだ断崖をこえて
灼熱した突風が
氷河の
青い波が
死に酔ってなだれ落ち、
そして谷間では、鐘の音が
ごうごうと鳴りわたるー

(後略)

アルマはココシュカの七歳上。アルマとの生活をココシュカは「思い出すのも嫌な、落ち着きのなかった日々」と語っている。突風と結婚することはできない、ただ描くことができるだけだ、と言われるが、うなずけるところである。
さて、笹川諒の歌集『眠りの市場にて』(書肆侃侃房)に「風の花嫁」を詠んだ歌があるので、最後に紹介しておく。

ココシュカの《風の花嫁》を飾るだろう死後の白くて無音の部屋に 笹川諒

2026年2月13日金曜日

須磨における芭蕉と放哉

「関西連句懇話会」は偶数月の第一日曜に大阪・上本町で開催している。今月2月で第51回になった。5月に須磨寺で連句のイベントを予定していて、その予習を兼ねて、芭蕉の「笈の小文」の須磨の部分と、須磨寺の大師堂で堂守をしていた尾崎放哉について報告をした。
須磨は文学的イメージの濃厚な地で、在原行平の流謫(光源氏の須磨流離譚のモデルと言われる)、『平家物語』の平敦盛の悲話など歴史的エピソードに事欠かない。
『笈の小文』は『野ざらし紀行』『おくのほそ道』とともに芭蕉の三大紀行文だが、須磨の場面で終っている。4月19日、芭蕉は尼崎から船で兵庫に着き、清盛の遺跡などを見たあと兵庫に一泊。翌20日に須磨寺周辺を訪れ、須磨に一泊。21日には布引の滝を経て京都へ向っている。

  須磨
月はあれど留守のやう也須磨の夏
月見ても物たらはずや須磨の夏

「須磨にはいとど心づくしの秋風に~」(『源氏物語』須磨)とあるように、須磨といえば秋のイメージだが、芭蕉が須磨を訪れたのは卯月(旧暦四月・初夏)だった。月は出ているけれど、留守のようだというのである。ここでは現実の風景をありにままに見るのではなくて、文学的伝統や本説と重ねあわせて眺められている。しかし、月はあるけれど留守のようだというのは違和感のある表現である。芭蕉の真蹟懐紙では「夏はあれど留守のやう也須磨の月」となっていて、この方が理屈には合うが、いずれにしてもおもしろい句ではない。とにかく須磨ではまず月を出したかったのだろうし、伝統的なイメージと現実との落差そのものが俳諧なのだろう。

  明石夜泊
蛸壺やはかなき夢を夏の月

艘七宛の芭蕉書簡には「あかしより須磨に帰りて泊る」とあるから、明石夜泊は虚構で、実際には須磨に泊まっている。「おくのほそ道」でも曾良の随行日記と照らし合わせると虚構が見られるのと同様の操作である。詠まれているのは蛸壺で、明石では二千年前(弥生時代)から蛸が獲られていたという。蛸といえば明石なのだ。「須磨夜泊」ではイメージが合わないし、須磨の月はすでに本文では前に出ている。
須磨寺では「須磨寺やふかぬ笛きく木下闇」の句が詠まれていて、句碑になっている。いったい須磨寺には句碑・文学碑が多い。山本周五郎の『須磨寺付近』の文学碑もあって、この小説は時代小説とは異なる周五郎の一面をうかがうことができる。

尾崎放哉は一時期、須磨寺の大師堂で堂守をしていたことがある。放哉の句集『大空』(放哉没後、荻原井泉水が編んだ遺稿集)の「須磨寺にて」の章には「大正十三年六月より十四年三月まで、兵庫須磨寺内大師堂の堂守として住み、五月若狭国小浜常高寺に移り、七月京都に来る」とある。放哉は『層雲』の荻原井泉水に師事していたが、須磨寺に入ってから月に30句ほど投句していて、彼の転機となった。

あすは雨らしい青葉の中の堂を閉める
一日物云はず蝶の影さす
雨の日は御灯ともし一人居る
井戸の暗さにわが顔を見出す
沈黙の池に亀一つ浮き上る
鐘ついて去る鐘の余韻の中
たつた一人になりきつて夕空
蟻を殺す殺すつぎから出てくる
小さい時の自分が居つた写真を突き出される
こんなよい月を一人で見て寝る (この句が句碑になっている)

須磨寺での生活は食事と住むところの心配はないが、社会との交流は限られる。句材となるのは小動物と自己の内面である。須磨寺を出たあと放哉は小浜、そして小豆島へ行くことになる。小豆島の南郷庵での生活は吉村昭の小説『海は暮れきる』に描かれている。

さて、5月17日に須磨寺の青葉殿で「第三回関西連句を楽しむ会」を開催する。薩摩琵琶「敦盛」の演奏があり、連句の実作も楽しめる。ご興味のある方はご予定いただきたい。

2026年2月6日金曜日

「オルガン」の10年

「オルガン」42号に宮本佳世乃が「2015年に『オルガン』を創刊してから、十年が経った」と書いているのを読んだ。もうそんなになるのかと驚いた。「オルガン」はそれぞれのメンバーが結社とは別に自由な個人として集まっている同人誌だ。俳句では「豆の木」、短歌では「外出」など、「オルガン」と同じような表現者のつながり方に共感するところがある。 手元に「オルガン」1号がある。2015年4月20日発行。メンバーは次の四人。「俳句がする、4つのオルガン」である。

白梅にして遠空を担ひけり    生駒大祐
記号うつくし空港の通路を蝶   田島健一
ぶらんこの鎖が空にまつすぐに  鴇田智哉
風船に入る空気のちとぎくしやく 宮本佳世乃

佐藤文香『君に目があり見開かれ』を読む座談会が掲載されている。
以後、俳句、座談会、テーマ詠という構成で、春夏秋冬の年四回の発行となる。
3号から福田若之が加わった。

うなずくからどんなに遠い滝だろう 福田若之

やがて生駒大祐が退会し、「オルガン」は四人で続けられる。宮崎莉々香が加わった時期もあるが、途中休会し、現在は復帰している。
私はこの時評でけっこう「オルガン」について書いていて、2015年7月31日、2017年1月27日、2018年7月7日などで紹介している。
2018年7月の記事は、「オルガン」の五人が大阪にやって来る、というもので、次のように書いている。
〈俳誌「オルガン」の宮本佳世乃・鴇田智哉・田島健一・福田若之・宮﨑莉々香の五人が大阪にやってくる。7月21日(土)に関西現俳協青年部勉強会「句集はどこへ行くのか」、22日(日)には梅田蔦屋書店で公開句会が開催される。21日の勉強会では、「オルガン」のメンバーのほかに久留島元や牛隆介、川柳人の八上桐子、五七五作家の野口裕が話題提供者として参加するのも興味深いところだ〉

「オルガン」のメンバーはそれぞれ句集を出しているので、句集から紹介しよう。

凍蝶の模様が水の面になりぬ     鴇田智哉『こゑふたつ』
こゑふたつ同じこゑなる竹の秋
人参を並べておけば分かるなり    鴇田智哉『凧と円柱』 
円柱の蟬のきこえる側にゐる
かなかなといふ菱形のつらなれり   鴇田智哉『エレメンツ』
いうれいは給水塔を見て育つ

二人ゐて一人は冬の耳となる     宮本佳世乃『鳥飛ぶ仕組み』
郭公の森に二人となりにけり
空港に歩いてゆける勾玉屋      宮本佳世乃『三〇一号室』
いちはつの花にさはれば文字の見ゆ

ふくろうの軸足にいる女の子     田島健一『ただならぬぽ』
鶴が見たいぞ泥になるまで人間は
見えているものみな鏡なる鯨
なにもない雪のみなみへつれてゆく

さくら、ひら つながりのよわいぼくたち  福田若之『自生地』
ヒヤシンスしあわせがどうしてもいる    
突堤で五歳で蟹に挟まれる
ひきがえるありとあらゆらない君だ

宮﨑莉々香については、「オルガン」から次の二句を挙げておく。

かもめすぐ春になりきれないからだ     宮﨑莉々香(「オルガン」9号)
ほたるかごみえないものがすべてこゑ         (「オルガン」10号)

「オルガン」にはときどき連句も掲載される。38号から脇起歌仙「ながい坂」の巻、のオモテ六句を引用する(捌・浅沼璞)。

ながい坂みぢかい草の春の夢   冬野 虹
 里に野原に頬白の声      四ッ谷龍
うらゝかに弁当のふた光らせて  浅沼 璞
 棚から古き新聞をとる     宮本佳世乃
宵闇のはるかな意識との出会   鴇田智哉
 そして九月の水たばこの香   福田若之

さて、「オルガン」42号では新メンバーに岩田奎を迎えた。宮本は次のように書いている。「同人誌といっても、同じような俳句を目指しているわけではない。各人がそれぞれのスタイルと俳句観を持ち寄っている。私にとってはメンバーの数だけ頂点があるような感覚だ。奎さんを迎えた今、オルガンは正六角形になった」

颱風の去りゆく裾に触るるのみ  岩田奎