10月27日に国民文化祭ぎふ「連句の祭典」が岐阜市の「じゅうろくプラザ」で開催された。国文祭には例年、川柳ではなくて連句のイベントの方に参加している。
その前日、大垣の「奥の細道むすびの地記念館」を訪れた。芭蕉は大垣に四度来ている。『奥の細道』の終着が大垣で終っているのはよく知られているが、それは三度目の旅でのことだった。大垣には谷木因(たに・ぼくいん)という俳諧師がいて、芭蕉とは交流があった。木因は大垣蕉門の中心人物で、「むすびの地記念館」のそばに芭蕉と木因の二人が並び立っている像がある。
芭蕉の第一回大垣来遊は貞享元年(1684年)晩秋、『野ざらし紀行』の旅のときである。木因を訪問したあと、芭蕉は名古屋に向かい「尾張五歌仙」(『冬の日』)を巻く。名古屋は蕉風発祥の地といわれている。
「大垣に泊りける夜は、木因が家をあるじとす。武蔵野を出づる時、野ざらしを心に思ひて旅立ければ
死にもせぬ旅寝の果てよ秋の暮」(『野ざらし紀行』)
この旅の冒頭の句「野ざらしを心に風のしむ身哉」と比べると余裕が感じられ、木因と会うことが旅のひとつの目的だったことが分かる。
さて、「むすびの地記念館」の展示の監修もしている俳文学者の佐藤勝明は、「江古田文学」113号(特集・連句入門)で蕉風の付け方について、見込・趣向・句作の三工程があったと述べている。
作者の頭のなかでは、前句への理解である「見込」と、それに基づいて次の句では何を取り上げようかなという「趣向」、さらに実際に素材や表現を選んで整える「句作」の三工程があって、見込から趣向を導く際には、一種の自問自答のようなものがあったのではないか、と私は考えています。(特別講座「芭蕉連句入門書」入門)
具体例として佐藤が挙げているのは、『去来抄』の次のエピソードである。
「あやの寝巻にうつる日の影」という前句に一座のみなが付けあぐんでいたときに、芭蕉が「よき上臈の旅なるべし」と助言したところ、去来がたちまち「なくなくも小さき草鞋求めかね」と付けることができた、というのである。
前句の「あやの寝巻」は女性だろうが、深窓の令嬢であれば日光の当たる部屋ではなく、奥まったところにいるはずだから、これは日常ではなく旅だろうと芭蕉は考えた(見込)。というのが佐藤の解釈である。去来はこの見込を受けて、泣いてみても小さい草鞋は手に入らないという句を付けた(趣向、句作)。
この話は芭蕉流の付け方の骨法を伝えていると佐藤は言う。前句はどういう場か、どんなひとなのだろうかを考え、それに位を合わせる付け方である。
この付け方を現代連句の実作の場で可視化しようとしたのが鈴木千惠子である。鈴木の『杞憂に終わる連句入門』(文学通信、2020年)に収録されている歌仙「老が恋」の巻は蕪村を発句とした脇起りであるが、最初の四句だけ引用する。
老が恋わすれんとすればしぐれかな 与謝蕪村
ちりちり痛む胸の埋火 鈴木千惠子
迷ひ犬人混み分けてさがすらん 玉城珠卜
ニュースを流す壁のあちこち 佐藤勝明
佐藤勝明が連衆に入っているのが注目されるが、この作品には解説が付いていて、こんなふうになっている。
ちりちり痛む胸の埋火
見込 発句にはわすれようとしても諦められない恋心が詠まれている
趣向 その未練を、埋火に喩えた
句作 恋心を「とりとり痛む」と表現した
迷ひ犬人混み分けてさがすらん
見込 脇は恋に身を焦す人物の胸のうちが詠まれている
趣向 恋の焦燥感を迷子になった犬をさがす愛犬家の心情に転じた
句作 必死の様子を「人混み分けて」と表現した
ニュースを流す壁のあちこち
見込 前句を都会の雑踏と見て
趣向 その中で目にしそうな光景を想像し
句作 電光掲示板に情報が流れるとした
理屈通りに句作ができるわけではないだろうが、注目すべき試みかと思う。
最後に国民文化祭ぎふ「連句の祭典」で文部科学大臣賞を受賞した短歌行「実朝忌」の巻の表四句を紹介しておこう。和漢連句が文科大臣賞を受賞するのは画期的なことである。
梅東風や海のとどろく実朝忌 服部秋扇
孟春射剛弓 石上遥夢
蜜蜂のハニカム構造模作して 西川菜帆
猫の家には丁度よき箱 岡部瑞枝
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