前回は彦坂美喜子『春日井建論』を紹介したので、短歌つながりで今回は江畑實『創世神話「塚本邦雄」 初期歌集の精神風景』(ながらみ書房)を取り上げる。
塚本邦雄の初期については楠見朋彦『塚本邦雄の青春』(ウェッジ文庫)を読んだことがあり、『水葬物語』までの日々が書かれていた。江畑の本では第七歌集『星餐圖』までを初期と捉え、その精神的位相と作品創造の動因をさぐっている。
塚本の短歌と俳句の関係については、すでに短歌界ではよく知られているのかもしれないが、本書でまず興味深かったのは塚本の俳句についての部分である。塚本は「火原翔」名義で『俳句帖』を残しており、『文庫版塚本邦雄全集』(短歌研究社)に収録されている。江畑は「俳句帖」と『水葬物語』の作品を並べて紹介している。
父母よひるの夕顔なまぐさく
父母よ七つのわれのてにふれしひるの夕顔なまぐさかりき
夏夕べ偽ナルシスら変貌す
ナルシスの変貌も視てみづからに鞭うてり紅き蔓薔薇のむち
麺麭いだき佇てば日本の葦と泥
麺麭いだき佇てば周りの葦群に泥にひぐれの風たちにけり
安易に一般化はできないが、俳句で詠まれているイメージに短歌では何を付け加えたり切り捨てたりしているのか、興味深いサンプルだろう。「父母よ」の短歌では俳句にない「われ」が登場したり、「偽ナルシス」から自らを鞭うつ行為へとイメージの展開がうかがえる。一首目と二首目は塚本の自選歌集『寵歌』にも収録されているから成功作なのだろう。寺山修司における俳句と短歌の関係などを思い出させる。
塚本の『俳句帖』には「棘のあるSONNET」と題された14句の作品がある。ソネットだから韻を踏んでいる。
三日月麺麭の絵を革命歌作詞家に A
密会や扇のやうにひろがる夜 B
祭司長老いて晩夏の野にかへる B
尖塔の窓ひらく夜の童貞尼 A
種馬や颱風の眼の透明に A
市長夫人の柩の中のスキャンダル B
ひまはりに幾百の舌ひるがへる B
喜望峰 マスト傾きつつあるに A
背き去る女にグラディオラスの花序 C
街を出てあざみをくぐりゆく半処女 C
彼女のみ死る巻貝の夜の歩み D
真珠貝の内部も雨季に入りたらむ E
廃嫡の子にのこしおく君子蘭 E
薔薇の木のつみきのまちのなつがすみ D
マチネ・ポエティックの影響を受けているのだろうが、九鬼周造にも韻律論がある。
連句でも鈴木漠がソネット形式の連句を好んでいる。次にあげるのは連句集『花神帖』(編集工房ノア)から「海市」の巻。
源平の往時偲ぶや花の乱 梅村光明 A
海市の街にひるがへる旗 別所真紀 B
風光るトアロードへと誘ふらん 鈴木 漠 A
蟹行文字の酒を一杯 光明 B(一杯は「ひとはた」)
短夜の天辺かけたかミサイルは 真紀 C
午睡の夢にまたも魘さる 光明 D
妖精が隠れんばうをしてゐる葉 漠 C
秋果の彩を盛りあげし笊 真紀 D
総身に鱗を着たり月の下 真紀 E
沖は恋慕の不知火が増え 漠 F
悪びれず婀娜な人妻騙す舌 光明 E
わが式神を呼び出す箱 真紀 G
床の間に難を転ずる実も飾り 光明 H
雪国に生き雪はうんざり 漠 H
脚韻の踏み方には何種類かあるが、ABBAは抱擁韻、ABABは交差韻と呼ぶ。連句におけるソネット形式は珍田弥一郎の創案では韻を踏まないが、関西では鈴木漠の韻を踏む方式が多い。詩人で連句人の鈴木漠は塚本邦雄とも交流があり、春日井建も塚本とは親しかったので、塚本はこの二人を、建ちゃん・漠ちゃんと呼んでいたそうだ。
江畑の本に戻ると、『水葬物語』の時期の短歌と俳句制作が重なっていることについて、江畑はこんなふうにまとめている。
「同人誌『メトーデ』での『水葬物語』作品の発表は、俳句誌『白堊』での活動期と重なっているので、これらの作業は同時並行的に進められたことになる。いわば短歌の作品世界を生成するうえで、俳句形式を利用したようにも見える。まさに驚異的であり、天才的と言うしかないだろう」
『装飾樂句』以降については本書を読まれたい。
最後に短歌誌「七曜」212号から紀野恵の「嘉応二年九月二十日大輪田泊、宋船来航」を紹介しておきたい。紀野は歴史を題材とした歌物語ふうの成り代わりの歌をしばしば詠んでいて、歌集『遣唐使のものがたり』(砂子屋書房)はその代表作。今回の嘉応二年は平清盛が日宋貿易をはじめるにあたって宋船がはじめて大輪田泊(現在の神戸港の西側)に来航したことに基づく。遊び心や俳諧性に満ちた作品で、おもしろく読ませていただいた。14句の連作のうち4句をご紹介。
後白河法皇
対等の国と思へどなほ下に見つるものかな大陸(おほくが)の人
清盛
成り上がつて来たのぢや如何に細細とあらうと権を奪はざらめや
宋人
国王におはすはいづれ、大柄に見ゆる二人に問うてみやうか(ふふ)
陳和卿
〈東海の聯珠〉と訳し奉る国の誼をかろく思すな
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