2023年12月8日金曜日

澤好摩の百句(高山れおな・「翻車魚」7号)

「翻車魚」7号に高山れおなの「澤好摩の百句」が掲載されている。
澤好摩は高柳重信に師事し、「俳句研究」の編集に携わった。1991年に俳誌「円錐」を創刊。現代俳句のなかで独自の存在感をもつ人だった。 高山れおなは次のように書いている。
「今回の『澤好摩の百句』は追悼企画のように思われるに違いない。しかし、結果的にそうなったにせよ、本来そのつもりではなかった。昨春、『尾崎紅葉の百句』の原稿を書いて面白かったものだから、私は引き続き『〇〇の百句』を『翻車魚』誌上で個人的にシリーズ化する気になった」
百句の評釈はそれぞれおもしろいものだが、ここでは二句だけ紹介する。

三日月を三日見ざれば馬賊かな
「蓼太の〈世の中は三日見ぬ間に桜かな〉のパスティーシュである。これもリフレインの句で、その調子の良さについ読み流してしまいそうになるが、「三日月を三日見ざれば」とはずいぶん奇矯なことを言うものだ。三日月とは新月を一日目としての三日目の月をさすのであって、四日目以降の月はもとより三日月ではない。三日月を三日見ないという言い方は一種のナンセンスなのだ、ナンセンスな原因から『馬賊かな』というナンセンスな結果が生じている」

百韻に似し百峰や百日紅
「百韻は連歌・俳諧の最も一般的な形式。重畳する峰々の変化に富むさまを喩えた。百の字の三たびの反復が掲句の眼目でもあれば、目障りなところでもある。掲句の前には〈鯨ゐてこその海なれ夏遍路〉が、次には〈山清水この上にもう家なきと〉が並ぶ。山清水の句について味元昭次は、〈標高七百余。高知県大豊町西峰〉にての作と証言する(「澤好摩の気になる一句」)。〈妻の里〉であるこの〈まことに美しい山里〉へ、味元は澤と横山康夫を案内した。夏遍路および百韻百峰の句も、この土佐への旅での作なのだろう。言葉遊びの句とのみ見てしまうとややあざとく、中遠景に山々を近景に百日紅を配した俳句的遠近法も鈍重に感じられるが、めでたい百の字を重ねた土地褒めの挨拶にこそ真意があった」

味元昭次が編集発行している「蝶」263号に今泉康弘が「酒と俳句の日々―澤好摩とぼく」を書いている。
「1985年の夏、ぼくは山田耕二に連れられて、荻窪にある澤好摩のアパート・宝山荘を訪問した。ぼくは十八歳だった。このときが澤好摩との初対面である。ぼくたちは夕方遅くまでいて、澤好摩から俳句の話を聞いたり、お酒をご馳走になったりした。そのとき、句集『印象』を貰った。1982年に刊行された第二句集だ。その見返しに、澤好摩は美しい筆跡で、こう書いた―『今泉詞兄、冥き噴水蛹よ翅の彩を急げよ 澤好摩』。『噴水』は『ふきあげ』、『彩』は『いろ』と読むのだ、と澤好摩は言った」
同誌の「澤好摩五十句」(横山康夫抄出)から五句紹介する。

天に雨の降り残しなし鬼薊    澤好摩
風邪を着て風に遅れるいもうとよ
三日月を三日見ざれば馬賊かな
深海に自らひかるものら混む
跳ぶ墜ちる走る躓くエノラ・ゲイ

私は「豈」の句会で一度だけ澤好摩と同席したときに、拙句を選んでもらったことがある。こんな句である。

パジャマ姿で鶴の行方を追いかける   小池正博

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