「川柳スパイラル」12号が発行された。特集は「『女性川柳』とはもう言わない」。
招待作品として瀬戸夏子の短歌十首「二〇〇二年のポジショントーク」が掲載されている。
川柳では同人・会員のほかに8人の女性の表現者の作品が招待されているが、歌人では川野芽生、乾遥香、牛尾今日子の3人が現代川柳を書いているのが注目される。「歌人で川柳を書いてくれそうな人はいないだろうか」と暮田真名に相談したところ、川野と乾の川柳を読んでみたいということだったので、寄稿の依頼をしてみると快諾をえることができた。牛尾とは『はじめまして現代川柳』の出版後、メッセージのやりとりがあって川柳も書ける人だと思っていた。
チュールスカートのままで海賊船に乗る 川野芽生
誘おうかなわたしの国に誘おうかな 乾遥香
かしこくて感動的というわけだ 牛尾今日子
川野の句はファッションがテーマ。乾の口ごもるような表現は、川柳では断言が多いだけに新鮮だ。牛尾の句は完全な川柳文体になっていて、「かしこい」「感動的」が反語的な意味をもっているのは「~わけだ」という止めによって明確に伝わる。イロニーの表現である。ここでは川野の作品についてもう少し触れておきたい。
歌集『Lilith』によって第65回現代歌人協会賞を受賞した川野がどんな川柳を書くのか、興味深々だった。そもそも短歌では文語・旧かなを使用する彼女が川柳でどんな文体・表記を用いるのか。川野は口語・旧かなを選択している。
ファッションは苦手なのでネットで検索してみると、チュールスカートの画像がいろいろ出てくる。なるほどこの服装で海賊船に乗ることはないだろう。異なった時間・空間にあるものを言葉の世界で結びつけることによって、ズレや意表をついた驚きが生まれる。現代川柳ではときどき使われる手法だが、川野の句はそのような意外性をねらっているのではないだろう。「生きているだけで白いブラウスが汚れる」という別の句と比べてみると、「白いブラウス」の方は意味が分かりやすく、メッセージ性があるが、「現実なんて大嫌い」という発想は誰でも思いつくものでもある。「チュールスカート」の方がファッションとしても華麗だし、きっぱりとした意志の表明には爽快感がある。「海賊船」はペルシャ湾あたりにいる現実の海賊ではなくて、ネバーランドやファンタジーに出てくる海賊のイメージだろう。作者もこの句を10句のタイトルに選んでいる。
あと、特集評論は「女性による短歌が周縁化されてきた歴史に抗して」(髙良真実)、「俳句史を少しずつ書き換えながら、詠む」(松本てふこ)、「『女性川柳』とはもう言わない」(小池正博)の三本。
髙良は現代短歌のはじまりを1945年ととらえ、女性歌人に対する不当な評価を跡づけたあと、いま注目されている女性歌人として大森静佳と川野芽生を挙げている。髙良の論の根拠となる出典も丁寧に記されていて、アカデミックな文章も書ける人だ。
松本てふこは「俳壇」2021年5月号に、杉田久女に関する論考「笑われつつ考え続けた女たち〜杉田久女とシスターフッド〜」を発表している。久女については外山一機もネットの「俳句ノート」(2021年5月23日)で「杉田久女は語ることができるか」を書いている。松本は「俳壇」発表の文章の続きとして宇多喜代子の仕事なども紹介しながら、女性の俳人たちに光をあて、これからの書き手として『光聴』の岡田一実や箱森裕美、大西菜生を挙げている。
この号が川柳におけるジェンダー論のスタートとなることができるだろうか。
「文学界」8月号の特集は「ファッションと文学」。歌人では山階基と川野芽生が文章を寄稿している。川野の「この言葉をあなたが読まないとしても」には田丸まひる、野口あや子、石原ユキオの作品のほか平岡直子の短歌が引用されている。
床じゅうに服が積み重なっていて踏むと重油が出てくるのよね 平岡直子
でも蝶はわたしたちのことが怖いって 小さな星の化粧惑星
この文章の最後で川野は次のように書いている。
「ファッションは言語なのだが、人は案外言語をちゃんと読まない。これは自分のために着ているのだという宣言が、読まれるとは限らない。けれど、誰に読まれなくても、わたしはファッションという言語で詩を綴り、思想を記すだろう」
「短歌研究」8月号は水原紫苑・責任編集の特集「女性が作る短歌研究」。
出たばかりでまだ読み切れていないが、川野芽生が「夢という刃」で幻想文学とフェミニズムが矛盾しないことを述べているのは川野の読者にとって腑に落ちるところかもしれない。瀬戸夏子は「名誉男性」について屈折した自覚を、平岡直子は「『恋の歌』という装置」を書いている。
平岡といえば、ネットプリント「ウマとヒマワリ」13で短編小説を書いていて、ここでもファッションの話から始まっている。
〈わたしたちの服やお化粧には「男ウケ/女ウケ」という分類があって、前者はなにかが足りなく、後者はなにかが過剰なのかが特徴だ。「ちょうどいい」はない〉
テーマは「馬」?
現代川柳が短詩型文学の現在のテーマと少しでも重なっていればいいなと思っている。夏の夜の夢。
2021年7月23日金曜日
2021年7月17日土曜日
「井泉」創刊100号記念号と「西瓜」創刊号
この欄でもときどき取り上げている短歌誌「井泉」の創刊100号記念号が発行された。「井泉」は春日井建の中部短歌会の系譜を継ぐ雑誌で、春日井の没後2005年1月創刊。表紙絵に春日井の描いた絵を使っているのも楽しめる。短歌誌だけれど、招待作品のコーナーに短歌だけではなく、俳句・川柳・現代詩などの作品が掲載され、短詩型文学を見渡す視野のある編集である。また、特集テーマやリレー評論はいま短歌で何が問題となっているのかを知るのに役立つ。
100号記念テーマ評論として、【短歌の今を考える―二〇一〇年以降】が掲げられていて、坂井修一、花山周子、山崎聡子、江村彩、佐藤晶、彦坂美喜子の6人が執筆している。
2001年には東日本大震災があり、2019年にはCOVID‐19が出現するなど2010年代は災厄が起こるとともに様々な矛盾が噴出する時代となった。坂井修一の「滅びの道」は現代歌人協会賞の受賞作(第一歌集)をあげながら、この時代にどんな短歌が作られてきたかをたどっている。全部は挙げられないが、いくつかの作品を引用しておく。歌集名は省略。
左手首に包帯巻きつつ思い出すここから生まれた折鶴の数 野口あや子
入水後に助けてくれた人たちは「寒い」と話す 夜の浜辺で 鳥居
空中をしずみてゆけるさくらばなひいふうみいよいつ無に還る 内山晶太
防空壕に潜む兵らを引き摺りだすごとくにバグは発見される 山田航
飲食ののち風浅き道ゆけばこの身はさかなの柩であった 大森静佳
蜂蜜はパンの起伏を流れゆき飼い主よりも疾く老いる犬 服部真理子
カサンドラの詞さみしゑ凍月のひかりは地(つち)へ落ちつづけたり 川野芽生
きもちよく隙間を見せてあじさいの枯れつつ立てり明日もわたし 北山あさひ
坂井は菱川善男の次の言葉を引用している。
「塚本邦雄が現代短歌に与えた決定的影響は何であったのか。歌人が風流隠士のたぐいではなく、世界に滅亡を宣告する預言者にほかならぬことを、身をもって実証したところにある」
そしてこの言葉を踏まえながら、坂井は次のように結論づけている。
「短歌の今は、その近未来は、滅びの予感とともにある。それもかつて塚本邦雄が予言したような華々しいものではなく、日常感覚と平板な思惟のもとで」 明るさは滅びの姿なのであろうか、という太宰治の言葉を思い出すが、坂井の引用している短歌はペシミスティックな傾向のもので、現代短歌にはそれ以外の傾向もあるはずだが、文明の滅亡というようなスケールの視点で坂井が現代を捉えているのは興味深い。
花山周子の「平岡直子の作品とのとても個人的な夜の話」は、一人の作者にしぼって話をすすめている。「平岡直子の作品について私が何かを考えはじめていたのは二〇一一年三月十一日の夜のことだ」…震災の日である。その翌日は同人誌「町」の読書会が予定されていて花山は平岡の歌についてパネラーを割り当てられていた。読書会は中止となったが、レジュメには次の歌を引用していたという。
さっかーのことも羽音と言う夜に拾った石を袖で磨いて 平岡直子
「瀕死の文体」「瀕死は死んでいるわけではない」「まるで辛うじて生き延びようとしているような悲痛さ」と花山は書いている。
海沿いできみと花火を待ちながら生き延び方について話した 平岡直子
どの朝も夜もこうして風を受けあなたの髪が伸びますように
わたしたちの避難訓練は動物園のなかで手ぶらで待ち合わせること
「今にも消滅しそうなかすかなもののために平岡さんはこの世界の無意識の回路をピンセットで緻密に繋ぐ。繋いで空間をつくりだす」と花山は書いている。
坂井の文明史的視点と花山の個人的視点。他の論者については「井泉」本誌を読んでいただきたい。
もう一冊紹介したいのは、「西瓜」創刊号(発行・江戸雪)。発行の経緯について具体的には書かれていないが、関西の歌人が多いけれど、自由な集まりなのだろう。曾根毅、岩尾淳子、染野太朗、門脇篤史、とみいえひろこ、野田かおり、三田三郎、嶋田さくらこ、安田茜、楠誓英、鈴木晴香、土岐友浩、笹川諒、江戸雪。なかなかおもしろいメンバーである。「外出」「ぱんたれい」など結社や所属とは異なる自由な個としての結びつきが短歌では見られるが、「西瓜」はこれまでのグループ誌よりやや人数が多いので、今後どのように進んでいくのか注目される。
念力で壁が崩れてゆく都市の絶叫と降りしきる硝子片 曾根毅
それからのふた月ぼくはなんどでもきみを謝らせたきみがこはれても 染野太朗
背の穴をあけっぱなしで寝ているの 穴をとじたら死ぬの、助かるの とみいえひろこ
酔っ払いに脱ぎ捨てられた靴のくせに前衛的な立ち方をするな 三田三郎
西瓜割りしない季節の長いことずっと目隠しをしてるのに 鈴木晴香
西瓜なら食べれば種が出るでしょうアップデートでアプリが増える 土岐友浩
春霖よ未完のものが薄れゆく気配にいつも書名がほしい 笹川諒
母はもう父には逢えぬしゃらんしゃらん私があえないよりも逢えない 江戸雪
特集は「笹川諒歌集『水の聖歌隊』を読む」。土岐友浩の書評と同人による一首鑑賞が付いている。
椅子に深く、この世に浅く腰かける 何かこぼれる感じがあって 笹川諒
100号記念テーマ評論として、【短歌の今を考える―二〇一〇年以降】が掲げられていて、坂井修一、花山周子、山崎聡子、江村彩、佐藤晶、彦坂美喜子の6人が執筆している。
2001年には東日本大震災があり、2019年にはCOVID‐19が出現するなど2010年代は災厄が起こるとともに様々な矛盾が噴出する時代となった。坂井修一の「滅びの道」は現代歌人協会賞の受賞作(第一歌集)をあげながら、この時代にどんな短歌が作られてきたかをたどっている。全部は挙げられないが、いくつかの作品を引用しておく。歌集名は省略。
左手首に包帯巻きつつ思い出すここから生まれた折鶴の数 野口あや子
入水後に助けてくれた人たちは「寒い」と話す 夜の浜辺で 鳥居
空中をしずみてゆけるさくらばなひいふうみいよいつ無に還る 内山晶太
防空壕に潜む兵らを引き摺りだすごとくにバグは発見される 山田航
飲食ののち風浅き道ゆけばこの身はさかなの柩であった 大森静佳
蜂蜜はパンの起伏を流れゆき飼い主よりも疾く老いる犬 服部真理子
カサンドラの詞さみしゑ凍月のひかりは地(つち)へ落ちつづけたり 川野芽生
きもちよく隙間を見せてあじさいの枯れつつ立てり明日もわたし 北山あさひ
坂井は菱川善男の次の言葉を引用している。
「塚本邦雄が現代短歌に与えた決定的影響は何であったのか。歌人が風流隠士のたぐいではなく、世界に滅亡を宣告する預言者にほかならぬことを、身をもって実証したところにある」
そしてこの言葉を踏まえながら、坂井は次のように結論づけている。
「短歌の今は、その近未来は、滅びの予感とともにある。それもかつて塚本邦雄が予言したような華々しいものではなく、日常感覚と平板な思惟のもとで」 明るさは滅びの姿なのであろうか、という太宰治の言葉を思い出すが、坂井の引用している短歌はペシミスティックな傾向のもので、現代短歌にはそれ以外の傾向もあるはずだが、文明の滅亡というようなスケールの視点で坂井が現代を捉えているのは興味深い。
花山周子の「平岡直子の作品とのとても個人的な夜の話」は、一人の作者にしぼって話をすすめている。「平岡直子の作品について私が何かを考えはじめていたのは二〇一一年三月十一日の夜のことだ」…震災の日である。その翌日は同人誌「町」の読書会が予定されていて花山は平岡の歌についてパネラーを割り当てられていた。読書会は中止となったが、レジュメには次の歌を引用していたという。
さっかーのことも羽音と言う夜に拾った石を袖で磨いて 平岡直子
「瀕死の文体」「瀕死は死んでいるわけではない」「まるで辛うじて生き延びようとしているような悲痛さ」と花山は書いている。
海沿いできみと花火を待ちながら生き延び方について話した 平岡直子
どの朝も夜もこうして風を受けあなたの髪が伸びますように
わたしたちの避難訓練は動物園のなかで手ぶらで待ち合わせること
「今にも消滅しそうなかすかなもののために平岡さんはこの世界の無意識の回路をピンセットで緻密に繋ぐ。繋いで空間をつくりだす」と花山は書いている。
坂井の文明史的視点と花山の個人的視点。他の論者については「井泉」本誌を読んでいただきたい。
もう一冊紹介したいのは、「西瓜」創刊号(発行・江戸雪)。発行の経緯について具体的には書かれていないが、関西の歌人が多いけれど、自由な集まりなのだろう。曾根毅、岩尾淳子、染野太朗、門脇篤史、とみいえひろこ、野田かおり、三田三郎、嶋田さくらこ、安田茜、楠誓英、鈴木晴香、土岐友浩、笹川諒、江戸雪。なかなかおもしろいメンバーである。「外出」「ぱんたれい」など結社や所属とは異なる自由な個としての結びつきが短歌では見られるが、「西瓜」はこれまでのグループ誌よりやや人数が多いので、今後どのように進んでいくのか注目される。
念力で壁が崩れてゆく都市の絶叫と降りしきる硝子片 曾根毅
それからのふた月ぼくはなんどでもきみを謝らせたきみがこはれても 染野太朗
背の穴をあけっぱなしで寝ているの 穴をとじたら死ぬの、助かるの とみいえひろこ
酔っ払いに脱ぎ捨てられた靴のくせに前衛的な立ち方をするな 三田三郎
西瓜割りしない季節の長いことずっと目隠しをしてるのに 鈴木晴香
西瓜なら食べれば種が出るでしょうアップデートでアプリが増える 土岐友浩
春霖よ未完のものが薄れゆく気配にいつも書名がほしい 笹川諒
母はもう父には逢えぬしゃらんしゃらん私があえないよりも逢えない 江戸雪
特集は「笹川諒歌集『水の聖歌隊』を読む」。土岐友浩の書評と同人による一首鑑賞が付いている。
椅子に深く、この世に浅く腰かける 何かこぼれる感じがあって 笹川諒
2021年7月9日金曜日
連句の方へ、俳諧の方へ
リルケの『若き詩人への手紙』を読んだ。
若いときに読んだことがあり、ところどころ線が引いてあるが、大半はもう覚えていなかった。カプスという若い詩人に宛てた手紙で、孤独の重要性、ヤコブセンとロダンのこと、ジャーナリズムには近寄るな、というようなアドヴァイスが書いてあるが、けっきょく彼がリルケの忠告に従わなかったのは現実生活に追われたからだろう。
リルケには老年におくるアドヴァイスも書いてほしかったが、リルケは51歳で亡くなっているから、林住期を迎えた人間の時間とはすでに無縁かも知れない。
『連句年鑑』令和三年版(日本連句協会)が届く。
評論・エッセイは「芭蕉と蕪村」(中名生正昭)、「連句は文学、連句は祈り」(谷地元瑛子)、「俳諧師のマニュアル『三冊子』」(吉田酔山)の三本。 中名生の文章は『芭蕉の謎と蕪村の不思議』(南雲堂)よりの転載で、俳諧の二大スターである芭蕉と蕪村の句から今日にも通じる句を選んで読み比べたもの。いわゆる「蕉蕪論」である。谷地元は「エア国際連句協会」の代表世話人。エア(AIR)とは国際連句協会( Association for International Renku) の略ということらしい。国際連句の実作も掲載されているが、原語はフランス語、マレー語、日本語、ヘブライ語、ロシア語、英語の付句で、それを日本語に翻訳して掲載されている。吉田酔山は日本連句協会の副会長で、『三冊子』を自由に読み解きながら、連句の功徳を述べている。
実作は全国の連句グループの作品のほか、個人作品、学生の作品(中学生・高校生・大学生)が掲載されている。
紹介したい連句作品はいろいろあるが、草門会の胡蝶「約束の蛍」の発句・脇・第三だけ書き留めておく。
約束の蛍になつて来たと言ふ 眞鍋天魚
入江で待つはほのか夏星 工藤 繭
天網を洩れたる風の颯と立ちて 山地春眠子
日本連句協会の会報「連句」240号(2021年6月)にも書いたのだが、関西の現代連句は橋閒石と阿波野青畝をルーツとする。閒石は旧派の俳諧師でありながら極めて前衛的で、「白燕」を創刊して澁谷道などの連句人を育てた。「ホトトギス」系の新派の連句では、高浜虚子の連句への関心を青畝が受け継いで「かつらぎ」に連句の頁を設け、岡本春人は「俳諧接心」により連句の普及に努めた。閒石・青畝の没後は、「茨の会」の近松寿子、「俳諧接心」の岡本星女、「紫薇」の澁谷道、「ひよどり連句会」の品川鈴子などが活動し、この四人によって「関西連句を楽しむ会」が立ち上げられた。第一回(1993年)が京都・法然院で開催。以後、清凉寺、仁和寺、神戸薬科大学、知恩院、万福寺、八坂神社、大阪天満宮(笠着俳諧)、近江神宮、須磨と会場を移しながら2004年まで続いた。「関西は女性のリーダーが元気でいいね」という声を聞いたことがある。また前田圭衛子は連句誌「れぎおん」を発行して連句の文芸性を発信した。
かつては俳句の総合誌にもときどき連句がとりあげられることがあった。特に「俳句研究」は連句に理解のある編集者がいたようで、たとえば「俳句研究」1992年5月号に「現代連句実作シンポジウム・連句と俳句の接点」が掲載されている。パネラーは葦生はてを、今井聖、小澤實、小林貴子、中原道夫、四ッ谷龍。司会・山路春眠子。小澤實の捌きで「冬萌」の巻が巻かれている。
さらに「俳句研究」1993年4月号では「現代連句シンポジウム・詩人による公開連句」が掲載されている。連衆は水野隆・高橋睦郎・別所真紀子・小澤實。司会が川野蓼艸・山路春眠子。会場は東京九段下のホテルグランドパレスで、多数の聴衆が参加したようだ。「連句シンポジウム実行委員会」(村野夏生、山地春眠子、工藤繭など)主催、公益信託俳諧寒菊堂連句振興基金の援助、「俳句研究」後援。半歌仙「初昔」の巻ができているので、最初の四句だけ紹介しておく。捌きは水野隆。
初昔雅は色を好むより 睦郎
化粧はつかに水仙の空 隆
屋上に仔猫と月と笛吹きと 真紀
地球儀まはすきしみしばらく 實
この頃が現代連句に活気があった時代で、短詩型文学のなかで連句の存在感をアピールしていこうというエネルギーが見られた。
暉峻康隆、尾形仂、東明雅、廣末保、乾裕幸などの連句に造詣の深い文学者がいなくなり、カリスマ的な連句人が少なくなった現在、連句の発信力は落ちてきてはいるが、新しい世代の連句人も育ちつつあるので、今後に期待したい。
書棚を整理していると俳文芸誌「筑波」2003年8月号の別冊「今泉宇涯翁五回忌追善」という冊子が出てきた。今泉宇涯は宇田零雨の「草茎」から出発し、市川俳諧教室を主催、連句協会の会長も務めた。「私の連句入門講座序論」が掲載されているので紹介する。宇涯は現代俳句の二句一章体、現代連句の付合、三句の渡りの実例を挙げていて、一句独立の俳句から連句へのプロセスとして分かりやすい。(歴史的には逆で、連句の付け合いから俳句が独立したのだが、説明の便宜上の話である。)
(二句一章の俳句)
芋の露連山影を正しうす 蛇笏
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 万太郎
雁鳴くやひとつ机に兄いもと 敦
火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ 登四郎
天瓜粉しんじつ吾子は無一物 狩行
(前句と付句の連句の付合)
濃い日の化粧少し気にして 静枝
たそがれの合せ鏡を閉じて立つ 良戈
恋ほのぼのと鼓打つなり 杜藻
眉目清き学僧文筥たづさへて 瓢郎
さるすべり骨董店の手風琴 蓼艸
征露丸売る敗兵の唄 馬山人
(三句の渡り)
勤行終えて内庭を掃く 桐雨
甘くちの酒は好まぬ村の衆 司花
仲人抜きで睦みあう床 紫苑
自動車の上に陽炎が立つ 太郎
逃げ回る羊刈られて丸はだか 佐和女
迷宮入りの事件重なる 泉渓
松茸の栽培苦節二十年 実郎
遺伝子科学多岐に亘りて 則子
イザヤ書の預言者知るや知らざるや しげと
最後にリルケに戻るが、リルケは「ハイカイ」という三行詩を三つ書いている。また彼の墓碑銘として有名な次の詩も三行で書かれている。
Rose, oh reiner Widerspruch , Lust,
Niemandes Schlaf zu sein unter soviel
Lidern.
薔薇よ、おお純粋な矛盾、
誰の眠りでもない眠りを あまたの瞼の陰にやどす
歓びよ。
「孤独」について言えば、スイスのミュゾットの館でリルケは孤独のなかで「ドゥイノの悲歌」を完成させた。芭蕉庵や幻住庵における芭蕉も孤独だっただろうが、彼には俳諧という共同文芸があった。生み出した作品は異なるが、何か通じるところもあるように思われる。
若いときに読んだことがあり、ところどころ線が引いてあるが、大半はもう覚えていなかった。カプスという若い詩人に宛てた手紙で、孤独の重要性、ヤコブセンとロダンのこと、ジャーナリズムには近寄るな、というようなアドヴァイスが書いてあるが、けっきょく彼がリルケの忠告に従わなかったのは現実生活に追われたからだろう。
リルケには老年におくるアドヴァイスも書いてほしかったが、リルケは51歳で亡くなっているから、林住期を迎えた人間の時間とはすでに無縁かも知れない。
『連句年鑑』令和三年版(日本連句協会)が届く。
評論・エッセイは「芭蕉と蕪村」(中名生正昭)、「連句は文学、連句は祈り」(谷地元瑛子)、「俳諧師のマニュアル『三冊子』」(吉田酔山)の三本。 中名生の文章は『芭蕉の謎と蕪村の不思議』(南雲堂)よりの転載で、俳諧の二大スターである芭蕉と蕪村の句から今日にも通じる句を選んで読み比べたもの。いわゆる「蕉蕪論」である。谷地元は「エア国際連句協会」の代表世話人。エア(AIR)とは国際連句協会( Association for International Renku) の略ということらしい。国際連句の実作も掲載されているが、原語はフランス語、マレー語、日本語、ヘブライ語、ロシア語、英語の付句で、それを日本語に翻訳して掲載されている。吉田酔山は日本連句協会の副会長で、『三冊子』を自由に読み解きながら、連句の功徳を述べている。
実作は全国の連句グループの作品のほか、個人作品、学生の作品(中学生・高校生・大学生)が掲載されている。
紹介したい連句作品はいろいろあるが、草門会の胡蝶「約束の蛍」の発句・脇・第三だけ書き留めておく。
約束の蛍になつて来たと言ふ 眞鍋天魚
入江で待つはほのか夏星 工藤 繭
天網を洩れたる風の颯と立ちて 山地春眠子
日本連句協会の会報「連句」240号(2021年6月)にも書いたのだが、関西の現代連句は橋閒石と阿波野青畝をルーツとする。閒石は旧派の俳諧師でありながら極めて前衛的で、「白燕」を創刊して澁谷道などの連句人を育てた。「ホトトギス」系の新派の連句では、高浜虚子の連句への関心を青畝が受け継いで「かつらぎ」に連句の頁を設け、岡本春人は「俳諧接心」により連句の普及に努めた。閒石・青畝の没後は、「茨の会」の近松寿子、「俳諧接心」の岡本星女、「紫薇」の澁谷道、「ひよどり連句会」の品川鈴子などが活動し、この四人によって「関西連句を楽しむ会」が立ち上げられた。第一回(1993年)が京都・法然院で開催。以後、清凉寺、仁和寺、神戸薬科大学、知恩院、万福寺、八坂神社、大阪天満宮(笠着俳諧)、近江神宮、須磨と会場を移しながら2004年まで続いた。「関西は女性のリーダーが元気でいいね」という声を聞いたことがある。また前田圭衛子は連句誌「れぎおん」を発行して連句の文芸性を発信した。
かつては俳句の総合誌にもときどき連句がとりあげられることがあった。特に「俳句研究」は連句に理解のある編集者がいたようで、たとえば「俳句研究」1992年5月号に「現代連句実作シンポジウム・連句と俳句の接点」が掲載されている。パネラーは葦生はてを、今井聖、小澤實、小林貴子、中原道夫、四ッ谷龍。司会・山路春眠子。小澤實の捌きで「冬萌」の巻が巻かれている。
さらに「俳句研究」1993年4月号では「現代連句シンポジウム・詩人による公開連句」が掲載されている。連衆は水野隆・高橋睦郎・別所真紀子・小澤實。司会が川野蓼艸・山路春眠子。会場は東京九段下のホテルグランドパレスで、多数の聴衆が参加したようだ。「連句シンポジウム実行委員会」(村野夏生、山地春眠子、工藤繭など)主催、公益信託俳諧寒菊堂連句振興基金の援助、「俳句研究」後援。半歌仙「初昔」の巻ができているので、最初の四句だけ紹介しておく。捌きは水野隆。
初昔雅は色を好むより 睦郎
化粧はつかに水仙の空 隆
屋上に仔猫と月と笛吹きと 真紀
地球儀まはすきしみしばらく 實
この頃が現代連句に活気があった時代で、短詩型文学のなかで連句の存在感をアピールしていこうというエネルギーが見られた。
暉峻康隆、尾形仂、東明雅、廣末保、乾裕幸などの連句に造詣の深い文学者がいなくなり、カリスマ的な連句人が少なくなった現在、連句の発信力は落ちてきてはいるが、新しい世代の連句人も育ちつつあるので、今後に期待したい。
書棚を整理していると俳文芸誌「筑波」2003年8月号の別冊「今泉宇涯翁五回忌追善」という冊子が出てきた。今泉宇涯は宇田零雨の「草茎」から出発し、市川俳諧教室を主催、連句協会の会長も務めた。「私の連句入門講座序論」が掲載されているので紹介する。宇涯は現代俳句の二句一章体、現代連句の付合、三句の渡りの実例を挙げていて、一句独立の俳句から連句へのプロセスとして分かりやすい。(歴史的には逆で、連句の付け合いから俳句が独立したのだが、説明の便宜上の話である。)
(二句一章の俳句)
芋の露連山影を正しうす 蛇笏
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 万太郎
雁鳴くやひとつ机に兄いもと 敦
火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ 登四郎
天瓜粉しんじつ吾子は無一物 狩行
(前句と付句の連句の付合)
濃い日の化粧少し気にして 静枝
たそがれの合せ鏡を閉じて立つ 良戈
恋ほのぼのと鼓打つなり 杜藻
眉目清き学僧文筥たづさへて 瓢郎
さるすべり骨董店の手風琴 蓼艸
征露丸売る敗兵の唄 馬山人
(三句の渡り)
勤行終えて内庭を掃く 桐雨
甘くちの酒は好まぬ村の衆 司花
仲人抜きで睦みあう床 紫苑
自動車の上に陽炎が立つ 太郎
逃げ回る羊刈られて丸はだか 佐和女
迷宮入りの事件重なる 泉渓
松茸の栽培苦節二十年 実郎
遺伝子科学多岐に亘りて 則子
イザヤ書の預言者知るや知らざるや しげと
最後にリルケに戻るが、リルケは「ハイカイ」という三行詩を三つ書いている。また彼の墓碑銘として有名な次の詩も三行で書かれている。
Rose, oh reiner Widerspruch , Lust,
Niemandes Schlaf zu sein unter soviel
Lidern.
薔薇よ、おお純粋な矛盾、
誰の眠りでもない眠りを あまたの瞼の陰にやどす
歓びよ。
「孤独」について言えば、スイスのミュゾットの館でリルケは孤独のなかで「ドゥイノの悲歌」を完成させた。芭蕉庵や幻住庵における芭蕉も孤独だっただろうが、彼には俳諧という共同文芸があった。生み出した作品は異なるが、何か通じるところもあるように思われる。