大学の講義のオンライン化に伴い、学生のやる気が低下しているという新聞記事を読んだ。授業もリモートが多くなって、学生の学ぶ意欲が盛り上がらないのだろう。ナマの会話に比べてリモートではコミュニケーションがとりにくいし、たとえ講義のクオリティが高くても、人は雑談などの機会を通じて意欲が高まるというのも本当だ。
句会のオンライン化も一部で進んでいる。私はリモート連句しか経験がないが、プラス・マイナス両面があるのは当然である。リモートなら遠隔地でふだん会えない人とも一座できるメリットがある。リモートでは会話がはずまないというのも場合によるので、おしゃべりなオジサンが集まっているから会話はとぎれないという話も聞く。前提となる人間関係がすでにできている場合は問題ないが、初対面どうしだとむずかしいだろう。
連句の場合は高齢者が多いから、オンラインではハードルが高いこともありそうだ。そうするとスキルを持っている人に範囲が限られて広がりがなくなってしまうという問題が生まれてくる。Zoomを使いこなせる人が楽しく連句を続けているのに、ナマの句会でないと参加できない人が遠ざかってゆくことになる。また、座というものは微妙なものだから、たとえスキルがあってもどの座にでも誰でも入っていけるわけでもない。
ほとんど家にこもっているので、川柳の方もあまり情報が入ってこない。おもしろくないので、川柳誌のバックナンバーを読んだりして憂さを晴らしている。今回は「川柳平安」のバックナンバーから、徹夜句会のことを紹介してみよう。
「バックストローク」のときに、「ねむらん会」という徹夜句会に何度か参加したことがある。石部明の手配で、主として岡山県和気町の鵜飼谷温泉で開催。石田柊馬と田中博造がキャプテンになり、紅白のチームに分かれて得点を競い合う。句会だけでは眠たくなるので、ゲームやクイズも交えて夜明けまで続ける。「三分間吟」というのがあって、出題を聞いたとたんに三分間で作句する。出句数は無制限。一人で10~20句出句する人もあるから、一句を10秒ほどで作るペースである。高齢者も多いのに徹夜などして大丈夫かという声もあったが、参加者はけっこう楽しんでいた。
「ねむらん会」のルーツは平安川柳社の「夏をたのしむ会」にあると聞いていたので、どのような会だったのか、かねて気になっていた。平安川柳社は京都川柳界の大同団結を目指して1957年に発足、創立20周年記念大会を開催したあと1978年に解散した。いま私の手元にある「川柳平安」66号から「昭和37年度・夏をたのしむ会」の様子を再現してみよう。
1962年8月18日午後9時~19日午前8時。会場は嵐山の虚空蔵山・法輪寺。「夏をたのしむ会」は毎年開催されていたようだが、このときは京都の川柳人だけでなく、ふあうすと川柳社や番傘など各地からの参加者を加えて49名の参加。入浴後、兼題・席題の締切が23時。
「第三者」(堀豊次選)
第三者きみほんとうの友であれ 薫風子
第三者として噂のリレーする 絢一郎
一口も言わずニヤリと第三者 聰夢
第三者の眼がころぶのを待っている 秀果
別れろと言える友だちばかりなり 素生
能面の白さを持てり第三者 徳三
第三者帰りを急ぐばかりなり 今雨
「火」(北川絢一郎選)
たばこの火借りる卑屈な背をゆがめ 聰夢
小さく揺れてるむかえ火へ母かえる 秀果
ガスの火のおんなのあすもそこにある 寛哉
「されこうべ」(葵徳三選)
レジャーの世叱りつけてるされこうべ 不二也
されこうべそぼ降る雨につぶやけり 秀果
美人薄命されこうべの白さ 喜山
されこうべ一つジキルとハイド住みし 選者
あと「なにわ」(丹波太路選)「勉強」(福永泰典選)があるが省略。選句発表のあとは腹ごしらえをして、お酒を飲む人もいる。日付がかわって午前1時から第二部が開催される。紅白に分かれて採点を争い、それぞれの応援団長が座を盛り上げる。常識クイズ・川柳クイズ・オリンピック競技などのゲーム、遊びではあるが真剣に進行してゆく様子だ。
恒例の「三分間吟」(三分間無制限作句)は参加者が多数なので時間の都合上六題に絞られたようだ。「BG」(橘高薫風子選)・「虫」(岸田万彩郎選)・「相手」(佐々木鳳石選)・「夜明け」(河相すすむ選)・「川」(増井不二也選)・「風船」(大高角嵐選)とあるが、誌面では作者別に取り混ぜて掲載されている。BGはビジネス・ガールだろうか。時代を感じさせる。
BGが五人舗道をふさぐ雨 入仙
虫籠の虫の命を見ていたり 五黄子
かなしみの相手の影を見て歩く 豊次
夜明けもうそこまで来てる山の影 三八朗
川一つ向こうに好きな人がいる 美佐緒
風船を飛ばし四五人振りむかせ 薫風子
次第に東の空が白んできて、準備されていた出し物を割愛。福引による賞品贈呈のあと朝食。岩田山から遊びに来る猿におどろかされながら、午前8時に散会となる。そのあと何人かはふあうすと川柳社の東映撮影所見学に合流したというから元気なものだ。
ほかの年のことも「川柳平安」から少し紹介しておく。
1964年8月15日午後8時から16日午前8時まで。嵐山虚空蔵山法輪寺にて開催。
こんな日の針は心をつくものか 冬二
乾いてる声で闇から返事する 豊次
靴をぬう針に童話がひそんでる 博造
港から来た西洋の夢である 富造
闇に聞く梢の音をふりあおぎ 入仙
1966年8月20日、例年の会場とは異なり善光寺で開催。桃山御陵を背景に伏見の街を見下ろす高台にある。
しょせん愚か者だった黒めがね 清造
からっぽの男が風におどろいて 絢一郎
悪の花の最後に風が吹いている 秀果
つきまとう過去脱走をあきらめる 寛哉
以上、平安の徹夜句会を紹介してみたが、誌面から雰囲気だけは伝わってくる。いい歳をした川柳人たちが少年少女のように句会に興じていることが分かる。句作のエネルギーとモチベーションはけっこうこういう馬鹿騒ぎから生まれるものなのだろう。
2021年1月22日金曜日
「現代川柳」について
第164回芥川賞は宇佐見りんの「推し、燃ゆ」が受賞した。作者は大学生。綿矢りさ、金原ひとみに次いで3番目に若い受賞だという。手元に掲載誌の「文藝」2020年秋号があったので、遅ればせながら読んでみた。この号を買ったのは特集「覚醒するシスターフッド」のうち瀬戸夏子の「誘惑のために」が読みたかったから。瀬戸は高橋たか子の『誘惑者』について書いていた。いまちょうど「文藝」2021年春号が出ていて、瀬戸の最初の小説「ウェンディ、才能という名前で生まれてきたかった?」が掲載されている。語り手と女性詩人とのアンチ・シスターフッド的交流と『ピーターパン』を書いたバリーや『冷血』のカポーティなどのエピソードが重ねあわせられて展開する。クリストファー・ロビンの次はピーターパン?「永遠の少年」ではなくて、ウェンディの方に作者の問題意識があるのだろう。
コロナ下で自粛生活が続くが、それぞれの表現者が着々と仕事を進めている。
『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)が昨年10月末に刊行されて、現代川柳に対する関心が高まるきっかけになっているようだ。
反応はいろいろあるが、まず「現代川柳というものがあることをはじめて知った」という感想がある。それにはいろいろな意味があると思う。
「古川柳」というものがあることは、たぶん誰でも知っている。『柳多留』などの古川柳に対して、「現代川柳」が存在することに対しては、単純に存在が知られていない場合と、存在は知っていても「現代川柳」は認めないという立場がある。大岡信は「折々のうた」で古川柳を取り上げたが、現代川柳は取り上げなかった。現代川柳の句会・大会に俳人を選者に招いた場合でも、「現代川柳っぽい句」は採らないというスタンスで選句されてしまう場合がある。
次に「サラリーマン川柳」「シルバー川柳」「健康川柳」などは聞いたことがあるが、「現代川柳」を読むのははじめてという場合。「〇〇川柳」というかたちで世間に流布している川柳を「属性川柳」と呼ぶことがある。ひとつの領域に特化した川柳である。そうすると「現代川柳」も「猫川柳」「犬川柳」などと同様の属性川柳のひとつということになる。現に書店ではこれらの川柳が同じように並べられている。
そういう様々な受けとめ方を含めて「はじめまして」というタイトルは時宜を得たものだったのかも知れない。書肆侃侃房が短歌の本を多く出していることもあって、本書は歌人の読者からはおおむね好意的に受け止められているようだ。
川柳人の反応はどうかというと、キャリアの長い川柳人にとっては本書に収録されている作者の大部分は既読の作品となるだろう。だから第三章の「現代川柳の源流」に収録されている川上日車や木村半文銭などの作品が逆に新鮮だったかもしれない。
ここまで「現代川柳」という言葉を曖昧に使ってきたが、それでは「現代川柳」とはどのような作品を言うのだろうか。本書では次のように述べられている。
〈伝統であれ革新であれ、文芸としての川柳を志向する作品を「現代川柳」と呼んでおこう。〉
これは実にアバウトな定義なのだが、アンソロジーへの収録に当たって、ストライクゾーンはできるだけ広く設定しておきたいというつもりもあった。「現代川柳」の議論をするより、まず作品を読んでほしいということだが、少しだけ補足をしておきたい。
本書にも書いておいたが、「現代川柳」を定義しようとすれば、河野春三に行きつく。春三の『現代川柳への理解』(天馬発行所、1962年)から引用してみよう。
〈ここに「現代川柳」というのはそうした革新的な進歩的な川柳をさして呼んでいるので、特に「現代」という文字に意識的な重点をおいていることを知ってほしい。〉
〈現在生きている人間が作った川柳であるからという意味でなら、何でも全部現代川柳といえぬことはない。然し、私達が提唱している現代川柳が意味する「現代」は少し違う。〉
「現代の川柳」と「現代川柳」は違う。春三は「現代川柳」の精神について具体的に次のように挙げている。
現代人としての意識に目覚め、現代人の手で、現代人の感覚によって川柳を作って行くこと。
川柳を非詩の立場でなく、短詩ジャンルの一分野として確立して行くこと。
根底に批評精神をもつこと。
内容の自由性を欲求すること。
日記川柳・報告川柳・綴り方川柳の名で呼ばれるトリヴィアリズムを排撃すること。
必ずしも5・7・5の一定のリズムでなしに、自分の内部要求に即応した短詩のリズムを見出してゆくこと。
作句の上にイメージを尊重すること。
今から60年前に「現代川柳」を推進しようとした川柳人の精神はこのようなものだった。それが現在そのままのかたちで「現代川柳」の内実として定義できるわけでもないから、今度のアンソロジーでは「伝統であれ革新であれ、文芸としての川柳を志向する作品」という曖昧な表現をしている。半世紀にわたる現代川柳史を意識してのことだ。
1571年、ボルドーでの法官生活から引退して故郷の村に帰ったモンテーニュは、邸宅の一隅にある塔にこもって、その後20年間『エセー』の執筆を続けた。この塔はモンテーニュの塔として有名である。塔にこもりっきりだったのかというとそうでもなく、彼はボルドーの市長を務めたり、ローマに旅行したりしている。旧教徒と新教徒の宗教戦争のさなかであり、ペストの流行もあった大変な時代である。
「最近わたしは、自分に残されているこの少しばかりの余生を静かにひとから離れて過ごすようにしよう。それ以外にはどのようなことにもかかずらうまいと、わたしにできるかぎりではあるが、心に決めて、自分の家に引退した」(「何もしないでいることについて」)
同じことをわが兼好法師は次のように言っている。
「つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」
コロナ下で自粛生活が続くが、それぞれの表現者が着々と仕事を進めている。
『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)が昨年10月末に刊行されて、現代川柳に対する関心が高まるきっかけになっているようだ。
反応はいろいろあるが、まず「現代川柳というものがあることをはじめて知った」という感想がある。それにはいろいろな意味があると思う。
「古川柳」というものがあることは、たぶん誰でも知っている。『柳多留』などの古川柳に対して、「現代川柳」が存在することに対しては、単純に存在が知られていない場合と、存在は知っていても「現代川柳」は認めないという立場がある。大岡信は「折々のうた」で古川柳を取り上げたが、現代川柳は取り上げなかった。現代川柳の句会・大会に俳人を選者に招いた場合でも、「現代川柳っぽい句」は採らないというスタンスで選句されてしまう場合がある。
次に「サラリーマン川柳」「シルバー川柳」「健康川柳」などは聞いたことがあるが、「現代川柳」を読むのははじめてという場合。「〇〇川柳」というかたちで世間に流布している川柳を「属性川柳」と呼ぶことがある。ひとつの領域に特化した川柳である。そうすると「現代川柳」も「猫川柳」「犬川柳」などと同様の属性川柳のひとつということになる。現に書店ではこれらの川柳が同じように並べられている。
そういう様々な受けとめ方を含めて「はじめまして」というタイトルは時宜を得たものだったのかも知れない。書肆侃侃房が短歌の本を多く出していることもあって、本書は歌人の読者からはおおむね好意的に受け止められているようだ。
川柳人の反応はどうかというと、キャリアの長い川柳人にとっては本書に収録されている作者の大部分は既読の作品となるだろう。だから第三章の「現代川柳の源流」に収録されている川上日車や木村半文銭などの作品が逆に新鮮だったかもしれない。
ここまで「現代川柳」という言葉を曖昧に使ってきたが、それでは「現代川柳」とはどのような作品を言うのだろうか。本書では次のように述べられている。
〈伝統であれ革新であれ、文芸としての川柳を志向する作品を「現代川柳」と呼んでおこう。〉
これは実にアバウトな定義なのだが、アンソロジーへの収録に当たって、ストライクゾーンはできるだけ広く設定しておきたいというつもりもあった。「現代川柳」の議論をするより、まず作品を読んでほしいということだが、少しだけ補足をしておきたい。
本書にも書いておいたが、「現代川柳」を定義しようとすれば、河野春三に行きつく。春三の『現代川柳への理解』(天馬発行所、1962年)から引用してみよう。
〈ここに「現代川柳」というのはそうした革新的な進歩的な川柳をさして呼んでいるので、特に「現代」という文字に意識的な重点をおいていることを知ってほしい。〉
〈現在生きている人間が作った川柳であるからという意味でなら、何でも全部現代川柳といえぬことはない。然し、私達が提唱している現代川柳が意味する「現代」は少し違う。〉
「現代の川柳」と「現代川柳」は違う。春三は「現代川柳」の精神について具体的に次のように挙げている。
現代人としての意識に目覚め、現代人の手で、現代人の感覚によって川柳を作って行くこと。
川柳を非詩の立場でなく、短詩ジャンルの一分野として確立して行くこと。
根底に批評精神をもつこと。
内容の自由性を欲求すること。
日記川柳・報告川柳・綴り方川柳の名で呼ばれるトリヴィアリズムを排撃すること。
必ずしも5・7・5の一定のリズムでなしに、自分の内部要求に即応した短詩のリズムを見出してゆくこと。
作句の上にイメージを尊重すること。
今から60年前に「現代川柳」を推進しようとした川柳人の精神はこのようなものだった。それが現在そのままのかたちで「現代川柳」の内実として定義できるわけでもないから、今度のアンソロジーでは「伝統であれ革新であれ、文芸としての川柳を志向する作品」という曖昧な表現をしている。半世紀にわたる現代川柳史を意識してのことだ。
1571年、ボルドーでの法官生活から引退して故郷の村に帰ったモンテーニュは、邸宅の一隅にある塔にこもって、その後20年間『エセー』の執筆を続けた。この塔はモンテーニュの塔として有名である。塔にこもりっきりだったのかというとそうでもなく、彼はボルドーの市長を務めたり、ローマに旅行したりしている。旧教徒と新教徒の宗教戦争のさなかであり、ペストの流行もあった大変な時代である。
「最近わたしは、自分に残されているこの少しばかりの余生を静かにひとから離れて過ごすようにしよう。それ以外にはどのようなことにもかかずらうまいと、わたしにできるかぎりではあるが、心に決めて、自分の家に引退した」(「何もしないでいることについて」)
同じことをわが兼好法師は次のように言っている。
「つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」
2021年1月17日日曜日
川柳と物語性
コロナ禍で外出がままならないので、テレビを見て過ごす時間が増えた。エムオンやスペースシャワーなどの音楽番組をBGMがわりにつけているが、最近のいろいろなミュージシャンの曲が耳に入ってくる。
年末の紅白歌合戦では、YOASOBIが沢山の本に囲まれて「夜に駆ける」を歌ったことが目をひいた。場所は角川武蔵野ミュージアムの本棚劇場だそうだ。YOASOBIはそもそも小説を音楽にするプロジェクトから誕生したというから、本に囲まれて歌うのはふさわしい。「夜を駆ける」は星野舞夜の小説「タナトスの誘惑」に基づいているという。
紅白では星野源が「うちで踊ろう」に二番の歌詞を付けて歌ったことも評判になった。「たまに重なり合うよな僕ら」「常に嘲りあうよな僕ら」というフレーズが耳に残った。ひとは本来ひとりなのだが、だからこそ時にはともに何かをすることが必要なのだというメッセージと受け取った。
あいみょんの人気もすごいが、彼女はある番組で「物語として読める歌詞を書きたい」と言っていた。物語に対する欲求は文学の読者だけではなく、ひろく音楽の世界にも入ってきているのだろう。現在のような困難な時代だからこそ人々は物語を必要とする。
でんぐり返しの日々 可哀想なふりをして (あいみょん「マリーゴールド」)
いつかはひとり いつかはふたり (「ハルノヒ」)
僕の心臓のBPMは190になったぞ(「君はロックを聴かない」)
物語性のある作品を書く川柳人といえば、広瀬ちえみがまず思い浮かぶ。
広瀬は『セレクション柳人14広瀬ちえみ集』(邑書林)に収録されている文章で次のように書いている。
「では短詩形といわれる川柳は物語ではないのだろうか。あるいはポエジーといわれる詩は、「季語」や「切れ」を武器にしている俳句は、物語ではないのだろうかという疑問はいつもつきまとっている。作品ができたとき、頭の中には、つねに自分なりのひとつの物語ができるからである。初心のときから「韻文、韻文」とまるでお経のように言われてきた。韻文は物語ではないのだろうか。五・七・五のリズムに乗せて、あることないことを書くのは物語ではないのだろうか」(「思い」の問題)
ビニールの木に水をやったら笑ったわ 広瀬ちえみ
散文と韻文の違い。小説(物語)は散文、短歌・俳句・川柳は韻文というように一応は分けられるが、物語は散文で、美の世界は韻文で、というように截然と分けられるものでもない。川柳のなかにも散文性は存在するし、現実を直視する散文精神はメッセージ性ともつながってゆくから川柳と無縁ではない。
『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)から物語の感じられる川柳を抜き出しておこう。
見たことのない猫がいる枕元 石部明
つぎつぎと女が消える一揆の村 海地大破
吊橋の快楽をいちどだけ兄と 渡部可奈子
人殺しして来て細い糞をする 中村冨二
読者の想像力を刺激するような句である。小説や物語の一場面のようにも読めるし、川柳の一句が一編の小説に匹敵するとも言える。
コロナ禍でいくつかの川柳句会が終了に追い込まれている。句会は人が集まらなければ成立しないから、座の文芸の性格が強いところではやむを得ないのだろう。それぞれの川柳グループがコロナ下で対応に苦慮している。
誌上句会・大会に切りかえる
ネット句会
Zoomなどを利用したリモート句会
感染対策をしたうえで句会を開催する
など対応はさまざまだ。私もこの一年ほどリアル句会に参加していない。ひとりで作句を続ければいいようなものだが、句会に出られない状況はナマの川柳の感覚から遊離してゆく怖さがある。特に川柳の場合は句会後の懇親会がディープで、一概には言えないが短歌・俳句の飲み会よりも人間関係が濃密だから、酒席の場が禁じられている現状には辛いものがある。
文芸における個人と場の関係を、大岡信は「うたげと孤心」と呼んでいる。いまは各人が孤独に自らの営為を続ける時期だろうが、直接会えなくても他の人とコミュニケーションをとる手段はいろいろあるので、孤立しているわけではなく、遠いところでつながっていると思いたい。
マスクしてたって笑窪なんでしょう 岡田幸生
年末の紅白歌合戦では、YOASOBIが沢山の本に囲まれて「夜に駆ける」を歌ったことが目をひいた。場所は角川武蔵野ミュージアムの本棚劇場だそうだ。YOASOBIはそもそも小説を音楽にするプロジェクトから誕生したというから、本に囲まれて歌うのはふさわしい。「夜を駆ける」は星野舞夜の小説「タナトスの誘惑」に基づいているという。
紅白では星野源が「うちで踊ろう」に二番の歌詞を付けて歌ったことも評判になった。「たまに重なり合うよな僕ら」「常に嘲りあうよな僕ら」というフレーズが耳に残った。ひとは本来ひとりなのだが、だからこそ時にはともに何かをすることが必要なのだというメッセージと受け取った。
あいみょんの人気もすごいが、彼女はある番組で「物語として読める歌詞を書きたい」と言っていた。物語に対する欲求は文学の読者だけではなく、ひろく音楽の世界にも入ってきているのだろう。現在のような困難な時代だからこそ人々は物語を必要とする。
でんぐり返しの日々 可哀想なふりをして (あいみょん「マリーゴールド」)
いつかはひとり いつかはふたり (「ハルノヒ」)
僕の心臓のBPMは190になったぞ(「君はロックを聴かない」)
物語性のある作品を書く川柳人といえば、広瀬ちえみがまず思い浮かぶ。
広瀬は『セレクション柳人14広瀬ちえみ集』(邑書林)に収録されている文章で次のように書いている。
「では短詩形といわれる川柳は物語ではないのだろうか。あるいはポエジーといわれる詩は、「季語」や「切れ」を武器にしている俳句は、物語ではないのだろうかという疑問はいつもつきまとっている。作品ができたとき、頭の中には、つねに自分なりのひとつの物語ができるからである。初心のときから「韻文、韻文」とまるでお経のように言われてきた。韻文は物語ではないのだろうか。五・七・五のリズムに乗せて、あることないことを書くのは物語ではないのだろうか」(「思い」の問題)
ビニールの木に水をやったら笑ったわ 広瀬ちえみ
散文と韻文の違い。小説(物語)は散文、短歌・俳句・川柳は韻文というように一応は分けられるが、物語は散文で、美の世界は韻文で、というように截然と分けられるものでもない。川柳のなかにも散文性は存在するし、現実を直視する散文精神はメッセージ性ともつながってゆくから川柳と無縁ではない。
『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)から物語の感じられる川柳を抜き出しておこう。
見たことのない猫がいる枕元 石部明
つぎつぎと女が消える一揆の村 海地大破
吊橋の快楽をいちどだけ兄と 渡部可奈子
人殺しして来て細い糞をする 中村冨二
読者の想像力を刺激するような句である。小説や物語の一場面のようにも読めるし、川柳の一句が一編の小説に匹敵するとも言える。
コロナ禍でいくつかの川柳句会が終了に追い込まれている。句会は人が集まらなければ成立しないから、座の文芸の性格が強いところではやむを得ないのだろう。それぞれの川柳グループがコロナ下で対応に苦慮している。
誌上句会・大会に切りかえる
ネット句会
Zoomなどを利用したリモート句会
感染対策をしたうえで句会を開催する
など対応はさまざまだ。私もこの一年ほどリアル句会に参加していない。ひとりで作句を続ければいいようなものだが、句会に出られない状況はナマの川柳の感覚から遊離してゆく怖さがある。特に川柳の場合は句会後の懇親会がディープで、一概には言えないが短歌・俳句の飲み会よりも人間関係が濃密だから、酒席の場が禁じられている現状には辛いものがある。
文芸における個人と場の関係を、大岡信は「うたげと孤心」と呼んでいる。いまは各人が孤独に自らの営為を続ける時期だろうが、直接会えなくても他の人とコミュニケーションをとる手段はいろいろあるので、孤立しているわけではなく、遠いところでつながっていると思いたい。
マスクしてたって笑窪なんでしょう 岡田幸生
2021年1月8日金曜日
丑年にちなんで牛の川柳を
新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
年末年始は晩酌にもっぱら「黒牛」(くろうし)を飲んでいる。これは和歌山県海南市の酒である。年頭の文章、丑年にちなんで、牛の川柳を探してみた。こういうときは『類題別番傘川柳一万句集』(創元社)が便利である。
屠殺場へ行く牛の目が我へ向く 可明 (『類題別番傘川柳一万句集』)
牛売って以来息子がだまりこみ 白影
うなずいてうなずいて牛坂を行く 兵六
牛売った牛小屋牛の足のあと 京糸
アスファルト牛のよだれの心電図 紅寿
一等賞牛はちっともよろこばず 一香
乳牛の思案は柵へあごをのせ 南都
虻一匹牛の思案の邪魔をする 梵鐘
牛生きる京に祭りのあるかぎり 可川人
買戻す牛へ明るい稲を刈り 水星
たたかれて牛は二三歩ほど急ぎ 佳汀
御所車牛の世界もあったもの 朴堂
牛引いて雲の流れについてゆく 鈴木一三 (『続類題別番傘川柳一万句集』)
牛に物言い出稼ぎの朝を発つ 小笠原一郎
農を継ぐビジョンへ牛の目がかなし 岡田恵方
裏山も買い占められて牛が鳴く 鈴木一三
にんげんの為に肥えねばならぬ牛 伊藤たけお
品評会なんにも知らぬ牛が鳴く 高比良俊彰
行きしぶる子牛なだめて牛の市 高城史朗
売られゆく牛もうと鳴く発車ベル 東野節子
牛の子が売れてさびしいハーモニカ 大矢左近太郎
街の子に牛の親子が絵にされる 大谷章
ジェット機音乳牛はさらに痩せ 山口勉
『類題別番傘川柳一万句集』は1963年10月、『続類題別番傘川柳一万句集』は20年後の1983年12月の発行である。一時代前は句会に行く前に、この句集で同じ題の句を調べて同想句がないかチェックしてから臨んだという話も聞く。今はそんなことをしないし、川柳観も変化してきている。日常生活の中で牛を見る機会はもうほとんどなくなった。資料性もあるので、牛の句を全部抜き出したが、平賀紅寿の作品などは今でもおもしろいと思う。
牛の川柳では木村半文銭の句が有名だ。
夕焼の中の屠牛場牛牛牛牛牛牛牛牛牛牛 半文銭
俳句では牛はどのように詠まれているだろうか。
季語としては「牛洗う」(冷し牛)のかたちで出てくる。夏の季語で、牛馬を川などで洗う風景である。馬の場合は「馬洗う」「冷し馬」となる。
牛浸けて川幅なせり鶴見川 水原秋桜子
冷されて牛の貫禄しづかなり 秋元不死男
冷す牛暮色に耐へず鳴くなめり 篠田悌二郎
この三句が牛そのものに焦点を当てているのに対して、前掲の川柳作品は牛に対する人間の感情が中心になっているが、それが俳句と川柳の違いとまで言えるかどうかは分からない。ちなみに『番傘川柳百年史』によると、1983年のところに平井青踏の「川柳における季語」という文章が紹介されている。岩井三窓の句を例句に挙げて俳句と比較している。
炬燵の火あつし我が家の幸とする 岩井三窓
横顔を炬燵にのせて日本の母 中村草田男
さあ涙を拭いてすき焼きが煮えつまる 岩井三窓
鋤焼の香が頭髪の根に残る 山口誓子
思いみな明治に還り餅を焼く 岩井三窓
餅焼くやはるかな時がかへり来ぬ 加藤楸邨
この時点における川柳と俳句の発想と表現の共通性と違いが感じられる。奥田白虎の『川柳歳時記』(創元社)は川柳作品を歳時記仕立てで編集しているが、「牛洗う」の項に次のような句が収録されている。
三日目によりを戻して牛洗う 鈴木一三
牛の背を洗う少年村を出ず 佐々木京子
冷やし牛序列あるらし牧場主 野瀬郵生
牛洗う明日せりに出す牛洗う 鳩崎路人
牛洗う小川に残るわらべ唄 中田たつお
牛の郷土玩具に「赤べこ」があるが、疫病退散の意味があるらしい。天然痘封じの玩具だそうだ。禅では「十牛図」が人間の心・悟りの段階を表現していると言われる。尋牛・見牛・得牛・牧牛などの段階を経て悟りにたどりつくようだ。
インドでは牛は神聖な動物である。秋野不矩の絵「ガンガー」では何頭もの水牛が頭だけ出してガンジス川を泳いでゆく。密教の大威徳明王は水牛にまたがっている。
手前味噌になるが、私の第一句集は『水牛の余波』。最後に牛を詠んだ拙句を書き留めておこう。
川上で心の牛を取りかえる 小池正博
いつもそうだった牛部屋のニヒリズム
水牛の余波かきわけて逢いにゆく
年末年始は晩酌にもっぱら「黒牛」(くろうし)を飲んでいる。これは和歌山県海南市の酒である。年頭の文章、丑年にちなんで、牛の川柳を探してみた。こういうときは『類題別番傘川柳一万句集』(創元社)が便利である。
屠殺場へ行く牛の目が我へ向く 可明 (『類題別番傘川柳一万句集』)
牛売って以来息子がだまりこみ 白影
うなずいてうなずいて牛坂を行く 兵六
牛売った牛小屋牛の足のあと 京糸
アスファルト牛のよだれの心電図 紅寿
一等賞牛はちっともよろこばず 一香
乳牛の思案は柵へあごをのせ 南都
虻一匹牛の思案の邪魔をする 梵鐘
牛生きる京に祭りのあるかぎり 可川人
買戻す牛へ明るい稲を刈り 水星
たたかれて牛は二三歩ほど急ぎ 佳汀
御所車牛の世界もあったもの 朴堂
牛引いて雲の流れについてゆく 鈴木一三 (『続類題別番傘川柳一万句集』)
牛に物言い出稼ぎの朝を発つ 小笠原一郎
農を継ぐビジョンへ牛の目がかなし 岡田恵方
裏山も買い占められて牛が鳴く 鈴木一三
にんげんの為に肥えねばならぬ牛 伊藤たけお
品評会なんにも知らぬ牛が鳴く 高比良俊彰
行きしぶる子牛なだめて牛の市 高城史朗
売られゆく牛もうと鳴く発車ベル 東野節子
牛の子が売れてさびしいハーモニカ 大矢左近太郎
街の子に牛の親子が絵にされる 大谷章
ジェット機音乳牛はさらに痩せ 山口勉
『類題別番傘川柳一万句集』は1963年10月、『続類題別番傘川柳一万句集』は20年後の1983年12月の発行である。一時代前は句会に行く前に、この句集で同じ題の句を調べて同想句がないかチェックしてから臨んだという話も聞く。今はそんなことをしないし、川柳観も変化してきている。日常生活の中で牛を見る機会はもうほとんどなくなった。資料性もあるので、牛の句を全部抜き出したが、平賀紅寿の作品などは今でもおもしろいと思う。
牛の川柳では木村半文銭の句が有名だ。
夕焼の中の屠牛場牛牛牛牛牛牛牛牛牛牛 半文銭
俳句では牛はどのように詠まれているだろうか。
季語としては「牛洗う」(冷し牛)のかたちで出てくる。夏の季語で、牛馬を川などで洗う風景である。馬の場合は「馬洗う」「冷し馬」となる。
牛浸けて川幅なせり鶴見川 水原秋桜子
冷されて牛の貫禄しづかなり 秋元不死男
冷す牛暮色に耐へず鳴くなめり 篠田悌二郎
この三句が牛そのものに焦点を当てているのに対して、前掲の川柳作品は牛に対する人間の感情が中心になっているが、それが俳句と川柳の違いとまで言えるかどうかは分からない。ちなみに『番傘川柳百年史』によると、1983年のところに平井青踏の「川柳における季語」という文章が紹介されている。岩井三窓の句を例句に挙げて俳句と比較している。
炬燵の火あつし我が家の幸とする 岩井三窓
横顔を炬燵にのせて日本の母 中村草田男
さあ涙を拭いてすき焼きが煮えつまる 岩井三窓
鋤焼の香が頭髪の根に残る 山口誓子
思いみな明治に還り餅を焼く 岩井三窓
餅焼くやはるかな時がかへり来ぬ 加藤楸邨
この時点における川柳と俳句の発想と表現の共通性と違いが感じられる。奥田白虎の『川柳歳時記』(創元社)は川柳作品を歳時記仕立てで編集しているが、「牛洗う」の項に次のような句が収録されている。
三日目によりを戻して牛洗う 鈴木一三
牛の背を洗う少年村を出ず 佐々木京子
冷やし牛序列あるらし牧場主 野瀬郵生
牛洗う明日せりに出す牛洗う 鳩崎路人
牛洗う小川に残るわらべ唄 中田たつお
牛の郷土玩具に「赤べこ」があるが、疫病退散の意味があるらしい。天然痘封じの玩具だそうだ。禅では「十牛図」が人間の心・悟りの段階を表現していると言われる。尋牛・見牛・得牛・牧牛などの段階を経て悟りにたどりつくようだ。
インドでは牛は神聖な動物である。秋野不矩の絵「ガンガー」では何頭もの水牛が頭だけ出してガンジス川を泳いでゆく。密教の大威徳明王は水牛にまたがっている。
手前味噌になるが、私の第一句集は『水牛の余波』。最後に牛を詠んだ拙句を書き留めておこう。
川上で心の牛を取りかえる 小池正博
いつもそうだった牛部屋のニヒリズム
水牛の余波かきわけて逢いにゆく