2019年7月21日日曜日

『藤原月彦全句集』(六花書林)

龍一郎と月彦
2000年ごろ、欠かさず読んでいたブログに正岡豊の「折口信夫の別荘日記」と藤原龍一郎の「電脳日記 夢見る頃を過ぎても」があった。この二つからは多大な刺激を受けた。当時私は「きさらぎ連句会通信」という連句を中心にしたフリーペーパーを出していたが、それを最初に認めてくれたのもこの両人だった。
藤原の話を実際に聞いたのは「川柳ジャンクション2001」のときだったと思う。『現代川柳の精鋭たち』(北宋社)をめぐってのシンポジウムで、パネラーは荻原裕幸・藤原龍一郎・堀本吟。
そのときの記録によると、藤原は川柳についてこんなふうに発言している。
「好きで三十年も関わってきた短詩型文芸のなかに、まだ自分がまったく足を踏み入れていない領域がこれだけ広大に広がっているというのがすごくうれしかった。そこには評価する部分と同時に不思議に思う部分がありました」
藤原は評価する部分として
①世界を批評する姿勢②日常に陰翳を発見する視線③季語的な既成イメージに依りかからない表現意志④定型への疑い⑤洗練を拒否する文体
の五点を挙げた。逆に疑問に思ったこととしては
①参加者の平均年齢が高い②題詠で作られる作品の不思議③筆名の不可解さ(号はギミックなのか)④単行作品集の少なさ⑤現代仮名づかい
が挙げられている。そして最後に
俳人には「上がり」があるが川柳作家には「上がり」がない
と述べた。「上がり」とは大新聞の選者になるなどの最終ステイタスということだろう。
『現代川柳の精鋭たち』についての感想であり、18年前の発言なので、いま藤原が同じ感想をもっているかどうかは分からないが、川柳をめぐる状況が変わった部分もあり変わらない部分もあることだろう。
藤原の著書では『短歌の引力』(柊書房)も熱心に読んだ。中国の戦地から「アララギ」に短歌を送り続けた渡辺直己を「前線歌人というギミック」」として論じた文章など印象に残っている。あと、手元にある藤原龍一郎の歌集から引用しておこう。

乱歩はた荷風の虚無と快楽と綴り尽くさば美貌の都
百年の孤独ぞ驟雨の東京を切り裂きジャックのごとく歩めば
〈私〉という存在を端的に蟲喰花喰蟲と喩えて
赤光の茂吉にまたぎ越えられて腐り腐りて今日の赤茄子
直喩より暗喩こそふさわしきかな歌姫中森明菜・病葉

歌人・藤原龍一郎が俳人・藤原月彦であることは承知していたが、私にとって彼はまず歌人として現われたことになる。
私は「豈」の同人なので、彼の作品は「豈」誌上で読んでいたし、「里」では媚庵の名で作品を発表しているのも承知していた(媚庵はトランペッターにして小説家ボリス・ヴィアンをもじったものだろう)。しかし、『王権神授説』の存在は一種の月彦伝説として霧の彼方に存在していた。今回、『藤原月彦全句集』(六花書林)の刊行によって、月彦の作品はようやくその全貌をあらわしたことになる。

右眼・左眼

少年の左眼に映るは椿事ばかり
邪恋かな射手座に右の瞳を射られ

右眼と左眼に映っているのは別の世界かもしれない。見えているのは現実だが、現実に覆い被さるようにしてもうひとつの別の世界が見えているとしたら、世界は二重の存在構造になってゆく。少年の左眼に映っている椿事とは何だろう。日常とは別の何かが見えているに違いない。
幻想を見るのが左眼だとも限らない。射手座に射られた右眼は見えなくなるのかも知れないし、今まで見えなかったものが見えるようになるのかも知れない。

虚構の家族

駆落ちの姉の声聞く桜闇
壜詰めのエロス金曜物語
致死量の月光兄の蒼全裸
夭折の兄かもしれず海蛍
憂国や未婚の亡兄の指を咬み

三句目は「蒼全裸」に「あおはだか」のルビ。五句目は「亡兄」に「あに」のルビ。
エロスは禁じられることによって本物の恋に変質する。伊勢の斎宮に対する恋や三島由紀夫『豊穣の海』第一部「春の雪」における恋など枚挙にいとまがない。
兄の指を咬むのは愛咬・あまがみだろう。しかも、この兄は夭折したようだ。
虚構の家族を詠むことは短詩型文学にしばしば見られるが、ここには濃厚なエロスが漂っている。
『俳句世界1エロチシズム』(1996年8月、雄山閣)に歌仙「砂熱し」の巻(前田圭衛子捌き)が収録されている。発句は「砂熱し来いというから来てみたが」(上野遊馬)。そのウラの二句目・三句目はこんなふうに。

 エロスの羽は壜詰めのまま  正博
少年の髭うっすらと泣けるごと 麗

こういう世界はすでに藤原月彦が表現していたのだった。

アルンハイム世襲領
ポーに「アルンハイムの地所」(The Domein of Arnheim)という小説がある。
莫大な遺産を手にした男が理想の庭園(領地)を作りあげる話である。
自然は完璧ではない。人工の手を加えることで完全なドリームランドを作りあげるというのだ。
シュールレアリスムの画家・マグリットはこの小説にヒントを得て「アルンハイムの領地」を描いた。断崖の稜線に鳩が羽を広げた姿が描きこまれているシュールな絵である。画面の手前には卵のある鳥の巣が置かれている。
江戸川乱歩の「パノラマ島奇譚」にもポーの小説の影響があると言われる。
そして、わが藤原月彦は俳句によって「世襲領」を構築している。

ジンと血の匂いて世襲領に夏
炎天の花から肉へ孵るダリ
亡命の日よりの姉の夢遊病
乱歩忌の劇中劇のみなごろし
遠雷を神々の訃とおもうべし

マグリットではなく、ダリの名が出て来るが、「内乱の予感」などのシュールな絵は作者の脳裏に揺曳していたに違いない。最後の句は「神々の黄昏」を表出したワグナーであろうか。月彦の脳裏にはさまざまな表象が浮かんでは消えていったのだろう。

貴腐

此処過ぎてまたひとり減る花野行
赤黄男忌の世界の大部分は雨
剃刀を泉にあらふ夢のあと
ひかりごけ塗りて聖夜の遊びなる
兄妹羽化しつつありあかずの間

第二句集『貴腐』、中島梓の解説がいい。
「藤原月彦は、形に耐えかねて無形に逃れる徒輩ではない。しかしまた、彼は、足を踏みそこね、踏み出しすぎ、あるいは踏みはずすことを恐れて、手を拱いて伝統の内に立ちつくすたぐいの俳人でもない。彼は、わずか十七文字のうちに、観念を、思惟を、美学をすら導き入れるにためらわぬだけの、勇気と、大胆さと、そして力量とをかねそなえている。彼にとって、十七文字のミクロコスモスは、そのひとことひとことに全世界をもはらみうる、フェッセンデンの宇宙となった」
「フェッセンデンの宇宙」はSFで、実験室で作られた人工の小宇宙。
年譜によると、1983年から1988年まで藤原は秦夕美との二人誌「巫朱華」(プシュケと読むのだろう)を発行していたという。

魔都
久生十蘭の推理小説に『魔都』がある。
魔都と呼ばれる都市には東京や上海などがあるが、藤原は句集『魔都 魔界創世記篇』『魔都 魔性絢爛篇』『魔都 美貌夜行篇』を出している。1920年代の探偵小説誌「新青年」を連想させ、タイトルを眺めているだけで楽しいではないか。

梔子の闇かと問へば否と応ふ
卯の花腐し美少年腐し哉
人撃たれ唐突に花野となりぬ
どこまで歩けば空蟬を棄てられる
妖かしの春の橘外男かな

驚くべきことに藤原は『魔都』という句集を百冊だすことを構想していたらしい。
「私は今までに、『王権神授説』『貴腐』『盗汗集』なる三冊の句集を上梓し、『パラダイスそして誰よりも遠き夕暮』と『迦南』という未刊句集をもっているが、この『魔都』は、それらの独立性ある作品集とは異なり、大河大ロマン句集の第一巻として、刊行するものである」「とりあえず全100巻と予告しておくが、このような構想が、俳句史上、空前絶後であることはまちがいない」
バルザックの人間喜劇やフォークナーのヨクナパトーファ・サーガに匹敵するような世界の構築を俳句で行なおうとする壮大な試みであろう(藤原が挙げているのは、栗本薫のグイン・サーガと半村良の『太陽の世界』)。それは三巻で終わったけれど、こんなことを考えた人は他にはいない。

1970・80年代と2010年代

ポー、澁澤龍彦、江戸川乱歩、三島由紀夫などこの句集にはブッキッシュなイメージが散りばめられているし、70年代に残っていた「革命的ロマン主義」の匂いもする。
刊行された時代の反映もあるが、いま全句集として出されることによって現代の句集としてどのように読まれるのか、興味深いところだ。「BL俳句」の先駆的な部分もあり、句集によってひとつの世界を構築するというやり方は現代性を失っていないと思われる。

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