『川柳サイドSpiral Wave』は飯島章友・川合大祐・小池正博・榊陽子・兵頭全郎・柳本々々の六人による合同句集である。30句ずつ掲載されており、「現代川柳百人一句」(小池正博・選出)が付いている。
本日、取り上げるのは川合大祐の作品である。
川合の作品は三句一組で10セット。三句が先行する漫画・アニメ・映画・小説・絵画などを素材として踏まえて作られている。たとえば、
「私たちは最初からあなたたちが大嫌いで、最初からあなたたちが大好きだった」幾原邦彦『ユリ熊嵐』
萌えキャラのひき返しては熊射殺 川合大祐
熊を撃つ地球が沈む絵のように
弾丸の摘出法を説くアニメ
というような具合。私はアニメの「ユリ熊嵐」を見ていないので、よくわからないが、短歌などの他ジャンルでも「ユリ熊嵐」に基づいた作品を見かけたことがある。
川合は、ほかに上北ふたご『ふたりはプリキュア Splash☆Star』、宮崎駿『風の谷のナウシカ』なども取り上げているが、「ナウシカ」の方は私にもよく分かる。
税金で明るい暮らしトルメキア
ユパ様の思春期ほどに遠い過去
巨神兵いい筋肉は柔らかく
小説ではイアン・マクドナルド『火星夜想曲』、クリフォード・D・シマック『都市』、横溝正史『獄門島』も用いられていて、川合が幅広く読書していることがわかる。
むざんやな(獄門島で覚えた句)
(今書いた川柳すべて消しなさい)
(好きでした)×(獄門島で殺したい)
「獄門島」では芭蕉の「むざんやな冑の下のきりぎりす」「うぐいすの身を逆さまに初音かな」などに見立てて殺人事件がおこなわれるのだった。
『川柳サイドSpiral Wave』で川合は最後に「十牛図」を持ち出している。禅の悟りの十段階を牛の絵で示したものだが、ピンク・フロイドの「原子心母」を掛け合わせているところが一筋縄ではいかない。これはアルバムのジャケットに牛が使われているので有名なもの。
まだ牛であった時代の四国斑
意味よりもないものとして手を握る
乳牛の長い唾液は比喩なのか
このような作句法はある意味で川柳に親和的である。川柳は題詠が多いので、先行する作品を題(前句)として句を詠むという発想はありうる。川合の場合はアニメ・漫画を使っているところに現代性がある。
「川柳スープレックス」に川合は「200字川柳小説」というのを書いている。招待作品や任意の川柳作品に短い小説を添える試みである。彼は何のためにそんなことをしているのだろう。たとえば2017年2月19日の「薔薇の名前」。
「1877年、マーシュとコープとの間に勃発した〈化石戦争〉において」と〈博士〉は語りはじめ、「結果として、〈ブロントサウルス〉の名前を」と続けた時、〈偉人〉が乱入してきて、「〈ブロントサウルス〉はその名前であり続けるべきだ」と銃を振り回すのを〈下駄日和〉が制止して、「名前などどうでもいいだろ」、「いや」と〈水母に似た彗星〉が異議を唱え、「私達のあだ名は考えるべきだ」、ところで、吾輩は〈猫〉である。
おまえのせぼねにあだ名をつけてやる博士泣きながら 柳本々々
(「そういえば愛している」/『川柳サイド Spiral Wave』より)
「川柳スープレックス」に作品を発表すると、川合がどんな文章を付けてくれるだろうという楽しみがある。人によっては自作に何も付けてほしくないという向きもあるかもしれないが、川柳に別のものを付けることによって立ち上がってくるものがある。
「二次創作」という方法がある。
アニメなどでは当たり前になっているのかもしれないが、「二次創作」について東浩紀の『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)ではこんなふうに書かれている。
「二次創作とは、原作のマンガ、アニメ、ゲームをおもに性的に読み替えて制作され、売買される同人誌や同人ゲーム、同人フィギュアなどの総称である。それらはおもに、年二回東京で開催されるコミケや、全国でより小規模に無数に開催されている即売会、またインターネットなどを介して活発に売買が行われている」
「原作もパロディもともに等価値で消費するオタクたちの価値判断は、確かに、オリジナルもコピーもない、シミュラークルのレベルで働いているように思われる」
「二次創作」が活発に行われているのは短歌においてである。
ネットで検索すると、すでに2013年に「進撃の巨人」をもとにした二次創作が短歌で作られている。
川合は短歌も作っているから、「二次創作」のことはよく知っているだろう。
川合の川柳にはいろいろな方向性があるが、川柳における二次創作の試みもそのひとつであって、今後彼がどんなふうに新しい領域を切り開いてゆくのか注目している。
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