2016年3月11日金曜日

昨夜助けた石鹸―『井泉』68号

『井泉』68号(2016年3月)、招待作品として、きゅういちの「洗面器」15句が掲載されている。『井泉』は、春日井建の没後、2005年1月に創刊された短歌誌。編集発行人・竹村紀年子。招待作品に短歌・俳句・現代詩のほか川柳も掲載されることがあって、この時評でもこれまで何回か取り上げてきた。

方法が満たされている洗面器   きゅういち

「洗面器」という連作の一句目。
湯水ではなくて「方法」という抽象的なもので洗面器が満たされている。その結果、「洗面器」も抽象化され、比喩的な意味をもってくる。
「煮えたぎる鍋 方法はふたつある」(倉本朝世)という句がある。きゅういちの場合は方法は二つではなくて多数あるのだろう。

牛乳の膜を揺らして来る正午

来るのは誰(何)か。誰かが(何かが)やって来るのだろうが、「正午」がやって来るようにも読める。「牛乳の膜を揺らして」というのは牛乳缶をぶらさげて来るというより、何らかの状況を表現しているようだ。牛乳を飲もうとすると膜ができている。膜は飲むのにじゃまになるが、膜ができるところが牛乳らしいとも言える。誰かが(何かが)薄膜を揺らしてやって来るのだ。
攝津幸彦に「階段を濡らして昼が来てゐたり」という句があって、「昼」は女の名だという読みをした人があったことを思い出した。

名前呼ぶしばらくあって家鳴りする

振動で家が揺れる。地面が揺れるのだろうが、名前を呼んだあと、家鳴りがおこる。「家鳴り」とはポルターガイストのようなものだろうか。
「私」が誰かの名前を呼ぶのか、誰かに名前を呼ばれるのか。地霊のような無気味な存在。
川端康成の『山の音』では山の音が心理的な揺らぎの象徴となっている。

来世から再三文字化けのメール

怪異の句が続く。異界からのメールは文字化けしていて読めないが、本来はメッセージがあったはずである。それが「再三」くるのだから、不安感をあおる。削除してもメールは届くのだ。

昨夜助けた石鹸が立っていた

これはもう「戦争が廊下の奥に立ってゐた」(渡辺白泉)のパロディだろう。
俳句史に残る名作と向き合う場合に、どのように表現したらいいか。きゅういちは「石鹸」を持ち出した。しかも、「昨夜助けた石鹸」である。
人を助けるというのは難しいものである。どこまでも助け続けることは不可能だし、助けたあとは自分で努力しなさいと突き放すのも中途半端だ。助けたのは石鹸である。風呂場か洗面台かわからないが、連作だとしたら洗面台かもしれない。石鹸が立ってこちらを見ていて、それが鏡に写っていたりする。滑稽にも思えるし、不条理とも受け取れる。

肉まんを潰し殉死をしてしまう

「肉まん」をつぶすという日常と「殉死」という厳粛な状況を結びつけてしまう。
乃木大将の殉死は漱石と鷗外にショックを与えた。
この句の場合、それほどの深刻さがないのは、「~をしてしまう」という文体のせいだろう。

心音の速いファミマのチキンをば

ファミマのフライドチキンはもう生きていないから心音がするはずはないのだ。単なる食物としてなら美味しく食べられるだろうが、そこに心音を聞きとってしまったら…さあ、あなたはどうするだろう。川柳は断言だという意見がある。また、未了性が川柳だという人もいる。この句では結末は読者に預けたままで、宙吊りになっている。
川柳の方法はいくつもあるのだ。狭い守備範囲を守って、その中で無難な句を書いていても仕方がない。きゅういちはいろいろな方法を駆使している。「ふらすこてん」44号ではこんな川柳を書いている。

玄武ゆく玉子パックを鞍にして      きゅういち
朱雀にいさんそこはソースとちゃいますか
「ま」のクチで座薬を待っている白虎

『井泉』68号では、リレー評論「現代に向き合う歌とは?」というテーマで、黒瀬珂瀾が「ほろびについて」という文章を書いていて、次のような歌が紹介されている。

君はあくまで塔として空港が草原になるまでを見ている    千種創一
虐殺を件で数えるさみしさにあんなに月は欠けていたっけ
映像がわるいおかげで虐殺の現場のそれが緋鯉にみえる
恐竜のように滅ぶのも悪くない 朝のシャワーを浴びつつしゃがむ
骨だった。駱駝の、だろうか。頂で楽器のように乾いていたな

これらは先ごろ歌評会のあった千種創一『砂丘律』から。

『井泉』は毎号、表紙に春日井建の絵が使われている。ここしばらく「笑い壺」の絵が使われている。種子のようなものが入った容器が「へへへ…」と笑っている図。春日井建のユーモア感覚がうかがえて楽しい。

『旬』204号(2016年3月)を読んでいて、宮本夢実が亡くなったことを知った。
10年くらい以前の『旬』のバックナンバーの中から紹介する。10句選ぼうと思ったが、いい句が多いのでその倍くらいになった。

掬われる金魚は人を選べない      宮本夢実
鍵ひとつあればいつでも蛇になる
幕間で変える表紙と裏表紙
弱い樹が先に切られる風の中
しくじってほどほどに揺れ大樹なり
ふるさとの空を見にゆく潜水艦
我がもの顔の風船がある腕の中
心ならずも落ちた穴からくる花信
人形の理屈を言わぬ膝頭
別れたいのでこっそりと烏賊になる
混沌の四月を背泳ぎでかわす
少年の指から漏れるアミノ酸
産道で最初に聴いたクラシック
咳をする造花だけには水をやる
背信の時刻表から遠ざかる
締まらぬ蛇口たためない鳥の羽
すぐ落ちる鳥で友達また増える
午後二時のうなじあたりにある沼だ
川になるアゲハに逢うと決めてから

「死」や「ほろび」について考えていると、石原吉郎の次の詩を何となく思い出した。

世界がほろびる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ

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