秋は文芸のイベントがいろいろ開催されるが、この前の土日の両日に大阪でもふたつのイベントがあった。
9月19日(土)には「マラソン・リーディング」が十三のカフェスロー大阪で開催された。マラソンリーディングが大阪で開催されるのははじめてらしい。
午後2時にはじまって6時半まで、四部に分かれてプログラムが続いたが、まず第一部で興味をひかれたのは香川ヒサの朗読。アイルランドで朗読したという短歌に英訳が付く。英訳は香川自身の手による。国際連句のことなどが連想された。
第二部のトップは今橋愛。今橋愛はマイナビブックス『ことばのかたち』に連載した『ここと うたと ことばのれんしゅう』の中から六首朗読した。これに舞踏家の周川ひとみの踊りがつく。私は最前列で見ていたが、周川の踊りには迫力があった。
私が短歌に接触していたのは十年くらい以前のことで、そのころ買った今橋の歌集『О脚の膝』が手元にある。司会の田中槐の『退屈な器』を読んだのもそのころだ。時の流れを感じる。
第三部、田中ましろは映像と短歌の朗読を組み合わせて発表。「青くてすこし苦い」という青春物。
第四部、最初の紺野ちあきは「国会前十万人デモ」と「箱根駅伝」の詩を朗読。気骨のある女性がいるものだ。龍翔は和田まさ子の詩「安心」を朗読。帰ってから調べてみると「詩客」に掲載されていた。
朗読にはそれぞれのスタイルがあって、それぞれおもしろかったのだが、この日いちばん私の心に迫ったのは正岡豊の朗読。どこがよかったのか、言葉ではいえない。
トリは石井辰彦の朗読「アフリカを望んで」。テクストが配布されたので、もらって帰った。
久し振りに朗読を聞いておもしろかったけれど、少し疲れた。帰りは中崎町でひとり宴会。
9月20日(日)には「文学フリマ大阪」が堺市産業振興センターのイベントホールで開催された。前日に続いてこちらにも参加した人は多いようだ。
詩歌では短歌のブースが多くて、川柳からは唯一の出店である(そんなことは何のウリにもならない)。いろいろな人が来場されていて、お話したり交流できたりして楽しかった。初対面の方に声をかけられるのも嬉しいことである。ただ「川柳カード大会」のときにも宣伝しておいたのに、川柳人の来場が少なかったのが残念である。若くて表現意欲のある人たちがこんなにいることを肌で感じることが刺激になるからだ。
当日手に入った同人誌の中からいくつか紹介しておきたい。
まず、BL俳句誌「庫内灯」。当日の午後、フリマと同じ会場の別室で「BL句会」も開催されたようだ。
ワンドロで佐藤文香の俳句「夜を水のように君とは遊ぶ仲」に付けられた絵が掲載されている。
逸脱のたのしさでヨットには乗らう 佐々木紺
まんべんなくシャワーまんべんなく拭かず なかやまなな
屠蘇苦し君のおさない舌である 久留島元
火事が見たいよ火のそばで火の中で 岡田一実
短歌同人誌「率」による「SH2」。
「SH」の瀬戸夏子・平岡直子・我妻俊樹に加えて今回は宝川踊・山中千瀬も参加して川柳を書いている。特におもしろいとおもったのは山中と平岡の作品。
なんとなく個室に長居してしまう 山中千瀬
あとのないしらうおたちの踊り食い
ちょっと泣きアクエリアスで補った
生活に降る雨なんの罰でもなく
100年のやばいゲームを続けよう
すぐ来て、と水道水を呼んでいる 平岡直子
雪で貼る切手のようにわたしたち
ネガフィルム界から紫芋来たる
星の数ほど指輪のいやらしい用途
煙草かと思って火をつけて吸いました
最後に自由律俳句誌「蘭鋳」を紹介しておきたい。
自由律俳句には短律と長律とがあるが、今回の特集は「長律」。過去篇と現代篇の二部で構成されている。自由律には短律と長律とがあるはずなのに、なぜ長律は滅び短律だけが残ったのか。矢野錆助は高柳重信の次の言葉を引用している。
「そして、わずか十五年の大正時代が終わったとき、長律の作品は跡かたもなく滅び去り、尾崎放哉を見事な典型とする短律の作品だけが残ったが、たとえ自由律俳句といえども俳句形式の思想は、本来もっとも饒舌から遠いものであろうことを思うならば、それも一つの必然であった」(「俳句形式における前衛と正統」)
川柳人でもあった山村祐の「短詩」が長律派と短律派に分裂して崩壊していったことなどが連想される。「蘭鋳」の特集は高柳が滅びたという「長律」の復権という意味があるだろう。橋本夢道の「無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ」などは川柳人にも人気のある句である。
2015年9月25日金曜日
2015年9月18日金曜日
第三回川柳カード大会
― 偉大なる天体よ。もしあなたの光を浴びる者たちがいなかったら、あなたははたして幸福といえるだろうか。この十年というもの、あなたは私の洞穴をさしてのぼって来てくれた。もし私と私の鷲と蛇とがそこにいなかったら、あなたは自分の光にも、この道すじにも飽きてしまったことだろう。 (「ツァラトゥストラ」)
9月12日、大阪上本町の「たかつガーデン」で「第三回川柳カード大会」が開催された。第一回が2012年、第二回が2013年開催で、昨年は見送られたので、二年ぶりの開催となる。第一部は対談、第二部は句会という形式はこれまでと変わらず、全国から94名の川柳人が集まった。
今年の対談ゲストには柳本々々を迎えたので、彼の話を聞きたくて参加された方も多いことだろう。対談のタイトルは「現代川柳の可能性」。
柳本と会うのは今回で五回目となる。昨年12月の「川柳カード」合評会が最初で、今年5月の「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」が二回目、8月の「とととと展」に彼の話を聞きに行き、東京でも一度会って話をした。
細部まで詰めたわけではないが、対談内容の腹案はできていたし、柳本から詳しいメールも届いていたので、進行に不安はなかった。対談はその場がおもしろければいいようなものだが、雑誌の編集の立場からすると、のちに誌面に反映させたときに、絵になるというか、読みものとしてインパクトのある話がほしい。ライブ感覚と活字で読んだときのおもしろさという矛盾する要請をしたのだが、さすがに柳本の話は充実したものだった。
対談とは言いながら、私はインタビュアーに徹するつもりだったので、質問する役割に回った。また、柳本は絵川柳なども書いているので、パワーポイントを使って映像を紹介することにつとめた。どこまで成功したか分からないが、詳しいことは発表誌の「川柳カード」10号(11月25日発行予定)をご覧いただきたい。
ご参加いただいた方の感想もぼつぼつツイッターやブログに出ているようだし、柳本自身も「俳句新空間」で少し触れているので、ここでは印象的な発言のいくつかをピックアップするにとどめたい。
「〈のりべん〉がぶちまけられて元に戻らないという感じって、定型詩の一回性というか、定型が一回詠われ始めらたら不可逆で元に戻れないという感じで、〈のりべん〉は定型と深い関係があるんじゃないかと思います」
「ある意味で覆面レスラー的なのは川柳。短歌は逆に〈顔〉が見えることによってその〈顔〉をうんぬんする文芸」
「俳句が挨拶の文芸なら、川柳はお別れの文芸、さよならの文芸なんじゃないかと思うんです」
「川柳には〈健やかな不健全さ〉〈不健全な強さ〉がある。いくつになっても不健全であることが許される文芸はあまりないのではないか」
「続けることを続けたいと思います。いろんなやり方で、ジャンルをクロスさせながら」
録音テープできちんと確かめていないし、文脈と切り離して引用すると誤解を生む危険もあるので、発表誌までの途中経過としてお読みいただきたい。
さて、第二部の大会での準特選句・特選句を紹介しておく。
「美」くんじろう選
準特選2 美りっ美りっ美りっ お言葉が裂けている 中西軒わ
準特選1 握りたくなる新品の鉄パイプ 八上桐子
特選 十七才と二ヶ月の右の耳 森田律子
(中西軒わの句は耳で聞いたときはよくわからなかったが、活字化するとおもしろさが際立ってくる。)
「力」中山奈々選
準特選2 これからは力になると冷奴 能登和子
準特選1 流水でほぐして使う力こぶ 徳長怜
特選 にんげんでいる力加減がわからない 岩田多佳子
(選者・中山奈々の軸吟「少年にパンイチの十万馬力」、「パンイチ」って何だろう?と思ったが、「パンツ一丁」ということらしい。鉄腕アトムだったのか。)
「和」松永千秋選
準特選2 天は天で飽和状態 内田真理子
準特選1 昭和からふっとんでくる金盥 石原ユキオ
特選 わたくしが和気藹々と減ってゆく 草地豊子
「気」丸山進選
準特選2 バス停は武士になる気で立っている 徳永怜
準特選1 気ぜわしく ひとりシェルター掘っている 久恒邦子
特選 大竹しのぶがその気になっている 谷口義
「白」石田柊馬選
準特選2 母よりも白き足なしサロンパス 樋口由紀子
準特選1 にじり口面倒な白になる 赤松ますみ
特選 ますます白くなってゆく暴力装置 小池正博
事前投句「大」樋口由紀子選
準特選2 おおぐま座待たせて呼び鈴の修理 兵頭全郎
準特選1 大きな西瓜抱えどこかへ消えた父 松永千秋
特選 水掻きがみんな大きい関係者 松永千秋
大会には伊那から「旬」の川合大祐・千春が参加していて、「旬」の最新号をいただいた。
「旬」は10年くらい前に読んでいたが、最近は見る機会がなかったので新鮮な感じがした。代表・丸山健三、編集・樹萄らきという体制である。
地を踏んでいるけど闇をふんでいる 大川博幸
秋…そう逃げるのはいかがなものか 樹萄らき
慈悲を持ちポチと名付けてしんぜよう 樹萄らき
少女革命、と最後に口にした啄木 柳本々々
うっかりと地球に酒を呑ませてた 千春
当日会場で配布されたものに「THANATOS 石部明 1/4」というフリーペーパーがある。
石部明の作品を10年ごとに四期に分けて紹介するシリーズの一回目。「石部明はどのような人物だろうか」「石部明はどのようにして石部明になったのか」の二本の短文は私が書いているが、50句の選定と印刷・発行は八上桐子による。初期の石部明について改めて振り返る契機になればありがたい。
記憶にはない少年がふいに来る 石部明
9月12日、大阪上本町の「たかつガーデン」で「第三回川柳カード大会」が開催された。第一回が2012年、第二回が2013年開催で、昨年は見送られたので、二年ぶりの開催となる。第一部は対談、第二部は句会という形式はこれまでと変わらず、全国から94名の川柳人が集まった。
今年の対談ゲストには柳本々々を迎えたので、彼の話を聞きたくて参加された方も多いことだろう。対談のタイトルは「現代川柳の可能性」。
柳本と会うのは今回で五回目となる。昨年12月の「川柳カード」合評会が最初で、今年5月の「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」が二回目、8月の「とととと展」に彼の話を聞きに行き、東京でも一度会って話をした。
細部まで詰めたわけではないが、対談内容の腹案はできていたし、柳本から詳しいメールも届いていたので、進行に不安はなかった。対談はその場がおもしろければいいようなものだが、雑誌の編集の立場からすると、のちに誌面に反映させたときに、絵になるというか、読みものとしてインパクトのある話がほしい。ライブ感覚と活字で読んだときのおもしろさという矛盾する要請をしたのだが、さすがに柳本の話は充実したものだった。
対談とは言いながら、私はインタビュアーに徹するつもりだったので、質問する役割に回った。また、柳本は絵川柳なども書いているので、パワーポイントを使って映像を紹介することにつとめた。どこまで成功したか分からないが、詳しいことは発表誌の「川柳カード」10号(11月25日発行予定)をご覧いただきたい。
ご参加いただいた方の感想もぼつぼつツイッターやブログに出ているようだし、柳本自身も「俳句新空間」で少し触れているので、ここでは印象的な発言のいくつかをピックアップするにとどめたい。
「〈のりべん〉がぶちまけられて元に戻らないという感じって、定型詩の一回性というか、定型が一回詠われ始めらたら不可逆で元に戻れないという感じで、〈のりべん〉は定型と深い関係があるんじゃないかと思います」
「ある意味で覆面レスラー的なのは川柳。短歌は逆に〈顔〉が見えることによってその〈顔〉をうんぬんする文芸」
「俳句が挨拶の文芸なら、川柳はお別れの文芸、さよならの文芸なんじゃないかと思うんです」
「川柳には〈健やかな不健全さ〉〈不健全な強さ〉がある。いくつになっても不健全であることが許される文芸はあまりないのではないか」
「続けることを続けたいと思います。いろんなやり方で、ジャンルをクロスさせながら」
録音テープできちんと確かめていないし、文脈と切り離して引用すると誤解を生む危険もあるので、発表誌までの途中経過としてお読みいただきたい。
さて、第二部の大会での準特選句・特選句を紹介しておく。
「美」くんじろう選
準特選2 美りっ美りっ美りっ お言葉が裂けている 中西軒わ
準特選1 握りたくなる新品の鉄パイプ 八上桐子
特選 十七才と二ヶ月の右の耳 森田律子
(中西軒わの句は耳で聞いたときはよくわからなかったが、活字化するとおもしろさが際立ってくる。)
「力」中山奈々選
準特選2 これからは力になると冷奴 能登和子
準特選1 流水でほぐして使う力こぶ 徳長怜
特選 にんげんでいる力加減がわからない 岩田多佳子
(選者・中山奈々の軸吟「少年にパンイチの十万馬力」、「パンイチ」って何だろう?と思ったが、「パンツ一丁」ということらしい。鉄腕アトムだったのか。)
「和」松永千秋選
準特選2 天は天で飽和状態 内田真理子
準特選1 昭和からふっとんでくる金盥 石原ユキオ
特選 わたくしが和気藹々と減ってゆく 草地豊子
「気」丸山進選
準特選2 バス停は武士になる気で立っている 徳永怜
準特選1 気ぜわしく ひとりシェルター掘っている 久恒邦子
特選 大竹しのぶがその気になっている 谷口義
「白」石田柊馬選
準特選2 母よりも白き足なしサロンパス 樋口由紀子
準特選1 にじり口面倒な白になる 赤松ますみ
特選 ますます白くなってゆく暴力装置 小池正博
事前投句「大」樋口由紀子選
準特選2 おおぐま座待たせて呼び鈴の修理 兵頭全郎
準特選1 大きな西瓜抱えどこかへ消えた父 松永千秋
特選 水掻きがみんな大きい関係者 松永千秋
大会には伊那から「旬」の川合大祐・千春が参加していて、「旬」の最新号をいただいた。
「旬」は10年くらい前に読んでいたが、最近は見る機会がなかったので新鮮な感じがした。代表・丸山健三、編集・樹萄らきという体制である。
地を踏んでいるけど闇をふんでいる 大川博幸
秋…そう逃げるのはいかがなものか 樹萄らき
慈悲を持ちポチと名付けてしんぜよう 樹萄らき
少女革命、と最後に口にした啄木 柳本々々
うっかりと地球に酒を呑ませてた 千春
当日会場で配布されたものに「THANATOS 石部明 1/4」というフリーペーパーがある。
石部明の作品を10年ごとに四期に分けて紹介するシリーズの一回目。「石部明はどのような人物だろうか」「石部明はどのようにして石部明になったのか」の二本の短文は私が書いているが、50句の選定と印刷・発行は八上桐子による。初期の石部明について改めて振り返る契機になればありがたい。
記憶にはない少年がふいに来る 石部明
2015年9月11日金曜日
マッピングのことなど
「第三回川柳カード」の開催が明日に迫り、その準備の合間にこれを書いているので、今日の時評は簡略なものでお許し願いたい。
「クプラス」2号の付録「平成二十六年俳諧國之概略」が話題になっている。
現代の俳人たちを「伝統主義」「ロマン主義」「原理主義」に分けてマッピングしたものだ。俳人たちの位置づけには異論がでるだろうが、興味深い試みだし、見ていて十分楽しめる。
By上田信治・高山れおな・古脇語・山田耕司とあるから、この四人で考えたもののようだ。「原理主義」って何?とか思うので、まず図の構造について一瞥してみよう。
「平成二十六年の俳句界をマッピングしてみたらこんなことになった」は上掲の四人による座談会で、山田はこんなふうに語っている。
山田 まず《伝統/前衛》という形式をめぐる対立と別に、形式を利用して何かを述べる《ロマン主義》という領域を仮設する。社会性俳句なども含む「語るべきドラマを持つ」スタイルです。そのことによってワタシ語り等の系譜も見えやすくなります。
一方《伝統主義》は、厳然として存在する俳句の、その存在を疑わないという主義。師匠の言ったことを一言一句ゆるがせにしないという姿勢の問題でもある。《伝統主義》がマナーとしての俳句であるのに対して《原理主義》は言語表現としての俳句を対象化し、詩歌および表現することそのものの広い領域を批評の座に組み込もうとします。かつ、現状を疑い、ともすればあるべき理想へと傾斜してゆく。
この発言を受けて上田はさらに次のように言う。
上田 山田さんが三項に分けた時点で、蛇のシッポ呑み的な運動をはらんだ図になることは必然でした。その意図を引き継ぐために、三項のどの一つも、他の二つと対立軸があるように定義すべきだと考えました。《伝統とロマン》にあって《原理》にないものは〈大衆性〉です。《ロマンと原理》にあって《伝統》にないものは〈新しさ〉。《伝統と原理》にあって《ロマン》にないものは〈専門性〉です。
これ以上の引用は避けるが、「伝統主義」(「俳句は変わらない」)と「ロマン主義」(「自分の俳句」)には「大衆性」(共感性/了解性を志向、共同性を志向)があり、「ロマン主義」と「原理主義」(「俳句とは?」)には「新しさ」(現代性を志向、詩性/芸術性を志向)があり、「伝統主義」と「原理主義」には「専門性」(純粋性を志向)があるというわけだ。
また、この三項の中の細部として、「伝統主義」には「品格派」「分からないとダメ派」「低廻派」「高踏派」があり、「ロマン主義」の中に「等身大派」「文学派」「Jpop派」があり、「原理主義」の中に「コトバ派」「旧前衛派」がある。
それぞれの俳人がどこに位置しているかは本書をご覧いただきたい。人名が若干間違っているようだが、なかなかおもしろい。
振り返って川柳界のマッピングについて連想が及ぶのは自然なことだが、現代川柳全体を見渡すようなマッピングは見たことがないし、作るのは困難だろう。「伝統主義」に誰を入れるかは微妙だし、ひょっとすると誰もいないかもしれない。「分からないとダメ派」「コトバ派」などは川柳にも応用できそうだ。「ロマン主義」の中には詩性川柳・社会性川柳・「私の思い・想いを書く川柳」が全部入ってしまう。何より問題は、川柳人の中には発表の場によって作風を使い分ける傾向があるから、どこに入れてよいかわからない場合が出てきそうだ。マッピングの話は明日の柳本々々との対談で話題になるかもしれないし、ならないかもしれない。
9月20日(日)には「文学フリマ大阪」が堺市産業振興センターで開催される。
私は会場のE48にいて、「川柳カード」バックナンバーのほか、「川柳カード叢書」(きゅういち句集『ほぼむほん』、飯田良祐句集『実朝の首』、久保田紺句集『大阪のかたち』)、「THANATOS石部明」などを並べる予定である。
「クプラス」2号の付録「平成二十六年俳諧國之概略」が話題になっている。
現代の俳人たちを「伝統主義」「ロマン主義」「原理主義」に分けてマッピングしたものだ。俳人たちの位置づけには異論がでるだろうが、興味深い試みだし、見ていて十分楽しめる。
By上田信治・高山れおな・古脇語・山田耕司とあるから、この四人で考えたもののようだ。「原理主義」って何?とか思うので、まず図の構造について一瞥してみよう。
「平成二十六年の俳句界をマッピングしてみたらこんなことになった」は上掲の四人による座談会で、山田はこんなふうに語っている。
山田 まず《伝統/前衛》という形式をめぐる対立と別に、形式を利用して何かを述べる《ロマン主義》という領域を仮設する。社会性俳句なども含む「語るべきドラマを持つ」スタイルです。そのことによってワタシ語り等の系譜も見えやすくなります。
一方《伝統主義》は、厳然として存在する俳句の、その存在を疑わないという主義。師匠の言ったことを一言一句ゆるがせにしないという姿勢の問題でもある。《伝統主義》がマナーとしての俳句であるのに対して《原理主義》は言語表現としての俳句を対象化し、詩歌および表現することそのものの広い領域を批評の座に組み込もうとします。かつ、現状を疑い、ともすればあるべき理想へと傾斜してゆく。
この発言を受けて上田はさらに次のように言う。
上田 山田さんが三項に分けた時点で、蛇のシッポ呑み的な運動をはらんだ図になることは必然でした。その意図を引き継ぐために、三項のどの一つも、他の二つと対立軸があるように定義すべきだと考えました。《伝統とロマン》にあって《原理》にないものは〈大衆性〉です。《ロマンと原理》にあって《伝統》にないものは〈新しさ〉。《伝統と原理》にあって《ロマン》にないものは〈専門性〉です。
これ以上の引用は避けるが、「伝統主義」(「俳句は変わらない」)と「ロマン主義」(「自分の俳句」)には「大衆性」(共感性/了解性を志向、共同性を志向)があり、「ロマン主義」と「原理主義」(「俳句とは?」)には「新しさ」(現代性を志向、詩性/芸術性を志向)があり、「伝統主義」と「原理主義」には「専門性」(純粋性を志向)があるというわけだ。
また、この三項の中の細部として、「伝統主義」には「品格派」「分からないとダメ派」「低廻派」「高踏派」があり、「ロマン主義」の中に「等身大派」「文学派」「Jpop派」があり、「原理主義」の中に「コトバ派」「旧前衛派」がある。
それぞれの俳人がどこに位置しているかは本書をご覧いただきたい。人名が若干間違っているようだが、なかなかおもしろい。
振り返って川柳界のマッピングについて連想が及ぶのは自然なことだが、現代川柳全体を見渡すようなマッピングは見たことがないし、作るのは困難だろう。「伝統主義」に誰を入れるかは微妙だし、ひょっとすると誰もいないかもしれない。「分からないとダメ派」「コトバ派」などは川柳にも応用できそうだ。「ロマン主義」の中には詩性川柳・社会性川柳・「私の思い・想いを書く川柳」が全部入ってしまう。何より問題は、川柳人の中には発表の場によって作風を使い分ける傾向があるから、どこに入れてよいかわからない場合が出てきそうだ。マッピングの話は明日の柳本々々との対談で話題になるかもしれないし、ならないかもしれない。
9月20日(日)には「文学フリマ大阪」が堺市産業振興センターで開催される。
私は会場のE48にいて、「川柳カード」バックナンバーのほか、「川柳カード叢書」(きゅういち句集『ほぼむほん』、飯田良祐句集『実朝の首』、久保田紺句集『大阪のかたち』)、「THANATOS石部明」などを並べる予定である。
2015年9月4日金曜日
川柳は「卑屈」なのか
7月4日に青森の「おかじょうき川柳社」主催による「川柳ステーション」が開催された。トークセッションのテーマは「川柳の弱点」。ゲストは歌人の荻原裕幸である。
荻原はツイッター(7月7日)で次のように書いている。
おかじょうき川柳社の大会「川柳ステーション」のため、数日、青森に滞在していた。大会選者をつとめ、トークセッションに出演。相方&司会は、おかじょうきの、Sinさん。「川柳の弱点」と題されたトークは、表現論を背景にした、場の問題として展開。毒のない口調で毒のある話をしてしまったかも。
「毒のある話」というからどんなトークがなされたのか気になっていたが、「おかじょうき」8月号でその詳細を読むことができた。確かに「毒のある話」で、その中には特定の川柳人に対する個人攻撃も含まれている。
荻原は川柳の外部から川柳のあり方についての批判を続けており、これまで私は彼の提言を貴重なものと受け止めてきた。しかし、今回のトークには納得できないところが多いので、彼の発言の内容を検討してみることにしたい。
2001年4月15日にホテル・アウィーナ大阪で開催された「川柳ジャンクション」で荻原は「川柳には自己規定がない」という発言をして大きな波紋を呼んだ。その発言の真意をSinが質問している。まず、発言の態度・姿勢に問題がある(以下、Oは荻原、SはSinの発言)。
O 真意というか、本当に正にそのとおりなんですが、特に何が言いたかったかというと、ここで喋っていいかどうか難しいところですけど(笑)
S 大丈夫です。ここは居酒屋ですから(笑)
O じゃ居酒屋っていうことで、壁に向かってお話をさせていただきますが(笑)
私たちは居酒屋で人の悪口を言うこともあるし、不満をぶつけることもある。「居酒屋談義」である。けれども、それを活字化して雑誌のかたちで流布させるのは、まったく次元の異なる責任をともなう行為となる。では、その内容は?
O のちにバックストロークのメンバーになったような方たちというのは作句風が全く違うにもかかわらず、川柳と名のつくものを否定するということを常に避けているような感じが僕にはあったんですよね。例えば古くからある結社の方々と、詩性川柳というふうな呼ばれ方をされるような作品に影響を受けた人たちって、そうそう接点があるわけじゃないはずなんですけれども、互いにというか否定しあわないですよね。お互いの存在を認めている。もっと言うと、新聞に投稿している、それもどこかの結社にいる人たちじゃなくてたまたま新聞の社会面の時事川柳かなんかに投稿する作品、それからもっと言えばコンテストですね、サラリーマン川柳も、あれも川柳ですと言い切るんですね。
誰かを批判しようとするときには、その批判対象が明確でなくてはならない。「のちにバックストロークのメンバーになったような方たち」とは誰のことを指しているのだろう。石部明だろうか、石田柊馬、樋口由紀子だろうか。私は寡聞にしてこの三人が「サラリーマン川柳」を認める発言をしているのを聞いたことがない。どのジャンルにも先端的な部分とそうでない部分とがあるが、短歌では本当に互いを認めあわない、相手を「短歌ではない」と否定し合っているのだろうか。「新聞短歌」は短歌ではないと歌壇の人は公言しているのだろうか。
O ただ、サラリーマン川柳がいいとか悪いとかいう問題ではなくて、ジャンル内の小さなジャンルですよね、あれごと肯定しておいてですね、で、何だか色々難解な句を普段ご自身は書いてるわけですよね、それが両方成り立つような理屈というのは恐らくちょっと難しいんじゃないかと思うんです。だから、本当を言えば、ちゃんと認めてないのに、あれも川柳ですよってものすごく取り込みたがるその感じが川柳自体を分からなくしているというか、その人の川柳観を分からなくするので、そういう意味で川柳の人は自分たちが何をやっているのかという語り方が下手なんじゃないかなってふうに思ったんですよ。
ここに荻原の川柳観が表われている。「サラリーマン川柳」「時事川柳」などの属性川柳に対してもっと強く自信をもって「文芸的川柳」をアピールするべきだというのだろう。「ジャンル内ジャンル」については俳句・短歌・川柳でそれぞれの事情があるが、ジャンル内ジャンルを認めるか否定するかは発信の場や状況によるのであって、創作の現場においてはもちろん自分の信じる作品を書くだろうが、啓蒙的文章やジャンル全体を見渡すような文章においては、多様なジャンル内作品のすぐれた作品を取り上げるのが普通だろう。
正直言って「自己規定」発言について今さら蒸し返したくはないのだが、荻原が自ら「真意」なるものを語った以上、当時の発言を確認せざるを得ない。「川柳ジャンクション2001」のテープ起こしをしたプリントが手元にあるので参照すると、荻原の発言は次のようなものであった。
O 川柳の場所をそんなにたくさん見ているわけではありませんが、自己規定ということにおそらくジャンルそのものがあまり関心をもてないんですかね。へたなのか関心がないのかわかりませんけれども。これが外から見ていてすごく気になるところで、それが川柳の特性なのか、作品一辺倒というところがある。
川柳のように、ジャンルとしての自己規定がなされないとどういうことが起きるか。ひとつは、作品がいくら元気でも、歴史とか流れのなかでひとつのかたまりとして見えてこない。たしかにあるということはみんなわかっていても、ジャンルとしての意識がとても希薄になっているように見えるんですよね。川柳の人たちに川柳って何ですかと訊いたときに、そんな質問を受けること自体が意外だというような反応が返ってくる。
このときの荻原は「ジャンルとしての自己規定」を語っており、今回のトークでは「ジャンル内ジャンル」にシフトしている。「自己規定」の内容が微妙に変化しているように私には感じられる。
Sinは「短歌ヴァーサス」に触れて、次のように発言している。
S 僕の前後どちらかに書かれてましたけど、あの樋口由紀子さんですら、他のジャンルに負けていられないみたいな気負った文章を書いてるんですよ。昨日の会話の中でも「樋口由紀子さんは何であんなに卑屈なんだろう」という話を荻原さんもしてましたけど。
他人を批判する場合は、自らも傷つくことを覚悟で、自らの責任で批判するのが本当だろう。Sinが荻原の名を借りて、荻原の陰に隠れるようなかたちで、樋口について批判的な言葉を述べているのはフェアではない。
念のため「短歌ヴァーサス」7号の樋口の文章「立体的と平面的」を読み直してみた。樋口は塚本邦雄が亡くなったことに触れて、こんなふうに書いている。
川柳には塚本邦雄が存在しなかった。「隣の花は赤い」ではないが、彼のような先達を生まなかった土壌、育たなかった環境を思った。
短歌と比べて川柳には塚本邦雄のような大きな存在が生まれなかったと嘆くことは「卑屈」なことであろうか。
Sinの発言を受けて荻原の発言が続く。
O 個人名なので、目の前にいると喋りやすいんですけどね(笑)、卑屈ってとこだけが一人歩きすると非常に大変なので、要はあれだけ立派な仕事をしているのにそこから考えると何故卑屈に見えるような態度をとるんだろうと、そういうニュアンスですね。作品をご自身の川柳観に従って書いているわけで、いい作品書かれてますし、いい句集まとめられてるのですけども、川柳のこと語るときに、さっきの自己規定の話じゃないですけどね、やっぱり自分が本当のところいいと思うものが何かよく分らなくなるような全方位肯定的な文章を見かけるものですから、どうしてもそんな印象を受けたということですよね。
私の疑問は「全方位肯定的な文章」は「卑屈」なのかということと、そのような文章を樋口がいつどこで書いているのかということである。私は樋口の書く文章をすべて肯定するわけではないし、彼女の文章に弱点や不満を感じることもある。けれども、それを批判するときには批判の根拠を明確に示すだろうし、「卑屈」というような人格否定的な言葉は使わないだろう。
荻原は一方で樋口の仕事を評価しているから、この程度の発言は許容範囲だと思ったのだろう。川柳人は人がいいので、川柳のために言いにくいことをよく言ってくれたと好意的に受け止める向きがあるかもしれない。荻原は好きな作家として真っ先に樋口の名を挙げている。けれども、最も代表的な川柳人が「卑屈」だとしたら、それは川柳が「卑屈」だというのと同じである。
私は荻原の「居酒屋談義」レベルでの発言を残念に思うし、荻原発言を誘導し追随したSinに不信感を持つ。
「バックストロークin名古屋」(2011年9月)ではパネラーに荻原を招いた。「バックストローク」36号では、そのシンポジウムに「川柳が文芸になるとき」というタイトルを付けている。このタイトルは荻原の提言を受けて私が付けたものであって、「文芸としての川柳」を確立することは私を含めた多くの川柳人の願いである。それはなかなかうまくゆかず、他ジャンルに対する川柳側の説明責任が不十分だったとしても、私たちが「卑屈」であったことは一度もない。
名古屋でのシンポジウムの最後で荻原はこんなことを言っている。
O 今日は十年前にしゃべったことが引っ張られてきたので大変でしたが(笑)、次は十年後の2021年にぜひ呼んでいただきたいと思います。
「バックストローク」はすでに存在しないが、いつか再び荻原と公の場で語り合う機会が来るかもしれない。私はその機会を楽しみにしている。そのとき現代川柳はどのような状況になっているだろうか。
荻原はツイッター(7月7日)で次のように書いている。
おかじょうき川柳社の大会「川柳ステーション」のため、数日、青森に滞在していた。大会選者をつとめ、トークセッションに出演。相方&司会は、おかじょうきの、Sinさん。「川柳の弱点」と題されたトークは、表現論を背景にした、場の問題として展開。毒のない口調で毒のある話をしてしまったかも。
「毒のある話」というからどんなトークがなされたのか気になっていたが、「おかじょうき」8月号でその詳細を読むことができた。確かに「毒のある話」で、その中には特定の川柳人に対する個人攻撃も含まれている。
荻原は川柳の外部から川柳のあり方についての批判を続けており、これまで私は彼の提言を貴重なものと受け止めてきた。しかし、今回のトークには納得できないところが多いので、彼の発言の内容を検討してみることにしたい。
2001年4月15日にホテル・アウィーナ大阪で開催された「川柳ジャンクション」で荻原は「川柳には自己規定がない」という発言をして大きな波紋を呼んだ。その発言の真意をSinが質問している。まず、発言の態度・姿勢に問題がある(以下、Oは荻原、SはSinの発言)。
O 真意というか、本当に正にそのとおりなんですが、特に何が言いたかったかというと、ここで喋っていいかどうか難しいところですけど(笑)
S 大丈夫です。ここは居酒屋ですから(笑)
O じゃ居酒屋っていうことで、壁に向かってお話をさせていただきますが(笑)
私たちは居酒屋で人の悪口を言うこともあるし、不満をぶつけることもある。「居酒屋談義」である。けれども、それを活字化して雑誌のかたちで流布させるのは、まったく次元の異なる責任をともなう行為となる。では、その内容は?
O のちにバックストロークのメンバーになったような方たちというのは作句風が全く違うにもかかわらず、川柳と名のつくものを否定するということを常に避けているような感じが僕にはあったんですよね。例えば古くからある結社の方々と、詩性川柳というふうな呼ばれ方をされるような作品に影響を受けた人たちって、そうそう接点があるわけじゃないはずなんですけれども、互いにというか否定しあわないですよね。お互いの存在を認めている。もっと言うと、新聞に投稿している、それもどこかの結社にいる人たちじゃなくてたまたま新聞の社会面の時事川柳かなんかに投稿する作品、それからもっと言えばコンテストですね、サラリーマン川柳も、あれも川柳ですと言い切るんですね。
誰かを批判しようとするときには、その批判対象が明確でなくてはならない。「のちにバックストロークのメンバーになったような方たち」とは誰のことを指しているのだろう。石部明だろうか、石田柊馬、樋口由紀子だろうか。私は寡聞にしてこの三人が「サラリーマン川柳」を認める発言をしているのを聞いたことがない。どのジャンルにも先端的な部分とそうでない部分とがあるが、短歌では本当に互いを認めあわない、相手を「短歌ではない」と否定し合っているのだろうか。「新聞短歌」は短歌ではないと歌壇の人は公言しているのだろうか。
O ただ、サラリーマン川柳がいいとか悪いとかいう問題ではなくて、ジャンル内の小さなジャンルですよね、あれごと肯定しておいてですね、で、何だか色々難解な句を普段ご自身は書いてるわけですよね、それが両方成り立つような理屈というのは恐らくちょっと難しいんじゃないかと思うんです。だから、本当を言えば、ちゃんと認めてないのに、あれも川柳ですよってものすごく取り込みたがるその感じが川柳自体を分からなくしているというか、その人の川柳観を分からなくするので、そういう意味で川柳の人は自分たちが何をやっているのかという語り方が下手なんじゃないかなってふうに思ったんですよ。
ここに荻原の川柳観が表われている。「サラリーマン川柳」「時事川柳」などの属性川柳に対してもっと強く自信をもって「文芸的川柳」をアピールするべきだというのだろう。「ジャンル内ジャンル」については俳句・短歌・川柳でそれぞれの事情があるが、ジャンル内ジャンルを認めるか否定するかは発信の場や状況によるのであって、創作の現場においてはもちろん自分の信じる作品を書くだろうが、啓蒙的文章やジャンル全体を見渡すような文章においては、多様なジャンル内作品のすぐれた作品を取り上げるのが普通だろう。
正直言って「自己規定」発言について今さら蒸し返したくはないのだが、荻原が自ら「真意」なるものを語った以上、当時の発言を確認せざるを得ない。「川柳ジャンクション2001」のテープ起こしをしたプリントが手元にあるので参照すると、荻原の発言は次のようなものであった。
O 川柳の場所をそんなにたくさん見ているわけではありませんが、自己規定ということにおそらくジャンルそのものがあまり関心をもてないんですかね。へたなのか関心がないのかわかりませんけれども。これが外から見ていてすごく気になるところで、それが川柳の特性なのか、作品一辺倒というところがある。
川柳のように、ジャンルとしての自己規定がなされないとどういうことが起きるか。ひとつは、作品がいくら元気でも、歴史とか流れのなかでひとつのかたまりとして見えてこない。たしかにあるということはみんなわかっていても、ジャンルとしての意識がとても希薄になっているように見えるんですよね。川柳の人たちに川柳って何ですかと訊いたときに、そんな質問を受けること自体が意外だというような反応が返ってくる。
このときの荻原は「ジャンルとしての自己規定」を語っており、今回のトークでは「ジャンル内ジャンル」にシフトしている。「自己規定」の内容が微妙に変化しているように私には感じられる。
Sinは「短歌ヴァーサス」に触れて、次のように発言している。
S 僕の前後どちらかに書かれてましたけど、あの樋口由紀子さんですら、他のジャンルに負けていられないみたいな気負った文章を書いてるんですよ。昨日の会話の中でも「樋口由紀子さんは何であんなに卑屈なんだろう」という話を荻原さんもしてましたけど。
他人を批判する場合は、自らも傷つくことを覚悟で、自らの責任で批判するのが本当だろう。Sinが荻原の名を借りて、荻原の陰に隠れるようなかたちで、樋口について批判的な言葉を述べているのはフェアではない。
念のため「短歌ヴァーサス」7号の樋口の文章「立体的と平面的」を読み直してみた。樋口は塚本邦雄が亡くなったことに触れて、こんなふうに書いている。
川柳には塚本邦雄が存在しなかった。「隣の花は赤い」ではないが、彼のような先達を生まなかった土壌、育たなかった環境を思った。
短歌と比べて川柳には塚本邦雄のような大きな存在が生まれなかったと嘆くことは「卑屈」なことであろうか。
Sinの発言を受けて荻原の発言が続く。
O 個人名なので、目の前にいると喋りやすいんですけどね(笑)、卑屈ってとこだけが一人歩きすると非常に大変なので、要はあれだけ立派な仕事をしているのにそこから考えると何故卑屈に見えるような態度をとるんだろうと、そういうニュアンスですね。作品をご自身の川柳観に従って書いているわけで、いい作品書かれてますし、いい句集まとめられてるのですけども、川柳のこと語るときに、さっきの自己規定の話じゃないですけどね、やっぱり自分が本当のところいいと思うものが何かよく分らなくなるような全方位肯定的な文章を見かけるものですから、どうしてもそんな印象を受けたということですよね。
私の疑問は「全方位肯定的な文章」は「卑屈」なのかということと、そのような文章を樋口がいつどこで書いているのかということである。私は樋口の書く文章をすべて肯定するわけではないし、彼女の文章に弱点や不満を感じることもある。けれども、それを批判するときには批判の根拠を明確に示すだろうし、「卑屈」というような人格否定的な言葉は使わないだろう。
荻原は一方で樋口の仕事を評価しているから、この程度の発言は許容範囲だと思ったのだろう。川柳人は人がいいので、川柳のために言いにくいことをよく言ってくれたと好意的に受け止める向きがあるかもしれない。荻原は好きな作家として真っ先に樋口の名を挙げている。けれども、最も代表的な川柳人が「卑屈」だとしたら、それは川柳が「卑屈」だというのと同じである。
私は荻原の「居酒屋談義」レベルでの発言を残念に思うし、荻原発言を誘導し追随したSinに不信感を持つ。
「バックストロークin名古屋」(2011年9月)ではパネラーに荻原を招いた。「バックストローク」36号では、そのシンポジウムに「川柳が文芸になるとき」というタイトルを付けている。このタイトルは荻原の提言を受けて私が付けたものであって、「文芸としての川柳」を確立することは私を含めた多くの川柳人の願いである。それはなかなかうまくゆかず、他ジャンルに対する川柳側の説明責任が不十分だったとしても、私たちが「卑屈」であったことは一度もない。
名古屋でのシンポジウムの最後で荻原はこんなことを言っている。
O 今日は十年前にしゃべったことが引っ張られてきたので大変でしたが(笑)、次は十年後の2021年にぜひ呼んでいただきたいと思います。
「バックストローク」はすでに存在しないが、いつか再び荻原と公の場で語り合う機会が来るかもしれない。私はその機会を楽しみにしている。そのとき現代川柳はどのような状況になっているだろうか。