7月19日(土)、大阪難波の「まちライブラリー」で開催された「大阪短歌チョップ」に行った。この日は神戸でも現代歌人集会春季大会があって、どちらに行くか迷ったのだが、神戸の方はすでに歌壇で評価の定まった歌人たちがパネラーなので、ネット歌人の多く集まる大阪の方に参加することにした。
会場は大阪木津卸売市場の近くにあった。
一日通して様々なイベントが行われているが、まず11時30分からの「むしたけのぞき」を聞く。Ustream番組「むしたけのぞき」の虫武一俊と「塔」短歌会の江戸雪とのトーク。江戸雪の話は以前一度聞いたことがあるが、そのとき彼女は複数パネラーのひとりだった。今回は短歌をはじめたきっかけや江戸雪の短歌に対する考え方を詳しく知ることができた。
「歌人は短歌からいかに離れるかが勝負(短歌を作っていない時間に)」
「言ったことは伝わらない、逆に言わないことが(読者に)伝わる」
「大事なことは自分以外のところにある」
「短歌は自己肯定の文学。しかし、そこから(自己肯定から)離れようとすることが大切」
などの言葉が印象に残った。
もうひとつ、田中ましろ(「かばん」)司会の「ネット短歌はどこへゆく?」も聴講。
まず、五、六年前のネット短歌の環境として次のようなものが挙げられていた。
夜ぷち(夜はぷちぷちケータイ短歌)
mixi GREE
ブログ
うたのわ
題詠マラソン
短歌道(たんかどう)
かんたん短歌
笹短歌ドットコム
短歌サミット
いくつか聞いたことのあるものもあるが、私にはこの全部は分からない。
次に、最近のキーワードとしては次のようなものが挙げられた。
ツイッター
オンライン・オフライン
結社のツイッター進出
Ustream
同人誌
学生短歌
文学フリマ
ネットプリント
うたの日
こういうツールの変遷にともなって、五年前と今とでは何がどう変わったのかというのが話の流れだったようだ。
ただ、個人的体験に基づいた雑駁な話が多かったので、私にはついてゆけない部分があった。「かばん」6月号に「田中ましろインタビュー」が掲載されているので、そちらの方から引用してみたい。
「投稿を続けていた、NHKラジオ『夜はぷちぷちケータイ短歌』が終了になったことがきっかけです。締め切りがないと短歌を詠まない日々だったので、番組が終わった後も、自分が短歌を定期的に詠むための場を必要と感じていました」
「短歌を始めた当時は桝野浩一さんの『かんたん短歌』の作品を多く読んでいてその影響を受けていましたが、『かんたん短歌』の作歌方法に自分の限界を感じて、少しずつ現在の詠み方に近いものにシフトしていきました」
「短歌、すごく面白いのに俳句とかに比べてどこかマイナーなんですよね、世間的に。当時は結社に対して誤解を持っていてクローズドな場で切磋琢磨してるから短歌がメジャーにならないんだと思ったりもしてました。それで、少しでも多くの人にその楽しさを知ってほしいと思って始めたのが『うたらば』です」
「ネットの魅力はやはり超結社であることだと思います。所属内だけでの短歌活動では作風や評の傾向に偏りが生まれる可能性がありますが、超結社の歌会(オンライン・オフライン問わず)に参加していると常に新しい作風や評の切り口などに出会えます。所属内での『正しいこと』が一般的には正しくない可能性もあるわけでそのあたりの補正を常に行えることがネットを利用することのメリットだと思っています」
同誌には「ネットで広げよう短歌の輪」というページがあって、「空き瓶歌会」「空き地歌会」「さまよえる歌人の会」「空き家歌会」「借り家歌会」「うたらば」「うたつかい」などが紹介されている。この日の話を聞いて、どういう人たちが運営しているのか、少し実感できた。
「昔、『短歌ヴァーサス』という雑誌がありまして…」という発言があった『短歌ヴァーサス』6号(2004年12月)を帰宅してから久しぶりに書棚から取り出してみた。「ネット短歌はだめなのか?」という特集が組まれていて、吉川宏志と荻原裕幸の対談、司会は江戸雪。五年以上たつとすべて昔話扱いされるのは、スピーディな短歌界とはいえ驚いてしまう。
会場の付近、木津卸売市場の周辺には、海鮮丼やたこ焼きなどのおいしい食べ物がいろいろある。
食事しているうちに、この近くに折口信夫の生家跡があることを思い出した。かなり以前に一度行ったことがあり、記憶を頼りに歩いていると、大国主神社を発見。木津の大国さんと呼ばれていて、境内には折口信夫の歌碑がある。そういえば、地下鉄の最寄駅は「大国町」だった。そのあと少し迷ったが、目指す公園にたどりつく。
公園の一隅に「折口信夫生誕の地」の碑があり、その傍らに歌碑が建立されている。
ほい駕籠を待ちこぞり居る人なかにおのづからわれも待ちごゝろなる
宝恵駕籠(ほえかご・ほいかご)は芸妓さんを乗せて今宮戎神社の十日戎に参詣する駕籠。新年の季語になっている。
高校生のころ、『死者の書』がとても好きだった。ぎらぎら照りつける真夏の陽光のもと木津のこの地が聖地のように思えたのは白日夢のたぐいだったろう。
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