2013年10月18日金曜日

第2回川柳カード大会

9月28日(土)、大阪・上本町の「たかつガーデン」で「第2回川柳カード大会」が開催された。昨年の第1回大会(創刊記念大会)では、池田澄子をゲストに迎えたが、今回は佐藤文香と樋口由紀子のトークが注目された。
この二人は数年前の初対面のときから気が合ったようで、樋口はその場で「バックストローク岡山大会」(2010年4月)の選者を依頼。佐藤は石田柊馬との共選で「もっと」の選者をつとめた。そのときの選評で佐藤は「自分が選ぶときに大きな基準があることに気づきました。それは、その句がこの社会にどれだけ貢献しないか、ということです。風刺はともすると社会の役に立ってしまう。真面目にでも奔放にでも、遊び上手な作品に魅力を感じる」と書いている。この選評も当時話題になった。
こういう経緯があって、今回も大会第一部のゲストとして佐藤を招いた。二人ともトークには定評があるので、当日の対談も好評だったが、その詳細は「川柳カード」4号(11月25日発行予定)に掲載されることになっている。ここでは、当日の佐藤の発言のなかから、いくつか印象的だったものをピックアップして、私なりの感想を付け加えてみたい。

○「私は俳句甲子園がなかったら、俳句に入っていないタイプの人間」
このように佐藤は言い切る。
俳句甲子園に関わっている高校生は、全国大会に出場できない学校もあるから、毎年数百人単位になる。それだけの母体があるが、その全員が俳人として残るわけではない。
8月の「大阪連句懇話会」で久留島元に「俳句甲子園」の話をしてもらったのだが、久留島は作家として俳句を続けている人間以外に、「俳句甲子園」を裏方として支えている多くの人間がいることを語った。
俳句甲子園というイベントによって、俳句作家として俳句を書き続ける人、俳句は書かないが俳句にかかわってイベントを陰で支える人などが生まれてゆく。このような潜在的な若い世代が川柳には欠けているのだ。

○「川柳では若者を呼び込むような仕掛けを何かしてるんですか」
佐藤は川柳に対していくつかの問いかけをしている。「仕掛け」はそのひとつ。
「俳句甲子園」に相当するようなイベントは残念ながら川柳にはない。ひょっとするとどこかにあるかも知れないが全国的な広がりではないだろう。
 川柳の場合、「新聞川柳」から入ることが多い。全国紙・地方紙には川柳の投句コーナーがあって、読者が葉書で投句する。選者はその地方の有力川柳人であって、何度も入選する人に対しては、句会に来ませんかというお誘いがある。そこで興味のある人は句会に出かけてゆき、さらに規模の大きな大会に参加するなどして、川柳の世界に馴染んでゆく。
 こういう階梯を踏んでゆくので、自分が本当に出会いたい川柳に出会うためには何年もかかる。川柳の句集も一般書店には並んでいないから、書物を通じて好きな作家に出会うチャンスも少ない。
 私はこういう階梯は必ずしも無意味ではなかったと思っている。本当に求めるものを探しているうちに、自分の川柳が次第に鍛えられ深まっていくからである。こういう過程を踏まない人は、意外にもろく川柳から脱落していったりする。
 けれども、現在はそんな悠長なことでは通用しないだろう。新聞川柳から句会・大会へという従来のシステムではすでに時代に対応できなくなっているのだ。

○「世間イメージと文芸ジャンルとしての核が乖離しすぎている」
私の興味は、俳人(特に若い世代の俳人)に川柳がどう受け取られているかということである。佐藤は俳句の友人の「世間イメージと文芸ジャンルとしての核が乖離しすぎている」という発言を紹介した。これが私にとっては、対談の中で最も印象に残る言葉だったのである。
ひとつのジャンルの中で先端的な部分と大衆的な部分とに隔たりがあることは、別に川柳に限らず、どのジャンルでも見られることだろう。「先端的」「大衆的」という表現が適切かどうか分からないが、「前衛的」「伝統的」という表現もぴったりしないので、とりあえずそんなふうに言っておく。「ジャンル内ジャンル」(江田浩司)と言えばいいのだろうか。
「世間イメージ」とはいわゆる「サラリーマン川柳」をさすだろう。川柳が駄洒落や表層的な滑稽をねらうものと思われているなかで、真に文芸的な資質をもった若者が川柳に入ってくるはずはない。
「外から見たときに一番手の届きやすいところにジャンルの中心があればよい」と佐藤は実に適切なアドヴァイスをしてくれたが、それができないので苦労している。

大会の第二部での特選句を次に挙げておこう。

「泣く」(湊圭史選)  コンテナの中は泣き損なった人  井上一筒
「方法」(清水かおり選) 舟偏をつけてたゆたうのも一手 徳長怜子
「赤い」(野沢省悟選)  軍隊にまっ赤なウソを売りに行く  石田柊馬
「チョコレート」(筒井祥文選) 板チョコ齧るつけまつげつける 田中峰代
「学校」(新家完司選)   学校を覆う大きな病垂れ  高島啓子
事前投句「カード」(小池正博選)  それ以上育つと赤紙が届く くんじろう

大会終了後、短時間だが正岡豊と立ち話をすることができた。
昨年の参加者は百名を越えたが、今年は85名の参加。80名規模の大会でちょうどいいのだ、というような話をした。もちろん参加者が多ければ多いほど嬉しいが、人を集めることを主目的にすると別な部分にエネルギーと時間を取られることになる。「80名でいいのだ」とは石部明が「バックストローク」大会を開催するときに言っていたことで、心の支えになっている。

午後5時からの懇親会は、くんじろうの司会で進行。出席者全員に発言していただいたので、交流の目的は十分果たされた。こういう場では川柳人は素顔をさらけだして楽しむことができる。自意識に悩んだり演技の仮面に隠れる人は少ないようである。
大会翌日は有志で奈良を散策したあと、夕方から「川柳北田辺」句会に乱入した。くんじろうが主催する句会だが、昨日の大会のメンバーと再会して封筒回しを楽しむ。ちょうど「川柳北田辺」の句会報が届いたところなので、紹介する。「俳句は句会が楽しい」と言う人が多いが、川柳人も句会が好きである。

底ぬけに明るい階段は嫌い     榊陽子
そろそろ縞馬になろう       田中博造
戦争に負けて猫など飼っている   田久保亜蘭
砂壁を食べて子供を産みました   竹井紫乙
大阪の蛸は9本足である      滋野さち
急須の蓋にたまったままの「つ」  樋口由紀子
歌まくらをジューサーに入れてから くんじろう
弁慶の耳から流れ出す黄砂     井上一筒

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