いま大阪の国立国際美術館で「貴婦人と一角獣」展が開催されている。
東京ではすでに4月から7月まで国立新美術館で開催されたものである。
「貴婦人と一角獣」のタピスリーは有名なものであるが、フランスのクリュニー中世美術館の改装にともなって、その間、東京・大阪を巡回しており、じっくり見る機会ができたのはありがたい。
そもそもこのタピスリーが日本で人気があるのは、文学的イメージとともに受容されているからだ。たとえば、リルケの『マルテの手記』の第二部は次のように始まっている。
「これは『女と一角獣』の壁掛けと呼ばれたゴブラン織りである。しかし、これも今はブウサックの城から持ち出されてしまった。すべてのものが由緒ある家から持ち出される悲惨な時代なのだ。古い家はもう何一つ保存していることができない。今では信頼よりも危険が真実になってしまったのだ。デル・ヴィストの血統をついだ人間などただの一人も現代には残っていないし、その系譜をひそかに血の中に持っている者すら見当たらぬ。みんな遠い過去の人になってしまっている。ピエール・ドオブソンよ、古い家系が生んだ偉大な人物よ、もはや誰一人おまえの名まえを口にする人がないのだ。おそらくこれらの織物はおまえの意志によって作られたのだろう。そして、六枚のゴブランはあらゆるものを美しく賛美しているのだ」(大山定一訳)
1500年ごろに製作されたこのタピスリーは、リルケが書いているように、ヴィスト家のもので、ジョルジュ・サンドもこの作品について書いている。保存の必要性を唱えるメリメなどの具申によって、フランス政府が買い上げることになった経緯がある。
不思議な図案である。一角獣と獅子の表情がそれぞれおもしろいし、貴婦人と侍女も美しく描かれている。そこに込められている意味はよくわからなくても、眺めていると飽きない。
解説のパネルを読むと6枚はそれぞれ「触覚」「味覚」「嗅覚」「聴覚」「視覚」の寓意であるという。6枚目の「我が唯一の望み」だけが何を寓意しているのかわからないという。これを読んでからもういちどタピスリーを見ると、とたんにつまらなくなった。
解説を頭から振り払い、見ることに専念する。
魅力的なのはやはり一角獣である。「視覚」では貴婦人が一角獣に鏡を見せているが、一角獣は鏡に映った自分の姿を見ているというより、貴婦人を見つめているように見える。アレゴリーと言うならば、愛のアレゴリーなのではないか。
6枚のうち貴婦人と侍女の二人が描かれているのが4枚、貴婦人だけなのが2枚。獅子と一角獣はすべての図に登場する。
草花の模様も好ましい。千花文様(ミルフルール)というらしい。このような図案は琳派を産みだした日本人の感性にも強くアピールしてくる。
「貴婦人と一角獣」をながめながら、私は川柳をアレゴリーとしてとらえる見方があることを思い出していた。
現代川柳を「寓意」という視点からとらえたのが荻原裕幸である。
現代川柳を「メタファー」からとらえるのは常套的だが、「寓意」「アレゴリー」からとらえるのは独自の視点である。
(「寓意のパラダイス」http://ogihara.cocolog-nifty.com/biscuit/2011/03/post-7d7c.html)
『川柳総合大事典』第3巻「用語編」の「寓意法」の項目を参照すると、次のような例が出てくる。
老酒にキムチほどよい酔い心地
「老酒」が中国、「キムチ」が韓国の寓意であるという。
けれども、荻原のいう「寓意」はこのようなものではない。荻原はこんなふうに述べている。
「具体的なモデルがあろうとなかろうと、書かれたことばが、近代以降のリアリズムの枠をはみ出てしまって、別の意味に転じてしまうような文体のことである。寓意の骨格が見えるのに、それが何だとは特定できない、しかし何かがたしかにたちあがることばの感触のことである」
荻原が例に挙げているのは次の句。
妖精は酢豚に似ている絶対似ている 石田柊馬
「読んでいるうちに、これは単にあの妖精のことだけを言っているわけではないのかも知れないという感覚も生じてくる」と荻原は言う。事実でもなく、象徴でもなく、寓意の様相を帯びているというのだ。私はこの句を「妖精」のことだけを詠んでいるものととらえていて、寓意とは思わないが、この句が一句全体で何かほかのことを言おうとしているという読みかたはありうると思う。
「このような寓意という視点に立つと、現在の川柳の或る領域の作品群が、寓意のパラダイスにも似た状態を見せているのかがわかる。短歌や俳句のリアリズムがそれを拒めば拒むほど、寓意は、川柳の大きな特徴として浮かびあがることだろう。共感でも思いでもない川柳のありようを、私はしばらく、こうした寓意のなかに見てみたいと考えている」
こう述べたあと、荻原は「私の好む寓意的な川柳」として次のような作品を挙げている。
いもうとは水になるため化粧する 石部明
この世からはがれた膝がうつくしい 倉本朝世
立ち入ったことを餃子のタレに聞く 筒井祥文
よろしくね これが廃船これが楡 なかはられいこ
永遠に母と並んでジャムを煮る 樋口由紀子
そこそこの幽霊になりそこいらに 広瀬ちえみ
空き瓶を持ち上げ雌雄確かめる 丸山進
私の感覚では、別に寓意ととらえなくても、書かれていることそのままと受け取って差支えない句が混じっているように思われる。
ある種の現代川柳が「寓意」と受け取られるということに興味をひかれるのは、「ではそれが何を意味しているのか」という方向に読みが進むのではないという点にある。
何かの寓意のように感じられる。しかし、それが何を寓意しているのかはっきり言い当てることができないということ。というより、それを言い当てるような読みが、句をつまらなくしてしまうということ。作者は別に寓意をこめているわけではないのに、出来上った一句が何か別のことを表現しようとしているように受け取られるという、その感覚。
いまは私の手にはあまるが、「アレゴリー」「シンボル」「メタファー」などの言葉はきちんと整理される必要がありそうだ。
20年以上前のことだ。クリュニー美術館を訪れたことがある。いまは当時とは展示の仕方が変っているのかもしれないが、静かな館内でタピスリーの前にある石の階段に座り込んで長いあいだ「貴婦人と一角獣」をながめていた。とても充実した時間だったが、タピスリーの細部はあまり覚えていない。そのときの私は『マルテの手記』で頭をいっぱいにしていたので、たぶんリルケが純粋に図を見るじゃまをしていたのだろう。
今度の展覧会では一角獣のほか貴婦人や侍女、草花や動物たちなどが映像によって細部の比較がされていて、ずいぶん楽しかった。
2013年9月27日金曜日
2013年9月21日土曜日
野沢省悟評論集『冨二という壁』
野沢省悟の第二評論集『冨二という壁』(青森県文芸双書2)が刊行された。
近代・現代川柳史の中で中村冨二の存在は重要であったし、現在の時点でその存在感はますます大きなものになりつつある。このタイトルを選んだところに野沢省悟の川柳観がうかがわれる。
巻頭に収録されている評論が「田中五呂八の挫折」である。「現代川柳をどうとらえるか」という点で、野沢は「新川柳とネオ新川柳」という川柳史観を披露する。「ネオ新川柳」というとらえ方は、第一評論集『極北の天』(あおもり選書14、1996年)に収録されている「『ネオ新川柳』という考えについて」を踏襲している。野沢によれば、明治期に興ったものを「新川柳」、それ以前のものを「古川柳」、井上剣花坊の「大正川柳」以降の新興川柳から後の革新川柳に至る流れを「ネオ新川柳」と呼び、「新川柳」と「ネオ新川柳」の両者を混在させているのが「現代川柳」だと言うのである。
野沢のいう「ネオ新川柳」は、従来の呼び方による「新興川柳」と「革新川柳」を含んだものになるが、なぜことさらに呼びかえなくてはならないのだろうか。私は「新興川柳」には愛着があり、「新興川柳」の呼び方によって「新興俳句」「新興短歌」と同時代を共有する文学史的地平が開けると考えている。河野春三の川柳史観では「新興川柳」は「現代川柳」のルーツとなるが、その際の「現代」という語にはある種のバイアスがかかっている。即ち、「現代川柳」は「革新川柳」という意味になる。これを嫌った「伝統川柳」側からは、「革新川柳」がなぜ「現代川柳」を僭称するのかという抗議が起こるのは理由のないことではない。「現代川柳」と「現代の川柳」とを区別して、「現代の川柳」の中に「現代川柳(革新川柳)」と「伝統川柳」があるという言い方がされたこともあるが、それも用語の区別としてはすっきりしない。
野沢はこのような用語の混乱を避けるために、「ネオ新川柳」を提唱するに至ったのだろう。ただし、「ネオ」は「新」という意味だから「ネオ新川柳」という言い方にもすっきりしない点が残る。
では、「ネオ新川柳」というとらえ方をすることによって、どのような新しい光景が開けてくるかというと、「新川柳」と「ネオ新川柳」の区別をはっきりさせ、現代川柳がこの両者を混在させている状況を明確に把握することができるのである。野沢は次のような区別を立てている。
〈新川柳〉
①古川柳の延長であり通俗的な現在の反映
②他律的な没個性詩
③思想を必要としない
④創造の苦しみを要しない
⑤量的横の広がり
⑥社会生活の皮相的、通俗的表現
⑦発表の場を句会、大会に求める
〈ネオ新川柳〉
①古川柳の現代的開放であり、短詩創造
②自律的な個性詩
③思想を必要とする
④創造の苦しみと同時に開放感と喜び
⑤成長する縦の深さ
⑥先駆的短詩
⑦発表の場を個対個に求める
以上の区別は田中五呂八の新興川柳論に基づいているが、五呂八は「題詠」に否定的だった。彼は題詠によって没個性的で遊戯的な作品が生まれると考えた。けれども、題詠を否定し、個性的な川柳詩の創作を目指した五呂八も、やがて作品の類型化・行き詰まりという事態に直面する。野沢のいう「五呂八の挫折」である。
この挫折の原因について、既成川柳が題詠という表現手段をもっていたのに対して、新興川柳がそれにかわる表現手段をもたず、机上の作品・頭の中で製作する作品から脱皮できなかったためだと野沢は言う。
「机上の作品、頭の中でこねくり廻す作品から、どのような手段で脱皮するか、僕は一つの主張を持っている。それは題詠という『言葉』を足がかりとせず、『もの』を川柳創作の足がかり、手段にすべきだと言うことである」
これを具体的に述べているのが「『観生』という方法論」である。
まず野沢は、川柳の基本は「知」であるという。人間の頭の中の世界はすばらしいものだが、「ものを観ること」によって観念や概念が取り払われ、新たなものや真実が見えてくるようになる、と野沢は述べている。
「ふきのとうが咲いている。やわらかな緑色が鮮やかである。このふきのとうは僕だけが観ているふきのとうであって、他の人がこのふきのとうを観た場合、僕が観ているふきのとうとは微妙に違っているはずである。また僕が今観ているふきのとうと明日見るふきのとうはかなり違っているはずである。ふきのとうも変化しているし僕もまた変化している。『ものを観る』ということは、そのものと一瞬の対峙をすることであり、その瞬間はもう二度と存在しないのである。このような覚悟でものを観た場合、ものは単なるものではなく、僕と同時に存在する世界の一部であり、そして僕自身の一部となるのである」
野沢の言う「観生」という造語はどれだけ受け入れられるだろうか。新興川柳期に木村半文銭が唱えた「想像的直観」や斎藤茂吉の「実相観入」とどう違うのか。また、俳句の写生とはどう違うのか。川柳が「知」であることと「観る」ということとはどのように関連するのか。俳句の「写生」に対して川柳的写生を「観生」と呼んだのだろうか。さまざまな疑問が湧いてくる。
「もの」を課題とした句会について、「雪灯の会」での具体的なやり方が報告されている。
①課題は「もの」とする。たとえば「じゃがいも(ぶっきらぼうにじゃがいも三個転がって)」
②作句時間は30分
③出句は2句から3句
④出句されたものを無記名清記の上、参加者各人持ち点3点程度で点数を入れ合評する。
以上見てきたように野沢省悟は独自の川柳論を提示している。確固とした川柳史観や方法論を持った川柳人は少ないから、野沢のような存在は貴重である。野沢とは川柳史のとらえ方について考え方の違うところもあるが、本書は現代川柳について改めて考える契機となった。
肝心の中村冨二論については触れることができなかった。
近代・現代川柳史の中で中村冨二の存在は重要であったし、現在の時点でその存在感はますます大きなものになりつつある。このタイトルを選んだところに野沢省悟の川柳観がうかがわれる。
巻頭に収録されている評論が「田中五呂八の挫折」である。「現代川柳をどうとらえるか」という点で、野沢は「新川柳とネオ新川柳」という川柳史観を披露する。「ネオ新川柳」というとらえ方は、第一評論集『極北の天』(あおもり選書14、1996年)に収録されている「『ネオ新川柳』という考えについて」を踏襲している。野沢によれば、明治期に興ったものを「新川柳」、それ以前のものを「古川柳」、井上剣花坊の「大正川柳」以降の新興川柳から後の革新川柳に至る流れを「ネオ新川柳」と呼び、「新川柳」と「ネオ新川柳」の両者を混在させているのが「現代川柳」だと言うのである。
野沢のいう「ネオ新川柳」は、従来の呼び方による「新興川柳」と「革新川柳」を含んだものになるが、なぜことさらに呼びかえなくてはならないのだろうか。私は「新興川柳」には愛着があり、「新興川柳」の呼び方によって「新興俳句」「新興短歌」と同時代を共有する文学史的地平が開けると考えている。河野春三の川柳史観では「新興川柳」は「現代川柳」のルーツとなるが、その際の「現代」という語にはある種のバイアスがかかっている。即ち、「現代川柳」は「革新川柳」という意味になる。これを嫌った「伝統川柳」側からは、「革新川柳」がなぜ「現代川柳」を僭称するのかという抗議が起こるのは理由のないことではない。「現代川柳」と「現代の川柳」とを区別して、「現代の川柳」の中に「現代川柳(革新川柳)」と「伝統川柳」があるという言い方がされたこともあるが、それも用語の区別としてはすっきりしない。
野沢はこのような用語の混乱を避けるために、「ネオ新川柳」を提唱するに至ったのだろう。ただし、「ネオ」は「新」という意味だから「ネオ新川柳」という言い方にもすっきりしない点が残る。
では、「ネオ新川柳」というとらえ方をすることによって、どのような新しい光景が開けてくるかというと、「新川柳」と「ネオ新川柳」の区別をはっきりさせ、現代川柳がこの両者を混在させている状況を明確に把握することができるのである。野沢は次のような区別を立てている。
〈新川柳〉
①古川柳の延長であり通俗的な現在の反映
②他律的な没個性詩
③思想を必要としない
④創造の苦しみを要しない
⑤量的横の広がり
⑥社会生活の皮相的、通俗的表現
⑦発表の場を句会、大会に求める
〈ネオ新川柳〉
①古川柳の現代的開放であり、短詩創造
②自律的な個性詩
③思想を必要とする
④創造の苦しみと同時に開放感と喜び
⑤成長する縦の深さ
⑥先駆的短詩
⑦発表の場を個対個に求める
以上の区別は田中五呂八の新興川柳論に基づいているが、五呂八は「題詠」に否定的だった。彼は題詠によって没個性的で遊戯的な作品が生まれると考えた。けれども、題詠を否定し、個性的な川柳詩の創作を目指した五呂八も、やがて作品の類型化・行き詰まりという事態に直面する。野沢のいう「五呂八の挫折」である。
この挫折の原因について、既成川柳が題詠という表現手段をもっていたのに対して、新興川柳がそれにかわる表現手段をもたず、机上の作品・頭の中で製作する作品から脱皮できなかったためだと野沢は言う。
「机上の作品、頭の中でこねくり廻す作品から、どのような手段で脱皮するか、僕は一つの主張を持っている。それは題詠という『言葉』を足がかりとせず、『もの』を川柳創作の足がかり、手段にすべきだと言うことである」
これを具体的に述べているのが「『観生』という方法論」である。
まず野沢は、川柳の基本は「知」であるという。人間の頭の中の世界はすばらしいものだが、「ものを観ること」によって観念や概念が取り払われ、新たなものや真実が見えてくるようになる、と野沢は述べている。
「ふきのとうが咲いている。やわらかな緑色が鮮やかである。このふきのとうは僕だけが観ているふきのとうであって、他の人がこのふきのとうを観た場合、僕が観ているふきのとうとは微妙に違っているはずである。また僕が今観ているふきのとうと明日見るふきのとうはかなり違っているはずである。ふきのとうも変化しているし僕もまた変化している。『ものを観る』ということは、そのものと一瞬の対峙をすることであり、その瞬間はもう二度と存在しないのである。このような覚悟でものを観た場合、ものは単なるものではなく、僕と同時に存在する世界の一部であり、そして僕自身の一部となるのである」
野沢の言う「観生」という造語はどれだけ受け入れられるだろうか。新興川柳期に木村半文銭が唱えた「想像的直観」や斎藤茂吉の「実相観入」とどう違うのか。また、俳句の写生とはどう違うのか。川柳が「知」であることと「観る」ということとはどのように関連するのか。俳句の「写生」に対して川柳的写生を「観生」と呼んだのだろうか。さまざまな疑問が湧いてくる。
「もの」を課題とした句会について、「雪灯の会」での具体的なやり方が報告されている。
①課題は「もの」とする。たとえば「じゃがいも(ぶっきらぼうにじゃがいも三個転がって)」
②作句時間は30分
③出句は2句から3句
④出句されたものを無記名清記の上、参加者各人持ち点3点程度で点数を入れ合評する。
以上見てきたように野沢省悟は独自の川柳論を提示している。確固とした川柳史観や方法論を持った川柳人は少ないから、野沢のような存在は貴重である。野沢とは川柳史のとらえ方について考え方の違うところもあるが、本書は現代川柳について改めて考える契機となった。
肝心の中村冨二論については触れることができなかった。
2013年9月13日金曜日
緑の闇に拓く江田浩司のパロール
江田浩司の批評集『緑の闇に拓く言葉(パロール)』(万来舎)が上梓された。
2007年8月より万来舎のサイト「短歌の庫」に掲載された文章を一書にまとめたものである。その時々に読んで印象に残っている文章も多いが、こうして一冊の本になると、改めて見えてくるものもある。「はじめに」では「万来舎から連載の話があったとき、短歌プロパーの批評ではなく詩歌全般に関する文章が書きたいことを申し上げました」と書かれていて、こういうスタンスは共感できる。
時評を続けるにはエネルギーが必要だ。同じ時期に「青磁社」の短歌時評のサイトがあった。大辻隆弘と吉川宏志が交代で執筆していて、こちらの方も私は愛読していたが、いまは中止になってしまっているのは残念である。
本書の読みどころはいろいろあるだろうが、先週取り上げた「詩型の越境」の話題につなげて言えば、本書の第五章「現代詩との対話」に収められている文章が興味深い。「藤原月彦の俳句と藤原龍一郎の短歌」「柴田千晶詩集『セラフィタ氏』を読む」などが取り上げられている。
瀬戸夏子の歌集『そのなかに心臓をつくって住みなさい』は「現代詩手帖」9月号の「詩型の融合は可能か?」でも取り上げられていたが、本書の第四章でも論じられている。江田はこんなふうに書いている。(ちなみに、瀬戸を取り上げたこの文章は、現在、サイト「短歌の庫」で読める直近の文章である。)
「また、同時に現代詩ではなく短歌の世界で勝負することを選択した真意を量りかねてもいた。瀬戸が短歌としてこのようなテクストを提示しても、それを短歌として受け入れる余地が歌壇には存在していないと思われたからである。そうではあっても、黙殺覚悟で自己の短歌世界を追求するのならば、何も力にはならないが、私は瀬戸というアナーキーな歌人の営為を注視しなければならないと思ったのである」
日本を脱出したい?処女膜を大事にしたい?きみがわたしの王子様だ 瀬戸夏子
鍵はみどり鍵穴ははみどりミッフィーをひらく動詞を折り紙にして
私は「町」も「率」3号も読んでいないので詳しいことは分からないが、瀬戸夏子という人に興味をもった。たまたま「率」2号が手元にあるので、引用してみるが、この人の短歌は現代詩の部分とミックスされているので、一首独立で引用しても意味がないのかもしれない。
おれの新聞をとってくれ りんごはいい りんごは体によくないからな
これじゃあ帰れないじゃないだっていつまでたっても苺はあなたの赤ん坊
みたいな顔のまんまだし気まずいわ帰り道にはいつもあなたの悪口いうのよ
その苺 二上で道を結わえた りんごはいい りんごは体によくないからな
「小池正博句集『水牛の余波』を読んで思ったこと」も第五章に収録されている。川柳をめぐる文章が「現代詩との対話」の中に置かれているのはたいへん興味深いことである。塊りとしての川柳が脆弱な現状の中で、川柳作品が短詩型文学の読者によって読まれる場合に、それは詩として読まれるほかはないだろう。川柳内部でのみ通用する価値基準は無効となり、テクストとして読まれることになるのである。
「吟遊」59号に大橋愛由等が「川柳 われらの隣人にもらい水」という文章を書いている。
大橋は「川柳カード」2号に触れ、次のように言う。
「さて、俳句と川柳の関係についていえば、2000年代には、両者の境界があいまいになり、互いに越境しあっているかのような現象がみられた。しかしそれ以後の十年間のことになると、私の管見にすぎないのだが、川柳が作品を先鋭化させていった一方で、俳句は『俳句性』に安居してしまったように思える。俳句は、もともと『俳句性』の中に自足・自閉してしまう傾向が強い文芸である。いまはまた俳句にとって川柳は近くて遠い隣人となってしまったのかもしれない」
このように述べたあと、大橋は清水かおりの次のような川柳作品を引用している。
群青なのでフェチという言い草 清水かおり
隷属や傘屋に遊ぶことしきり
うたたねの椅子で揮発せよ小鳥
これらの作品を読むときに、大橋は「川柳的な一義性」「川柳的な『うがち』や『はぐらかし』」「川柳文芸の特徴」などを意識する必要がないことを爽快なこととして述べている。即ち、大橋は清水の作品を詩として読んでいるのだ。
他ジャンルの方からよく「川柳の読み方がよくわからない」という発言を聞く。俳句や短歌の場合はそれなりの読みの方法が蓄積されているのだろうが、川柳では読みの方法のようなものはあまり耳にしない。ジャンルの特性に基づいた川柳の読みは、それはそれで追求する価値があるかもしれないが、ひとつの作品として短詩型の読者の目にさらされてゆく経験が川柳にはもっと必要である。
2007年8月より万来舎のサイト「短歌の庫」に掲載された文章を一書にまとめたものである。その時々に読んで印象に残っている文章も多いが、こうして一冊の本になると、改めて見えてくるものもある。「はじめに」では「万来舎から連載の話があったとき、短歌プロパーの批評ではなく詩歌全般に関する文章が書きたいことを申し上げました」と書かれていて、こういうスタンスは共感できる。
時評を続けるにはエネルギーが必要だ。同じ時期に「青磁社」の短歌時評のサイトがあった。大辻隆弘と吉川宏志が交代で執筆していて、こちらの方も私は愛読していたが、いまは中止になってしまっているのは残念である。
本書の読みどころはいろいろあるだろうが、先週取り上げた「詩型の越境」の話題につなげて言えば、本書の第五章「現代詩との対話」に収められている文章が興味深い。「藤原月彦の俳句と藤原龍一郎の短歌」「柴田千晶詩集『セラフィタ氏』を読む」などが取り上げられている。
瀬戸夏子の歌集『そのなかに心臓をつくって住みなさい』は「現代詩手帖」9月号の「詩型の融合は可能か?」でも取り上げられていたが、本書の第四章でも論じられている。江田はこんなふうに書いている。(ちなみに、瀬戸を取り上げたこの文章は、現在、サイト「短歌の庫」で読める直近の文章である。)
「また、同時に現代詩ではなく短歌の世界で勝負することを選択した真意を量りかねてもいた。瀬戸が短歌としてこのようなテクストを提示しても、それを短歌として受け入れる余地が歌壇には存在していないと思われたからである。そうではあっても、黙殺覚悟で自己の短歌世界を追求するのならば、何も力にはならないが、私は瀬戸というアナーキーな歌人の営為を注視しなければならないと思ったのである」
日本を脱出したい?処女膜を大事にしたい?きみがわたしの王子様だ 瀬戸夏子
鍵はみどり鍵穴ははみどりミッフィーをひらく動詞を折り紙にして
私は「町」も「率」3号も読んでいないので詳しいことは分からないが、瀬戸夏子という人に興味をもった。たまたま「率」2号が手元にあるので、引用してみるが、この人の短歌は現代詩の部分とミックスされているので、一首独立で引用しても意味がないのかもしれない。
おれの新聞をとってくれ りんごはいい りんごは体によくないからな
これじゃあ帰れないじゃないだっていつまでたっても苺はあなたの赤ん坊
みたいな顔のまんまだし気まずいわ帰り道にはいつもあなたの悪口いうのよ
その苺 二上で道を結わえた りんごはいい りんごは体によくないからな
「小池正博句集『水牛の余波』を読んで思ったこと」も第五章に収録されている。川柳をめぐる文章が「現代詩との対話」の中に置かれているのはたいへん興味深いことである。塊りとしての川柳が脆弱な現状の中で、川柳作品が短詩型文学の読者によって読まれる場合に、それは詩として読まれるほかはないだろう。川柳内部でのみ通用する価値基準は無効となり、テクストとして読まれることになるのである。
「吟遊」59号に大橋愛由等が「川柳 われらの隣人にもらい水」という文章を書いている。
大橋は「川柳カード」2号に触れ、次のように言う。
「さて、俳句と川柳の関係についていえば、2000年代には、両者の境界があいまいになり、互いに越境しあっているかのような現象がみられた。しかしそれ以後の十年間のことになると、私の管見にすぎないのだが、川柳が作品を先鋭化させていった一方で、俳句は『俳句性』に安居してしまったように思える。俳句は、もともと『俳句性』の中に自足・自閉してしまう傾向が強い文芸である。いまはまた俳句にとって川柳は近くて遠い隣人となってしまったのかもしれない」
このように述べたあと、大橋は清水かおりの次のような川柳作品を引用している。
群青なのでフェチという言い草 清水かおり
隷属や傘屋に遊ぶことしきり
うたたねの椅子で揮発せよ小鳥
これらの作品を読むときに、大橋は「川柳的な一義性」「川柳的な『うがち』や『はぐらかし』」「川柳文芸の特徴」などを意識する必要がないことを爽快なこととして述べている。即ち、大橋は清水の作品を詩として読んでいるのだ。
他ジャンルの方からよく「川柳の読み方がよくわからない」という発言を聞く。俳句や短歌の場合はそれなりの読みの方法が蓄積されているのだろうが、川柳では読みの方法のようなものはあまり耳にしない。ジャンルの特性に基づいた川柳の読みは、それはそれで追求する価値があるかもしれないが、ひとつの作品として短詩型の読者の目にさらされてゆく経験が川柳にはもっと必要である。
2013年9月6日金曜日
「詩型の越境」(「現代詩手帖」9月号)について
「現代詩手帖」9月号の特集「詩型の越境―新しい時代の詩のために」が話題になっている。
2本のシンポジウムと俳句作品・短歌作品・融合作品の実作、それに関悦史・山田航などの評論が付く。俳句作品としては安井浩司・竹中宏・高山れおな・御中虫・福田若之が掲載されており、このラインナップが「現代詩手帖」で見られるのは快挙と言ってよい。そのせいか、今月号はなかなか手に入らない。特集が目当てで買い占めている人がいるのかもしれない。
「詩型の越境」は今まで繰り返し語られてきたテーマである。このテーマが「現代詩手帖」という場でどのような取り上げられ方をするのか、興味と期待をもって読んだ。
巻頭のシンポジウム「越境できるか、詩歌 三詩型横断シンポジウム」は、高橋睦郎・穂村弘・奥坂まや・野村喜和夫(司会)による。
三人の立場はそれぞれ異なる。「ジャンルが異なっても共有できるポエジーは分かるが、そうじゃない概念やポエジーの作り方はわからない」というのが穂村。「基本的に越境はできない」というのが奥坂。「そもそも境界というものはないし、ない方がお互いを豊かにする」というのが高橋。
三人のうちで奥坂の発言を取り上げると、〈俳句は季語にたいする「お供物」〉〈形而上的な部分は季語がひきうけてくれる〉〈無季の俳句はアンチ巨人軍のようなもの〉〈連作には反対〉などの言葉が目につく。ずいぶん乱暴な発言だとは思うが、これらの発言の是非については俳人が批判すればよいことで、ここでは何も言わない。ただ川柳と関連する部分については少しコメントしておきたい。
穂村が「越境できるか、俳句と川柳」という問題意識で、「いまわれわれはかたちが違うものどうしで集まっているのでどこかゆとりがある。越境してもかたちが違うみたいなよりどころがあるけれども、目に見えない本質の共有だけが俳句と川柳の差異であるならば、その二つのジャンルは越境できたらいけないのではないか」という問いを投げかけたのに対して、奥坂は次のように答えている。
「いま川柳には時実新子以来、季語的なことばが入っていれば俳句として鑑賞できるようなものが増えてきています。だいぶ境界が曖昧にはなってきていると思います。じつは私の『鷹』というグループに川柳を以前にやっていて、それから俳句をはじめたという方がいて、川柳でもかなりの作者だったらしいんですが、俳句をなさって高く評価された句集も出しています。その方に言わせると、川柳というのは意味だという。意味のおもしろさに価値があると」
たまたま自分の周囲にいる人の意見を取り上げて、しかもその人の実名も明らかにせずに「川柳」全体についての決めつけを行う。このような手法をとる人を一般にはデマゴーグと呼ぶ。時実新子は川柳に一時代を画した人だが、川柳といえばいまだに時実新子というのもいかがなものか。俳句と川柳の境界については昭和十年代からずっと論争が続いてきているので、このように軽く片付けられるような話ではない。
奥坂の発言は俳句界の内向きの発言であって、意見の異なる他者と対話するものになっていない。俳句の世界の中の、それも一部に向けての発言なら共感もえられようが、奥坂は「現代詩手帖」の読者についての想定を誤っているのではないか。
もうひとつのシンポジウム「詩型の融合は可能か?」は4月14日に開催された「詩歌梁山泊~三詩型交流企画」第一部の記録である。パネラーは石川美南・光森裕樹・柴田千晶・榮猿丸・野村喜和夫・暁方ミセイ・堀田季何(司会)である。こちらの方はより具体的作品に基づいて話が進められており、前者が「クロスオーバー」だとすれば後者は「フュージョン」がテーマだと言えよう。
取り上げられている作品は岡井隆、瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』、高山れおな『俳諧曾我』、辻征夫『俳諧辻詩集』、石川美南、斉藤斎藤、柴田千晶「青葉木菟」、野村喜和夫など多彩である。
堀田のまとめによると、三詩型の横断・越境・融合・コラボにおいては
一つの詩型ともう一つの詩型で合わさったもの
一つの詩型に刺激を受けてもう一つの詩型で表現したもの
一つの詩型をもう一つの詩型に溶け込ませたもの
などが見られるという。
融合作品の例としては「詩歌梁山泊・詩歌トライアスロン最優秀作」に選ばれ中家奈津子の「うずく、まる」が掲載されている。高山れおなの『俳諧曾我』は評判になった句集だし、『俳諧辻詩集』は出たときに愛読したものである。柴田千晶の『セラフィタ氏』『生家へ』など、私たちは読者としてもさまざまなフュージョン経験を積んできていることになる。
今月号でおもしろいのは、議論だけではなくて短歌と俳句の実作が掲載されていることである。短歌も興味深く、斉藤斎藤の作品などはぜひ紹介したいところだが、詞書の部分などがあって引用しにくい。次に紹介するのは俳句のうちの三人の作者である。
修女いま魚座をねむらす膝の上 安井浩司
肩を入れがたき無門や夏あざみ
悠々と大地のキャベツ盗む旅人
大いなる角度で抱かる春の妃や
青銅牛の内臓盗られ草あらし
ビル街にひそみて蟬が愉快がる 竹中宏
夏脱しゆく岩は岩瀧は瀧
燕去る中有のそらを藁くづも
秋の水から親鸞が朱唇あげ
ヴェロニカは「ときどき眠る貂の貌」
彼と彼女は詩をめぐりやがていさかう。
また本を読まないでいる蛾をみている 福田若之
なに期待してさ紙魚みたいに食えよ
「は?」という、過去限りなく繰り返された。パラソル。
舟虫に砂の本音は崩れ去る
暑極まる風向きを読み佐渡を見て
草笛の音が草笛から遠い
こうして見てくると、シンポジウムや評論における議論と掲載作品がお互いに照らし合い、相対化しあって、多角的な編集になっていることが分かる。編集ノートには次のように書かれている。
「詩の書き手が短歌や俳句を書けばそれで『越境』と言えるのか。そうではないだろう。何よりもまず読むこと、感応することからはじまるのではないか、というのがこの特集の出発点だ。短歌、俳句それぞれ5人の作家たちに書き下ろしで作品を依頼した。これは関悦史、山田航両氏に、詩の書き手、読み手に読んでもらいたい作家ということで選んでいただいたもの。こういったかたちでの短詩型作品の競作は小誌でははじめてのことでだが、何の違和感もなく誌面で輝きを放っていることに驚く」
クローズドな世界にとどまっているなら安全無事だが、価値観の異なる他者の世界へ出て行くには勇気がいる。そこでは内部でだけ通用する価値観が問い直され、普遍的なものに鍛え直されるからだ。ある意味でとても怖いことである。だからといって、自己のジャンルの中で閉鎖的に純化してゆくほうがいいというわけではない。同時代の表現者たちのことはジャンルを越えて気になるものだし、時代の進展のなかでしか私たちは前へ進めないのだ。
2本のシンポジウムと俳句作品・短歌作品・融合作品の実作、それに関悦史・山田航などの評論が付く。俳句作品としては安井浩司・竹中宏・高山れおな・御中虫・福田若之が掲載されており、このラインナップが「現代詩手帖」で見られるのは快挙と言ってよい。そのせいか、今月号はなかなか手に入らない。特集が目当てで買い占めている人がいるのかもしれない。
「詩型の越境」は今まで繰り返し語られてきたテーマである。このテーマが「現代詩手帖」という場でどのような取り上げられ方をするのか、興味と期待をもって読んだ。
巻頭のシンポジウム「越境できるか、詩歌 三詩型横断シンポジウム」は、高橋睦郎・穂村弘・奥坂まや・野村喜和夫(司会)による。
三人の立場はそれぞれ異なる。「ジャンルが異なっても共有できるポエジーは分かるが、そうじゃない概念やポエジーの作り方はわからない」というのが穂村。「基本的に越境はできない」というのが奥坂。「そもそも境界というものはないし、ない方がお互いを豊かにする」というのが高橋。
三人のうちで奥坂の発言を取り上げると、〈俳句は季語にたいする「お供物」〉〈形而上的な部分は季語がひきうけてくれる〉〈無季の俳句はアンチ巨人軍のようなもの〉〈連作には反対〉などの言葉が目につく。ずいぶん乱暴な発言だとは思うが、これらの発言の是非については俳人が批判すればよいことで、ここでは何も言わない。ただ川柳と関連する部分については少しコメントしておきたい。
穂村が「越境できるか、俳句と川柳」という問題意識で、「いまわれわれはかたちが違うものどうしで集まっているのでどこかゆとりがある。越境してもかたちが違うみたいなよりどころがあるけれども、目に見えない本質の共有だけが俳句と川柳の差異であるならば、その二つのジャンルは越境できたらいけないのではないか」という問いを投げかけたのに対して、奥坂は次のように答えている。
「いま川柳には時実新子以来、季語的なことばが入っていれば俳句として鑑賞できるようなものが増えてきています。だいぶ境界が曖昧にはなってきていると思います。じつは私の『鷹』というグループに川柳を以前にやっていて、それから俳句をはじめたという方がいて、川柳でもかなりの作者だったらしいんですが、俳句をなさって高く評価された句集も出しています。その方に言わせると、川柳というのは意味だという。意味のおもしろさに価値があると」
たまたま自分の周囲にいる人の意見を取り上げて、しかもその人の実名も明らかにせずに「川柳」全体についての決めつけを行う。このような手法をとる人を一般にはデマゴーグと呼ぶ。時実新子は川柳に一時代を画した人だが、川柳といえばいまだに時実新子というのもいかがなものか。俳句と川柳の境界については昭和十年代からずっと論争が続いてきているので、このように軽く片付けられるような話ではない。
奥坂の発言は俳句界の内向きの発言であって、意見の異なる他者と対話するものになっていない。俳句の世界の中の、それも一部に向けての発言なら共感もえられようが、奥坂は「現代詩手帖」の読者についての想定を誤っているのではないか。
もうひとつのシンポジウム「詩型の融合は可能か?」は4月14日に開催された「詩歌梁山泊~三詩型交流企画」第一部の記録である。パネラーは石川美南・光森裕樹・柴田千晶・榮猿丸・野村喜和夫・暁方ミセイ・堀田季何(司会)である。こちらの方はより具体的作品に基づいて話が進められており、前者が「クロスオーバー」だとすれば後者は「フュージョン」がテーマだと言えよう。
取り上げられている作品は岡井隆、瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』、高山れおな『俳諧曾我』、辻征夫『俳諧辻詩集』、石川美南、斉藤斎藤、柴田千晶「青葉木菟」、野村喜和夫など多彩である。
堀田のまとめによると、三詩型の横断・越境・融合・コラボにおいては
一つの詩型ともう一つの詩型で合わさったもの
一つの詩型に刺激を受けてもう一つの詩型で表現したもの
一つの詩型をもう一つの詩型に溶け込ませたもの
などが見られるという。
融合作品の例としては「詩歌梁山泊・詩歌トライアスロン最優秀作」に選ばれ中家奈津子の「うずく、まる」が掲載されている。高山れおなの『俳諧曾我』は評判になった句集だし、『俳諧辻詩集』は出たときに愛読したものである。柴田千晶の『セラフィタ氏』『生家へ』など、私たちは読者としてもさまざまなフュージョン経験を積んできていることになる。
今月号でおもしろいのは、議論だけではなくて短歌と俳句の実作が掲載されていることである。短歌も興味深く、斉藤斎藤の作品などはぜひ紹介したいところだが、詞書の部分などがあって引用しにくい。次に紹介するのは俳句のうちの三人の作者である。
修女いま魚座をねむらす膝の上 安井浩司
肩を入れがたき無門や夏あざみ
悠々と大地のキャベツ盗む旅人
大いなる角度で抱かる春の妃や
青銅牛の内臓盗られ草あらし
ビル街にひそみて蟬が愉快がる 竹中宏
夏脱しゆく岩は岩瀧は瀧
燕去る中有のそらを藁くづも
秋の水から親鸞が朱唇あげ
ヴェロニカは「ときどき眠る貂の貌」
彼と彼女は詩をめぐりやがていさかう。
また本を読まないでいる蛾をみている 福田若之
なに期待してさ紙魚みたいに食えよ
「は?」という、過去限りなく繰り返された。パラソル。
舟虫に砂の本音は崩れ去る
暑極まる風向きを読み佐渡を見て
草笛の音が草笛から遠い
こうして見てくると、シンポジウムや評論における議論と掲載作品がお互いに照らし合い、相対化しあって、多角的な編集になっていることが分かる。編集ノートには次のように書かれている。
「詩の書き手が短歌や俳句を書けばそれで『越境』と言えるのか。そうではないだろう。何よりもまず読むこと、感応することからはじまるのではないか、というのがこの特集の出発点だ。短歌、俳句それぞれ5人の作家たちに書き下ろしで作品を依頼した。これは関悦史、山田航両氏に、詩の書き手、読み手に読んでもらいたい作家ということで選んでいただいたもの。こういったかたちでの短詩型作品の競作は小誌でははじめてのことでだが、何の違和感もなく誌面で輝きを放っていることに驚く」
クローズドな世界にとどまっているなら安全無事だが、価値観の異なる他者の世界へ出て行くには勇気がいる。そこでは内部でだけ通用する価値観が問い直され、普遍的なものに鍛え直されるからだ。ある意味でとても怖いことである。だからといって、自己のジャンルの中で閉鎖的に純化してゆくほうがいいというわけではない。同時代の表現者たちのことはジャンルを越えて気になるものだし、時代の進展のなかでしか私たちは前へ進めないのだ。