2013年8月2日金曜日

第27回連句フェスタ宗祇水

6月にこのブログで猪苗代兼載のことを書いたが、今日は飯尾宗祇に関連したことを述べてみたい。
7月27・28日、郡上八幡への旅をした。「連句フェスタ宗祇水」に参加するためである。毎年案内をもらっているのだが、日程が合わなくて今まで行く機会がなかった。郡上八幡の「宗祇水」は連歌にゆかりの場であり、一度は訪れたかったところである。
「奥美濃連句会」の有志が「宗祇水」に俳諧の連歌の奉納をはじめたのが昭和50年。それが発展して「連句フェスタ宗祇水」となったのが昭和62年である。その中心となり、求心力となったのが郡上八幡在住の詩人・連句人の水野隆(みずの・りゅう)であった。
連句集『満天星』(どうだん)に収録されている、次の歌仙は連句人にとって忘れられない作品である。最初の7句だけ紹介する。

晩禱や地に満天星の花幽か    水野 隆
かつて樹たりし記憶透く春   村野夏生
鞦韆に水平線をひきよせて    別所眞紀
貴人ひとり住む新開地     安宅夏夫
ざらざらと月光首に巻く立夏   山地春眠子
川鳴る谿の流し素麺      古池淳嗣
液晶の靑より蒼に變るとき    村松定史

連句における詩性派を代表する作品である。
この作品は第1回連句懇話会賞を受賞。現代連句史にひとつのエポックを画した。
水野隆とは一度だけ連句の座をともにしたことがある。
2005年10月、神戸を訪れた水野を囲んで「おたくさの会」で連句を巻いたときに、私も誘われて同座させていただいた。歌仙「夕星の」の巻。鈴木漠編『轣轆帖』(編集工房ノア)に収録されている。そのときの発句と脇は次のようになっている。

夕づつの落鮎銀の塩振らな    水野 隆
後の月から水の滴り      小池正博

脇句には捌き手・水野の斧鉞が入っているかも知れない。「水の滴り」に「水野」を掛けているところが私らしいと言えばいえる。
「塩振らな」は「塩振らむ」という意味だろう。2007年の「連句フェスタ」の際に梅村光明は「夏行くや古今伝授の跡訪はん」の発句を出したところ、水野は「これで結構ですが」と言って、「訪はん」を「訪はな」に直したという。彼の愛用の語だったのだろう。
次のような付合もある。

辛辣なコラムに繁き蝉時雨      正博
匕首ひそと砂利に埋める      隆

薬喰曇りにじみ来櫺子窓       隆
バイリンガルの叔母は着ぶくれ   正博

水野は平成21年に惜しくも亡くなったが、「連句フェスタ宗祇水実行委員会」によって継承・開催されている。

名古屋から高速バスに乗って郡上八幡インターで下車。まっすぐに「宗祇水」に向かう。
長良川の支流の吉田川には鮎を釣る人々の姿が見られる。友釣りである。なわばりを守る鮎の性質を利用した釣りであるが、最近の鮎はなわばり内に別の鮎が入ってきても攻撃しなくなったとは後日聞いた話である。鮎も草食系になったのか。
丹塗りの清水橋を渡ると宗祇水である。ここが聖地である。湧き出る水が美しい。連歌・連句に関心のある人しか訪れないものと思っていたが、名水として有名で、観光客の流れが絶えず、静かに古今伝授のあとを偲ぶ雰囲気でもない。宗祇水を背にしてしばらく清流を眺めていた。
郡上八幡城や翌日の連句会の会場になる大乗寺などをめぐっているうちに夕刻になる。
前夜祭では大乗寺住職・高橋教雄の講演を聞く。宗祇が古今伝授を受けた東常縁(とうのつねより)についての考証である。
懇親会のあと郡上おどりの会場へ。郡上おどりは縁日おどりなので、それぞれの日に名称が付いている。この日は「赤髭作兵衛慰霊祭」という。お城の石垣の大石を運び終えたあと力尽きて息絶えたのが赤髭作兵衛である。
踊りをふたつほど見たあと、ホテルに戻って明日に備える。

翌日曜日は「連句フェスタ」の当日。午前9時半に宗祇水にて発句献句。短冊に自筆で書いた句が吊るされる。

草いきれ辿り来たれば宗祇水    正博
葉やなぎやしばし宗祇の名水に   静司

う~ん。連句より習字の練習をしてくるべきだったと悔やむが、これはまだまだ序の口だったのである。
大乗寺に移動して連句興行。「かわさきの座」は私の発句、「春駒の座」は静司さんの発句で、二座に分かれる。捌き手はそれぞれ臼杵游児、東條士郎の両氏である。
治定された句は本人が半紙に清書して順に吊るしていく。ここでも汗。
夕刻には歌仙二巻が巻き上がり、午後5時半に再び宗祇水で奉納(読み上げ)。冷えたビールにて乾杯する。このあと懇親会があったが、ここで私はバスに乗るため別行動に。
吉田川に沿ってバス停まで歩くあいだ、この町に息づく詩魂について改めて実感した。
宗祇水には是非行くように岡本星女から勧められたことがあったが、星女がひとつ話のように何度も語ったのは平成18年の連句フェスタの際のことである。星女が興に乗って郡上節を歌ったのに対して、水野隆は歌舞伎・髪結新三の声色を披露したというのだ。
水野は「おもだか家民芸館」の当主であり、彼の父の水野柳人は鮎の絵を得意とした。そういう文化の伝統が更に次代につながっていくのである。
八月に入っても郡上おどりは毎夜続いている。今夜もいまごろは城山公園で人々が踊っていることだろう。

次週8月9日は夏休みをいただいて休載します。次回は8月16日にお目にかかります。

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