「川柳塔」7月号が届いた。7月は麻生路郎忌である。
巻頭言に主幹の小島蘭幸が「自由律俳人 橋本夢道」を書いている。
無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ 橋本夢道
句集『無礼なる妻』の一句である。
夢道は徳島の出身。小島蘭幸は徳島県立文学書道館で『橋本夢道物語』を手に入れる。著者の殿岡駿星は夢道の次女の夫である。同書には次のように書かれているという。
「夢道は妻に対して『無礼なる妻』といいながら、実は世の中を批判している。必死になって飢餓食を作る妻を愛し、同時にこんな世の中にしてしまった戦争に対して怒りをぶっつけたのだろう」
蘭幸の巻頭言に刺激を受け、『短歌俳句川柳101年』(新潮臨時増刊号・1993年)の夢道のページを開けてみた。そこには次のような自由律俳句が掲載されていた。
戦争ゴッコの鎮台様がおらが一家の藷畑をメチャメチャにして呉れやがった
世界危機の正月の朝湯の身一つを愛する
夏の夢冬の夢春暁とても夢地獄
政治を信じられない日は青年青葉の塔を描く
発熱下痢愚痴内職三百六十日むしゃくしゃくしゃ
貧乏桜よ戦争いや強制労働ああ水爆真平だね
半人半獣のさばる邦の春風のみぴかぴかす
夢道は治安維持法違反で投獄され、獄中生活を送った。本物のプロレタリア俳人であった。
さて、川柳塔」7月号には拙稿の「春風をXに切る―高鷲亜鈍と詩川柳」も掲載されている。高鷲亜鈍は詩人の藤村青一。独自の詩川柳論で知られている。
また「川柳塔」には木津川計が「川柳讃歌」を連載していて、すでに百回を越える。
無駄なもの省けば私消えている 上田紀子
この句について木津川はこんなふうに書いている。
「岸田国士は高等で上等な人でしたから、『苦闘と闘ひ得ない人間は人間の屑だ。文学はさういふ人間の為に在るのではない』と傲然でした。ですが太宰治は自らを人間の屑と思い続け、『文学はさういふ人間の為に在る』と考えていたのでしょう。紀子さんも自らを人間の屑視されていますが、そんな紀子さんの為に川柳は在るのです。あなたの詠む『中心をずらしゆったり生きていく』現代川柳的感覚が光ります」
木津川計の『言葉の身づくろい』(上方芸能出版センター)はまだ読んでいないが、『人生としての川柳』(角川学芸ブックス・2010年)は川柳に対してエールを送る書である。
この本では六大家などの伝統川柳に多くのページが割かれているが、現代川柳にもきちんと目配りがされている。樋口由紀子や石田柊馬・石部明などの作品も引用されている。ただ、それは難解句の例として挙げられているのだが、分からないから駄目だというような偏狭な扱いはしていない。「川柳―近付き難い別世界にしないために」の章に木津川の考えがよく表れていて、私の考えとは異なる部分もあるが、川柳を大切なものとするスタンスはよく感じとれるのである。
そして本書の中には版画家・山田喜代春の名が登場する。
先日、京都で山田喜代春の個展を見る機会があった。三条通りのギャラリーである。
猫の絵が多く、欲しいなと思う作品がいくつかあった。
版画は手が出ないので絵日記『万歩のおつかい』を買い求めた。
木津川計が序文を書いている。
「もしも思いのままに絵を画けたら、人生どんなに楽しかろうと、僕はずーっと思いつづけてきたのです。
その絵に感心させたり、にこっとさせる詩をさらに添えられたら、人生は薔薇色になる、と夢見ながら僕は晩年に至りました。
そんな僕の無念を喜代春さんは全部叶えておいでです。どれほども幸せで、面白い人生であろうかと思えば、羨ましくて仕方がありません。しかし、天稟の持ち主の筈が、そうではないと言われるのです。
『たのしいことを山ほど築け苦しいことも山ほどつくれこれで山が二個できた』。そうだったのか、喜代春さんは好きな画業と詩作を楽しみながらも、やはり苦しみつづけて画家と詩人の山の二個を築かれたのです」
次に山田の詩をいくつか紹介しよう。句読点がなく、どこで行分けするかもわからないので、一行書きにしておく。
人の疲れをとるような詩をかきたいそのまえに自分の疲れをとらなくっちゃ
お前が世間にでられないようにしてやるとある人に言われたもともとでてないんです
いちばん大切にしているものは幼きときのかなしみ
死んでもし星になるのならけっして星座という組織にはいれないでください
蕗子よおまえには手を貸せないよだけどこころならいつでも借りにおいで
意欲のない人よっといでみんなそろってゴロ寝しよう
ぼくのひとことでよめさんないたさあしゅうしゅうがたいへんだ
悔いのない人生なんかおもろないわ
これらのことばは絵が添えられたときにいっそう強力な表現となって立ち上がってくる。こういう人が京都にいるんだなと思う。
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