ウェブマガジン「週刊俳句」のウラハイに毎週掲載されている樋口由紀子の「金曜日の川柳」は、川柳作品を広く一般読者に紹介する役割を果たしている。相子智恵の「月曜日の一句」とともにすでに連載100回を越えたが、そこに関悦史の「水曜日の一句」が加わり鼎立の構えである。先週の5月24日(金)には次の句が掲載された。
骨は拾うな 煙の方がぼくなんだ 海堀酔月
海堀酔月(かいぼり・すいげつ)は堺市の川柳人で、「堺番傘」「点鐘の会」「川柳公論」「せめんだる」などに作品を発表していた。私が酔月と出会ったのは平成10年ごろの「点鐘の会」の勉強会であるが、墨作二郎を中心に海堀酔月・高橋古啓などが参加し、福田弘が川柳誌「宇宙船」を毎月発行していた。当時、酔月はすでに80歳を越えていたが、若々しく艶のある作品を書いていた。
酔月には句集が2冊あるが、第一句集『点鐘叢書3海堀酔月集』(平成3年4月)から引用してみよう。
寝ころぶと地球の丸いのが解る
孔雀の尻尾を哀れだと思いませんか
点滴終わる 九千三百十二滴
軍隊語を膝関節に移植する
花屋が花に水をやるのは資本主義
引火性の強いおもちゃが好きなんです
「寝ころぶと」はこの句集を代表する作品。また「点滴終わる」の句は、「九千三百十二滴」を本当に数えたのかと思わせるような虚と実の説得力がある作品である。どの句からも、伝統の骨法を踏まえた上での批評性がうかがえる。しかし、酔月の本領が全開して発揮されたのが第二句集『両忘』(平成15年)である。
この句集は川柳誌に発表された句を集めた「木彫りの熊」と句会吟を集めた「紙の船」の二部に分かれている。それに尾藤三柳の「序」と中田たつおの「エッセイ」、墨作二郎の「跋」が付いている。まず「木彫りの熊」から紹介する。
切腹は止めて風船売りになる
平和売りが通ったあとに水を撒く
硬直した義理の世界のモラルに殉じて死ぬよりは風船売りになって気ままに生きよう。時代劇や世話物の一場面のような情景が思い浮かぶ。
「売る」というのは両義的な言葉である。「風船売り」には自由のイメージがあったが、「平和売り」には逆に硬直した平和論者のイメージがある。デモが通ったあとの埃のたつ道に静かに水を撒いている人がいる。すでに第一句集で「花屋が花に水をやるのは資本主義」と喝破していた酔月にとって現実を見る目は複眼的である。酔月が戦争を賛美などしていないことは、後ほど引用する句から明らかである。
ほんとうは泳げるんです豆腐
かつて豆腐屋で売っていた豆腐は広々とした豆腐桶の中でゆったりと買われるときを待っていた。いまスーパーで売られている豆腐は最初から四角いパックの中に閉じ込められていて、身動きすることすらできない。そんな豆腐が台所の水洗い槽の中をゆっくりと泳ぎはじめたらどうだろう。酔月作品の中で私にとってはベストワンの作品である。
ちょっと貸した耳が汚れて戻ってくる
雲を一つ買って交際費でおとす
言わなかったけど蝶に噛まれたことがある
本当か嘘かわからないところで酔月は句を書いている。また、つぎのような恋句も散見するのは人生経験が豊かなのだろう。
何も言わず一緒に雨に濡れてやる
大阪湾でとれた人魚と巣を作る
酔月には戦争体験があるから戦争に対する批評性がうかがえる句も多い。
思いおもいにつけるセンソーの歯型
日本が負けたと広東語で言える
大きな咳したらセンソーがとび出した
そして、句集の中で目につくのは「言葉」や「句を書くこと」自体をモティーフにした作品が多いことである。酔月は言葉に対しても意識的な川柳人であった。
嘘の境界線を探しているんです
釣り針の先にロジックをつける
上五下五の死体を蟻が運んでゆく
定型だと言い張る取れかかった釦
あいまいな心を煮込むオノマトペ
やわらかい鉛筆 自己完結はあと回し
メタファーを一切れ改札を抜ける
次に挙げるのは句会吟「紙の船」の章からであるが、尾藤三柳と墨作二郎がともに解説で指摘しているように、雑詠作品と句会作品にはまったく質的な差が見られない。
めくっても余白慌てることはない
こんどの雨で絵本の花が咲くだろう
またお前かと言って神様が消える
走らねば遅れる 走ったら転ぶ
くちづけや北斗七星至近距離
人形の首埋めようか植えようか
『両忘』のあとがきで酔月は次のように書いている。
「川柳は魔物です。掴んだと思えば消え、消えたと思ったら、またゆらゆらと現れる。過去の作品を掘り起こしてみても、納得できるものは少なく、溜息をつくことが多い。然し川柳の旅を続ける限りゴングが鳴るまで、『これからの川柳』に挑戦してみたいと思っている」
酔月の作品にはゆったりとした批評性があり、高齢の作品にもかかわらず「艶」があった。ユーモア・ペーソス・アイロニーと呼ぶのはたやすいが、平明の中にそれを実現するのは困難なことである。酔月がよく言っていたのは「伝統系の川柳人は岸本水府の権威を言うが、本当に水府の作品を読んでいるのか。自分は確かに水府を読んでいる」ということだった。
句集名の「両忘」とは「禅語の一つで、生と死、有と無の両方を忘れ尽くすことで、精神的自由が得られるという教えだと、受け取っている。近頃忘れ上手になったわたしには、『悟る』ということより、『忘れる』ということのほうが、身に合った解脱方法かも知れないと共感している」(あとがき)
この4年後の2007年に酔月は死去。豊饒な晩年だったと言えるだろう。
2013年5月31日金曜日
2013年5月24日金曜日
川柳解体新書
先週レポートを書いた「かばん30周年記念イベント」の際に、会場に来ていた堺利彦とゆっくり語り合う機会があった。堺利彦著『川柳解体新書』(新葉館出版、2002年)は川柳入門書として現在でもこれを乗り越えるものは出ていない。その第15章「読み」を改めて読み直してみた。
堺は〈読み〉に対する二つの態度として、川本茂雄の文章を引用しながら、
①なるべく忠実に読む、そこにある情報を正確に組み取る。
②そこにあるものを素材にして、自分の中でイメージをつくり上げる。
を挙げている。これまでは、作者の状況なり、作品の背景を考慮に入れて作品を理解するという態度が主としてとられてきたが、別の〈読み〉の可能性も考えられるのではないかと堺は言う。〈読み〉とは単なる伝達にとどまらず、読者による能動的なことばの創造的解釈であり、そこに創造的読みの可能性が生まれてくる。「コード」という用語を使えば、川柳の表現は「日常的なコード」からの逸脱(ないしはズレ)を生じ、日常的・常識的なコードとは別の「詩的なコード」を生み出すことができる。いわゆる「難解句」もここから生まれるのであって、「日常的なコード」を使えば大多数の人から理解されるが、そこから逸脱し、ズレながら句を構築するのだから、日常的なコードでは解読できないことになる。
堺の川柳論を念頭におきながら、4月・5月に送っていただいた諸誌から、短歌誌・俳句誌・川柳誌を紹介してみたい。
短歌誌「井泉」51号(5月1日発行)の「リレー小論」は「作品の『読み』について考える」。
真中朋久「樹を見て森を見て」は今野寿美による『赤光』語彙分析に触れ、全注釈や語彙分析などのデータを基にして読むことで見えてくる森の光景もあることを述べている。
大熊桂子「穂村弘と塚本邦雄の歌の背景」では作品は読者のものであり、歌の読みに作者はいらないと言いつつ、作者の生きた時代や背景を重ねてもう一度読むことも大切ではないかと述べている。
山本令子「公の『読み』と私的な『読み』と」では、歌会などで一首を読みとる「公の読み」と一首を自分の胸に好きなように読みとる「私的な読み」があるのではないかと言う。
俳人から歌人になった知人が「俳句から短歌に移って痛切に思い知らされたことは、句会は作品を競い合う場であって、歌会は批評を競い合う場なのだということでした。歌人というものはそれがどんな作品であれ、きちっと切ってみせます」と言っていた。そうすると川柳句会は「作者の腕前を競い合う場」ということになろうか。
「井泉」に戻ると、喜多昭夫が「永井祐をとことん読んでみる(二)」を書いている。
生ゴミの袋に蟻がたかってる誰のせいでもない現実である 大島史洋
ゴミ袋から肉がはみ出ているけれどぼくの望みは駅につくこと 永井祐
上の句は似ているのに、下の句がまったく違う。永井は大島のように現代の諸相から現実認識に結びつけるのではなくて、駅につければそれでいいんだ、あとのことはまたあとで考えようというスタイルが当然のこととして定着しているのだ、と喜多は述べる。永井の短歌のベースにはロスジェネ世代の「うっすらとした悲しみ」があるという。説得力のある論であるが、世代論に解消してしまうのには異議も出ることだろう。
俳句誌「豆の木」17号(4月20日発行)。
中嶋憲武が「新・毛皮夫人」を書いている。
イカが開いて毛皮夫人を飛ぶ自由 中嶋憲武
キャバレーの裏口毛皮夫人立つ
ウェルカム・トゥ・毛皮夫人毛皮ひらく
毛皮夫人蝶のまなこをしてみたり
毛皮夫人ルンビニ好きで耳きれい
年老いた猫来て毛皮夫人嗅ぐ
渡辺隆夫の川柳について私は「キャラクター川柳」と規定したことがあるが、中嶋の俳句はまさに「キャラクター俳句」である。「毛皮夫人」というキャラを設定して、連作を展開している。「ルンビニ好きで耳きれい」などは「コンビニのおでんが好きで星きれい」(神野紗希)のパロディである。
もうひとつ、「豆の木」の中に「キャラクター俳句」を発見。こしのゆみこ「縄飛び少女」である。
ねずみ算式に縄飛びから少女 こしのゆみこ
縄飛びの私の後ろだれか飛ぶ
会社帰りの父が縄飛び入ってくる
縄飛びを出て一人前の海老フライ
友に遅れ縄飛び少女上京す
「縄飛び」は川柳でもよく詠まれる。「なわとびに入っておいで出てお行き」(時実新子)。
さて、川柳誌にはどんな作品が掲載されているだろうか。
「ふらすこてん」27号(5月1日発行)から。
夕焼けのほか何もない遊園地 くんじろう
吸い殻をきれいに並べるのも私 くんじろう
風景になるまで干した貸ボート くんじろう
明け方は耳下腺炎の馬となる 井上一筒
バルビゾン派とベルメゾン派のピアス 井上一筒
ありありと水面にうつる授乳室 湊圭史
借金大全キリンのぬいぐるみ篇 湊圭史
最愛の石にも南よりの風 森茂俊
全速で走る切手を追いかけろ 森茂俊
サイコロの音は女生徒の胸から 山田ゆみ葉
女性とは水のみ鳥の揃い首 山田ゆみ葉
蝶追えば松の廊下の松は枯れ 筒井祥文
西陣の薄目は島の花の中 筒井祥文
堺利彦の言う「日常的なコード」からの逸脱とズレに当てはまる句が多いが、ではどのように読めば創造的読みが実現できるかは簡単なことではない。
堺は〈読み〉に対する二つの態度として、川本茂雄の文章を引用しながら、
①なるべく忠実に読む、そこにある情報を正確に組み取る。
②そこにあるものを素材にして、自分の中でイメージをつくり上げる。
を挙げている。これまでは、作者の状況なり、作品の背景を考慮に入れて作品を理解するという態度が主としてとられてきたが、別の〈読み〉の可能性も考えられるのではないかと堺は言う。〈読み〉とは単なる伝達にとどまらず、読者による能動的なことばの創造的解釈であり、そこに創造的読みの可能性が生まれてくる。「コード」という用語を使えば、川柳の表現は「日常的なコード」からの逸脱(ないしはズレ)を生じ、日常的・常識的なコードとは別の「詩的なコード」を生み出すことができる。いわゆる「難解句」もここから生まれるのであって、「日常的なコード」を使えば大多数の人から理解されるが、そこから逸脱し、ズレながら句を構築するのだから、日常的なコードでは解読できないことになる。
堺の川柳論を念頭におきながら、4月・5月に送っていただいた諸誌から、短歌誌・俳句誌・川柳誌を紹介してみたい。
短歌誌「井泉」51号(5月1日発行)の「リレー小論」は「作品の『読み』について考える」。
真中朋久「樹を見て森を見て」は今野寿美による『赤光』語彙分析に触れ、全注釈や語彙分析などのデータを基にして読むことで見えてくる森の光景もあることを述べている。
大熊桂子「穂村弘と塚本邦雄の歌の背景」では作品は読者のものであり、歌の読みに作者はいらないと言いつつ、作者の生きた時代や背景を重ねてもう一度読むことも大切ではないかと述べている。
山本令子「公の『読み』と私的な『読み』と」では、歌会などで一首を読みとる「公の読み」と一首を自分の胸に好きなように読みとる「私的な読み」があるのではないかと言う。
俳人から歌人になった知人が「俳句から短歌に移って痛切に思い知らされたことは、句会は作品を競い合う場であって、歌会は批評を競い合う場なのだということでした。歌人というものはそれがどんな作品であれ、きちっと切ってみせます」と言っていた。そうすると川柳句会は「作者の腕前を競い合う場」ということになろうか。
「井泉」に戻ると、喜多昭夫が「永井祐をとことん読んでみる(二)」を書いている。
生ゴミの袋に蟻がたかってる誰のせいでもない現実である 大島史洋
ゴミ袋から肉がはみ出ているけれどぼくの望みは駅につくこと 永井祐
上の句は似ているのに、下の句がまったく違う。永井は大島のように現代の諸相から現実認識に結びつけるのではなくて、駅につければそれでいいんだ、あとのことはまたあとで考えようというスタイルが当然のこととして定着しているのだ、と喜多は述べる。永井の短歌のベースにはロスジェネ世代の「うっすらとした悲しみ」があるという。説得力のある論であるが、世代論に解消してしまうのには異議も出ることだろう。
俳句誌「豆の木」17号(4月20日発行)。
中嶋憲武が「新・毛皮夫人」を書いている。
イカが開いて毛皮夫人を飛ぶ自由 中嶋憲武
キャバレーの裏口毛皮夫人立つ
ウェルカム・トゥ・毛皮夫人毛皮ひらく
毛皮夫人蝶のまなこをしてみたり
毛皮夫人ルンビニ好きで耳きれい
年老いた猫来て毛皮夫人嗅ぐ
渡辺隆夫の川柳について私は「キャラクター川柳」と規定したことがあるが、中嶋の俳句はまさに「キャラクター俳句」である。「毛皮夫人」というキャラを設定して、連作を展開している。「ルンビニ好きで耳きれい」などは「コンビニのおでんが好きで星きれい」(神野紗希)のパロディである。
もうひとつ、「豆の木」の中に「キャラクター俳句」を発見。こしのゆみこ「縄飛び少女」である。
ねずみ算式に縄飛びから少女 こしのゆみこ
縄飛びの私の後ろだれか飛ぶ
会社帰りの父が縄飛び入ってくる
縄飛びを出て一人前の海老フライ
友に遅れ縄飛び少女上京す
「縄飛び」は川柳でもよく詠まれる。「なわとびに入っておいで出てお行き」(時実新子)。
さて、川柳誌にはどんな作品が掲載されているだろうか。
「ふらすこてん」27号(5月1日発行)から。
夕焼けのほか何もない遊園地 くんじろう
吸い殻をきれいに並べるのも私 くんじろう
風景になるまで干した貸ボート くんじろう
明け方は耳下腺炎の馬となる 井上一筒
バルビゾン派とベルメゾン派のピアス 井上一筒
ありありと水面にうつる授乳室 湊圭史
借金大全キリンのぬいぐるみ篇 湊圭史
最愛の石にも南よりの風 森茂俊
全速で走る切手を追いかけろ 森茂俊
サイコロの音は女生徒の胸から 山田ゆみ葉
女性とは水のみ鳥の揃い首 山田ゆみ葉
蝶追えば松の廊下の松は枯れ 筒井祥文
西陣の薄目は島の花の中 筒井祥文
堺利彦の言う「日常的なコード」からの逸脱とズレに当てはまる句が多いが、ではどのように読めば創造的読みが実現できるかは簡単なことではない。
2013年5月17日金曜日
かばん30周年記念イベント
今週は短歌のことを書いてみる。
まず、5月12日(日)の「NHK短歌」に斉藤斎藤と正岡豊が出演したのに注目。
斉藤は正岡のことを「本気な人がここにいる」と紹介し、『四月の魚』の次の歌を挙げた。
きみがこの世でなしとげられぬことのためやさしくもえさかる舟がある 正岡豊
正岡は短歌とはどういうものかという問いに対して、「短歌とはくらべ合うものだ」という岡井隆の言葉をもって答えた。
短歌は書かれる前から、すでに過去の作品や他者の作品とくらべられている。
くらべられるのは嫌だと逃げてしまう方が楽であって、くらべられるのはエネルギーがいることかもしれない。しかし、そうではなくて、くらべ合うことを肯定すること。「君はそうなんだ、僕はこうなんだよ」ということを肯定する。それは、本当はくらべられないものをくらべることでもある。そういう葛藤と定型の中に言葉を入れる葛藤とが短歌なのだ。…斉藤斎藤と正岡豊との「ちょっといい話」だった。
朝6時からEテレを見たあと、「かばん30周年記念イベント」に出席するため、東京へ向かう。会場は渋谷だが、開始まですこし時間があるので、四谷の「晩紅舎」で「八田木枯追悼展」を見る。
「晩紅舎」は俳人・八田木枯の娘、八田夕刈が開いているギャラリーで、「誰ソ彼レの空が染まるころふらりと立ち寄る舎」という意味だという。木枯は自宅でも「晩紅塾」という句会を開いていた。色紙・短冊のほか旅行の際の写真、山口誓子からの手紙・葉書などが展示されていた。今年3月に山科の一燈園で八田木枯の句碑建立式があり、そのビデオも流されていた。句集『鏡騒』をまだ持っていなかったので購入。
戦争が来ぬうち雛を仕舞ひませう 八田木枯
あと「鏡」8号(2013年4月)から、これから訪れる「かばん30周年」のパネラーでもあるお二人の作品を引用しておく。
人々が鱗をまとふ十二月 東直子
冬の竹輪に春の胡瓜を入れて切る 佐藤文香
渋谷に到着するが、おそろしい人混みである。会場のシダックス・ホールの建物は見えているのに、なかなか行き着けない。
私が「かばん」を購読していたのは2004年ごろで、ほぼ10年が経過している。「かばん関西」の歌会にも何度か参加したことがあるが、見知っている人はもうほとんどいない。「かばん」について、当日配布されたプログラムから改めて紹介しておこう。
「前田透門下の若手で結成され、当初はもと『詩歌』の会員が集まった『かばん』だが、いつのまにか『詩歌』に関わりのない人が大半となった」
前田透は前田夕暮の長男である。1984年1月、前田透は交通事故で死去。「詩歌」は解散し、井辻朱美・林あまり・中山明たちによって「かばん」が創刊された。来賓のスピーチに立った奥村晃作(コスモス)は「かばん」というコインの裏側にある前史について語り、中山明は30年も続いたのは「『かばん』という誌名にキャパシティがあった」と述べた。1984年の創刊号を見ると表紙は「鞄」となっており、その後「かばん」「KABAN」などを経て「かばん」に定着したようである。
総合司会は飯島章友・渋沢綾乃の二人。飯島は「川柳カード」の同人で川柳も書いている。司会者二人の掛け合いによる進行もおもしろいなと思った。
まず、トークショー「短歌の相談室」では司会・睦月都、パネラー・佐藤文香・穂村弘・佐藤弓生。俳人の佐藤文香には「第2回川柳カード大会」(2013年9月28日開催)のパネラーをお願いしている。
①BGMを聞きながら作歌することがあるか。
②短歌を作るとき「自己完結」してしまうとよくないと言われるが…
③文語と口語の混在についてどう思うか。
三つの相談についてパネラーが答える。
「自己完結なのか詩的飛躍なのか、グレーゾーンがある」「世界観が自己完結すると読者は入ってゆけない」「文語であっても現代語として使われている現役文語がある」「現在は文語と口語が混在するミックス短歌の時代」など示唆に富む発言があった。
続いて「短歌たたかう」では「歌合」方式で左右に分かれて歌のよしあしを議論する。司会・雨宮真由、「シダックス」チームは笹公人(キャプテン)・山田航・伊波真人、「とりつくダマスカス島」チームは石川美南(キャプテン)・柳谷あゆみ・東直子。
「パフォーマンスだぱんぱかぱん」では伊波真人による映像作品、柴田瞳・法橋ひらく・雨宮真由による寸劇、榎田純子による「初音ミクの短歌朗読」などがあった。
帰りの時間があるので私はここまでで帰ったが、その後、陣崎草子・雪舟えま・伴風花・千葉聡・井辻朱美の出演や「かばん賞」の表彰があった。
全体を通じて盛りだくさんの内容だったが、外部の参加者にとっておもしろかったのはトークショーと歌合までで、あとはお祭として「かばん」会員の内輪向けの親睦に流れた印象だった。
当日、会場で配布された「かばん30周年記念会員作品」から。
捺印をお願いしますイエあれは徘徊している昼の月です 飯島章友
ジャイアンの妹ではなく初めからジャイ子という名でうまれる世界 飯田有子
わたくしをかつみと呼ぶならひらがなで 父ときみだけゆるされる繭 イソカツミ
「人類の祖先は鳥」という説の反証としてオスプレイ飛ぶ 河合大祐
傍受せり 裏の世に兄は匿われ微吟する「二一天作ノ五」 高柳蕗子
島のくらし伝えるために立っている粘土細工と木工細工が 東直子
わがビールから人のビールへ延びている鉱脈をみることも楽しい 雪舟えま
最後に、別の話題になるが、江田浩司のブログ「万来舎・短歌の庫」が再開されていることに最近気づいた。昨年の金井恵美子の現代短歌批判と島田修三の返答に触発されて連載を再開することにしたという。時評を続けるのはけっこう困難な作業である。そういうとき支えとなるのは、同時代の表現者がそれぞれの「本気」を発信し続けているということにほかならない。
まず、5月12日(日)の「NHK短歌」に斉藤斎藤と正岡豊が出演したのに注目。
斉藤は正岡のことを「本気な人がここにいる」と紹介し、『四月の魚』の次の歌を挙げた。
きみがこの世でなしとげられぬことのためやさしくもえさかる舟がある 正岡豊
正岡は短歌とはどういうものかという問いに対して、「短歌とはくらべ合うものだ」という岡井隆の言葉をもって答えた。
短歌は書かれる前から、すでに過去の作品や他者の作品とくらべられている。
くらべられるのは嫌だと逃げてしまう方が楽であって、くらべられるのはエネルギーがいることかもしれない。しかし、そうではなくて、くらべ合うことを肯定すること。「君はそうなんだ、僕はこうなんだよ」ということを肯定する。それは、本当はくらべられないものをくらべることでもある。そういう葛藤と定型の中に言葉を入れる葛藤とが短歌なのだ。…斉藤斎藤と正岡豊との「ちょっといい話」だった。
朝6時からEテレを見たあと、「かばん30周年記念イベント」に出席するため、東京へ向かう。会場は渋谷だが、開始まですこし時間があるので、四谷の「晩紅舎」で「八田木枯追悼展」を見る。
「晩紅舎」は俳人・八田木枯の娘、八田夕刈が開いているギャラリーで、「誰ソ彼レの空が染まるころふらりと立ち寄る舎」という意味だという。木枯は自宅でも「晩紅塾」という句会を開いていた。色紙・短冊のほか旅行の際の写真、山口誓子からの手紙・葉書などが展示されていた。今年3月に山科の一燈園で八田木枯の句碑建立式があり、そのビデオも流されていた。句集『鏡騒』をまだ持っていなかったので購入。
戦争が来ぬうち雛を仕舞ひませう 八田木枯
あと「鏡」8号(2013年4月)から、これから訪れる「かばん30周年」のパネラーでもあるお二人の作品を引用しておく。
人々が鱗をまとふ十二月 東直子
冬の竹輪に春の胡瓜を入れて切る 佐藤文香
渋谷に到着するが、おそろしい人混みである。会場のシダックス・ホールの建物は見えているのに、なかなか行き着けない。
私が「かばん」を購読していたのは2004年ごろで、ほぼ10年が経過している。「かばん関西」の歌会にも何度か参加したことがあるが、見知っている人はもうほとんどいない。「かばん」について、当日配布されたプログラムから改めて紹介しておこう。
「前田透門下の若手で結成され、当初はもと『詩歌』の会員が集まった『かばん』だが、いつのまにか『詩歌』に関わりのない人が大半となった」
前田透は前田夕暮の長男である。1984年1月、前田透は交通事故で死去。「詩歌」は解散し、井辻朱美・林あまり・中山明たちによって「かばん」が創刊された。来賓のスピーチに立った奥村晃作(コスモス)は「かばん」というコインの裏側にある前史について語り、中山明は30年も続いたのは「『かばん』という誌名にキャパシティがあった」と述べた。1984年の創刊号を見ると表紙は「鞄」となっており、その後「かばん」「KABAN」などを経て「かばん」に定着したようである。
総合司会は飯島章友・渋沢綾乃の二人。飯島は「川柳カード」の同人で川柳も書いている。司会者二人の掛け合いによる進行もおもしろいなと思った。
まず、トークショー「短歌の相談室」では司会・睦月都、パネラー・佐藤文香・穂村弘・佐藤弓生。俳人の佐藤文香には「第2回川柳カード大会」(2013年9月28日開催)のパネラーをお願いしている。
①BGMを聞きながら作歌することがあるか。
②短歌を作るとき「自己完結」してしまうとよくないと言われるが…
③文語と口語の混在についてどう思うか。
三つの相談についてパネラーが答える。
「自己完結なのか詩的飛躍なのか、グレーゾーンがある」「世界観が自己完結すると読者は入ってゆけない」「文語であっても現代語として使われている現役文語がある」「現在は文語と口語が混在するミックス短歌の時代」など示唆に富む発言があった。
続いて「短歌たたかう」では「歌合」方式で左右に分かれて歌のよしあしを議論する。司会・雨宮真由、「シダックス」チームは笹公人(キャプテン)・山田航・伊波真人、「とりつくダマスカス島」チームは石川美南(キャプテン)・柳谷あゆみ・東直子。
「パフォーマンスだぱんぱかぱん」では伊波真人による映像作品、柴田瞳・法橋ひらく・雨宮真由による寸劇、榎田純子による「初音ミクの短歌朗読」などがあった。
帰りの時間があるので私はここまでで帰ったが、その後、陣崎草子・雪舟えま・伴風花・千葉聡・井辻朱美の出演や「かばん賞」の表彰があった。
全体を通じて盛りだくさんの内容だったが、外部の参加者にとっておもしろかったのはトークショーと歌合までで、あとはお祭として「かばん」会員の内輪向けの親睦に流れた印象だった。
当日、会場で配布された「かばん30周年記念会員作品」から。
捺印をお願いしますイエあれは徘徊している昼の月です 飯島章友
ジャイアンの妹ではなく初めからジャイ子という名でうまれる世界 飯田有子
わたくしをかつみと呼ぶならひらがなで 父ときみだけゆるされる繭 イソカツミ
「人類の祖先は鳥」という説の反証としてオスプレイ飛ぶ 河合大祐
傍受せり 裏の世に兄は匿われ微吟する「二一天作ノ五」 高柳蕗子
島のくらし伝えるために立っている粘土細工と木工細工が 東直子
わがビールから人のビールへ延びている鉱脈をみることも楽しい 雪舟えま
最後に、別の話題になるが、江田浩司のブログ「万来舎・短歌の庫」が再開されていることに最近気づいた。昨年の金井恵美子の現代短歌批判と島田修三の返答に触発されて連載を再開することにしたという。時評を続けるのはけっこう困難な作業である。そういうとき支えとなるのは、同時代の表現者がそれぞれの「本気」を発信し続けているということにほかならない。
2013年5月10日金曜日
ゆうこの生理―第3回高田寄生木賞
第3回高田寄生木賞が発表された。
この賞は青森で発行されている川柳誌「触光」(野沢省悟・編集発行)が公募しているもの。高田寄生木(たかだ・やどりぎ)は昭和8年に青森県川内町に生まれ、昭和35年に川柳の作句を開始、昭和47年に「かもしか川柳社」を発足、現在は「北貌」の発行を続けている。野沢省悟が川柳の師である寄生木の名を冠した賞を創設して3回目。今回の大賞は次の作品である。
寝たきりのゆうこにも毎月生理
障がいをもった「ゆうこ」は寝たきりの毎日を送っているのだが、毎月きちんと生理がある。この句では感情語を交えずに事態を見つめて作品化している。はっとさせられる句である。そして、読者としてこの句を読んだときに、さまざまな問題性を感じさせる句でもある。
まず、なぜ「ゆうこ」なのか。別の固有名詞ではいけないのかということである。考えられるのはこの作中主体が現実に「ゆうこ」という名前である場合だが、現実からは独立したテクストとして読むならば、この固有名詞が別の名に「動く」のか「動かない」のか。
次に、結局は以上と同じことになるが、これが事実なのか虚構なのかということ。事実であれば、それを見すえる作者が感情におぼれずに事実だけを詠みきったところに川柳の眼が働いているし、第三者による虚構だとすれば、残酷な状況をためらわずに正面から詠んだところに冷徹さが感じられる。
それと関連して、作者が男なのか女なのかということ。女性であれば、子を生みだす母としての痛み・受苦があるはずで、男だとすれば、その痛みを自己の肉体として受け止めるというよりは「人間とはこのような存在なのだ」という一種の人間観の提示となる。
最後に、どういう点を評価して選者はこの句を大賞に選んだのかということ。事実を詠んだ句として事実の重さ自体を評価したのか、虚構だとしてもテクストとして優れていてインパクトがあることを評価したのか。あるいは事実の重みとつりあうだけの言葉の表現をトータルに評価したのか。
発表誌には作者名が掲載されている。
寝たきりのゆうこにも毎月生理 神野きっこ
作者の「受賞のことば」は次のようなものである。
「長女の優子はてんかんという難病で生涯、首も座らず、寝返りすることもなかった。言葉もどこまで理解しているのか定かでない。しかし、身体のリズムは狂うことなく、元気な子供と同じように毎月生理が来た。太陽が東から昇り、西に沈むように正確な時を刻んでいた。結婚することも、子供を産むこともなく二十二歳の若さで永眠した。私にとって優子は決して負担ではなく、分身そのものだった」
作者名を外して読んだときに私が感じた疑問がある程度は解消される。この句は長女に対する鎮魂の句であり、受賞は優子という女性の姿を読者の胸に刻むものとなるだろう。
ここで少し話を一般的な地点に広げてみたい。
高校生のころ読んだ詩に北村太郎の「雨」がある。次の一節はよく覚えている。
何によって、
何のためにわれわれは管のごとき存在であるのか。
人間の肉体は気管や胃腸などの管からできている。詩人はそのような人間の生存を支えている「管」の存在論的意味を問う。そして、人間はそのような「管」を越えた存在でもあるのだということが絶望の果てに暗示されている。
確かに、人間の肉体や生理というものは意識を越えるものである。
たとえば、中村冨二に次の句がある。
人殺しして来て細い糞をする 中村冨二
殺人者はその行為の後、性欲が昂進することがあると言われる。この場合は性欲ではなくて脱糞だが、太い糞ではなくて細い糞をするという。冨二の句は当然虚構だが、ここには虚構を通して人間の真実の姿がとらえられている。
肉体や生理の問題をひとつの人間観として提出する川柳人に野沢省悟がいる。野沢は「川柳カード」創刊号に「人工呼吸器」10句を発表している。
人体は悲しい玩具 機械で生きる 野沢省悟
人工呼吸器外す アラーム鳴りつづける
痰をとる そのとき動く人であり
確実に大便つくり出す人体
注入という食事 臍帯はチューブ
ここには人間の生命の姿があるが、これを敢えて詠むことの是非について私はどう評価してよいか分からない。これはひとつの「人間観」であって、作者の人間観についてはよいともよくないとも言えないのである。「川柳カード」創刊号のうち、野沢作品のことは私自身も含めて誰も論じることはなかったのだが、ずっと気にはなっていたのだ。
ここでもう一度、高田寄生木賞に戻ろう。
選者は大賞作品をどう評価したのだろうか。5人の選者のうち、特選に選んだのが渡辺隆夫、秀逸に選んだのが野沢省悟である。
「心が痛む光景に淡々と対処する母親の姿が見えます。寝たきりの娘ゆうこを介護して何年になるのでしょうか。当人に意識はなくても、肉体は成人女性としての月経周期をくり返します。精神世界は分からないが、お前の肉体は普通の娘さんと同じだよ、と優しく当人に語りかけているように見えます」(渡辺隆夫)
渡辺隆夫にしては優しい批評である。境涯句を否定しているはずの隆夫であっても、この句を前にして事実の重みに対してたじろいだのだろう。
「実生活における生々しい事実を、現代川柳はほとんど詠むことが少なくなった中、この作品は現実の生命の姿を如実に示している。乾いた表現だがそこににじむものがあふれる」(野沢省悟)
寝たきりのゆうこにも毎月生理
この句はやはり事実の重みを背負っているし、読者もそうとしか読みようがない。事実は一回的なものであり、もし作者がそこからさらに前に進もうとすれば、「ゆうこ連作」を試みるか、虚構を交えて更に深い世界をめざすかである。作品として公にされた以上、また個人的実感を超えて川柳表現に何かをかけるとするならば、作者は地獄行きのバスに乗るほかはないのである。
この賞は青森で発行されている川柳誌「触光」(野沢省悟・編集発行)が公募しているもの。高田寄生木(たかだ・やどりぎ)は昭和8年に青森県川内町に生まれ、昭和35年に川柳の作句を開始、昭和47年に「かもしか川柳社」を発足、現在は「北貌」の発行を続けている。野沢省悟が川柳の師である寄生木の名を冠した賞を創設して3回目。今回の大賞は次の作品である。
寝たきりのゆうこにも毎月生理
障がいをもった「ゆうこ」は寝たきりの毎日を送っているのだが、毎月きちんと生理がある。この句では感情語を交えずに事態を見つめて作品化している。はっとさせられる句である。そして、読者としてこの句を読んだときに、さまざまな問題性を感じさせる句でもある。
まず、なぜ「ゆうこ」なのか。別の固有名詞ではいけないのかということである。考えられるのはこの作中主体が現実に「ゆうこ」という名前である場合だが、現実からは独立したテクストとして読むならば、この固有名詞が別の名に「動く」のか「動かない」のか。
次に、結局は以上と同じことになるが、これが事実なのか虚構なのかということ。事実であれば、それを見すえる作者が感情におぼれずに事実だけを詠みきったところに川柳の眼が働いているし、第三者による虚構だとすれば、残酷な状況をためらわずに正面から詠んだところに冷徹さが感じられる。
それと関連して、作者が男なのか女なのかということ。女性であれば、子を生みだす母としての痛み・受苦があるはずで、男だとすれば、その痛みを自己の肉体として受け止めるというよりは「人間とはこのような存在なのだ」という一種の人間観の提示となる。
最後に、どういう点を評価して選者はこの句を大賞に選んだのかということ。事実を詠んだ句として事実の重さ自体を評価したのか、虚構だとしてもテクストとして優れていてインパクトがあることを評価したのか。あるいは事実の重みとつりあうだけの言葉の表現をトータルに評価したのか。
発表誌には作者名が掲載されている。
寝たきりのゆうこにも毎月生理 神野きっこ
作者の「受賞のことば」は次のようなものである。
「長女の優子はてんかんという難病で生涯、首も座らず、寝返りすることもなかった。言葉もどこまで理解しているのか定かでない。しかし、身体のリズムは狂うことなく、元気な子供と同じように毎月生理が来た。太陽が東から昇り、西に沈むように正確な時を刻んでいた。結婚することも、子供を産むこともなく二十二歳の若さで永眠した。私にとって優子は決して負担ではなく、分身そのものだった」
作者名を外して読んだときに私が感じた疑問がある程度は解消される。この句は長女に対する鎮魂の句であり、受賞は優子という女性の姿を読者の胸に刻むものとなるだろう。
ここで少し話を一般的な地点に広げてみたい。
高校生のころ読んだ詩に北村太郎の「雨」がある。次の一節はよく覚えている。
何によって、
何のためにわれわれは管のごとき存在であるのか。
人間の肉体は気管や胃腸などの管からできている。詩人はそのような人間の生存を支えている「管」の存在論的意味を問う。そして、人間はそのような「管」を越えた存在でもあるのだということが絶望の果てに暗示されている。
確かに、人間の肉体や生理というものは意識を越えるものである。
たとえば、中村冨二に次の句がある。
人殺しして来て細い糞をする 中村冨二
殺人者はその行為の後、性欲が昂進することがあると言われる。この場合は性欲ではなくて脱糞だが、太い糞ではなくて細い糞をするという。冨二の句は当然虚構だが、ここには虚構を通して人間の真実の姿がとらえられている。
肉体や生理の問題をひとつの人間観として提出する川柳人に野沢省悟がいる。野沢は「川柳カード」創刊号に「人工呼吸器」10句を発表している。
人体は悲しい玩具 機械で生きる 野沢省悟
人工呼吸器外す アラーム鳴りつづける
痰をとる そのとき動く人であり
確実に大便つくり出す人体
注入という食事 臍帯はチューブ
ここには人間の生命の姿があるが、これを敢えて詠むことの是非について私はどう評価してよいか分からない。これはひとつの「人間観」であって、作者の人間観についてはよいともよくないとも言えないのである。「川柳カード」創刊号のうち、野沢作品のことは私自身も含めて誰も論じることはなかったのだが、ずっと気にはなっていたのだ。
ここでもう一度、高田寄生木賞に戻ろう。
選者は大賞作品をどう評価したのだろうか。5人の選者のうち、特選に選んだのが渡辺隆夫、秀逸に選んだのが野沢省悟である。
「心が痛む光景に淡々と対処する母親の姿が見えます。寝たきりの娘ゆうこを介護して何年になるのでしょうか。当人に意識はなくても、肉体は成人女性としての月経周期をくり返します。精神世界は分からないが、お前の肉体は普通の娘さんと同じだよ、と優しく当人に語りかけているように見えます」(渡辺隆夫)
渡辺隆夫にしては優しい批評である。境涯句を否定しているはずの隆夫であっても、この句を前にして事実の重みに対してたじろいだのだろう。
「実生活における生々しい事実を、現代川柳はほとんど詠むことが少なくなった中、この作品は現実の生命の姿を如実に示している。乾いた表現だがそこににじむものがあふれる」(野沢省悟)
寝たきりのゆうこにも毎月生理
この句はやはり事実の重みを背負っているし、読者もそうとしか読みようがない。事実は一回的なものであり、もし作者がそこからさらに前に進もうとすれば、「ゆうこ連作」を試みるか、虚構を交えて更に深い世界をめざすかである。作品として公にされた以上、また個人的実感を超えて川柳表現に何かをかけるとするならば、作者は地獄行きのバスに乗るほかはないのである。
2013年5月3日金曜日
高橋由美の世界
「川柳木馬」136号が届いた。
「作家群像」は「高橋由美篇」である。高橋の川柳をまとめて読むのは久しぶりなので、今回は彼女の作品を取り上げる。
高橋由美は「川柳木馬ぐるーぷ」の中で、海地大破、古谷恭一、故・北村泰章の次の若手世代として清水かおり、山本三香子とともに注目されてきた。
私が最初に彼女と会ったのは平成15年の「玉野市民川柳大会」のときだったと思う。私は玉野ではじめて選をして、彼女も選者のひとりとして招かれていた。前夜祭のときロシア文学の話になって、パステルナークが好きだと言っていたような記憶がある。『ドクトル・ジバゴ』の原作を書いたパステルナークである。
高橋由美の名を高めたのは、その少し前、「川柳木馬」83号に彼女が書いた巻頭言で、こんな調子で書かれている。
「五・七・五というたった一つの約束事も守らぬ私が、巻頭言を書いているのは滑稽だ。こんな私を受け入れてくれる木馬が太っ腹なのか、もともと川柳が曖昧な文芸の領域を指しているのかは分からない。ただ、ミレニアムの潮流の中で、川柳の世界だけが時間の止まった気がする。これ、皮肉でもなんでもない。皮肉ではないが柳界を直視すれば、時代にそぐわぬ感覚に出くわす。柳論―川柳以外の文学の場で川柳を堂々と語れるか?」
これ、十分皮肉である。そして最後にこんなふうに言っている。
「三十も後半の私を捕まえて、『若い世代』などと銘打ってくれるな。これほどまでに老いてしまった世界をもっと嘆こう」
昔の文章を引っ張り出してきたと高橋は嫌がるだろうが、高橋由美の生意気盛りの文章であり、けっこうこれが受けたのである。高橋の初心がここにある。
その彼女もすでに柳歴20年になるという。「作家群像」の「作者のことば」に曰く。
「1993年ごろ川柳入門。当時は伝統川柳を575…指を折って作句していた。そのころ清水かおりの句に衝撃を受ける。その後、山本三香子に出会う。おそらく彼女らの影響を受け、自由な川柳もありなのでは?と感じ始める」「これまでどおり、あまり575の束縛を受けずに自由に闊歩していきたいと思っている」
さて、そろそろ作品を読んでみたい。60句はだいたい年代順に並んでいるようだ。
つまずいた時 高い樹があると思った
どうしても着地するのか生きるとは
鍵穴を説き伏せてくれ月の光よ
茫然とすると上り坂にみえてくる
人生派の川柳である。
つまずいたとき、茫然とするとき、高い樹が意識されたり、道が上り坂に見えたりする。
好んでも好まなくても人は着地点をもとめて生きているのだろう。
一句目、「川柳木馬」の初出では「意識を失った時 高い樹があると思った」。高橋は初出の句を「つまずいた時」に改作したのだろう。改作の方が実感にぴったりするということだろうか。
ポエジーがあるのは三句目。畑美樹の作家論にあるように下五を「月光よ」とすると定型になる。定型のリズムをはみ出したい欲求がこの作者にはある。基本的には自由律なのだ。
いっそ語りべになろうか君という主人公の
君と汽車に乗る八月を逃がさぬよう
耳元で溶かされゆくは我の体温
僕らのメトロノームと止まった放課後
靴屋から駆け出す君の交差点
ほら忘れ物だよ君の三半器官
弾いてみな 黒は君の鍵盤だから
高橋の作品には「君」という二人称が頻出する。一人の特定の人を指すというよりは、この呼びかけ方が高橋は好きなのだろう。それはほとんど作句のモティーフなのでないかと思われるほどだ。この「君」という呼称については、かつて古谷恭一が「木馬」誌上で取り上げたことがあったと思う。
掲出句のベースにあるのは恋愛感情だろう。
一句目、「君」が主人公で「僕」が語り部。「僕」という言葉は使われていないが、「僕」は男であっても女であってもいい。主人公と語り部の気持が通じ合っているときはいいが、二人の間に亀裂が入ったとき、語り部であり続けることはきっと辛い状況になるだろう。
三句目、「メトロノーム止まった」なら分かりやすいが、「と」に違和感がある。
高橋由美が繰り返し描いている「君」と「僕」の世界。それはもっと深化されるべきだし、さらにそこから外へ出て多様な関係性の世界に入っていくべきものである。恋愛句を書くにしても、高校の文芸部レベルの「君」ではなくて、より成熟した関係性の世界があるはずだ。そんなこと高橋は百も承知だろうが、「君」と「僕」の世界には既視感があるのも事実である。
罵声は浴びないだって日焼けするもの
二泊三日で一昨日の波打ち際へ
そっちに行っちゃ帰れないよ蔓の矛先
60句の中では比較的余裕や遊びの感じられる句である。
二句目は作家論できゅういちが言う「タイムパラドクス」。
三句目は「ジャックと豆の木」を踏まえている。
天命よ ラ音ひたすら吹きにけり
この「ラ音」が以前は分からなかったが、オーケストラで演奏前に調律するときに、まず吹かれるのが「ラ音」だという。ピアノの調律でも同じ。なぜ基準音がラなのかについては、歴史的経緯や理論があるらしい。
この句の作中主体は天命のようにラ音を吹いているという。たった一人で吹いているのだろうか。それとも周囲にはオーケストラが存在するのだろうか。基準音を吹くのは次に多彩な音を出して演奏するためである。
高橋由美にはこの60句以外にもっと難解で詩性の強い作品があったように思うが、比較的理解されやすい句を選んでいるようだ。
「ここ5年ほどは少し大人しく斜めに川柳を眺めている」(作者のことば)とあって、たぶん実生活が忙しいのだろう。けれども、時間があれば川柳が書けるというものでもない。石部明がよく言っていたが、忙しいときは接待のカラオケでマイクを握りながら川柳を考えていたという。今回の「作家群像」を契機に高橋由美の新作を期待したい。
「作家群像」は「高橋由美篇」である。高橋の川柳をまとめて読むのは久しぶりなので、今回は彼女の作品を取り上げる。
高橋由美は「川柳木馬ぐるーぷ」の中で、海地大破、古谷恭一、故・北村泰章の次の若手世代として清水かおり、山本三香子とともに注目されてきた。
私が最初に彼女と会ったのは平成15年の「玉野市民川柳大会」のときだったと思う。私は玉野ではじめて選をして、彼女も選者のひとりとして招かれていた。前夜祭のときロシア文学の話になって、パステルナークが好きだと言っていたような記憶がある。『ドクトル・ジバゴ』の原作を書いたパステルナークである。
高橋由美の名を高めたのは、その少し前、「川柳木馬」83号に彼女が書いた巻頭言で、こんな調子で書かれている。
「五・七・五というたった一つの約束事も守らぬ私が、巻頭言を書いているのは滑稽だ。こんな私を受け入れてくれる木馬が太っ腹なのか、もともと川柳が曖昧な文芸の領域を指しているのかは分からない。ただ、ミレニアムの潮流の中で、川柳の世界だけが時間の止まった気がする。これ、皮肉でもなんでもない。皮肉ではないが柳界を直視すれば、時代にそぐわぬ感覚に出くわす。柳論―川柳以外の文学の場で川柳を堂々と語れるか?」
これ、十分皮肉である。そして最後にこんなふうに言っている。
「三十も後半の私を捕まえて、『若い世代』などと銘打ってくれるな。これほどまでに老いてしまった世界をもっと嘆こう」
昔の文章を引っ張り出してきたと高橋は嫌がるだろうが、高橋由美の生意気盛りの文章であり、けっこうこれが受けたのである。高橋の初心がここにある。
その彼女もすでに柳歴20年になるという。「作家群像」の「作者のことば」に曰く。
「1993年ごろ川柳入門。当時は伝統川柳を575…指を折って作句していた。そのころ清水かおりの句に衝撃を受ける。その後、山本三香子に出会う。おそらく彼女らの影響を受け、自由な川柳もありなのでは?と感じ始める」「これまでどおり、あまり575の束縛を受けずに自由に闊歩していきたいと思っている」
さて、そろそろ作品を読んでみたい。60句はだいたい年代順に並んでいるようだ。
つまずいた時 高い樹があると思った
どうしても着地するのか生きるとは
鍵穴を説き伏せてくれ月の光よ
茫然とすると上り坂にみえてくる
人生派の川柳である。
つまずいたとき、茫然とするとき、高い樹が意識されたり、道が上り坂に見えたりする。
好んでも好まなくても人は着地点をもとめて生きているのだろう。
一句目、「川柳木馬」の初出では「意識を失った時 高い樹があると思った」。高橋は初出の句を「つまずいた時」に改作したのだろう。改作の方が実感にぴったりするということだろうか。
ポエジーがあるのは三句目。畑美樹の作家論にあるように下五を「月光よ」とすると定型になる。定型のリズムをはみ出したい欲求がこの作者にはある。基本的には自由律なのだ。
いっそ語りべになろうか君という主人公の
君と汽車に乗る八月を逃がさぬよう
耳元で溶かされゆくは我の体温
僕らのメトロノームと止まった放課後
靴屋から駆け出す君の交差点
ほら忘れ物だよ君の三半器官
弾いてみな 黒は君の鍵盤だから
高橋の作品には「君」という二人称が頻出する。一人の特定の人を指すというよりは、この呼びかけ方が高橋は好きなのだろう。それはほとんど作句のモティーフなのでないかと思われるほどだ。この「君」という呼称については、かつて古谷恭一が「木馬」誌上で取り上げたことがあったと思う。
掲出句のベースにあるのは恋愛感情だろう。
一句目、「君」が主人公で「僕」が語り部。「僕」という言葉は使われていないが、「僕」は男であっても女であってもいい。主人公と語り部の気持が通じ合っているときはいいが、二人の間に亀裂が入ったとき、語り部であり続けることはきっと辛い状況になるだろう。
三句目、「メトロノーム止まった」なら分かりやすいが、「と」に違和感がある。
高橋由美が繰り返し描いている「君」と「僕」の世界。それはもっと深化されるべきだし、さらにそこから外へ出て多様な関係性の世界に入っていくべきものである。恋愛句を書くにしても、高校の文芸部レベルの「君」ではなくて、より成熟した関係性の世界があるはずだ。そんなこと高橋は百も承知だろうが、「君」と「僕」の世界には既視感があるのも事実である。
罵声は浴びないだって日焼けするもの
二泊三日で一昨日の波打ち際へ
そっちに行っちゃ帰れないよ蔓の矛先
60句の中では比較的余裕や遊びの感じられる句である。
二句目は作家論できゅういちが言う「タイムパラドクス」。
三句目は「ジャックと豆の木」を踏まえている。
天命よ ラ音ひたすら吹きにけり
この「ラ音」が以前は分からなかったが、オーケストラで演奏前に調律するときに、まず吹かれるのが「ラ音」だという。ピアノの調律でも同じ。なぜ基準音がラなのかについては、歴史的経緯や理論があるらしい。
この句の作中主体は天命のようにラ音を吹いているという。たった一人で吹いているのだろうか。それとも周囲にはオーケストラが存在するのだろうか。基準音を吹くのは次に多彩な音を出して演奏するためである。
高橋由美にはこの60句以外にもっと難解で詩性の強い作品があったように思うが、比較的理解されやすい句を選んでいるようだ。
「ここ5年ほどは少し大人しく斜めに川柳を眺めている」(作者のことば)とあって、たぶん実生活が忙しいのだろう。けれども、時間があれば川柳が書けるというものでもない。石部明がよく言っていたが、忙しいときは接待のカラオケでマイクを握りながら川柳を考えていたという。今回の「作家群像」を契機に高橋由美の新作を期待したい。