大阪は西鶴をはじめとする談林派の夢のあとであり、芭蕉終焉の地でもあって、けっこう俳諧史跡が多い。けれども都市の雑踏のなかにあって、京都のような歴史的雰囲気が感じられないので、俳跡を訪れる人は自らの文学的イメージの強度をためされることになる。
3月24日(日)に大阪・上本町で「第32回連句協会総会・全国大会」が開催された。この大会は例年、東京で開催されているが、今回初めて大阪開催となった。
大会前日の23日(土)に大阪入りをした連句人の有志10名ほどで、上本町周辺の俳諧史跡を散策した。午後1時に大会会場となる「たかつガーデン」に集合、まず西鶴の墓のある誓願寺に向かう。明治期に幸田露伴が無縁仏の中から西鶴墓を発見したといわれているが、現在は整備されていて、「鯛は花は見ぬ里もあり今日の月」の句碑が墓の傍らに建てられている。表門の左側には武田麟太郎の文学碑もあった。
誓願寺から高津宮を経て生国魂神社(生玉神社)に行く。
寛文10年、西鶴は生玉神社社頭で「生玉万句」を興行。このときはまだ鶴永と名乗っていた。延宝5年には生玉本覚寺で一日1600句を独吟、「俳諧大句数」として矢数俳諧始まりとなった。この記録が破られたので、延宝8年、西鶴は生玉の南坊で4000句を独吟、「大句数」と区別して「大矢数」と呼ばれる。さらに彼は貞享元年、住吉大社で23500句を独吟。駄目押しというところだろうか。
平成4年は西鶴生誕350年であって、それを記念して西鶴の銅像が建立された。生玉神社の南坊は明治の神仏分離令で移転したので、どの場所だったのだろうと疑問に思っていたが、西鶴像のあたりに「南坊址」の石碑が立っていた。
「いい銅像じゃない」
「落語家みたい」
「西鶴はお酒を飲まなかったのよ」
「芭蕉はお酒が好きだったそうだ」
西鶴像の前で勝手なことを言い合った。
生玉神社を出て織田作之助の小説で有名な「口縄坂」に向かった。その途中の青蓮寺に「岸本水府墓」の表示があるのを門前で発見。この寺には「竹田出雲墓」があってガイドブックにも載っているが、水府のことは紹介されていない。素通りできないと水府の墓に参詣。水府の息子の岸本吟一が建立したもののようだ。この寺は私もはじめてで、ぶらぶら歩いてみると思わぬ収穫があるものだ。
次に、江戸時代の料亭「浮瀬」の跡「蕉蕪園」を訪れる。
元禄7年9月26日、芭蕉は「清水の茶店」で句会をした。大阪の清水寺(新清水寺)は寛永17年に京都の清水寺から上町台地に勧請され、その周囲には茶店ができて参詣の人々で賑わった。その坂下にあった料亭「晴々亭」(浮瀬・うかむせ)で芭蕉は「此道や行人なしに秋の暮」の発句を詠み、半歌仙を巻いている。浮瀬は「鮑の盃」で有名だが、このとき芭蕉が鮑の盃で飲酒したかどうかは定かではない。
現在、浮瀬の跡は星光学院の敷地内で、受付に申し出てから見学する。「此道や」半歌仙のほか芭蕉や蕪村の句碑が林立していて、竹林を渡る風にしばし往時を偲んだ。
散策の最後は四天王寺で、墓地に並んで建立されている芭蕉と野玻のお墓参りをした。ちょうど彼岸の最終日で、よい記念になったことであった。東京から来た人は「釣鐘饅頭」をお土産に買ったりしていた。
さて、大会当日の3月24日、10時から受付。
参加者119名。関西四国方面の参加者が6割、東京方面の参加者が4割というところだろうか。ふだん参加しない顔触れが散見され、大阪開催の意義はあったわけである。
臼杵游児会長の挨拶のあと総会の議事が進行する。これまで任意団体だった連句協会が「一般社団法人」として法人化されることが決定。
総会終了後のイベントには「詩の朗読」が行われた。
朗読者は、吉川伸幸・くんじろう・阪本きりりの三名。
吉川伸幸は「三重詩話会」同人で、お目にかかるのは初めてだが、本格的な詩を読む方として楽しみにしていた。当日朗読の詩はわからないので、彼にもらった「三重詩人」221号から「南十字星をさがしに」をご紹介。
ここまできたのだから
お父さんは南十字星をさがそうと思ったんだ
君たちが生まれ
自分への問いを前に途方に暮れている自分を残して
それより大事な次の準備をしなければならなかったから
ありったけの理由をかき集め
出発していたんだ
たぶん 人の一生に隠された意味のように
たくさんの意味のように
どこにそんなにあったのかと思うほど
広い空には星がちりばめられていた
(中略)
真夜中を過ぎ みんなが寝静まっても
さがしようもない空をただひとり眺めていた
今 数多の星のなかに南十字星の存在を確信していた
みつけることなんてもうどうでもよかったのに
くんじろうは新作「らくだ」を朗読。二巡目では会場から題をいただいて即興詩を披露した。「葦」という題がでたが、彼はよどみなく朗読を続けたので、あとで司会の私が「やらせでも出来レースでもない」と断りを入れたほどである。
即興詩なので記録には残らないが、くんじろうの詩は「足を怪我した少年」の物語であった。その「足」とは違うやろ、と思いながら聞いていると、足を怪我した少年は大人になり、会社を興して成功する。ところがバブルがはじけて、一文無しになってしまう。そのとき彼はもう一度立ち上がるためには頭を使わなくてはならないと思うのだ。「人間は考える葦である」。
あとから考えると、くんじろうの創作過程が何となくうかがえる。「葦」という題から「人間は考える葦である」というオチがまず浮かび、そこから「葦」→「足」の連想で「足を怪我した少年」が設定される。オチが最後にあるから、そこまで言葉をつないでゆけばよいわけである。
阪本きりりはカラフルな衣装で登場し、「病草子」「白雪姫」の二編を朗読。彼女の作品はホームページ「月女の会」で読むことができる。「病草子」の一節をご紹介。
あぶにさされて七転八倒
七転び八起きの土天海冥
地球がひっくりかえるほどの痛みが痛くて
キンカンキンカン
鐘が鳴るからまた塗って
塗ったあとから
どくどく血が出て
毒を食らわば皿までかじり
バンドエイドも坂東英治も
貼っただけでは治らない
そうこうするうち
今度はそこへバイキンがはいって
脳に来ました、脳に来た
爆裂寸前、内圧ぐんぐん上がり
しゃべっていなければ
死んでしまう病
「私は」という主語を
高らかにかかげ
自在のコンパスおっぴろげて
私はしゃべる
私はつぶやく
私はのたまう
私はうそぶく
私は論ずる
私は語る、語る、語る、語る・・・
これは胃カタルですな
どれだけ吐いても治りません!
キャベジン、サクロン、大田胃酸
ずらり並べて、顔面蒼白のディスプレイ
電池ギレのメッセージを最後に
あわててつなぐアダプター
痛いですか、辛いですか
この辺ですか、ここですか
メールで届く健康相談
長文お断り、内容は簡潔に
病だれに私と書いて
ごきげんいかが?
三者三様のスタイルで、詩の朗読を楽しむことができた。
昼食後の連句実作会では、23卓に分かれて連句を巻いた。1卓5名ほど。
私は青木秀樹捌きの座に加わった。彼は前日の散策会にも参加していて、次の発句で二十韻を巻いた。
辛夷咲いて水府の墓の笑むごとく 秀樹
番傘脇に惜しむ行く春 真而子
それは大阪と川柳に対する挨拶であった。
2013年3月30日土曜日
2013年3月22日金曜日
戦争花嫁―意味は人を傷つける
川上未映子の『水瓶』(青土社)を読んだ。散文詩が9篇収録されている。書店では詩のコーナーに並べられているので、詩集だと思って読んでいるが、短編小説集なのかも知れない。どの作品も物語的である。冒頭の「戦争花嫁」は次のように始まっている。
「ある女の子が歩いているときに、不意に戦争花嫁がやってきて、それはいつもながらさわることも噛むこともできない単なる言葉でした。なのでつかまえて、戦争花嫁、と口にしてみれば唇がなんだか心地よく、豪雨の最中だというのに非常な明るさの気分がする。
だったらわたしはこの言葉がとどまってあるうちは、自分のことを戦争花嫁ということにしようと女の子はこれもまた言葉でうきうきとする。名状はいつもこのようにして空白に律儀にとどくもの。あるいは名状がそこにある空白を手に入れる。ひっそりとした名づけの祝着。戦争花嫁。即座に意味は起立しないけれど、女の子はこうも思う。意味のないものは意味のあるものよりも人を傷つけるということは少ないのじゃないの」
意味ではなく「戦争花嫁」という言葉がやってくる。その言葉が少女を明るい気分にさせる。だから彼女は自分のことを「戦争花嫁」と呼ぶことにするのだ。
意味のないものは人を傷つけることが少ない、という。逆に言えば、意味のあるものは人を傷つける。だから、「戦争花嫁」は発語をしないで生きている。あるいは、発語から意味を引きはがそうとする。
発語が人を傷つける。私が発した言葉は人を傷つけ、その言葉は相手の心の中で永遠に生き続ける。その人が思い出すたびに、いつまでもそこにあるのだ。
それでは、発語をせずに生きてきた「戦争花嫁」は最後にどうなるのだろうか。
「バナナフィッシュにうってつけだった日」はサリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」の一編をふまえている。ここでも「言葉」が重要なモティーフとなっている。
「二回目は、二回目だから自己紹介をしようと言う。青年の名前がつるりと老女の耳にやってくる。そのとたん、まあ、なんて。老女が見つめる青年のまわりに美しい文字の配列が秒針みたいにきらきらして手に取れる。これは世界製に見えて、そのじつもっと違うもの。そして意味はなに製かしら。いつもどこで作られますか?」
終末を迎えつつある老女が夏の日のできごとを思い出している。老女は水着をきた少女になっていて、ひとりの青年と出会う。ああこれは、サリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」( A Perfect Day for Bananafish )の後日談なのだと読者は思う。「うってつけだった日」と過去形になっていることに納得するのだ。
川上の作品では老女は青年の名前をもう忘れているが、読者は彼がシーモアという名であることを知っている。そして、少女にバナナフィッシュの話をしたあと、ホテルの自室に戻って拳銃の弾を頭に撃ち込むということも。
老女はそんなことは知らない。そして青年のことを一度も思い出さなかったのだが、死の床で、生涯で一度きり、この夏の日のことを思い出す、というのが川上の設定である。
『解纜』と云う連句誌がある。別所真紀子を中心に年一回程度発行されていて、現在第26号になる。巻頭の詩句付合では一茶の「春雨や喰れ残りの鴨が鳴」に別所真紀子の詩が取り合わされている。ここでは前号25号の作品を紹介する。
句詩付合 別所真紀子
亡き母や海見るたびに見るたびに 一茶
三日月が 鹹い絶望の潮に櫂を入れる
溶かされていった
血と肉とたましいの透明な重量
ちりり ちりり
千尋の底で白い骨が 鳴る
「解纜」は平成6年に創刊されたが、創刊号に安西均追悼歌仙が掲載されていて、今回の26号に再録されている。その表六句を紹介する。
チェーホフよ撃鉄起こせ二月満月 洋一
暗喩の雪の溶けし八日よ 真紀
折雛の中のうつろをてのひらに 健悟
西行きバスにお辞儀するひと 洋一
外国の火の色の酒まゐらせむ 真紀
朱夏の蓬生白馬佇立す 洋一
発句の「撃鉄」には「フリント」とルビが付いている。安西均に「チェーホフの猟銃」という詩があることを踏まえている。別所真紀子の留書には「この、五十年に渉るすぐれた詩業を達成して逝かれた詩人が、連句をなさっていたことは殆ど知られていないと思う」とある。
また、「解纜」3号では安西均の一周忌に歌仙が巻かれていて、これも26号に再録されている。この歌仙には連句人・村松武雄が参加している。
きさらぎを美男微笑の遠あかね 真紀
髭そりあとのかくも料峭 武雄
すゐーとぴい蒼きが蒼く乾きゐて 久美
数へてゐるか象の皺など 遊耳
行き遇ひて目礼のまま橋の月 純
露流れだす街のしづけさ 健悟
脇を付けている松村武雄は北村太郎の兄である。「髭そりあと」は北村太郎の「朝の鏡」の一節を踏まえていると別所はいう。こんな詩である。
朝の水が一滴、ほそい剃刀の
刃のうえに光って、落ちる ― それが
一生というものか。不思議だ。
北村太郎には「定家」「実朝」などの古典的人物を踏まえた詩があるほか、「かげろう抄」という連句(歌仙)形式の作品もある。「かげろう抄」は「現代詩文庫」(思潮社)の『北村太郎集』にも収録されているからご存じの方もあることだろう。
「解纜」26号には昨年6月に亡くなった真鍋天魚(真鍋呉夫)の追悼胡蝶も収録されている。真鍋の最後の句は次のようなものだったそうである。
月皓々空にも魚の泳ぎをり
死水は三ツ矢サイダー三口半
川上未映子に戻ると、書名になっている「水瓶」では16歳の少女の鎖骨のあいだには一個の水瓶が埋まっている。その中にあるものは―
「すべての襟巻き、すべての注目、すべての手段すべての氏名、すべての復帰、すべての羊皮紙、すべての旅費、すべての直面、すべての銅すべての浮き沈み、すべての気まぐれすべてのケーキ買ってきてすべてのこれじゃないのにすべてのなんでわかってくれないの、すべての無駄すべてのがっかりすべてのもう帰ってこないでね、すべてのそもそも最初からわかってたけどなんとかやれる気でいたの、すべての梱包、すべての特別、すべての予習すべての部屋」
こんな調子で7ページ続く。16歳の少女はこれだけのものを抱えているのである。
「ある女の子が歩いているときに、不意に戦争花嫁がやってきて、それはいつもながらさわることも噛むこともできない単なる言葉でした。なのでつかまえて、戦争花嫁、と口にしてみれば唇がなんだか心地よく、豪雨の最中だというのに非常な明るさの気分がする。
だったらわたしはこの言葉がとどまってあるうちは、自分のことを戦争花嫁ということにしようと女の子はこれもまた言葉でうきうきとする。名状はいつもこのようにして空白に律儀にとどくもの。あるいは名状がそこにある空白を手に入れる。ひっそりとした名づけの祝着。戦争花嫁。即座に意味は起立しないけれど、女の子はこうも思う。意味のないものは意味のあるものよりも人を傷つけるということは少ないのじゃないの」
意味ではなく「戦争花嫁」という言葉がやってくる。その言葉が少女を明るい気分にさせる。だから彼女は自分のことを「戦争花嫁」と呼ぶことにするのだ。
意味のないものは人を傷つけることが少ない、という。逆に言えば、意味のあるものは人を傷つける。だから、「戦争花嫁」は発語をしないで生きている。あるいは、発語から意味を引きはがそうとする。
発語が人を傷つける。私が発した言葉は人を傷つけ、その言葉は相手の心の中で永遠に生き続ける。その人が思い出すたびに、いつまでもそこにあるのだ。
それでは、発語をせずに生きてきた「戦争花嫁」は最後にどうなるのだろうか。
「バナナフィッシュにうってつけだった日」はサリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」の一編をふまえている。ここでも「言葉」が重要なモティーフとなっている。
「二回目は、二回目だから自己紹介をしようと言う。青年の名前がつるりと老女の耳にやってくる。そのとたん、まあ、なんて。老女が見つめる青年のまわりに美しい文字の配列が秒針みたいにきらきらして手に取れる。これは世界製に見えて、そのじつもっと違うもの。そして意味はなに製かしら。いつもどこで作られますか?」
終末を迎えつつある老女が夏の日のできごとを思い出している。老女は水着をきた少女になっていて、ひとりの青年と出会う。ああこれは、サリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」( A Perfect Day for Bananafish )の後日談なのだと読者は思う。「うってつけだった日」と過去形になっていることに納得するのだ。
川上の作品では老女は青年の名前をもう忘れているが、読者は彼がシーモアという名であることを知っている。そして、少女にバナナフィッシュの話をしたあと、ホテルの自室に戻って拳銃の弾を頭に撃ち込むということも。
老女はそんなことは知らない。そして青年のことを一度も思い出さなかったのだが、死の床で、生涯で一度きり、この夏の日のことを思い出す、というのが川上の設定である。
『解纜』と云う連句誌がある。別所真紀子を中心に年一回程度発行されていて、現在第26号になる。巻頭の詩句付合では一茶の「春雨や喰れ残りの鴨が鳴」に別所真紀子の詩が取り合わされている。ここでは前号25号の作品を紹介する。
句詩付合 別所真紀子
亡き母や海見るたびに見るたびに 一茶
三日月が 鹹い絶望の潮に櫂を入れる
溶かされていった
血と肉とたましいの透明な重量
ちりり ちりり
千尋の底で白い骨が 鳴る
「解纜」は平成6年に創刊されたが、創刊号に安西均追悼歌仙が掲載されていて、今回の26号に再録されている。その表六句を紹介する。
チェーホフよ撃鉄起こせ二月満月 洋一
暗喩の雪の溶けし八日よ 真紀
折雛の中のうつろをてのひらに 健悟
西行きバスにお辞儀するひと 洋一
外国の火の色の酒まゐらせむ 真紀
朱夏の蓬生白馬佇立す 洋一
発句の「撃鉄」には「フリント」とルビが付いている。安西均に「チェーホフの猟銃」という詩があることを踏まえている。別所真紀子の留書には「この、五十年に渉るすぐれた詩業を達成して逝かれた詩人が、連句をなさっていたことは殆ど知られていないと思う」とある。
また、「解纜」3号では安西均の一周忌に歌仙が巻かれていて、これも26号に再録されている。この歌仙には連句人・村松武雄が参加している。
きさらぎを美男微笑の遠あかね 真紀
髭そりあとのかくも料峭 武雄
すゐーとぴい蒼きが蒼く乾きゐて 久美
数へてゐるか象の皺など 遊耳
行き遇ひて目礼のまま橋の月 純
露流れだす街のしづけさ 健悟
脇を付けている松村武雄は北村太郎の兄である。「髭そりあと」は北村太郎の「朝の鏡」の一節を踏まえていると別所はいう。こんな詩である。
朝の水が一滴、ほそい剃刀の
刃のうえに光って、落ちる ― それが
一生というものか。不思議だ。
北村太郎には「定家」「実朝」などの古典的人物を踏まえた詩があるほか、「かげろう抄」という連句(歌仙)形式の作品もある。「かげろう抄」は「現代詩文庫」(思潮社)の『北村太郎集』にも収録されているからご存じの方もあることだろう。
「解纜」26号には昨年6月に亡くなった真鍋天魚(真鍋呉夫)の追悼胡蝶も収録されている。真鍋の最後の句は次のようなものだったそうである。
月皓々空にも魚の泳ぎをり
死水は三ツ矢サイダー三口半
川上未映子に戻ると、書名になっている「水瓶」では16歳の少女の鎖骨のあいだには一個の水瓶が埋まっている。その中にあるものは―
「すべての襟巻き、すべての注目、すべての手段すべての氏名、すべての復帰、すべての羊皮紙、すべての旅費、すべての直面、すべての銅すべての浮き沈み、すべての気まぐれすべてのケーキ買ってきてすべてのこれじゃないのにすべてのなんでわかってくれないの、すべての無駄すべてのがっかりすべてのもう帰ってこないでね、すべてのそもそも最初からわかってたけどなんとかやれる気でいたの、すべての梱包、すべての特別、すべての予習すべての部屋」
こんな調子で7ページ続く。16歳の少女はこれだけのものを抱えているのである。
2013年3月15日金曜日
「井泉」50号「ジャンルの境界性について」
山口昌男が亡くなった。
中沢新一は「山口昌男を悼む」(朝日新聞・3月12日)でこんなふうに書いている。
「私たちの世代にとって、山口昌男はじつに偉大な解放者だった。1970年代、世の中はきまじめであることが美徳とされ、自分のしていることは正しいと誰もが思いたがっていた。その時代に山口昌男は知識人たちに向かって、そんなつまらない美徳は捨てて、創造的な『いたずら者』になれ、と呼びかけたのである」
山口は文化人類学者として活躍、「トリックスター」「中心と周縁」などのキイ・ワードは一世を風靡した。『アフリカの神話的世界』『文化人類学への招待』などの岩波新書のほか、『道化の民俗学』『文化と両義性』などの著書がある。70年代・80年代のトップランナーの一人であった。けれども、知識人と時代との関係は微妙である。中沢は次のように書く。
「世の中が安直な笑いであふれかえり、矮小化された『いたずら者』が跋扈する時代になると、さすがのこの人も不調に陥った。ところがしばらくすると、今度は『敗者』に身をやつして再登場したのにはたまげた。負け組のほうが豊かな人生が送れるぞ。マネーや力の世界への幻想を嗤う、なんともエレガントな闘いぶりであった」
「敗者」に身をやつして再登場とは、『「敗者」の精神史』『「挫折」の昭和史』を指しているだろう。ともに1995年刊。私はこの時期の山口の本を読んでいない。「トリックスター」には興味があったが「敗者」には興味をもてなかったことになる。というより、「敗者」や「挫折」については読まなくてもよくわかっているような気がしていたのだ。
手元にある『文化人類学への招待』を開けてみると、冒頭で語られているポーランドの知的風土が印象的だ。マリノフスキーと友人のヴィトケヴィッチのことである。
「マリノフスキーとヴィトケヴィッチは、刎頚の友といっていいぐらいの仲だったのです。しかし、人類学者と芸術家の友情というものはあまり長続きしないものなのかもしれない。どちらも適当に頑固ですから」
オーストラリアを二人で旅行したときのエピソード。
湖に行き当った二人は右から行くか左から行くかで喧嘩を始めた。そこで、それぞれ右回り・左回りの別々の道を行くことにした。マリノフスキーが落ち合う場所に着いてみるとヴィトケヴィッチがいない。探してみると彼は棒の間に裸でしばりつけられ、原住民たちがタイマツを振りまわしている。驚いたマリノフスキーが鉄砲を持ちだしたところ、ヴィトケヴィッチは「よせよせ」とやめさせた。早く到着した彼は土地の人とすっかり友だちになっていて、体についたダニを火であぶって退治してもらっていたのだという。
この話は両者のタイプの違い(真面目と遊び)をあらわしている。
ヴィトケヴィッチは変った人で、自分のアパートの前に細かいスケジュール表を貼り出して、○○屋さんはいつ集金にきなさいとか書いてあったが、誰もその通りしなかったとか、フォーマルな場で芸術・哲学の話をするときは必ず酔って現われたとか、友人の点数表を作って点の上下を報告しては嫌がられていたとか、徹底的な意地悪で、人には絶対に通じない冗談を言って戸惑わせたとか、興味深いエピソードがいろいろ書かれている。エキセントリックなトリックスターである。
短歌誌「井泉」50号が届いた。
本誌は春日井建の没後、春日井の「中部短歌会」を継承する人々によって2005年に創刊された。
このブログでも何度か取り上げてきたが、「井泉」は巻頭の「招待席」に短歌だけではなく、俳句・川柳・現代詩を掲載してきた。川柳人ではこれまで樋口由紀子・筒井祥文・畑美樹・兵頭全郎・丸山進などが作品を書いている。
50号記念号の特集「ジャンルの越境性について」では、北川透・黒瀬珂瀾・坪内稔典・樋口由紀子の外部寄稿のほか江村彩・喜多昭夫・佐藤晶・彦坂美喜子の同人が執筆している。
まず、北川透(「『ダス・ゲマイネ』の他者」)は太宰治の小説を取り上げて、その境界性を論じている。
「詩における意味の切断は、どんな場合も、単に意味の省略、消去ではない。その都度、選択される語句が形成する文脈から落ちざるを得ない、表現し得ないものに触れる空白の表現だ。あるいは空白内部の見えないもの、触れることのできないものへ向けた矢印や触手でもある。そして、この空白に自覚的なスタイルを、わたしたちは詩的表現と呼んでいる」
詩は意味のネットワークの形成や説明的叙述に依拠するのではなく、逆にそこから私たちを解除し、自由にするはたらきを持っていると北川は言う。そのような「空白」に触れるための武器となるものが、句切れ、リズム、イメージ、ずらし、イロニー、パロディなどの詩的レトリックである。
北川は「ダス・ゲマイネ」三章のエピグラフ「ここを過ぎて、一つ二銭の栄螺かな」という俳句の韻律をもっていることを指摘している。
太宰と俳句・連句との関係はこれまでにも論じられている。『富嶽百景』が連句的であるほか、『思い出』の冒頭にある作品「葉」は連句的構成そのものである。そういえば、太宰には「道化の華」という作品もあった。
外はみぞれ。何を笑うやレニン像 太宰治
黒瀬珂瀾(「深井戸の底へ」)は、ジャンルの境界があるからこそ独自性が育てられるという面と、一方では表現の硬直化を招くという面との両面を指摘したあと、次のように述べている。
「あるジャンルの表現者とは、その表現に出会ってしまった運命の賜物として、そのジャンルに身を捧ぐ衝動を得ると同時に、出会ってしまった代償として、『越境性』の壁を高く仰ぐのだろう。このことを忘れたまま、単に他ジャンルとの並列を以て、境界性の打破を云々することは、悲しいが児戯に等しい」
そして、黒瀬が取り上げているのは、詩人・石原吉郎が晩年に残した歌集『北鎌倉』である。
北鎌倉橋ある川に橋ありて橋あれば橋 橋なくば川 石原吉郎
坪内稔典(「煙に巻いた?」)は大学生といっしょに短歌や俳句を読む、具体的な話に終始する。また、樋口由紀子(「両面がある」)は関西と関東では笑いのツボが違うことをマクラに中尾藻介・中村冨二の川柳、攝津幸彦の俳句、穂村弘の短歌を取り上げている。
ジャンルの境界性について考えるとき、私の出発点は広末保の「自律的ジャンル史観について」(『可能性としての芭蕉』所収)であった。ジャンルの純粋化をめざす自律的ジャンル論は、ジャンル内部の雑多な要素を排除するため、逆にジャンルの可能性を狭めてしまうことになる。「未分化な形式」と「分化した形式」との間で、広末は「未分化な形式」(たとえば「俳諧」)に可能性を見ていたのだった。
かつては「ジャンル越境時代」「シャッフルの時代」などの言葉に胸がときめいたこともあったが、川柳の実作を続けているうちに、私はジャンルの越境を楽しむという素朴な気持ちではいられなくなってきた。ジャンルの自律があいまいな川柳においては、まず川柳のジャンルとしての自律を当面の目標とせざるをえない。ジャンルを越境するためにジャンルを確立するというような二律背反を強いられるのである。
中沢新一は「山口昌男を悼む」(朝日新聞・3月12日)でこんなふうに書いている。
「私たちの世代にとって、山口昌男はじつに偉大な解放者だった。1970年代、世の中はきまじめであることが美徳とされ、自分のしていることは正しいと誰もが思いたがっていた。その時代に山口昌男は知識人たちに向かって、そんなつまらない美徳は捨てて、創造的な『いたずら者』になれ、と呼びかけたのである」
山口は文化人類学者として活躍、「トリックスター」「中心と周縁」などのキイ・ワードは一世を風靡した。『アフリカの神話的世界』『文化人類学への招待』などの岩波新書のほか、『道化の民俗学』『文化と両義性』などの著書がある。70年代・80年代のトップランナーの一人であった。けれども、知識人と時代との関係は微妙である。中沢は次のように書く。
「世の中が安直な笑いであふれかえり、矮小化された『いたずら者』が跋扈する時代になると、さすがのこの人も不調に陥った。ところがしばらくすると、今度は『敗者』に身をやつして再登場したのにはたまげた。負け組のほうが豊かな人生が送れるぞ。マネーや力の世界への幻想を嗤う、なんともエレガントな闘いぶりであった」
「敗者」に身をやつして再登場とは、『「敗者」の精神史』『「挫折」の昭和史』を指しているだろう。ともに1995年刊。私はこの時期の山口の本を読んでいない。「トリックスター」には興味があったが「敗者」には興味をもてなかったことになる。というより、「敗者」や「挫折」については読まなくてもよくわかっているような気がしていたのだ。
手元にある『文化人類学への招待』を開けてみると、冒頭で語られているポーランドの知的風土が印象的だ。マリノフスキーと友人のヴィトケヴィッチのことである。
「マリノフスキーとヴィトケヴィッチは、刎頚の友といっていいぐらいの仲だったのです。しかし、人類学者と芸術家の友情というものはあまり長続きしないものなのかもしれない。どちらも適当に頑固ですから」
オーストラリアを二人で旅行したときのエピソード。
湖に行き当った二人は右から行くか左から行くかで喧嘩を始めた。そこで、それぞれ右回り・左回りの別々の道を行くことにした。マリノフスキーが落ち合う場所に着いてみるとヴィトケヴィッチがいない。探してみると彼は棒の間に裸でしばりつけられ、原住民たちがタイマツを振りまわしている。驚いたマリノフスキーが鉄砲を持ちだしたところ、ヴィトケヴィッチは「よせよせ」とやめさせた。早く到着した彼は土地の人とすっかり友だちになっていて、体についたダニを火であぶって退治してもらっていたのだという。
この話は両者のタイプの違い(真面目と遊び)をあらわしている。
ヴィトケヴィッチは変った人で、自分のアパートの前に細かいスケジュール表を貼り出して、○○屋さんはいつ集金にきなさいとか書いてあったが、誰もその通りしなかったとか、フォーマルな場で芸術・哲学の話をするときは必ず酔って現われたとか、友人の点数表を作って点の上下を報告しては嫌がられていたとか、徹底的な意地悪で、人には絶対に通じない冗談を言って戸惑わせたとか、興味深いエピソードがいろいろ書かれている。エキセントリックなトリックスターである。
短歌誌「井泉」50号が届いた。
本誌は春日井建の没後、春日井の「中部短歌会」を継承する人々によって2005年に創刊された。
このブログでも何度か取り上げてきたが、「井泉」は巻頭の「招待席」に短歌だけではなく、俳句・川柳・現代詩を掲載してきた。川柳人ではこれまで樋口由紀子・筒井祥文・畑美樹・兵頭全郎・丸山進などが作品を書いている。
50号記念号の特集「ジャンルの越境性について」では、北川透・黒瀬珂瀾・坪内稔典・樋口由紀子の外部寄稿のほか江村彩・喜多昭夫・佐藤晶・彦坂美喜子の同人が執筆している。
まず、北川透(「『ダス・ゲマイネ』の他者」)は太宰治の小説を取り上げて、その境界性を論じている。
「詩における意味の切断は、どんな場合も、単に意味の省略、消去ではない。その都度、選択される語句が形成する文脈から落ちざるを得ない、表現し得ないものに触れる空白の表現だ。あるいは空白内部の見えないもの、触れることのできないものへ向けた矢印や触手でもある。そして、この空白に自覚的なスタイルを、わたしたちは詩的表現と呼んでいる」
詩は意味のネットワークの形成や説明的叙述に依拠するのではなく、逆にそこから私たちを解除し、自由にするはたらきを持っていると北川は言う。そのような「空白」に触れるための武器となるものが、句切れ、リズム、イメージ、ずらし、イロニー、パロディなどの詩的レトリックである。
北川は「ダス・ゲマイネ」三章のエピグラフ「ここを過ぎて、一つ二銭の栄螺かな」という俳句の韻律をもっていることを指摘している。
太宰と俳句・連句との関係はこれまでにも論じられている。『富嶽百景』が連句的であるほか、『思い出』の冒頭にある作品「葉」は連句的構成そのものである。そういえば、太宰には「道化の華」という作品もあった。
外はみぞれ。何を笑うやレニン像 太宰治
黒瀬珂瀾(「深井戸の底へ」)は、ジャンルの境界があるからこそ独自性が育てられるという面と、一方では表現の硬直化を招くという面との両面を指摘したあと、次のように述べている。
「あるジャンルの表現者とは、その表現に出会ってしまった運命の賜物として、そのジャンルに身を捧ぐ衝動を得ると同時に、出会ってしまった代償として、『越境性』の壁を高く仰ぐのだろう。このことを忘れたまま、単に他ジャンルとの並列を以て、境界性の打破を云々することは、悲しいが児戯に等しい」
そして、黒瀬が取り上げているのは、詩人・石原吉郎が晩年に残した歌集『北鎌倉』である。
北鎌倉橋ある川に橋ありて橋あれば橋 橋なくば川 石原吉郎
坪内稔典(「煙に巻いた?」)は大学生といっしょに短歌や俳句を読む、具体的な話に終始する。また、樋口由紀子(「両面がある」)は関西と関東では笑いのツボが違うことをマクラに中尾藻介・中村冨二の川柳、攝津幸彦の俳句、穂村弘の短歌を取り上げている。
ジャンルの境界性について考えるとき、私の出発点は広末保の「自律的ジャンル史観について」(『可能性としての芭蕉』所収)であった。ジャンルの純粋化をめざす自律的ジャンル論は、ジャンル内部の雑多な要素を排除するため、逆にジャンルの可能性を狭めてしまうことになる。「未分化な形式」と「分化した形式」との間で、広末は「未分化な形式」(たとえば「俳諧」)に可能性を見ていたのだった。
かつては「ジャンル越境時代」「シャッフルの時代」などの言葉に胸がときめいたこともあったが、川柳の実作を続けているうちに、私はジャンルの越境を楽しむという素朴な気持ちではいられなくなってきた。ジャンルの自律があいまいな川柳においては、まず川柳のジャンルとしての自律を当面の目標とせざるをえない。ジャンルを越境するためにジャンルを確立するというような二律背反を強いられるのである。
2013年3月9日土曜日
若さの華やぎと加齢の華やぎ
今回は俳句の話題に終始する。
俳句同人誌「里」2月号から佐藤文香選句欄「ハイクラブ」がスタートした。発行人の島田牙城は「俳句の選者年齢がどんどんと高くなつてゆくことに僕は強い危惧を感じてきた」と述べている。そして、短歌誌「未来」で笹公人、黒瀬珂瀾の選歌欄が始まることに触れ、「短歌の世界は常に変化を求めてゐる。そして〝現代〟の中にあらうとしてゐる。俳句が超然としてゐていいわけがない」と言う。こうして佐藤文香選句欄がスタートし、メールの使える人なら誰でも投句できる。今月の「里」3月号ではさらにパワーアップしている。
並び帰ってゆく白鳥つまらないね 福田若之
鴨・海老・豚みな死んでゐる皆で囲む 高山れおな
薄氷に触れて匿名希望です 石原ユキオ
暖房は頭の上が温かし 上田信治
顔近くないかおでんを食べないか なかやまなな
第三回田中裕明賞を受賞した関悦史の句集『六十億本の回転する曲がった棒』は「人類に空爆のある雑煮かな」などの句で有名であるが、受賞の選考過程が冊子になっている(『第三回田中裕明賞』ふらんす堂、2013年1月29日発行)。
応募句集は七冊あって、関の句集のほか御中虫『おまへの倫理崩す何度でも車椅子奪ふぜ』、前北かおる『ラフマニノフ』、山口優夢『残像』、中本真人『庭燎』、青山茂根『BABYLON』、押野裕『雲の座』である。選考委員は石田郷子、小川軽舟、岸本尚毅、四ツ谷龍の四人で、関の句集が8点、御中虫が7点であった。主催者・ふらんす堂の山岡喜美子による「選考経過報告」には次のように書かれている。
「連作の手法で鮮やかに世界を切り取ってみせる関悦史とさまざまな実験を試みながらも一句の独立性を希求する御中虫、これはそのまま『俳句性とは何か』ということに関わってくる問題であり、そこで選考委員の考え方がわかれたのである」
昨年12月に神戸の生田神社で開催された「俳句Gathering」、その後の動きとしてブログが立ち上げられている。このイベントのレポートはすでにいくつか出ているが、2月10日には石原ユキオの辛口の感想が掲載され、また、現在、当事者によるまとめが進行中のようだ。自ら総括することによって出発点を確認し、次に進もうということだと思う。今後の展開に期待したい。
http://ameblo.jp/haigather/entry-11482825055.html
若手俳人だけではなくて、高齢の俳人の活躍も華やかである。
金原まさ子の第四句集『カルナヴァル』(草思社)が発行された。
金原まさ子(きんばら・まさこ)は明治44年東京生まれ。1970年の「草苑」創刊に参加。2001年「街」同人。2007年「らん」入会。2011年7月にはじめた「金原まさ子 百歳からのブログ」が評判になり、現在102歳。池田澄子の帯文に「健気に淫らに冷静に。言葉を以てこんなに強くエレガントに生きることができるなんて!」とある。
二階からヒバリが降りてきて野次る
ひな寿司の具に初蝶がまぜてある
ヒトはケモノと菫は菫同士契れ
赤い真綿でいつか海鼠を縊るなら
責めてどうするおおむらさきの童貞を
炎天をおいらんあるきのおとこたち
文句なしにおもしろい。
マンネリズムや自己模倣とは無縁の世界である。高齢者文芸の可能性が言われるなかで、枯淡の境地というものもありうるが、加齢による華やぎは読んでいて楽しい。
あとがきに曰く「『カルナヴァル』は私の第四句集であり、また最後の句集でもあると思っています。最後の句集ならば『清く正しく美しく』あらねばと思い、いや私にはムリと思い、そして、このように、祭のような(と言いたい)句集になりました」
あと、送っていただいた句集を何冊か紹介する。
小倉喜郎句集『あおだもの木』(ふらんす堂)から。
梅日和砂場に砂が運ばれて 小倉喜郎
「船団」96号に内田美紗が書評を書いている。内田は「俳人の間で批判的に言われる『ただごと俳句』とも見えるが、大方の人は不整合な『ただごと』の中に潜むヘンな気分と折り合いをつけながら暮らしているのではないだろうか」と述べ、掲出句について「あるのが当然と思っていた砂場に砂が運び込まれているのを見てアレッと思った心の動き」と評している。
作者は亀岡市在住。タイトルのあおだもの木であるが、句集「あとがき」によると、亀岡城址に植物園があって、散歩コースにしているらしい。「そんな気に入りの植物園の入り口付近にはあおだもの木があり、揺れながら我々を迎え、そして見送ってくれる」
紅梅が悪役のように立っている 斉田仁
「塵風」の斉田仁の句集『異熟』(西田書店)から。
紅梅が悪役なら、白梅は主役なのだろうか。悪は屹立した存在だから、マイナス・イメージとは限らない。紅白梅図屏風で、紅梅の方に目がいったのかも知れない。
句集・あとがきに「三十年ほど前だったか、八幡船社という出版社に短詩型文学全書のシリーズがあり、そのなかの一冊として、小さな句集を上梓したこともあった」「その頃を、たとえば未熟とするならば、いまは異熟とでもいうべきか」
私はリアルタイムでは知らないのだが、津久井理一の「八幡船」(ばはんせん)は川柳を含めた短詩型文学の交流の場だったと承知している。
ようやく春めいて来たので、少し以前の句集だが、大本義幸『硝子器に春の影みち』(沖積社)から春の句を。
硝子器に春の影さすような人 大本義幸
硝子は大本の初期からのモチーフらしい。
まだ女鹿である朝のバタートースト 大本義幸
同じ句集にあるこの句を、この二三日、口ずさんでいる。
俳句同人誌「里」2月号から佐藤文香選句欄「ハイクラブ」がスタートした。発行人の島田牙城は「俳句の選者年齢がどんどんと高くなつてゆくことに僕は強い危惧を感じてきた」と述べている。そして、短歌誌「未来」で笹公人、黒瀬珂瀾の選歌欄が始まることに触れ、「短歌の世界は常に変化を求めてゐる。そして〝現代〟の中にあらうとしてゐる。俳句が超然としてゐていいわけがない」と言う。こうして佐藤文香選句欄がスタートし、メールの使える人なら誰でも投句できる。今月の「里」3月号ではさらにパワーアップしている。
並び帰ってゆく白鳥つまらないね 福田若之
鴨・海老・豚みな死んでゐる皆で囲む 高山れおな
薄氷に触れて匿名希望です 石原ユキオ
暖房は頭の上が温かし 上田信治
顔近くないかおでんを食べないか なかやまなな
第三回田中裕明賞を受賞した関悦史の句集『六十億本の回転する曲がった棒』は「人類に空爆のある雑煮かな」などの句で有名であるが、受賞の選考過程が冊子になっている(『第三回田中裕明賞』ふらんす堂、2013年1月29日発行)。
応募句集は七冊あって、関の句集のほか御中虫『おまへの倫理崩す何度でも車椅子奪ふぜ』、前北かおる『ラフマニノフ』、山口優夢『残像』、中本真人『庭燎』、青山茂根『BABYLON』、押野裕『雲の座』である。選考委員は石田郷子、小川軽舟、岸本尚毅、四ツ谷龍の四人で、関の句集が8点、御中虫が7点であった。主催者・ふらんす堂の山岡喜美子による「選考経過報告」には次のように書かれている。
「連作の手法で鮮やかに世界を切り取ってみせる関悦史とさまざまな実験を試みながらも一句の独立性を希求する御中虫、これはそのまま『俳句性とは何か』ということに関わってくる問題であり、そこで選考委員の考え方がわかれたのである」
昨年12月に神戸の生田神社で開催された「俳句Gathering」、その後の動きとしてブログが立ち上げられている。このイベントのレポートはすでにいくつか出ているが、2月10日には石原ユキオの辛口の感想が掲載され、また、現在、当事者によるまとめが進行中のようだ。自ら総括することによって出発点を確認し、次に進もうということだと思う。今後の展開に期待したい。
http://ameblo.jp/haigather/entry-11482825055.html
若手俳人だけではなくて、高齢の俳人の活躍も華やかである。
金原まさ子の第四句集『カルナヴァル』(草思社)が発行された。
金原まさ子(きんばら・まさこ)は明治44年東京生まれ。1970年の「草苑」創刊に参加。2001年「街」同人。2007年「らん」入会。2011年7月にはじめた「金原まさ子 百歳からのブログ」が評判になり、現在102歳。池田澄子の帯文に「健気に淫らに冷静に。言葉を以てこんなに強くエレガントに生きることができるなんて!」とある。
二階からヒバリが降りてきて野次る
ひな寿司の具に初蝶がまぜてある
ヒトはケモノと菫は菫同士契れ
赤い真綿でいつか海鼠を縊るなら
責めてどうするおおむらさきの童貞を
炎天をおいらんあるきのおとこたち
文句なしにおもしろい。
マンネリズムや自己模倣とは無縁の世界である。高齢者文芸の可能性が言われるなかで、枯淡の境地というものもありうるが、加齢による華やぎは読んでいて楽しい。
あとがきに曰く「『カルナヴァル』は私の第四句集であり、また最後の句集でもあると思っています。最後の句集ならば『清く正しく美しく』あらねばと思い、いや私にはムリと思い、そして、このように、祭のような(と言いたい)句集になりました」
あと、送っていただいた句集を何冊か紹介する。
小倉喜郎句集『あおだもの木』(ふらんす堂)から。
梅日和砂場に砂が運ばれて 小倉喜郎
「船団」96号に内田美紗が書評を書いている。内田は「俳人の間で批判的に言われる『ただごと俳句』とも見えるが、大方の人は不整合な『ただごと』の中に潜むヘンな気分と折り合いをつけながら暮らしているのではないだろうか」と述べ、掲出句について「あるのが当然と思っていた砂場に砂が運び込まれているのを見てアレッと思った心の動き」と評している。
作者は亀岡市在住。タイトルのあおだもの木であるが、句集「あとがき」によると、亀岡城址に植物園があって、散歩コースにしているらしい。「そんな気に入りの植物園の入り口付近にはあおだもの木があり、揺れながら我々を迎え、そして見送ってくれる」
紅梅が悪役のように立っている 斉田仁
「塵風」の斉田仁の句集『異熟』(西田書店)から。
紅梅が悪役なら、白梅は主役なのだろうか。悪は屹立した存在だから、マイナス・イメージとは限らない。紅白梅図屏風で、紅梅の方に目がいったのかも知れない。
句集・あとがきに「三十年ほど前だったか、八幡船社という出版社に短詩型文学全書のシリーズがあり、そのなかの一冊として、小さな句集を上梓したこともあった」「その頃を、たとえば未熟とするならば、いまは異熟とでもいうべきか」
私はリアルタイムでは知らないのだが、津久井理一の「八幡船」(ばはんせん)は川柳を含めた短詩型文学の交流の場だったと承知している。
ようやく春めいて来たので、少し以前の句集だが、大本義幸『硝子器に春の影みち』(沖積社)から春の句を。
硝子器に春の影さすような人 大本義幸
硝子は大本の初期からのモチーフらしい。
まだ女鹿である朝のバタートースト 大本義幸
同じ句集にあるこの句を、この二三日、口ずさんでいる。
2013年3月1日金曜日
『点鐘雑唱』を読む
墨作二郎が主宰する「現代川柳・点鐘の会」は昭和62年に発足し、機関誌「点鐘」を隔月に発行、勉強会と散歩会を毎月開催している。また、合同句集『点鐘雑唱』が「点鐘」誌と勉強会での作品をセレクトして毎年発行されている。今回はその2012年作品集(2013年 1月1日発行)の中から何句か取り上げてみたい。
人間を愉快にさせて花が散る 浅利猪一郎
また雪が降って脱皮を急かされる
花が散り、雪が降るのは人間とは無関係であるが、それを見る人はさまざなことを考える。花が散ると悲しいのは自然な感情だけれど、人を愉快にさせるような散り方だってあるかも知れない。マンネリを打破したいと思っているときに降る雪は、まるで自分を急かしているようだ。
浅利猪一郎は愛知県の半田市で「川柳きぬうらクラブ」を主宰。郷土出身の童話作家・新美南吉にちなんで毎年「ごんぎつねの郷」誌上川柳大会を行っている。今年は南吉の生誕 百年に当たっているので、半田市でいろいろイベントがあることだろう。
傘を忘れて少し心が折れている 石川重尾
政治家のヘソを洗えば放射能
少しくらい雨に濡れたって何も世界の終わりではないのに、傘がないだけで心が折れてしまう。二句目は正面からの政治批判。石川重尾は川柳の批評性を手放さない。
ためらわず逢いたい人に逢っておく 岩崎千佐子
憶えてるうちに嫌いになっておく 北村幸子
恋句を二句並べてみた。ストレートの句と変化球の句である。
嫌いになるのも憶えているからこそで、忘れ去ってしまえば好きも嫌いもないのである。
ゆびを見る指だとわかるまで指を 北村幸子
看取るのは回りまわって他人の妻 北里深雪
相手の「ゆび」を見ている。じっと見ているうちに、それが「指」だとはっきり分かる。分かったのは指だけだろうか。ほかのさまざまなことも分かってしまうのではないか。
二句目、この世にはいろんなペアがあるが、くっついたり離れたりしているうちに、ペアが変わってゆく。最後に「他人の妻」を看取ることになる。この物語には皮肉ともペーソスとも言えるようなものが混じっている。
飛び出して雨に打たれるキリギリス 笠嶋恵美子
右足を踏み出す老いたキリギリス 本多洋子
キリギリスの句を二句。さまざまなキリギリスがいる。
時は流れる 腕立て伏せは五十回 北田惟圭
腕立て伏せをしているあいだに時は流れるというのか。時の流れに逆らうように腕立て伏せをしているのか。一字あけの前後の微妙な取り合わせ・関係性がおもしろいと思った。
第一案は鞭打ち症になっている 進藤一車
跳び箱を下げよう柩の高さまで
批評性は川柳の持ち味のひとつである。
第一案はすでに首が回らない。
跳び箱をとぼうとしているのに、それは妙に柩に似ている。
紅葉流れる 悪の限りをつぶやいて 墨作二郎
絵日記に消えてしまった 捕虫網
流れてゆく時間。
紅葉の美に悪を取り合わせる。
少年の日の昆虫採集の記憶はすでに絵日記の彼方に去ってしまっている。
虚無的な顔で診察待っている 瀧正治
脱北の中にアンクルトムがいる
待合室で診察を待っているときの顔は確かに明るいものではないだろう。その一こまを捉えている。脱北者の中にアンクルトムがいた。時代が異なっているものを一句の中で結びつけているが、虐げられている両者の状況には通じるものがある。
宇宙まで飛んで行く気か石ころよ 壺内半酔
マクロの宇宙とミクロの石ころ。けれども、この石ころは大宇宙へまで飛んで行く気なのである。無頼派・半酔らしい句である。
鈴なりの柿は氏神さんやねえ きっと 畑山美幸
眼底はすでにいちずに桜葬 平賀胤壽
口語を生かした作品と、言葉の完成度の高い作品。
鈴なりの柿は氏神さんが姿を変えたものかもしれない。
「桜葬」という語は難解だが、死者は桜の樹の下で眠っているのだろう。
フィルムの片隅にある身の証し 前田芙巳代
屈辱は肩のあたりで暴発する
その人は屈辱に耐えているが、もう限界にきていて爆発しそうだ。怒っても何にもならないし、自分が損をするだけなのが分かっているのに暴発してしまうのだ。
「明暗」誌が終刊したあとも前田芙巳代は川柳各誌に投句、活躍を続けている。
広告のキリンの首は春の曲げ方 南野勝彦
アルプスの腰のくねりも春なんです 森田律子
春を迎える句を二句。
キリンの首にも「春の曲げ方」「秋の曲げ方」があるのだろうか。その句の前でちょっと立ち止まらせるような作品。
アルプスは山だと思ったが、選抜高校野球のスタンドかなとも読める。山と受け取る方がおもしろそうだ。
笑っていれば淀も桂も流れるわ 吉岡とみえ
笑っていれば淀川も桂川も流れていくのだという。毎日の生活の中では、いつも笑っていられるわけではないし、笑ったからといって川が流れるとも限らない。そんなことは承知のうえで、笑っているのがいいのだという心の姿勢を示す。自らに言い聞かせているのかも知れない。
君が代か君が代ソングか読唇せよ 渡辺隆夫
敬老日くらい働けお若けえの
最後に、現代川柳の諷刺性を代表する渡辺隆夫の句。一読明快である。
人間を愉快にさせて花が散る 浅利猪一郎
また雪が降って脱皮を急かされる
花が散り、雪が降るのは人間とは無関係であるが、それを見る人はさまざなことを考える。花が散ると悲しいのは自然な感情だけれど、人を愉快にさせるような散り方だってあるかも知れない。マンネリを打破したいと思っているときに降る雪は、まるで自分を急かしているようだ。
浅利猪一郎は愛知県の半田市で「川柳きぬうらクラブ」を主宰。郷土出身の童話作家・新美南吉にちなんで毎年「ごんぎつねの郷」誌上川柳大会を行っている。今年は南吉の生誕 百年に当たっているので、半田市でいろいろイベントがあることだろう。
傘を忘れて少し心が折れている 石川重尾
政治家のヘソを洗えば放射能
少しくらい雨に濡れたって何も世界の終わりではないのに、傘がないだけで心が折れてしまう。二句目は正面からの政治批判。石川重尾は川柳の批評性を手放さない。
ためらわず逢いたい人に逢っておく 岩崎千佐子
憶えてるうちに嫌いになっておく 北村幸子
恋句を二句並べてみた。ストレートの句と変化球の句である。
嫌いになるのも憶えているからこそで、忘れ去ってしまえば好きも嫌いもないのである。
ゆびを見る指だとわかるまで指を 北村幸子
看取るのは回りまわって他人の妻 北里深雪
相手の「ゆび」を見ている。じっと見ているうちに、それが「指」だとはっきり分かる。分かったのは指だけだろうか。ほかのさまざまなことも分かってしまうのではないか。
二句目、この世にはいろんなペアがあるが、くっついたり離れたりしているうちに、ペアが変わってゆく。最後に「他人の妻」を看取ることになる。この物語には皮肉ともペーソスとも言えるようなものが混じっている。
飛び出して雨に打たれるキリギリス 笠嶋恵美子
右足を踏み出す老いたキリギリス 本多洋子
キリギリスの句を二句。さまざまなキリギリスがいる。
時は流れる 腕立て伏せは五十回 北田惟圭
腕立て伏せをしているあいだに時は流れるというのか。時の流れに逆らうように腕立て伏せをしているのか。一字あけの前後の微妙な取り合わせ・関係性がおもしろいと思った。
第一案は鞭打ち症になっている 進藤一車
跳び箱を下げよう柩の高さまで
批評性は川柳の持ち味のひとつである。
第一案はすでに首が回らない。
跳び箱をとぼうとしているのに、それは妙に柩に似ている。
紅葉流れる 悪の限りをつぶやいて 墨作二郎
絵日記に消えてしまった 捕虫網
流れてゆく時間。
紅葉の美に悪を取り合わせる。
少年の日の昆虫採集の記憶はすでに絵日記の彼方に去ってしまっている。
虚無的な顔で診察待っている 瀧正治
脱北の中にアンクルトムがいる
待合室で診察を待っているときの顔は確かに明るいものではないだろう。その一こまを捉えている。脱北者の中にアンクルトムがいた。時代が異なっているものを一句の中で結びつけているが、虐げられている両者の状況には通じるものがある。
宇宙まで飛んで行く気か石ころよ 壺内半酔
マクロの宇宙とミクロの石ころ。けれども、この石ころは大宇宙へまで飛んで行く気なのである。無頼派・半酔らしい句である。
鈴なりの柿は氏神さんやねえ きっと 畑山美幸
眼底はすでにいちずに桜葬 平賀胤壽
口語を生かした作品と、言葉の完成度の高い作品。
鈴なりの柿は氏神さんが姿を変えたものかもしれない。
「桜葬」という語は難解だが、死者は桜の樹の下で眠っているのだろう。
フィルムの片隅にある身の証し 前田芙巳代
屈辱は肩のあたりで暴発する
その人は屈辱に耐えているが、もう限界にきていて爆発しそうだ。怒っても何にもならないし、自分が損をするだけなのが分かっているのに暴発してしまうのだ。
「明暗」誌が終刊したあとも前田芙巳代は川柳各誌に投句、活躍を続けている。
広告のキリンの首は春の曲げ方 南野勝彦
アルプスの腰のくねりも春なんです 森田律子
春を迎える句を二句。
キリンの首にも「春の曲げ方」「秋の曲げ方」があるのだろうか。その句の前でちょっと立ち止まらせるような作品。
アルプスは山だと思ったが、選抜高校野球のスタンドかなとも読める。山と受け取る方がおもしろそうだ。
笑っていれば淀も桂も流れるわ 吉岡とみえ
笑っていれば淀川も桂川も流れていくのだという。毎日の生活の中では、いつも笑っていられるわけではないし、笑ったからといって川が流れるとも限らない。そんなことは承知のうえで、笑っているのがいいのだという心の姿勢を示す。自らに言い聞かせているのかも知れない。
君が代か君が代ソングか読唇せよ 渡辺隆夫
敬老日くらい働けお若けえの
最後に、現代川柳の諷刺性を代表する渡辺隆夫の句。一読明快である。