2013年1月4日金曜日

社会性と私性

新年おめでとうございます。今年も「週刊川柳時評」をよろしくお願いします。
干支にちなんで巳年の川柳をいろいろ調べてみた。こういう場合は、奥田白虎編『川柳歳時記』(創元社)が便利である。「蛇」の項から。

同じ蛇でも色が白いと拝まれる      吉下俊作
笛にまた騙されて出る壺の蛇       高杉鬼遊
花園で妻によく似た蛇がいた       天野堯旦
小さい蛇胸にうごめく君が笛        真弓明子
錦蛇十二単という動き            正木水客
蛇はおのれの長さを知らずして果てる    石川勝

次に『類題別・番傘川柳一万句集』(創元社)から。

寝たままの蛇へ見物不服なり      太門
まつられた蛇金網が気に入らず     紫水

「川柳塔」1月号の巻頭言で小島蘭幸が蛇の句をいくつか紹介している。その中で次の句が特におもしろかった。

むつかしいことしかしない蛇使い    中尾藻介

中尾藻介は「大阪市都島区に鳴るギター」などで知られる川柳人。
俳句では「蛇」は夏の季語だが、川柳では蛇自体よりも蛇使いとか蛇を見ている人が詠まれることが多く、擬人化されたり、エデンの園のイメージと重ねあわされたり、脱皮の連想から喩として詠まれることも多いようだ。

さて、年末年始にいただいた俳誌・川柳誌に触れながら、いくつか気になったことを書きとめておきたい。
俳誌「里」12月号の巻頭に「冬の星」10句(月野ぽぽな)が掲載されている。

   コネチカット銃乱射に倒れた子供たちの冥福を祈り
ぎしりぎしり山々哭きながら眠る
焼け跡のような心地よ冬の訃報
愛されぬ命は凶器より凶器
天狼のひかり幼き四肢ぬらす
いくたびも名を呼び冬の星増やす

10句のうち5句を引用した。詠まれている内容は前書きの通りで、月野ぽぽなはニューヨークにいて、これまでもハリケーンのことを詠むなど身近な事件を作品化しているらしい。この作品は同人欄「里程集」に投句されたものだが、これを巻頭に特別掲載することにしたのは発行人・島田牙城の判断である。島田は「困難な型といふこと ぽぽな作品に觸れて」で次のように書いている。

〈正直に言ふ。困難な道である。二十人の小さな命が無惨のも不條理に奪はれた、悲しいし、虚しい。その正直な気持を俳句にぶつけたい、ただそれだけでは、陳腐になる。哀しみを哀しみとして、虚しさを虚しさとして詠みたくなる事件は決して今回の銃乱射事件だけではない。たとへば、十二月二日に起きた笹子トンネルの事故にしても、怒りと哀しみに僕たちは包まれた。シリアでは今日も内戦で市民が命の危険にさらされ続けてゐる。どれだけ個別化できるのか、個別化するものは前書しかないのか、出来事としての個別化をしないのであれば、どこまで作者獨自の世界観に辿り着けるのか、その世界観に普遍性はあるのか、または普遍性を必要としないのか。里程集の投句を読んでゐて、原發のことや、身近には親族との死別や、作句契機だけを見ると掲載してあげたくなるものは多い。でも、思索・観照を経ない単なる吐露・報告に終はつてゐる作品が大半なものだから、これなら虚子の如く「詠むな」と命じるはうが楽だなとすら思ふこともある。隣の人と同じに悲しんでゐても、新聞報道と同じに怒つてゐても、それは俳句にはならない〉

島田の指摘は他所事ではない。「隣の人と同じに悲しんでいても、新聞報道と同じに怒っていても、それは川柳にはならない」と言えるからだ。

このこととは直接関係はないが、昨年いただいた俳句創作集に『いわきへ』(発行人・四ツ谷龍)がある。福島県いわき市の文化団体「プロジェクト傳」主催の「いわき市の文化財を学び、津波被災地を訪問するツアー」に参加した俳人たちの作品を冊子にまとめたもの。ツアーは2回開催され、第1回が2012年7月29・30日、第2回が2012年9月15・16日。「週刊俳句」にもレポートが掲載されていたからご覧になった方も多いことだろう。参加した俳人は、相子智恵・太田うさぎ・菊田一平・関悦史・鴇田智哉・宮本佳世乃・四ツ谷龍。作品そのものは引用しないが、まえがき「いわきへ」の次の一節は心をうつ。

〈われわれは、かならずしも現地で俳句を作ろうと思ってこの旅に参加したわけではありませんでした。被災地を題材にして俳句を製作するというようなことは、むしろ非常にむずかしいのではないかと、考えていたかもしれません。しかし、昼に被災地を自分たちの目で見て、その夜さまざまに語らう中で、参加者の一人が、「俳句を作ろう、お互いが作った句を交換しあおう」と提案したとき、それはやるべきことだと、全員が感じました〉

川柳誌に目を移すと、「杜人」236号の巻頭に湊圭史の〈「私たち」と「私」の間〉という文章が掲載されている。
湊は川柳と出会ってから3、4年の自己の体験を振り返りながら「セレクション柳人」・なかはられいこ・飯田良祐・六大家・時実新子・金築雨学などを引用し、結論的には次のように言う。

〈「私たち」と「私」のあわいに滲む世界の謎のようなもの、それが私にとっての川柳のいちばんの魅力な気がします〉

「私たち」(共感と普遍性)と「私」(私性)の間で川柳はどのような作品を生み出すことができるのか。六大家の作品が「私たち」の表現だとすれば、それを超克したはずの革新川柳における「私」の表現が現在の時点では古臭く見えてしまい、逆に六大家の軽さの方が現代的に思えるのはなぜか。これまで情報の共有に基づいた「私たち」のイメージで書かれていた時事川柳を、「私」に軸足を置いたものにすることは可能であるか。湊の問題意識は鋭い。

湊の文章は川柳を批評的に外から眺めているが、実作者は作品を書くことによって前へ進まないといけないから、問題は簡単ではない。
「杜人」の同じ号に佐藤みさ子の次の句が掲載されている。

どんぐりを拾う私を捨てながら    佐藤みさ子
落葉踏みながら私を消しながら

ここでは「私を捨てる」「私を消す」ということがテーマとなっている。
「私」の表現が日常生活の報告に終始したり、常識的な思いの吐露にすぎなかったりすることから、一歩踏み出そうとする意識が佐藤の作品には見られる。
また、加藤久子は「一句一遊」のコーナーで次の俳句を鑑賞している。

在りし日のわたくしといる春堤    増田まさみ

増田まさみ句集『ユキノチクモリ』に収録されている句である。この句に触れて加藤久子はこんなふうに書いている。

「小春日和の庭で草取りをしていた時、背中に陽が当たって気持ちよく、ふと時間と空間を忘れた。わたくしはどこにいるのだろう。例えば昔々のなつかしい歌をきいたり、日暮れの路地に漂う台所のにおいをかいだりした時に、一瞬タイムスリップすることはよくある。それとは別の、ふしぎな浮遊感だった。多分これは老いたという事なのだろうと愕然としながら、この句を思い出した」

増田の俳句に感応する加藤の感覚にも、「わたしはどこにいるのだろう」という「私性」の深化がうかがえる。

「里」12月号の「成分表」で上田信治は「世界があることとか自分が生きていることとかは、あまり自明なことではない」と述べ、しかし最後に「世界があることと自分が生きていることとは、一つのことなのだった」と書きとめている。

今年も短詩型文学のフィールドでは世界と私をめぐってさまざまな作品が書かれることだろう。どんな作品が生まれるのか期待したい。

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