秋になって虫の音が聞える季節になった。
近ごろはあまり書店で見かけなくなったが、保育社のカラーブックスが好きで、『カラー歳時記 虫』は中学生のころの私の愛読書だった。カラー写真がとらえた昆虫の姿と生態は美しかった。解説の文章は串田孫一。
俳諧と虫との関係は深い。たとえば横井也有の『鶉衣』に「百虫譜」という俳文がある。
虫は人にとって身近な存在であるだけに、親しみをもったり嫌いであったりする。昆虫好きと昆虫嫌いに分かれてしまうのだ。「虫けらのようなやつ」という蔑称もある。尾崎一雄の「虫のいろいろ」は私小説の名品であるが、蠅を描いた次の場面は忘れがたい。
「額にとまった一匹の蠅、そいつを追おうというはっきりした気持でもなく、私は眉をぐっとつり上げた。すると、きゅうに私の額で、騒ぎが起った。私のその動作によって額にできたしわが、蠅の足をしっかりとはさんでしまったのだ。蠅は、何本か知らぬが、とにかく足で私の額につながれ、むだに大げさに翅をぶんぶん言わせている。その狼狽のさまは手にとるごとくだ」
「私」はおもしろがって、この姿を家族や子供たちに見せびらかせる。みんな感心して笑い出すのだが、やがて「私」は不機嫌になって「もういい、あっちへ行け」とみんなに言うのである。尾崎の文章には余裕とユーモアがあり、同時に人の心の真実をとらえている。蠅で思い出したが、蠅を憎んだ作家に泉鏡花がおり、「蠅を憎む記」を書いている。
秋に鳴く虫といえば、川柳では岸本水府の次の句が有名である。
洛北の虫一千を聴いて寝る 岸本水府
水府の作品のベスト10を選ぶとすれば、この句を入れる川柳人は多いだろう。
昆虫の中でも甲虫が好きだとかトンボが得意だとか、それぞれの編愛する分野がある。手塚治虫はオサムシが好きでペンネームにしているのは有名な話である。手塚は宝塚の出身だが、近くの箕面は昆虫の宝庫で昆虫館もできている。
誰もが愛するのは蝶だろう。
手元にある高等学校の教科書のうち第一学習社の「現代文」の「短歌と俳句」の単元には「蝶」の項目があって、蝶を主題とした作品が集められている。五七五形式としては、次の作品が掲載されている。
恋文をひらく速さで蝶が湧く 大西泰世
ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう 折笠美秋
高々と蝶こゆる谷の深さかな 原石鼎
蝶々のもの食ふ音の静かさよ 高浜虚子
大西泰世は川柳人なので、この教科書に最初に掲載されたときは俳人扱いされて物議をかもしたが、今は訂正されて作者解説から「俳人」という言葉は削られている。
ここで不意に三橋敏雄のことを思い出すのは、人が体内に飼う一匹の虫のことを思うからである。「川柳カード」創刊記念大会の対談で、池田澄子が三橋について語るのを聞いた。その二週間後、京都の「醍醐会」で永末恵子が三橋の話をするのを聞いた。ともに優れた表現者がとらえた三橋像であったが、微妙に違うところがあった。それで、最近出たという話題の三橋敏雄伝を書店で探したが見つけることができなかった。本当に欲しい本には出会うことが出来ない。
さて、川柳人の中で昆虫好きといえば、高知の古谷恭一であろう。『現代川柳の精鋭たち』で古谷はこんなふうに書いている。
「私の少年期の趣味は蝶の採集であって、なかでもアサギマダラの群舞には目を見張ったものである。今でも飛んでいる蝶を見ると捕らえてみたくなる衝動がある」
そのころはまだ古谷恭一に会ったこともなかったので、こんな人がいるんだと印象に残った。のちに、古谷恭一とは何度か酒を酌み交わす機会があったが、私がこの人に親しみを感じるのは酒だけではなくて蝶なのである。
いつまでも青い痕跡捕虫網 古谷恭一
相伝というほどもなしトンボ釣り
少年の遺体はるかなモルフォ蝶
蝶の翳 貌半分を焼き尽くす
斑猫のほほほと笑う行方かな
斑猫(はんみょう)は山道などでよく出会う甲虫である。人が歩いてゆくにつれて前方に飛んでゆくので、俳句では「道おしえ」などと呼ばれる。一歩先を行きながらつかまえることができない存在が女のイメージと重ねられている。
北杜夫の『どくとるマンボウ昆虫記』は私のかつての愛読書であった。その末尾はこんなふうに締めくくられている。
ところで私はといえば、たしかに虫たちを好きではあったが、別段それによってなんのサトリをひらいたわけでもなく、人に語るべきものはなにもない。しいていえばただひとつ、たとえ人から「あいつはムシケラのような奴だ」と悪罵されようとも、私はにっこり微笑できようというものだ。
中学生だった私はこの部分に赤鉛筆で太い線を引いたのだった。その赤い線はいまも私の書架に飾られている同書にはっきりと残っているはずである。
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