ベースを共有しながら他者と出会うということが文芸にとって有効であり、刺激的なことでもあろう。そのような他者として、例えば川柳にとっての俳句とか、俳句にとっての短歌とかいう日本文学内部のジャンルが考えられるが、外国語・外国文学との出会いも忘れてはならないことだろう。俳句なら俳句という固有のジャンルが世界文学のなかでどのような普遍性をもっているかが問われるからである。
「現代詩手帖」2月号の特集は「トーマス・トランストロンメルの世界」で、昨年ノーベル文学賞を受賞したスウェーデンの詩人を取り上げている。この詩人は「俳句詩」の書き手としてもよく知られている。
送電線
厳寒の王国の上にのび
あらゆる調べの北にあり
彼の詩集『悲しみのゴンドラ』(思潮社)の増補版もいま書店の店頭に並んでいる。
さて、連句の世界にも国際連句の動きがあって、昨年10月に開催された「国民文化祭・京都」では国際連句の座が2座設けられた。
次に紹介するのは鈴木了斎・捌きの座で巻かれた作品である(『第26回国民文化祭・京都2011連句の祭典・作品集』による)。
the begger
stretches out his hand
among golden leaves / Kai FALKMAN
夜露を集め流れゆく川 鈴木了斎
阿舎の月影多に溢るらん 平林柳下
In front of the alcove
I place a silk cushion / Allen LEVINS
シャム猫に狂四郎てふ名を付けて 星野焱
老鶯がふいに鳴き出し 浅賀丁那
ここでは英語で作句する連衆2人、日本語で作句する連衆が4人、計6人で「十二調」という形式で連句を巻いている。掲出したのはその前半部分。カイ・ファルクマンはスウェーデン俳句協会の会長である。ノーベル賞設立110周年を記念して、東京のスウェーデン大使館内に「アルフレッド・ノーベル記念講堂」が作られたそうで、カイはそこでトランストロンメルの俳句について講演するために来日したということだ。「現代詩手帖」の特集にも彼は寄稿している(後述)。ここではスウェーデン語ではなく、英語で作句している。
アレン・ルヴァインズはアメリカから参加。国民文化祭・前夜祭のアトラクションで連句をベースとするパフォーマンスにピアニストとして出演した。連句・俳句の創作もする人である。
当日はもう1座、連句の座が設けられ、こちらの方は日本語・中国語・英語・スペイン語の四カ国連句である。
ケルアックの墓で句を読み麦酒飲み
昼下がりまで三線を抱く
凪を待つ海をへだてる恋心
青春枯れて元情人の夢
胃を切って癌と生きるも与話情
今日は神社に明日はお寺に
Jack Kerouac’s gravesite /reading his haikus /we all drink beer
holding a Sanshin /until aftarnoon
waiting for the calm /the loving hearts/separated by the sea
young spirits weither away /dreams of last laver
stmach cut/living with cancer/Worldly Empathy
today at the shrine/tomorrow at the temple
凱羅阿克墓前立、辺念俳句喝啤酒
猶抱三弦響午後
且待風平浪静時、隔海相望恋人心
春光漸老離人夢
胃癌切除後、共生「与話情」
今住神社明宿寺
スペイン語版は省略するが、オリジナルの四カ国版で示すと次のようになる。
Jack Kerouac’s gravesite /reading his haikus /we all drink beer ラファエル・デグルトラ
昼下がりまで三線を抱く 井尻香代子
凪を待つ海をへだてる恋心 近藤蕉肝
春光漸老離人夢 鄭民欽
胃を切って癌と生きるも与話情 竹内茂翁
Hoy el hotel es templo. / Manana hotel templo. アウレリオ・アシアイン
スペイン語のマニャーナという単語はパソコンではうまく出ないが、了解されたい。連衆のうちラファエルはボストンから(ボストン俳句協会会長)、鄭民欽は北京から参加(北京工業大学教授)。アウレリオは京都在住のメキシコ人である(関西外国語大学教授)。オクタビオ・パスの国際連句は比較的知られているが、アウレリオはパスの主宰していた雑誌の編集長をしていた人。
ラファエルの付句に出てくるジャック・ケルアックはビート・ジェネレーションの作家で、『路上』は日本でもよく読まれている。彼は俳句や禅にも関心をもっていた。
捌き手の近藤蕉肝は前掲の「現代詩手帖」の特集のうちカイ・ファルクマン「日本のトランストロンメル」を訳している。カイは次のように書いている。
〈 彼のノーベル賞受賞理由に俳句が含まれていないのは何故かという質問に答えるために、私は選考委員会の「『徐々に小さくなる形式と徐々に深まっていく集中度』へ限りなく近づいて行く傾向がある」という表現を引用した。しかしこれは彼の俳句以外の詩にも当てはまることだ。 〉
R・Hブライスの『世界の風刺詩川柳』以来、川柳も英訳されているが、国際川柳という話はあまり聞かない。かつて近藤蕉肝に「外国語に訳された場合でも失われることがない川柳のエッセンスは何ですか」と問われたことがある。答えにくい問いではあるが、あえて答えるとすれば、批評性とかアイロニーということになるだろう。日本語によって成立している詩形が他の言語と出会い、世界文学のレベルで問い直されるとき、失われるものと残るものとがある。そのとき残るものだけがエッセンスだとも言い切れないと私は思うが、それにしても川柳のエッセンスとは何だろう。
*トランストロンメルのトランはスウェーデン語で鶴、ストロンメルは小川、流れという意味らしい。即ち、鶴川さんである。
2012年2月24日金曜日
2012年2月17日金曜日
石部明は終らない―読みの諸相
今回は1・2月に送っていただいた川柳誌の中から3誌を紹介する。川柳の世界に大きな変化が見られるわけではないが、それぞれのグループが来るべき新しい波を予感しながら胎動をはじめている気配が感じられる。
まず「BSおかやま句会―Field」21号。
「BSおかやま句会」は従来から活動していたが、昨年終刊した「バックストローク」のあとを受けて会誌を充実・刷新し、隔月刊として再スタートするようだ。
石部明の巻頭言に次のようにある。
「『BSおかやま句会』は隔月開催である。その句会報を、21号をもって『BSおかやま句会―Field』とし、誌の体裁と内容の刷新を図ることにした。会員制によって、隔月句会をさらに活性化し、作品発表の場と、作品批評、評論にも力を注ぎ、特に『読み』に重点を置いている本句会の考えを誌面にも反映させていきたい」
会員作品をいくつか紹介する。
傾けた本から滴り落ちる湖 悠とし子
胃の奥の金環食を弄ぶ 滋野さち
空き部屋へ時どき猫と灯をともす 江尻容子
まぼろしのくせにきわどいことを言う きりのきりこ
あらぬこと思って壺を覗き込む 松原典子
白くなり賢くなりもう捨てられる 柴田夕起子
現像液ぼんやり浮いてきたあなた 草地豊子
ハト時計わが家の王位継承権 前田一石
星のかけらか馬小屋の戸がきしむ 石部明
「読み」に重点を置き、誌面に反映させたい、と石部明は言う。その具体的実践として、石部は「作品を読む」を掲載している。たとえば、悠とし子の「傾けた…」の句について、石部はこんなふうに書いている。
「ことばには、日常あり得ない光景を可能にし、世界を表出させる便利さ、自由さがある。たとえば『傾けた』は湖が『滴り落ちる』ための仕掛けになる。『本から滴り落ちる湖』はあり得ない光景だが、あるはずのないものが不意に現れるシュールレアリズムの迫力とか衝撃とは少し違う。悠とし子の、本を読みながらまどろみの世界へしずんでゆくような心地よさが、日常と地続きの『滴り落ちる湖』なのだろう」
このような調子で石部は会員作品の読みを続けてゆく。7ページに渡るその手つきは自在であり、「バックストローク」の「ウインドノーツ」評を書いていたときより、心もち生き生きとしているようだ。
本誌に参加している会員の受け止め方を代表して、草地豊子が「一両のディーゼル車」という文章を書いている。
「『バックストローク』は昨年11月25日36号を後に銀河鉄道の向こうに消えた。そして、一両だけの車両が残された。『BSおかやま句会』である。30人足らずの仲間たちだ。誰も閉じようとは言わなかった。『BSおかやま―Field』とちょっとおめかしをした。自動ドアから新しい仲間が乗り込んで下さった。不安を乗せつつ、年6回『誌』を出す運びとなった」
4月14日(土)には「Field」の主催で「第5回BSおかやま川柳大会」が開催されることになっている。
高知から発行されている「川柳木馬」131号。
巻頭言で清水かおりは創刊以来の木馬作品を振り返っている。
多情狸は花の言葉を聴き洩らす 海地大破 (1979年)
多情狸の深い吐息は落丁で 海地大破
切り株のひとつに悔を残す斧 北村泰章
はらわたのように運河も飢えている 古谷恭一
骨のない魚影巷を漂えり 西川富恵 (1989年)
ふがいない男でござる蟹の泡 古谷恭一
包帯を解いて迷宮入り決まる 西川富恵 (1999年)
蚯蚓腫れした肉塊を呉れてやる 古谷恭一
そして、清水は昭和54年(1979)の句は「個人の価値観を見出そうとする作品」、昭和64年(1989)は「バブル社会の匂い」、1999年は「やや厭世的」と評している。もちろん、これは時代の変遷と同時に作家の年齢変化とも関係があると断ったうえで、清水は「今、私たちは自分が書ける精一杯の作品と格闘するだけなのだ」と述べている。
「川柳木馬」には従来、「作家群像」というコーナーがあったが、本号から「文芸の空」という新企画がスタート。セレクション柳人『松永千秋集』について、小池正博と内田万貴が句集評を書いている。
おとうとが知ってる蝉の誕生日 松永千秋
兄ちゃんは鞍馬天狗を待っている
一族はカバであることひた隠す
すんなりと姉の言葉で返事する
お父さん今も柱の疵ですか
これらの句について、内田はこんなふうに述べている。
「家族、家をテーマにした作品は松永千秋の資質を存分に発揮している。読者にはすでに周りの田園風景や大きな廂の古民家、納屋や土間といったセットが構えられていて、それはぼんやりとした薄暗がりである。一方、人物たちは平明な言葉で描かれている分、いきいきとして、妙に懐かしく、可笑し味もあり、土着の力強さを感じる。山田洋次監督の映画の一コマを見ている感覚だ」
これを機会に、松永千秋の作品が改めて読まれることを期待したい。
あと、「前号句評」のコーナーに、きゅういちが「絵画とイラストと漫画の差ってなんやろ?」という文章を書いている。ただし、このタイトルと句評の中身とは直接関係はない。句評の量は7ページに及んでいる。
青森から発行されている「触光」26号。編集発行人・野沢省悟のインタビューが掲載されている。「川柳は刹那の文学 今の瞬間を描きたい」というのが野沢の川柳観である。野沢はこんなふうに言う。
「言葉が先行している川柳を作っているグループがありますが、川柳はもっと泥臭いものだと思いますね。川柳は今の瞬間を描いていくべきです。川柳は刹那の文学と言って叱られましたが、現在でもその思いは変わっていません。後世に残る句を作ろう、という考えは好きではありませんね」
私は『蕩尽の文芸』で川柳を「蕩尽の文芸」「消える文芸」と述べたことがあるが、野沢の川柳観はそれと一部重なりながら、大きく異なるところがあるように思う。
「触光」は時事川柳にも力を入れていて、「触光的時事川柳」のコーナーを渡辺隆夫が担当している。
ブータンの蝶が置いてく試供品 勝又明城
この句について渡辺は次のように書いている。
「ブータン国王夫妻のさわやかな来日に心洗われた。若い二人が、本当の幸福とは何かを示す試供品のように、蝶のごとく、舞った。本国では、きっと、ブータンシボリアゲハが二人の帰りを待っているだろう」
一方で渡辺は会員作品として次の句を掲載している。
江の島の裸弁天友の会 渡辺隆夫
ニコニコと恵比寿がビール提げてくる
弁天のくねくね踊り最高潮
棒立ちの六福神らほぼ失神
今年も結婚しそうにない弁天
まことに川柳作品も川柳の読みも幅広いものである。
まず「BSおかやま句会―Field」21号。
「BSおかやま句会」は従来から活動していたが、昨年終刊した「バックストローク」のあとを受けて会誌を充実・刷新し、隔月刊として再スタートするようだ。
石部明の巻頭言に次のようにある。
「『BSおかやま句会』は隔月開催である。その句会報を、21号をもって『BSおかやま句会―Field』とし、誌の体裁と内容の刷新を図ることにした。会員制によって、隔月句会をさらに活性化し、作品発表の場と、作品批評、評論にも力を注ぎ、特に『読み』に重点を置いている本句会の考えを誌面にも反映させていきたい」
会員作品をいくつか紹介する。
傾けた本から滴り落ちる湖 悠とし子
胃の奥の金環食を弄ぶ 滋野さち
空き部屋へ時どき猫と灯をともす 江尻容子
まぼろしのくせにきわどいことを言う きりのきりこ
あらぬこと思って壺を覗き込む 松原典子
白くなり賢くなりもう捨てられる 柴田夕起子
現像液ぼんやり浮いてきたあなた 草地豊子
ハト時計わが家の王位継承権 前田一石
星のかけらか馬小屋の戸がきしむ 石部明
「読み」に重点を置き、誌面に反映させたい、と石部明は言う。その具体的実践として、石部は「作品を読む」を掲載している。たとえば、悠とし子の「傾けた…」の句について、石部はこんなふうに書いている。
「ことばには、日常あり得ない光景を可能にし、世界を表出させる便利さ、自由さがある。たとえば『傾けた』は湖が『滴り落ちる』ための仕掛けになる。『本から滴り落ちる湖』はあり得ない光景だが、あるはずのないものが不意に現れるシュールレアリズムの迫力とか衝撃とは少し違う。悠とし子の、本を読みながらまどろみの世界へしずんでゆくような心地よさが、日常と地続きの『滴り落ちる湖』なのだろう」
このような調子で石部は会員作品の読みを続けてゆく。7ページに渡るその手つきは自在であり、「バックストローク」の「ウインドノーツ」評を書いていたときより、心もち生き生きとしているようだ。
本誌に参加している会員の受け止め方を代表して、草地豊子が「一両のディーゼル車」という文章を書いている。
「『バックストローク』は昨年11月25日36号を後に銀河鉄道の向こうに消えた。そして、一両だけの車両が残された。『BSおかやま句会』である。30人足らずの仲間たちだ。誰も閉じようとは言わなかった。『BSおかやま―Field』とちょっとおめかしをした。自動ドアから新しい仲間が乗り込んで下さった。不安を乗せつつ、年6回『誌』を出す運びとなった」
4月14日(土)には「Field」の主催で「第5回BSおかやま川柳大会」が開催されることになっている。
高知から発行されている「川柳木馬」131号。
巻頭言で清水かおりは創刊以来の木馬作品を振り返っている。
多情狸は花の言葉を聴き洩らす 海地大破 (1979年)
多情狸の深い吐息は落丁で 海地大破
切り株のひとつに悔を残す斧 北村泰章
はらわたのように運河も飢えている 古谷恭一
骨のない魚影巷を漂えり 西川富恵 (1989年)
ふがいない男でござる蟹の泡 古谷恭一
包帯を解いて迷宮入り決まる 西川富恵 (1999年)
蚯蚓腫れした肉塊を呉れてやる 古谷恭一
そして、清水は昭和54年(1979)の句は「個人の価値観を見出そうとする作品」、昭和64年(1989)は「バブル社会の匂い」、1999年は「やや厭世的」と評している。もちろん、これは時代の変遷と同時に作家の年齢変化とも関係があると断ったうえで、清水は「今、私たちは自分が書ける精一杯の作品と格闘するだけなのだ」と述べている。
「川柳木馬」には従来、「作家群像」というコーナーがあったが、本号から「文芸の空」という新企画がスタート。セレクション柳人『松永千秋集』について、小池正博と内田万貴が句集評を書いている。
おとうとが知ってる蝉の誕生日 松永千秋
兄ちゃんは鞍馬天狗を待っている
一族はカバであることひた隠す
すんなりと姉の言葉で返事する
お父さん今も柱の疵ですか
これらの句について、内田はこんなふうに述べている。
「家族、家をテーマにした作品は松永千秋の資質を存分に発揮している。読者にはすでに周りの田園風景や大きな廂の古民家、納屋や土間といったセットが構えられていて、それはぼんやりとした薄暗がりである。一方、人物たちは平明な言葉で描かれている分、いきいきとして、妙に懐かしく、可笑し味もあり、土着の力強さを感じる。山田洋次監督の映画の一コマを見ている感覚だ」
これを機会に、松永千秋の作品が改めて読まれることを期待したい。
あと、「前号句評」のコーナーに、きゅういちが「絵画とイラストと漫画の差ってなんやろ?」という文章を書いている。ただし、このタイトルと句評の中身とは直接関係はない。句評の量は7ページに及んでいる。
青森から発行されている「触光」26号。編集発行人・野沢省悟のインタビューが掲載されている。「川柳は刹那の文学 今の瞬間を描きたい」というのが野沢の川柳観である。野沢はこんなふうに言う。
「言葉が先行している川柳を作っているグループがありますが、川柳はもっと泥臭いものだと思いますね。川柳は今の瞬間を描いていくべきです。川柳は刹那の文学と言って叱られましたが、現在でもその思いは変わっていません。後世に残る句を作ろう、という考えは好きではありませんね」
私は『蕩尽の文芸』で川柳を「蕩尽の文芸」「消える文芸」と述べたことがあるが、野沢の川柳観はそれと一部重なりながら、大きく異なるところがあるように思う。
「触光」は時事川柳にも力を入れていて、「触光的時事川柳」のコーナーを渡辺隆夫が担当している。
ブータンの蝶が置いてく試供品 勝又明城
この句について渡辺は次のように書いている。
「ブータン国王夫妻のさわやかな来日に心洗われた。若い二人が、本当の幸福とは何かを示す試供品のように、蝶のごとく、舞った。本国では、きっと、ブータンシボリアゲハが二人の帰りを待っているだろう」
一方で渡辺は会員作品として次の句を掲載している。
江の島の裸弁天友の会 渡辺隆夫
ニコニコと恵比寿がビール提げてくる
弁天のくねくね踊り最高潮
棒立ちの六福神らほぼ失神
今年も結婚しそうにない弁天
まことに川柳作品も川柳の読みも幅広いものである。
2012年2月10日金曜日
「写生」と「ノイズ」
2月4日(土)に京都私学会館で「愛媛大学写生・写生文研究会」が開催された。
この研究会は愛媛大学教授の佐藤栄作氏が主催し、「役割語」の視点から写生文・写生を研究しようとするものらしい。「役割語」とは金水敏氏が提唱したもので、話者の特定の人物像を想起させる言葉づかいを言うようだ。オネエ言葉やキャラ言語などが含まれるが、これと写生との関係は不明。当日の研究会には俳人・歌人・川柳人などが参加し、活気に満ちたものとなった。
基調報告の竹中宏は個々の写生句ではなくて、その根源にあるものを見すえた報告を行った。竹中は「個々の俳人の具体例を分析していくことにはそれほど興味を感じない、それでは『木を見て森を見ない』ことになってしまう」と述べたあと、波多野爽波の句集『舗道の花』の扉にある「写生の世界は自由闊達の世界である」という言葉を引用した。写生はものを写すのではなくて「自由闊達」な感覚であるということだが、一方で「自由闊達でない俳句」があることが意識されている。逆に言えば「写生でない俳句」では自由闊達は実現できないことになる。「写生でない俳句」(反写生)としてまず思い浮かぶのは、水原秋桜子の「自然の真と文芸上の真」である。人間が自らの意識を自覚的に運用していくという方向とは別に、自己を外の世界に解き放ってゆく感覚を写生派の人々は感じていたのではないかと竹中は言う。
外界は人間の思っているようには動いていない。その外界を閉ざして自閉的な世界を確立することが自由なのかどうかというのが竹中の問題提起である。人間は見たいようにしか外界を見ていない。
また彼は「写生は俳句自体の問題ではなくて、俳句が俳句になる境界のところで生まれる論題」とも述べた。
竹中の基調報告を受けて、パネラーの岩城久治は「写生という言葉がいけなかったのではないか」と述べた。
中田剛は「写生」と「写実」の違いについて述べ、「掴みだしてきたものを言葉で構成する過程があるのではないか」と指摘した。それに対して、竹中は「私が言ったのは創作過程の一歩手前の問題」であり、「写生体験」はそれを現実化していく「言語体験」の中で裏切られてゆくことがあると語った。混沌とした創作体験を語る場合に、「写生体験」と「言語体験」の二段階に分けて説明するのはわかりやすいが、実際には両者は混沌として同時進行するのではないかと思ったりした。
関悦史は竹中の基調報告を受けて、「自分の言いたいことを言おうとするとみんな同じになる。言いたいことを抑圧することによって逆にその作家性が立ち上がってくる」と述べた。
パネラーの実作体験を踏まえた発言はそれぞれ刺激的なものであった。
事前にもらった資料の中で竹中宏は「ノイズ」について書いている(「俳句界」2007年11月号)。
ある合評会で俳人が「すくなくとも、これは写生的といえない。写生には、もっとノイズがふくまれているはずだ」と発言したことに触れて、次のように述べている。
「生きている世界は、無数の生きている事象の巨大な集合であり、事物はそれぞれが生きていることの気配を発散しているのだから、世界はふかいざわめきのもとにある。生きていることのざわめきは、これを今日ふうにいえば、抽象化と数理化の支配にあらがうノイズとして、世界にみちていて、事物から削ぎおとせば、ただの静物だけが残ることになる。写生は、事物を、その内部に包蔵され、表面に滲出し、周囲からそれをくるみこんでいるノイズの網目ごと、そっくりとらえたいのだ」
川柳では「写生」ということはあまり言わない。
もちろん「写生」を唱えた個々の川柳人は存在しており、浅井五葉などの名が思い浮かぶ。
大仏の鐘杉を抜け杉を抜け 五葉
けれども、「写生」の主張が川柳界全体を覆うことはなかったし、論として深められたこともなかった。
もともと、川柳は第三者の立場から社会や人間を風刺するもので、その傍観者性は漱石の「非人情」「余裕派」に通じるところがある。
水原秋桜子の「自然の真と文芸上の真」について言えば、「文芸上の真」の方に共感する川柳人は多いだろう。大多数の川柳は日常的トリヴィアリズムの次元にとどまっているので、そこから抜け出るためには秋桜子の「文芸上の真」は今でも有効なのだ。秋桜子は理想的に構成する世界で、写生とははっきり違う。秋桜子の句集『葛飾』の序に「自己の心を無にして自然に忠実ならんとする態度」「自然を尊びつつも尚お自己の心に愛着をもつ態度」の二つについて、秋桜子は第二の態度をとると述べている。問題は「自己の心」からどのように次に進むかということだろう。
竹中宏の資料として事前に配布された文章に「写生不快」(「青」253号、昭和50年10月号)がある。そこではこんなふうに書かれていた。
「現実にわれわれは、事物や世界のありようについて、あらかじめなんらかの解釈をもったうえで、その既成の解釈の眼鏡をとおして、事物や世界にふれているのだが、写生は、この眼鏡を破砕し、その裂けめから、裸形の存在がつきでる」
その通りだと思われるけれども、川柳の場合は「眼鏡」そのもののおもしろさを生命とするところがある。もちろん常識的解釈という眼鏡はつまらないが、世界に対する独自のものの見方は、レンズが屈折しているからこそ、ユニークな世界を立ち上がらせることがある。いわゆる「川柳眼」である。
当日の竹中宏の発言のひとつに「ことばが『私』の外に半分出てくれるかどうか」というのがあった。竹中は本質的なことしか語らなかったのであり、語りえないものを語ろうとしていた。そのことがとても印象的だった。世界を見る独自の眼をもちながらノイズをもキャッチする方途があるだろうか、そんなことを考えた。
この研究会は愛媛大学教授の佐藤栄作氏が主催し、「役割語」の視点から写生文・写生を研究しようとするものらしい。「役割語」とは金水敏氏が提唱したもので、話者の特定の人物像を想起させる言葉づかいを言うようだ。オネエ言葉やキャラ言語などが含まれるが、これと写生との関係は不明。当日の研究会には俳人・歌人・川柳人などが参加し、活気に満ちたものとなった。
基調報告の竹中宏は個々の写生句ではなくて、その根源にあるものを見すえた報告を行った。竹中は「個々の俳人の具体例を分析していくことにはそれほど興味を感じない、それでは『木を見て森を見ない』ことになってしまう」と述べたあと、波多野爽波の句集『舗道の花』の扉にある「写生の世界は自由闊達の世界である」という言葉を引用した。写生はものを写すのではなくて「自由闊達」な感覚であるということだが、一方で「自由闊達でない俳句」があることが意識されている。逆に言えば「写生でない俳句」では自由闊達は実現できないことになる。「写生でない俳句」(反写生)としてまず思い浮かぶのは、水原秋桜子の「自然の真と文芸上の真」である。人間が自らの意識を自覚的に運用していくという方向とは別に、自己を外の世界に解き放ってゆく感覚を写生派の人々は感じていたのではないかと竹中は言う。
外界は人間の思っているようには動いていない。その外界を閉ざして自閉的な世界を確立することが自由なのかどうかというのが竹中の問題提起である。人間は見たいようにしか外界を見ていない。
また彼は「写生は俳句自体の問題ではなくて、俳句が俳句になる境界のところで生まれる論題」とも述べた。
竹中の基調報告を受けて、パネラーの岩城久治は「写生という言葉がいけなかったのではないか」と述べた。
中田剛は「写生」と「写実」の違いについて述べ、「掴みだしてきたものを言葉で構成する過程があるのではないか」と指摘した。それに対して、竹中は「私が言ったのは創作過程の一歩手前の問題」であり、「写生体験」はそれを現実化していく「言語体験」の中で裏切られてゆくことがあると語った。混沌とした創作体験を語る場合に、「写生体験」と「言語体験」の二段階に分けて説明するのはわかりやすいが、実際には両者は混沌として同時進行するのではないかと思ったりした。
関悦史は竹中の基調報告を受けて、「自分の言いたいことを言おうとするとみんな同じになる。言いたいことを抑圧することによって逆にその作家性が立ち上がってくる」と述べた。
パネラーの実作体験を踏まえた発言はそれぞれ刺激的なものであった。
事前にもらった資料の中で竹中宏は「ノイズ」について書いている(「俳句界」2007年11月号)。
ある合評会で俳人が「すくなくとも、これは写生的といえない。写生には、もっとノイズがふくまれているはずだ」と発言したことに触れて、次のように述べている。
「生きている世界は、無数の生きている事象の巨大な集合であり、事物はそれぞれが生きていることの気配を発散しているのだから、世界はふかいざわめきのもとにある。生きていることのざわめきは、これを今日ふうにいえば、抽象化と数理化の支配にあらがうノイズとして、世界にみちていて、事物から削ぎおとせば、ただの静物だけが残ることになる。写生は、事物を、その内部に包蔵され、表面に滲出し、周囲からそれをくるみこんでいるノイズの網目ごと、そっくりとらえたいのだ」
川柳では「写生」ということはあまり言わない。
もちろん「写生」を唱えた個々の川柳人は存在しており、浅井五葉などの名が思い浮かぶ。
大仏の鐘杉を抜け杉を抜け 五葉
けれども、「写生」の主張が川柳界全体を覆うことはなかったし、論として深められたこともなかった。
もともと、川柳は第三者の立場から社会や人間を風刺するもので、その傍観者性は漱石の「非人情」「余裕派」に通じるところがある。
水原秋桜子の「自然の真と文芸上の真」について言えば、「文芸上の真」の方に共感する川柳人は多いだろう。大多数の川柳は日常的トリヴィアリズムの次元にとどまっているので、そこから抜け出るためには秋桜子の「文芸上の真」は今でも有効なのだ。秋桜子は理想的に構成する世界で、写生とははっきり違う。秋桜子の句集『葛飾』の序に「自己の心を無にして自然に忠実ならんとする態度」「自然を尊びつつも尚お自己の心に愛着をもつ態度」の二つについて、秋桜子は第二の態度をとると述べている。問題は「自己の心」からどのように次に進むかということだろう。
竹中宏の資料として事前に配布された文章に「写生不快」(「青」253号、昭和50年10月号)がある。そこではこんなふうに書かれていた。
「現実にわれわれは、事物や世界のありようについて、あらかじめなんらかの解釈をもったうえで、その既成の解釈の眼鏡をとおして、事物や世界にふれているのだが、写生は、この眼鏡を破砕し、その裂けめから、裸形の存在がつきでる」
その通りだと思われるけれども、川柳の場合は「眼鏡」そのもののおもしろさを生命とするところがある。もちろん常識的解釈という眼鏡はつまらないが、世界に対する独自のものの見方は、レンズが屈折しているからこそ、ユニークな世界を立ち上がらせることがある。いわゆる「川柳眼」である。
当日の竹中宏の発言のひとつに「ことばが『私』の外に半分出てくれるかどうか」というのがあった。竹中は本質的なことしか語らなかったのであり、語りえないものを語ろうとしていた。そのことがとても印象的だった。世界を見る独自の眼をもちながらノイズをもキャッチする方途があるだろうか、そんなことを考えた。
2012年2月3日金曜日
「生きること」と「残ること」―「井泉」1月号から―
今回は短歌誌「井泉」43号(2012年1月)を紹介する。井泉短歌会は名古屋に発行所をおき(編集発行人・竹村紀年子)、春日井建の流れをくむ短歌会である。短詩型の他ジャンルにも好意的で、毎号巻頭の「招待席」には短歌以外に俳句や現代詩などの作品が掲載されている。川柳もときどき招待作品として掲載されるのが注目される。また評論のテーマ設定が興味深く、数号に渡って連続してひとつのテーマを追求し、多彩な論者によってさまざまな角度から論じられている。
「リレー評論」のテーマは昨年、「短歌の『修辞レベルでの武装解除』を考える」だったが、今号から「短歌は生き残ることができるか」に変わった。加藤治郎・彦坂美喜子・山下好美の三人がこのテーマに取り組んでいる。
加藤治郎は伊藤左千夫の「牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる」を引きながら、短歌は新しい担い手と「場」を獲得してきたから生き残ったと述べている。そして、新聞歌壇から電子・ネット化、ケータイ短歌などへの大きな変化の波に触れながら、「場」の変化とともに作品の変貌は避けられないことを指摘している。
山下好美は短歌を受容する共同体の問題に触れ、世代によって属している共同体が異なることで、お互いの短歌が解らなくなっていると述べている。「結社」「同人誌」「インターネット」「個人誌」などしれぞれの共同体があり、世代の差は共同体を喪失させるほど大きくなっているというのだ。
彦坂美喜子は「生きること」と「残ること」とを区別しながら、こんなふうに述べている。
「短歌が生き残るとは、ただ残るということとは違うのではないか。ただ残るということだけなら、古典のように、伝統的技芸のように残ることはある。しかし、生き残るというとき、短歌は時代の表現として活き活きと時代と拮抗している必要があるだろう。生きるということは、表現の問題であり、残るということはシステムの問題ではないか、ふとそんなことを考えた」
「生きるということ」は表現の問題、「残るということ」はシステムの問題というのは明快な認識である。
川柳の場合でも、川柳は常に時代の新しい表現でなければならないとはよく聞かれる言葉である。ただ、その新しさというものが、流行の言葉や時事的な話題をいち早く句に取り入れるという表層的なレベルにとどまっていることが多く、時代と切り結ぶような本質的な新しさにはめったにお目にかかれない。
システムの問題については、句会システム・新聞柳壇システム・大会システムがそれなりに確立していて、大会動員数も多い。けれども、若い世代の川柳人が一握りしか存在しないので、世代の差による共同体の差というようなものはない。古い共同体が残存するだけで、そのような共同体が高齢化によって崩壊するのは時間の問題だろう。ネット川柳とかケータイ川柳という話も聞かないから、「場」の変質についてもよその話のようだ。歌人の小高賢は高齢者短歌の可能性について、老齢によって短歌作品が訳のわからぬおもしろさに至るケースがあることを指摘しているが、川柳の場合も高齢者川柳の可能性に期待するしかないのかも知れない。
川柳人にとってシステムの問題はけっこう重要なものである。従来の句会システムだけではたぶん川柳はもたない。句集・アンソロジー・批評という他ジャンルでは当然行われているシステムを整備することが必要であり、表現に専念するだけで事足りるというものでもない。
ところで、「表現」の問題について、彦坂は次のように書いている。
「私が考える『短歌が生きる』ということは、作品自体に相反するものを同時に抱え込んでいること。例えば、一般的な価値観と、それを越えようとするものを同時に内包している作品。意味でありながら、同時にノイズでもあることを意図している作品。表現自体が肯定と否定を内在させながら絶えず動いているもの。消費されることを求めながら消費されることを拒むところを持つもの。このような矛盾を抱え持つ表現が、多分今を生きるということと繋がっているのではないか。時代のなかで絶えず自己矛盾にむきあい表現を求めて動き続けているとき、短歌は生きていると言えるように思う」
このような作品を実現するのは至難の業だろうが、特に川柳では難しい。
一般的な価値観にアンチを唱えることは川柳の得意とするところだが、一般的な価値観とその超克を同時に含むことは難しい。消費―非消費についても、「消費」が商品化のことを言うならば、川柳作品にはそもそも市場価値はないのである。
けれども、彦坂のいう「意味でありながらノイズでもある作品」には心ひかれる。それは一句のなかに計算されたノイズを取り入れるということではないだろう。まだ見ぬ川柳の書き手が現れるまで、なお時間がかかりそうだ。
「井泉」の連載で楽しみにしているのは、喜多昭夫の「ガールズ・ポエトリーの現在」である。前号では雪舟えまの歌集『たんぽるぽる』が取り上げられ、今号では御中虫の句集『おまへの倫理崩すためなら何度でも車椅子奪ふぜ』が俎上に上っている。
悪いけど枯芝のやうなをんなぢゃない 御中虫
炎天下処女の倒立すぐかわく
乳房ややさわられながら豆餅食う
きらわれてアイスモナカに依存する
話すでもなく裸になるでもなく
「リレー評論」のテーマは昨年、「短歌の『修辞レベルでの武装解除』を考える」だったが、今号から「短歌は生き残ることができるか」に変わった。加藤治郎・彦坂美喜子・山下好美の三人がこのテーマに取り組んでいる。
加藤治郎は伊藤左千夫の「牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる」を引きながら、短歌は新しい担い手と「場」を獲得してきたから生き残ったと述べている。そして、新聞歌壇から電子・ネット化、ケータイ短歌などへの大きな変化の波に触れながら、「場」の変化とともに作品の変貌は避けられないことを指摘している。
山下好美は短歌を受容する共同体の問題に触れ、世代によって属している共同体が異なることで、お互いの短歌が解らなくなっていると述べている。「結社」「同人誌」「インターネット」「個人誌」などしれぞれの共同体があり、世代の差は共同体を喪失させるほど大きくなっているというのだ。
彦坂美喜子は「生きること」と「残ること」とを区別しながら、こんなふうに述べている。
「短歌が生き残るとは、ただ残るということとは違うのではないか。ただ残るということだけなら、古典のように、伝統的技芸のように残ることはある。しかし、生き残るというとき、短歌は時代の表現として活き活きと時代と拮抗している必要があるだろう。生きるということは、表現の問題であり、残るということはシステムの問題ではないか、ふとそんなことを考えた」
「生きるということ」は表現の問題、「残るということ」はシステムの問題というのは明快な認識である。
川柳の場合でも、川柳は常に時代の新しい表現でなければならないとはよく聞かれる言葉である。ただ、その新しさというものが、流行の言葉や時事的な話題をいち早く句に取り入れるという表層的なレベルにとどまっていることが多く、時代と切り結ぶような本質的な新しさにはめったにお目にかかれない。
システムの問題については、句会システム・新聞柳壇システム・大会システムがそれなりに確立していて、大会動員数も多い。けれども、若い世代の川柳人が一握りしか存在しないので、世代の差による共同体の差というようなものはない。古い共同体が残存するだけで、そのような共同体が高齢化によって崩壊するのは時間の問題だろう。ネット川柳とかケータイ川柳という話も聞かないから、「場」の変質についてもよその話のようだ。歌人の小高賢は高齢者短歌の可能性について、老齢によって短歌作品が訳のわからぬおもしろさに至るケースがあることを指摘しているが、川柳の場合も高齢者川柳の可能性に期待するしかないのかも知れない。
川柳人にとってシステムの問題はけっこう重要なものである。従来の句会システムだけではたぶん川柳はもたない。句集・アンソロジー・批評という他ジャンルでは当然行われているシステムを整備することが必要であり、表現に専念するだけで事足りるというものでもない。
ところで、「表現」の問題について、彦坂は次のように書いている。
「私が考える『短歌が生きる』ということは、作品自体に相反するものを同時に抱え込んでいること。例えば、一般的な価値観と、それを越えようとするものを同時に内包している作品。意味でありながら、同時にノイズでもあることを意図している作品。表現自体が肯定と否定を内在させながら絶えず動いているもの。消費されることを求めながら消費されることを拒むところを持つもの。このような矛盾を抱え持つ表現が、多分今を生きるということと繋がっているのではないか。時代のなかで絶えず自己矛盾にむきあい表現を求めて動き続けているとき、短歌は生きていると言えるように思う」
このような作品を実現するのは至難の業だろうが、特に川柳では難しい。
一般的な価値観にアンチを唱えることは川柳の得意とするところだが、一般的な価値観とその超克を同時に含むことは難しい。消費―非消費についても、「消費」が商品化のことを言うならば、川柳作品にはそもそも市場価値はないのである。
けれども、彦坂のいう「意味でありながらノイズでもある作品」には心ひかれる。それは一句のなかに計算されたノイズを取り入れるということではないだろう。まだ見ぬ川柳の書き手が現れるまで、なお時間がかかりそうだ。
「井泉」の連載で楽しみにしているのは、喜多昭夫の「ガールズ・ポエトリーの現在」である。前号では雪舟えまの歌集『たんぽるぽる』が取り上げられ、今号では御中虫の句集『おまへの倫理崩すためなら何度でも車椅子奪ふぜ』が俎上に上っている。
悪いけど枯芝のやうなをんなぢゃない 御中虫
炎天下処女の倒立すぐかわく
乳房ややさわられながら豆餅食う
きらわれてアイスモナカに依存する
話すでもなく裸になるでもなく