「バックストローク」が36号(11月25日発行)で終刊となった。2003年に創刊されて以来、丸9年、川柳界に一石を投じ続けてきた川柳誌がひとつの役割を終えたことになる。今回は時評の枠からは外れるかも知れないが、「バックストローク」にかかわってきた同人の一人として若干の感想を記しておきたい。
一般に雑誌というものは永遠に続くものではなく、状況の変化にともなってどこかで終焉を迎えることは俳誌・短歌誌でも同様である。川柳誌の場合、古くは「川柳ジャーナル」「平安」「ますかっと」などのことが思い浮かぶ。「川柳ジャーナル」は同人の意見によって1975 年に終刊した。「川柳平安」は1978年創立20周年大会直後に解散宣言を出した。岡山の「川柳ますかっと」は1998年に「終刊の辞」を出して解散した。
一誌が終刊する理由は、発行人の高齢化・経済的事情・後継者不足・内部対立など、いろいろな場合が考えられる。「バックストローク」の場合は別に内紛があったわけではなく、その他の事情についても皆無とは言えないが決定的なものでもなかった。「伝統」対「革新」という図式はもう無効になったと私は思っているが、「革新系の川柳誌は短命に終わってしまう」という受け取り方があるとすれば、不本意なことだ。
発行人の石部明は36号の巻頭言で次のように書いている。
「その志はまだ半ばに過ぎないが、さらなる飛躍を期して、石田柊馬と私が中心の『バックストローク』はここに終刊とさせていただく」「次の世代のバトンタッチも考えたが、彼らは、彼らの自由な思考によって、本誌を超えていかなければならないと考えての終刊である」
終刊の理由は石部のこの文章に尽くされている。
石部明・石田柊馬の二人体制にはいったん幕をひき、次世代は「バックストローク」を乗り越える川柳活動を展開せよ、と述べているのだ。
「バックストローク」は結社というより、全国に点在する川柳人のネットワークのようなものであった。雑誌は終刊したが、ネットワークは残っていると私は受け止めている。石部明、石田柊馬も健在だから、どのようなかたちであれ今後も川柳活動は続いていくだろう。私が「バックストローク」に求めていたものは「文学運動としての川柳」であり、石部明のいう「行動する川柳人」として雑誌の発行とイベントを連動させて展開していく方法はその理念にかなっていたのだ。
とは言え、雑誌がなくなることは痛手には違いない。同人・会員の多くは別の結社または川柳誌に所属している方も多く、作品発表の場がなくて困るということは当面ないだろう。他の柳誌に属さない方、川柳の場を探し求めて「バックストローク」にたどり着いた方には終刊はショックだろうが、「バックストローク」がなくなったらすぐ次を探そうという短絡的なことではなく、今後の川柳活動をどうしていくかじっくり考える機会ととらえたらどうだろうか。
支持するにせよ反発するにせよ「バックストローク」は存在感のある雑誌だったから、終刊は大きなことである。けれども、燃え尽きるように終わるのではなくて、可能性を残したままの終刊には花があり、今後生れてくるはずの川柳の展開につながるのではないか。とりあえずそう思いたい。
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