「バックストロークin名古屋」から2週間が経過した。シンポジウム「川柳が文芸になるとき」のパネラーの一人である荻原裕幸が朝日新聞(中部版・9月24日)の夕刊でこのイベントを紹介している。荻原は「川柳というジャンルには、どこか『冷遇』されているという印象がある」と述べたあと、「バックストローク」の大会について「ジャンルをめぐる社会的な状況を打破して、川柳の現在に大きな活気を与えるためには何が必要となるのかが、パネルディスカッションのスタイルで議論された」と報告。「昨今、良質の川柳評論集の刊行なども増えつつあり、川柳が文芸としての力をいかんなく見せつつあるのは間違いないようだ」と評価している。
また、「週刊俳句」(9月25日)では野口裕が「名古屋座談会印象記」と題して独自の視点からレポートを書いている。無名性の文芸・蕩尽の文芸である川柳がこうして取り上げられてゆくのは嬉しいことである。
伊丹の柿衞文庫では「西鶴―上方が生んだことばの魔術師」展が開催されている。その関連講座として9月24日に浅沼璞の講演「西鶴の連句と連想」とワークショップがあった。浅沼は『西鶴という鬼才』(新潮新書)などの著作がある西鶴の研究者で、連句批評の第一人者としても知られている。実作者としては連句新形式「オン座六句」を創出して連句界に新風を起こした。
平成19年9月に同じ柿衞文庫で開催された「連句の風・関西からの発信」という連句講座でも、浅沼は西鶴の連句について語っている。このときは矢崎藍が「インターネット連句」について、私が「前句付と雑俳」について担当したのだった。前回「レンキスト西鶴」と題して「西鶴は生涯レンキストだった」「人生そのものが連句的だった」と述べた浅沼は、今回「西鶴における不易と流行」「不易流行の付合」「流行のみの速吟」について語った。
興味深かったのは講義のあとのワークショップで、「現代における西鶴的試み」として、浅沼は次のような西鶴の発句に対して自句を付けて見せた。
唐がらし泪枝折(しおる)ぞ鬼の角 西鶴
青から赤へ変る三日月 璞
交差点わたる坊主に秋暮れて 璞
発句は西鶴の「自画賛十二カ月」の九月に書かれているもの。この「自画賛十二カ月」は柿衞文庫の所蔵品の中でも有名なものである。
脇は「鬼」に赤鬼・青鬼があることと、発句が秋なので月をだしている。第三は「青」「赤」を信号に転じて交差点を出し、「三日月」から「三日坊主」を連想して坊主が登場する。蕉風を受け継ぐ現代連句の付け味とは異なる談林的・西鶴的付句である。
ここからが聴衆の参加するワークショップで、四句目を付けようという課題である。七七の完成形ではなく、連想する単語だけでよいということだったが、参加者には実作者も多かったからか、大部分が七七の短句の形になっていた。
浅沼璞が『西鶴という方法』(鳥影社)で提示した連句理論に「サンプリング」「カットアップ」「リミックス」というのがある。ハウスミュージックに由来する用語で、ディスコでDJが別のレコードから音源を瞬間的につなぎ合わせるやり方をいう。椹木野衣の『シミュレーショニズム』に詳しく論じられている。
「略奪(サンプリング)・切り裂き(カットアップ)・増殖(リミックス)というのがハウスの三種の神器である」
そのようにしてリミックスされたのが次のような付句である。
交差点わたる坊主に秋暮れて(前句)
縞馬の縞定石があり
親譲りなる物乞いの数
案山子を囲みアルバイト終え
障子洗いのけりがつく恋
提出された短句(七七句)は半分に切り裂かれ、別の七音と結び付けられることによって元の文脈とは異なった言葉の姿で立ちあがってくる。なるほど、これがサンプリング・カットアップ・リミックスかと興味深かった。天狗俳諧にもちょっと似ている。
「難波の梅翁先師、当流の一体、たとへば富士のけぶりを茶釜に仕掛、湖を手だらひに見立、目の覚めたる作意を俳道とせられし」
当日のレジュメに引用された西鶴の「独吟百韻自註絵巻」の序である。梅翁(西山宗因)は富士の煙を茶釜に仕掛け、湖を手だらいに見立てるといった作意のある俳諧をおこなったというのだ。ここで雅俗ということが問題となる。「富士の煙」「湖」は雅語、「茶釜」「手だらい」は俗語である。雅語に俗語をぶつけることによって言葉は変容し、目のさめるような作意が生まれる。雅俗の区別がすでに消滅した現代においても、このような言葉の関係性に基づく作句方法は見られないこともない。言葉から言葉を生み出し、言葉の飛躍感を主眼とする言葉付の方法は、たとえば現代川柳の「意表派」と呼ばれる作句法にも通じるところがある。けれども談林の「飛び」は無数の「飛びそこない」を生み出し、燎原の火のように広まった談林はわずか十年で衰退した。浅沼の講義を聞きながら、言葉付や川柳の言葉についていろいろ考えるところがあった。
川柳の外部から川柳を規定した言説に復元一郎の「川柳には切れがない」というものがある。『セレクション柳論』の筑紫磐井の序文でもこのことに触れられている。俳人が川柳について思い浮かべるとき、この「切れ」論争はひとつの入り口なのであろう。
浅沼の『「超」連句入門』(東京文献センター)にはこの論争を反映して、次のように書かれている。
「昨年(1999年)刊行された復本一郎の『俳句と川柳』(講談社現代新書)は、俳句のルーツは発句、川柳のルーツは平句、という発生史的な事実から、二つのジャンルの違いを一句における「切れ」の有る無しに求めています」「しかし、それにしても、本当の問題は、この答えのあとにくるといえます。前述の復本のように、ルーツのちがいをそのまま現代のジャンルにもちこむか否か、という問題です」
このように述べたあと、浅沼は高柳重信を引用して「連句への潜在的意欲」論を展開していく。
振り返ってみれば、10年以前に川柳の外部から発せられた「川柳には自己規定がない」「川柳には切れがない」という二つの言説は、川柳界に衝撃を与えたと言える。この10年間の川柳人の営為は何もこの二つの問いに答えるためにあったわけではないが、私たちが外部の視線を意識しつつ川柳活動を続けてきたことも事実である。
10年前の議論に後戻りするというのではなく、短詩型文学の現在を見すえながら、私たちはさらに先に進んでゆくことが大切であろう。
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