11月20日、東京流通センターで「文学フリマ東京35」が開催された。主催者発表では来場者7445名(出店者・一般来場者含む)、うち出店者は約1969名(入場証枚数より算出)ということだ。一般来場者は約5476名。「川柳スパイラル」でもブースを出したが、私は主に店番をしていたので、会場を充分に見て回ることができなかった。お話しできなかった方、見落としたところも多いが、入手できた句集・冊子について紹介しておきたい。
まず、ササキリユウイチ句集『馬場にオムライス』から10句選。
ふくろうの唾液で目指す不躾さ ササキリユウイチ
ゆらめくものをゆらめきで突く
腐った喉でささやく馬場にオムライス
問十二 豆電球で呵責せよ
泉は鏡の誤記であろうか
かさぶたは悟性の端で捨ててよし
椅子は椅子だったとしてもママが好き
銀色のものことごとく縁をきり
必ずや無職の天使がやってくる
マダガスカルの治安を乱すな
完成度の高い句を書ける人だけれど、それを意識的に崩して、ラブレー風なスカトロジーにしてみたり、「パピプペポ」で西沢葉火かと思ったらカタカナ多用の句群だったり、「川柳式問答法」と言いながら少しも問答構造でない句を集めてタイトルに内容を裏切らせてみたり、いろいろな試みをしている。
「砕氷船」4号は俳人・歌人・川柳人の三人によるユニット。
紅筆に唇できあがる時雨かな 斉藤志保
踏みしだくことも話のたねとして 暮田真名
再会は遠くともありうるだろう白銀色の帆を張りゆかな 榊原紘
榊原紘とは初対面で、帰宅後手元にあった歌集『悪友』(書肆侃侃房)を改めて読んでみた。よいことかどうか分からないが、短詩型文学は作者に直接会うことによって作品の理解が深まる場合がある。
すれ違う手首の白い春の果て犬が傷つく映画は観ない 榊原紘『悪友』
機嫌なら自分でとれる 地下鉄のさらに地下へと乗り換えをする
隅田川沿いを歩いて(嘘みたい)いつかは海に着くのだろうね
乾遥香+大橋なぎ咲のブースでフリーペーパーをもらう。
幽霊を見たことがない 幽霊を見たことがある人がいるのに
ワンピース一枚かぶってここに来たわたしの言うことを信じてね
乾遥香には「川柳スパイラル」のゲスト作品に寄稿してもらったことがある。フリペの「主な作品」にも記載があるので、紹介しておきたい。
現実のことばかり白い薔薇ばかり 乾遥香「夢と魔法」(「川柳スパイラル」12号)
前髪切ってちいさな鏡だったのね
誘おうかなわたしの国に誘おうかな
以前から気になっていた「滸」(ほとり)が委託販売されていたことに後から気づいて、入手できなくて残念に思っていたら、大阪に帰ったあと送っていただいた。4号の特集は「『沖縄文学選』収録 詩作品評」。高良真実が紹介している、久米島出身の詩人・清田政信の作品に注目した。
夜の河をまたいで
あんやんぱまん ぼくはきみに会いにいった
(中略)
華麗に汚しめりこんでゆく
目蓋をふせてなお慄えやまぬあんやんぱまん
きみは方位を失い、 祈りのかたちをえらぶ
漂流死体のようだ
(清田政信「不在の女」)
「滸」掲載の高良真実の作品から。
霜降りの肉はうれしく我が内にもかやうなる斑あらばより楽し
火星など見ゆる宵には水筒へいまだに耳をあてたくなりぬ
液化ガスを運べる船は一昼夜かけてすべてを吐きいだすなり
「ねじまわし」4号、生駒大祐と大塚凱の二人誌だが、ゲストに第68回角川俳句賞を受賞した西生ゆかりや名古屋在住の若林哲哉などが参加している。企画「第1回ボキャブラドラフト会議」など。
芒折り取りて古書肆を泳ぎたり 生駒大祐
仮病もしもしと雪虫がちな日の 大塚凱
最後に、瀬戸夏子の日記形式の冊子『二〇二二年の夏と秋』。これは読んでいただくしかない。
2022年11月18日金曜日
「豈」65号・第七回攝津幸彦記念賞
「豈」65号で第七回攝津幸彦記念賞が発表されている。正賞・なつはづき、准将は水城鉄茶・赤羽根めぐみ・斎藤秀雄の三名。
この賞は「豈」43号(2006年10月)の特集・攝津幸彦没後十年のときに摂津幸彦論を公募したことにはじまる。受賞作品は関悦史「幸彦的主体」、神野紗希「諧謔のエロス」、野口裕「ふるさとの訛なくした攝津はん珈琲ええ味出とるんやけど」の三作。このときは評論の賞だった。それから7年後の「豈」55号(2013年10月)で第二回攝津幸彦記念賞が発表される。正賞・花尻万博「乖離集(原典)」、準賞は小津夜景「出アバラヤ記」・鈴木瑞恵「無題」であった。この第二回から現在まで俳句作品の公募となっている。個人的にはこの第二回に小津夜景が登場したことが鮮明な記憶として残っている。
第三回 「豈」59号(2016年12月)正賞・生駒大祐
第四回 「豈」61号(2018年10月)最優秀賞なし、優秀賞8名
第五回 「豈」62号(2019年10月)正賞・打田峨者ん
第六回 「豈」64号(2021年11月)受賞作なし
なかなか選考の厳しい賞である。今回の第七回から水城鉄茶(みずき・てっさ)の作品を紹介しよう。水城は川柳も書いているからだ。
目隠しをされて夜明けを待っている 水城鉄茶
また蝶をけしかけられている日向
ピストルが自分の声で目を覚ます
ベーコンがたまに爆発しない星
置いてきた鏡のなかの涅槃像
川柳では比較的なじみのある表現である。選評で夏木久は「型破り・怖いものなしの無鉄砲と採るか」「新鮮な表現の挑戦者と採るか」と断ったうえで、「私は面白いと感じました」と述べている。ここでは一行書きの作品のみ引用したが、全30句のなかの三分の一近くが多行書き、変則的なレイアウト、視覚的効果をねらった作品である。次の句はそんな中でも穏当で共感できるものだろう。
咲いたので
しばらく見ないことにする
筑紫磐井は「口語俳句であり、時折定型を逸脱するが、口語そのものがもたらす詩的韻律が壺に嵌った時は快感である」と評している。
水城は川柳ではどんな作品を書いているだろうか。「川柳スパイラル」から抜き出しておく。
みずうみがみずうみをひんやりとさく (12号)
まばらなる相手のなかの禁錮刑 (13号)
現職のスーパーマンに殴られた (14号)
キムタクの内部で月を焼いている(15号)
「豈」65号には平岡直子が「川柳は消える?」というタイトルで『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)の書評を書いている。「二〇一〇年代は短詩型のアンソロジーが更新されつづけた時代だった」という文章ではじまり、『新撰21』『桜前線開架宣言』『天の川銀河発電所』などの俳句や短歌のアンソロジーに対して、「川柳のアンソロジーは刊行される気配がなかった」と述べる。テン年代の現代川柳をめぐる状況は平岡の指摘の通りだった。『はじめまして現代川柳』は20年代になってようやく刊行された現代川柳アンソロジーだったという位置づけである。
現代川柳の20年代はアンソロジーだけではなくて、句集の発行が続いた時期にもなってきている。その中には平岡の『Ladies and』も含まれる。状況は「消える文芸」とは反対の方向に進んでいくようにも見える。
「川柳スパイラル」16号は8月に開催された「創刊5周年の集い」の特集。暮田真名と平岡直子の対談では「ボーカロイド世代なんです」「形式に対する『愛憎』はありません」「表現が人を傷つけること」などが語られている。飯島章友と川合大祐の対談ではこの両人のキャリアが改めて語られ、現代社会の分断や「空気」を読むことの弊害と対処法などが示されている。句会の選者は、暮田真名・平岡直子・いなだ豆乃助・浪越靖政・飯島章友・小池正博で、それぞれが選んだ作品が掲載されている。
この賞は「豈」43号(2006年10月)の特集・攝津幸彦没後十年のときに摂津幸彦論を公募したことにはじまる。受賞作品は関悦史「幸彦的主体」、神野紗希「諧謔のエロス」、野口裕「ふるさとの訛なくした攝津はん珈琲ええ味出とるんやけど」の三作。このときは評論の賞だった。それから7年後の「豈」55号(2013年10月)で第二回攝津幸彦記念賞が発表される。正賞・花尻万博「乖離集(原典)」、準賞は小津夜景「出アバラヤ記」・鈴木瑞恵「無題」であった。この第二回から現在まで俳句作品の公募となっている。個人的にはこの第二回に小津夜景が登場したことが鮮明な記憶として残っている。
第三回 「豈」59号(2016年12月)正賞・生駒大祐
第四回 「豈」61号(2018年10月)最優秀賞なし、優秀賞8名
第五回 「豈」62号(2019年10月)正賞・打田峨者ん
第六回 「豈」64号(2021年11月)受賞作なし
なかなか選考の厳しい賞である。今回の第七回から水城鉄茶(みずき・てっさ)の作品を紹介しよう。水城は川柳も書いているからだ。
目隠しをされて夜明けを待っている 水城鉄茶
また蝶をけしかけられている日向
ピストルが自分の声で目を覚ます
ベーコンがたまに爆発しない星
置いてきた鏡のなかの涅槃像
川柳では比較的なじみのある表現である。選評で夏木久は「型破り・怖いものなしの無鉄砲と採るか」「新鮮な表現の挑戦者と採るか」と断ったうえで、「私は面白いと感じました」と述べている。ここでは一行書きの作品のみ引用したが、全30句のなかの三分の一近くが多行書き、変則的なレイアウト、視覚的効果をねらった作品である。次の句はそんな中でも穏当で共感できるものだろう。
咲いたので
しばらく見ないことにする
筑紫磐井は「口語俳句であり、時折定型を逸脱するが、口語そのものがもたらす詩的韻律が壺に嵌った時は快感である」と評している。
水城は川柳ではどんな作品を書いているだろうか。「川柳スパイラル」から抜き出しておく。
みずうみがみずうみをひんやりとさく (12号)
まばらなる相手のなかの禁錮刑 (13号)
現職のスーパーマンに殴られた (14号)
キムタクの内部で月を焼いている(15号)
「豈」65号には平岡直子が「川柳は消える?」というタイトルで『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)の書評を書いている。「二〇一〇年代は短詩型のアンソロジーが更新されつづけた時代だった」という文章ではじまり、『新撰21』『桜前線開架宣言』『天の川銀河発電所』などの俳句や短歌のアンソロジーに対して、「川柳のアンソロジーは刊行される気配がなかった」と述べる。テン年代の現代川柳をめぐる状況は平岡の指摘の通りだった。『はじめまして現代川柳』は20年代になってようやく刊行された現代川柳アンソロジーだったという位置づけである。
現代川柳の20年代はアンソロジーだけではなくて、句集の発行が続いた時期にもなってきている。その中には平岡の『Ladies and』も含まれる。状況は「消える文芸」とは反対の方向に進んでいくようにも見える。
「川柳スパイラル」16号は8月に開催された「創刊5周年の集い」の特集。暮田真名と平岡直子の対談では「ボーカロイド世代なんです」「形式に対する『愛憎』はありません」「表現が人を傷つけること」などが語られている。飯島章友と川合大祐の対談ではこの両人のキャリアが改めて語られ、現代社会の分断や「空気」を読むことの弊害と対処法などが示されている。句会の選者は、暮田真名・平岡直子・いなだ豆乃助・浪越靖政・飯島章友・小池正博で、それぞれが選んだ作品が掲載されている。