「レジュメに載せてある作品から作者の名前を隠してください。これは断言してもいいんですが、短歌に比べると川柳では、作者名を隠すと男女差がわからなくなると思います」(瀬戸夏子)
前回の続きで「川柳トーク」について書くが、今回は柳本々々についての感想である。
このイベントの二週間前に現俳協の勉強会があって、柳本はパネリストとして話をした。彼の話をもっと聞きたくて「川柳トーク」に参加した方もあったようである。
柳本は俳句の読みを通じて、そもそも「読むこと」とは何だろう、と痛切に感じたようだ。彼はこれまでにも、川柳だけではなくて短歌や俳句の読みを書いて来たはずだが、「俳句」という他ジャンルのフィールドの中で「読み」の問題が改めて問い直されるのだろう。
今回も「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」というイベント名をテーマとして正面から受け止めたのが柳本だった。インパクトの強いキャッチ・コピーとしてではなく、テーマとして内面化したのだ。柳本が挙げたのは次の10句である。10句に通底するテーマは【世界の終わりと任意の世界】だとされている。
みんな去って 全身に降る味の素 中村冨二
頷いてここは確かに壇の浦 小池正博
ファイティングポーズ豆腐が立っている 岩田多佳子
オルガンとすすきになって殴りあう 石部明
妖精は酢豚に似ている絶対似ている 石田柊馬
人差し指で回し続ける私小説 樋口由紀子
中八がそんなに憎いかさあ殺せ 川合大祐
おはようございます ※個人の感想です 兵頭全郎
毎度おなじみ主体交換でございます 飯島章友
菜の花菜の花子供でも産もうかな 時実新子
これらの句を通じて、彼は川柳の「任意性」を論じた。「任意性」とは兵頭全郎の句集『n≠0 PROTOTYPE』から抽出されたものである。「川柳カード」14号でも柳本は全郎の句集について、次のように書いている。
全郎の句集はタイトルにも「n≠0」と、「n」になにかを代入するやいなや、それが〈違うかもしれない可能性〉が暗示されていたが、句にも〈内〉と〈外〉が定まらない〈任意〉の世界が描かれている。この句集は真顔でこう言っているようだ。《構造とは実は任意なのだ》と。もっと大きく言えば、川柳というジャンルは、〈任意〉なのだ。と。
この考えを柳本は瀬戸夏子の仕事につなげてとらえた。
瀬戸夏子がやっている仕事は、ある任意の方向性を変えようとするものと思われる。短歌である読み方が因習的・支配的であるときに、瀬戸夏子がそういう読みかたはどうなのだろうと疑問を投げかけ「任意」のものにする。この日のタイトル、本当は「川柳が瀬戸夏子のなかで荒れる、荒ぶることができるか」ということだと柳本は言う。
第一部で小池が歴史的な縦軸を通して川柳作品を読んだのに対して、瀬戸はそれとは別のテクストとしての「読みの枠組み」を提示した。「おれのひつぎは おれがくぎうつ」(河野春三)の句を、瀬戸は「分裂する私」「生成変化する私」ととらえたが、柳本は「任意の私」ととらえたいと言う。
「毎度おなじみ主体交換でございます」では「主体交換」がとても川柳的。日常会話では使わない思想的・哲学的な言葉を「毎度おなじみ~」という卑俗な言説に落とし込んでゆく。
「おはようございます ※個人の感想です」では、「おはようございます」という疑いようのない言説に「※個人の感想です」という通販番組的言説が付くことによって、絶対的なはずの挨拶に任意性がもたらされることになる。
柳本は10句を順に説明してゆくのではなくて、9句目→8句目→10句目→7句目、というように適宜ピックアップしながら話を進めていった。次はどの句に話が結びつくのだろうと考えるとスリリングであった。特に驚かされたのは時実新子の読みについてである。
菜の花菜の花子供でも産もうかな 時実新子
時実新子は川柳で女の情念を表現したといわれているが、それにはあやしいところがある。句集を読んでいると新子には変な句、情念句というとらえかたにはおさまりきれない句が出てくる。「産みたい」とか「産めない」「産まなければならない」ではなく、「産もうかな」という任意的な言い方だと柳本は述べた。
春三の句について小池がマッチョな言説だとしたのに対して、瀬戸は「おれ」「おれ」と繰り返すことによって「私の分裂」を提示した。
作者がこう書こうとしたはずなのに、後から読者が読んだときに別の読み方が引っ張り出されてしまうことがある。
柳本はこれを「テクスト論的逸脱」として説明した。新子が川柳を書き続けているうちに「川柳の任意性」に汚染されて、「テクスト論的逸脱」をして、それが現在の柳本によって引っ張りだされたという。
柳本は「神戸新聞」(2017年1月7日)の「新子を読む 新子へ詠む 時実新子没後10年」でこんなふうに言っている。
「私」を書く川柳で知られる作家だけれど、僕が惹かれたのは、そんな人間的率直さよりも文体の形式性。現代川柳とは言語の芸術なのだから、新子句も伝記的背景を離れ、もっと言語的面から読み直されるべきだと思う。
さらに、柳本はジェンダー論にまで踏み込んだ。
近代になってジャンルが固定されることで、「任意性」が消えた。これは「男」「女」の固定制にもつながってゆく。
川柳が「任意性」の文芸だとすれば、川柳はジェンダーに敏感だったかもしれない。それなのに、川柳では今までジェンダー批評がおこなわれなかった。川柳が瀬戸夏子に出会うことによってジェンダーを自覚するかもしれない、と言うのだ。
ひょっとして、この柳本の発言は現代川柳がジェンダー論の視点からまともに語られた最初になるかもしれない。
瀬戸夏子は川柳に惹かれる理由を、近代的自我にとらわれない自由さにあると述べた。柳本は「任意性」「テクスト論的逸脱」から現代川柳のさまざまな可能性について語った。
いずれも、今まで川柳の世界の内部からはあまり聞くことのなかった捉え方である。
私は、かつて花田清輝が「前近代を否定的媒介にして近代を超克する」と繰り返し書いていたことを思い出した。レンキスト・浅沼璞の「可能性としての連句」にならって言えば、「可能性としての川柳」ということになるだろうか。
これからも現代川柳が作品や批評の分野で、さまざまな可能性を開拓してゆくことを期待したい。
(付)「触光」52号(編集・発行、野沢省悟)に「第7回高田寄生木賞」が発表されている。佐藤岳俊「現代川柳の開拓者」が受賞。入選は飯島章友「川柳ネタバレ論」小池正博「難解の起源」柳本々々「絵描きとしての時実新子」濱山哲也「川柳珍味 鳴海賢治商店」。次回(2018年1月末締切)も「川柳に関する論文・エッセイ」を募集している。
2017年5月20日土曜日
2017年5月14日日曜日
「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」についての感想
「川柳トーク」のイベントにかかりきりで、このブログを更新できないでいるうちに、短詩型文学の世界はどんどん進行している。
まず、小津夜景が「第8回田中裕明賞」を受賞した。
句集『フラワーズ・カンフー』については私も触れたことがあるし、あちらこちらで評判になった句集である。連句の世界では句集の上梓を記念して連句作品を巻くことがある。たとえば、「オルガン」9号では田島健一『ただならぬぽ』を記念して、オン座六句(浅沼璞捌き)を掲載している。今年に入って、小津夜景の句を発句として歌仙「たぶららさ」の巻を掲示板「浪速の芭蕉祭」に掲載した。『フラワーズ・カンフー』の発刊記念のつもりだったが、受賞を予祝するものとなったわけである。
また、現俳協主催の勉強会「ただならぬ虎と然るべくカンフー」が4月22日に開催され、小津夜景『フラワーズ・カンフー』、岡村知昭『然るべく』、中村安伸『虎の夜食』、田島健一『ただならぬぽ』の4つの句集について1日をかけて読み合ったようだ。さらに4月29日には船団の会のシンポジウム「口語の可能性」があり、神野紗希・秋月祐一・久留島元などが登壇した。
そういうイベントを横目に見ながら、ツイッターで「#瀬戸夏子は川柳を荒らすな」のイベント案内を流し続けた。
5月6日、中野サンプラザの研修室で「川柳トーク・瀬戸夏子は川柳を荒らすな」が開催され、歌人・俳人・川柳人など61名の参加があった。このイベントは私と瀬戸が半年くらい前から計画していたものである。従来、川柳の大会にゲストとして俳人や歌人を招くことはあった。また、俳句などのイベントに川柳人が招かれることもないわけではなかった。けれども、今回のイベントは瀬戸と小池の共同主催であり、従来の枠組を超えて広く川柳の存在と魅力を発信しようとする企画であった。広報は主としてツイッターを通じて発信され、ふだん川柳のイベントに来ることのない不特定多数の短詩型愛好者に参加してほしいというねらいがあった。幸い「知られざる現代川柳の世界」に関心をもっていただくことができたようである。
私は他ジャンルの人が川柳に対してとる態度を次の4点に整理した。
①俳人・歌人が「川柳って何ですか」と問いかけてくる(川柳の定義)
②川柳を読みたくても句集・アンソロジーが手に入らない(川柳の発信力の弱さ)
③川柳が文学になろうとすると俳句に負ける(「サラ川」的なものを追求すべき)
④文学的川柳をなぜ自信をもって追及しないのか(川柳は卑屈)
では、瀬戸夏子は現代川柳をどのようにとらえているのか、川柳のどこに魅力を感じているのだろうか。
私は瀬戸が現代川柳に関心をもつのは現代短歌と通じるところがあるからだと思っていた。けれども、話を聞いていると、逆に現代短歌にはない点が現代川柳にあり、そこに惹かれて現代川柳を読んでいることがわかった。どういうことだろうか。
瀬戸が選んだのは次の10句である。
私のうしろで わたしが鳴った 定金冬二
おれのひつぎは おれがくぎうつ 河野春三
明るさは退却戦のせいだろう 小池正博
ゆうれいの 仮説に惚れて逢いに来い 中村冨二
母さんも金魚にもどる時間だよ 渡辺隆夫
いもうとは水になるため化粧する 石部明
月光になりましたのでご安心を 広瀬ちえみ
くちびるの意識がもどる薮の中 樋口由紀子
裏声をあげて満月通ります なかはられいこ
キャラクターだから支流も本流も 石田柊馬
まず、話の前提として瀬戸が語ったのは、明治になって西洋の「近代的自我」が入ってきたときに、詩・短歌・俳句のそれぞれのジャンルが生き延びてゆくために分業制を行っていったということ。短歌は「私性」というものを打ち出して成功したが、川柳には強い「近代的自我」があまり感じられないと瀬戸は言う。
たとえば、一句目「私のうしろで わたしが鳴った」というのは「私」のうしろにもうひとりの「わたし」がいるということで、「私」が遊離している状態。二句目「おれのひつぎは おれがくぎうつ」という二人の「おれ」の分裂状態も軽やかである。それが他のいろいろな川柳にもヴァリエーションとしてあらわれているのではないか。渡辺隆夫・石部明の場合もずっしりした肉体があるのではなくて、軽やかに「変身」し「生成変化」している。五句目、金魚に戻るというような表現を短歌でした場合には、背景にどういう感情があって金魚に戻るのか、六句目、月光になったのでご安心をというのも、月光になることによって誰がどういうふうに安心するのかという背景の文脈が読みとれるように書くことが要求される。いったん自分の肉体のなかに世界を取り込んだ上で、肉体のなかにカオスを作り出すというのが斎藤茂吉以来の短歌の「私」だと瀬戸は言う。最後の石田の句で、支流も本流も「自我」ではなくて「キャラクター」だととらえているのも川柳の軽やかさだと思う。そんなふうに瀬戸は語った。
瀬戸の話を聞きながら、特に河野春三の句を「軽やか」と受け止めていることに衝撃を受けた。春三の句は「重い」「重くれ」の句だと思っていたからである。
私は「河野春三伝説」(「MANO」19号)で次のように書いている。
「春三、六十代前半の句である。現代川柳の革新者として自他ともに認める『作者』のイメージが前提としてまず存在する。その春三の川柳人生を振り返っての決意を一句にしているのだから感動的でないはずはない。逆に言えば、春三のことを何も知らない読者にとって、この句はそれほど訴えかけてくるものではない。そんなにカッコつけなくても…と思ってしまうのである。『おれの』『おれが』と繰り返すのも何だか押し付けがましい」
春三は「川柳に私が導入されたときに詩がはじまった」と言ったという。
歴史的な意味があるとはいえ、私にとっては愚にもつかない、乗り越えるべき対象でしかない春三の句を、二人の「おれ」の分裂として「軽やかさ」を瀬戸が読み取ったということは、短歌における「私性」がそれだけ強固で息苦しいものだということなのだろう。おもしろかったのは、瀬戸が「私性」の説明をするときに、常に「私は嫌なんですけど」と断りながら短歌の本流としての「私性」を語ったことだ。そこに現代短歌界における瀬戸の位置があり、彼女の短歌観から見て現代川柳に可能性を感じていることがよくわかった。
逆に言えば、私が今まで川柳に導入されたと思っていた「私」は短歌から見ると「軽やか=ゆるい」私性でしかなかったことになる。
そういえば、斉藤斎藤は「オルガン」9号の座談会で突然「川柳」に触れ、「短歌の『私』とは違って、なかの人がいない着ぐるみみたいに見える」と述べている。短歌の人から見ると川柳の「私」はそんなふうに見えるのだろう。
渡辺隆夫は「重くれと軽み」について言っていたし、荻原裕幸は渡辺隆夫の句について「非人称」と言っていたことを、あとから思い出した。
瀬戸は現代川柳の歴史もある程度知ったうえで、あえて現在の目からテクストとして見た川柳の可能性を語ったのだろう。私は河野春三から時実新子に至るラインを現代川柳の行き詰まりと見て、その乗り越えとしてポストモダン川柳を考えていたが、そのような面倒な手続きをしなくても、テクストとして読まれた現代川柳が直接、心惹かれるものと受け止められ、認知されるようになってきたのは嬉しいことである。
瀬戸夏子の発言は「川柳を荒らした」かどうかはわからないが、少なくとも私の川柳観を荒らし修正を求めるものだった。さらに私の川柳概念を荒らしていったのが柳本々々である。(この項続く)
まず、小津夜景が「第8回田中裕明賞」を受賞した。
句集『フラワーズ・カンフー』については私も触れたことがあるし、あちらこちらで評判になった句集である。連句の世界では句集の上梓を記念して連句作品を巻くことがある。たとえば、「オルガン」9号では田島健一『ただならぬぽ』を記念して、オン座六句(浅沼璞捌き)を掲載している。今年に入って、小津夜景の句を発句として歌仙「たぶららさ」の巻を掲示板「浪速の芭蕉祭」に掲載した。『フラワーズ・カンフー』の発刊記念のつもりだったが、受賞を予祝するものとなったわけである。
また、現俳協主催の勉強会「ただならぬ虎と然るべくカンフー」が4月22日に開催され、小津夜景『フラワーズ・カンフー』、岡村知昭『然るべく』、中村安伸『虎の夜食』、田島健一『ただならぬぽ』の4つの句集について1日をかけて読み合ったようだ。さらに4月29日には船団の会のシンポジウム「口語の可能性」があり、神野紗希・秋月祐一・久留島元などが登壇した。
そういうイベントを横目に見ながら、ツイッターで「#瀬戸夏子は川柳を荒らすな」のイベント案内を流し続けた。
5月6日、中野サンプラザの研修室で「川柳トーク・瀬戸夏子は川柳を荒らすな」が開催され、歌人・俳人・川柳人など61名の参加があった。このイベントは私と瀬戸が半年くらい前から計画していたものである。従来、川柳の大会にゲストとして俳人や歌人を招くことはあった。また、俳句などのイベントに川柳人が招かれることもないわけではなかった。けれども、今回のイベントは瀬戸と小池の共同主催であり、従来の枠組を超えて広く川柳の存在と魅力を発信しようとする企画であった。広報は主としてツイッターを通じて発信され、ふだん川柳のイベントに来ることのない不特定多数の短詩型愛好者に参加してほしいというねらいがあった。幸い「知られざる現代川柳の世界」に関心をもっていただくことができたようである。
私は他ジャンルの人が川柳に対してとる態度を次の4点に整理した。
①俳人・歌人が「川柳って何ですか」と問いかけてくる(川柳の定義)
②川柳を読みたくても句集・アンソロジーが手に入らない(川柳の発信力の弱さ)
③川柳が文学になろうとすると俳句に負ける(「サラ川」的なものを追求すべき)
④文学的川柳をなぜ自信をもって追及しないのか(川柳は卑屈)
では、瀬戸夏子は現代川柳をどのようにとらえているのか、川柳のどこに魅力を感じているのだろうか。
私は瀬戸が現代川柳に関心をもつのは現代短歌と通じるところがあるからだと思っていた。けれども、話を聞いていると、逆に現代短歌にはない点が現代川柳にあり、そこに惹かれて現代川柳を読んでいることがわかった。どういうことだろうか。
瀬戸が選んだのは次の10句である。
私のうしろで わたしが鳴った 定金冬二
おれのひつぎは おれがくぎうつ 河野春三
明るさは退却戦のせいだろう 小池正博
ゆうれいの 仮説に惚れて逢いに来い 中村冨二
母さんも金魚にもどる時間だよ 渡辺隆夫
いもうとは水になるため化粧する 石部明
月光になりましたのでご安心を 広瀬ちえみ
くちびるの意識がもどる薮の中 樋口由紀子
裏声をあげて満月通ります なかはられいこ
キャラクターだから支流も本流も 石田柊馬
まず、話の前提として瀬戸が語ったのは、明治になって西洋の「近代的自我」が入ってきたときに、詩・短歌・俳句のそれぞれのジャンルが生き延びてゆくために分業制を行っていったということ。短歌は「私性」というものを打ち出して成功したが、川柳には強い「近代的自我」があまり感じられないと瀬戸は言う。
たとえば、一句目「私のうしろで わたしが鳴った」というのは「私」のうしろにもうひとりの「わたし」がいるということで、「私」が遊離している状態。二句目「おれのひつぎは おれがくぎうつ」という二人の「おれ」の分裂状態も軽やかである。それが他のいろいろな川柳にもヴァリエーションとしてあらわれているのではないか。渡辺隆夫・石部明の場合もずっしりした肉体があるのではなくて、軽やかに「変身」し「生成変化」している。五句目、金魚に戻るというような表現を短歌でした場合には、背景にどういう感情があって金魚に戻るのか、六句目、月光になったのでご安心をというのも、月光になることによって誰がどういうふうに安心するのかという背景の文脈が読みとれるように書くことが要求される。いったん自分の肉体のなかに世界を取り込んだ上で、肉体のなかにカオスを作り出すというのが斎藤茂吉以来の短歌の「私」だと瀬戸は言う。最後の石田の句で、支流も本流も「自我」ではなくて「キャラクター」だととらえているのも川柳の軽やかさだと思う。そんなふうに瀬戸は語った。
瀬戸の話を聞きながら、特に河野春三の句を「軽やか」と受け止めていることに衝撃を受けた。春三の句は「重い」「重くれ」の句だと思っていたからである。
私は「河野春三伝説」(「MANO」19号)で次のように書いている。
「春三、六十代前半の句である。現代川柳の革新者として自他ともに認める『作者』のイメージが前提としてまず存在する。その春三の川柳人生を振り返っての決意を一句にしているのだから感動的でないはずはない。逆に言えば、春三のことを何も知らない読者にとって、この句はそれほど訴えかけてくるものではない。そんなにカッコつけなくても…と思ってしまうのである。『おれの』『おれが』と繰り返すのも何だか押し付けがましい」
春三は「川柳に私が導入されたときに詩がはじまった」と言ったという。
歴史的な意味があるとはいえ、私にとっては愚にもつかない、乗り越えるべき対象でしかない春三の句を、二人の「おれ」の分裂として「軽やかさ」を瀬戸が読み取ったということは、短歌における「私性」がそれだけ強固で息苦しいものだということなのだろう。おもしろかったのは、瀬戸が「私性」の説明をするときに、常に「私は嫌なんですけど」と断りながら短歌の本流としての「私性」を語ったことだ。そこに現代短歌界における瀬戸の位置があり、彼女の短歌観から見て現代川柳に可能性を感じていることがよくわかった。
逆に言えば、私が今まで川柳に導入されたと思っていた「私」は短歌から見ると「軽やか=ゆるい」私性でしかなかったことになる。
そういえば、斉藤斎藤は「オルガン」9号の座談会で突然「川柳」に触れ、「短歌の『私』とは違って、なかの人がいない着ぐるみみたいに見える」と述べている。短歌の人から見ると川柳の「私」はそんなふうに見えるのだろう。
渡辺隆夫は「重くれと軽み」について言っていたし、荻原裕幸は渡辺隆夫の句について「非人称」と言っていたことを、あとから思い出した。
瀬戸は現代川柳の歴史もある程度知ったうえで、あえて現在の目からテクストとして見た川柳の可能性を語ったのだろう。私は河野春三から時実新子に至るラインを現代川柳の行き詰まりと見て、その乗り越えとしてポストモダン川柳を考えていたが、そのような面倒な手続きをしなくても、テクストとして読まれた現代川柳が直接、心惹かれるものと受け止められ、認知されるようになってきたのは嬉しいことである。
瀬戸夏子の発言は「川柳を荒らした」かどうかはわからないが、少なくとも私の川柳観を荒らし修正を求めるものだった。さらに私の川柳概念を荒らしていったのが柳本々々である。(この項続く)