「現代詩手帖」12月号は「現代詩年鑑2017」となっていて、今年一年を振り返る内容である。短詩型文学については、野口あや子が「変化と欲望の先にあるもの」(短歌展望2016)を、田島健一が「〈他者〉は忙しい」(俳句展望2016)を書いている。
野口は「新鋭短歌シリーズ」などの歌集出版ラッシュに触れながら、短歌の流通の問題を取り上げているようだ。自己表現と流通の関係は微妙だ。流通することで作品は従来の短歌作品の内実とは変質してゆく部分が生じる。作品と商品の関係は従来からも言われてきたことだろう。
田島は俳句のシステムの問題を取り上げているように思われる。俳句甲子園や各種の俳句賞、結社、師弟関係などに触れながら、「他者の承認を受けて立っている作品」と「自律的に立とうとする作品」の区別を問う。それが区別できるかどうかは別として、俳句では作品が作られ人口に膾炙してゆくシステムが重要なのだろう。
では、川柳ではどうか。川柳作品は流通もしないし、作品が一般に普及するシステムも整備されていない。「無名性の文芸」「蕩尽の文芸」であり、そこが川柳の魅力でもあると強がって見せておきたいが、今年、川柳の世界でどのようなことがあったのかを極私的にでも振りかえっておく必要はあるだろう。
まず、今年1月~3月に出た『大人になるまでに読みたい15歳の短歌・俳句・川柳』(ゆまに書房)全三巻は大きな出来事だった。現代川柳作品のアンソロジーは、『現代川柳の精鋭たち』(北宋社)以後、これといったものがなく、『現代川柳必携』『新現代川柳必携』(三省堂)なども一種のアンソロジーと言えるかもしれないが、句数が多すぎて読者にとっては散漫になる。『大人になるまで~』は短歌・俳句・川柳の三ジャンルが等価に扱われており、鑑賞文も付いているので読みやすい。たとえば、次のような作品が見開き両ページに並んでいるのは刺激的である。
ドラえもんの青を探しにゆきませんか 石田柊馬
君はセカイの外へ帰省し無色の街 福田若之
墓地を出て、一つの音楽へ帰る 中村冨二
夢の世に葱を作りて寂しさよ 永田耕衣
もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい 岡野大嗣
院長があかん言うてる独逸語で 須崎豆秋
アンソロジーだけではなく、単独の川柳句集の発行も盛んになってきた。
兵頭全郎句集『n≠0』、川合大祐句集『スローリバー』、岩田多佳子句集『ステンレスの木』など注目すべき句集が発行されている。
付箋を貼ると雲は雲でない 兵頭全郎
(目を)(ひらけ)(世界は)たぶん(うつくしい) 川合大祐
寝ている水に声を掛けてはいけません 岩田多佳子
半世紀ほど前、山村祐は「句集は墓碑銘ではない」と書いていた。
川柳句集とはひとりの川柳人が生涯に一冊出すもの、という感覚の時代があったのである。
そのことがある意味で川柳の普及を妨げていたところがある。読者層が限定されてしまい、川柳界の外部に広がっていかないからだ。
たとえばミュージシャンはCDを出すことによってデビューする。CDを出さずに、コンサートだけで勝負しているミュージシャンもいるかもしれないが、レコードやCDを出すのは自分の作品を世に問うということなのだ。仲間や友人にだけ作品を披露するのでは世界が広がらない。
かつて石田柊馬は「川柳は読みの時代に入った」と言った。その後しばらくして、私は「読みの時代の次には何が来るでしょうか」と柊馬に訊いたことがある。彼は「句集の時代」と答えたが、それが今や現実になりつつある。
今年は尾藤三柳という現代川柳を牽引してきた大きな存在が亡くなり、ひとつの時代の終焉という感を深くする。終焉は次の時代のはじまりでもあるのだ。
次回は1月6日に更新します。みなさま、よいお年をお迎えください。
2016年12月23日金曜日
2016年12月9日金曜日
現代川柳 北から南から―「触光」と「裸木」
青森で発行されている川柳誌「触光」(編集発行・野沢省悟)が50号を迎えた。年5回発行だから10年ということになる。
高田寄生木が「『触光』50号オメデトウ」という文章を書いていて、「触光」創刊号の野沢省悟の言葉を引用している。野沢はこんなふうに書いている。
「―川柳を何故つづけるのか?それは〈川柳が好きである〉との一言で言おうとすれば言えるが、単にそれだけで川柳をつづけているのではないと思う。客観的にみるならば、川柳をつづけることは〈のっぴきならないことであるのだ〉」
野沢のいう〈のっぴきならないこと〉に促されて、「触光」は10年続いてきた。「触光」以前にも彼は「双眸」や「雪灯」を出している。
巻末に「触光500号記念・触光推奨作品集」が掲載されている。創刊号から49号までの490句が掲載されていて興味深い。その中から次の15句を選んでみた。
牛の耳ピクリ軍靴か竜巻か 木暮健一
ともかくも一人は減った独裁者 瀧音末男
手は母を殺めてないが高瀬舟 大塚ただし
水面にローレライ水底にガンジー 濱山哲也
魍魎の匣を開ければ偽偽偽偽 中山恵子
この国で歳をとってはいけません 濱山哲也
記憶かくにん指はかまれた金魚は噛んだ 宮本夢実
買って飲む水を文化と思い込む 瀧 正治
おりづるのいきたえだえのかぞえうた 高田寄生木
口パクの君が代のあとワンコそば 渡辺隆夫
かぐや姫優待券を隠し持つ 鈴木修子
にんげんを食べる診察券だろう 勝又明城
ジュラ紀ではぼくたちだって飛んだ空 落合魯忠
くろやぎさんをきづかうためのいくさです 柳本々々
図書館は濡れないように立っている 猫田千恵子
「時事川柳」のコーナーでは渡辺隆夫から高瀬霜石に選者が交替、「誌上句会」では次号から広瀬ちえみから芳賀博子へ選者がかわるということだ。
また、「触光」では「第7回高田寄生木賞」として「川柳に関する論文・エッセイ」を募集している。評論・作家論賞というのは川柳界では稀有のことである。締切は2017年1月31日、4000字以内。川柳論を書いてみようという方々は応募してみてはいかがだろう。
熊本の川柳誌「裸木」(らぎ)は、いわさき楊子によって編集・発行されている。11月末に4号が出た。いわさきのほか、同人は上村千寿(熊本)・川合大祐(伊那)・北村あじさい(熊本)・久保山藍夏(福岡)・阪本ちえこ(熊本)・樹萄らき(伊那)というメンバーである。「くまもとメール川柳倶楽部」が発展してできた川柳誌。同じ地域にいなくても、メールによって全国の川柳人とつながることができる。同人作品のご紹介。
ムササビ飛んだビートはイイかんじ 樹萄らき
モルフォチョウの裏側の方で待っている 久保山藍夏
鎌でしょうカマキリでしょう嘘でしょう 阪本ちえこ
砂を吐く貝はクリーンになったのか 北村あじさい
体内のフィラデルフィアとカトマンズ いわさき楊子
卵産むところ探して陽が落ちる 上村千尋
強大な堀北真希が降りて来る 川合大祐
「くまもとメール倶楽部」は今年の春で100回を超えたそうだ。「裸木」に参加していない部員の句も紹介しておく。
褒められました腹がたちました 柴田美都
箱売りの小鰯 抵抗の重さ 竹内美千代
順番がきましたさてと行きますか 猫田千恵子
耐性をウイルス並みにつけてやる 徳丸浩二
いわさき楊子は「後記」にこんなふうに書いている。
「揺れ以来、何ごとにもゆるくなった判断(いいんじゃない)で今年も発行することができた。つづけるという束縛からは離れてそのつど考えることにする」
野沢省悟のいう「のっぴきならないこと」といわさき楊子のいう「そのつど考える」。それぞれの川柳誌がそれぞれの場で発行されてゆく。
先日、東京で瀬戸夏子に会ったとき、彼女が「雑誌はそれを出したいと強く思う人がいれば出るものだ」と言ったことが印象に残っている。
高田寄生木が「『触光』50号オメデトウ」という文章を書いていて、「触光」創刊号の野沢省悟の言葉を引用している。野沢はこんなふうに書いている。
「―川柳を何故つづけるのか?それは〈川柳が好きである〉との一言で言おうとすれば言えるが、単にそれだけで川柳をつづけているのではないと思う。客観的にみるならば、川柳をつづけることは〈のっぴきならないことであるのだ〉」
野沢のいう〈のっぴきならないこと〉に促されて、「触光」は10年続いてきた。「触光」以前にも彼は「双眸」や「雪灯」を出している。
巻末に「触光500号記念・触光推奨作品集」が掲載されている。創刊号から49号までの490句が掲載されていて興味深い。その中から次の15句を選んでみた。
牛の耳ピクリ軍靴か竜巻か 木暮健一
ともかくも一人は減った独裁者 瀧音末男
手は母を殺めてないが高瀬舟 大塚ただし
水面にローレライ水底にガンジー 濱山哲也
魍魎の匣を開ければ偽偽偽偽 中山恵子
この国で歳をとってはいけません 濱山哲也
記憶かくにん指はかまれた金魚は噛んだ 宮本夢実
買って飲む水を文化と思い込む 瀧 正治
おりづるのいきたえだえのかぞえうた 高田寄生木
口パクの君が代のあとワンコそば 渡辺隆夫
かぐや姫優待券を隠し持つ 鈴木修子
にんげんを食べる診察券だろう 勝又明城
ジュラ紀ではぼくたちだって飛んだ空 落合魯忠
くろやぎさんをきづかうためのいくさです 柳本々々
図書館は濡れないように立っている 猫田千恵子
「時事川柳」のコーナーでは渡辺隆夫から高瀬霜石に選者が交替、「誌上句会」では次号から広瀬ちえみから芳賀博子へ選者がかわるということだ。
また、「触光」では「第7回高田寄生木賞」として「川柳に関する論文・エッセイ」を募集している。評論・作家論賞というのは川柳界では稀有のことである。締切は2017年1月31日、4000字以内。川柳論を書いてみようという方々は応募してみてはいかがだろう。
熊本の川柳誌「裸木」(らぎ)は、いわさき楊子によって編集・発行されている。11月末に4号が出た。いわさきのほか、同人は上村千寿(熊本)・川合大祐(伊那)・北村あじさい(熊本)・久保山藍夏(福岡)・阪本ちえこ(熊本)・樹萄らき(伊那)というメンバーである。「くまもとメール川柳倶楽部」が発展してできた川柳誌。同じ地域にいなくても、メールによって全国の川柳人とつながることができる。同人作品のご紹介。
ムササビ飛んだビートはイイかんじ 樹萄らき
モルフォチョウの裏側の方で待っている 久保山藍夏
鎌でしょうカマキリでしょう嘘でしょう 阪本ちえこ
砂を吐く貝はクリーンになったのか 北村あじさい
体内のフィラデルフィアとカトマンズ いわさき楊子
卵産むところ探して陽が落ちる 上村千尋
強大な堀北真希が降りて来る 川合大祐
「くまもとメール倶楽部」は今年の春で100回を超えたそうだ。「裸木」に参加していない部員の句も紹介しておく。
褒められました腹がたちました 柴田美都
箱売りの小鰯 抵抗の重さ 竹内美千代
順番がきましたさてと行きますか 猫田千恵子
耐性をウイルス並みにつけてやる 徳丸浩二
いわさき楊子は「後記」にこんなふうに書いている。
「揺れ以来、何ごとにもゆるくなった判断(いいんじゃない)で今年も発行することができた。つづけるという束縛からは離れてそのつど考えることにする」
野沢省悟のいう「のっぴきならないこと」といわさき楊子のいう「そのつど考える」。それぞれの川柳誌がそれぞれの場で発行されてゆく。
先日、東京で瀬戸夏子に会ったとき、彼女が「雑誌はそれを出したいと強く思う人がいれば出るものだ」と言ったことが印象に残っている。