「東奥文芸叢書」は青森県の東奥日報社創刊125周年企画として発刊され、短歌・俳句・川柳各30冊、全90冊が予定されている。この叢書の川柳句集についてはこれまで何冊か紹介したことがあるが、今回は『笹田かなえ句集 お味はいかが?』を取り上げる。
句集の編集の仕方にはいくつかのやり方があり、この句集では「前菜」「サラダ」「スープ」「メインディッシュ」「デザート」の五章に分け、各72句、全360句が収録されている。料理のフルコースが順番に出されてゆくように、句集一冊を読むことができる。発表順とかアットランダムに並べるやり方もあるが、単独句の集積ではなくて一冊の句集として読まれることを意識した構成がまず目をひく。
したがって読者としてはこのコンセプトに沿って読んでいくのが順当だろうから、ここでも各章から数句を抜き出してゆくことにしよう。
最初に「前菜」である。
立春の雨のたとえば応挙の絵
巻頭句は雨の句である。
この句集では全体に雨や水のイメージをもつ句が点在していて印象的。
外では雨が降っていて、別に絵の中でも雨が降っている必要はないのだが、応挙の絵から連想すると、たとえば兵庫県香住の大乗寺にある襖絵などが思い浮かぶ。葉のかげから子どもの顔がのぞいている。
古い道古い神社につきあたる
特に何を言っているわけでもない、情景を詠んだ句である。
こういう句の方が主観句よりも印象に残る場合がある。
待ってと言って待ってもらってもどかしい
「待って」と言えば相手は待ってくれるだろうが、待つ方も待ってもらう方も、もどかしい。自分自身がもどかしいのだが、置き去りにされてしまうのも困る。
足元を見られぬように少し浮く
「足元を見る」というフレーズがある。そこから「見られぬように」と逆の方向へゆく。現実からの浮遊はかえって足元が見えてしまうことになるかも。
虫流す排水管は暗いだろうな
誰でも経験のある共感の句。流されてゆく虫の立場で詠んでいる。
「前菜」はこれくらいにして「サラダ」に。
ものすごい緑のままで枯れていく
「ものすごい緑」とはどんな緑なんだろう。
全盛の姿のままで枯れてゆくのだ。悔いが残るとも言えるし、逆に幸せとも言える。
プランクトンの名前をいくつ言えますか
はい、言えますよ。ミジンコ・ケンミジンコ・ボルボックス・ミドリムシ・ゾウリムシ…あれ、もう言えない。
続いて「スープ」に移る。
うさぎ抱くころしてしまいそうに抱く
可愛がって抱きしめるあまり殺してしまうことがある。ここでは、その寸前で止めている。
首筋に森を通ってきた匂い
作者に見られる感覚表現はここでは嗅覚に特化されている。
「木の匂い」「雨の匂い」「せっけんの匂い」「にんにくの匂い」「日向の匂い」―匂いの句はいろいろある。
紫陽花を咲かせる声にしてください
「向日葵を咲かせる声」とか「紫陽花を咲かせる声」とか、いろいろあるとおもしろいだろうな。
いよいよ「メインディッシュ」。
くるぶしのますます白く位置に着く
スタートラインに着く。それを見ている人の視線は白い踝に注がれている。
あどけなく弱いところがもりあがる
弱いところをカバーしながら傷口は自然に治癒する。人生経験を積むと、傷を受けないようにあらかじめ弱点を鎧で覆っておくようになる。この句の作中主体はまだあどけないのだろう。
雨続く今日見たことは今日話す
明日話そうと思っていても、明日は話す相手がいないかもしれないし、そもそも話すことを忘れてしまっているかも知れない。
切り口に合うのは切った刃のかたち
「切られたもの」と「切ったもの」との関係性。敵対関係なのだが、妙な親和性がある。
最後に「デザート」。
「行基です」秋の小声に振り返る
川柳でも固有名詞はしばしば使われるが、「行基」はあまり見たことがない。
「秋の小声」ともぴったり合っている。
水に浮くなかったことにしてみても
沈むのではなく浮いてしまうのだ。何もなかったことにはできないのだろう。
絵の中の林檎は蜜のある林檎
現実の林檎は「蜜のない林檎」ばかりなのだろう。
ごきげんよう 桃はひとまず冷蔵庫
句集の最後の句。
デザートにふさわしく果実の句で終わっている。
以上、句集のコンテンツに従った読み方をしてきたが、別にどこから読んでもかまわないだろう。私には雨や水のイメージをともなう句が印象的だった。季語や切れ字を用いた句もあって、俳句的だと感じる句もあった。これは柳俳異同論とは関係のない感想である。
「ボナペティ」「メルシイ」。
2015年3月27日金曜日
2015年3月20日金曜日
現代川柳ヒストリア―雑誌で見る現代川柳史
「里」144号(2015年3月)の特集は〈佐藤文香『君に目があり見開かれ』の開かれ方〉。
上田信治は「世界に『私』を与え直す」でこんなふうに書いている。
〈佐藤文香の第二句集『君に目があり見開かれ』のオリジナリティは「私性の持ち込み」と「文体の更新」にある。それは俳句が、詩として生まれ直すために、それこそ俳諧の成立以来何度となく行なってきたことだ〉
夜を水のように君とは遊ぶ仲
歩く鳥世界にはよろこびがある
知らない町の吹雪のなかは知っている
星がある 見てきた景色とは別に
町を抜けて橋に踊る海が見えた冬の
これらの句を挙げて上田は「私性」に関して〈その(作者の命名するところの)「超口語」が句に極私的な「つぶやく」主体を仮構している〉と述べている。また、「文体」に関しては〈個々の文節が五・七・五にズレつつ乗っていく感覚は、今どきの「譜割り」(旋律の各音に対する歌詞の割り振り)の複雑さを思わせる〉という。
特集には数名の論考のほか、佐藤文香による「出版記念特別作品22句」と「ぽえむ1篇(星とは何か)」が掲載されている。佐藤の新作から。
雪一面すすまぬ青はスキー我
肉塊として起き上がるスキー我
「里」の発行所である邑書林は3月に佐久から尼崎市に移転してきた。関西の俳人・川柳人にとっては「里」句会との交流がしやすくなる。
5月17日に大阪・上本町で開催される「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」の準備のため、このところ手元にある川柳誌を広げて、現代川柳の歴史をたどっている。
一般に川柳誌は消耗品なので、残されることが少ない。過去の川柳史に対するリスペクトがないというよりは、そもそも保存するという感覚を川柳人は持たないのだろう。
俳句の場合は「俳句文学館」があって、過去の俳誌のバックナンバーを調べるにも便利であるが、川柳の場合は「川柳文学館」のようなものはない。
川柳誌の実物を手にすると、過去の川柳人たちの息吹を実感することができるし、私たちがその流れのなかにいることが納得できるだろう。
宣伝をかねて、いま考えている内容をお知らせしてゆきたい。
現代川柳が中村冨二と河野春三からはじまった、というのが私の持論である。「東の冨二、西の春三」などと言われる。まず冨二の方から。
「鴉」は1951年1月から。(全27号)。同人は中村冨二・金子勘九郎・高井花眠・片柳哲郎・松本芳味。ガリ版刷で、当日は23号・25号の二冊を展示するが、触るとボロボロになってしまいそうので、残念ながら手にとって見ていただくわけにはいかない。また合同句集『鴉』も展示。
次に春三の方だが、まず「天馬」を展示。
「川柳ジャーナル」は比較的目にする機会があると思われる。
1966年(昭和41年)8月、「川柳ジャーナル」創刊。「海図」「鷹」「不死鳥」「流木」「馬」の各誌を統合して生まれた。「川柳ジャーナル」は終刊号を展示するが、「川柳ジャーナル」以前の5誌をあわせて見ることができるのはめったにない機会となるはずである。
河野春三の個人誌「馬」は1964年3月から1966年7月まで全15号が発行され、「川柳ジャーナル」に発展的解消された。毎号、特別作品が掲載され、6号に新子の50句、7号に草刈蒼之助50句、8号に春三の50句、9号に松本芳味の15句(多行作品「難破船」)、10号に春三の38句(黒縄抄拾遺「空蝉」)、11号に定金冬二の37句(「亡霊」)、15号は現代川柳作家自選集として56名が参加したという。
「流木」は1965年4月に京都で創刊。流木グループは橋本白史・宮田あきら・中奥治一郎・所ゆきら・上田枯粒・渡辺極堂の6人で、編集は宮田あきら。
静岡から出ていた「不死鳥」は1962年4月から1966年7月まで、全52号。私が見ることができた34号(昭和40年1月)を展示の予定。同人は中野柳窓、服部たかほ、稲村雀穂、森由旬、石川重尾の五人。
「海図」は編集発行人・山村祐。森林書房。
「鷹」は静岡の鷹集団発行。1964年~1966年7月。全33号。発行人・小泉十支尾、編集・片柳哲郎(30号から福島眞澄)。
「現代川柳作家連盟」(現川連)のことも触れておきたい。推進者となったのは岐阜の今井鴨平である。「現代川柳」は現代川柳作家連盟機関誌として岐阜で発行。1957年7月~1962年3月(全36号) 発行人・今井鴨平。しかし、現川連の会員たちは積極的な協力の姿勢をとらなかったため、鴨平は個人で「川柳現代」を発行することになる。1962年7月~1964年10月(全17号)。その「川柳現代」も1964年の鴨平によって終刊。第17号「今井鴨平追悼号」を展示する。
それ以後の川柳誌については省略するが、当日会場でご覧になっていただければ幸いである。現在、展示用の簡単なラベルを作成中。創刊から終刊まで何号あり、同人や発行人・編集人は誰かなど基本的なデータを記録するのにけっこう時間がかかる。
また、当日はパワーポイントを使って現代川柳史の流れを簡単に解説する予定。
当日は展示だけではなく、フリーマーケットを開催しているので、川柳句集を購入することができる。また、句集作者によるサイン会も予定。
あと、歌人の天野慶さんとの対談もお楽しみいただけることと思う。
フリマの出店は現在募集中。詳しいことは専用ホームページをご覧いただきたい。出店申し込みは4月末日までだが、会場はそれほど広くないので、お早めに申し込みいただけるとありがたい。
上田信治は「世界に『私』を与え直す」でこんなふうに書いている。
〈佐藤文香の第二句集『君に目があり見開かれ』のオリジナリティは「私性の持ち込み」と「文体の更新」にある。それは俳句が、詩として生まれ直すために、それこそ俳諧の成立以来何度となく行なってきたことだ〉
夜を水のように君とは遊ぶ仲
歩く鳥世界にはよろこびがある
知らない町の吹雪のなかは知っている
星がある 見てきた景色とは別に
町を抜けて橋に踊る海が見えた冬の
これらの句を挙げて上田は「私性」に関して〈その(作者の命名するところの)「超口語」が句に極私的な「つぶやく」主体を仮構している〉と述べている。また、「文体」に関しては〈個々の文節が五・七・五にズレつつ乗っていく感覚は、今どきの「譜割り」(旋律の各音に対する歌詞の割り振り)の複雑さを思わせる〉という。
特集には数名の論考のほか、佐藤文香による「出版記念特別作品22句」と「ぽえむ1篇(星とは何か)」が掲載されている。佐藤の新作から。
雪一面すすまぬ青はスキー我
肉塊として起き上がるスキー我
「里」の発行所である邑書林は3月に佐久から尼崎市に移転してきた。関西の俳人・川柳人にとっては「里」句会との交流がしやすくなる。
5月17日に大阪・上本町で開催される「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」の準備のため、このところ手元にある川柳誌を広げて、現代川柳の歴史をたどっている。
一般に川柳誌は消耗品なので、残されることが少ない。過去の川柳史に対するリスペクトがないというよりは、そもそも保存するという感覚を川柳人は持たないのだろう。
俳句の場合は「俳句文学館」があって、過去の俳誌のバックナンバーを調べるにも便利であるが、川柳の場合は「川柳文学館」のようなものはない。
川柳誌の実物を手にすると、過去の川柳人たちの息吹を実感することができるし、私たちがその流れのなかにいることが納得できるだろう。
宣伝をかねて、いま考えている内容をお知らせしてゆきたい。
現代川柳が中村冨二と河野春三からはじまった、というのが私の持論である。「東の冨二、西の春三」などと言われる。まず冨二の方から。
「鴉」は1951年1月から。(全27号)。同人は中村冨二・金子勘九郎・高井花眠・片柳哲郎・松本芳味。ガリ版刷で、当日は23号・25号の二冊を展示するが、触るとボロボロになってしまいそうので、残念ながら手にとって見ていただくわけにはいかない。また合同句集『鴉』も展示。
次に春三の方だが、まず「天馬」を展示。
「川柳ジャーナル」は比較的目にする機会があると思われる。
1966年(昭和41年)8月、「川柳ジャーナル」創刊。「海図」「鷹」「不死鳥」「流木」「馬」の各誌を統合して生まれた。「川柳ジャーナル」は終刊号を展示するが、「川柳ジャーナル」以前の5誌をあわせて見ることができるのはめったにない機会となるはずである。
河野春三の個人誌「馬」は1964年3月から1966年7月まで全15号が発行され、「川柳ジャーナル」に発展的解消された。毎号、特別作品が掲載され、6号に新子の50句、7号に草刈蒼之助50句、8号に春三の50句、9号に松本芳味の15句(多行作品「難破船」)、10号に春三の38句(黒縄抄拾遺「空蝉」)、11号に定金冬二の37句(「亡霊」)、15号は現代川柳作家自選集として56名が参加したという。
「流木」は1965年4月に京都で創刊。流木グループは橋本白史・宮田あきら・中奥治一郎・所ゆきら・上田枯粒・渡辺極堂の6人で、編集は宮田あきら。
静岡から出ていた「不死鳥」は1962年4月から1966年7月まで、全52号。私が見ることができた34号(昭和40年1月)を展示の予定。同人は中野柳窓、服部たかほ、稲村雀穂、森由旬、石川重尾の五人。
「海図」は編集発行人・山村祐。森林書房。
「鷹」は静岡の鷹集団発行。1964年~1966年7月。全33号。発行人・小泉十支尾、編集・片柳哲郎(30号から福島眞澄)。
「現代川柳作家連盟」(現川連)のことも触れておきたい。推進者となったのは岐阜の今井鴨平である。「現代川柳」は現代川柳作家連盟機関誌として岐阜で発行。1957年7月~1962年3月(全36号) 発行人・今井鴨平。しかし、現川連の会員たちは積極的な協力の姿勢をとらなかったため、鴨平は個人で「川柳現代」を発行することになる。1962年7月~1964年10月(全17号)。その「川柳現代」も1964年の鴨平によって終刊。第17号「今井鴨平追悼号」を展示する。
それ以後の川柳誌については省略するが、当日会場でご覧になっていただければ幸いである。現在、展示用の簡単なラベルを作成中。創刊から終刊まで何号あり、同人や発行人・編集人は誰かなど基本的なデータを記録するのにけっこう時間がかかる。
また、当日はパワーポイントを使って現代川柳史の流れを簡単に解説する予定。
当日は展示だけではなく、フリーマーケットを開催しているので、川柳句集を購入することができる。また、句集作者によるサイン会も予定。
あと、歌人の天野慶さんとの対談もお楽しみいただけることと思う。
フリマの出店は現在募集中。詳しいことは専用ホームページをご覧いただきたい。出店申し込みは4月末日までだが、会場はそれほど広くないので、お早めに申し込みいただけるとありがたい。
2015年3月13日金曜日
川合大祐の軌跡
自動ドア誰も救ってやれないよ(2002年1月)
「川柳の仲間 旬」115号の「人物クローズアップ」で私は川合大祐の名をはじめて知った。このとき川合は28歳、川柳をはじめて1年たたない時期である。
いとう岬の解説によると、「旬」113号に彼は「檻のなかから世界を眺めて」という文章を掲載している。その中で川合は自分が川柳で表現したいものは「影」であると語っている。
では、なぜ川柳なのか。
「人は不自由さの中にあってこそ、始めて本当の自由を実感できる。不自由に縛られたなかでの稀少な自由とは、無限のひろがりを持つものだ。それこそが、私が川柳という表現形態に求めるものなのだ」
おはようで今日もはじまるつなわたり
誕生日童話いっさつ火にくべる
戦争はガラスの中でピンク色
滅茶苦茶になれたらいいね うんいいね
中八がそんなに憎いかさあ殺せ(2011年9月)
「川柳コロキウム」誌上大会、丸山進選。
五七五定型のうち上五は字余りでも許容されるが、中七は比較的守られている。「中八はいけない」という川柳人が多いが、この句はそれに対して疑問を呈している。
発表以来、中八をめぐる議論ではこの句がときどき取り上げられるのを目にする。
ロミオではないあなたには興味なし(2014年11月)
「裸木」2号(編集人・いわさき楊子)。
二通りに読めると思う。
「ロミオではないあなた」には「私」は興味がない。
「私」はロミオではない(あなたもジュリエットではない)。だから、あなたには興味がない。
あとの読みの場合は、「ロミオではない」の後に切れがあることになる。
薔薇とのみ呼ばれし花よ市民A
ジャイアント馬場や水葬物語
ビンラディン/市民 ころした/ころされた
…早送り…二人は……豚になり終 (2014年11月)
「川柳カード」7号。誌上大会、兼題「早い」準特選。選者は樋口由紀子。
「/」や「…」などの記号を使った川柳を川合はしばしば書いている。
短歌ではめずらしくないが、川柳ではまだ新鮮なのだろう。
掲出句はビデオなどの早送りの感じをうまく表現している。「豚になり終」というのは皮肉である。
「川柳スープレックス」(2015年2月)
飯島章友・柳本々々・川合大祐・倉間しおり・江口ちかるの五人で「川柳スープレックス」を立ち上げた。私はプロレスの技には詳しくないが、スープレックスはバックドロップと同じような技だろうか。
「百万遍死んでも四足歩行なり」(飯田良祐)について、川合は次のように書いている。
〈川柳は檻である、と昔書いた。
スープレックスのテスト版にもそんな小文を書いたので、いつか機会があれば再掲したい。
それはともかく、僕にとっての川柳は檻だった。
五七五という定型。
それは僕にとって檻であり、その檻の不自由さのなかではじめて自由を夢見ることができる、そんな内容だったと思う。
(だから方哉も山頭火も、ある意味業に似た不自由さから逃れられなかった、という気もするのだが、それはまた別の折に)
そんな僕のアプローチと、この句のアプローチは、どこか違う。
この句は、自ら檻に入ったのだ。
五七五の檻に、自らの獣を閉じ込めるために。〉
星だって掴めるような気がしてたそれが怖くて掴まなかった(2015年3月)
「かばん」新人特集号Vol.6。
2009年10月から2013年9月に入会した23名による短歌各30首が収録されている。これに「かばん」内と「かばん」外の執筆者による歌評がそれぞれ付いている。
飯島章友は内部評で次のように書いている。
〈連作の終盤、26首目~30首目で主人公は、ふだん抑圧している影の自分に言葉を投げかけ、歩み寄りをみせている。「僕」「僕ら」と柔らかい自称になったのはその表れ。「おひさまが西から昇」るような受け入れがたい無意識下(影)の自分をも「肯定」し、「僕ら」として共に「歌う」ことで、自己の総合化へ一歩踏み出したのだ〉
手をほどく眠りに噴き出す無意識をほんとうの無へ返せるように
自由とは真夏の夜の夢なれば監視カメラを撃つ銃もなし
なあ俺よ答えてくれよ星座とは見るものなのかなるものなのか
おひさまが西から昇っただとしても肯定しよう僕は僕だと
「川柳の仲間 旬」115号の「人物クローズアップ」で私は川合大祐の名をはじめて知った。このとき川合は28歳、川柳をはじめて1年たたない時期である。
いとう岬の解説によると、「旬」113号に彼は「檻のなかから世界を眺めて」という文章を掲載している。その中で川合は自分が川柳で表現したいものは「影」であると語っている。
では、なぜ川柳なのか。
「人は不自由さの中にあってこそ、始めて本当の自由を実感できる。不自由に縛られたなかでの稀少な自由とは、無限のひろがりを持つものだ。それこそが、私が川柳という表現形態に求めるものなのだ」
おはようで今日もはじまるつなわたり
誕生日童話いっさつ火にくべる
戦争はガラスの中でピンク色
滅茶苦茶になれたらいいね うんいいね
中八がそんなに憎いかさあ殺せ(2011年9月)
「川柳コロキウム」誌上大会、丸山進選。
五七五定型のうち上五は字余りでも許容されるが、中七は比較的守られている。「中八はいけない」という川柳人が多いが、この句はそれに対して疑問を呈している。
発表以来、中八をめぐる議論ではこの句がときどき取り上げられるのを目にする。
ロミオではないあなたには興味なし(2014年11月)
「裸木」2号(編集人・いわさき楊子)。
二通りに読めると思う。
「ロミオではないあなた」には「私」は興味がない。
「私」はロミオではない(あなたもジュリエットではない)。だから、あなたには興味がない。
あとの読みの場合は、「ロミオではない」の後に切れがあることになる。
薔薇とのみ呼ばれし花よ市民A
ジャイアント馬場や水葬物語
ビンラディン/市民 ころした/ころされた
…早送り…二人は……豚になり終 (2014年11月)
「川柳カード」7号。誌上大会、兼題「早い」準特選。選者は樋口由紀子。
「/」や「…」などの記号を使った川柳を川合はしばしば書いている。
短歌ではめずらしくないが、川柳ではまだ新鮮なのだろう。
掲出句はビデオなどの早送りの感じをうまく表現している。「豚になり終」というのは皮肉である。
「川柳スープレックス」(2015年2月)
飯島章友・柳本々々・川合大祐・倉間しおり・江口ちかるの五人で「川柳スープレックス」を立ち上げた。私はプロレスの技には詳しくないが、スープレックスはバックドロップと同じような技だろうか。
「百万遍死んでも四足歩行なり」(飯田良祐)について、川合は次のように書いている。
〈川柳は檻である、と昔書いた。
スープレックスのテスト版にもそんな小文を書いたので、いつか機会があれば再掲したい。
それはともかく、僕にとっての川柳は檻だった。
五七五という定型。
それは僕にとって檻であり、その檻の不自由さのなかではじめて自由を夢見ることができる、そんな内容だったと思う。
(だから方哉も山頭火も、ある意味業に似た不自由さから逃れられなかった、という気もするのだが、それはまた別の折に)
そんな僕のアプローチと、この句のアプローチは、どこか違う。
この句は、自ら檻に入ったのだ。
五七五の檻に、自らの獣を閉じ込めるために。〉
星だって掴めるような気がしてたそれが怖くて掴まなかった(2015年3月)
「かばん」新人特集号Vol.6。
2009年10月から2013年9月に入会した23名による短歌各30首が収録されている。これに「かばん」内と「かばん」外の執筆者による歌評がそれぞれ付いている。
飯島章友は内部評で次のように書いている。
〈連作の終盤、26首目~30首目で主人公は、ふだん抑圧している影の自分に言葉を投げかけ、歩み寄りをみせている。「僕」「僕ら」と柔らかい自称になったのはその表れ。「おひさまが西から昇」るような受け入れがたい無意識下(影)の自分をも「肯定」し、「僕ら」として共に「歌う」ことで、自己の総合化へ一歩踏み出したのだ〉
手をほどく眠りに噴き出す無意識をほんとうの無へ返せるように
自由とは真夏の夜の夢なれば監視カメラを撃つ銃もなし
なあ俺よ答えてくれよ星座とは見るものなのかなるものなのか
おひさまが西から昇っただとしても肯定しよう僕は僕だと
2015年3月6日金曜日
俳句を壊す―「船団」104号
5月17日に大阪・上本町で開催される「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」の準備を始めている。専用のホームページの方もご覧いただきたい。ホームページから出店の申し込みができるが、小池正博まで直接お申込みいただいてもOK。また、ホームページに川柳投稿フォームを設けていて、投句できるようになっている(雑詠1句)。句会を開くわけではないが、当日会場に来られた方々に良いと思う作品に投票していただき、後日集計結果を発表することになっている。ふるって投句をお願いしたい(投句はインターネットのみの受付)。また、フリーペーパーのコーナーを設けるので、配布ご希望の方は当日ご持参いただければ机上に置かせていただく。こちらは出店料無料だが、無料配布となるのでご了解いただきたい。川柳誌のバックナンバーもお持ちいただければ無料配布可能。
さて、俳誌「船団」掲載のエッセイ、芳賀博子の「今日の川柳」は連載29回目。今回の104号は「一の麦」というタイトルで田口麦彦のことを取り上げている。芳賀は熊本まで田口に会いに出かけて、きちんと取材している。『新現代川柳必携』(三省堂)のことなど、田口の川柳活動が紹介されている。「麦彦」という号の由来は、「米」に対抗して「麦」。「日本といえば米でしょ。だったら麦でいこうと。これは私の反骨精神でね」。麦彦さんには5月の川柳フリマにも来ていただくことになっている。
「船団」同号の特集では「座談会・俳句を壊す」が読みごたえがある。関悦史・池田澄子・三宅やよいの対談で、司会は木村和也。刺激的なのは次のような部分。
関 表現しなければならない、場合によっては不愉快なところ、あるいは自分が同じような作品ばかり作ってしまうという批評的な苛立ちがあったとして、その苛立ちを含み込んで乗り越えて俳句として読めるものにする。そういう作業を、俳句形式にぶちあたっていく中で工夫して、最終的に洗練された表現にしていくわけで、それは壊すという方向ではないわけです。書かなければならないものがどこかにあって、その志とか批評性を俳句として洗練された方向にまとめ上げていく。そのまとめ上げるときに、一見壊れるという臨界点にまで踏み込んでいるという緊張感が出てくるんです。
木村 今の論でいくと、「壊す」ということのキーというか基点になるのは批評精神ということでしょうか。
関 そうでしょうね。
木村 それは、もちろん自分の俳句とか、自分の関わる現実とかいうものに対する批評精神といったものが、一見壊すというふうに見えてくるということでしょうか。
関 それともう一つは、俳句の歴史全体に対して。今まで詠まれてきたものと今自分が一緒のことをやっていてはどうしようもないという、自分に対する批評性。
「批評性」「批評精神」をキーにしているところが興味深い。あと、俳句の季語に対して関が「他者性」という視点からとらえていることも私には新鮮な感じがした。次はすべて関の発言。
「一句のなかに季語が入ったら、そこは自分が言いたいことは直接は言えてないわけです。そこに他者性、批評性が入ってくるという形で季語が生かされる」
「俳句の季語っていうのはその、メッセージを担っちゃいけない、何かものの喩え、メタファーになっちゃいけないんですよ」
「無季でやる場合は季語に変わる何かしらの他者性が入ってくるわけですよ」
川柳や連句についても触れられていて、次は三宅やよいの発言。
三宅 私は、無季の句を作ると意味が強くなっちゃうんですよ。だから川柳の人たちと句会をやっているとき、結構無季の俳句つくっていたんです。そうするとやっぱり川柳は季語がないから言葉を強くしなきゃという思いがあるんですよ。川柳は意味だ、っていう意味じゃないんですよ。それだけ言葉の選択っていうのは、季語に代わる強さとか、心情とか直接に訴えた形で言葉を出さなきゃならないから、そのときは一緒にやるときは作ったことありますけど、すごく分裂しちゃうんです自分が。
「俳句と川柳の違い」という話題になると、すぐ「川柳の意味性」で片づけられてしまうが、三宅は川柳人とも交流があるから、意味性で括ることはしていない。三宅は「川柳的っていうとすぐ意味とか、そういうとこに走るけど、決してそういうものでもないと思います」とも発言していて、さすがに現代川柳に対する理解が深い人だと思う。
最後に、古い自分を壊し新しい自分を見出すための突破口は、というような話になって、池田澄子が「私はね、そんな何も思わないの。ただ作る、ひたすら作る」と言っているのは、言葉通りには受け取れないにしても、やはりおもしろい。
座談の参加者はみな実作者だから、具体的な創作のヒントがいろいろ得られる。
自己模倣から抜けだしたいと苦吟している表現者にとっては刺激的な特集である。
さて、俳誌「船団」掲載のエッセイ、芳賀博子の「今日の川柳」は連載29回目。今回の104号は「一の麦」というタイトルで田口麦彦のことを取り上げている。芳賀は熊本まで田口に会いに出かけて、きちんと取材している。『新現代川柳必携』(三省堂)のことなど、田口の川柳活動が紹介されている。「麦彦」という号の由来は、「米」に対抗して「麦」。「日本といえば米でしょ。だったら麦でいこうと。これは私の反骨精神でね」。麦彦さんには5月の川柳フリマにも来ていただくことになっている。
「船団」同号の特集では「座談会・俳句を壊す」が読みごたえがある。関悦史・池田澄子・三宅やよいの対談で、司会は木村和也。刺激的なのは次のような部分。
関 表現しなければならない、場合によっては不愉快なところ、あるいは自分が同じような作品ばかり作ってしまうという批評的な苛立ちがあったとして、その苛立ちを含み込んで乗り越えて俳句として読めるものにする。そういう作業を、俳句形式にぶちあたっていく中で工夫して、最終的に洗練された表現にしていくわけで、それは壊すという方向ではないわけです。書かなければならないものがどこかにあって、その志とか批評性を俳句として洗練された方向にまとめ上げていく。そのまとめ上げるときに、一見壊れるという臨界点にまで踏み込んでいるという緊張感が出てくるんです。
木村 今の論でいくと、「壊す」ということのキーというか基点になるのは批評精神ということでしょうか。
関 そうでしょうね。
木村 それは、もちろん自分の俳句とか、自分の関わる現実とかいうものに対する批評精神といったものが、一見壊すというふうに見えてくるということでしょうか。
関 それともう一つは、俳句の歴史全体に対して。今まで詠まれてきたものと今自分が一緒のことをやっていてはどうしようもないという、自分に対する批評性。
「批評性」「批評精神」をキーにしているところが興味深い。あと、俳句の季語に対して関が「他者性」という視点からとらえていることも私には新鮮な感じがした。次はすべて関の発言。
「一句のなかに季語が入ったら、そこは自分が言いたいことは直接は言えてないわけです。そこに他者性、批評性が入ってくるという形で季語が生かされる」
「俳句の季語っていうのはその、メッセージを担っちゃいけない、何かものの喩え、メタファーになっちゃいけないんですよ」
「無季でやる場合は季語に変わる何かしらの他者性が入ってくるわけですよ」
川柳や連句についても触れられていて、次は三宅やよいの発言。
三宅 私は、無季の句を作ると意味が強くなっちゃうんですよ。だから川柳の人たちと句会をやっているとき、結構無季の俳句つくっていたんです。そうするとやっぱり川柳は季語がないから言葉を強くしなきゃという思いがあるんですよ。川柳は意味だ、っていう意味じゃないんですよ。それだけ言葉の選択っていうのは、季語に代わる強さとか、心情とか直接に訴えた形で言葉を出さなきゃならないから、そのときは一緒にやるときは作ったことありますけど、すごく分裂しちゃうんです自分が。
「俳句と川柳の違い」という話題になると、すぐ「川柳の意味性」で片づけられてしまうが、三宅は川柳人とも交流があるから、意味性で括ることはしていない。三宅は「川柳的っていうとすぐ意味とか、そういうとこに走るけど、決してそういうものでもないと思います」とも発言していて、さすがに現代川柳に対する理解が深い人だと思う。
最後に、古い自分を壊し新しい自分を見出すための突破口は、というような話になって、池田澄子が「私はね、そんな何も思わないの。ただ作る、ひたすら作る」と言っているのは、言葉通りには受け取れないにしても、やはりおもしろい。
座談の参加者はみな実作者だから、具体的な創作のヒントがいろいろ得られる。
自己模倣から抜けだしたいと苦吟している表現者にとっては刺激的な特集である。